« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »

2017年3月31日 (金)

この頃詠みし歌

          

 

わが母は我の手を握り眠りたまふいかに愛しきその寝顔かな

 

眼もうつろになりたまひたるわが母をなすすべもなく見つめゐるのみ

 

点滴も酸素吸入も効果なくつひに逝きたりわが母上は

 

全くも意識なくなりしわが母のみ顔に近づき声かけてゐる

 

肉体はよし滅びても魂はとことはなりと母を祈れり

 

素晴らしき安住の地にわが母はのぼりましたり春浅き日に

 

父も母もこの世を去りて我一人生きてゆくなりさみしけれども

 

食欲が減退してゆくわが母に不安の思ひをつのらせし日々

 

先祖の御霊に経誦しまつり今日もまた我のひと日は終らむとする

 

九十七歳を目前にして逝きませし母の生みし子は古希迎へたり

 

七十歳となりにし夜に九十七歳で逝きたる母の御霊拝ろがむ

 

我を生み育てたまひしわが母の御霊拝ろがむ古稀迎へし日

 

彼岸会に父母の御霊の前に座し經誦しまつる静かなる時

 

母の友が二人来りて花を供へ手を合はせくれし春の朝かな

 

春風が吹き来る丘に鎮まれる四宮家の墓に花供へたり

 

春彼岸先祖の墓に手を合はせ御守護を祈る時清々し

 

春の風に紫煙流るる墓所の前先祖の御霊に祈り捧げる

 

春の雨やわらかに降る町を歩み母を恋ほしむ心切なり

 

わが父と同じ戦地で戦ひし宮柊二氏の歌を讀みゐる

 

通ひ行きし施設にはもう母は居まさずわが部屋に白き骨壺がある

 

事務的に臨終を告げる医師の言葉聞きつつ無念の思ひ湧き来る

 

永遠に生きたまへといふわが祈り空しくなりし二月二十六日

 

父母の御霊は永久に生きたまひわれを守らすと信じ生き行く

 

佳き人よりの便り有難し母の逝去を悼みてわれを慰めくれぬ

 

            ○

百薬の長と気違ひ水との価値判断どちらも真実と思ひつつゐる

 

部屋内に積み上げられし雑誌新聞如何にせんかと溜息をつく

 

キャンキャンと声張りあげるをみなあり蓮舫といふ厭はしきかな

 

空見上げわが町に銭湯の煙突がなくなりし事をさみしみてをり

 

はるかなる過去となりたり郡上踊り見つつ過ごせし旅の思ひ出

 

さみしげな響きに聞こえし郡上踊り歌の友らと聞きし思ひ出

 

エスカレーターで登り来たりし丘の上小さき美術館を経巡りてをり(泉屋博古館分館)

 

すれ違ひし知り人は気が付かぬふりをして去り行きにける地下鉄のホーム

 

朝日影まぶしく光るを仰ぎつつ祝詞唱ふる朝清々し

 

窓の外に鳥が来ることなくなりてややにさみしき思ひするなり

 

爽やかに生きたきものを人の世の荒波激し昨日も今日も

 

佳き人の握りし寿司を頬張りて今日のひと日の喜びとする

 

渇きたる日々続き来て雨降ればわが心こそうるほひにけり

 

パス待てどなかなか来ない夕暮にベンチに腰掛け人通りを見る

 

待てば必ずバスは来たるに何とてか焦る心を持て余しゐる

 

久しぶりに会ひたる友と春の日の下で楽しく語らひにけり

 

春の日の光あまねき神苑に友と語らふひと時ぞ良し

 

靖國の宮の館の講堂で般若心経を誦する不思議さ

 

若き僧侶が靖國の宮で講演す山岡鉄舟を語らむがため

 

何となく心しほれて過ごしゐる夜のしじまの温風機の音

 

愛らしき幼子の笑顔の汚れなさわが腹を叩き喜びてゐる

 

幼子の無垢なる笑顔を見つめつつ新しき命を寿ぎてゐる

 

汚れなき幼子の笑みは疲れたる我の心を慰めくれる

 

幼き命これからこの世を生きてゆく幸多かれとただに祈れり

 

春の雨降りしきる夜にタクシーを待てど来らぬ春日町の角

 

春雨に濡れて歩めば昔見し芝居の台詞を思ひ出しをり

 

あざやかな新国劇の大殺陣を父上と見しは半世紀前

 

父上に連れられ行きし明治座で新国劇を見し遠き思ひ出

 

浜町明治座島田辰巳の立ち回り今も鮮やかに目に浮かび来る

 

今日もまた机に向かひものを書くわが生活は恙なくして

 

新しき朝日の光眩しくてわが身を照らすさきはへの時

 

チュチュチュチュと鳴き声立てて小さき木に群がる雀を愛ほしみつつ見る

 

春の日の巷の樹木にチュチュと鳴く雀の群れの愛ほしさかな

 

三分咲きの桜の木々を眺めつつ谷中の町を急ぎ歩めり

 

春の風そよそよと吹く真昼間に友と語らふひと時ぞ良し

 

懐かしき人々の顔が浮かび来る早春の日の午後のまどろみ

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月三十一日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、室内整理、原稿執筆の準備、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

政治文化情報』平成二十九年四月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十九年四月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十九年四月号(平成二十九年三月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

神祭りー日本人の信仰精神と現代の救済

 

神祭りは日本傳統精神の原点

 

「新嘗祭」について

 

『東歌』に詠まれた新嘗祭

 

女性は穢れがあるから祭りをしてはならないといふ考へは日本の傳統とは異なる

 

天皇を祭祀主とする祭祀共同体が日本國の本姿である

 

自然の中に神の命を拝ろがむ心、祖先の霊を尊ぶ心が日本人の基本的信仰精神

 

 

千駄木庵日乗

加瀬英明氏「私は、ミズーリ艦上に立った時の父の思いを自分の思いとして今日までやって来た」

 

高原明生氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授、公共政策大学院副院長)「発展段階にある中國は、富國強兵、富民強國のパラダイムにとらわれている。一日も早くそういう状況から脱してほしい」

 

汪錚氏(シートンホール大学平和と衝突研究センターディレクター、ジョン・C・ホワイト外交國際関係大学院准教授)「歴史の誇り、歴史のトラウマ、選民意識の三つが、中國の政治外交に大きな影響を及ぼしている」

 

呂暁波氏(コロンビア大学政治学教授、バーナード校政治学部主任)「日本などの東洋には恥の文化がある。西洋には罪の文化がある。永遠に忘れないものを選んでいる」

 

劉傑氏(早稲田大学社会科学総合学術院教授)「中國は被害・抵抗・勝利・革命の歴史。中國は、近代化の歴史は語られていない。中國は阿片戦争以降の歴史をずっと語っている」

 

ケント・E・カルダー氏(ジョンズ・ホプキンス大学高等國際問題研究大学院SAIS、エドゥィン・O・ライシャワー東アジア研究所長)「マクロ的に見ると、世界は深いところから変わりつつある。南シナ海の緊張はグローバルを要素としている。ヨーロッパに大きな変化が起こっている」

 

湯浅博氏(産経新聞特別記者)「日本は中・露・北朝鮮という核を持っている國に囲まれている。ロシアは傳統的に拡張主義。専守防衛では日本は守れない」

 

 

母への挽歌

| | トラックバック (0)

折本龍則・坪内隆彦・三浦颯の三氏が提出した「今上陛下の御譲位の件に関する要望書」

折本龍則・坪内隆彦・三浦颯の三氏が提出した『要望書』を掲載いたします。

〇 

 

今上陛下の御譲位の件に関する要望書

 

昨今における今上陛下の御譲位の問題に関して、安倍内閣は一代限りでの譲位を認める特例法を制定する方針を固めた。しかしこの政府方針は、二つの重大な問題を内包している。

 第一に、陛下は御譲位について一代限りではなく、恒久的な制度化を思召されているということだ。陛下による昨年八月八日の「おことば」を素直に拝聴すれば、それが将来の天皇を含む「象徴天皇」一般の在り方について述べられたものであることは明らかである。第二に、譲位を一代限りで認める特例法は、現行憲法第二条で、皇位は「国会の議決した皇室典範の定めるところによる」とし、さらにその皇室典範の第四条で、皇嗣の即位は「天皇の崩御」によるとする規定に違反する。

 本来、我が国の皇位は「天壌無窮の神勅」に基づき、現行憲法が規定するような「主権者たる国民の総意」に基づくものではない。したがって、皇室典範は憲法や国会に従属するものではなく、皇位継承の決定権も、一人上御一人に存する筈である。しかしながら、その上御一人であらせられる陛下が、現行憲法の遵守を思し召されている以上は、この度の御譲位も憲法の規定に従う他なく、それに違反する政府方針は御叡慮を蔑ろにするものといわざるを得ない。

 もっとも政府は、衆参両院における与野党協議の結果、皇室典範に附則を置き、そこで特例法と典範は一体であることを明記することで憲法違反の疑義を払拭し、典範改正による譲位の恒久的制度化を主張する野党との政治的妥協を図ったが、肝心なのは、与野党間の政治的合意よりも、御譲位における最終的な当事者であらせられる陛下が、その特例法案を御嘉納あらせられるかという事である。

安倍首相以下、我々国民の義務は承詔必謹、ただ陛下の御主意に沿い奉り、御宸襟を安んじ奉ることにのみ存するのであって、一度発せられた陛下のお言葉を歪曲する様な行為は絶対に慎まねばならない。特に、この度における御譲位の思し召しは、陛下が将来の天皇のあるべき姿について、長年、熟慮に熟慮を重ねられた上で、御聖断遊ばされたことであり、首相以下我々国民の側にいかに合理的な理由があるといえども、臣下の分際で反対する資格はない。

 ところが、先の「おことば」以来、この度の御譲位の問題に対する安倍内閣の態度は、陛下の御主意に沿い奉る誠意に欠け、はなから特例法ありきでの対応に終始したことは御叡慮を蔑ろにするものと言わざるを得ない。甚だしきは、首相が人選した「有識者会議」の出席者の中から公然と譲位に反対する意見まで噴出したことは極めて遺憾である。異論があるなら、前もって陛下に諫奏申し上げるのが筋であり、後から反対するのは不敬千万、皇威を失墜させ後世に禍根を残す所業である。「有識者会議」は首相の私的諮問機関といえども、安倍首相の政治責任は免れない。

特に、陛下が最初に御譲位の思召しを漏らされたのは平成二十二年に遡るとされ、当然その御内意は歴代の内閣にも伝達されたにも関わらず、政府は聖明を蔽い隠して来た。その責任を棚に上げて、「おことば」という、非常の措置で下された御聖断に盾突くなど言語道断である。

なお、「有識者会議」での議論を踏まえた「論点整理」では、譲位が将来の全ての天皇を対象とする場合の課題として、「恒久的な退位制度が必要とする退位の一般的・抽象的な要件が、時の権力による恣意的な判断を正当化する根拠に使われる」ことが挙げられているが、「時の権力による恣意的な判断」は、譲位が今上陛下のみを対象とする場合に、「後代に通じる退位の基準や要件を明示しない」ことによっても引き起こされうるのである。

 このように、譲位を一代限りとするか、恒久的制度とするかという当面の問題は、賛否両論に一長一短あり、結論を一決しがたいのであり、だからこそ我々首相以下の国民は、こうした国論を二分しかねない問題については、最終的当事者であらせられる陛下の御聖断を仰ぐほかないのである。したがって、政府は、この度の御譲位に関する特例法案が与野党の政治的妥結を得たとしても、同法案を国会に提出する前に闕下に上奏し、御裁可を仰ぐべきである。

かつて孝明天皇は、御叡慮に反して通商条約に調印した徳川幕府に御震怒遊ばされ、諸藩に下された密勅の中で、幕府による「違勅不信」の罪を咎められた。これにより朝幕間の齟齬軋轢が天下に露呈したことで、幕府権力の正当性は失墜し、尊皇倒幕の気運が激成して、幕府崩壊の端を開いたのである。このように、我が国における政府権力の正当性は、天皇陛下の御信任に基づくのであって、それは「国民主権原則」や「象徴天皇制」に基づく現行の政府権力においてすら例外ではないということを安倍首相はゆめゆめ忘れてはならない。

 

