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2017年4月30日 (日)

笹川平和財団主催ジョージ・ナッシュ博士講演会 米国における保守主義とポピュリズム』におけるジョージ・ナッシュ氏の講演内容

二月一日に行われた『笹川平和財団主催ジョージ・ナッシュ博士講演会 米国における保守主義とポピュリズム』における開催。ジョージ・ナッシュ氏の講演内容は次の通り。モデレーターは会田弘雄青山学院大学教授。

 

「日本に来たのは初めて。刺激的な意見交換ができた。信じられないタイミングでここに立っている。アメリカ大統領就任二週間。アメリカの保守主義は絶望的に分断されていると言うが果たしてそうなのか。どうしてこのようになったのか考えるべし。

 

アメリカの近代的保守主義は一枚岩であったことはない。思想的連合体であった。一九四〇年代、ニューディール以後のアメリカは社会主義に漂流していた。冷戦時代が始まり、好戦的反共主義が生まれた。共産主義と戦わねばいけないという信念が植えつけられた。反共というイデオロギーは殆どの人が共有することができた。共産主義は自由や信仰の敵であるとした。ゴールドウォーター上院議員を送り込んだ。

 

八〇年代には多くの人々がレーガン革命に参加した。近代的リベラリズムによって頽廃がもたらされたとした。共和党は宗教的右派の考えをとり入れた。

 

世界の人々はアメリカに移動している。留学生の八〇%は中国から来ている。百万人の移民を合法的に受け入れている。一千百万人の移民が入って来ている。このペースは加速化している。

 

想像もできなかったトレンドが出来ている。ポピュリズムはエリートへの反乱と定義できる。ポピュリズムは思想的に左翼。普通の人々の政治判断の方が信頼できる。アメリカにおけるホピュリズムと軌を一にしているのが通信機器の発達。インターネット、スマホによって人民の力が強くなっている。

 

トランプは軍の経験、公職の経験のないはじめての大統領。ポヒュリストに人気が出た。彼を好きでなかった人も投票した。緊張した今の状況を見ると、アメリカ人は能力を失いつつあると思う。経済が高度成長すれば、政治的不安感・緊張が緩むかもしれない。

 

トランプが成功した理由はアウトサイダーだったから。アメリカファーストは孤立主義ではない。アメリカは国益を考えて強くあるべきと言った。外国での戦争に巻き込まれないようにする。アメリカと戦争をしたくないと思わせるようにする」。

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千駄木庵日乗四月三十日

午前は、諸事。

午後一時より、春日の文京区民センターにて、『第六十九回日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が主催者挨拶。イリハム・マハムティ氏が「ウイグルの現状について」と題して講演。小生が「大アジア主義の今日的意義」と題して講演。活発な質疑応答、意見交換が行われた。

帰宅後は、原稿執筆。

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この頃詠みし歌

散る桜風に舞ひ来る道歩み 逝きにし母の面影浮かぶ

 

やさしかりにし母の面影目に浮かぶ桜の花の華やぎの中

 

母上の永久の安らぎを祈りたり 納骨をせし御墓辺の前

 

うから集ひ母の御霊を拝ろがみぬ春の風吹く丘の上の寺

 

わが手をば握りて離さぬわが母の手のぬくもり今に忘れず

 

幾度も動画を見ては偲びゐるわが母上の健やかな頃

 

           〇

 

水の神祀れる小さき祠ありわが日の本は水清き國(江戸川公園)

 

そのかみの都電の終点江戸川橋桜並木の華やかにして()

 

ゆったりと流れゆくなる神田川 桜の花びらもゆったりと行く()

 

雀たちが都塵の中に群れ為して生きる姿の頼もしさかな

 

北も南も暴虐と混乱が続きゐてあまりにも惨き近隣国家

 

道に残る桜の花びら愛(いと)ほしみ歩み行くなる谷中霊園

 

道路にてチャンバラ遊びや羽根つきをしたる思ひ出も幻となる

 

細き道にバイクや自動車入り来て幼な子たちの遊ぶ場所なし

 

芽吹き初めし銀杏の若葉眺めつつわが足取りも軽くなりたり

 

小銭入れに十円玉は多くしてはち切れんばかり あな面白し

 

財布には一万円札少なくて 心細くもあなあはれなり

 

生ビール飲み干しにつつ懐かしき昔を偲ぶ神田神保町

 

無くなりし神田日活の跡所何処なりやと見回してをり

 

仕事して夜は更けにけりさらさらとペンの音のみ響くわが部屋

 

熊野川清き流れに沿いて行きしバスの旅をば思ひ出しをり

 

旅行きし熊野の天地の清らかさ思ひ出しつつ今宵過ごすも

 

白髪となりにし友と酒酌みて長き縁(えにし)を思ふひと時

 

パソコンの動画にて見る歌手たちのほとんどはこの世を去り行きにけり

 

懐かしき歌声を聴くことぞ良し蘇州夜曲とマロニエの木陰

 

青空と新しき緑と日章旗 南洲像とともにさやけし(西郷南洲像清洗式)

 

凛々しくも立ちてゐませる南洲像 青空の下に仰ぎまつれり()

 

新緑のかがよふ丘を眺めつつ春の朝(あした)に窓拭きてをり

 

今日のひと日原稿を書き過ごしたる我の心は満ち足りにけり

 

思ひがけなき人の情けの身に沁みて手合はすなる春の夜かな

 

わが命燃え立たしめてこれの世を生き行くことの有難さかな

 

見慣れたる古きマンション解体の時は来にけりさみしかりけり

 

バスが行き交ふここは千駄木三丁目七十年間住み慣れし街

 

幼馴染みが作りし厚揚げ買ひにけり 明日の朝(あした)に食さんがため

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千駄木庵日乗四月二十九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、明日の講演の準備、原稿執筆。

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2017年4月29日 (土)

『政治文化情報』平成二十九年五月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十九年五月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十九年五月号(平成二十九年四月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

台湾の自主独立建國と日本

 

台湾は支那とは異なった國であり、台湾人は支那人とは異なった民族である

 

日本統治時代における台湾の近代化

 

國民党軍の台湾進駐と「反支那感情」の高まり

 

二・二八事件によって台湾独立精神が強固に確立された

 

共産支那こそアジア最大の侵略國家

 

台湾独立とはどういふ事か

 

『終戦の大詔』を仰ぎ台湾の自主独立=建國を支持すべし

 

今上陛下の御譲位の件に関する要望書

 

この頃詠みし歌

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萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 五月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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「日本の心を学ぶ會」のお知らせ

第六十九回 日本の心を学ぶ會

 

テーマ 中國帝國主義と大アジア主義を考える

 

四月八日に米中は電話で首脳會談を行いました。アメリカは、中國が水面下でおこなっている北朝鮮への支援をやめさせることを要請し、韓國に配備したミサイル防衛システムTHAADについて説明したといわれております。中國外交部はTHAAD配備について「強烈な不満と断固たる反対を宣言する」と強く反発しております。

 

中國は自らの目指すものを「平和的台頭」と主張しています。しかし南シナ海では「中國の赤い舌」と呼ばれる領海の拡大を目指しており、とても「平和的台頭」とは言えません。

さらにチベット、ウイグル、南モンゴルなど中國に支配された地域で行われていることはまぎれもない植民地政策であり、これらの地域で行われている言語や歴史、宗教など民族的アイデンティテイの抹殺は、教科書問題や靖國参拝などで中國から内政干渉を受けているわが國にとっても無関係ではありません。さらに中國は、台湾・沖縄への侵略支配を狙っていると考えられます。

 

中國こそが現代における最大の帝國主義國家であり、現行犯の侵略國家といえます。

 

そこで今回の勉強會では中國の帝國主義と大アジア主義について考えてみようと思います。大アジア主義とは西欧列強の帝國主義に対しアジアの諸民族との連帯し解放を目指した近代日本が抱いた理想です。この理想は必ずしも成功したとはいえません。その後の日本の歩みは西欧列強の帝國主義と対決し、結果として敗戦に至ったともいえます。

 

しかしアジアが中國の帝國主義の侵略の危機にさらされている今日、先人たちの理想と挫折を学ぶことは決して無意味ではありません。

 

 今回の勉強會は日本ウイグル協會代表のイリハ・マハムティ氏をお招きしてウイグル問題について、四宮正貴氏には「大アジア主義の今日的意義」という演題で講演していただきます。みなさんの、ご参加をお待ちしております。

 

【日時】平成二十九年四月三十日 午後一時から

 

【場 所】文京区民センター 3-D會議室

東京都文京区本郷四-一五-一四営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩二分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩五分、東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩五分、JR水道橋駅東口徒歩一五分都バス(都〇二・都〇二乙・上六九・上六〇)春日駅徒歩二分

 

【講 演】「大アジア主義の今日的意義」 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

「ウイグル問題について」(仮) イリハム・マハムティ氏

 

【司會者】林大悟

 

【参加費】資料代五百円終了後、近隣で懇親會(二千円位の予定です)

 

【連絡先】渡邊昇  090-8770-7395

 

この告知文は主催者が作成したものです。

 

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『大アジア主義』について

大アジア主義とは、「白色人種のアジア侵略植民地支配にアジアが一つになって対抗する」精神と行動であると考へる。この「大アジア主義」を端的に表現した文章は、(『大西郷遺訓』に示された西郷隆盛の次の言葉であらう。

 

「文明とは、道の普く行はるゝを言へるものにして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外觀の浮華を言ふに非ず。世人の西洋を評する所を聞くに、何をか文明と云ひ、何をか野蠻と云ふや。少しも了解するを得ず。眞に文明ならば、未開の國に對しては、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、然らずして殘忍酷薄を事とし、己を利するは野蠻なりと云ふべし」。

 

大アジア主義の原点は、「南洲精神」である。科学技術文明が発達した西洋列強は、その力によって、アジア・アフリカを侵略支配し、圧政と搾取を行った。これはまさに文明にあらずして「殘忍酷薄を事とする」行為であり、「己を利する」政策であったと言へる。

 

イギリスは、数世紀にわたって侵略と征服とによって全世界に広大なる領土を獲得し支配し搾取してきた。アメリカは、米西戦争(べいせいせんそう)を契機として太平洋及びアジアに侵略の牙を向けるようになった。米英の世界制覇の野望は、人類の災厄、世界の禍根であった。

 

かうした西欧列強の非文明的所業を破砕し、アジアを王部列強による植民地支配の桎梏下から解放しようといふ思想が「大アジア主義」である。

 

「尊皇攘夷」の旗印で戦はれ、断交された明治維新は我が国をして西欧列強による侵略・支配下に置かれることを防ぐ大いなる戦ひであった。そしてそれは成功した。

 

明治維新の原動力は、支那に対する英国侵略を見た当時の日本の青年たちの驚き即ち「明日はわが身である」といふ認識があったと思ふ。アジア侵略植民地化に対抗して祖国を守ろうとする危機意識が明治維新の原動力の一つであった。「尊皇攘夷」の精神は、天皇を君主と仰ぐ國體を明らかにして外敵を打破するといふ思想である。

 

葦津珍彦氏は、「明治維新を推進した攘夷の精神といっても、その根底の意味は、アジアに進出してきた欧米の非道残忍な、侵略の圧力に対抗して、祖国の独立を守り、アジアを防衛しようという精神である。近ごろの人には、日本の攘夷思想を、未開野蛮な頑迷なものだったように思って軽蔑する人が多いが、それは誤っている。…白人の科学と技術とは、東洋人を征服し、東洋を掠奪するために使用されたのである。十九世紀の列強の白人たちの行為は、戦慄すべきものであった」(『大アジア主義と頭山満』)と論じてゐる。

 

明治維新の精神には、西欧列強の侵略を撥ね退ける姿勢の根本に「尊皇思想」があった。わが國肇国以来の國體精神を変革の原理とした。支那は、皇帝によって変革が否定されたが、わが国は天皇が変革の中核となった。ここに、日本と支那との大きな違ひがあった。

 

明治維新後の近代化は、多くの矛盾や失敗があった。しかし、西欧列強の支配下に入ることなく、自主の國としての近代国家を形成した。それは、わが國の自主性を保ちつつ、欧米文化を取り入れ、近代化を為し遂げることができた事による。

 

西郷隆盛はさらに、「廣く各國の制度を採り、開明に進まんと欲せば、先づ我國の本體を立て、風教を張り、而して後、徐(しづ)かに彼の長所を斟酌すべし、然らずして猥りに彼に倣はゞ、國體は衰頽し、風教は萎靡して、匡救すべからざるに至るべし」(『大西郷遺訓』) と論じてゐる。

 

この西郷隆盛の思想は、今日問題となってゐるグローバリズムとナショナリズムの対立を止揚する重要な考へ方である。まづ以て、日本の伝統的な國體精神を強固に確立し開顕した上で近代化を達成すべしといふ思想である。

 

『大西郷の精神』とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現である。西洋列強の侵略から祖国を守り四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った「大西郷の精神」こそ、今の日本にもっとも必要なものである。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからである。

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千駄木庵日乗四月二十八日

午前は、諸事。

昼は、若き友人と懇談。

午後からは、在宅して、資料の整理、明後日行われる『日本に心を学ぶ会』における講演の準備、原稿執筆など。

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2017年4月28日 (金)

世界救済原理としての日本精神

 

外来文化文明を咀嚼し融合し高度化したのは、日本の中核に天皇・皇室の御存在があるからである。天皇・皇室を中心として外来文化・文明の融合・高度化が実現した。日本は儒教・佛教のみならず近代科学技術文明をも摂取し咀嚼し高度化した歴史を持ってゐる。これは将来においても優れた特性として保持し続けなければならない。

 

世界的には、イスラム教とユダヤ教とキリスト教との争ひとを終息せしめ神々のもとに永遠の平和を創造するのは、わが日本の使命である。

 

日本主義とは、日本の国益だけを第一に考える主義ではない。また、日本を世界の覇者とする主義でもない。経済力や武力によって世界を支配することを最高の主義とするものではない。日本伝統信仰・日本精神によって世界を救済し世界を新たならしめ、世界を維新する思想である。

 

自然破壊・民族闘争・宗教戦争は、日本精神によってこそ救済できる。そのことを能動的に恢弘するのが日本主義である。天孫降臨の精神=稲穂による統治が重大な意味を持つ。それは、絶対平和の精神である。一神教と多神教を融合する日本の神話の精神である。天之御中主神と八百万の神々との共存の精神である。

 

日本民族の生活態度の基本的特質、言ひ換へれば日本人の文化感覚を恢弘することは、今日の世界においても実に大きな価値を持つ。 

 

近代科学技術文明は、自然を恐れず、自然を征服し作り替へ、破壊することによって、人類の進歩と発展を図ってきた。しかしその結果、公害問題が深刻化するとともに核戦争の危機にさらされ、今日人間生活そのものが荒廃し、人類は破滅に向かって歩み始めている。

 

これを打開するためには、自然に調和し大らかにして柔軟な日本伝統精神に回帰する以外にない。

 

日本傳統精神は、今日唯今も生きてゐる。わが国には太古以来の信仰が今もわが国民の日常生活に生きてゐる。祭祀は、日本天皇が行ひたまふ宮中祭祀によって今日ただ今も太古のままの生きた姿でくり返されてゐる。

 

伊勢の神宮に代表されるように、神殿も太古以来のまま今日まで継承されてゐる。伊勢の神宮の神殿は、二十年目ごとに必ずくり返される式年遷宮によって永遠に新しい姿に復元し生まれ変る。古代の神殿が永遠に新鮮な姿で我々の眼前に立ってゐる。

 

日本傳統精神は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなほ国民信仰として脈々とその生命を伝へてゐる。のみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたまふ御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となってゐる。

 

万世一系の皇統は、高天原より地上へ、天照大御神・邇邇藝命・神武天皇から今上天皇へと、時間を超えて一貫して連綿として伝へられてゐる。 

 

現代文明は、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかってゐる。現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から東洋文化とりわけ日本伝統文化へと回帰しなければならない。

 

自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を生活の中で体験する農耕民族たる日本民族の信仰精神即ち日本傳統精神が、世界の真の平和を作り出すであらう。

 

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千駄木庵日乗四月二十七日

午前は、諸事。

午後二時、千駄木にて、専門家と諸事について相談。

帰宅後は、原稿執筆・書状執筆など。

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2017年4月27日 (木)

自然に宿る日本の神々と祭祀

日本国土の自然は實に美しい。山・川・海の景色は實にすばらしい。日本は他の東洋諸国と比較すると、四季の変化も規則正しく、気候も比較的穏やかである。インドや中近東のような過酷な自然環境とは思へない。しかし、自然が常に日本人にやさしく接してきたわけではない。日本の自然は、時に、大地震や毎年やって来る台風や津波のように、ものすごい猛威をふるひ、人間に襲ひかかって来る。さらに飢饉・疫病が度々襲って来た。そして人間の命を奪ひ、生活を破壊する。日本民族は、自然の猛威と危険にさらされながら生きてきたと言っても過言ではない。

 

日本民族は自然に神仏を見、自然と共生して来たことは確かであるが、自然に宿る神々には、和やかな神もをられれば、荒ぶる神もをられる。

 

「かみ(神)」の語義には色々な説がある。「カ」は接頭語であり、「ミ」は語根。「ミ」は漢字で「實」「身」と書かれるやうに、中身・實在そのもの・力のある存在・無形のカオス(天地創造以前の世界の状態。混沌)・靈威ある存在のことされる。神は「上」の方にゐる存在だから「カミ」といふとの説は國語學的には誤りであるといふ。

 

日本の神々は、自然神と祖靈神とに大きく別けられる。この両方の性格を具備してをられる神が天照皇大御神であらせられる。天照皇大御神は、太陽神といふ自然神であると共に皇室の御祖先神であらせられる。

 

日本の神々とは何か強い力を持ってゐる存在をいふのであって、必ずしも完全円満な存在ではない。まして唯一絶対無謬神ではない。

 

