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2017年4月 9日 (日)

桶谷秀昭氏の『皇室論』

 

上御一人日本天皇は、歴史的伝統性の体現者であらせられ、信仰共同体(祭祀国家)日本の祭祀主(神を祭る最も尊貴な方)であらせられる。「現行憲法」の「天皇条項」は大変畏れ多いことながら、歴史的連続性・伝統性を希薄化あるいは無視した上で「象徴」と規定してゐる。そして、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる。このことが、まことに畏れ多い申し上げ方であるが、天皇・皇族を権力の「操り人形」といふ御立場に置き奉る状況が起る原因となってゐる。「現行憲法」上の「象徴」といふ御地位が一体いかなるものであるのかも明確ではない。今日の天皇・皇室の関はる色々な事象の最大の原因はここにある。

 

上御一人日本天皇は、日本国の祭祀主であり統治者であらせられる御本質を回復するべきである。

 

「現行憲法」の第一章「天皇条項」は、伝統的な現御神・祭祀主としての天皇および日嗣の御子の御本質・日本國體の真姿を正しく表現してゐない。日本國體を正しく成文化した憲法を回復開顕すべきである。

 

現御神・祭祀主としての伝統的な天皇および日嗣の御子のあり方への回帰・天皇の御本質の復元が最も大切である。

 

桶谷秀昭氏は、「『たとへば勇気でも親切でも、私たちがさういふ抽象的な属性の<象徴>たらうとすれば、全生活をあげてそれにならうとする結果、身動きのできぬ非人間的な存在にならざるを得なくなるだらう』と言ったのは、福田恒存である。つまり、『象徴』といふ概念は、天皇を神格化しないが、非人間化を強ひるものである。天皇は一度も人間になってゐない。大衆社会のとどまることを知らない卑俗化に耐へ、なほかつ『象徴』なる規定によって非人間化を強ひられてゐるのが、今日の『象徴』天皇である。皇太子殿下が、『人格を否定するやうな動き』といはれたのは、宮内庁の中の誰かが雅子妃殿下に嫌がらせを言ったとか、いぢめたといふ次元の問題ではないであらう。だから『動き』といはれたのであらう。この『動き』は、多分、皇室の伝統や慣習とからみあって、『象徴』規定にあいまいさに無自覚な人間たちの、悪意のない非人間化の意思を指してゐるのであらう。悪意がないだけに、それは一層残酷な効果をもつのである。」(『諸君』平成十六年七月号「わざはひの根としての『象徴』規定」)と論じた。

 

この文章は、今日の状況を見事に予見してゐると思ふ。建国以来三千年の伝統を護持する事が最も大切である。皇室の御事はそこから考へねばならない。日本弱体化のために国民の皇室尊崇の心を希薄化しようとした占領政策・占領憲法にのっとった皇室論、そしてそれに便乗した左翼勢力の天皇制打倒を目的とする皇室論は厳しくこれを排撃すべきである。

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