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2017年3月17日 (金)

「一切は大御心のまにまに」が、臣下國民のあるべき姿勢である。立法府と行政府はこのことを正しく認識すべきである。

今上天皇が「祭」について詠ませられた御製を掲げさせていただきます。

 

平成二年

大嘗祭

父君の にひなめまつり しのびつつ 我がおほにへの まつり行なふ 

 

平成十七年

歳旦祭
明け初むる 賢所の 庭の面は 雪積む中に かがり火赤し

 

これらの御製は全て、皇居のおける祭祀の御事を詠ませられている。宮中三殿において、天皇のみ祭りが行われている。皇居は、明治維新前までは、徳川将軍家の居城であったとしても、今日は、まことに以て神聖不可侵の聖域である。

昭和三十四年四月十日、当時中学一年生であった私は、テレビで中継されていた宮中三殿賢所において執行された「結婚の儀」を拝した。その荘重さ、神々しさに感激したことを覚えている。

 

日本は、二十一世紀を迎えた今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現實の國家元首と仰ぎ、國家と民族の統一の中心として仰いでいる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限り続くであろう。

 

こうした事實が、西洋諸國やシナと日本國との決定的違いである。わが國が、長い歴史を通して様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。日本という國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、激しい変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇であらせられる。

 

皇位継承は國家と皇室の最も大事な事柄である。権力機構としての國家ではなく、信仰共同體・祭祀國家日本の根本問題である。権力機関たる行政府や立法府で方向性を決めてしまうべきではない。

 

皇位継承など皇室に関わる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。天皇は、神代以来の傳統の継承者・體現者であらせられる。天皇陛下の大御心に帰一すべきである。天皇の大御心は絶対に「恣意」ではない。

 

祭政一致のわが國の傳統においては、天皇の仰せごとは即ち神のご意志であり、民が守らなければならない「法」なのである。天皇の上に「法」があるなどといふことは絶対にあり得ないしあってはならない。天皇の仰せごとを「おほみことのり」と申し上げる。天皇の大御心は、日本国における最高の「のり」即ち「最高の法」なのである。

 

天皇國日本の「法」の尊厳性は、「みことのり」「天皇の仰せごと」といふところにある。天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威によるのである。

 

また、天皇の正統性は成文憲法によるのではない。まして、日本弱体化・伝統破壊の目的で戦後戦勝国によって押し付けられた「現行占領憲法」によるのではない。

 

現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。皇位継承・天皇御譲位・皇室典範改正など皇室に関することは、國家の権力機構である立法府・行政府で決めるべきではなく、最終的には、天皇陛下の「大御心」に遵うべきである。

 

『承詔必謹』が日本國民の道義精神の根幹である。天皇國日本存立および日本國民の倫理精神の基本は、天皇の「御稜威」と國民の「尊皇精神」である。神聖君主・日本天皇の「大御心」に対し、臣下國民が「清らけき心」「明けき心」で随順し奉ることが、日本國體の基礎であり、日本國民の倫理精神の根幹である。

 

旧『皇室典範』は、明治天皇が裁定され、制定された。即ち勅定である。議會や政府が定めたのではない。皇室に関わることは、輔弼の臣の節度ある建言は許されるとしても、すべて「大御心」を根幹にすべきである。「一切は大御心のまにまに」が、臣下國民のあるべき姿勢である。立法府と行政府はこのことを正しく認識すべきである。

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