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2017年3月27日 (月)

今日こそ、「やまと歌・言霊の復活」・「国風文化の復興」が大切である

「やまとうた(和歌))は、日本の最も純粋にして最も固有な文藝である。「やまとうた」は、「まつりごと」から発生した。日本では太古から、天地自然との中に生きてゐる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈る「まつりごと」が行はれてきた。その「まつりごと」において祭り主が神憑りの状態で「となへごと」が発した。それが度々繰り返され一定の形をとるやうになったのが「やまとうた」(和歌)の起源である。

 

「和歌」は、「漢詩(からうた)」に対して用いられた言葉である。「やまとうた」といふ言葉を意識的に用い出した人は、紀貫之(平安前期の歌人、歌学者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文学の先駆とされる『土佐日記』の作者である。加賀介、土佐守などを歴任。醍醐天皇の勅命で『古今和歌集』撰進の中心となり、「仮名序」を執筆した)である。

 

和歌は、大化改新・白村江の戦・壬申の乱が起った国家激動の時代における『萬葉集』、平安時代の国風文化復興期における『古今和歌集』、後鳥羽上皇の承久の変における『新古今和歌集』といふやうに国家意識の勃興と切り離せない。

 

大化改新の後、天智天皇二年(六六三)に白村江の戦ひがあり、國家意識・愛國心が燃え上がった。かうした時代において、柿本人麿は天皇の神聖性と日本國體の素晴らしさを神話的発想でうたひあげた。そして、大伴家持は支那文化が流入する時代にあって日本固有の文化を謳歌すべく『萬葉集』を編纂した。この時代の旭日昇天の清新なる日本民族の精神は『萬葉集』に結晶されてゐる。

 

古代から現代に至る日本人の思想精神を正確にあるがままに自己にものとするには、いにしへの人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた「和歌」を詠むことによって可能となる。

 

三島由紀夫氏は『古今和歌集』について、「ぼくは日本の文化というものの一番の古典主義の絶頂は『古今和歌集』だという考えだ。…ことばが完全に秩序立てられて、文化がそこにあるという考えなんです。あそこに日本語のエッセンスが全部生きているんです。そこから日本語というのは何百年、何千年たっても一歩も出ようとしないでしょう。…あとどんな俗語使おうが、現代語を使おうが、あれが言葉の古典的な規範なんですよ。」(『守るべきものの価値』)と語ってゐる。

 

明治天皇は

「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」「天地をうごかすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな」

「まごころをうたひあげたる言の葉はひとたびきけばわすれざりけり」

と詠ませられてゐる。

 

和歌は決して遊びごとでもないし単なる美辞麗句を連ねたものでもない。まさに「まごころをうたひあげたる言の葉」なのであり、「世の中のことあるときによみいでる」ものなのであり「天地をうごかす」力を持つものである。神代の昔に発生し日本の道統を継承する最高の文藝が和歌である。

 

本居宣長は「もののあはれを知るといふことをおしひろめなば、身ををさめ、家をも國をも治むべき道にわたりぬべきなり。…民のいたつき、奴のつとめをあはれとおもひしらむには、世に不仁なる君はあるまじきを云々」(『源氏物語玉の小櫛』)と論じてゐる。

 

宣長は「もののあはれを知る」心が日本人の道義精神の原理であり、さらには政治の原理であるとしてゐるのである。天皇が和歌を詠ませられると共に、『勅撰和歌集』の撰進が行はれたのは、まさに御歴代の天皇が「もののあはれを知る心」を養ひたまふことを國家統治の基本とされてきた事を証しする。

 

和歌は天皇・皇室を中心に継承されて来た。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。天皇の國家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の國家御統治と一體である。

 

天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されてきたのである。

国難の時期である今日において「勅撰和歌集」が撰進されるべきである

 

阿部正路氏は、「日本の伝統の最もはれはてた現代にこそ新しい真の意味での勅撰集が編まれるべきではないだろうか。それが具体化するかどうかに、日本の伝統の意志の行方が見定められることになるのだと考える。…勅撰集に明らかに見ることのできる、一系の天皇の、和歌に対するゆるぎない信頼の中においてこそ《悠久》の世界を具体化し得たのであった」(『和歌文学発生史論』)と論じてゐる。

 

国難の時期である今日において、まさに、「国風文化」が復興しなければならない。大化改新といふ大変革・壬申の乱といふ大動乱の時に『萬葉集』が生まれ、平安中期の国風文化勃興の時に『古今和歌集』が生まれたやうに、畏れ多いが、国難に晒されてゐる今日において、偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきであると信ずる。それが言霊の復活であり、世の乱れを正す大いなる方途である。

 

やまと歌は、君民一体の國體の基本である。やまと歌を詠むことは政治や行政に潤ひを与へると共に真の大和心を興起させる基である。今日の官僚・国会議員などにも、「歌会始」の際、和歌か漢詩を詠進させる制度を設けるべきではないか。

 

日本人の魂は、今、よすがなく彷徨っているやうに思へる。さまよへる魂を鎮め、鎮魂し、再生させる事が必要である。それは、言霊が籠り、天地(あめつち)を動かし目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせる「やまとうた」の復活によって実現すると信ずる。やまと歌・言霊の復活が大切である。今日においてまさに「国風文化」が復興しなければならない。

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