「神」に掛る枕詞は「ちはやぶる」である。「チ」は激しい形状、「フル」は自動詞で、神の観念を表してゐるといふ。そして、「チ」は生命力・霊力としての「チ」を内蔵するとの観念である。「ハヤ」は「疾風(はやて)の如く」といふやうに激しい状況。「フル」は震へるといふ意。だから「千早振る」とは、神靈が激しく震へるといふ意である。また「フル」は體に触れる・密着するといふ意味もある。つまり「ちはやぶる」といふ枕詞は、神霊が烈しく活動して、人間を脅かすといふ観念であると考へることもできる。

 

折口信夫氏は、「ちはやぶるといふ枕詞は、いちはやぶる・うちはやぶるなどといふ語の第一音の脱落した形です。古事記の倭建命の東征の條にも、『うちはやぶる人』といふ語が出て來ます。亂暴する人といふことです。はやぶるといふのがその意味で、威力ある靈魂が暴威を發揮することがちはやぶるです。…神の中に暴威を振ふ神が多い。…さういふ觀念から、枕詞として、ちはやぶるが出來ました。」(『神々と民俗』)と論じてゐる。

 

つまり、日本の神々は、生命力・霊力そのものであり、それは、人間に恩恵をもたらすと共に、破壊的な働きも示す。地の神が荒ぶれは地震となり、海の神が荒ぶれば荒波や津波となるのである。

 

「神」は、人知では計り知れない靈妙なる存在である。日本人は古代より祭祀や祈りの対象とされるかしこき存在を「神(かみ)」と言った。

 

本居宣長は、日本に神々を「人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり(すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優れるたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり…)(『古事記傳』)と定義してゐる。

 

 日本の神々は、一時はやった言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり霊であると言ふことである。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをもらたすと古代日本人は信じた。

 

『古事記』の「身禊」の条には、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ国悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐる。

 

自然の中に精霊が生きてゐるといふ信仰である。日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心があった。「萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち」は、文学的には擬人的表現と言はれるが、古代日本人は、嵐の音も、草木の音も、海の音も、素直に「神の声」と信じたのである。

 

近代以後、科学技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精霊として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようとか、自然を造り替えようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。つまり、神々を祭る心の回復が大切である。「草木がものをいふ」古代日本の信仰精神に回帰しなければならない。荒ぶる神も祭祀によって鎮めることができるのである。

 

折口信夫氏は、「我々の古文獻に殘った文學は、しゞまの時代の俤を傳へて居る。我々の國の文學藝術は、最初神と精靈との對立の間から出發した。…神の威力ある語が、精靈の力を壓服することを信じたからである。…神代の物語として,語部(かたりべ)の傳へた詞章には、威力ある大神隱れ給ふ時、木草・岩石に到るまで、恣に發言した。さうして到る處に其聲の群り充ちたこと、譬へば五月蠅(さばへ)の様であったと言ふ。而も亦威力ある大神の御子、此國に來臨あると、今まで喚きちらした聲がぴったりと封じられてしまったとある。神威を以て妖異(およづれ)の發言を封じたのである。」(「日本文學における一つの象徴」)と論じ、『六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓』の「荒ぶる神等をば神問(かむと)はしに問はしたまひ、神掃(はら)ひに掃ひたまひて、語問ひし磐ね樹立(こだち)、草の片葉(かきは)も語止(ことや)めて、天(あめ)の磐座(いはくら)放れ、天の八重雲をいつの千別(ちわ)きに千別きて、天降(あまくだ)し依さしまつりき」といふ一節を引用してゐる。

 

日本民族は、自然に刃向ひ対決し、自然を破壊すると、自然から災ひを受けること体験から学んだ。自然を畏敬し、自然に順応して生活することが大切であることを知った。自然を畏敬し、自然に順応するといふことは、自然の神、自然の精霊たちを怖れるだけではなく、祭祀によって神や精霊たちを祓ひ清め鎮めたのである。

 

日本伝統信仰は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなほ継承されてゐる。のみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたまふ御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となってゐる。

 

科学技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても日本には古代信仰・民族信仰が脈々と生きてゐる。伊勢の皇大神宮をはじめとした全国各地の神社で毎日のようにお祭りが行はれてゐる。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の君主であらせられる。これは世界に誇るべき日本の素晴らしさである。 我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。

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千駄木庵日乗四月二十六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料整理、書状執筆、原稿執筆。

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2017年4月26日 (水)

台湾について小生が書いた手紙

以前、同志にお出しした書状を掲載いたします。

 

               〇

 

何時もお心にかけて頂き恐縮です。

 

貴兄が最初に訪台された次の年の昭和四十八年に、小生も初めて訪台しました。戒厳令下でした。街角に白手ヘルメットをかぶった憲兵が交通整理をしていました。終戦直後の日本でМPが交通整理をしていた写真を想起しました。

 

しかし、同じ時期の韓国のような暗さはなかったように思います。午前十二時以降外出禁止ということもなく、全体的にはというか表面的には明るい雰囲気でした。島国であること、南国であることが関係しているのでしょう。そもそも台湾人は本来的な明るい民族で、柔軟にして強靭であります。日本人と共通するところがあります。しかしピリッとした雰囲気はありました。

 

民主化以降の台湾にも行きましたが、そうした雰囲気が無くなっていることがむしろ心配になりました。昔の「新公園」は今、「二・二八記念公園」になっていますが、何とホームレスがいるのには驚きました。忠烈祠の「衛兵の交替」で衛兵をからかっている若者がいて、それを誰も止めようとしないことにも驚きました。国民党独裁体制下では即刻逮捕でしょう。何か民主化後の台湾は日本と同じように緊張感というかピリッとしたところが無くなったようです。これで良いのかどうか。しかし、独裁体制よりも自由民主体制が良いことは確かです。

 

小谷秀二郎、藤島泰輔両氏は懐かしいお名前ですね。小谷氏とは台湾でもお目にかかりました。

 

二松学舎の大先輩が当時の台湾省議会の事務総長(正式名称は忘れました。秘書長でしょう)をしておられました。お目にかかった時、私が「戒厳令は一週間か二週間で終わるのが普通ですが、何十年も敷かれっぱなしというのは台湾だけですね」と言ったら苦笑いをしておられました。

 

酒家にも行きました。日本で言えば料亭ですね。訪台する前、「台湾に行ったら支那という言葉を使ってはいけない」と言われたのですが、酒家には日本の懐メロの歌集があり、「支那の夜」も載っていました。私が「支那の夜」を歌うと拍手喝さいを受けました。もっとも一緒に呑んだ人々は、いわゆる外省人ではなく台湾人でしたが。「俵星玄蕃」も大いに喜ばれました。

 

もっと驚いたのは、台湾人の人々が、戦後国民党と共に台湾に来た支那人たちを「奴ら」「チャンコロ」と言った事です。見ると聞くとは大違いを実感し、ある種のカルチャーショックでした。

 

また当時台湾は「自由中国」という宣伝をしていました。そういう名前の政府の宣伝雑誌もあったと思います。ところが、「自由」どころではない。全くの国民党独裁体制、蒋介石独裁体制の国でした。「共匪が大陸を占拠中である」という理由で立法院委員、国民大会代表の選挙が行われなかったのですから…。

 

大衆酒場で呑んでいると、隣の席の中年男性が話しかけて来て、「あなた方は日本人ですか。私は元日本陸軍上等兵ですよ。戦争が終わって日本語はお国に返しましたが、『大和魂』は今でも持っていますよ。台湾に女を買いに来る今の日本人より私の方が『大和魂』がありますよ」と言われた時は本当に感激しました。

 

その二、三年後、亜東青年協会という小生の友人が関わっていた団体の訪台団に参加した時は、李煥という人に会いました。蒋経国が統括する中国青年反共救国団主任でした。この人は、後に国民党秘書長になったと思います。今『中国青年反共救国団』など言うものは無くなっているのでしょうね。国民党は第三次国共合作をしようとしたのですから…。そう言えば『中国大陸災胞救済総会』という大仰な名稱の組織もありました。方治という理事長にも会いました。蒋介石の指示で琉球独立運動を支援していた人という事です。『中国大陸災胞救済総会』という団体も今は無いでしょう。

 

台湾における国民党支配体制を維持するために「第三次国共合作」を企んだ馬英九・連戦という国民党指導者は蒋介石の遺言『光復大陸国土、実践三民主義、堅守民主陣容、復興民族文化』を蹂躙したと思います。

 

しかし貴兄が言われるように、アジアにおいてそして世界において、「反中国感情」はますます高まって行くと思います。日本がそれを主体的に戦略的に主導して行くことが大事であると思います。「中華帝国主義」を粉砕せねばなりません。

 

この度はまことに有難うございました。益々のご健筆を祈り上げます。

 

四宮正貴 合掌

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千駄木庵日乗四月二十五日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、書状執筆・資料の整理など。

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2017年4月25日 (火)

靖國神社の戦没者への祭祀は日本民族の道義精神の典型である

私は、靖國神社に参らせていただく度に、靖國の英靈が天上界からわが國をお護り下さってゐることをひしひしと實感させていただく。日本國民として、英靈に感謝の誠を捧げ、慰靈し顕彰することは、聖なるつとめである。

 

日本民族は古来、祖靈と自然を神と崇め、祭って来た。わが國の傳統信仰の祖靈崇拝と自然崇拝が、天皇を中心とする信仰共同體國家日本の土台、言ひ換へれば日本國體の根幹を成してゐる。そしてそれは、國民道徳・道義精神の根幹でもある。

 

わが國の神々の中で、最尊最貴の神として信仰され崇められてゐる神である天照大神は、御皇室の祖先神であると共に、自然神である太陽神である。

 

稲作生活を営んで来た日本人は、太陽・山・海・川など大自然の恵みの中に生きて来たので、自然を神と崇めた。また、祖先から稲の種と水田と農耕技術といふ恵み祖先から傳へられたので、祖先に感謝する思ひが強かった。皇祖神と太陽神が一體であるといふことは、わが民族の傳統信仰が祖靈崇拝と自然崇拝であることを端的に示してゐる。これを〈敬神崇祖〉と言ふ。

 

〈敬神崇祖〉といふわが國の國民道徳の基本は、神學・教義といふ〈抽象概念〉として継承されて来なかった。上は天皇から下萬民に至る日本民族の生活の中の〈神祭り〉〈祭祀〉といふ行事によって、古代より今日まで傳へられて来た。

 

靖國神社の戦没者への祭祀は、さうした古来よりの日本民族の道義精神の典型である。祖靈・死者の魂を尊びこれをお祭りすることは、日本民族の傳統信仰の基本であり、道義心・倫理觀の根幹である。わが國民は、鎮守の神を敬ひ、亡くなった祖先の御靈を崇め、その御加護を祈ってきた。これが我々日本民族の生活の土台である。

 

内閣総理大臣、國の為に身を捧げた英霊が鎮まる靖国神社に、支那やアメリカに遠慮して参拝できないということは、我が国がまだ敗戦国家の悲哀から脱していないということであり、極言すれは、戦勝国の支配下にあるということである。これでは「美しい日本」ではないし、「日本をとり戻す」こと、「戦後レジームからの脱却」はできない。

 

内閣総理大臣が、靖國神社に公式参拝し、戦没者の靈に対して感謝の誠を捧げ、國家の安泰と世界の平和を祈ることは、道義が頽廃し、様々の面で混迷の極にあるわが國の再生・改革のためにまことに大切な行事である信ずる。

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千駄木庵日乗四月二十四日

午前は、諸事。

午後は、資料の整理。

夕刻、団子坂下にて、大先輩の同志と懇談。

帰宅後は、原稿執筆の準備。。

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2017年4月24日 (月)

西郷隆盛の対韓外交論について

 「征韓論」という歴史用語は大きな誤解を生んでいる。明治新政府の筆頭参議をつとめていた西郷隆盛は、決して朝鮮半島を武力侵略しようとしていたのではない。当時、韓國政府は、わが明治新政府に反感を持ち、國書の受取りを拒否するのみならず、「日本人は畜生と変わるところがないから今後日本人と交際する者は死刑に処す」という布告(今の韓国・北朝鮮でもこんな布告はない)を出したり、釜山の日本公館に準じる施設を封鎖したり、日本人居留民を迫害したり、韓國水軍が釜山沖で大演習を行った。

 

 西郷隆盛は、「韓國政府の姿勢を糺すために西郷隆盛が自ら使者として韓國に赴く。万一、韓國側によって西郷が殺されるようなことになったら、やむを得ず戦端を開く」というごく当然の外交交渉を行うべしと主張しただけである。

 

 西郷は閣議で「大使は、宜しく烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)を着し、礼を厚うし、道を正しうして之に当たるべし。今、俄かに兵を率いて赴くが如きは、断じて不可なり。」と論じている。西郷は征韓でも武力侵略でもなく、礼を尽くして修好にあたろうと主張したのである。西郷の主張及び目的は、「没落士族を『外征』によって救おうとした」などという侵略主義では断じてない。

 

 葦津珍彦先生は、「彼(西郷隆盛)の説は決して好戦的でもなく威圧的でもない。十九世紀の列國外交が、常に兵力を用いて強硬外交をした事実とくらべてみれば、『論理的』にはるかに平和的で、礼儀正しい。この西郷の外交理論は、その後も変わっいない。これから間もなく西郷下野の後に(明治八年九月)、日本軍艦が仁川沖で朝鮮に対して発砲したとき、西郷は公然と日本政府の武力行使と威圧外交を非難している」(永遠の維新者)と論じておられる。

 

 大久保利通や岩倉具視が、西郷らの対韓外交論に対して横車を押し反対したのは、西郷や江藤新平など(いわゆる留守政府)からの権力奪取のためである。岩倉・大久保にとって、彼らが洋行中に明治新政府が西郷・江藤らによって牛耳られてしまったことが我慢ならなかった。もし、「西郷遣韓」による韓國外交が成功したら、大久保らの出る幕は益々少なくなってしまう。だから西郷や江藤らの対韓外交政策に反対したのである。「内治優先」というのはあくまでも理由付けである。西郷らの主張を葬り去ることによって大久保らによる権力奪取を目指したのである。

 

 大久保利通は、西郷らの対韓政策を「内治優先」を理由にして反対しながら、西郷下野後の明治七年には台湾出兵を断行し、明治八年には江華島事件を起こして武力による朝鮮政策を行っている。やむを得ざることとはいいながら、大久保の主張も行動も矛盾だらけであり「見上げたもの」などでは全くない。

 

 また、西郷ほど内治についても功績のあった人はいない。西郷が筆頭参議を務めていた期間即ち大久保らの留守中に、封建身分制度の廃止・人権の確立・國民皆兵制・御親兵設置・廃藩置県などの諸改革が行われた。大久保らはこうしたことにも嫉妬したのである。西郷は保守反動では決してない。

 

 明治六年十月十五日、西郷の主張が閣議で大久保利通を含む満場一致で正式決定していたにもかかわらず、大久保と岩倉具視は謀略を用いてこれをひっくり返した。岩倉・大久保は、『五箇条の御誓文』に示されている「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」の御精神を蹂躙したのである。西郷隆盛は道義的にも政治的にも法律的にも何ら責められるべきことはしていない。(この謀略の詳細については平泉澄先生著『首丘の人大西郷』参照)

 

 さらに大久保と岩倉は西郷が、天皇陛下に直訴・上奏することを恐れ、遮断の策を講じた。西郷隆盛は、天皇陛下に背き奉ったのでは断じてない。岩倉・大久保らの陰謀によって排除されたのである。そして、恩人西郷隆盛を裏切り大久保の手先となったのが川路利良である。

 

 葦津珍彦先生は、「西郷及び西南戦争を戦った第二維新の戦闘者たちは、決して頑迷な復古主義者ではない。議會政治の実現を望んだ。西郷の対韓外交論が閣議で決定されたのに、大久保・岩倉が陰謀を用いてこれをひっくり返したことに抗議して、野に下ったのである。しかして『民選議院設立建白書』を提出したのも彼らである。」と論じておられる。

 

 韓國の近代史家の多くは、「西郷の征韓論は日本侵略主義の原点である」などと主張しているという。そうした歴史問題に関する韓國側の一方的な日本非難に手を貸すような論議が、日本人によって主張されていることは、まことに残念である。

 

 西南戦争の後に確立した西洋に学んで日本を近代化し独立を維持するという基本路線は全面的に否定されるべきではないが、日本の道統・皇道精神を隠蔽させてはならなかった。西洋に学ぶとはあくまでも良きところを取り入れるということであって、西洋になりきることではない。

 

 西南戦争における政府軍の指揮官の一人で大久保利通の腹心であった当時の警視総監川路利良は、西洋視察からの帰國の船中で、「『今の日本には何よりもまず内政を安定させて、藩体制から府県にかわったばかりの國内統一と安定を、完成させることが大事だ。そのためにも、その基盤となる警察組織を確立することが、何よりも必要なのだ。日本は今、西欧に誇れるようなものは何もないが、俺(おい)は警察だけは世界一流のものにしたいと思っている。きっとしてみせる』と言った」(神川武利氏著『大警視・川路利良』)という。

 

 川路が本当に「西欧に誇れるものは何もない」と思っていたのだとすれば、日本の道統を無視した考え方であり、西郷隆盛の考え方とは全く逆である。

 

 『大西郷遺訓』には、「廣く各國の制度を採り、開明に進まんと欲せば、先づ我國の本體を立て、風教を張り、而して後、徐(しづ)かに彼の長所を斟酌すべし、然らずして猥りに彼に倣はゞ、國體は衰頽し、風教は萎靡して、匡救すべからざるに至るべし」と書かれている。

 

川路利良は一般大衆に対しては、民権というよりも撫育するという発想しか持てなかった。「警察は人民の養育者である。文明がまだ遅れている國の人民は、子は子でも最も幼い子供と看做さなければならない」という考え方を持っていた。

 

 これは人民蔑視思想である。しかもここでいう「文明」とは西洋覇道文明である。川路は漢学を重野安繹(やすつぐ)に学んだというが、いったい何を学んだのであろうか。

 