以上の趣意により、安倍首相及び政府は、君臣の分を弁え、これまでの御叡慮を蔑ろにした態度を猛省すると共に、一切の予断を排して承詔必謹し、以て一刻も早く御宸襟を安んじ奉るべきである。右強く要望する。

 

                  平成二十九年三月二十八日

 

内閣総理大臣安倍晋三殿

 

安倍首相に承詔必謹を求める有志一同

                        代表 折本龍則

                           坪内隆彦

                           三浦颯

                       賛同者 西村眞悟

                           四宮正貴

                           小野耕資

                           三浦夏南

                           柳毅一郎

 

                    

(事務局所在地)〒二七九の〇〇〇一

千葉県浦安市当代島一の三の二九アイエムビル五階

                             

 

   

 

| | トラックバック (0)

「忠孝一本の國民精神」を命懸けで表白した吉田松陰の辞世歌

安政六年十月二十日、死罪に処せられることを察知した松陰は、故郷の父叔兄に宛てた手紙において、「平生学問浅薄にして至誠天地を感格すること出来申さず、非常の変に立到り申し候。」と書き、

 

「親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん」

 

といふ歌を記した。あふれるばかりの思ひとはりつめた精神が五・七・五・七・七といふ定型に凝縮されてゐる。この松陰の歌こそ、「忠孝一本の國民精神」を命懸けで表白した歌である。

 

徳富蘇峰はこの歌について「死するに際して、第一彼れの念頭に上りし者は、その父母にてありしなり。…かくの如き人にしてかくの如き事を作す、不思議なる忠臣を孝子の門に求るの語、吾人実にその真なるを疑う能ず」(『吉田松陰』)と論じてゐる。

 

そして、吉田松陰は判決が下る直前の安政六年十月二十五日から二十六日にかけて『留魂録』を書きあげた。その冒頭に、

 

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂」

という歌を記した。

 

末尾には、

 

「心なることの種々かき置ぬ思のこせることなかりけり」

「呼たしの声まつ外に今の世に待へき事のなかりける哉」

「討れたる吾をあわれと見む人は君をあかめて夷払へよ」

「愚なるわれをも友とめつ人はわかとも友とめてよ人々」

「七たひも生かへりつゝ夷をそ攘はむこゝろ吾忘れめや」

 

といふ辞世の和歌を記した。

 

「討れたる」の歌は、文字通り命を懸けた尊皇攘夷の志の表白である。日本の國家的危機を救ふ根本原理は、実に「君をあかめて夷払へよ」即ち「尊皇攘夷」である。

 

十月二十七日朝、死罪の判決を受けた松陰は、

 

「吾 今 為 國 死 死 不 負 君 親 悠 悠 天 地 事 観 照 在 明 神」(吾今國の為に死す 死して君親に負かず 悠悠たり天地の事 観照明神に在り)

といふ辞世の漢詩を遺した。

 

明治元年(一八六八)九月、明治天皇御東行に供奉した松陰門下の木戸孝允は、その「日記」九月二十一日の項に、「(注・安政六年)六月中旬深川に至り、松陰師の江戸拘引せらるを聞き、歎驚及ばず。同秋続きて江戸に至る。而し間日なく終に幕府の為殺戮を受く。窃に其の首体を奪ひて骨原(こつがはら)に葬る。其の後若林に改装し、又甲子(元治元年)の変(注・第一次長州戦争)、幕の毀つところとなる。此の間の事言ふに忍びざるなり。余、今日生存して未曽有の盛事に遭遇し、鳳輦に扈陪して関左(注・南を向けば東は左であるところから関東のことをいふ)に入り、而して諸同志に見る可からず。悲歎こもごも到る。…往時を追憾し、涕雨の如し」と記した。

 

明治維新断行後、明治天皇に供奉して東京に来た木戸孝允は、吉田松陰が処刑された当時の事、そして第一次長州戦争の時、世田谷若林の長州藩の土地に埋葬された松陰の墓まで毀損されたことを思ひ出してゐるのである。

 

維新の先駆者たる吉田松陰の志は門下生達に強烈に引き継がれ大きく花開き、徳川幕府は打倒され、維新が成就した。現代においても、明治維新を目指して戦った志士たちの悲しい志を自己自身の上に回想しわが血を沸き立たせることが大切であると考へる。

 

内憂外患交々至るといった状況にある今日こそ、吉田松陰の如く、日本民族の本来的な清明心・尊皇精神に立脚した大和魂を奮ひ立たさなければならない時である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月三十日

午前は、諸事。

昼は、若き友人と懇談。

午後は、資料の整理。

夕刻、谷中にて、知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

| | トラックバック (0)

2017年3月29日 (水)

天皇及び皇室は、成文憲法などの世俗的な法律を超越したご存在である

西洋成文憲法は「権力に対する制限規範」であるという。イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『国王も法の下にある』といふ原則=『法は王権に優越する』といふ法治主義を確立した、とされる。「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。その為に成文憲法が必要とする」という考え方である。これが西洋成文憲法の根底にある思想である。

 

しかし、日本天皇の国家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治(すべおさめる。しろしめす。きこしめす)である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。

 

日本国は信仰共同体であり国民が契約を結んで人工的に作った国ではない。そして祭祀主である天皇は国民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。これが日本肇国以来の国柄であり國體である。

 

近代日本の成文憲法即ち『大日本帝国憲法』は肇国以来の日本の国柄即ち日本國體を成文化したものである。

 

西洋憲法思想では、前述したように、「憲法は権力に対する制限規範である」され、権力は放っておくと濫用されるので為政者の手を縛る必要から成文憲法が必要であるとされる。このような性格を持つ成文憲法に、神話時代より悠久の歴史を有する日本国体を規定すること自体不自然なことなのである。

 

つまり、日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法とは基本的に相容れないのである。また西洋の国家観である「国家法人説」とは相容れないのである。

 

わが日本は国家の本質と君主たる天皇の御本質が建国以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律論的に言えば、不文法によって定まっているということである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立国の基本)に反する規定をしてはならない。西洋から輸入した近代法思想に基づく成文憲法によって立国の基本即ち日本國體を覆したり破壊してはならない。

 

換言すると、天皇及び皇室そしてそれを中心とする日本國體は、成文憲法などの世俗的な法律を超越しており、成文憲法などの権力機関で制定された法律は、國體及び皇室にかかわることに干渉することはできないのである。

 

日本天皇が日本国の君主・統治者であらせられるのは、日本の伝統信仰・歴史的な国体観念に基づくのであって、成文憲法に規定されているから天皇が君主であらせられるのではない。

 

日本天皇は、祭祀国家日本の祭祀主であらせられ、本来政治権力者てはあらせられない。「現行占領憲法」にも、「第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれている。従って、日本天皇は、「権力の制限規範」である「成文憲法」たる「現行占領憲法」によって規制される御存在ではあり得ないのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、室内整理、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2017年3月28日 (火)

『アジア問題懇話会』における国際政治学者・藤井厳喜氏による「トランプ米新政権で世界はどう変わるか」と題する講演内容

〇一月十四日に開催された『アジア問題懇話会』における国際政治学者・藤井厳喜氏による「トランプ米新政権で世界はどう変わるか」と題する講演内容は次の通り。

 

「十二月二日にトランプと蔡英文が電話会談。トランプ外交の性格を非常によくあらわしている。IS潰しが第一の課題。トランプは昨年四月二十七日のメイフラーホテルにおける外交政策に関する演説で、①地上軍を派遣してもIS潰しをやる。②チャイナを外交的経済的にアメリカに取って代わろうとしている一番危険な国家、と語った。二〇一七年にISの地域支配は終らせる。ロシアと手を組んでやる。ロシアとは外交的に戦略的妥協を図る。親露反中。

 

オバマ・クリントン外交で中東の安定政権が少なくなった。安定しているのはイラン・イスラエルのみ。西側のデモクラシーの基準で見れば、エジプトもリビアも独裁。それを潰した。イスラム過激派が出てきた。オバマはバカなことをした。そのためアジアへのりバランスが出来なかったので、チャイナが出てきた。

 

ISの領域支配はなくなる。脅威が減る。トランプ・蔡英文の電話会談は素晴らしい。事実上の独立国家として台湾を維持する。武力侵略を許さないということをシンボリックに表したのが電話会談。ディック・チェイニー副大統領の国家安全保障問題担当副補佐官を務めた人物であるスティーブン・イェーツが相当前から根回ししていた。イェーツは中国語がペラペラ。昔から台湾派。二〇一五年の総統選直前に蔡英文に会っている。若い。四十四歳。人脈を築いている。

 

トランプにとって共和党のエスタブリッシュメントは敵であった。共和党全国委員長のラインス・プリーバスは組織をトランプ支持でまとめるために努力。誠実な人。大統領首席補佐官に就任した。政策・選挙をコーディネイトする。スティーブン・イェーツとラインス・プリーバスとは仲が良い。

 

ワンチャイナポリシーは嘘。アメリカが台湾は中国の領土であると認めたということはない。日本もワンチャイナと中華人民共和国が言っていることは承知したと言っただけ。東シナ海と南シナ海の結節点にあるのが台湾。地政学上非常に重要。台湾にミサイル基地が出来たら何処へでも飛んでいく。中国が台湾を手に入れたらもアジアが中国に靡くドミノ現象が起こる。アメリカは台湾を守るという意志を鮮明にしている。『ピープルオヴタイワン』という言葉を台湾関係法では使っている。ピープルは国民。意志を持つ集団。『アメリカが台湾を守りきれなかったら我々も守ってくれない』とアジア諸国は考える。南シナ海が中国の領海になったら、ベトナムは何処にも出ることはできない。ラオス・カンボジアは親中であるが故にベトナムは孤立する。台湾を守りきれないと、アメリカはアジアでの影響力はゼロになる。

 

プーチンには東ローマ帝国の末裔という意識がある。日本の防衛費はGDPの二%にすべし。イタリアのEU離脱があるかもしれない。南西諸島防衛のため自衛隊の海軍と空軍を増強中。TPPはもう駄目。あきらめた方がいい。トランプは多国間や国際機関が嫌い。二国間でやるべしと考えている。日本が中心となって環太平洋をまとめるべし。

 

ヒラリーが大統領になっていたら、中東で米露が戦争になっていたかもしれない。CIAは政治家に影響されやすい機関。CIAとFBIは政治的に分裂している。日本の核武装はアメリカのOKを取ることが前提。現行憲法は無視すれば反古になる」。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十八日

午前は、諸事。

午後は、資料整理。

この後、母の「四十九日法要」などの準備のために外出。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

天照大神の「天の岩戸の隠れ」神話について

天照大神の「天の岩戸の隠れ」の神話については、次のような解釈がある。一つは日蝕説であり、もう一つは冬至説である。太陽が欠けていくこと、あるいは日照時間が短くなっていくことは、古代人にとってとりわけ農耕民族の日本人にとって不安なことであったに違いない。

 

そこで太陽の再生・新生を祈る祭りすなわち微弱化した太陽を更新する祭祀・宗教儀礼が行われたと思われる。それが天の岩戸前における八百万の神々の祭事なのであろう。

 

八百万の神々は長鳴鳥を鳴かせたり、鏡や勾玉が沢山ついた玉の緒のついた榊を作ったり、布刀玉命が占いをしたり、天児屋命が祝詞を唱えたり、天宇受売命が神懸りして踊るなどのお祭りをし、「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ」と大笑いし大騒ぎをした。天照大神が不思議に思って岩戸を少し開けて覗かれると、「あなたより尊い神がおいでになります」と言って、手力男命が手を引いてお出しするのである。

 

「天岩戸神話」は天照大御神の御意思を無視して無理やり「天岩戸から引き出した」というのではない。「天岩戸神話」は、天照大神様が天岩戸から出現されることを願う一大祭祀であり、明るく楽しく爽やかなるみ祭りである。赤穂浪士の吉良邸討入りの時に、上野介を無理やり炭小屋から引き出したのとはまったく異なる。

 

中西進氏は「知力、呪力、体力、技術力、笑いの力というもろもろの力が集められており、これ以上盛大な祭儀はないというほどであった。太陽の子孫を称する天孫族の日招き神話の詞章として、まことにありうべき壮麗さである。・…笑いはもっとも旺盛な呼吸活動であり、『生きる』ことの極上の状態を示す。失われた太陽を復活させるための、貪欲な模擬行為といえるだろう。天孫、天皇家のもっとも大事な祭儀と考えられた理由もよく理解されるところである」(天つ神の世界)と論じておられる。

