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2017年3月 3日 (金)

日本の伝統的倫理精神と「教育勅語」

明治維新以後暫くの間、わが国の教育理念や教育体制が正しく確立してゐなかったと言はれる。明治天皇は、「欧化」「殖産興業」の国策を実現するために重視されてゐた「知育・生産技術教育偏重の教育」「漢学・国学の軽視・洋学偏重」を憂いたまい、日本の教育精神・倫理の根本は「忠孝精神にある」との大御心によって『教育勅語』を渙発あそばされた。

 

 

明治天皇は、明治十一年八月から十一月にかけて、東北・北陸、北海道を巡幸あそばされ,学校教育の實滋養を視察された。そして、徳育面が欠けていることを実感されたと承る。明治十二年、侍講代(天皇・東宮に学問を講じた官職)・元田永孚(えいふ・ながざね。日本の武士・熊本藩士、儒学者。男爵。大久保利通の推挙によって侍講となる)に、少年少女の勉学に資する道徳書の編纂を御下命になり、同十五年『幼学綱要』を著した。これは全国の学校に配布された。

 

明治十九年十月、明治天皇は東京帝国大学を視察された。小生の母校・二松学舎の浦野匡彦理事長が入学式の時に必ず言われた言葉を思ひ出す。「明治陛下が当時の東京大学を御視察あそばされた時、『一体日本の学問はどこにやるのか』とご下問があった。当時の文部省学校当局は慌てふためいて、東京大学に古典学科を作ったのであります」。

 

 明治二十年代の初めに確立されたわが国独自の近代国家体制は、政治の面では「大日本帝国憲法」によってその基礎が置かれた。他方、国民道徳の面からこの体制の支柱として位置づけられるのが「教育に関する勅語」(教育勅語)である。

 

「教育勅語」が発布されると、やがて国民道徳および国民教育の基本と位置付けられ、国家の精神的支柱として重大な役割を果たすこととなった。

 

『教育勅語』には、「…我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」と示されている。

 

日本人の倫理・道徳の根本とはわが國においては、私心をなくして天皇と親にお仕えすること即ち「忠孝精神」が、日本人の理想の姿として傳えられてきた。

 

「忠」の字義は、意味を表す「心」と、音を表す「中」からなる形声字(意味を表さないで単に「音」だけを表す文字と、その字の意味そのままに用いた字を二つ合わせて一字にしたもの)である。「中」の表わす意味は「中空」。己の心を空しくして他人のために盡す心の意である。

 

「孝」は、意味を表す「老の省略形」と、音を表す「子」(カウ)からる形声字。「子」の音の表わす意味は「養う」意である。つまり親によく仕える意である。即ち、忠も孝も、己を空しくして君と親に仕える精神である。

 

天皇・両親に私心なくお仕え申し上げる心を汚れのない「きよらけき心」、暗いところのない「あきらけき心」、別の言葉で言えば、「心の清さ・いさぎよさ」が尊ばれた。これを「清明心」という。

 

「清明心」は「記紀」の神代の巻特に天照大神と須佐之男命が会見されるところに多く出てくる。天照大神は須佐之男命にその心の正しく清らかなことを知りたいとおぼし召されて、「然(し)からば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にして知らまし」と仰せになられた。

 

「清明心」は、「記紀」の世界では須佐之男命の御精神であり日本武尊の御精神である。「清明心」の体現者が須佐之男命であらせられ日本武尊であらせられる。

 

天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。

 

日本國民は古来、「清らけく明らけく」(清明心)を最高の価値として来たのである。清々しく明るい日本民族精神は、天皇の神聖性を讃嘆し、その大御心に従ひ奉る精神なのである。

 

「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の基本的な道徳観念である。日本人は、「あいつは悪い奴だ」といはれるよりも、「あいつは汚い奴だ」といはれる方を厭ふ。わが國においては善悪よりも清いか汚いかが道徳基準となる。

 

日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。「私」を去り「我」を没することを大切にしている。

 

清明心即ち「あかき心」「清き心」は仏教や儒教が輸入される以前からわが民族のあるべき心とされてきた。それは長い歴史の流れの中で自然につちかわれてきた傳統なのである。天皇が地上における神の御代理即ち現御神であらせられるということは、天皇が無私・無我となって神を祭られる祭祀主であらせられるということである。

 

この日本民族の傳統的倫理観念の精髄たる「清明心」は、古代においては『宣命』(宣命体で書かれた詔勅)における「明き浄き直き心」、中古においては「もののあはれ」、中世においては「正直」、近世においては「やまとたましひ」として受け継がれてきた。これは別の言葉で言えば、「捨心無我」であり、岡潔氏の言った「日本的情緒」である。

 

こうした日本伝統精神が示された『教育勅語』を、青少年に正しく教えることは誠に大切であると考える。

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