 『大西郷の精神』とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現である。西洋列強の侵略から祖国を守り四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った大西郷の精神こそ、今の日本にもっとも必要なものである。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからである。

                     

 大西郷は、「國の凌辱せらるるに當りては、縱令國を以て斃るるとも、正道を踏み義を盡すは、政府の本務なり。」と言っている。この言葉こそ今日の我國政府が最も噛み締めなければならない言葉であります。我國は現在、歴史問題・領土問題などで支那・韓国・北朝鮮からなめられ、国家の尊厳性を喪失している。

 

 大西郷は、「王を尊び民を憐れむは学問の本旨」「萬民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節儉を行ひ、職務に精勵して、人民の標準となり、下民をしてその勤労を感謝せしむるに至らざれば、政令は行はれ難し」と述べている。この言葉も今日の我國政治家が噛み締めなければならないと思う。

 

 我國の歴史上の人物の中で、最も敬愛されている人物の一人が西郷隆盛である。大西郷は明治維新の大功労者であり、且つ、維新後も権力に恋々とせず、第二維新運動の指導者として奮闘した。文字通り、内憂外患こもごも来るといった状況にある今こそ、我々日本人は、今こそ『大西郷の精神』を学ばなければなりません。

 

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千駄木庵日乗四月二十三日

朝、諸事。

午前十一時より、上野公園西郷南洲銅像前にて、』西郷南洲翁銅像清洗式』執行。祭事・国民儀礼が行われた後、早瀬内海会長が式辞、三沢浩一氏及び小生が祝辞を述べた。多数の同志が参列した。

午後二時、乃木坂の乃木神社で開催された『第六十一回主権回復記念国民大会』に出席。ノンフィクション作家の河添恵子氏が「メディアが伝えないトランプ政権の本懐」と題して講演、質疑応答。

帰宅後は、資料の整理。

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2017年4月22日 (土)

国家的危機と大西郷の精神

 

今日、北朝鮮のミサイル攻撃・共産支那の軍事的圧迫という日本は大きな危機に瀕している。古代日本の大変革たる大化改新は、支那・朝鮮(唐新羅連合軍)からの侵攻と言う外圧危機下に行はれた。明治維新もまた西欧列強の外圧の危機下に行われた。

今日の日本のこの国家的危機に際して、一大変革の時期が到来したと考えるべきである。その意味においても、明治維新三傑の筆頭にあげられる大西郷の精神に思いを致すべきと考える。

明治維新の基本精神は「尊皇攘夷」である。天皇を君主と仰ぎ、國家的統合を一層強めて國家体制を変革し強化して外敵から自國の独立を守るといふ精神が明治維新の基本精神である。それを「尊皇攘夷」といふ。天皇を尊び、外國の侵略からわが國を守るといふ精神である。

 

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができる。そしてそれは、吉田松陰先生と並んで明治維新最大の功労者である大西郷の精神でもある。

 

 西郷隆盛は、文久二年(1862年)、薩摩藩主の父・島津久光の逆鱗に触れ、沖永良部島に流された時に『獄中有感(獄中感有り)』と題する次の詩を詠んだ。

 

「朝蒙恩遇夕焚坑   朝に恩遇を蒙り夕に焚坑せらる

人生浮沈似晦明   人生の浮沈晦明に似たり

縦不回光葵向日   たとひ光を回らさざるも葵は日に向ふ

若無開運意推誠   もし運開くなきも意は誠を推す

洛陽知己皆為鬼   洛陽の知己皆鬼となり

南嶼俘囚独竊生   南嶼の俘囚独り生を竊む

生死何疑天付与   生死何ぞ疑はん天の付与なるを

願留魂魄護皇城   願はくは魂魄を留めて皇城を護らん」

 

勝海舟ゆかりの洗足池(東京都大田区)に西郷隆盛の遺徳を顕彰する留魂碑が建立されてゐる。その碑には西郷自筆のこの「獄中有感」の詩が刻まれてゐる。

 

この詩は、「朝に主君の恩遇を受けたと思うと夕には生き埋めにされる。人生の浮き沈みは、昼と夜の交代に似ている。葵(ヒマワリ)は太陽が照らなくても、いつも太陽の方を向いている。もし自分の運が開けなくても、誠の心を抱き続けたい。京都の同志たちは皆、国難に殉じている南の島の囚人となった私ひとりが生き恥をさらしている。人間の生死は天から与えられたものであることは疑いない。願うことは死んでも魂は地にとどまって皇城(天皇の御所)を守護したい」といふほどの意である。

 

平泉澄氏はこの詩について「西郷の詩として傳へられるもの百数首、その中に於いて最も重要なるものとして、私は此の詩をあげたい。その一生の間、厄難多く、島流しにあふ事も前後三回に及んだが、運命の浮沈いかにあらうとも、皇城を仰ぐ忠誠の一念はかわるものでは無い」「末句『願はくは魂魄を留めて皇城を護らん』といふに至っては、皇国の道義、発揮せられて余蘊なく、日本男児の真面目、描出して明々白々なるを見る」(『首丘の人大西郷』)と論じてゐる。

 

影山正治氏はこの詩について、「寺田屋事件に於て有馬新七らを失ひ、月照を失ひ、齊彬公を失ひ、東湖を失ひ、その他多くの先輩盟友既に無く、一人南島の獄中に沈思回想して無言の慟哭をなして居るのだ。…『生死何ぞ疑はん天の付与なるを、願はくば魂魄を留めて皇城を護らん』南洲五十年の全生命、凝ってこの一句に結晶してゐる。かくて五十年の生命は悠久無限の大生命に飛躍したのだ」(『大西郷の精神』)と論じてゐる。

 

「願くば魂魄を留めて皇城を護らん」こそ、「大西郷の精神」の根幹・尊皇攘夷精神である。

 

共産支那や南北朝鮮の「傲慢無礼」なわが国領土に対する侵略策謀・反日政策・対日侮蔑外交が繰り返されてゐる今日、わが國民は、「民族の正気」を回復し、屈辱と汚名を晴らす行動に出なければならない。

 

今日の危機的状況を打開するためには、南洲精神に回帰し、明治維新と同じやうに、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならないと信ずる。

 

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千駄木庵日乗四月二十二日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、書状執筆・明日のスピーチの準備・資料の整理など。

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日本の伝統的美感覚『みやび』について

伏見天皇

 

のどかにもやがてなり行くけしきかな昨日の日影けふの春雨

 

「のどかにやがてなってゆく景色であるなあ。昨日の日の光も今日の春雨も」というほどの意。

 

『玉葉和歌集』に収められている。『玉葉和歌集』は、鎌倉後期の歌集。二〇巻。伏見天皇の命により京極(藤原)為兼が撰。勅撰和歌集の一四番目。鎌倉室町期の勅撰集の中で、歌風の清新さにおいて『風雅和歌集』とともに高く評価される。

 

第九十二代・伏見天皇は、後深草天皇の第一皇子。建治元年(1275)、十一歳の時、大覚寺統の後宇多天皇の皇太子となり、弘安十年(1287)、二十三歳で践祚。永仁六年(1298)、御子の後伏見天皇に譲位、院政を行わせられる。御幼少期より和歌を好まれ、その後、弘安三年(1280)より出仕した京極為兼を師範とする。勅撰集編纂を企画し、応長元年(1311)、為兼に単独撰進を命ずる。正和元年(1312)、十四番目の勅撰集『玉葉和歌集』として奏覧。正和二年(1313)、出家され院政を後伏見院に譲られる。文保元年(1317)九月三日、崩御(御年五十三歳)。

 

国家と国民の平安を祈りつつ天下を治められる伏見天皇は、ある日のどかに移ろい行く自然の姿を素直に肯定され、殊の外麗しいものと感じられたのであろう。その実感が大らかに歌われている。日本の自然をいつくしまれる天皇の御心が優しく伝わってくる。

 

伏見天皇の天皇としての品格は自然に歌柄に反映し、大らかなお歌となっている。歌われた風景は、天地自然のいのちの中に生かされている人間を生き生きと伝えている。

 

日本天皇は、このような優しく美しいお心を持たれる御方なのである。決して権力や武力で民を押さえつけて日本国を支配される方ではないのである。

 

この御製に歌われているような優しく麗しい美感覚を「みやび」と言う。「みやび」は、日本人の傳統的な美感覚・日本的情緒とされている。この美感覚は、萬葉集末期の天平時代に生まれ、中古・中世には美の理想されるようになった。

 

近世の國学者本居宣長は、「みやび」こそ日本の傳統的情緒であるとして、「すべて人は、雅の趣をしらでは有るべからず」「すべて神の道は…理屈は、露ばかりもなく、ただゆたかにおほらかに、雅たる物にて、歌のおもむきぞよくこれにかなへり」(『うひ山ぶみ』)と言っている。

 

「みやび」とは、宮廷風で上品なことと定義される。洗練された風雅であり優美さである。言い換えると、素朴さ、未分化の美からさらに発展し、人事の洗練された美を追求し、それを自らの生活に知的技巧的に表現する態度である。それは恋愛や和歌の創作に具体的に表現された。自然や恋愛生活すら鑑賞的な態度で眺め、それを美しく表現した。

 

ただし、「みやび」は、単に平安時代における貴族的風流というよりも、宮廷において伝えられた日本の傳統美への憧れである。その根底には、天皇の祭祀があった。ただ、

 

光孝天皇御製

 

君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪はふりつつ

 

「あなたに贈ろうと思い、春の野に出て若菜を摘む私の手には雪が降りつづいている」といふほどの意。

 

一国の君主にしてこのように優しくも美しい歌を詠まれることに、外国の国王・皇帝とは全く異なる日本天皇の素晴らしさがある。自然をいつくし見つつ、愛するものへの思いやりとが渾然として一体になっている。この御歌も「みやび」を詠んだ典型といえる。

 

「みやび」は、萬葉歌人によっても歌われている。

 

大伴家持

うらうらに照れる春日に雲雀あがり情(こころ)悲しも独りしおもへば

 

山部赤人

春の野に菫摘みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜寝にける

 

明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ

 

これらの歌は、「ひやび」の窮極である評価されている。天平時代の美感覚が、その後の日本人の美の伝統の起源となったことを示す。紀貫之は赤人を高く評価し、平安時代には赤人の歌は「歌の理想」として尊ばれた。中古中世の日本人にとって和歌とは、人々の魂の表白・訴えであると共に、人々の生活の美的規範ともなった。その規範が「ひやび」であったと言える。

 

優雅にして品格のある美感覚を今日にまで継承されているご存在が皇室である。

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千駄木庵日乗四月二十一日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆・脱稿・送付。『政治文化情報』の発想準備。

午後六時、永年の同志二氏と懇談、意見交換。

帰宅後は、原稿執筆。

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2017年4月21日 (金)

東條英機氏の遺詠を読んで思う

たとへ身は千々にさくとも及ばじな 栄えし御世を堕せし罪は

 

続くものを信じて散りし男の子らに 何と答へむ言の葉もなし

 

東條英機元総理が、昭和二十三年十二月二十三日、東京巣鴨にて、殉難された時の辞世である。

 

東條氏はさらに遺書において「開戦当初の責任者として敗戦のあとを見ると、実に断腸の思いがする。今回の刑死は、個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は死を以て償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。ただ、力の前に屈伏した。自分としてはまた国民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者まで刑が及んだことは実に残念である。天皇陛下に対し、また国民に対しても申しわけないことで、深く謝罪する」と書いている。

 

この遺詠を読んでもまだ東条氏を許せないと言う人がいるであろうか。東條氏を裁いた東京裁判は日本人自身による公正な裁判では決してなく戦争行為の継続であり、敵国の復讐であったのである。そこにおいて絞首刑の「判決」を受け執行されたということは文字通り戦死であり殉難である。日本には過去において戦勝国の復讐の犠牲者・殉難者は存在しても、唯の一人も「戦犯」は存在しなかった。故に東京裁判の判決により処刑された方々を殉難者・戦死者として靖国神社にお祭りするのは当然なのである。

 

大東亜戦争は東亜解放の戦いであったことは、愈々今日において明白になって来ているし、東条内閣時代に開始された対米英戦争は米国大統領ルーズベルトの挑発によるものであることも明白になっている。大東亜戦争開戦は正義の行動であったのであり、決して犯罪ではない。

 

当時の状況下において「支那及印度支那より一切の陸海空軍兵力及警察力の撤収」などという最後通牒(ハル・ノート)を受け入れることは東条英機氏であろうと誰であろうと不可能であった。それは東京裁判においてインドのパール判事が「こんな最後通牒を受け取ったら、ルクセンブルグ大公国やモナコ王国のような小国でも、敢然として剣を執って起ったであろう」と述べ、英国の軍需大臣オリバー・リットルトンが昭和十九年六月に「米国が戦争に追いつめられたというのは、歴史上の改作狂言である。日本をしてパールハーバー攻撃にまでに追いつめ強圧したのは米国である」と述べたことによって明白である。

 

大東亜戦争および対米英戦争における日本の責任などというものを追及すること自体間違っている。したがって東条英機氏の開戦責任を追及するのは誤りである。

 

大東亜戦争の開戦は、アメリカのあまりに理不尽なる圧迫が原因となったやむを得ざる選択であって、東条英機首相が陛下の大御心を無視し国民の声も聞き入れず戦争に突っ走ったなどということは絶対にないのである。むしろ大東亜開戦を一億国民が双手を挙げて歓迎し歓喜したというのが歴史の真実である。

 

日本が敗北したからといって、あの昭和十六年十二月八日の一億国民の感激を忘却し、東條氏一人を悪人とし、「東條氏は戦争を始めた大罪人でありこのような人物を靖国神社に祭ったてはならない」などという議論は、敗戦後遺症に毒されて、民族の誇りと日本魂を喪失し、戦勝國即ちアジアを侵略搾取し続けた欧米列強の自分勝手な歴史観に追随する全く誤っ考え方であり、歴史への冒涜であるのみならず、大東亜戦争の聖戦としての意義を否定する議論である。

 

東条氏は大東亜戦争遂行時の国家指導者として深く責任を感じておられた。ただそれは「侵略戦争遂行の責任」を感じていたのではない。東条氏は大東亜戦争を侵略戦争だったなどとは寸毫も思っていなかった。敗戦とそれに伴う国家国民に苦難に対して大きな責任を感じたのである。

 

東京裁判において東条氏はキーナンの「あなたは一九四一年十二月の真珠湾ならびに米英の諸領土に対する攻撃について、主に責任を取る一人であることを認めますか」との尋問に対し「認めます。私の責任であります」述べているが、キーナンの「首相として戦争を起こしたことを、道徳的にも法律的にも間違ったことをしていなかったと考えるのですか。ここに被告としての心境を聞きたい」との尋問に対しては東条氏は「間違っていない。正しいことをしたと思う」と答えた事によってそれは明らかである。

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千駄木庵日乗四月二十日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆など。

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2017年4月20日 (木)

「尊皇攘夷」の精神について

明治維新における「攘夷」とは、かたくなな排外思想ではない。吉田松陰をはじめ維新の志士たちは時代の趨勢を正しく把握してゐた。松陰は敵たるアメリカを認識せんとしてアメリカ渡航を実行しやうとした。

 

真の攘夷精神を端的に示してゐるのが土佐藩士・中岡慎太郎(名は道正。薩長二藩の提携に尽力。坂本竜馬とともに刺客に暗殺された)が慶應二年(一八六六)に書いた次の文章である。

 

「それ攘夷と云ふは、皇國の私言にあらず。その止むを得ざるに至っては、宇内(註・世界中)各國、皆これを行ふものなり。米利堅(註・アメリカ)かつて英國の属國なり。時に英吉利(註・イギリス)王、利を貪る日々に多く、米民ますます苦しむ。因って華盛頓(註・ワシントン)なる者、民の辛苦を訴へ、是に於て華盛頓、米地十三邦の民を帥(ひき)ゐ、英人を拒絶し鎖國攘夷を行ふ。此より英米連戦七年英ついに不勝を知りて和を乞ひ、米利堅是に於て英属を免れ独立し、十三地同盟、合衆國と号し一強國となる……皇國当今、和親開港の如きは、幕吏彼の兵威に怖れ、上天子の勅意に違ひ、義理の当否、國の利害を計らず、……往々彼(註・外國)の命ずる所のまま(註・関税権を奪はれたこと)にて、萬民殆ど途端に苦しむ。……是故に萬々願くば天下の士民、……薪に座し胆を嘗むるの思を為し、……吉田松陰の攘夷の志によって海外に渡り、彼の長を取らんと企てしことなどを思ひ、その心を心とし、上下一致学術に励み、兵力を養ひ、早く攘夷の大典を立て、諸港の条約を一新し(註・不平等条約を改正すること)……会稽の恥(註・外國から受けたひどい辱めのこと)を雪(そそ)がざれば、死するとも止まずと決心する…」(『愚論ひそかに知人に示す』)。

 

この文書は、攘夷とは外國の侵略から祖國を守るために戦ふことであり、徳川幕府それを実行できなかったのであり、日本中の人々は上下一致して、耐へ難きを耐へて努力し、外國の長所を取り入れてみずからの國を強國にして、外國からの辱めを晴らして名誉を挽回しなければならないと論じてゐる。真の攘夷のためには海外の接触し「彼の長を取る」事も必要であるといふのである。これが明治維新をめざした人々の攘夷の精神であった。

 

井伊直弼主導の幕府の開港策は進歩的であり、朝廷などの攘夷の主張は保守的とするのは誤りである。上御一人・孝明天皇も、草莽の士・吉田松陰も、わが國の神代以来の伝統精神を回復し民族の主体性を確立し独立を堅持した上での外交との交際を期したのである。

明治維新前夜は、アメリカなどの西欧列強が徳川幕府の弱体化に付け入って武力による圧迫を以て屈辱的な開港を日本に迫って来た。徳川幕府は、外圧を恐れかつ自らの権力=徳川幕藩體制を維持せんとしてそれを甘受しやうとした。かうした状況を打開し、王政復古すなはち天皇中心の國體を明らかにして強力な統一國家を建設し外圧を撥ね除けやうとしたのが明治維新である。