 

日本人は太陽神たる天照大神を主神と仰いだ。だからすべてにおいて明るく大らかな民族であるのだ。見直し聞き直し詔り直しの思想もここから発するのである。ただ明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって神の再生・再登場が実現する。これが他の宗教は厳しい修行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないというのとは全く異なる日本伝統信仰の誇るべき特徴である。

 

この天の岩戸神話には日本の踊りの起源も語られている。すなわち天宇受賣命が「天の石屋戸に覆槽(うけ)伏せて踏みとどろこし、神懸りして、胸乳掛き出で、裳の緒(ひも)を陰(ほと)に忍し垂りき」(伏せた桶の上に立ってそれを踏み轟かせながら神懸りして乳房を出して裳の紐を陰部に垂らした)と記されているのが舞踊の起源なのである。 

 

桶を踏み轟かせたというのは大地に籠っている霊を目覚めさせそれを天照大神のお体の中にお送りすることであるといわれている。神懸りとは宗教的興奮状態のことである。つまり舞踊の起源は神を祭るために神の前で興奮状態になって舞い踊ることであった。これを神楽という。天宇受賣命は舞踊を含めた日本芸能の元祖ということなのである。 

 

祭事とは共同体における霊的心理的宗教的な営みの中でもっもとも大切なものであることは言うまでもない。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現するのである。

 

祭事は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によっていっそうの活力をもって再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰である。

 

そしてこの稲穂の命の再生は、天照大神の再生と共に行われるのである。さらに天照大神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが天の岩戸神話であると考える。  

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、書状執筆、資料の整理など。

|

2017年3月27日 (月)

今日こそ、「やまと歌・言霊の復活」・「国風文化の復興」が大切である

「やまとうた(和歌))は、日本の最も純粋にして最も固有な文藝である。「やまとうた」は、「まつりごと」から発生した。日本では太古から、天地自然との中に生きてゐる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈る「まつりごと」が行はれてきた。その「まつりごと」において祭り主が神憑りの状態で「となへごと」が発した。それが度々繰り返され一定の形をとるやうになったのが「やまとうた」(和歌)の起源である。

 

「和歌」は、「漢詩(からうた)」に対して用いられた言葉である。「やまとうた」といふ言葉を意識的に用い出した人は、紀貫之(平安前期の歌人、歌学者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文学の先駆とされる『土佐日記』の作者である。加賀介、土佐守などを歴任。醍醐天皇の勅命で『古今和歌集』撰進の中心となり、「仮名序」を執筆した)である。

 

和歌は、大化改新・白村江の戦・壬申の乱が起った国家激動の時代における『萬葉集』、平安時代の国風文化復興期における『古今和歌集』、後鳥羽上皇の承久の変における『新古今和歌集』といふやうに国家意識の勃興と切り離せない。

 

大化改新の後、天智天皇二年(六六三)に白村江の戦ひがあり、國家意識・愛國心が燃え上がった。かうした時代において、柿本人麿は天皇の神聖性と日本國體の素晴らしさを神話的発想でうたひあげた。そして、大伴家持は支那文化が流入する時代にあって日本固有の文化を謳歌すべく『萬葉集』を編纂した。この時代の旭日昇天の清新なる日本民族の精神は『萬葉集』に結晶されてゐる。

 

古代から現代に至る日本人の思想精神を正確にあるがままに自己にものとするには、いにしへの人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた「和歌」を詠むことによって可能となる。

 

三島由紀夫氏は『古今和歌集』について、「ぼくは日本の文化というものの一番の古典主義の絶頂は『古今和歌集』だという考えだ。…ことばが完全に秩序立てられて、文化がそこにあるという考えなんです。あそこに日本語のエッセンスが全部生きているんです。そこから日本語というのは何百年、何千年たっても一歩も出ようとしないでしょう。…あとどんな俗語使おうが、現代語を使おうが、あれが言葉の古典的な規範なんですよ。」(『守るべきものの価値』)と語ってゐる。

 

明治天皇は

「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」「天地をうごかすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな」

「まごころをうたひあげたる言の葉はひとたびきけばわすれざりけり」

と詠ませられてゐる。

 

和歌は決して遊びごとでもないし単なる美辞麗句を連ねたものでもない。まさに「まごころをうたひあげたる言の葉」なのであり、「世の中のことあるときによみいでる」ものなのであり「天地をうごかす」力を持つものである。神代の昔に発生し日本の道統を継承する最高の文藝が和歌である。

 

本居宣長は「もののあはれを知るといふことをおしひろめなば、身ををさめ、家をも國をも治むべき道にわたりぬべきなり。…民のいたつき、奴のつとめをあはれとおもひしらむには、世に不仁なる君はあるまじきを云々」(『源氏物語玉の小櫛』)と論じてゐる。

 

宣長は「もののあはれを知る」心が日本人の道義精神の原理であり、さらには政治の原理であるとしてゐるのである。天皇が和歌を詠ませられると共に、『勅撰和歌集』の撰進が行はれたのは、まさに御歴代の天皇が「もののあはれを知る心」を養ひたまふことを國家統治の基本とされてきた事を証しする。

 

和歌は天皇・皇室を中心に継承されて来た。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。天皇の國家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の國家御統治と一體である。

 

天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されてきたのである。

国難の時期である今日において「勅撰和歌集」が撰進されるべきである

 

阿部正路氏は、「日本の伝統の最もはれはてた現代にこそ新しい真の意味での勅撰集が編まれるべきではないだろうか。それが具体化するかどうかに、日本の伝統の意志の行方が見定められることになるのだと考える。…勅撰集に明らかに見ることのできる、一系の天皇の、和歌に対するゆるぎない信頼の中においてこそ《悠久》の世界を具体化し得たのであった」(『和歌文学発生史論』)と論じてゐる。

 

国難の時期である今日において、まさに、「国風文化」が復興しなければならない。大化改新といふ大変革・壬申の乱といふ大動乱の時に『萬葉集』が生まれ、平安中期の国風文化勃興の時に『古今和歌集』が生まれたやうに、畏れ多いが、国難に晒されてゐる今日において、偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきであると信ずる。それが言霊の復活であり、世の乱れを正す大いなる方途である。

 

やまと歌は、君民一体の國體の基本である。やまと歌を詠むことは政治や行政に潤ひを与へると共に真の大和心を興起させる基である。今日の官僚・国会議員などにも、「歌会始」の際、和歌か漢詩を詠進させる制度を設けるべきではないか。

 

日本人の魂は、今、よすがなく彷徨っているやうに思へる。さまよへる魂を鎮め、鎮魂し、再生させる事が必要である。それは、言霊が籠り、天地(あめつち)を動かし目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせる「やまとうた」の復活によって実現すると信ずる。やまと歌・言霊の復活が大切である。今日においてまさに「国風文化」が復興しなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十六日

午前は、諸事。

午後は、今夜行う講演の準備。

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、『第七十一回 日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。国民儀礼。渡邊昇氏が主催者挨拶。小生が「台湾独立の正義と日本」と題して講演。質疑応答・討論。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2017年3月26日 (日)

我が日本は神が生みたもうた国であって、人為的に作られた国ではない

我が日本は神が生みたもうた国であって、人為的に作られた国ではない。「生まれる」と「作られる」とでは絶対的な違いがある。日本は古代において自然に「生まれた」国である。ところがアメリカや旧ソ連や中華人民共和国は一定の目的を持って人為的に作られた国である。

 

「生む」は日本伝統信仰の観念であり、「作る」はキリスト教の観念である。伊耶那岐命伊耶那美命は日本国土をお生みになったのであり、キリスト教の神(ゴッド)は人間を作ったのである。キリスト教の神はなぜか国家は作らなかった。国家は神によって造られた人間が集まって文字通り人為的に作られたと言うのが西洋の考え方である。日本の国家観と西洋国家観の違いは実にここから発すると考えられる。

 

日本国は、数多くの個としての人間が寄り集まって人為的に契約を締結して作った権力機構・政治形態としての国(これを「国家法人説」と言い換えてもいいと思う)とはその本質が全く異なるのである。

 

「国家法人説」とは、国家を法的な主体としての法人と考える理論で、いわゆる「天皇機関説」の基礎をなす理論とされている。また「法人」とは「自然人以外で法律上の権利義務の主体となることができるもの。一定の目的の下に結合した人の集団あるいは財産についてその資格が認められている集団」といわれている。国家とは、社団法人や財団法人のように多くの人々が一定の目的のために契約を結び人為的に造られたものだというのが「国家法人説」なのである。天皇中心の信仰共同体としての日本は断じてそのような存在ではない。「国家法人説」を日本国に当て嵌めることはできない。

 

日本人は、豊かな自然に包まれて、様々な階層の人々も、「和」「むすび」を基本として生きてきた。そして信仰共同体としての国家が生まれた。その「和」「むすび」は人と人との間柄のみならず、人と自然の関係もしかりであった。

 

我が日本はどのような闘争や激動があっても、日本という国が分裂し破壊し尽くされてしまうということ無く、天皇を中心とする「和」「むすび」によって国家の統一は維持され、民族の伝統は一貫して継承されてきた。ここが日本という国の有難いところである。

 

この「むすび」の語源は、「生す」「生える」である。「草が生す」「苔が生える」といわれる通りである。つまり命が生まれることである。故に母から生まれた男の子を「むすこ」といい、女の子を「むすめ」というのである。「むすび」とは命と命が一体となり緊密に結合するということである。米のご飯を固く結合させたものが「おむすび」である。そして日本伝統信仰ではその米のご飯には生命・魂が宿っていると信じてきた。

 

「庵を結ぶ」という言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集めこれらを結び合わせて作られた。結婚も男と女の結びである。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」という。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。日本の家庭も〈むすび〉によって成立しているのである。

日本という国家も同じである。人の魂が結び合って生まれてきた生命体なのである。日本民族の農耕を中心とする伝統的生活のから培われた信仰(自然信仰と祖霊崇拝・自然と祖霊を神として拝む心)が根幹となって生まれてきた生命体が日本国なのである。そしてその〈むすび〉の中核が日本伝統信仰の祭祀主である天皇である。これが三島由紀夫氏の言う「祭祀的国家」としての日本なのである。

 

我々はまず以て「国家観」を正しく確立しなければならない。言うまでもなく日本と欧米とは歴史・文化・宗教・社会構造・人間関係を異にしているのだから、日本国を近代西欧流の国家法人説・国家暴力装置説などの「国家観」によって論じてはならない。

 

近代以後のいわゆる「西洋化」そして大東亜戦争以後のいわゆる「民主化」(その実態は日本伝統破壊)によって、信仰共同体としての日本の本当の姿(これを国体と言い換えてもいいと思う)が隠蔽され、麗しい祖国日本を、単に権力関係・契約関係・社会経済関係によって成り立った法人であり機構であると考えるようになってしまった。現行占領憲法は実にそういう思想によって作られているのだ。今日の日本の政治腐敗・自然破壊・教育荒廃などの様々な矛盾の根本原因は実にここにあると考える。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十五日

午前は、『政治文化情報』発送作業。

午後、発送完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

この後は、在宅して、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2017年3月25日 (土)

日本人の伝統的倫理観

昨日の拙論の続きであるが、日本人の伝統的倫理観は「清明心(汚れなく・清く・くもりなく・明らけき心)」に憧れ、「くらき心」「きたなき心」を嫌ふ心である。それが日本人の心である。神道が禊祓を大切な行事とするのもこの精神による。

 

「清明心」は「まごころ」といはれる精神であり、中世神道においては「正直」と称せられるものである。偽善や嘘を嫌ふ心である。無私の心であり我執なき無我の心である。

 

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。ゆへに「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

明治天皇は

「さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり」

「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」

と詠ませられてゐる。

 

この御製の大御心こそ清明心であると拝する。「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。

 

天武天皇十四年(西暦六八五)に定められた冠位の制(官人の位階)では、「明位」「浄位」が上位に置かれた。御歴代の天皇の『宣命』(漢文体で書かれた詔勅に対して、宣命体で書かれた詔勅のこと。宣命体とは、体言や用言の語幹は漢字で大きく、用言の語尾や助詞などは万葉仮名で小さく書いた)には、「明」と「浄」という言葉がことにしばしば使われてゐる。

 

