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2017年3月24日 (金)

「明き淨き直き誠の心」がわが國の道義心の根本

私は以前、約二週間ほど「中国大陸」を旅した。その旅行で実感したのは、支那人は「衛生観念」と「羞恥心」が希薄であるといふことである。南京に行った時、日本で言へば国民宿舎のやうなところに泊まったのだが、廊下の痰壷の上に「痰壷に糞をするな」と書いた「張り紙」があった。かういふ「張り紙」があるといふことは実際に痰壷に大便をする人がゐるといふことである。衛生観念と恥を知る心があればさういふことは出来ない。

 

また、町の食堂に行ってトイレに入ると、トイレの床に小麦粉か何か食材が入った袋がたくさん積んであった。また日本でも名が知られ、観光客が多く訪れる施設のトイレに扉が無い事が多かったし、トイレットペーハーも無かった。

 

支那人が衛生観念に乏しいのは、漢民族の文化の中心は半乾燥地帯のといふべき黄河流域や長安付近だったから、高温多湿の地ほどには病原菌の蔓延りが少ないからだといふ説がある。しかし、「羞恥心があるかないか」は、気候とは関係あるまい。ともかく、日本では考へられないことだ。

 

また、支那は「張り紙」が多いが「標語」も多い国である。「張り紙」や「標語」が多いといふことは、そこに書かれてゐることが実行されてゐないといふことでもある。「小便すべからず」という張り紙があるのは小便をする人がゐるからである。「毛主席万歳」「中国共産党万歳」といふ「標語」が多いのは、腹の底でさう思ってゐない人が多いから、「標語」を掲げなければならないのである。國民党独裁体制下即ち「中国人」によって支配されていた時代の台湾も「標語」が多かった。「総統万歳」「光復大陸」「実践三民主義」といふ標語が其処彼処に掲げられていた。

 

また、政府や国民党関係の建物の中には孫文の言葉である「天下爲公」といふ言葉が多く掲げられてゐた。

 

司馬遼太郎氏は次のやうに論じてゐる。「いま台北にいる。…歩道に段差が多く、あやうく転びそうになった。歩道は公道なのだが、どの商店も、自分の店の前だけは適当に高くしている。高さに高低がある。『"私〟がのさばっていますな』と、冗談をいった。中国文明は偉大だが、古来、"私〟の文化でありつづけてきた。皇帝も"私〟であれば大官も"私〟だったし、庶民もむろんそうだった。"私〟を壮大な倫理体系にしたのが、儒教であった。孝を最高の倫理とするのはみごとだが、孝は身の安全と家族の平穏ということのみの願望になりやすい。

「近代中国の父」といわれる孫文は、このことをなげいた。書をたのまれると、『天下為公』(天下をもって公となす)と書いた。また、その著『三民主義』の冒頭にも、"中国人は砂だ、にぎってもかたまらない〟といった。"公〟という粘土質に欠けていることをなげいたのである。」(「風塵抄ー台湾で考えたこと(1)公と私」全集六六)

 

支那の権力者は国家さへ私物化した。だから「天下爲公」といふ「標語」を掲げざるを得なかったのである。それは国民党だけではない。今日の「中国共産党」も同じである。毛沢東は中国といふ國を私物化し多くの同志・国民を虐殺した。今日の習近平も同じだ。

 

日本人は「無私」を尊ぶ。「清明心」を尊ぶ。それは古代よりの「自己を無にして神にまつろふ」といふ神への祭祀が日本文化の根底にあるからである。子に日祭り主・日本天皇であらせられる。一切の私利私欲を禊祓ひ去って生成の根源に回帰する行事が日本伝統信仰の「祭祀」である。「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ことである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇はその最高の実行者であらせられる。天皇の「祭祀」とそれに伴ふ「天皇の無私の大御心・神聖性」が日本國民の道義の規範なのである。天皇の祭祀を国民が「神習ふ」ことによって、世俗の穢れや罪を清め続けてきたのである。まさに日本民族は「本是神州清潔之民」なのである。

 

支那や南北朝鮮など諸外国と比較して、日本くらい政治家・官僚の権力の私物化・権力を利用した私益の追求を嫌ふ国はないのではなからうか。今の大阪の学校法人の問題での大騒ぎを見て本当にさう思ふ。支那や朝鮮の政治腐敗・権力の私物化と比較したら天と地、月とすっぽんの違ひがあるあるのに、この世の終りが来たように騒いでゐる。国会では証人喚問まで行はれた。

 

「明き淨き直き誠の心」がわが國の道義心の根本であることはまことに大事である。「本是神州清潔之民」は日本人の偉大なる長所である。しかし、長所は逆に短所ともなり得ると言はれる。内外情勢が大変な危機にある時に、民進左派・共産社民両党そして亡国メディアによる「日本人の潔癖性」を利用した政治の不安定化策謀には十分に警戒しなければならないと思ふが如何であらうか。

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