 

何処の國の革命も変革も、洋の東西・時の今昔を問はず、またその変革の是非を問はず、外國との関連・外國からの圧力によって為し遂げられたと言へる。古代日本の大変革たる大化改新も支那・朝鮮(唐新羅連合軍)からの侵攻の危機下に行はれた。ロシア革命も第一次世界大戦の影響下に行はれた。アメリカ独立革命は言ふまでもなくイギリスとの戦ひであった。明治維新もまたしかりである。

 

わが國のやうに建国以来三千年の歴史を有し高度な統合を実現してゐる國家に強大な外敵が出現した場合、民族的一體感・ナショナリズムが沸き起こるのは当然である。西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために藩といふ地域そして士農工商といふ身分制度を乗り越えて、天皇を中心とした日本國家・民族の一体感・運命共同意識を回復して外敵に当たろうとしたのである。

 

國家的統合を一層強めて國家体制を変革し強化して外敵から自國の独立を守るといふ精神が明治維新の基本精神である。それを「尊皇攘夷」といふ。天皇を尊び、外國の侵略からわが國を守るといふ精神である。

 

「攘夷」とは夷狄(野蛮な外國)を打ち払ふといふことである。西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面した日本民族の國民的自覚と祖國防衛・独立維持の情念の噴出である。アメリカやロシアの軍艦の来航といふ國家的危機に直面して、國防意識が全國民的に高まった時に、自然に発生し燃え上がった激しき

情念である。

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千駄木庵日乗四月十九日

午前は、諸事。

午後二時半より、三田の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、原稿執筆。

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2017年4月19日 (水)

今日思ったこと

アメリカは北朝鮮のICBMがアメリカ本土に届く恐れが生じると、「消極的忍耐」とやらを捨てて、積極的に北朝鮮に軍事的圧力をかけるようになった。そして日本・韓国という同盟国と一緒に行動すると言い出した。身勝手と言えば身勝手だ。

 

北朝鮮も、「北の反撃でいちばん被害を受けるのは日本だ」と脅した。さらに、「日朝国交正常化が早く実現して、日本人の遺骨が早く日本に戻れば家族にとっても良いし、我々にとっても良い」と言い出した。これは、日本にアメリカの北攻撃に反対してほしいうシグナルだ。

 

日本は、一日も早く、自主防衛体制を確立して、他国の思惑や身勝手さに翻弄されないようなしなければならない。

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日本は強靭にそして柔軟に生きて行くことが大切

今日はからりと晴れあがり、気温も高く、初夏到来と言った感じです。桜の花も散り果て、銀杏の葉は青々と大きくなりつつあります。四季の変化というのは本当に不思議です。

 

わが国は、湿度が高く、緑が多く、水も清らかです。台風が来て多くの被害をもたらしますが、地上の穢れを祓い清める働きをします。そして台風一過の晴天に恵まれます。さらに、火山の噴火や地震がよく起ります。

 

日本人は自然を敵とすることなく、自然とよく調和して生きてきました。台風や地震などの自然の猛威に対してすらそれによく耐え忍んで生きてきました。

 

このようなわが國の風土が、日本人の柔軟にして強靭な精神力そして清潔さを好む性格を生んだと思います。

 

大東亜戦争の敗北という建国以来の大きな苦難を経験しましたが、短期間で力強く復興を遂げました。これも日本人が風土の中から培ってきた力によるものと思います。日本人は自然と対立し自然を憎むということはあまりないと思います。

 

終戦の時は、「敗戦」を「終戦」、「占領軍」を「進駐軍」、「隷属の下」を「制限の下」などと言い換えました。そして敗者の悲哀をいくらかでも払いのけたと思います。これは、神話の世界からの伝統である「告り直し」「言い直し」「聞き直し」であると思います。

 

また、戦争ではアメリカから大変な仕打ちを受けましたが、戦争が終わってしまえば、それほど深く憎んだり敵対したりしませんでした。それが日本人の長所でもあり、短所でもあると思います。

 

ともかく、これからも、わが日本は強靭にそして柔軟に生きて行くことが大切だと思います。

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2017年4月18日 (火)

黄文雄拓殖大学日本文化研究所客員教授による「日本を中心とした対米中印露の情勢」と題する講演内容

一月二十一日に開催された『アジア太平洋交流学会』における黄文雄拓殖大学日本文化研究所客員教授による「日本を中心とした対米中印露の情勢」と題する講演内容は次の通り。

 

「日本に来たのは五十数年前。東京オリンピックの前に日本に来た。四十年間編集の仕事をした。空手と柔道を学んだ。年を取ると足が弱くなる。今、ジョギングをしている。四十分歩いている。日本は技術を持っている。日本人の核アレルギーがどうにもならない。如何に核を上回る兵器を開発できるか。反日勢力が日本を支配。

 

文明と文化の対立が起っている。鈴木大拙の『日本的霊性』が参考になる。物理学には天地人の考え方無し。神道に力を入れるべし。漢字仮名混じりの文章が明治維新成功の原因。全てのシステムを変えないと中国の未来は無い。魯迅は『漢字を滅ぼさねば中国は滅ぶ』と言っている。自然科学と社会科学は中国では発展しない。宋と元の時代にペストで人口の三分の二が死んだ。

 

日本は積極的に世界に関わるべし。トランプ登場はいいチャンス。日本第一主義・ヤマトイズムで出て行くべし。日本もアメリカも『台湾は中国の一部』とは認めていない。『中国の主張について理解し尊重する』と書いているだけ。中国はアパホテルという民間に対してまでああいうことをする。中国への反発が大きくなる。司馬遼太郎は李登輝との対談では『台湾文化には中国・日本・欧米の文化が入っている』と言った。台湾は博士号取得者が多い。理工系と弁護士と歯医者が多い」。

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千駄木庵日乗四月十八日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆、書状執筆、明日のスピーチの準備。

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今日思ったこと

民進党などの亡国野党は、北朝鮮によるミサイル攻撃の危機に対して、何ら具体的方策を示していない。反日偏向メディアは不安を煽るばかりで、やはり何の具体的方策を示さない。そればかりではなく、テロ防止・治安維持・国家防衛のための法整備国防安保体制強化に対して狂気の如く反対してきた。そして日本会議問題・森友問題・閣僚の失言に関してまるで天地がひっくり返るような大騒ぎをして安倍総理夫妻や自民党政府を糾弾し、「一強体制を撃ち破る」とか言って、政府攻撃に終始している。全く国家の安全よりも政府転覆の方が大事なのである。

 

我々は北朝鮮、共産支那という外敵そして亡国野党偏向メディアという内なる敵に対して、毅然として戦いを挑まねばならない。それは安倍政権を擁護するためではない。国家民族の安全を守るためである。

 

日本が核武装していれば北朝鮮も支那も日本に軍事的恫喝を加えることはできないのである。日本の核武装を急ぐべきだ。それが達成できるまでは、アメリカとの軍事的協力しか日本の安全を守る方策は残念ながら無いのである。わが国が攻撃される前に敵を叩き潰すべきと思う。その時期と方法は、日米両軍の判断によるであろう。

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小堀桂一郎氏の「教育勅語」に関する卓見

 

小堀桂一郎氏は、『教育勅語』について次のように論じておられます。

 

 

 

「冒頭の〈朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ〉といふのは、釋してみれば、我が國の歴史はまさに宏遠の語がふさはしいほどに古く、その宏遠の昔に皇室の御先祖が既に『徳』なるものを樹立してをられたのだ、と説いてゐる。徳の據って立つ理を言ふのではなく、その徳が行はれてきた歳月の長さに注目させようとしてゐる。次いで〈我カ臣民克ク孝ニ克ク忠ニ億兆世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體の精華ニシテ教育ノ淵源亦實二此ニ存ス〉といふのは、皇祖以下歴代の皇宗が樹て給うたところの徳は臣民が素直に受容れるところとなり、國史を通じて一貫してその美點を實現せしめてきた、の心であり、ここでは〈世々厥ノ美ヲ濟セルハ〉が字眼である。つまり有史以来今日迄、その徳が動揺したことがない、その徳が有効を立證するのは偏にその連續性であり、その徳の有つ不朽の生命力である、との論理が述べられる。これが日本といふ國の國體の精華、即ちその性格が最も特徴的に表現されてゐる點であって、國民教育の淵源は實にこの國體の神髄のうちに其れを求めることができる――」

 

 

 

「明治四十一年にこの勅語の外國語譯 (英・獨・仏・華) が文部省によって作成され、國際社會への紹介と普及が試みられた時、主に想定されてゐたキリスト教文化圏の何れの國に於いても否定的反應に遭遇したことは無かった。…戰後西ドイツの…コンラート・アデナウアーがこの勅語の獨譯文を公邸の執務室の壁に貼って日夜熟讀玩味してゐたといふ逸話は本当のことである」

 

 

 

「教育勅語撰録者達に神道を宗教の一派として捉へる理解はなかった。神道とはその名の表す通り『道』であり、〈斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓にして〉とある通りの『道』なのであって、教祖や祖師の唱へた教義・教理ではなく、言語化されぬままに千何百年かの長い歳月を國民全體によって履み行はれてきた生き方の事なのである」

 

 

 

「背後に斯道の貫通を彷彿と感じさせながら而も明らさまな言葉を以てそれを説いてゐるわけではない。修身教科書の工まずして巧妙な方法を説き明してくれる一の比喩的表現がある。西行法師が伊勢大神宮の御祭日に際して詠んだ感懐として人口に膾炙する、〈何事のおはしますをばしらねどもかたじけなさのなみだこぼるる〉である。伊勢の杜の奥におはしますものの何者であるかを人は知らない。知らないでもよい。…説き明かす必要はない。ただ〈かたじけなさの涙こぼるる〉の感慨に共感でき、そのかたじけなさを共有できる感性を有してゐれば、そこに立派に聖なるものに對する畏怖と敬虔の感情が湧出する。これは凡そ人間の宗教心といふものの原型であり、道徳の根柢である。この宗教的感情と道徳心とは要するに同じものであり、一切の宗教の教義、あらゆる世教の學理を超えた普遍性を持つ。道徳教育の重要な一點は、この〈かたじけなさ〉の感情、言葉で指し示すことはできず、又その必要もない〈なにもの〉かの聖なる存在に向けての畏怖と敬虔の情を育成することである。それは占領基本法が禁止する宗教教育でないことは慥かであるが、然し必要にして十分な宗教心を育成する道徳教育の模範型だと称してよいものである」(『「國家理性」考』)

 

 

 

付け加へることはありません。卓見と存じます。

 

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千駄木庵日乗四月十七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、書状執筆、資料整理、原稿執筆など。

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2017年4月17日 (月)

中村武彦氏の先見

中村武彦氏は、その著『私の昭和史』の「まへがき」において、「今日、日本は国際化、グローバル化の怒涛に襲はれてゐるが、終戦の大詔に仰せられたように「世界ノ進運ニ後レザラム」ためには先ず「國體ノ精華ノ発揚」が大前提であらねばならぬ。國體どころか国是も世界戦略もなく、国の主権と主体性を守る気概もない日本の現状は既に亡国と言はねばならぬ」と論じてゐる。

 

この文章は、平成十六年十二月八日の執筆と記されてゐる。大変な先見の明と言はねばならない。

 

アメリカ覇権主義そして共産支那の中華帝國主義さらには北朝鮮の暴虐が渦巻く狭間にあって、わが日本は、祖国の独立と安全を守るために必死になって戦わなければならない。

 

近年、「グローバリズム」ということが喧伝されてきた。しかし、現実社会は「グローバリズム」の市場共有を放棄し武力行使をする国が再び出始める可能性も生じてきている。つまり、再びブロック経済第二次世界大戦が勃発した時に近い状況になりつつある。

 

今、市場原理主義の問題をはじめ、日本も世界も大変な混乱期にある。

 

笹川良一氏は生前、「世界は一家、人類は兄弟」という標語を宣伝していた。そしてその一方で、「戸締り用心、火の用心」という標語の宣伝していた。世界が一家なら戸締りはいらないはずなのだが、そうはいかないというのが現実なのである。『東アジア共同体』『国連中心主義』『友愛の海』などという現実離れした考え方は実に以て危険千万である。

 

日本には、飛鳥・奈良時代にも、グローバリズムの波が押し寄せて来た。しかし、日本はそんな波に呑みこまれることなく、国家体制を整備し、文化的にも経済的にも自立した国家を作り上げた。それが大化改新であり、藤原京・平城京の造営である。そして平安京の造営を造営し、その後平安時代という平和な時代を迎えた。

 

また、江戸時代末期にも、同じような危機に際会したが、明治維新を成し遂げ、日本の独立を守り、近代国家を建設した。

 

その最大の要因は、天皇・皇室を祭祀主と仰いで國の統一と安定を確保するといふ日本國體精神である。日本民族がグローバリズムの波に呑みこまれることなく、仏教のみならず外来文化・文明を自由に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤の中核が、天皇・皇室のご存在である。

 

現代日本においても、この強靱にして自由な日本民族の伝統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない。

 

にもかかわらず、残念ながら、国民の多くは日本の傳統精神、國體精神を忘却し、内部から破壊されつつある。

 

わが國の建国の精神は、「八紘爲宇」の精神である。これは、世界は色々な民族・国家が連帯し共存する一つの家であるという精神である。また近代日本の父と仰がれる明治天皇御精神は、「四海同胞」の精神である。これは、世界の民は兄弟であるという精神である。日本は本来的に言葉の真の意味における平和国家である。

 

日本はその傳統信仰の靈的精神の偉大なる包容力によって、よく他國の宗教・文化・文明を取り入れてそれを融和せしめ洗練して、強靱にして高度な日本文化として開花せしめる力を持ってきた。

 

世界各国各民族にはそれぞれ伝統精神・傳統文化を保持している。グローバリズムすなわち市場原理主義と共産主義という二つの覇権思想を否定し、各国各民族の個性・立場・歴史・傳統を尊重し合い、真の意味の平和な世界を実現しなければならない。

 

 

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千駄木庵日乗四月十六日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆の準備。資料検索。

この後、谷中・上野桜木散策。

午後六時より、谷中にて、親族と会食、懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2017年4月16日 (日)

『伝統と革新』最新号

オピニオン雑誌『傳統と革新』第二十五号 

平成二十九年春号 たちばな出版発行(四宮正貴責任編集

特集 世界維新への道―対立が激化する世界情勢と日本文明の使命―

...

「巻頭言」日本國體精神恢弘による 真の世界平和=維新の實現        四宮正貴 

『インンタビュー」
「明治百五十年」に向けて 新しい國造りへの意気込みを取り戻す       石破 茂  

「リ・ナショナリゼーション」という時代の潮流を見すえて、 冷静に國の進路を見極める          
中西輝政

「自主独立」「自主防衛」を目指すための歴史認識               西部 邁  

歴史を直視し、わが足元から「平和」を築いていく主体性を          有村治子  

〈佐藤優の視点〉「金正男の暗殺」についての 分析と考察           佐藤 優
  
〝世界の維新〞は、普遍的で根源的な「復古」に通ず             西村眞悟
  
日本の「外交」を考える前にすべきこと                    東谷 暁
  
國家の盛衰は人次第 ―トルコの例                   佐々木良昭 

「進歩」の終わった時代に                         佐藤健志
 
明治のグローバリズムと八紘一宇                     相澤宏明
 
アメリカの時代の終わり、 そして日本の世界への使命 葦津珍彦を読み直す 三浦小太郎

「聞き書き」また外交的失敗の繰り返し メディアが國を衰退させていく    上杉 隆  

「提言・直言」
日本文明が、文明同士の衝突する世界で果たす役割            海江田万里 
我が國の世界的使命を再確認して、共存共栄の世界に邁進する時が来た    北神圭朗  

混迷の世界で果たすべき日本の責務は「和」 の 世界ビジョンの提案ではないか 山田 宏
 
日本独立の達成は世界維新の大前提! 〜日露平和条約締結は、戦後体制克服の一歩だ〜          
木村三浩
 
連載 我が体験的維新運動史第二五回 護國の英霊、靖國の大神に草莽の誠を捧げる                   
犬塚博英

連載『やまと歌の心』                        千駄木庵主人

連載「石垣島便り」―愛犬の死に、改めて「防人」の役割を思い、 体力づくりに励む毎日     
中尾秀一
 
 定価 本体価格1000円+税。 168頁
〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル
 たちばな出版  代表03―5941―2341 FAX5941―2348

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今日における『大アジア主義』とは

頭山満と盟友関係にあり、共に「大アジア主義」を唱へた孫文は、大正十三年(一九二四)十二月二十八日、神戸高等女学校において神戸商業会議所外五団体に対して行った講演で「貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本國民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります」と語った。

 

しかし、今日アジアで覇道精神を実践し、軍事的・政治的・経済的拡張と侵略を行ってゐるのは共産支那である。さらに、五族共和どころか共産支那国内の諸民族を抑圧してゐるのは共産支那である。今日の共産支那には仁義も道徳もありはしない。今日の支那は、権力者が富と権力を独占し、まさに清朝時代に戻ったと言ってもいい。

 

今日の支那・朝鮮の國内情勢、支那によるわが國などアジア諸國に対する悪行を見ると「道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め」(「脱亜論」)、アジアを「残忍酷薄」「野蛮」(「大西郷遺訓」)に侵略し支配せんとしてゐる國は、共産支那である。そして韓國はその属國に成り果てようとしてゐる。かかる「亜細亜東方の悪友を謝絶する」べきである。そして、他のアジア諸國およびアメリカと同盟関係を深めて、中華帝國主義のアジア侵略の野望を撃ち砕くべきである。これが今日における「脱亜論」と言ふよりも「脱支那論」であり「大アジア主義」である。

 