このやうに、わが國は伝統的に「明らかさ・清らかさ」が最高の美徳とされてゐた。平田篤胤は、「そもそもわが皇神のおもむきは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)」ふと論じてゐる(『玉襷』)。

 

日本人は、清いことは善いことであり、汚いことは悪いことであると考へて来た。日本人は人間の価値基準を「善悪」といふ道徳観念には置かず、「浄穢」といふ美的価値に置いたともいへるのである。日本人は、「きたない」といふことに罪を感じた。

 

故に、神道では「罪穢(つみけがれ)」といって、道徳上・法律上の「罪」を「穢」と一緒に考へた。神道では、罪穢を祓ひ清めることが重要な行事なのである。禊祓ひをすることが神を祭る重要な前提である。身を清らかにしなければ神を迎へることはできないのである。人類の中でお風呂に入るのが好きな民族は日本民族が一番であらう。

 

実際、日本人にとって、「あいつはきたない奴だ」「やり方がきたない」と言はれることは、「あいつは悪人だ」と言はれるよりも大きな悲しみであり恥辱である。また、「あなたは善人だ」と言はれるよりも、「あなたの心は美しい」「身の処し方がきれいだ」と言はれる方に喜びを感じる。

 

徳川家康や吉良上野介があまり日本人に好かれないのは、「やり方がきたない」といふイメージが定着してゐるからであらう。

 

悪人とか善人といふのは場合によって転倒する可能性がある。といふよりも、わが國の祖先は徹底的な悪人・悪魔といふ存在を考へることをしなかったのである。日本神話には西洋のやうな悪魔は存在しない。日本民族は本来清らかな民族なのである。

 

繰り返すが、日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。「私」を去り「我」を没することを大切にしてゐる。

 

清明心即ち「あかき心」「清き心」は仏教や儒教が輸入される以前からわが民族のあるべき心とされてきた。それは長い歴史の流れの中で自然につちかはれてきた傳統なのである。

 

この日本民族の傳統的倫理観念の精髄たる「清明心」は、古代においては『宣命』(宣命体で書かれた詔勅)における「明き浄き直き心」、中古においては「もののあはれ」、中世においては「正直」、近世においては「やまとたましひ」として受け継がれてきた。これは別の言葉で言えば、「捨身無我」であり、岡潔氏の言った「日本的情緒」である。

 

政治家に対して清廉潔白さが求められるのは、東洋においてはわが國が最も厳しい。ただしそれは、「明るくさはやかな心」の回復を目指すものでなければならない。昨日も書いたが、朝日新聞などの亡国メディアそして何とか自民党政権を失墜せしめようとする野党による大阪の学校法人の問題での、安倍総理及びその夫人への非難攻撃は、日本人の伝統的倫理観とは全く異質である。

 

「清らかさを求める」とは、あることないことあげつらって、政府攻撃、与党攻撃をすることではない。今、メディアや野党のやってゐることはまさに「いじめ」である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十四日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、二十六日に行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備など。

| | トラックバック (0)

2017年3月24日 (金)

「明き淨き直き誠の心」がわが國の道義心の根本

私は以前、約二週間ほど「中国大陸」を旅した。その旅行で実感したのは、支那人は「衛生観念」と「羞恥心」が希薄であるといふことである。南京に行った時、日本で言へば国民宿舎のやうなところに泊まったのだが、廊下の痰壷の上に「痰壷に糞をするな」と書いた「張り紙」があった。かういふ「張り紙」があるといふことは実際に痰壷に大便をする人がゐるといふことである。衛生観念と恥を知る心があればさういふことは出来ない。

 

また、町の食堂に行ってトイレに入ると、トイレの床に小麦粉か何か食材が入った袋がたくさん積んであった。また日本でも名が知られ、観光客が多く訪れる施設のトイレに扉が無い事が多かったし、トイレットペーハーも無かった。

 

支那人が衛生観念に乏しいのは、漢民族の文化の中心は半乾燥地帯のといふべき黄河流域や長安付近だったから、高温多湿の地ほどには病原菌の蔓延りが少ないからだといふ説がある。しかし、「羞恥心があるかないか」は、気候とは関係あるまい。ともかく、日本では考へられないことだ。

 

また、支那は「張り紙」が多いが「標語」も多い国である。「張り紙」や「標語」が多いといふことは、そこに書かれてゐることが実行されてゐないといふことでもある。「小便すべからず」という張り紙があるのは小便をする人がゐるからである。「毛主席万歳」「中国共産党万歳」といふ「標語」が多いのは、腹の底でさう思ってゐない人が多いから、「標語」を掲げなければならないのである。國民党独裁体制下即ち「中国人」によって支配されていた時代の台湾も「標語」が多かった。「総統万歳」「光復大陸」「実践三民主義」といふ標語が其処彼処に掲げられていた。

 

また、政府や国民党関係の建物の中には孫文の言葉である「天下爲公」といふ言葉が多く掲げられてゐた。

 

司馬遼太郎氏は次のやうに論じてゐる。「いま台北にいる。…歩道に段差が多く、あやうく転びそうになった。歩道は公道なのだが、どの商店も、自分の店の前だけは適当に高くしている。高さに高低がある。『"私〟がのさばっていますな』と、冗談をいった。中国文明は偉大だが、古来、"私〟の文化でありつづけてきた。皇帝も"私〟であれば大官も"私〟だったし、庶民もむろんそうだった。"私〟を壮大な倫理体系にしたのが、儒教であった。孝を最高の倫理とするのはみごとだが、孝は身の安全と家族の平穏ということのみの願望になりやすい。

「近代中国の父」といわれる孫文は、このことをなげいた。書をたのまれると、『天下為公』(天下をもって公となす)と書いた。また、その著『三民主義』の冒頭にも、"中国人は砂だ、にぎってもかたまらない〟といった。"公〟という粘土質に欠けていることをなげいたのである。」(「風塵抄ー台湾で考えたこと(1)公と私」全集六六)

 

支那の権力者は国家さへ私物化した。だから「天下爲公」といふ「標語」を掲げざるを得なかったのである。それは国民党だけではない。今日の「中国共産党」も同じである。毛沢東は中国といふ國を私物化し多くの同志・国民を虐殺した。今日の習近平も同じだ。

 

日本人は「無私」を尊ぶ。「清明心」を尊ぶ。それは古代よりの「自己を無にして神にまつろふ」といふ神への祭祀が日本文化の根底にあるからである。子に日祭り主・日本天皇であらせられる。一切の私利私欲を禊祓ひ去って生成の根源に回帰する行事が日本伝統信仰の「祭祀」である。「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ことである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇はその最高の実行者であらせられる。天皇の「祭祀」とそれに伴ふ「天皇の無私の大御心・神聖性」が日本國民の道義の規範なのである。天皇の祭祀を国民が「神習ふ」ことによって、世俗の穢れや罪を清め続けてきたのである。まさに日本民族は「本是神州清潔之民」なのである。

 

支那や南北朝鮮など諸外国と比較して、日本くらい政治家・官僚の権力の私物化・権力を利用した私益の追求を嫌ふ国はないのではなからうか。今の大阪の学校法人の問題での大騒ぎを見て本当にさう思ふ。支那や朝鮮の政治腐敗・権力の私物化と比較したら天と地、月とすっぽんの違ひがあるあるのに、この世の終りが来たように騒いでゐる。国会では証人喚問まで行はれた。

 

「明き淨き直き誠の心」がわが國の道義心の根本であることはまことに大事である。「本是神州清潔之民」は日本人の偉大なる長所である。しかし、長所は逆に短所ともなり得ると言はれる。内外情勢が大変な危機にある時に、民進左派・共産社民両党そして亡国メディアによる「日本人の潔癖性」を利用した政治の不安定化策謀には十分に警戒しなければならないと思ふが如何であらうか。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十三日

午前は、諸事。

 

午後は、資料の整理。

 

午後五時より、「笹川平和財団 日米交流事業主催 講演会『アメリカ第一主義』とリベラルな国際秩序の将来」開催。茶野順子さん(公益財団法人笹川平和財団 常務理事)が開会挨拶。ブレット・スティーブンス氏(ウォール・ストリート・ジャーナル 論説室副委員長)が講演モデレーターは森聡氏(法政大学教授)がつとめた。講演後質疑応答。

 

帰宅後は、二十六日の「日本の心を学ぶ会」における講演の準備度。

| | トラックバック (0)

2017年3月23日 (木)

日本文化と支那文化の根本的違ひ

 

漢字は支那から伝わってきたことは事実である。しかし、支那では、つい最近まで漢字を読み書くことのできる人は一部の知識人に限られてゐた。書道文化にしても、支那の書道作品よりも日本の作品の方がずっと洗練され美しい。また支那には仮名がないので、仮名文字の美はまったく無い。文学・彫刻・建築・絵画など他の藝術も、支那よりも日本の方が洗練され高度にものになっていることは、実際にさうした文物を見れば、火を見るよりも明らかである。

 

つまり、日本は支那から色々な文化・文明を輸入したが、支那を高度な文化・文明をつくりあげたのである。そのことをわれわれ日本人は誇りとすべきである。日本人は、「日本は『中国』の文化的精神的属国である」といふ誤った認識を持たないやうにすべきである。日本人は自信を回復し「中華帝国主義」に対峙すべきである。

 

支那は「禮文化の國」といはれる。「禮」とは、社会の秩序を保ち、人間相互の交際を全うするための礼儀作法・制度・儀式・文物などのことである。「禮儀」といふ言葉がある通り、「禮」とは抽象観念ではなく、實際の行動・動作である。

 

宇野精一先生は、「(『論語』顔淵篇に「克己復禮を仁となす」とある・註)克己とは己の私欲に打ち克つことであり、複禮とは禮――倫理規範の意味における行為の標準――に立ちかえってこれを実践するという意味である。仁は孔子の根本教義であるから、これを実践する方法たる克己復禮は、正しく孔子の實践道徳の根本方法と考えてよかろう。…要するに孔子において、倫理の原理としては仁、実践としては礼が最高の標準であった。」(『儒教思想』)と論じておられる。

 

「仁」の徳の実践が「禮」である。実践なくして倫理はあり得ない。ところが、今日の支那及び「中国人」ほど「禮を失する行為」を繰り返し私欲を最優先させてゐる國及び國民は世界に稀である。今日の支那は「禮」を全く忘却し喪失した國となってゐる。むしろ、日本国及び日本人に「禮」は生きてゐる。

 

貝塚茂樹氏は、「徳川時代、元禄の頃から『論語読みの論語知らず』という諺が出来た。書物の上で理論を理解しているが、実行が少しもともなわない偽学者をそしって、いかに『論語』の存在が一般町人の世界に身近かったかを示すことばである。」(『世界の名著3』所収・「孔子と孟子」)と論じ、林泰輔氏(註・漢学者、朝鮮史の泰斗、東京高等師範学校教授)の、「中国及び朝鮮・安南(ベトナム)においては『論語』を挙業(文官選抜)の試験に用いたるがゆえに、盛は則ち盛なりと雖も、名利のためにこれを読みこれを誦し、あるいはその粗を咀()いて、その精を棄つるの憾みあり。わが邦人のこれを読むは、然らず。その外皮を棄ててその神髄を取る、ゆえに國本培養の効を奏することを得たるなり」(『論語年譜』)といふ論説を引用してゐる。

 

和辻哲郎氏は、「儒教を生みまた儒教を奉じているはずのシナの歴史が、儒教の道理に反する事蹟を数限りなく含んでいる…賤しい身分のものが君を殺して、帝王になる。夷狄としていやしめている異国人に征服せられてその夷狄に服従する。そういう事蹟はいくらでもある。即ちシナの歴史は儒教の理が空理にすぎぬことを実証しているのである。」(『尊王思想とその伝統』)と論じてゐる。

 

支那は、『論語』の國・儒教の國であるが、いはゆる「論語読みの論語知らずの國」に成り果ててしまった。支那の権力者も民衆も、「論語」に書かれた道義精神とはかけ離れた生活を営んできたことは歴史を見れば明らかである。実際に識字率が非常に低かった「支那民衆」は、『論語』を読むことはなかったであらう。だから「支那民衆」は「論語読み」ではないともいへる。

 

本家本元の支那で「儒教倫理」は実行されず、官僚・知識人の教養にすぎなくなり、さらには権力者の体制維持のイデオロギーと化した。わが国においては、国民全体が『論語』に示された倫理精神を自然に実行してゐるのである。それは何故なのであらうか。

