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2017年4月 8日 (土)

『禁中並公家諸法度』と『現行占領憲法』

敗戦後、天皇の統治大権は連合國最高司令官の隷属下にあった。昭和二十年八月十日『ポツダム宣言』を受諾するにあたってわが國政府がアメリカに対し「ポツダム宣言の条項は受諾するも、天皇の國家統治の大権を変更するの要求を包含しおらざることの了解の下に受諾す」との最後の申し入れを行ったのに対し、アメリカのバーンズ國務長官は「天皇および日本國政府の國家統治の権限は、降伏条項實施のため、必要と認むる措置をとる連合國最高司令官の制限の下に置かれるものとする」と回答してきた。

 

「制限の下に置かれる」といふのはあくまでも日本外務省の訳語であって、英語の原文は「subject to」であり、正しい訳語は「従属の下に置かれる」あるいは「隷属の下に置かれる」である。

 

三潴信吾氏は、「(バーンズ回答は)戰時國際法に基く彼等の權利を示したものである。この『従屬』の意義を明確にすべきであって、これ、政府が國民の憎悪感を和げんとして『制限』と譯し、『日本國憲法』は單に一部機能を制限された日本の主権の下に、少なくも日米合作で制定したものの如く擬装したことは言語道断である」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。

 

また、同年九月六日付の米國政府の『マッカーサー元帥あての指令』に「一、天皇および日本國政府の國家統治の権限は、連合國最高司令官としての貴官に従属する。…われわれと日本との関係は契約的基礎の上に立つものではなく、無条件降伏を基礎とするものである。…二、日本國の管理は、日本國政府を通じて行われる。ただし、これは、そのやうな措置が満足すべき成果をおさめうる限度内においてとする。このことは、必要があれば直接に行動する機関の権利を妨げるものではない。」(桶谷秀昭氏著『昭和精神史』より引用)と書かれてゐる

 

以上の事實によって、天皇の統治大権が連合國最高司令官たるマッカーサーの従属下にあったのは明白である。ただし、この場合の「統治大権」とは『大日本帝國憲法』第四条の「統治権力」であって、信仰共同體日本の祭祀主たる天皇の御統治といふ信仰的精神的権威と御権能までが、マッカーサー連合國最高司令官の隷属下に置かれたのではない。それは、征夷大将軍が「統治権力」を行使してゐた徳川幕藩體制下においても、天皇が日本國の祭祀主としての精神的信仰的君主の権威と御権能を保持されてゐたのと同じである。

 

徳川幕府は、元和元年(一六一五)七月十七日『禁中並公家諸法度』(『禁中方御条目』ともいふ)を定めた。徳富蘇峰氏は「(『禁中並公家諸法度』は)公家に向かって、その統制権を及ぼしたるのみでなく、皇室にまで、その制裁を及ぼしたるもので、いわば公家はもとより、皇室さえも、徳川幕府の監督・命令を仰がねばならぬ立場となったことを、法文上において確定したものだ。すなわちこの意味において、武家諸法度に比して、さらに重大なる意義がある」(『近世日本國民史・家康時代概観』)と論じてゐる。

 

その第一条には、「天子諸藝能の事。第一御學問なり。」と記されてゐる。そして「和歌は光孝天皇より未だ絶えず。綺語たりと雖も、我が國の習俗なり。棄置く可からず」などとも書かれてゐる。

 

徳富蘇峰氏はこの条文について、「天皇は治国平天下の学問を為さず、ただ花鳥風月の学問を為し給うべしとの、意味にて受け取るを、正しき解釈とせねばならぬ。」(同書)と論じてゐる。

 

肇國以来、天皇の御地位は、本来成文法の規定を超越してゐる。わが日本は國家の本質と君主たる天皇の御本質が建國以来、信仰的に厳然と確立してゐる。成文憲法でそれを変革することはできない。日本天皇が日本國の君主・統治者であらせられるのは、日本の傳統信仰・歴史的な國體観念に基づくのであって、成文法に規定されてゐるからではない。つまり天皇及び皇室そしてそれを中心とする日本國體は憲法などの世俗的な法律を超越しており、憲法などの世俗の成文法は、皇室にかかはることに干渉することは本来できない。

 

成文法おいて、天皇の御事が具體的に記されたのはこの『法度』が初めてであるといふ。天皇と朝廷はこの『法度』によって幕府の制定した成文法の枠組みの中に入れられてしまった。「御學問第一」などといふことをあへて成文法化して規定した上に、日本國の君主であらせられ統治者であらせられる天皇本来の國家統治の御権限については何も記されゐないのは、天皇が「政治的権力」を有してをられない事を「成文法」として規定したものである。すなはち、「天皇は實際の政治権力には関与されず、ただ宮廷において御學問をされておればよい」と読むのがこの『法度』の正しい理解であらう。天皇の統治大権は、幕府権力によってそれこそ制限されたのである。この『法度』の實際の制定権力である江戸幕府への「大政委任」の成文法的根拠を与へた。

 

このやうに見て来ると、『禁中並公家諸法度』は、外来権力ではないが武家権力によって「制定」せられた点、およびその内容が日本國體を隠蔽してゐるといふ点において、『現行占領憲法』と似てゐる。『禁中並公家諸法度』は江戸時代を通じて一切改訂されなかったが、徳川幕府が打倒された後、まさに無効となった。『現行占領憲法』も、『禁中並公家諸法度』と同じく、講和発効・占領解除後に当然無効となってゐるべきである。

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