近代日本の大陸および朝鮮半島との関係史に学ぶことは、政治的経済的に深入りしないことが大切であるといふ事である。「東亜」とか「アジア」と一括りにして東亜解放・アジアナショナリズム・大アジア主義を標榜して大陸に政治的・軍事的・経済的に深入りしことにより、日本は亡国の危機に陥ったのである。

 

國史を省みるとわが國が支那大陸に深入りするとろくなことがなったことは事実である。これまでの歴史で、日本が大陸に深く進出して成功したためしはない。亡國の危機に至る事さへあった。特に昭和前期の日本は、軍事的・政治的に大陸に深入りし、ソ連・中共の謀略に引っかかり、泥沼の戦ひとなって日米戦争にまで進み敗北した。

 

戦後の「日中友好」「日韓友好」も同じ誤りを繰り返した。「日韓基本条約締結」「日中國交回復」以後、経済的に深入りして金と技術を支那や韓国に投入し、共産支那を軍事大國にしてしまった。また韓国も日本に対して竹島を占拠し続け反日策謀を繰り返してゐる。その結果、主権と安全と独立が脅かされてゐる。北朝鮮に対しても朝鮮総連を通じて事実上の経済支援を行ったが、今日わが国の核攻撃の恫喝を行ってゐる。

 

支那と朝鮮が日本にとって「悪友」であることは今日ますます事実として明らかになってゐる。一昨日も書いたが、支那朝鮮がこれ以上理不尽にわが国を圧迫して来たら、破邪の剣を振ふより致し方ないのである。「支那・朝鮮の公正と信義に信頼して自国の生存と安全を保持しようと決意した」などと呑気なことは言ってゐられないのである。

 

今日唯今における、「脱亜」とは清・朝鮮との関係の「謝絶」であり、「入欧」とは海洋国家との連携である。台湾、ベトナム、フィリッピン、オーストラリア、アメリカと連携して、中華帝国主義国家の膨張・侵略を防がねばならない。支那・朝鮮がわが國の隣國であるからとて、何をされても、ニコニコ笑って「大人の対応」をするべきではない。「悪友」の侵略・不法行為から、わが國の独立と主権を守るために、わが國の尊皇攘夷精神を発揮して「處分す可きのみ」である。

 

アジア情勢は危機に瀕してゐる。わが國は、自國の力を強めると共に、アメリカや東南アジア諸國との連帯を深めて、中華帝國主義に対処すべきである。

 

今日における「大アジア主義」は、「残忍酷薄を事とし、己れを利する」のみの共産支那のアジア侵略植民地支配を打破するために、アジア諸國・諸民族が連帯し、アジアを「中華帝國主義」の桎梏下から解放しようといふ思想である。

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千駄木庵日乗四月十五日

午前十時半より、北区の菩提寺にて、亡き母の「四十九日法要」執行。ご住職の導師で、読経、焼香。そして納骨が行われた。この後、親族と会食・懇談。

 

帰宅後は、現行執筆の準備、原稿執筆など。

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2017年4月15日 (土)

『鎮守の森』が自然保護の原点 

 

 わが国の神は天津神、国津神、八百万の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。 

 

わが国の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。わが民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

 

 それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

 

 さらに、海の彼方にも理想の国・麗しい国があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

 我が国伝統信仰すなわち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」という。

 

 その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

 日本伝統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。それは日本民族の実際生活から生まれて来た信仰なのである。特定の預言者や絶対神の代理人と称する人が説き始めた教条・教義に基づく信仰ではない。ここが神道と教団宗教との根本的相違である。つまり、わが国伝統信仰=神道はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰なのである。

 

 だからこそ、わが国伝統信仰の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。わが国において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全国に国分寺・国分尼寺を建立された。わが国において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。そして日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

 

 わが民族は、今日の混迷も必ずこれを打開して正しき日本の姿を回復するに違いない。しかしそのためには、歴史を回顧して明らかな如く、真に国家の伝統精神を継承する者たちの必死の努力精進が必要である。

 

 わが国の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖国日本への限り無い愛と、国民同胞意識を回復しなければならない。

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千駄木庵日乗四月十四日

午前は、諸事。

 

午後は、六本木のサントリー美術館にて開催中の『開館十周年記念展 絵巻マニア列伝』鑑賞。

 

帰宅後は、資料の整理、明日行う亡き母の納骨、「四十九日法要」の準備など。

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2017年4月14日 (金)

わが国は朝鮮半島に対して如何に向き合い如何に対処すべきか

 

北朝鮮は、核実験・ミサイル発射を行い、気に入らぬものは、兄弟だろうと義理の叔父であろうと抹殺する狂気の独裁者が恐怖政治を行っている。韓国は、歴代大統領が自殺・投獄・暗殺・亡命の憂き目に遭う国である。竹島を占拠したまま返そうとしない。そして両方とも徹底した反日である。わが国は朝鮮半島に対して如何に向き合い如何に対処すべきであろうか。

 

葦津珍彦氏は次の如くに論じてゐる。

「日韓両民族が、一視同仁の聖天子の兄弟たるべき時代は消え去ってしまった。…仲のわるい隣邦の外国人にすぎなくなった。道義も失はれ、金権の外に考へない気風に汚染されている。韓国人は自ら国を亡ぼしてしまった歴史を、ことさらに抹殺して、日本をただ悪者にして、公正の歴史をゆがめて、対日請求のやくざ集団のような思想にとりつかれている。ここでは、はっきりと日韓は別国とわり切って、冷徹な国家対国家の国際公法の『理性』に立ち、相和すべき理があれば和するが、対決すべき理があれば同志を拒否し対決するとの原点に戻って、初めから、出直す外にあるまい。その対等対決の中から、自らにして兄弟の情のわき出るを切望するが、心にもない特殊、非情理な、拵え事のだらだら回想情操論は一旦打ち切った方がいい。今の條件で日本天皇と親しむ者には親しみ、敵対する者には敵対するがいい。異国人相手の交際からの出直しだ」(『朴鐡柱君悲痛の生涯』・「朴鐡柱大人を偲ぶ」所収)

 

日本と朝鮮半島とは近親でも身内でもない。異文化・異民族であることをもっと確認すべきだ。当たり前のことだが、日本と朝鮮半島とは地理的には近隣でも文化的・民族的には決して近隣国家ではない。

 

また、アジア・東洋で一括りにすることはできない。アジア諸国家・諸民族には文化・歴史・宗教などに大きな違いがある。それぞれ個性がある

 

全世界の国家がそうであるように、東アジアにおいても大陸国家と半島国家・海洋国家とに分けられる。支那は大陸国家であり、朝鮮は半島国家であり、日本や東南アジア各国は海洋国家である。戦争が起こる確率が高いのは、半島国家である。大陸国家・半島国家・海洋国家が連帯することは不可能だ。 

 

戦後の日中友好、日韓友好、日朝友好は破綻した。「日韓基本条約締結」「日中國交回復」以後、経済的に深入りして金と技術を支那や韓国に投入し、共産支那を軍事大國にしてしまった。また韓国も日本に対して竹島を占拠し続け反日策謀を繰り返してゐる。北朝鮮に対しても朝鮮総連などを通じて事実上の経済支援を行ってきた。しかし、多数の日本人を拉致し、未だに返してこない。そして日本の米軍基地を攻撃すると息巻いている。支那・韓国・北朝鮮よってわが国の主権と安全と独立が脅かされてゐる。

 

支那と朝鮮が日本にとって「敵」であることは今日ますます事実として明らかになっている。支那朝鮮がこれ以上理不尽にわが国を圧迫して来たら、破邪の剣を振うより致し方ないのである。「支那・朝鮮の公正と信義に信頼して自国の生存と安全を保持しようと決意した」などと呑気なことは言っていられないのである。

 

今日唯今、日本が行うべき事は、海洋国家との連携である。台湾、ベトナム、フィリッピン、インドネシア、オーストラリア、アメリカなどと連携して、わが国の安全とアジアの平和を守らねばならない。

 

中華帝国主義国家の膨張・侵略を防がねばならない。支那・朝鮮がわが國の隣國であるからとて、何をされても、ニコニコ笑って「大人の対応」とやらをするべきではない。

 

アジア情勢は危機に瀕してゐる。わが國は、自國の力を強めると共に、アメリカや東南アジア諸國との連帯を深めて、中華帝國主義に対処すべきである。繰り返し言う。「支那・朝鮮の公正と信義に信頼して自國の生存と安全を保持しようと決意した」などと呑気なことは言っていられないのである。

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千駄木庵日乗四月十三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2017年4月13日 (木)

今日思ったこと

日本という国は何という国でしょう。国家的危機であるというのに、一学校法人の不祥事で大騒ぎ、そしてスケート選手の引退でも大騒ぎしています。これはメディアの姿勢が全くおかしいからです。

 

民進党は、学校法人問題で、安倍政権を責め立て、政治を混乱させて、政権を奪取せんとしているのであります。しかし、そうは問屋がおろさず、民進党の支持率は低迷したままです。また都議会では離党議員が相次いでいます。国会でも、長島昭久氏が離党しました。

 

社民・共産両党を含めた連合政権ができたら、日本はどうなるのでしようか。対外関係だけに限っても、支那と北朝鮮による我が国への軍事的政治的圧迫をはねのけることはできなくなります。民進・社民・共産の連立政権は何としても阻止しなければなりません。

 

日本国の政治が混迷し不安定になれば一番喜ぶのは誰かを本当に真剣に考えるべきであります。日本は支那の属国になり、軍事的政治的支配下に置かれることとなります。志位・辻元・福島などという輩が政府閣僚になっている姿を想像するだけでゾッとします。

 

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日本伝統信仰と現代の危機の打開

 

 

 

自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を生活の中で体験する農耕民族たる日本民族の信仰精神が、世界の真の平和を作り出す可能性が高い。一切の自然や人に神が宿るという大らかにして健全なる信仰精神たる日本伝統精神が、世界を救い、統合し融和して調和すると考える。

 

自然に抵抗し、自然と戦はなければ、人間生活を維持できない厳しい自然環境に生活する人々は、様々な論理や分析を必要とした。そして厳しい自然環境にあって、人間が穏やかで繁栄した生活を営むためには、自然を作り変え、改造しなければならない状況にあった。

 

自然と対決し戦い、自然に打ち勝たねばならない厳しい自然環境の中東半島のようなところに生きる人々は、経験的知恵や合理的知識・分析・説明が不可欠であった。そこで、多くの教条教義を作り出した。また、自然と戦う武器や技術を必要とした。

 

中東に生まれた一神教(ユダヤ教・キリスト教・回教)は、そういった環境と生活から生まれた宗教であるから、現実をそのまま肯定し自然に随順し自然そのものを神として拝むなどということはない。そして「エホバ」という唯一絶対神を信じ、ある特定のすぐれた人物の説く教義を信じ、その人物を崇拝する。そしてその他の神や教えを排撃する。そして過去においてのみならず今日ただ今も宗教戦争をくり返している。

 

また近代社會を混乱に陥れ、限りない闘争と破壊を起し、自然を破壊してきた思想が、西洋近代の科学的合理主義というイデオロギーである。これを超克し是正するものが、日本の傳統精神である。日本傳統精神は、「合理的なものの考え方」を否定するのではなく、その欠陥を補うのである。

 

歴史や自然を対立的にとらえて、論理や教条を振り回して自然や宇宙や人生や歴史の本質を説き明かそうなどという不遜な考えは持たなかった古代日本人の基本的な姿勢を、現代において甦らせることが必要なのである。

 

近年、「グローバリゼーションの時代」などといわれてきたが、最近は世界各地でそれに反発する動きが高まっている。日本民族は主體性・誇りを喪失することなく、且つ、偏狭な排外主義的と独善に陥ることなく、外来文化文明を受容して来た。これはわが民族の優れた特性であり歴史である。

 

日本伝統信仰の祭祀は、明るく平和的な行事である。動物や人間を生贄として神に捧げる事はしない。わが國民が祭りが好きである。これは、日本人が本来明るい平和的精神を持っているということである。日本民族は本来的に残虐でもないし、厭世的でもなければ逃避的でもない。また排他的でもない。それがわが國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓い清めることができると信じ続けてきている。

 

この「祭祀」の精神が、戦争・闘争テロが繰り返され、自然は破壊され、人の命は軽視される現代を救済し打開する原理となると考える。

 

また「祭祀」の精神が、自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると考える。今日の国難打開は、祭祀の精神の復興がその原基である。

 

世界各地で凄まじいテロが続発している。今こそ、日本傳統精神よって強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるべきである。日本伝統信仰の「祭祀」の精神が、戦争・闘争テロが繰り返され、自然は破壊され、人の命は軽視される現代を救済し打開する原理となる。

 

今日の危機打開は、祭祀の精神の復興がその原基である。天孫降臨の精神=稲穂による統治といふ絶対平和の精神が重大な意味を持つと確信する。

 

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2017年4月12日 (水)

千駄木庵日乗四月十二日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。小生が山上憶良・大伴家持の歌を講義。質疑応答。

終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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國歌『君が代』について

「わが君は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで」

詠み人知らず

 

 

『國歌君が代』の元歌で、『古今和歌集』巻第七及び『和漢朗詠集』に「賀歌」として収録されてゐる。「賀歌」とは、人が一定の年齢に達した時に行ふ祝賀行事に際し、他者が詠んで贈る歌。お祝ひの調度としての屏風に書く歌として詠進されると共に、口誦して披露された。公的性格が強い。この歌は平安初期からよく歌はれゐたといふ。

 

「わが君のお年は、千年も八千年も、小さな石が巌となって苔が生えるまで、末永くお健やかでいて下さい」といふほどの意。

 

初句の「わが君」は、尊敬する目上の人といふ意味である。後に「わが君は」を「君が代は」と改められ、「天皇の御代」を讃へる歌となった。

 

「君が代は 千代に八千代 に さざれ石の いはほ となりて 苔のむすまで」

 

『君が代』はめでたい歌として貴族から庶民に至るまで自然発生的に全國民的に歌はれ続けた歌である。江戸初期には、堺の町の美声の歌ひ手に隆達といふ人がゐた。その『隆達節』にもこの『君が代』が最初に挙げられて、広く庶民の間に親しまれたといふ。

 

この歌は、近世にかけて全國に広がり、謡曲や神楽歌そして小唄・浄瑠璃・薩摩琵琶などに取り入れられ、貴族だけでなくあらゆる階層の人々に身近な祝ひ歌として広く親しまれ歌はれてきた。薩摩琵琶(注・薩摩で発達した琵琶、及びそれによる歌曲)の『蓬来山』といふ曲にも取り入れられた。

 

明治十三年(1880)、日本の国歌として「君が代」が採用された。その時、薩摩の大山巌(元帥陸軍大将)は、「わが國の國歌としては、よろしく宝祚の隆昌、天壤無窮ならん子とを祈り奉るべきである」として「平素愛誦する薩摩琵琶の中から『君が代』を選び出した」と語ってゐる。

 

國歌『君が代』には、日本國民の伝統的天皇信仰が高らかに歌ひあげられてゐる。

 

小さな石が大きな岩に成長することはあり得ないから非科學的な歌であるといふ議論があるが、日本人の信仰精神に対する無知をさらけ出してゐる意見である。石が成長して大きくなり巌となるといふのは日本人の古来からの信仰的真実である。自然には魂が宿ってゐるとする信仰は、祖霊信仰と共に日本伝統信仰の大きな柱である。

 

石が成長した岩には魂が籠ってゐると信じられた。「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させないで霊力を賦活させ神聖化することである。そして「いはふ」は神を祭る意にもなった。神を祭る人(神主)を「斎主」(いはひぬし)、神を祭る宮を「斎宮」(いはひのみや)と呼ぶようになった。

 

 家に籠ることを「いはむ」と言ふ。「いはむ」とは忌み籠ることである。「忌む」とは、不吉なこと、けがれたことをきらって避けること、特に、ある期間、飲食・行為を慎んで、身体をきよめ不浄を避けることを言ふ。「斎」(いつき・心身を清めて飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いみきよめる。いわう。いつく。ものいみする、という意)と同じ意である。 

 

 「いつき・いつく」の「いつ」とは清浄・繁茂・威力などの意を包含している神聖観念である。天皇の神聖権威を意味する御稜威(みいつ)はこの言葉から来てゐる。

 

 このように、「いへ」「いは」「いむ」「いつく」は語根が同じくし、深い関係がある。ゆゑに、魂の籠ってゐる「石」を「岩」と言ふ。天照大神が籠られた「天の岩戸」は大神の神霊が籠られたところなのである。

 

 人々は、亡くなった人の遺体を石の下に埋める。わが國は古墳時代から墓に石を置いた。特に偉大な人の墓の場合は巨大な岩を置いた。墓を石で造るのは、石に魂が籠められるといふ信仰に基づく。石や岩に霊魂が籠ると信じた日本人は、石は地上にありながら、地下から湧出する生命・霊魂の威力を包み込んだ存在で、地下に眠る霊魂の象徴であり、よりしろ(憑代・依り代。神霊が宿るところ)と考へた。 

 

 日本の「家」(いへ)はそれを構成する人々つまり家族の魂が一処に籠っているといふことである。したがって、君が代(天皇の御代)は「石」が「岩」になるまで続くといふことは、天皇國日本は魂の籠っている永遠の國家であるといふことになる。岩を霊的なものとしてとらへ、それを永遠無窮・天壤無窮の象徴としたのである。さういふ信仰を歌っている歌が『君が代』なのである。

 

 石や岩などの自然物に魂が宿ってゐるといふ古代信仰は『萬葉集』の次の歌に表れている。

 

信濃なる 筑摩の川の  細石(さざれいし)も  君しふみてば 玉と拾はむ (萬葉集巻十四・三 四〇〇)

 

 東歌(萬葉集巻十四・古今集巻二十にある、東國方言で庶民が詠んだ和歌)である。「信濃の千曲川の小石もあなたがお踏みになったのなら玉と思って拾いましょう」といふほどの意。恋人が踏んだ石には魂が籠っているといふ歌である。石に魂が籠るといふのは古くからの民俗信仰であった。 さらに、柿本人麻呂が石見の國において亡くなる時、妻・依羅娘子がこれを嘆き悲しんで詠んだ歌では、