 

「古代支那」(殷・周王朝)及び儒教は、禮・祭祀を非常に大切にした。といふよりも、「支那文化」の中核とも言える「禮」そして儒教は、古代宗教国家の「祭祀」がその起源であり中核だったのである。然るに、支那においては、古代祭祀国家はとうに滅び、祭祀主たる君主も存在しない。支那においては古代の祭祀国家・人倫国家は滅びてしまったのである。

 

筧泰彦氏は「(註・秦とその後の漢の大帝国の時代以降)シナにおける国家の実質は人倫を喪失した権力国家となり、君主は名目は天子と称しながら、実質は権力者にすぎぬものとなったのです。国家は革命により生きた生命を失いました。それは巨大な造花造木の如きものとなってしまったのです。従ってこの時代以来シナの人々は國といふものを通じて自己の命の永遠性を把捉することはできなくなったのです。」(『日本語と日本人の発想』)と論じてゐる。

 

ところが、わが日本においては、今日も「祭祀」が生きた行事として継承され実行されてゐる。さらに、古代日本の祭祀主の御子孫たる天皇が、今日も「君主」として仰がれてゐる。天皇は、今日唯今も「祭祀」を行はれ、信仰共同体日本の祭祀主であらせられる。つまりわが国においては古代の祭祀国家・人倫国家が今日唯今も生きてゐるのである。日本国と天皇と国民は信仰的生命的に一体であり永遠の存在なのである。故にわが日本の國體は「萬邦無比」といはれるのである。

 

支那は「祭祀」を起源とする「禮」及び儒教の徳目を今日忘却してしまったが、わが日本の国民の多くは「禮」や儒教の徳目を教条的に教えられなくとも実行してゐる。その原因は、天皇を祭祀主とする古代祭祀国家・信仰共同体日本が今日においても生きているからである。

 

「天皇の祭祀」が日本国の時間的連続性と空間的統合性の核である。「天皇の祭祀」は、永遠の生命を持つ共同体国家日本のあるべき姿・理想を目に見える形で示すものであると共に、共同体国家日本の揺るがざる中心・精神的核である。日本国が建国以来、分裂することなく統合され文化的自主性を維持して来ることができたのは、「天皇の祭祀」を中核とした日本伝統信仰の「祭祀」が太古から今日まで生きた形で継続されてきたからである。

| | トラックバック (0)

「第七十一回日本の心を学ぶ會」のお知らせ

第七十一回日本の心を学ぶ會

 

日本と台湾を考える

 

米中関係が緊張を増しております。

トランプ大統領は台湾の蔡英文総統との電話会談を行いました。中国側は「こざかしい策略である」と反発し「ひとつの中国」原則を守るようにと釘を刺しました。

 

さらにトランプ政権の国務長官候補であったボルトン元国連大使は「米軍の台湾駐留」を提言する論文を発表し「海洋の自由を守り、一方的な領土の併合を防ぐことはアメリカの核心的利益である」と主張しております。

アメリカはふたたび台湾の地政学的な重要性を認識しつつあるようです。

このことは中国から尖閣諸島や沖縄を狙われている我が国にとっても他人事ではありません。

 

台湾は中国の覇権主義が猛威を振るう東シナ海と南シナ海の結節点に位置しております。

 

台湾こそが中国の覇権主義の最前線であり、自由世界を防衛する砦といえます。

日米にとって台湾は、まさに「不沈空母」の役割をになっております。 

しかしアメリカの研究機関は「2020年にはアメリカは台頭する中国から台湾を軍事的に守ることができなくなる」という報告書を発表しており事態はかならずしも楽観的ではありません。

 

台湾の未来には、台湾の住民2300万人の運命だけでなく、日本を含めたアジア全体そして国際社会の運命がかかっております。

 

米中の緊張が高まりつつある今こそ、日本と台湾について考えてみたいと思います。

 

【日時】平成二十九年三月二十六日 午後六時から

 

【場 所】文京区シビックセンター 会議室2
文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分、都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分、JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

 

【講 演】「台湾独立の正義と日本」

講師 四宮正貴 四宮政治文化研究所代表

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

この告知文は主催者が作成したものです。

| | トラックバック (0)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

 

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

 

 

日時 四月十二日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

 

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

 

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

 

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十一日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、北区にある菩提寺に参詣。四宮家の墓所を掃苔、拝礼、ご冥福とご加護を祈る。住職夫人のご挨拶。母の四十九日法要について相談。

帰宅後は、二十六日に行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備。台湾独立運動について話す予定です。

| | トラックバック (0)

2017年3月22日 (水)

日本人と支那人とは文化も習慣も民族性も根本的に異なる

国際ニュース・AFPの報道によると、共産支那では文化大革命の狂乱のさなかに恐ろしい「人肉宴席」の犠牲となった人々がいたという。支那南部・広西チワン族自治区の武宣県で起きた粛清の犠牲者の心臓や肝臓、性器が食べられた事件があった。10年間の惨劇の中、広西チワン族自治区では無数の人々が命を落としたのみならず、ぞっとするような残酷行為と悪意が吹き荒れたという。AFPが確認した情報では「首切りや殴打、生き埋め、石打ち、水責め、釜ゆで、集団虐殺、内臓の抜き出し、心臓や肝臓、性器の切り取り、肉のそぎ落とし、ダイナマイトでの爆破など、あらゆる方法が使われた」とあった。1968年には、中学校の生徒たちが地理の講師を殴り殺した後、遺体を川辺に運び、別の教師に強要して心臓と肝臓を取り出させる事件があった。学校に戻った生徒たちは臓器を焼いて食べたという。身の毛もよだつような情報である。

 

「祭祀・禮」に関して、日本と支那との大きな違ひは、その供物・捧げ物にある。『論語』の「八佾篇」には「子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す。子曰はく、賜(し・子貢の名前)よ、汝はその羊を愛しむも、吾はその禮を愛しむ。」(春秋時代衛の儒者で財政に明るい政治家だった子貢が、生きた羊を生贄にして毎月一日を魯(孔子の生国で、儒家の中心地)の宗廟に告げる儀式を廃止しやうとしたことがある。孔子先生はいはれた。子貢よ、お前は生贄に使ふ羊が惜しいのであらう。私は羊を節約するためになくなる禮の方が惜しいと思ふのだ。)とある。

 

「郷党篇」には「公に祭れば肉を宿せず。」(君主の宗廟の祭りに供へた肉のお下がりはその日のうちに食べて翌日まで持ち越されなかった。)とある。

 

また、「為政篇」にある有名な「子曰はく、故きを温めて新しきを知れば、以て師爲る可し」(煮物の冷えたのをもう一回温めて飲むやうに、古くからの伝統を反復思索し習熟することによって新しい意味を知る。さういふことができる人が人の師になれるのだ。)とある。「温める」とは、とろ火で肉を煮詰めるやうに時間をかけて繰り返し習熟する意であるといふ。

 

このやうに支那においては、日常的に獣肉を食し、且つ生きた獣を祭祀における供物とした。わが國の祭祀では、血が流れ出るやうな生きた獣は祭祀に捧げない。日本民族の信仰生活と、支那人のそれとは大きな違ひがある。

 

日本人と支那人の根本的違ひは、食生活であらう。加藤常賢先生は、「わが国のごとく四面環海で、魚類の植物が豊富な所では、魚類で栄養を摂ったのであるが、中国のごとき広大な平野のある所では、牧畜が盛んに行なわれ、動物食で栄養を摂るに至るのは自然である。支那古代では牛と羊と豚は盛んに食った。ことに豚は食った。だから中国人は肉食人種である。明治以来始めて獣肉を食い出したわが國人とは元来異なっている。むしろ食肉の点では西欧人に近い」(『漢字の発掘』)と論じておられる。

 

儒教には「釈奠」といふ行事がある。支那古代化に伝わる、先聖先師の霊をまつる行事のことである。後漢以後は孔子およびその門人をまつることを

奠」と専称するやうになったといふ。「釈」も「奠」も置くといふ意で、供

物を神前に捧げて祭ることである。この釈奠」では牛豚羊など獣の生贄を

供へる。

 

わが国では律令時代に始まり、二月および八月の上の丁(ひのと)に大学寮(律令制による官吏養成のための最高の教育機関)で孔子並びに十哲の像を掛けて祭った。応仁の頃に廃絶したが、寛永十年に林羅山が再興し、その後昌平黌や藩校でさかんに行はれたといふ。

 

金谷治氏は、わが国における「釈奠」について次のごとく論じてゐる。「鎌倉時代のころには、大学寮で行なわれる釈奠で獣の肉は供えなくなっていたらしい。中国では豚を供えるのが例であるが、日本では初め猪や鹿を用いた。しかしそれも国情にあわないことで、いつのころにか廃止されたのである。それについて『古今著文集』(鎌倉中期の説話集)では孔子が夢枕にあらわれたことを伝えている。『此の朝に来たりて後は、大神宮来臨、禮を同じうす。穢食供すべからず』というのがそのご託宣で、それ以来、獣肉を供えなくなったという。事実のほどはともかく、釈奠の禮も次第に日本化してきたということであろう」(『人類の知的遺産・孔子』)

 

ユダヤ教やキリスト教も神に血を捧げる。朝鮮も祭祀で豚の頭を捧げるやうである。日本では祭祀において米や野菜そして魚介類を神に捧げるが、支那では血の出る獣肉を祭祀の供へ物とするのは、食生活の違ひによる。

 

温和な日本列島の気候風土の中に生活し農耕民である日本人は、狩猟民の有する肉食と凶暴と好戦性、牧畜民の有する漂泊性と遠征的行動は姿を消している。

 

朴泰赫氏は「儒教は、何よりも偽善的だ。儒教は中国生まれであるが、中国人は食人種である。…孔子も、日常、人肉を食べていた。…孔子が最も愛していた弟子の子路は論争に負けて、相手に食われている。『三国志』の劉備玄徳が地方の家に招かれて、人肉を食べる生々しい場面が出て来る。」(『醜い韓国人』)と書いてゐる。

 

支那においては、最近まで食人の習慣があったのである。日本人と支那人は、同文同種だなどということは絶対にない。文化も習慣も民族性も根本的に異なることを我々はしっかりと認識しなければならない。

 

| | トラックバック (0)

2017年3月21日 (火)

千駄木庵日乗三月二十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、『政治文化情報』の発送準備、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

『教育に関する勅語』に示された忠孝精神は、日本国民が永遠に遵守すべき徳目である

 明治二十三年十月三十日、明治天皇は、山県総理大臣と芳川文相を官中に召して『教育に関する勅語』を下賜された。国民教育特に道義教育の基本として渙発されたのが『教育に関する勅語』である。

 

『教育に関する勅語』が日本国民に大きな感化をもたらしたか、計り知れないものがある。マルクス主義経済学者河上肇ですらその代表的著作『貧乏物語』において、「人間としての理想的生活とは、…自分の肉体的生活、知能的生活及び道徳的生活の向上発展を計り、…進んでは自分以外の他の人々の肉体的生活、知能的生活及び道徳的生活の向上発展を計るがための生活、すなわちそれである。さらにそれをば教育勅語中にあることばを拝借して申すさば、われわれがこの肉体の健康を維持し,『知能を啓発し、徳器を成就し』、進んでは『公益を弘め、世務を開く』ための生活、それがわれわれの理想的生活というものである」と論じた。

 

しかも明治天皇は、『教育勅語』に示された徳目を、臣民にだけ行じさせやうとされたのではない。『教育勅語』には、「朕爾臣民ト共ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と示されてゐる。

 

「君に忠・親に孝」の精神が日本人の倫理観の基本である。『教育勅語』には、「…我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」と示されてゐる。日本人の倫理・道徳の根本は、私心をなくして天皇と親にお仕へすることである。

 

加藤常賢・山田勝美両氏著『角川当用漢字字源辞典』によると、「忠」の字義は、「意味を表す『心』と音を表す『中』からなる形声字(意味を表さないで単に「音」だけを表す文字と、その字の意味そのままに用いた字を二つ合はせて一字にしたもの)で、『中』の表はす意味は「中空」であるといふ。つまり「忠」とは己の心を空しくして他者のために盡す心の意である。

 

