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2017年3月 6日 (月)

教育において「人の命・自然の命を拝ろがむ精神」を涵養することが大切

 

学校で人命に関わる事件が起こると、「学校長が全校集会で゙人の命の大切さ゛を改めて生徒たちに教えた」などと報道される。 

 

「人の命を尊ぶ心」は、人間が単なる物質的な存在であるとする唯物論からは絶対に出て来ない。「戦後教育」は、唯物論を本旨とするマルクス・レーニン主義勢力=左翼教員組合によって牛耳られ、学校教育の場において戦後一貫して唯物論教育が行なわれてきた。その結果が、現在の惨状である。

 

旧ソ連・共産支那・北朝鮮・カンボシアなどの共産国家による自国民殺戮および対外侵略を見れば火をみるよりも明らかである。また、わが国内においても、共産主義者集団による武装闘争・リンチ・テロによる殺戮は凄まじいものがあった。

 

共産主義者・唯物論者というかイデオロギーにとりつかれた人間がいかにひどい人格・人間性の持ち主になるかは、これまでの歴史が証明している。二十世紀はマルクス・レーニン主義、スターリン主義、毛沢東思想という「イデオロギー」の残酷な実験場だった。その実験場において幾千万という人間が「実験動物」として殺されたり、殺し合いを行ったのである。

 

人の命の尊厳性を子供たちに正しく教えるには、唯物論を否定し、神仏を尊び人間生命の永遠を信じる「宗教的情操を涵養する教育」が正しく行なわれなければならない。ところが、戦後日本においては、まともな「宗教教育」が行われて来なかった。

 

しかしながら、古代から今日に至るまで宗教戦争によって多くの人命が奪われてきたことも事実である。こうしたことを考えると、宗教教育・宗教心の涵養とは言っても、宗教なら何でもいいというわけには行かない。教育の場において、正しい宗教観を子供たちに植えつけ、間違った宗教にとりつかれないようにすることが必要である。

 

正しい宗教精神の涵養によって、人の命の尊さを分からせることができるだけでなく、人の命だけでなく、自然の命、そして亡くなった人々すなわち先祖を尊ぶ心も養われるのである。「人の命・自然の命を、神として仏として拝ろがむ精神」が大切である。そして、人としての生きる道、踏み行うべき道を指し示すことができるのである。

 

「宗教教育」は、特定の教団の教義を強制的に子供たちに教えることではない。わが国生成以来の国民信仰であるところの神道、そして長い歴史の中で日本に包摂され高度なものとなってきた日本儒教や日本佛教などの宗教精神を、学校教育の場で正しく子供たちに教えることが「宗教教育」である。それによって人の命の尊さを分からせることができるだけでなく、人としての生きる道、踏み行うべき道を指し示すことができるのである。

 

さらに、正しい宗教精神の涵養によって、人の命だけでなく、自然の命、そして亡くなった人々すなわち先祖を尊ぶ心も養われるのである。「人の命・自然の命を、神として仏として拝ろがむ精神」が大切である。

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