 

 今日今日と 我が待つ君は 石川の かひにまじりて ありと言はずやも (萬葉集巻二・二二四)

 

 と詠まれてゐる。山の谷間の貝塚などに遺骸を葬る風習が古代にはあり、川に臨んだ貝塚群の底から、人骨が出土する例が報告されてゐる。

 

「石川のかひ」は、死者を葬った川のそばにあり水に浸された貝塚のことである。石川と名づけられたのも、小さな石(すなはちさざれ石)には霊が籠ってゐて、霊の憑依物・霊的なものとして考へ、「玉」とも呼ばれた長い信仰がこの歌の底にはある。

 

 「大君は 神にしませば 天雲の雷の上に いほらせるかも」といふ柿本人麻呂の歌の「いほらせる」は、「いほりする」の尊敬語である。「いほる」とは、「斎」(いつき)の意義が込められてゐる。人麻呂は、天皇が神聖なる雷丘に忌み籠られて五穀の豊饒を祈る祭りをせられたことを詠んだのである。

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2017年4月11日 (火)

千駄木庵日乗四月十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、明日開催される『萬葉古代史研究会』における講義の準備、原稿執筆など。

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「萬葉古代史研究會 」のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 五月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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「第六十九回 日本の心を学ぶ會」のお知らせ

第六十九回 日本の心を学ぶ會

テーマ 中国帝国主義と大アジア主義を考える

4月8日に米中は電話で首脳会談を行いました。アメリカは、中国が水面下でおこなっている北朝鮮への支援をやめさせることを要請し、韓国に配備したミサイル防衛システムTHAADについて説明したといわれております。中国外交部はTHAAD配備について「強烈な不満と断固たる反対を宣言する」と強く反発しております。

 

中国は自らの目指すものを「平和的台頭」と主張しています。しかし南シナ海では「中国の赤い舌」と呼ばれる領海の拡大を目指しており、とても「平和的台頭」とは言えません。

 

さらにチベット、ウイグル、南モンゴルなど中国に支配された地域でおこなれていることはまぎれもない植民地政策であり、これらの地域で行われている言語や歴史、宗教など民族的アイデンティテイの抹殺は、教科書問題や靖国参拝などで中国から内政干渉を受けているわが国にとっても無関係ではありません。さらに中国は、台湾・沖縄への侵略支配を狙っていると考えられます。

 

中国こそが現代における最大の帝国主義国家であり、現行犯の侵略国家といえます。

 

そこで今回の勉強会では中国の帝国主義と大アジア主義について考えてみようと思います。大アジア主義とは西欧列強の帝国主義に対しアジアの諸民族との連帯し解放を目指した近代日本が抱いた理想です。この理想は必ずしも成功したとはいえません。その後の日本の歩みは西欧列強の帝国主義と対決し、結果として敗戦に至ったともいえます。

 

しかしアジアが中国の帝国主義の侵略の危機にさらされている今日、先人たちの理想と挫折を学ぶことは決して無意味ではありません。

 

 今回の勉強会は日本ウイグル協会代表のイリハ・マハムティ氏をお招きしてウイグル問題について、四宮正貴氏には「大アジア主義の今日的意義」という演題で講演していただきます。みなさんの、ご参加をお待ちしております。

 

【日時】平成二十九年四月三十日 午後一時から

 

【場 所】文京区民センター 3-D会議室

東京都文京区本郷4-15-14営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分、東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15分都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2

 

【講 演】

「大アジア主義の今日的意義」 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所

「ウイグル問題について」(仮) イリハム・マハムティ氏

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

               〇

この告知文は主催者が作成しました。

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長島昭久氏の民進党離党について

長島昭久氏が民進党を離党しました。長島氏は「保守政治家」であることを強調していました。

一体保守とはどういうことを意味するのでしょうか。現状維持という意味なら、近年は守旧派とか抵抗勢力という言葉があります。

 

真正保守という言葉があります。これは現状維持という意味の保守ではなく、日本の国柄、伝統、歴史を守るという意味で使われております。私は現行憲法の原理を墨守し戦後体制を容認する立場こそ「守旧派」だと思います。真の保守とは言うまでもなく「國體護持」です。

 

長島昭久氏は、「伝統と革新」第十九号(平成二七年五月発行)に置いて小生のインタビューに答え、「『保守の真髄は何か』と問われれば、私は皇室を尊ぶということ、この一点に尽きる…一番の大本となるのは、神話を含めて、天皇、皇室を尊ぶということです。…日本および日本人の大本は皇室だという信念こそ、保守の真髄だと思っています」と語りました。

 

「國體護持」という正統なる信念と思想を持っている長島氏には、日共という國體破壊勢力と選挙共闘するなどということはとても耐えられなかったのでしょう。今回の長島氏の民進党離党は快挙です。

 

前原誠司氏も『伝統と革新』第二〇号(平成二七年初月発行)に於いて、小生の質問に答えて「日本人と日本の骨格を成ししているのが皇室だと思いますし、皇室のない日本というのはやはり考えられない。日本の心、伝統、文化、日本人の拠り所が皇室だと私は思います」と語りました。

 

前原氏も、真の保守政治家だと思います。

 

自民党の中にも國體観が正しく確立していない政治家がいます。「真の保守」と「守旧」「現状維持」との区別を明確にしなければなりません。國體護持こそ真正保守であり、この立場に立つ政治家が力を増すことを願います。そして國體破壊勢力を殲滅しなければなりません。明治維新の歴史を見ても明らかなように、真の保守とは真の革新であります。

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この頃詠みし歌

若かりし母と共にぞ神保町の古書店街を歩みし思ひ出

 

百歳までは生きたまふと信じゐし母がこの世を去りし悲しさ

 

日本の激動の歴史と共に生きしわが父母を偲びまつれり

 

わが父の征きませし大陸での戦ひを偲びつつ讀む宮柊二氏の歌

 

生死かけし戦ひに征きしわが父を偲ぶ心に写し絵を仰ぐ

 

夜となれば父母の位牌の前に座し經を誦しゐる静かなる時

 

父母と共に暮らせし日々のこと思ひ出しつつ涙さしぐむ

 

母を送りさみしき日々の続きゐる我に眩しき満開の桜

 

新しき仏壇を安置し父母よ安らかに眠りませと祈り捧げる

 

わが父とわが母の遺影に手を合はせ今日のひと日を終はらむとする

 

般若心経誦しまつりつつわが家の先祖の御霊に祈り捧げる

 

 

             〇

 

 

強く強く生きゆくべしと自らに言ひ聞かせをり神に祈りつつ

 

命の炎燃え立たしめて日々(にちにち)を生きてゆくべし神に祈りつつ

 

大いなる歌を讀みつつわが魂(たま)は力強くぞなりてうれしき(斎藤茂吉歌集)

 

つまらなき歌並びゐる短歌雑誌放り出した後に歌を詠むなり

 

プーチンだかウラジミールだか知らないがわが国の領土を早く返せよ

 

諏訪台の桜咲きたり窓辺より眺むれば心浮き立ちにけり

 

春四月花が開けば参り来る谷中天王寺の釈迦牟尼仏像

 

墓の上に桜咲き満つわが此の土安穏なりとの経文の如く(谷中霊園)

 

大き声で鳴くカラス頭上に飛びをれば何故鳴くのかと問ひかけにけり()

 

誰も参りに来し様子無き大き墓 古びてをればなほあはれなり()

 

鳥が鳴く東(あづま)の国の霊園の木々に止れる鳥が鳴きをり()

 

墓石を渡り走れる猫たちは霊園を棲家に生きてゐるなり()

 

櫻花満開の下で子供らが嬉々として遊ぶ春の夕暮(たぬき山公園)

 

流れゆく川面に桜の花びらが浮きて流るる帯の如くに(江戸川公園)

 

新しく建て替へられし家多く見知らぬ街に来たりし如し

 

客を置きて外に出て行き帰らざる老いし主(あるじ)を待ちつつ酒呑む

 

老いし主の焼きし焼き鳥焦げつきてをれども美味し老練の味

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千駄木庵日乗四月十日

午前は、諸事。

午後は、江戸川公園散策。

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桜の花びらが流れる江戸川公園神田川

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神田川と櫻

帰宅後は、原稿執筆など。

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2017年4月10日 (月)

天皇の国家統治と武の道統

天皇の国家統治の御精神は「和」「仁慈」と共に「剣の精神」「戦ひの精神」がある。上御一人日本天皇は「もののふの道の體現者」であらせられる。

 

 「ますらをぶり」とは、日本民族の基本的道義精神である。「清明心」は、一たび戦闘となれば、神武天皇御製に歌はれたやうな「そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」といふ雄々しさ・勇気・戦闘心となる。

 

 ただし、神武天皇の御東征の御精神は、『日本書紀』に「…神祇(あまつやしろくにつやしろ)を禮(ゐやま)ひ祭(いは)ひて、日の神の威(みいきほひ)を背(そびら)に負ひたてまつりて、影(みかげ)のままに壓躡(おそひふ)まむには。かからば則ち曾て刃に血ぬらずして、虜(あだ)必ず自らに敗れなむ…」と記されてゐるとおり、神を祭り、神の霊威を背負ひ神の御心のままの戦ひであり「武」であった。故に「武」は「神武」であり、剣は「神剣」であり、戦ひは「聖戦」なのである。

 

天皇の統治したまへるわが國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、歴代天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。しかし、さうしたわが國の伝統は、「武」「軍」「戦ひ」を否定してゐるのではない。

 

『古事記』には、天照大御神が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙剣」をお授けになる。『日本書紀』第一の一書には、「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記されてゐる。

 

「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の國家統治の御精神、つまりは日本民族の指導精神の象徴である。天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されてゐる。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、歴代天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

 「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象してゐる。

 

祭祀・軍事・農業を司りたまふ天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されてゐる。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。

 

これらは別々の観念として傳へられてゐるのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合はせて)一體になること)の観念である。

 

日本天皇は、國家統治者として、祭祀(鏡)・武(剣)・豊饒(玉)の三つのご権能を體現される。つまり天皇・皇室は神代以来、「剣」に象徴される「武・軍事」の権能を保持されてきたのである。「三種の神器」は、日本天皇の國家統治・日本民族の指導精神の象徴である。絶対にこれを軽視したり無視してはならないと信ずる。

 

「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴してゐる。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎した筑紫の県主・五十迹手(いとて)が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されてゐる。剣は天下を平らげる武力を表してゐる。つまり、「神武」が真の平和を実現するのである。

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であると共に呪術的機能を持った神であった。弓は弦を鳴らして鎮魂する。

 

「ますらをぶり=武士道」と「剣」とは一體である。剣は殺傷の武器(いはゆる人斬り包丁)ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になってゐる。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事(これも仕へまつるといふこと)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

 

 剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事である。わが國においては武器が、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となってゐる。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はかうした信仰にある。

 

『古事記』には、神武天皇の御事績について、「荒ぶる神どもを言向(ことむ)け和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下を治(し)らしめしき」と語られてゐる。

 

神武天皇そして天皇が率ゐられる皇軍は、荒ぶる神に対しては言葉で説得して鎮魂し帰順させたが、従はない人たちに対しては武力を用いて追ひ払はれたのである。

 

これについて夜久正雄氏は、「これは、爾後の古代の御歴代天皇の行動原理となったのである。…地上を騒がせ民をまどわす『荒ぶる神』は、ことばのちからによって、なだめしたがえ…君徳に反抗する者どもは撃攘するほかない。前者はいうまでもなく宗教・文化であり、後者は武力・軍事である。つまり、文武両面にわたって國家の統一を押し進めたというので、これが建國であり初代天皇の御即位であったと『古事記』は記すのである」(『神話・傳説の天皇像』)と論じてゐる。

 

文武両面による國家統治が神武天皇以来のわが國の道統である。わが國の「國民の和と統一・政治の安定・文化の継承と興隆・すべての生産の豊饒」は、上に天皇がおはしますことによって實現してきた。

 

神武天皇は、秩序も法もなく、力の強い者が長(をさ)となった集団が跳梁跋扈し、それがまたお互ひに相争ってゐた状況を、神の御命令によってまさに「神武」を以て平定し、日本國の統一と平和を達成された。

 

夜久正雄氏はまた、神武天皇の御製について、「この民謡風軍歌のゆたかなつよい表現を、初代天皇の御歌と信じた『古事記』の傳誦者たちは、この御歌のようにゆたかにしてたくましく、おおしい人格としての天皇を思い描いたにちがいないのである」(同書)と論じてゐる。

 

歴代天皇が継承され體現された「武の精神」は、単なる「武力」ではない。それは諡号を拝して明らかな如く、「神武」であり「天武」であり「聖武」なのである。 

 

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千駄木庵日乗四月九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿校正、原稿執筆など。

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2017年4月 9日 (日)

和歌と維新

和歌の勉強をしている時が、一番心が落ち着きます。また心清められる思いがします。和歌の勉強をし、歌を詠むことが、人生の喜びであります。

 

明治維新の歴史を見ると、うたごころ・萬葉集への回帰が、日本的変革=維新の原点でありました。神武建国の昔に回帰せんとした明治維新は単なる政治変革ではありませんでした。日本の道統への回帰でした。そして日本の道統への回帰がそのまま現状の変革になるのです。「維新とは復古即革新である」とはそういう意味であると思います。

 

 ゆえに、明治維新において日本人の精神即ち『やまとごころ』の表白であるやまと歌が生まれたのです。明治維新を命懸けで戦った人々は多くのすぐれた歌をのこした。

 

明治維新は日本民族の魂の甦りです。そこにやまと歌が生まれるのは必然であります。現代における維新もやまとうたの甦りと一体であらねばなりません。

 

 愛國尊皇維新の眞心を張りつめた精神で訴えんとする時、やはり日本傳統の文學形式即ち和歌で表現されることが多かったのです。漢詩にもすぐれたものもありますが、和歌が日本人の真心を表現するのに最も適した文芸であるからでありましょう。

 

 明治維新において神武建國への回帰が新しい日本建設の基本理念になった如く、現代維新も復古即革新が基本である。日本の大いなる道と大いなる命にいかに目覚めるかが、今日の変革の基本です。

 

その意味において、現代において維新を目指す者は、明治維新を目指して戦った先人たちの志を自己自身の上に回想しわが血を沸き立たせることが大切なのだと思います。そのためにも先人たちの詠んだ詩歌を學ぶべきであります。

 

 

近代においてわが國にも共産主義革命思想が流入し、共産主義革命運動が起りました。しかし、共産主義革命運動においては、美しい日本の歌は決して生まれませんでした。共産主義革命は日本の道統を否定した変革だからでありましょう

 

民族の歴史と傳統の精神を変革の原理とする維新は、それを志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって実現します。これを復古即革新即ち維新と言います。

 

そのために日本民族の持つ清潔な精神的血統と道統を継承する文藝である和歌を學び、和歌を詠むことが大切になるのであります。

 

いにしえから傳へられた「五・七・五・七・七」という表現形式を保持しつつ、その形式によって新しき精神を表白するところの和歌が、「復古即革新」の文藝であります。

 

現代日本においても和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来てゐる民族の共同精神を表白し訴へるものとしての和歌を詠んでゐる人は少ないと思います。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではありません。維新を目指すわれわれは、和歌の力・言靈の力の偉大さを今こそ実感すべきです。

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桶谷秀昭氏の『皇室論』

 

上御一人日本天皇は、歴史的伝統性の体現者であらせられ、信仰共同体(祭祀国家)日本の祭祀主(神を祭る最も尊貴な方)であらせられる。「現行憲法」の「天皇条項」は大変畏れ多いことながら、歴史的連続性・伝統性を希薄化あるいは無視した上で「象徴」と規定してゐる。そして、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる。このことが、まことに畏れ多い申し上げ方であるが、天皇・皇族を権力の「操り人形」といふ御立場に置き奉る状況が起る原因となってゐる。「現行憲法」上の「象徴」といふ御地位が一体いかなるものであるのかも明確ではない。今日の天皇・皇室の関はる色々な事象の最大の原因はここにある。

 

上御一人日本天皇は、日本国の祭祀主であり統治者であらせられる御本質を回復するべきである。

 

「現行憲法」の第一章「天皇条項」は、伝統的な現御神・祭祀主としての天皇および日嗣の御子の御本質・日本國體の真姿を正しく表現してゐない。日本國體を正しく成文化した憲法を回復開顕すべきである。

 

現御神・祭祀主としての伝統的な天皇および日嗣の御子のあり方への回帰・天皇の御本質の復元が最も大切である。

 

桶谷秀昭氏は、「『たとへば勇気でも親切でも、私たちがさういふ抽象的な属性の<象徴>たらうとすれば、全生活をあげてそれにならうとする結果、身動きのできぬ非人間的な存在にならざるを得なくなるだらう』と言ったのは、福田恒存である。つまり、『象徴』といふ概念は、天皇を神格化しないが、非人間化を強ひるものである。天皇は一度も人間になってゐない。大衆社会のとどまることを知らない卑俗化に耐へ、なほかつ『象徴』なる規定によって非人間化を強ひられてゐるのが、今日の『象徴』天皇である。皇太子殿下が、『人格を否定するやうな動き』といはれたのは、宮内庁の中の誰かが雅子妃殿下に嫌がらせを言ったとか、いぢめたといふ次元の問題ではないであらう。だから『動き』といはれたのであらう。この『動き』は、多分、皇室の伝統や慣習とからみあって、『象徴』規定にあいまいさに無自覚な人間たちの、悪意のない非人間化の意思を指してゐるのであらう。悪意がないだけに、それは一層残酷な効果をもつのである。」(『諸君』平成十六年七月号「わざはひの根としての『象徴』規定」)と論じた。

 

この文章は、今日の状況を見事に予見してゐると思ふ。建国以来三千年の伝統を護持する事が最も大切である。皇室の御事はそこから考へねばならない。日本弱体化のために国民の皇室尊崇の心を希薄化しようとした占領政策・占領憲法にのっとった皇室論、そしてそれに便乗した左翼勢力の天皇制打倒を目的とする皇室論は厳しくこれを排撃すべきである。