「孝」は、意味を表す「老の省略形」と、音を表す「子」(カウ)からる形声字。「子」の音の表はす意味は「養ふ」。親によく仕へる意。即ち、「忠」も「孝」も、己を空しくして君と親に仕へる意である。

 

頭山興助氏によると、筑前勤王党そしてそれに続く玄洋社の基本精神は、「皇御国(すめらみくに)の 武士(もののふ)は いかなる事をか勤むべし ただ身に持てる真心を 君と親とに尽くすまで」であるとのことである。

 

この歌は、『黒田節』の一節として人口に膾炙してゐるが、本来、旧福岡藩領で愛唱された「筑前今様」の一節である。「今様」は平安時代中期から流行した歌謡。七五調四句からなる。宮中の節会にも歌はれた

 

この一節は、筑前勤王党の指導者として幕末に活躍し藩論を討幕へと転換せしめたが、佐幕派により切腹せしめられた福岡藩家老・加藤司書(かとう ししょ、文政十三年三月五日(一八三〇年三月二八日)―慶応元年十月二十五日(一八六五年十二月十二日))の作である。ここには、日本民族の基本的倫理精神である「君に忠・親に孝」が歌はれてゐる。そして忠義も孝行もまごころを尽くすことである。このことが筑前勤王党そして玄洋社の基本精神である。

 

親の恩愛に対して感謝の念を持たない人は、天皇の恩愛に対しても感謝の念を持たないとされる。忠と孝とは不離の関係にある。わが国において親孝行が大切とする時、それは即ち尊皇精神とつながる。

 

「大君の命(みこと)かしこみ磯に觸(ふ)り海原を渡る父母を置きて」

 

これは『萬葉集』の防人・助丁丈部造人麻呂(すけのよぼろせつかべのみやつこひとまろ)の歌である。「大君の御命令を謹み体しまして、任務を果たすために、危険な荒磯の間をぬって海原を渡っていきます」といふほどの意である。

天皇への忠義の心と親を思ふ心を深く切に歌ってゐる。この「君に忠・親に孝」の精神こそが日本人の倫理観の基本である。己の心を空しくして真心を尽くして君と親とに仕へる、これが日本の伝統的倫理精神の基本である。

 

わが国においては、古来、天皇・両親に私心なくお仕へ申し上げる心を、汚れのない「きよらけき心」、暗いところのない「あきらけき心」、別の言葉で言へば、「心の清さ・いさぎよさ」が尊ばれた。これを「清明心」といふ。日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。

 

西谷啓治氏(昭和期の哲学者。京都大学教授)は次のやうに論じてゐる。「(注・『神皇正統記』に)天照大神もたゞ正直をのみ御心とし給ふ」といひ(巻二)、また神鏡をこの御心を現すものとして、『鏡は一物をたくはへず、私の心なくして万象を照らす。…これ正直の本源なり』と言ってゐる(巻一)。…私の心なき清明心は、他方では神ながらの道の本質として、国家清明の真髄をなし民族の歴史の内に伝統してゐるものである。…『君も民も神明の光胤を受け、或は正しく勅を受けし神たちの苗裔なり』(巻一)といふ言葉もある。すなはち清明心は私心を滅した時に現れる心源であると同時に、天照大神の御心として国家清明のうちに伝へられ、神たちの苗裔として吾々の地の内にも流れてゐる」(『近代の超克私論』)

 

「清明心」は、『古事記』「神代の巻」特に天照大神と須佐之男命が「誓約(うけひ)」をされる条に出てくる。天照大神は須佐之男命にその心の正しく清らかなことを知りたいとおぼし召されて、「然(し)からば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にして知らまし」と仰せになられた。

 

さらに、天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。

 

「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の基本的な道徳観念である。それは長い歴史の流れの中で自然に培はれてきた傳統なのである。

 

「清明心」即ち「あかき心」「清き心」は、仏教や儒教が輸入される以前からわが民族の「あるべき心」とされてきた。その「無私の精神」「清明心」を体現されるお方が天皇であらせられる。天皇が地上における神の御代理即ち現御神であらせられるのは、天皇が無私・無我となって神を祭られる祭祀主であらせられるからである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

「清明心」は別の言葉で言えば、「捨心無我」であり、その「清明心」の体現者が「記紀神話」の世界では須佐之男命であらせられ日本武尊であらせられる。日本武尊が「清明心」即ち「清らけく明らけき心」を尊ばれたことは、日本武尊が薨去された後、白鳥となられて故郷である大和へ飛んで行かれたことにも表れてゐる。

 

『教育に関する勅語』に示された忠孝精神は、日本国民が永遠に遵守すべき徳目である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、二十六日に開かれる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2017年3月20日 (月)

野嶋剛氏(ジャーナリスト、元朝日新聞台北支局長)による「台湾とは何か―日本に求められる台湾への新思考」と題する講演内容

昨年十一月二十六日に開催された『アジア問題懇話会』における野嶋剛氏(ジャーナリスト、元朝日新聞台北支局長)が「台湾とは何か―日本に求められる台湾への新思考」と題する講演内容は次の通り。

 

「自由は良い。しかし自由は代価を伴う。『朝日新聞』という重しが取れたのは、言論に関わる人間として気分が良い。フリーな活動を始めるにあたって、本年五月に台湾新政権発足と同時に、『台湾とは何か』という本を出した。これまでの日本人の台湾観を批判的にとらえ直した本。

 

『蔡英文の台湾』の誕生は節目であると感じる。民主化してからもう三十年。平和的革命、段階的に民主化が進んだのは世界的に稀有なこと。安倍政権が長期化。最も親台湾政権。日中対立は、日台接近が関わっている。

 

二〇一六年の選挙の意味で大切なのは、台湾のアイデンティティの結論が出たこと。独立か統一かの結論が出た。中台対立は兄弟喧嘩と評する人が多かった。しかし今の台湾問題をこういう立場で語る人は台湾のことをよく理解していない。中台関係は男女関係。中国は男。台湾は女。性格も理想も違うので結婚は無理と思っている。今度の選挙は心の中で独立の覚悟を決めた選挙。

 

中台関係は変化が起きている。アメリカからの支持が台湾総統選挙では重要な要素。『台湾は台湾であり中国ではない、自分たちは台湾人であり中国人ではない』と思うようになった。台湾人に『あなたは中国人ですね』と言うと侮辱になる。二〇〇〇年以降そうなった。自分たちは中國人だと思っている外省人第一世代は五%。次第に減る。

 

日本は台湾を二回捨てている。一九四五年の台湾放棄。一九七二年の日台断交。交流協会の二〇一五年の調査では、『日本が一番好き』と答えた人が五六%。六十代の親日の度より、二十代の親日度の方がはるかに高い。観光・文化交流によって日本が好きと言う人が若者に多い。台南の地震の時に日本からものすごい支援があった。東日本大震災の時は日本からものすごい支援があった。

 

『日華関係』と『日台関係』の二つがある。『日華関係』とは『日中関係』のコインの裏側。日台関係は民間の人的交流。『以徳報怨』=蒋介石への恩義論は台湾人には実感なし。台湾は常に外来政権に支配されてきた。日本人は台湾への関心が強い。『台湾の民主化』がキーワードとして成り立たなくなった時に、地震で善意の連鎖が起きた。キーワードが変わってきた。日本は安定的な台湾政策を持つべし。

 

右寄りの論壇人やメティアは蒋介石を支持していた。民主化が始まると台独にシフト。李登輝が国民党から離れたのと同じように、日本の右も国民党から離れた。民進党はリベラルな政党。蔡英文は反原発。マイノリティ。これを日本の右が支援。民進党が反中国だから支持している。日本の左=朝日新聞・岩波書店、以前のNHKは、蒋介石時代には台湾を徹底的に批判していた。朝日には二〇〇年まで蒋介石の記事は全くと言っていいほど出てこない。それと反対に毛沢東を大きく取り上げた。軌道修正をしていても台湾に対して明確なビジョンを示すことはできない。思考停止になっている。二〇〇年以降朝日は頑張った。最近の朝日は産経よりきちっと書いている。

 

台湾の民進党はリベラル政党だが、日本の左派は台独に対する心理的嫌悪感がある。中國からの批判を恐れている。右の人は、『台湾頑張れ』という主観を持っている。左の人はそれがない。少数者が生存を求めて権利を勝ち取っていくのがリベラルなのに、中国の枠を課せられて台湾を支持出来ずにいる。台湾応援団は右に取られている。左は後れを取っている。

 

中台関係は大事だが、日本人がどう思うかとは本質的に関係ない。中国の言論統制は嫌いだが、中国そのものは否定できない。台湾が好きな人に中国を悪く言う人が多い。日本もアメリカも二者択一からスタートしている。客観的に台湾社会の変化を正視すべし。何故、台湾は尖閣流有権を主張しているのか。蒋介石は琉球独立を支持した。健全で普通の隣人になるにはどうしたらいいのかの一点に尽きる。

 

台湾人のアメリカへの好感度は低い。アメリカとの距離は日本ほど近くはない。台湾は戦勝国なので、アメリカの支配に入って来なかった。台湾でエリートになるには、アメリカに留学しなければならない。庶民レベルではアメリカ体験は共有されていない。アメリカは台湾に旧世代の戦闘機を最新型と同じ値段で売りつける。アメリカの横暴が見える。弱者の身も蓋も無い現実を台湾人は見ている。

 

沖縄県民の台湾への意識は分かりづらい。少なくとも沖縄の左派は親中的。台湾は冷淡。八〇年以前の日本の如し。琉球独立団体は中国と仲良くしたい。太田元県知事は中国によく招待される。マイノリティなのに同じマイノリティに冷淡。戦後、台湾人が数多く沖縄に移住している。台湾の人々、民進党は『沖縄基地を削減すべはではない』と言い沖縄の反基地闘争を批判する。習近平がいくら圧力をかけても、台湾人に中国との統一意識が甦ることはない。馬英九時代に台湾化が圧倒的に進んだ。

 

台湾は国家としての枠組みを持っている。台湾は政府、人民・軍・法制度を持ち、選挙をしている。国際承認だけが欠けている。香港とは明らかに異なる。香港は制度上、中国に入っている。香港は司法も中国にコントロールされている。民意を無視している。香港の人は希望を寄せる出口が無い。危ういところに追い込まれている。中学生高校生は独立思想に染まっている。香港は香港という流れが加速している。このままで行くとえらいことになる。『今日の香港明日の台湾』と言われている。

 

香港情勢は台湾に大きな影響を及ぼしている。香港と台湾は連動しながら中国に対抗している。中国は主権が及んでいない台湾に対して『鳴かぬなら殺してしまえホトトギス』というアプローチはできない。主権が及んでいるチベット、ウィグルに対しては殺してしまう。香港も独立を主張すると、国家統一の反するということで思想犯になる。『殺してしまえ』というアプローチでやって来る。台湾にはそれは出来ない。

 

台湾は南向政策を打ち出している。ASEANとの関係強化を図っている。台湾も南洋文化の一部である。台湾は中華よりもアジアとつながっている。アジアとの一体化を強調。しかし現実にはASEANは台湾を受け入れる状態ではない。カンボジア、ラオス、タイは中国が何を言っても『ハイ』と言う。マレイシア・シンガポールは自由陣営。フィリッピンは新大統領になって中国に傾いている。台湾人自身が国名についてコンセンサスを持つべし。台湾自身が『中華民国』を『台湾』にしていない。大使館名も『台湾代表処』にすればいい」。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十九日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

親族が来宅して、諸事相談、打ち合わせ。

この後、原稿執筆・資料の整理。

| | トラックバック (0)

2017年3月19日 (日)

真の保守とは「國體護持」である

所謂保守政治家と思われている人が実はそうではなかったという人が随分沢山いる。小沢一郎氏、加藤紘一氏、河野洋平氏等はそういう政治家だったと思う。この人たちはみな二世政治家である。即ち、父親が政治家だったから家業としての政治家を受け継いだだけなのである。

 

安倍氏の祖父岸信介氏が安保改定を推し進めた時、衆議院の安保特別委員長としてこれに協力したのが、小沢氏の父小沢佐重喜氏である。この時、小沢佐重喜氏は左翼革命勢力の攻撃にさらされ、湯島にあった自宅にもデモ隊が押し掛けるような事態になった。

 

