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2017年4月12日 (水)

國歌『君が代』について

「わが君は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで」

詠み人知らず

 

 

『國歌君が代』の元歌で、『古今和歌集』巻第七及び『和漢朗詠集』に「賀歌」として収録されてゐる。「賀歌」とは、人が一定の年齢に達した時に行ふ祝賀行事に際し、他者が詠んで贈る歌。お祝ひの調度としての屏風に書く歌として詠進されると共に、口誦して披露された。公的性格が強い。この歌は平安初期からよく歌はれゐたといふ。

 

「わが君のお年は、千年も八千年も、小さな石が巌となって苔が生えるまで、末永くお健やかでいて下さい」といふほどの意。

 

初句の「わが君」は、尊敬する目上の人といふ意味である。後に「わが君は」を「君が代は」と改められ、「天皇の御代」を讃へる歌となった。

 

「君が代は 千代に八千代 に さざれ石の いはほ となりて 苔のむすまで」

 

『君が代』はめでたい歌として貴族から庶民に至るまで自然発生的に全國民的に歌はれ続けた歌である。江戸初期には、堺の町の美声の歌ひ手に隆達といふ人がゐた。その『隆達節』にもこの『君が代』が最初に挙げられて、広く庶民の間に親しまれたといふ。

 

この歌は、近世にかけて全國に広がり、謡曲や神楽歌そして小唄・浄瑠璃・薩摩琵琶などに取り入れられ、貴族だけでなくあらゆる階層の人々に身近な祝ひ歌として広く親しまれ歌はれてきた。薩摩琵琶(注・薩摩で発達した琵琶、及びそれによる歌曲)の『蓬来山』といふ曲にも取り入れられた。

 

明治十三年(1880)、日本の国歌として「君が代」が採用された。その時、薩摩の大山巌(元帥陸軍大将)は、「わが國の國歌としては、よろしく宝祚の隆昌、天壤無窮ならん子とを祈り奉るべきである」として「平素愛誦する薩摩琵琶の中から『君が代』を選び出した」と語ってゐる。

 

國歌『君が代』には、日本國民の伝統的天皇信仰が高らかに歌ひあげられてゐる。

 

小さな石が大きな岩に成長することはあり得ないから非科學的な歌であるといふ議論があるが、日本人の信仰精神に対する無知をさらけ出してゐる意見である。石が成長して大きくなり巌となるといふのは日本人の古来からの信仰的真実である。自然には魂が宿ってゐるとする信仰は、祖霊信仰と共に日本伝統信仰の大きな柱である。

 

石が成長した岩には魂が籠ってゐると信じられた。「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させないで霊力を賦活させ神聖化することである。そして「いはふ」は神を祭る意にもなった。神を祭る人(神主)を「斎主」(いはひぬし)、神を祭る宮を「斎宮」(いはひのみや)と呼ぶようになった。

 

 家に籠ることを「いはむ」と言ふ。「いはむ」とは忌み籠ることである。「忌む」とは、不吉なこと、けがれたことをきらって避けること、特に、ある期間、飲食・行為を慎んで、身体をきよめ不浄を避けることを言ふ。「斎」(いつき・心身を清めて飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いみきよめる。いわう。いつく。ものいみする、という意)と同じ意である。 

 

 「いつき・いつく」の「いつ」とは清浄・繁茂・威力などの意を包含している神聖観念である。天皇の神聖権威を意味する御稜威(みいつ)はこの言葉から来てゐる。

 

 このように、「いへ」「いは」「いむ」「いつく」は語根が同じくし、深い関係がある。ゆゑに、魂の籠ってゐる「石」を「岩」と言ふ。天照大神が籠られた「天の岩戸」は大神の神霊が籠られたところなのである。

 

 人々は、亡くなった人の遺体を石の下に埋める。わが國は古墳時代から墓に石を置いた。特に偉大な人の墓の場合は巨大な岩を置いた。墓を石で造るのは、石に魂が籠められるといふ信仰に基づく。石や岩に霊魂が籠ると信じた日本人は、石は地上にありながら、地下から湧出する生命・霊魂の威力を包み込んだ存在で、地下に眠る霊魂の象徴であり、よりしろ(憑代・依り代。神霊が宿るところ)と考へた。 

 

 日本の「家」(いへ)はそれを構成する人々つまり家族の魂が一処に籠っているといふことである。したがって、君が代(天皇の御代)は「石」が「岩」になるまで続くといふことは、天皇國日本は魂の籠っている永遠の國家であるといふことになる。岩を霊的なものとしてとらへ、それを永遠無窮・天壤無窮の象徴としたのである。さういふ信仰を歌っている歌が『君が代』なのである。

 

 石や岩などの自然物に魂が宿ってゐるといふ古代信仰は『萬葉集』の次の歌に表れている。

 

信濃なる 筑摩の川の  細石(さざれいし)も  君しふみてば 玉と拾はむ (萬葉集巻十四・三 四〇〇)

 

 東歌(萬葉集巻十四・古今集巻二十にある、東國方言で庶民が詠んだ和歌)である。「信濃の千曲川の小石もあなたがお踏みになったのなら玉と思って拾いましょう」といふほどの意。恋人が踏んだ石には魂が籠っているといふ歌である。石に魂が籠るといふのは古くからの民俗信仰であった。 さらに、柿本人麻呂が石見の國において亡くなる時、妻・依羅娘子がこれを嘆き悲しんで詠んだ歌では、

 

 今日今日と 我が待つ君は 石川の かひにまじりて ありと言はずやも (萬葉集巻二・二二四)

 

 と詠まれてゐる。山の谷間の貝塚などに遺骸を葬る風習が古代にはあり、川に臨んだ貝塚群の底から、人骨が出土する例が報告されてゐる。

 

「石川のかひ」は、死者を葬った川のそばにあり水に浸された貝塚のことである。石川と名づけられたのも、小さな石(すなはちさざれ石)には霊が籠ってゐて、霊の憑依物・霊的なものとして考へ、「玉」とも呼ばれた長い信仰がこの歌の底にはある。

 

 「大君は 神にしませば 天雲の雷の上に いほらせるかも」といふ柿本人麻呂の歌の「いほらせる」は、「いほりする」の尊敬語である。「いほる」とは、「斎」(いつき)の意義が込められてゐる。人麻呂は、天皇が神聖なる雷丘に忌み籠られて五穀の豊饒を祈る祭りをせられたことを詠んだのである。

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