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2017年4月 8日 (土)

千駄木庵日乗四月八日

午前は、諸事。

午後は、新しき仏壇の安置、室内整理など。

この後、千駄木の町を散策。桜が満開の狸山公園、須藤公園などをめぐる。

団子坂下で、地元の若き友人ご夫妻と懇談。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。

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『禁中並公家諸法度』と『現行占領憲法』

敗戦後、天皇の統治大権は連合國最高司令官の隷属下にあった。昭和二十年八月十日『ポツダム宣言』を受諾するにあたってわが國政府がアメリカに対し「ポツダム宣言の条項は受諾するも、天皇の國家統治の大権を変更するの要求を包含しおらざることの了解の下に受諾す」との最後の申し入れを行ったのに対し、アメリカのバーンズ國務長官は「天皇および日本國政府の國家統治の権限は、降伏条項實施のため、必要と認むる措置をとる連合國最高司令官の制限の下に置かれるものとする」と回答してきた。

 

「制限の下に置かれる」といふのはあくまでも日本外務省の訳語であって、英語の原文は「subject to」であり、正しい訳語は「従属の下に置かれる」あるいは「隷属の下に置かれる」である。

 

三潴信吾氏は、「(バーンズ回答は)戰時國際法に基く彼等の權利を示したものである。この『従屬』の意義を明確にすべきであって、これ、政府が國民の憎悪感を和げんとして『制限』と譯し、『日本國憲法』は單に一部機能を制限された日本の主権の下に、少なくも日米合作で制定したものの如く擬装したことは言語道断である」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。

 

また、同年九月六日付の米國政府の『マッカーサー元帥あての指令』に「一、天皇および日本國政府の國家統治の権限は、連合國最高司令官としての貴官に従属する。…われわれと日本との関係は契約的基礎の上に立つものではなく、無条件降伏を基礎とするものである。…二、日本國の管理は、日本國政府を通じて行われる。ただし、これは、そのやうな措置が満足すべき成果をおさめうる限度内においてとする。このことは、必要があれば直接に行動する機関の権利を妨げるものではない。」(桶谷秀昭氏著『昭和精神史』より引用)と書かれてゐる

 

以上の事實によって、天皇の統治大権が連合國最高司令官たるマッカーサーの従属下にあったのは明白である。ただし、この場合の「統治大権」とは『大日本帝國憲法』第四条の「統治権力」であって、信仰共同體日本の祭祀主たる天皇の御統治といふ信仰的精神的権威と御権能までが、マッカーサー連合國最高司令官の隷属下に置かれたのではない。それは、征夷大将軍が「統治権力」を行使してゐた徳川幕藩體制下においても、天皇が日本國の祭祀主としての精神的信仰的君主の権威と御権能を保持されてゐたのと同じである。

 

徳川幕府は、元和元年(一六一五)七月十七日『禁中並公家諸法度』(『禁中方御条目』ともいふ)を定めた。徳富蘇峰氏は「(『禁中並公家諸法度』は)公家に向かって、その統制権を及ぼしたるのみでなく、皇室にまで、その制裁を及ぼしたるもので、いわば公家はもとより、皇室さえも、徳川幕府の監督・命令を仰がねばならぬ立場となったことを、法文上において確定したものだ。すなわちこの意味において、武家諸法度に比して、さらに重大なる意義がある」(『近世日本國民史・家康時代概観』)と論じてゐる。

 

その第一条には、「天子諸藝能の事。第一御學問なり。」と記されてゐる。そして「和歌は光孝天皇より未だ絶えず。綺語たりと雖も、我が國の習俗なり。棄置く可からず」などとも書かれてゐる。

 

徳富蘇峰氏はこの条文について、「天皇は治国平天下の学問を為さず、ただ花鳥風月の学問を為し給うべしとの、意味にて受け取るを、正しき解釈とせねばならぬ。」(同書)と論じてゐる。

 

肇國以来、天皇の御地位は、本来成文法の規定を超越してゐる。わが日本は國家の本質と君主たる天皇の御本質が建國以来、信仰的に厳然と確立してゐる。成文憲法でそれを変革することはできない。日本天皇が日本國の君主・統治者であらせられるのは、日本の傳統信仰・歴史的な國體観念に基づくのであって、成文法に規定されてゐるからではない。つまり天皇及び皇室そしてそれを中心とする日本國體は憲法などの世俗的な法律を超越しており、憲法などの世俗の成文法は、皇室にかかはることに干渉することは本来できない。

 

成文法おいて、天皇の御事が具體的に記されたのはこの『法度』が初めてであるといふ。天皇と朝廷はこの『法度』によって幕府の制定した成文法の枠組みの中に入れられてしまった。「御學問第一」などといふことをあへて成文法化して規定した上に、日本國の君主であらせられ統治者であらせられる天皇本来の國家統治の御権限については何も記されゐないのは、天皇が「政治的権力」を有してをられない事を「成文法」として規定したものである。すなはち、「天皇は實際の政治権力には関与されず、ただ宮廷において御學問をされておればよい」と読むのがこの『法度』の正しい理解であらう。天皇の統治大権は、幕府権力によってそれこそ制限されたのである。この『法度』の實際の制定権力である江戸幕府への「大政委任」の成文法的根拠を与へた。

 

このやうに見て来ると、『禁中並公家諸法度』は、外来権力ではないが武家権力によって「制定」せられた点、およびその内容が日本國體を隠蔽してゐるといふ点において、『現行占領憲法』と似てゐる。『禁中並公家諸法度』は江戸時代を通じて一切改訂されなかったが、徳川幕府が打倒された後、まさに無効となった。『現行占領憲法』も、『禁中並公家諸法度』と同じく、講和発効・占領解除後に当然無効となってゐるべきである。

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千駄木庵日乗四月七日

午前は、諸事。

午後は、資料の整理。原稿執筆の準備。

夕刻、池之端にて、永年の友人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2017年4月 7日 (金)

「一君万民」の思想が差別をなくし國民的和合を実現する

 

「自由」とは、他人の「自由」を侵害しないところに存在するものであり、「人権」も他人の「人権」を十分に尊重するところに存在するのであり、「公平性」は勤勉さ・有能さ・善良さの上に成り立つのである。「平和」とは他人に守ってもらうのではなく自分の努力で築き上げるものである。

 

自由・人権・公平・平和もその根底に、わが國の傳統に根ざした道義精神・自主独立の精神があってはじめて正しく実現するのである。

 

ところが今日のわが國は、自國の傳統に対する誇りを喪失してしまっているから、自由とは「勝手気まま」となり、人権は「エゴイズムと欲望の充足」となり、公平よりも平等を強調し「自分より能力のあるもの・勤勉なものを引きずり下ろす精神」が横溢し、平和とは「祖國が侵略されても戦わない敗北主義」と成り果てている。これではわが國亡國への道を歩まざるを得ない。

 

しかいわが國には建國以来三千年という光輝ある歴史と傳統がある。「愚者は歴史を経験するのみだが、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。今日の國難を打開するために歴史に学ばねばならない。わが國には大化改新・建武中興・明治維新という國難を乗り切った歴史がある。その歴史に学ばねばならない。そして日本の國柄、歴史と傳統に回帰し開顕しなければならない。

 

人間を欲望充足の動物と考え、國家を権力機構・搾取機関と考えているかぎり、國家と個人は永遠にそして絶対的に相対立する関係となる。人権問題を考える場合、その根本において、人間とは如何なる存在であるのか、國家とは何かが、正しく把握されなければならない。

 

人間は絶対的にして永遠の宇宙大生命の地上における自己実現である。國家とは人々が共同して生活する精神的結合体である。ゆえに、人も國家も本来的には倫理的存在である。個としての人間は共同体なくして生きていくことはできない。歴史と傳統という縦(時間)の思想、共同体における共生という横(空間)の思想を回復しなければ個人も共同体も滅亡せざるを得ない。

 

歴史からも共同体からも切り離された個人は存在し得ない。歴史傳統の体現者であり國民統合の中心者を否定することが國家および國民の破壊をもたらすのである。

 

「人権」という言葉がこれまで左翼にからめ取られ、天皇を君主と仰ぐわが國の國柄の否定・傳統破壊の道具としてまで用いられてきた。戦後の「差別撤廃運動」はそのまま「天皇制否定運動」でもあった。しかし、天皇を君主と仰ぐ日本國体の開顕こそが、真の差別撤廃の原基である。

 

全國水平社設立の中心人物西光万吉氏の「人間に光あれ、人の世に熱あれ」のあの叫びをもう一度深く思うべきである。光のある人間を生み、熱のある世の中を実現するには、正しき人間観と國家観の確立がなされなければならない。そして西光万吉氏が主張した「高次タカマノハラの展開」(高天原が天照大神を中心に八百万の神々が同胞として生活していたように、地上においても祭祀主天皇を中心として全國民が同胞として生活する理想世界の実現)が今日においても光を放つ思想であると信ずる。

 

わが國の傳統たる「一君万民」の思想そして「天皇の民」の自覚が、差別をなくし國民的和合を実現するのである。

 

日本國の傳統的國家観・君民一体の國體を、西洋の絶対君主支配下の体制と同様なものとしてこれを排除し否定してはならない。天皇および天皇を中心とする國柄を「差別の根源」として否定することは誤りである。天皇を中心とする國柄を護っていくことによって國民としての権利・生命・福祉・安全が真に守られ尊重されるのである。

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2017年4月 6日 (木)

千駄木庵日乗四月九日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、原稿校正、書状執筆、原稿執筆など。

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故三潴信吾氏の國體論・憲法論

以前掲載した文章ですが、大事なことですので、再度掲載いたします。

            〇

平成十一年五月八日に開かれた『憲法懇話会』にて、故三潴信吾氏が「自主憲法制定の基本方針」と題して講義され、次のように語られた。

 

「吉田茂首相は自主憲法制定の意志があった。『二十八年の主権回復と共に、自由党として自主憲法制定をする』とはっきり言って、自主憲法制定の組織を作るように岸信介氏に命じた。吉田茂は憲法に手を付ける意図がなかったというのは真っ赤な嘘。高柳委員會以前に自由党の憲法調査會があった。

 

日本の祭政一致が外國人にはよく分からなかったので、祭祀は皇室の私的行事であり、國家公共機関がやってはならないとした。明治のはじめに立憲政体になった時、神祇官を太政官の下に置いたのが間違い。

 

『帝國憲法』には『万世一系の天皇が統治する』と書かれている。憲法は祖宗の皇統・國體に基づく政体規定。天皇条項は『祖宗の皇統としての天皇』を明確にすべし。美濃部達吉氏は『天皇は政体においては一つの機関だ』と言った。國體の天皇を機関だと言ったのではない。美濃部氏は戦後『帝國憲法の第一条・第二条は変えるべきはではない』と言った。憲法はステート(國家権力機関)の基礎法。ステート(権力機構としての国家)と成文憲法の拠って立つ基盤が國體。

 

西欧デモクラシーは数だけで考えるから衆愚政治になる。質をチェックする必要があるので上下両院が設けられた。衆議院は量、貴族院は質に重点を置いた。数を質で評価する機関が枢密院。宮中に内大臣府があり、天皇の大御心を基として質的柱が立っていた。

 

國會は内閣が招集し、最高裁に違憲立法審査権があるのだから、國會を國権の最高機関と言うのはおかしい。

 

皇祖皇宗へのお祭りは決して私事ではない。國家の行事としての祭祀である。

 

エンペラーの語源は最高権力者であるから天皇をエンペラーと訳してはならない。

 

英國・デンマーク・オランダという王制の國に行って『貴國は民主主義國家ではない』と言ったら笑われる。

 

現行憲法には、『帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる』とあるにもかかわらず、『日本國民は…主権が國民にあることを宣言し、この憲法を確定する』と書かれているように、天皇が公布せしめたのに國民が確定したという嘘が最初から書いてある」

と語られた。  

 

千駄木庵主人曰く。「君主制國家が民主國家ではない。君主制はやがてなくなる」という議論は現実によって完膚なきまでに否定されている。民主主義・人民を國家の名称にまで用いている國(朝鮮民主主義人民共和國)が世界中で最も独裁的・侵略的な國であり人民が貧困と飢えに喘ぎ餓死している。ロシア・支那・ラオス・イラン・朝鮮などを見て明らかなように王制・君主制を打倒した國は民主國家になるどころか全く正反対の独裁専制國家になっている。三潴先生には本当に色々貴重なこと大切なこと教えて頂いた。心よりご冥福を祈らせていただきます。

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谷中霊園散策記

本日散策した谷中霊園では、次の方々の墓所を拝した。

澀澤榮一(号青淵)  幕臣、維新後は大蔵官僚実業家第一国立銀行東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営。「日本資本主義の父」ともいわれる。漢学特に論語に造詣が深く、論語に関する著書がある。私の母校二松学舎を援助し、舎長に就任している。また私が書生をしたことがある野依秀市先生のことも援助した。

坊城俊章 幕末の公家、戊辰戦争に参加。明治期の陸軍軍人・政治家。陸軍歩兵中佐、貴族院伯爵議員。日清戦争では台湾兵站司令官として活躍。 陸軍少将、山形県知事

 

大道長安  明治期の曹洞宗の僧。救世教(熱海の救世教とは全く別)の祖。越後国(新潟県)の出身、観音信仰と在家主義に立ち、社会貢献を訴える救世主義を唱えた明治41年、長安が没すると救世教は三代まで続いたようだが、活動を主導する後継者を立てることができず消滅したという。墓所は荒れていた。

 

出羽の海秀光 第31代横綱常ノ花寛市。相撲協会理事長。本名は山野辺 寛一(やまのべ かんいち)。私の幼少の頃はこの人が相撲協会のトップ。昭和三十二年、衆議院予算委員会で日本相撲協会の在り方が追及されて改革を迫られ、心労と責任感から、同年五月四日に蔵前国技館内の取締室にガスを充満させ割腹自決を図ったが命をとりとめた。相撲好きの私には、今も印象に残っている事件であった。

有坂 成章 長州藩士。日本陸軍軍人、男爵。帝国陸軍の国産小銃を開発した。最終階級は陸軍中将。別名に淳蔵。日露戦争の旅順攻略戦、奉天開戦に貢献。

 

鶴田 皓 明治時代の法制官僚。元老院議官。佐賀藩士。東京帝国大学法学部講師。諸法典編纂に参加。「元老院議官正二位勲二等鶴田君碑 司法大臣山田顕義篆額 大審院検事三島毅撰」という石碑が建てられてゐた。三島毅は、二松学舎の創立者である。谷中墓地や青山墓地には、三島毅先生が撰文を書いた石碑が多い。

 

戸田忠至 江戸時代後期(幕末)から明治時代前期にかけての大名。下野宇都宮藩の重臣、後に下野高徳藩の初代藩主。江戸幕府若年寄でもあった。文久2年(1862年)閏814日、幕府が宇都宮藩の提出した山陵修補の建白を採用した。この頃、戸田姓に改める。同年1022日、宇都宮藩が幕府より天皇陵補修の命を受け、忠至は山陵奉行に任じられた。文久3年(1863年)121日、従五位下大和守に叙任する。元治元年(1864年)129日に大名格となり、同年712日に諸侯に加えられた。同年末までに畿内における山稜全ての補修を終了、慶応元年(1865年)925日に幕府はその功績に対し2000両を支給した。

 

重宗雄三 、昭和期の政治家、実業家。参議院議長を39年間にわたり務めた。山口県岩国市出身。佐藤・岸信介とともに長州御三家と呼ばれた。長期にわたって参院議長をとつとめ、且つ、岸佐藤兄弟と盟友関係にあったことから、大変な権勢を誇り、参議院は「重宗王国」と呼ばれた。歴史上の人物になったが、私は大学時代この人に会ったことがある。当時生長の家が参院選で重宗氏を推薦した。そして私は、当時永田町の角にあった平河ビルという政治家の事務所がたくさん入っているビルにあった重宗氏の事務所で手伝いをした。眼光の大変鋭い人であった。多くの政治家が事務所参りをしていた。その後、河野謙三氏などの反乱が起こり事実上失脚した。

竹内 綱 土佐藩士、実業家、政治家。内閣総理大臣を務めた吉田茂は五男、麻生太郎は外曾孫。明治11年(1878年)4月、前年の西南戦争にあたり、西郷軍に通謀する立志社のために小銃800丁と弾薬を手当てし、西郷隆盛らに呼応して政府転覆を企てたという嫌疑がかけられる。その結果、士族の身分を剥奪された上、禁獄1年の刑に処せられた。竹内が逮捕されたのは炭鉱経営で出張中の長崎であったが、間もなく東京の獄につながれる。その中には陸奥宗光や林有造らが含まれていた。しかし、5月の大久保利通の暗殺以後、政府は国事犯を東京に置く危険を悟って、彼らを地方に分送した。竹内は911日、新潟の監獄に護送された。明治12年(1879年)8月、満期放免となった竹内は、板垣退助が創立した愛国社の再建に取り組むことになる。翌年、愛国社は国会期成同盟に改称されたが、竹内はこの国会期成同盟を足場にして、後藤象二郎らとともに国会開設・自由民権を掲げ、自由党結成の原案を作成した。私は竹内綱の墓所が谷中霊園にあったとは全く知らなかった。簡素な墓所であった。麻生氏はお参りをしているのだろうか。

 

小平 浪平 技術者・実業家で、株式会社日立製作所の創業者。

 

小針重雄 三浦文治 琴田岩松 横山俊六 天野市太郎連名の墓 加波山事件(かばさんじけん)死刑になった人々。加波山事件とは明治七年(1884)に発生した栃木県令三島通庸等の暗殺未遂事件。過激にして急進的な自由民権運動であった。栃木県庁落成時に、民権運動を厳しく弾圧した三島通庸県令や集まった大臣達を爆殺する計画であったが、爆弾を製造中に誤爆。計画が未遂に終わると、茨城県加波山山頂付近に立てこもり、「圧制政府転覆」「自由の魁」等の旗を掲げ、決起を呼びかけるビラを配布した。また警察署や豪商の襲撃を行なった。この人々は市谷監獄で処刑されたという。