小沢一郎氏は、父の苦労を見ていたので、岸氏に対して特別の思いがあると思われる。だから、小沢氏はその著書で「戦時中の指導者が戦後政治の中枢に戻ったことは納得がいかない。無責任である」という意味のことを書いた。しかし、戦後日本の復興は戦前の世代の人々の努力によるのである。また、小沢氏の主張を突き詰めれば、「昭和天皇退位論」にもつながるし、大東亜戦争否定論にもつながる。さらに最近の小沢氏は、共産党・社民党などと手を組んで反自民の急先鋒になっている。

 

今日のエリート官僚に多くは、「中道左派」と言われている。戦後の偏向教育を受けて優秀な成績を収めたのであるからそれは当然のことかもしれない。

 

保守とは何かの定義も問題である。ただ現状維持という意味では真の保守ではない。小生は真の保守とは「國體護持」であると考える。尊皇愛国・國體護持の姿勢こそが「保守」であると信ずる。であれば、今日の自民党議員の中にも、そして元自民党の議員の中にも「真の保守」とは言えないような人がいるようである。「天皇に人権はない。譲位などさせるな」「昭和天皇は『A級戦犯』をアメリカに差し出した」などと声高に主張する亀井静香氏はその典型である。

| | トラックバック (0)

『屏風にあそぶ春のしつらえ』展を参観して

本日参観した『屏風にあそぶ春のしつらえ』展は、「春を彩る屏風の名品と、茶道具や新収蔵品のおもてなしのうつわをあわせて披露します。本展では、江戸時代・寛永3年(1626)、将軍・徳川家光、その父秀忠の招きに応じ、後水尾天皇が京都・二条城に行幸する様子を描いた《二条城行幸図屏風》を展示します。行幸の道沿いでは見物する大勢の人々が描かれ、みな着飾り思い思いに過ごす情景は、京風俗の宝庫といえます。前期では、《誰ヶ袖図屏風》(江戸時代・17世紀)や《扇面散・農村風俗図屏風》(江戸時代・17世紀)を、後期では《大原行幸図屏風》(桃山時代・16世紀)や俵屋宗達にはじまる俵屋工房制作の「伊年」印《四季草花図屏風》(江戸時代・17-18世紀)などと共に、華やかな春の世界をどうぞお楽しみください」(案内書)との趣旨で開催された。

 

《二条城行幸図屏風》江戸時代・17世紀、《丹波茶入 銘 山桜》江戸時代・17世紀、《紅葉呉器茶碗》朝鮮時代・16世紀、菊池容斎 《桜図》江戸時代・弘化4年(1847)、《誰ヶ袖屏風》江戸時代・18世紀、などを参観。

 

《二条城行幸図屏風》は、寛永三年(一六二六)九月六日、後水尾天皇が京都における徳川将軍の居城である二条城に行幸された時の、天皇と将軍の行列図である。後水尾天皇をお招きしたのは、当時大御所とよばれた前将軍・德川秀忠、第三代・将軍徳川秀忠である。招かれたのは、後水尾天皇、中宮和子(まさこ)そして皇族方である。和子様は秀忠の五女であられる。

 

幕府が、天下を掌握した徳川氏の威信と正統性を天下に示した大行事であった。また公武関係の融和を図る意味もあったとされる。京都の民衆は、将軍の先導で、二条城に赴かれる天皇・皇族方の絢爛たる行列を見て、徳川氏が天下の覇者となったことを強烈に印象付けられたであろう。

 

この行幸を企画したのは、南禅寺の僧・金地院崇伝である。金地院崇伝は徳川将軍のプレーンであり「黒衣の宰相」と言われた人物である。彼は、この行幸の後に起こった「紫衣事件」や、この行事の前、家康存命中の「禁中並びの公家諸法度」制定にも深く関わった。朝廷の廷臣では烏丸光廣が有職故実に基づいて関与したという。

 

この行幸の翌年に、幕府による朝廷規制圧迫策である「紫衣事件」が起こった。その三年後に、後水尾天皇の御譲位が断行された。二条城行幸は、徳川幕府海幕以来続いた徳川氏による朝廷圧迫の最中の束の間の「融和」を示す行事とされる。

 

《二条城行幸図屏風》は、江戸時代から住友家に秘蔵されてきた。大切に保存されて来たためか、絵の具の退色・剥落が非常に少ないという。朝廷のお行列と幕府の行列が細部にわたって精密に描写されている。また沿道で集まった多くの老若男女の生態が克明に描かれている。当時の風俗を知るための貴重な資料とされる。

 

行列は御所から二条城まで堀川通りを南下した。天皇は鳳輦にお乗りになった。後水尾天皇には、内大臣二条康道、右大将九錠道房、右大臣一条兼遐、左大将鷹司教平、関白近衛信尋(のぶひろ)が供奉した。家光の行列は、天皇を奉迎するため中立売通を東上した。将軍の牛車は葵の紋に飾られ皇臣や摂関のみにゆるされる唐庇車(からひさしのくるま)であった。将軍・秀忠には、尾張・紀伊・駿河・水戸の徳川一門、伊達政宗など國持ち大名が鎧兜ではなく公家装束で供奉した。

 

後水尾天皇は『紫衣事件』や』『春日局参内』なを端緒とする幕府に対するお怒りを表明して三十四歳で譲位され、以後、五十一年にわたって院政を敷かれた。修学院離宮を造営され、本阿弥光悦など多くの文化人を庇護された

 

泉屋博古館編の『二条城行幸図屏の世界』には「舞台は『政治・経済・文化の総体』としての京都、登場するのは『この都にながく君臨してきた天皇一族』、そしてそれを見物する『豊かな民』。民衆は立会人であると同時に行幸を盛り上げる最大の立役者でもある。旺盛な観衆表現は、それを演出した将軍の天下の繁栄ぶりを知らしめる重要な役割をも果たしている。公・武・民がそろって始めて行幸図が完成するのだ。しかし行幸の後、程なく幕府は支配を強化し、朝廷も今日の町衆も完全に管理下におかれることとなる」と書かれている。

 

天皇の武家への行幸は、後陽成天皇の豊臣秀吉の聚楽第行幸以来、四十年ぶりのことであった。幕府の将軍が上洛し、参内し、行幸を仰ぐことによって、徳川幕府の正統性と権威を高めたのである。しかし、徳川氏は、表面的には、天朝尊崇の姿勢を示したのであるが、実際には此の行事の後にも「紫衣事件」など朝廷圧迫策をとり続けた。

 

徳川家康には基本的に尊皇心は希薄であったと考える。ただ徳川政権の持続と正統性の確保のためには、天皇及び天皇の伝統的権威を利用した。しかし、天皇・朝廷を京都に事実上の軟禁状態に置いた。

 

元和元年(一六一五)、幕府は『禁中並びに公家諸法度』を制定し、朝廷と宮家・公家に有史以来未曾有の掣肘を加へた。天皇・朝廷に対し奉り京都所司代が厳しい監視にあたった。

 

江戸時代初期、德川幕府の理不尽なる圧迫を受けられたに後水天皇は、「忍」の一字をしきりにしたためられた。私も何年か前に、京都岩倉の実相院で拝観した。 実相院第十七世義尊門主の母・法誓院三位局は、後陽成天皇との間に聖護院門主道晃親王をもうけているため、後水尾天皇とは兄弟のような関係にあり、後水尾天皇は 実相院へは度々行幸されたと承る。

 

後水尾天皇は、

「思ふこと なきだにそむく 世の中に あはれすてても おしからぬ身は」

「葦原や しげらばげれ おのがまま とても道ある 世とは思はず」

といふ御製をのこされてゐる。

 

江戸時代の朝廷は、德川幕府によって圧迫され掣肘され、迫害されたと言っても言い過ぎではない。故に、財政的にも窮乏した。古代・中古時代のような天皇の御陵を造営することもできず、江戸期の歴代天皇は、京都東山泉涌寺の寺域に造営された仏式の石塔の御陵に鎮まられている。徳川歴代将軍が、江戸の芝増上寺、上野寛永寺の豪華な墓が眠っていることと比較すると、德川氏の天皇・朝廷への態度がいかにひどかったかが、事実を以て証明されるのである。

 

江戸時代の禁裏御料はたったの三万石であったと承る。それも、家康が、慶長四年(一六〇一)五月、一五千石を献上した後、家光が一万五升四合、家宣が一万一斗余を献上し、ようやく三万石余になったといふ。まことに畏れ多いが、地方の小大名並の石高であった。

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十八日

朝は、諸雑務。

午前十一時より、六本木の泉ガーデンギャラリーにて開催された『第十七回 深見東州・バースデー書画展』開幕式に出席。数人の方々が祝辞を述べ、深見氏が挨拶し、テープカットが行われた。この後、展示作品を鑑賞。

_122801

テープカット

170318_122302

終了後、近くで出席していた知人と懇談。

この後、六本木の泉屋博古館で開催中の『屏風にあそぶ春のしつらえ』展参観。

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理など。

| | トラックバック (0)

2017年3月18日 (土)

お礼

小生が、満七十歳の誕生日を迎えましたことにつきまして、多くの方々からお心の籠った御祝詞を頂戴いたしました。御厚情に感激致しております。まことに有難うございました。

 

皆様方のお心を体してまして、今後より一層言論活動に精励させていただきます。

 

何卒宜しく御指導御鞭撻のほど、伏して願い申し上げます。

 

四宮正貴 頓首合掌。

| | トラックバック (0)

2017年3月17日 (金)

「一切は大御心のまにまに」が、臣下國民のあるべき姿勢である。立法府と行政府はこのことを正しく認識すべきである。

今上天皇が「祭」について詠ませられた御製を掲げさせていただきます。

 

平成二年

大嘗祭

父君の にひなめまつり しのびつつ 我がおほにへの まつり行なふ 

 

平成十七年

歳旦祭
明け初むる 賢所の 庭の面は 雪積む中に かがり火赤し

 

これらの御製は全て、皇居のおける祭祀の御事を詠ませられている。宮中三殿において、天皇のみ祭りが行われている。皇居は、明治維新前までは、徳川将軍家の居城であったとしても、今日は、まことに以て神聖不可侵の聖域である。

昭和三十四年四月十日、当時中学一年生であった私は、テレビで中継されていた宮中三殿賢所において執行された「結婚の儀」を拝した。その荘重さ、神々しさに感激したことを覚えている。

 

日本は、二十一世紀を迎えた今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現實の國家元首と仰ぎ、國家と民族の統一の中心として仰いでいる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限り続くであろう。

 

こうした事實が、西洋諸國やシナと日本國との決定的違いである。わが國が、長い歴史を通して様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。日本という國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、激しい変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇であらせられる。

 

皇位継承は國家と皇室の最も大事な事柄である。権力機構としての國家ではなく、信仰共同體・祭祀國家日本の根本問題である。権力機関たる行政府や立法府で方向性を決めてしまうべきではない。

 

皇位継承など皇室に関わる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。天皇は、神代以来の傳統の継承者・體現者であらせられる。天皇陛下の大御心に帰一すべきである。天皇の大御心は絶対に「恣意」ではない。

 

祭政一致のわが國の傳統においては、天皇の仰せごとは即ち神のご意志であり、民が守らなければならない「法」なのである。天皇の上に「法」があるなどといふことは絶対にあり得ないしあってはならない。天皇の仰せごとを「おほみことのり」と申し上げる。天皇の大御心は、日本国における最高の「のり」即ち「最高の法」なのである。

 

天皇國日本の「法」の尊厳性は、「みことのり」「天皇の仰せごと」といふところにある。天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威によるのである。

 

また、天皇の正統性は成文憲法によるのではない。まして、日本弱体化・伝統破壊の目的で戦後戦勝国によって押し付けられた「現行占領憲法」によるのではない。

 

現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。皇位継承・天皇御譲位・皇室典範改正など皇室に関することは、國家の権力機構である立法府・行政府で決めるべきではなく、最終的には、天皇陛下の「大御心」に遵うべきである。

 

『承詔必謹』が日本國民の道義精神の根幹である。天皇國日本存立および日本國民の倫理精神の基本は、天皇の「御稜威」と國民の「尊皇精神」である。神聖君主・日本天皇の「大御心」に対し、臣下國民が「清らけき心」「明けき心」で随順し奉ることが、日本國體の基礎であり、日本國民の倫理精神の根幹である。

 