 

谷中霊園は、近代日本の歴史的人物が多く眠っている。体制側の人、そして反体制側の人が共に眠っている。

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千駄木庵日乗四月八日

午前は、諸事。

午後は、日暮里の諏方神社参拝。谷中天王寺参詣。諏訪台公園、谷中霊園、上野桜木町を散策。東叡山寛永寺参詣。

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諏方神社

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谷中天王寺釈迦牟尼仏像

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谷中霊園の桜

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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2017年4月 5日 (水)

日本共産党はソ連・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略に加担してきた

 

金正恩の暴虐ぶりはとどまるところを知らない。日本共産党・社民党・民進党左派などの亡国野党は、政府自民党やアメリカに対する非難攻撃は熱心だが、共産支那や北朝鮮の暴虐に対しては全く口をつぐんでゐる。

 

日本共産党は、あらうことか長い間、「朝鮮戦争はアメリカの侵略だった」といふ嘘八百を並べ立ててゐた。

 

『日本共産党の四十五年』といふ書物(昭和四五年八月二五日・日本共産党中央委員會出版局発行)には「アメリカ帝國主義は、(一九五○年)六月二十五日、わが國を前進基地として朝鮮への侵略戦争をはじめました」と書いてゐる。

 

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だったのである。また、日本共産党は戦後一貫して、朝鮮労働党の日本における窓口であった。

 

また、「在日朝鮮人の祖國帰還運動」にも積極的に協力した。日本共産党と北朝鮮は昭和三十四年、在日朝鮮人の北朝鮮への「集団帰還事業」をわが國政府に働きかけ實現させた。これによって、約九万八千人の在日朝鮮人(約七千人の日本人を含む)が北に永住帰國した。

 

この「集団帰還事業」について宮本顕治書記長(当時)は、朝鮮労働党第四回大會で帰國熱を煽った。つまり、日本共産党は多くの在日朝鮮人を地獄に送り込んだのだ。

 

七〇年代初頭、北朝鮮の國家保衛部は、九万八千人の在日朝鮮人帰國者たちを粛清の対象にした。絶え間ない監視と罪状の捏造によって、金日成父子冒瀆、反動宣伝煽動罪、スパイ罪をかぶせ、七三年から八〇年の間に、全帰國者の約二割を処刑もしくは政治犯収容所送りにしたといふ。

 

帰國事業では、日本共産党の有力者が、全國の「帰國協會」で「事務局長」を務め、地方党員が實働部隊となって在日朝鮮人を帰國させ、政治的には「北朝鮮に社會主義國の建設を」と宣伝した。

 

在日朝鮮人の北朝鮮への帰國に決定的な役割を果たしたのは日本共産党であった。しかるに日本共産党は自らが犯した犯罪行為に対して何の謝罪も行なってゐない。のみならず、悲惨極まる状況に陥ってゐる帰國者の救援・救出にもソッポを向き、それを妨害して来た。共産党は、昭和四十年代前半くらいまでは、北朝鮮を理想國家・天國のように宣伝してゐた。

 

日本共産党は拉致問題に関しても、平成十二年十月五日の党首討論で、不破哲三委員長(当時)らが「政府は拉致の確たる証拠を示してゐない」とか「確たる物証がなく状況証拠だけだ」などと述べた。拉致された人々は北朝鮮におり、拉致したのは北朝鮮なのである。「確たる物証」は北朝鮮にはあっても日本國内にあるはずがない。わが國の警察の捜査が及ばない北朝鮮の國家ぐるみの犯罪について、わが國の治安当局が「確たる証拠を示す」ことは殆ど不可能である。不破氏がこんなことを言ったのは、共産党が北朝鮮を擁護し拉致問題解決の意志が無かった何よりの証拠である。

 

 日本共産党は、昭和二十五年に、北朝鮮による韓國侵略=朝鮮戦争が起った時、日本において武装闘争・火炎ビン闘争を展開し、北の侵略を支援したのだ。また白鳥警部射殺事件、大須騒擾事件などを引き起こすなど暴力的破壊活動を展開した。これを後方攪乱と言う。

 

共産党員の多くは、「中核自衛隊」「山村工作隊」として、火焔ビンや時限爆弾などで武装して破壊活動を起した。さらに、日共が朝鮮総連と一緒になって、平事件・皇居前メーデー事件・吹田事件などの数多くの騒擾事件・集団暴力事件を起したことは歴然たる事実である。

 

日共の武装闘争は、北朝鮮の韓国侵略に対する後方支援であったのである。さらに言えば、ソ連・共産支那北朝鮮による日本侵略支配を目的としてゐたのである。

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千駄木庵日乗四月四日

午前は、諸事。

午後二時、千駄木にて、専門家と諸事相談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2017年4月 4日 (火)

維 新 と 和 歌

 

 

 文藝特に和歌は、常に現状を変革しよりよき状態を憧憬するものである。維新の志から生まれるのが和歌である。和歌を詠む者に維新変革への志があってこそ価値が和歌としての価値が生まれる。和歌が真に、命・言靈のあるものとなるのは、その和歌を詠む者に維新変革の意志があることによる。

 

 現状に満足し変化を望まない暮らしの中からは和歌は生まれない。命が枯渇し言靈が失われた言語が氾濫する情報化時代の現代においてこのことは重要である。

 

 維新変革には悲劇と挫折を伴う。而して詩歌とは悲願と悲劇と挫折とを謳いあげることによってその精神的・美的価値を高からしめる。

 

 維新とは懸命なる戦いであるが、単なる破壊でも暴力でもない。「あはれ」で悲しいものであるが、半面、美しいものである。また歓喜に溢れたものでもある。

 

 わが國の文學史とりわけ和歌の歴史に於いて、最も偉大なる時代は、國家の変革期である。変革期においてこそ偉大なる和歌が生まれる。日本最高最大の歌集『萬葉集』は大化改新・壬申の乱・奈良遷都という大変革を背景として生まれた。

 

 在原業平に象徴される平安朝の和歌は、藤原氏の専横への抵抗、そして当時横溢していた支那風文化への抵抗から生まれて来たと言える。後鳥羽院の覇者・北條氏の武家政治に対する戦いの時代には『新古今和歌集』が生まれた。

 

 幕末維新の時代には、尊皇攘夷を目指した志士たちの詩歌は永遠不滅の光彩を放っている。さらに東洋の解放を目指した大いなる戦いであった大東亜戦争に殉じた将兵たちの辞世の歌は、万人をして慟哭せしめる不滅の価値を持つ。このように國家変革即ち維新と和歌は不可分である。

 

 それらの歌は、なべて日本國の精神を包み込んで表白し、それぞれの時代性と変革の状況において個性を以て表現されているのである。

 

 とりわけ『萬葉集』は、日本の伝統精神の文學的結晶である。萬葉の時代は、外には朝鮮半島の問題があり、内には蘇我氏の専横があり、文字通り内憂外患の時代であった。その國難を打開し、天皇中心の新國家体制の確立をはかったのが、大化改新である。こうした時代において、柿本人麿は天皇の神聖性と日本國体の素晴らしさを美事に歌いあげたし、大伴家持は漢心(からごころ)の蔓延への抵抗として『萬葉集』を編纂した。この時代の旭日昇天の清新なる日本民族の精神は『萬葉集』に結晶されている。そして「萬葉の精神」は明治維新という大変革に大きな影響を及ぼした。

 

明治維新は、西欧列強の日本侵略の危機と徳川幕府の皇室軽視・封建支配という内憂外患を打開するため「尊皇攘夷」を基本理念として断行された大変革である。「尊皇攘夷」は、國家的危機に際会して燃え上がったところの日本的ナショナリズムを一言で表現した言葉である。

 

 幕末期の日本的ナショナリズムは萬葉の時代・建武中興の時代とりわけその時代の尊皇精神への憧憬の心と結びついていた。それが、萬葉の精神と楠公精神の謳歌である。

 

江戸時代前・中期において『萬葉集』は學問の対象ではあったが、和歌創作の規範とはならなかった。しかし幕末期の國學者たちが『萬葉集』の精神を復興せしめた。その「文藝復興」が明治維新の精神的原動力の一つとなった。

 

 民族の歴史と伝統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって実現する。これを復古即革新即ち維新というのである。

 

そのために日本民族の持つ清潔な精神的血統と道統を継承する文藝である和歌を學び、和歌を詠むことが大切になるのである。なぜなら、いにしえから伝えられた「五・七・五・七・七」という形式を保持しつつ、その形式によって新しき精神を表白するところの和歌が、「復古即革新」の文藝だからである。 

 

今日の日本も文字通り内憂外患交々来るといった状況である。こうした状況の中にあって、我々の維新の情念を伝統的な文學によって訴える「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が必要なのである。

 

現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来ている民族の共同精神を表白し訴えるものとしての和歌を詠んでいる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力というものの偉大さを今こそ実感すべきである。

 

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2017年4月 3日 (月)

千駄木庵日乗四月三日

午前は、諸事。

午後は、原稿の校正、資料の整理。

午後五時より、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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今日思ったこと

報道によると、北方領土の要塞化が急速に進んでいるという。日本の政治家がプーチンに「ウラジミール」などと呼び掛けたところで、ロシアは北方四島すら返す気はないのは明らかだ。

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東京裁判史観・自虐史観を徹底的に排除すべし

「自虐史観」とは、「米英支蘇」は善人であり悪いことは何もしなかった、日本は悪人であり悪い事しかしなかったといふ史観である。別の言い方をすれば、欧米列強の切り取り強盗し放題は許されるが、日本がやったことは防衛と自存の為の戦いであっても侵略と見なすという史観である。これは「極東国際軍事裁判」という名の戦勝国によるわが国に対する軍事的報復における一方的断罪の理由付けとなった。従って「東京裁判史観」とも言うのである。近代日本の歩み、とりわけ、明治維新から大東亜戦争敗戦までの歴史について、いかに考えるかが、今日の日本にとってきはめて重要な問題である事は言うまでもない。日本人は、「自虐史観」「東京裁判史観」と一日も早く訣別しなければならない。

 

巨大な軍事国家・全体主義国家の奴隷になるか自由民主主義の政治体制を守るかという二者択一の選択が、わが国民に迫られている。中華思想の共産支那こそ二十一世紀の人類最大の敵であると考える。わが国は、共産支那の理不尽さに対して毅然とした態度で臨むべきである。

 

このままだと、わが国は共産支那の属国になってしまう危険さえある。国家の主権・領土・独立・尊厳を固守し、正当なる主張をすることこそ、主権国家の政府としての基本的な外交姿勢である。

 

わが国には戦争犯罪人は日本には一人もいない。「戦争責任」と「戦争犯罪」とは全く異なる。東條英機氏らを裁いた「極東軍事裁判」はその名の示す通り「軍事裁判」なのであり、日本人自身による公正な裁判では決してなく戦争行為の継続であり、敵国の復讐であったのである。そこにおいて絞首刑の「判決」を受け執行されたということは文字通り戦死であり殉難である。日本には戦勝国の復讐の犠牲者・殉難者は存在しても、唯の一人も「戦犯」は存在しない。「極東軍事裁判」なるものの「判決」により処刑された方々を殉難者・戦死者として靖国神社にお祭りするのは当然なのである。

 

我々日本人が「A級戦犯」という呼称を使うことは絶対にやめるべきである。「A級戰犯」といわれる人々は、人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪した「東京國際軍事裁判」、つまり、裁判とは名ばかりの非常に野蛮で公平性を全く喪失した戰勝國による一方的な報復の場=復讐劇において、「有罪」と断罪され、「絞首刑」に処せられた人々である。わが日本においては「昭和殉難者」と称するべきである。

 

「平和と人道に対する罪=侵略戰争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」という罪名を勝手に作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した「東京國際軍事裁判」は、法の真理に照らして完全に間違ったものであった。 さらにいえば、日本に原爆を落し東京大空襲を行ったアメリカのトルーマンも戦争犯罪人として処罰されるべきだったのである。

 

戦勝国こそ「人道に対する罪」を犯したのである。 また「極東国際軍事裁判」は見せしめのためのリンチであった。そして、わが國に「侵略國家」の汚名を着せそれを全世界に宣傳したのである。 東京裁判史観・自虐史観を徹底的に排除し、不当性を主張し、歴史問題での外国の内政干渉や不当なる非難を跳ね除けなければならない。、

 

 

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千駄木庵日乗四月二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆、資料整理、書状執筆など。

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2017年4月 2日 (日)

今日思ったこと

民進党などの亡国野党と朝日新聞などの亡国メディアが、大阪の学校法人の問題で安倍政権を批判している。しかし、少なくとも志位和夫・蓮舫・小沢一郎・福島瑞穂・辻元清美・山尾志桜里・小川敏夫・長妻昭などという連中が中枢を担う政権が誕生すれば、まさに日本は亡国です。そんな政権より安倍政権の方がましであることは火を見るよりも明らかです。

安倍政権には大きな不満があります。歴史問題・憲法問題に対する姿勢はもう少ししっかりしてもらいたいと思います。しかし、今の野党に政権を渡してはならないということは自明であります。

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天之御中主神は天地生成の根源神であるとともに萬物・萬生包容の神である

天之御中主神は天地生成の根源神であるとともに萬物・萬生包容の神である

 

 日本傳統信仰・神ながらの道は、<神と人との合一><罪の意識の浄化>を最高形態としてゐる信仰である。

 四季の変化が規則正しく温和な日本の自然環境は、自然を友とし自然の中に神を観る信仰を生んだ。日本民族は、天地自然を神として拝む。神は到る処に充ち満ちてゐると信じてきた。自然は神の命の顕現である。

 

 日本の神とはいかなるものか。本居宣長の『古事記傳』には次のやうに書かれてゐる。「凡て迦微(カミ)とは、古御典等(イニシヘノフミドモ) に見えたる天地の諸(モロモロ)の神たちを始めて、其(ソ) を祀(マツ)れる社に坐御靈(イマスミタマ)をも申し、又人はさらにも云鳥獣(トリケモノ) 木草のたぐひ海山など、其余何(ソノホカナニニ) にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて、可畏(カシコ) き物を迦微とは云なり」と。

 

 宣長は「尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏(かしこ)きものが神である」と定義してゐる。「可畏し」といふ言葉の意味は、おそれおおい、もったいない、貴い、はなはだしい等々であらうが、それらを総合したやうな感情において神を考へるといふことであらう。日本民族は、天地自然に素直なる感動と畏敬の念を持ち、天地自然を神として拝んだのである。また、死者の靈も神として拝んだ。そこが一神教の神観念とは大きく異なる。

 

それでは、日本民族の神観念と一神教の神観念とは全く相容れないかといふとさうではない。日本人の神観念には、「神はこんな形だ」という一定の相形(すがたかたち)はない。神は無限である。だから、神はありとあらゆる姿に現れる。神は無相であると共に無限の相たり得るのである。日も月も山も海も大木も風も水も神として拝まれる。神は本来が無相であり無限であり、どんな姿にでも現れ、我々を護りたまふのである。さうした神々の根源神として「造化の三神」がましますのである。日本の神は「多即一・一即多」のお姿をあらはされる。

 

『古事記』冒頭には、「天地初發の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示され、「天地の生成の本源神」たる天之御中主神の次に高御産巣日神、神産巣日神の名が示されてゐる。そして「この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

 

「造化の三神」が「天地初發の時、高天原になりませる神」(天地宇宙の生成と共になりませる神)と仰がれてゐるのは、「造化の三神」が天地宇宙開闢以来天地宇宙と共に存在する神、天地宇宙の中心にまします根源神であるといふことである。「造化の三神」は、被造物(つくられたもの)とは全然範疇の異なる存在・被造物と対立する存在たる「天地創造神」ではないのである。

 

天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神は、独神(ひとりがみ)すなはち“唯一神”であり、宇宙の根源神である。この「造化の三神」は、宇宙根源神・絶対神の「中心歸一」「多即一・一即多」「むすび」の原理を神の名として表現してをり一体の御存在である。

 

また、「宇摩志阿斯与訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)」「天常立神(あめのとこたちのかみ)」の二柱の神も「みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されている。「國之常立神(くにのとこたちのかみ)」「豊雲野神(とよくもぬのかみ)」も「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

計七柱の神は、天地宇宙の萬物萬生の普遍的根源神であるから、特定の個別化されたお姿を現されることはなく御身を隠されるのである。だから、「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐるのである。七柱の「独神」がをられるのは、唯一神の多くの働き・性格を「神名」によって表現していると解釈できる。「多即一・一即多」である。

 

影山正治氏は、「古代の日本人は萬ものを神に於て理解しようとした…神は無數であって八百萬の神である。しかし萬神一に歸すれば天之御中主神であって、決して云ふ所の低い庶物崇拝ではない…萬物を『いのち』に於て把握し『神』に於て理解する日本人の宇宙觀はまことに比類なきものと云はねばならない。日本に哲學なしなどゝ考へるのはとんでもない間違ひで、人類今後の思考の哲学はまさにこの日本神話の根源から發するものである」(『古事記要講』)と論じてをられる。

 

天之御中主神は、天地生成の根源神であられるが、「唯一絶対神」として他の神々をと対立しその存在を許さない神ではない。八百万の神即ち天地の神々を包容される神である。

 

天之御中主神は、<一即多・多即一>の神であり、最高の根源神であるとともに萬物・萬生包容の神である。無限の可能性を有する大いなる宇宙主宰神・宇宙本源神が天之御中主神である。八百萬の神々は天之御中主神が無限の姿に現れ出られた神々である。

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千駄木庵日乗四月一日

午前は、諸事。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターで『アジア問題懇話会』開催。澤英武氏が司会。松本彧彦氏(日台スポーツ・文化推進協会理事長)が「日台草の根交流の五十年」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。資料の整理。

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