旧『皇室典範』は、明治天皇が裁定され、制定された。即ち勅定である。議會や政府が定めたのではない。皇室に関わることは、輔弼の臣の節度ある建言は許されるとしても、すべて「大御心」を根幹にすべきである。「一切は大御心のまにまに」が、臣下國民のあるべき姿勢である。立法府と行政府はこのことを正しく認識すべきである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、外出して諸事。

帰宅後は、資料の整理・原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2017年3月16日 (木)

『第七五回日本の司法を正す会ー田中角栄とロッキード事件の真相を考える』における石井一元自治大臣の講演内容

〇昨年十一月十四日午後二時より、永田町の村上正邦氏事務所にて開催された『第七五回日本の司法を正す会ー田中角栄とロッキード事件の真相を考える』における石井一元自治大臣の講演内容は次の通り。

「村上さんとはバッチをつけていない時代からの付き合い。早川崇氏の所でよく逢った。五十年前のこと。村上氏は心が通い合う政治家である。

 

田中氏に関する本は二百冊出ているが、受け売りが多い。石原氏は作家なので文章はうまい。しかし新しいことはない。田中は二十年裁判の虜になった。無実のために命を懸けて戦った。私は完全に冤罪と思っている。この事件はアメリカが震源。

 

田中は繊維交渉で高い評価を受けた。総理になるとアメリカ追従ではなく自主独立外交を展開。総理就任二か月後に日中国交回復をやった。台湾派がものすごい勢力。『蒋介石という恩人を無視して中国の国交を回復するのか』という批判が起った。毛沢東・周恩来が生きている間にやらねばならないということだった。帰国したら暗殺されるかもしれなかった。アメリカの虎の尾を踏んだ。ブレジネフとの会談で、『四島返還』をテーブルに乗せた。アメリカはこの男を始末せねばならぬと思った。

 

ロッキード社のワイロ工作が発覚。全世界に飛び火。イタリアのモロ首相がトランクの中で、死体で発見された。赤い旅団が殺したということになっている。CIAの手先が関わったと私は思う。証拠はない。アメリカが世界支配するのに気に入らない奴は暗殺するというのが方針。国益追及のためなら何でもアリ。ビンラディンも殺害された。殺害する瞬間をホワイトハウスで大統領は見ている。この調査でアメリカに行った時、危険を感じた。

 

アメリカで集めた情報を積み重ねて田中に報告した。トライスターは機種が決まっていた。対潜哨戒機で追及すると国防費の国家汚職になるのでP3Cはすべて外した。

冤罪はストーリーを地検が作って証拠を集める。村木事件で私も狙われた。本人ではなく下と周りを固めて行く。百六十日間拘留されたら検事の言う事を聞いてしまう。個室の中の強者と弱者の関係。田中の運転手二人が死んだ。向うの言う通りにハンコを押してしまう。検事の気に入らないと壁に向かって立たしておく。『国民ためにやっている。これに署名しないとここから出られんぞ』と言われる。桧山会長に初めて会って三分間で五億円をあげるということにされてしまった。三木と稲葉は田中と犬猿の仲。『日本の民主主義のためにやれやれ』と言った。政府が『やれ』と言っている。獲物としても大きい。総理と雖も検察に狙われるとやられるということを天下に示したかった。

 

最高裁が『嘱託尋問をやれ』と無茶な事を言った。地検の暴走、最高裁の迷走。三木内閣の国策捜査、アメリカの意向、マスコミの姿勢が重なった。世論に巻き込まれると裁判所はクロとしか出せなくなる。田中は一切身に覚えがなかった。外為法違反だから田中への調べはない。組み立てたストーリーにはめ込むだけ。

 

一九八三年十月十三日の判決の日の朝、田中は無罪を信じていた。早坂秘書に『お前に苦労をかけたが今日から無罪だ』と言った。判決は懲役五年追徴金五億。田中は阿修羅のごとく怒って帰宅。七十人の国会議員に一時間から一時間半演説。『身に覚えのない者が何故有罪のなるのか。内閣総理大臣の地位を汚したと言われるのは耐えられない。命を懸けて戦う』と言った。

 

田中派を八十人から百四十人以上の派閥にした。自民党を支配しキングメーカーになった。中間派や他派の人が入ったのは金と地位が欲しかった。総理を辞めてから田中の闇支配は物凄いものだった。完璧そのものの闇支配の人事体制を作った。金丸・竹下は気分が良くない。創政会になった。

 

ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件で主任弁護士を務めた凄腕の持ち主だった米国の弁護士リチャード・ベンベニステ氏と契約を結ぶ時、田中の呼び出しを受け『アメリカの弁護士に帰ってもらってくれ』と言う。私は怒った。『アメリカに仕掛けられた事件をアメリカの弁護士に助けられたくなかった』というのが田中の精神構造。それほどアメリカを田中は嫌った。田中は無罪を信じ切っていた。やっていないものはやっていないという事。一審の弁護団は綺羅星の如き偉い人ばかり。二審から多くの若い人を入れた。冤罪を晴らすことを狙った。一審とは全く違った弁護士。

 

田中は、ゴルフをやり、オールドパーをあおり、脳梗塞で倒れた。田中が倒れていなかったら裁判がひっくり返っていた可能性あり。田中が亡くなって控訴棄却。最高裁で丸紅が有罪。

 

田中は目白の自宅で真紀子の監視の下で生活した。一切外部遮断。九年間さみしくて歯ぎしりして生きたと思う。私にも真紀子は絶対に会わせない。会ったのは中国要人のみ。キッシンジャーはその間に三回目白を訪問。キッシンジャーは田中を陥れた元凶の一人。やり過ぎたと反省したのだろう。

 

ロッキード裁判の直後に総選挙。私は落選した。アメリカに行って働き過ぎた。世論の総攻撃に反論した。ところが十二月十八日に落選。毎日、田中から『ピンはどうしているか』と電話があった。十二月末に田中邸に行くと、田中は涙を流して喜んだ。このおっさんのために心血を注いだ私は良いことをしたと思った。

 

総理に職務権限はない。桧山の請託、金銭授受もない。どうして有罪になったのか。人質を取って自白をとるのが冤罪事件に共通している。バンカーの中で『三木・稲葉の馬鹿野郎』と言っていた」。

この後、村上正邦・山口敏夫・平野貞夫・山本峯章の各氏などがスピーチ。質疑応答。村上正邦氏はますますお元気であった。

 

              〇

この報告は、小生のメモに基づくものです。文責は小生にあります。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿脱稿、送付。

午後六時より、水道橋にて、永年の同志と懇談。

帰宅後は、資料整理、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

神話と祭祀は分かち難く一體である

 

 神話とは太古の「神聖な歴史の物語」という定義がある。日本民族の「始まりの時」における神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事をつづった物語である。言い換えると、神話とは、日本民族の「始まりの時」を説明し、生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが、どのようにして生まれ存在し始めたかを語る。

 

 神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事など日本民族の始まりの時の出来事は、日本人一人一人およびその共同體としての國家の生き方・在り方(文化・信仰・文学・政治・教育・芸術など一切)の模範を示す。つまり、神話は日本民族そして日本國家を根源的なものを表現するものであり、日本民族の在り方・生き方に決定的な役割を持っている。

 

 「始まりの時」に帰ることによって現状を変革するという希望はあらゆる生命體が持っている。一人の人間として、新年を迎えた時や、春四月を迎えた時には、心機一転「初心」(始まりの時の心)に帰り新たなる気分になって仕事や勉学などに励もうとする。それと同じように、日本人一人一人およびその共同體としての國家は、つねに「始まりの時」=「神話の世界」への回帰によって現状を革新しようという希望を持つ。明治維新という國家的大変革も、「神武創業への回帰」(神武天皇が即位された時への回帰)がそのスローガンであった。

 

 そして神話の世界は、『古事記』『日本書紀』といった記録・文献として語り伝えられると共に、儀礼・祭祀という生きた現実として継承される。太古の神聖な物語を「文献」と「行事」によって今日まで伝えているという意味で、神話という「文献」と祭祀という「儀礼」は一體である。

 

 大林太良氏は「(神話と儀礼は)分かちがたくたがひに結びついている。儀礼は神話によってその意味が明らかにされねば効力を失い、神話は儀礼によって描きだされねば不毛である」(神話学入門)と述べておられる。 「祭祀」とは、「始まりの時」に行われた行事を繰り返し行うことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓い、祝詞奏上、玉串奉奠などを行うことによって、罪けがれを祓い清めて、人としての本来の姿に立ち帰るという行事である。言い換えると、一切の私利私欲を禊祓い去って生成の根源に回帰するということである。「無私」になって神に一切を「まつろう」(従い奉る)から「まつり」というのである。

 

 そして日本神話は、天皇を祭り主とする大和朝廷による日本の祭祀的統一という歴史を背景として成立したのである。

 

 日本においては、日本神話の「神聖な歴史の物語」は、今日ただ今も<天皇の祭祀>に生きている。神話の世界で、天照大神が行われたと同じ祭祀(新嘗祭)を、今上陛下は今日も行われている。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては、仏教やキリスト教といった世界宗教が日本に入ってきた後もそして、近代科学技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現実に生きている。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観を・文化観・宗教観を體現している。であるがゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。特に、今世紀の日本は、世界の中でめざましい変化と発展を遂げた國である。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥にある不動の核があった。それが日本天皇であることはいうまでもない。

 

 天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

 混迷する現代日本は、崩壊の危機にあるといわれている。よほどの変革が行われなければならない。しかし、上に天皇がいますかぎりは、この危機を見事に乗り切るための変革を断行することができる。古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にあったのである。

 

 今日の日本の危機を打開し救済するためには、「現代に生きる神話」すなわち<天皇の祭祀>への回帰しかないのである。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心を、道義的倫理的鏡としてならい奉るということである。それが理想的な國家実現の基礎である。 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十五日

午前は、諸雑務。

午後二時半より、三田の駐健保会館にて開催された『大行社幹部会』に出席。顧問としてスピーチ。

この後、銀座にて、台湾から来られた知人と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2017年3月15日 (水)

日台関係について

わたしは十日間ほど支那大陸を訪問したことがあるが、支那人の衛生観念の低さ実感した。汚い話で恐縮だが、南京のホテルの廊下に置かれている痰壺の上には、「痰壺に糞をするな」という張り紙があった。喫茶店ではトイレの床に仕入れた食品材料が置かれていた。有名観光地の水洗トイレは流れないから、糞が山のようになっていた。とても跨いで用をたす気にはなれなかった。

 

台湾人の中には国民党政権の恐怖政治時代を忘れてしまった人たちが少なからずおり、あの恐怖時代を知らない若者も少なくないという。共産支那の脅威は高まる一方であり、それに呼応する勢力が台湾内部に存在します。それはかつて〈反共〉を党是としていた国民党である。

 

私は、台湾の完全独立が一日も早く達成されることを願っている。日本と台湾は固く結んで、「中華帝国主義」と戦わねばならない。

 

しかし私は、台湾は日本の生命線とか、日米安保は日本の命綱というような考えは持つべきではないと考える。台湾との協力は大切だが、他の国がどのような状況になろうとも、日本は自ら国を守るという決意と態勢を確立していなければならない。保持しなければならない。台湾やアメリカの動向に一喜一憂してはならない。自立の精神が大事だ。

 

かつての同胞台湾人が、中華帝国主義の餌食になることだけは何としても食い止めねばならない。以前、老台湾人の方と話し合った時、その方の中学時代の恩師二人が、二・二八事件で国民党に虐殺されたということを聞いた。二・二八事件では日本統治下で高等教育を受けた多くの知識人が虐殺された。つまり、かつての同胞が支那軍に虐殺されたのである。われわれ日本人は、台湾人と共に、「中華帝国主義」の侵略と戦わねばならないと思う。

 

台湾の自立・独立の維持は日本の自立・独立の維持と直結する事は確かです。ただし、それはお互いの国が自分の国は自分で守るという強い決意と実力を確立しつつお互いに協力するということである。

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十四日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2017年3月14日 (火)

マスコミによるいじめ。魔女狩りについて

日本人の悪い癖は、ある特定の一人の人物を、みんなで寄ってたかって悪の権化として裁き、あることないこと暴き立てて糾弾し、責め苛むことである。マスコミは、マイクやカメラを突き付けてそういう人を追い回す。市中引き回しの刑の現代版である。しかもテレビは繰り返しその映像を垂れ流し的に興味本位に放送する。そういうテレビ映像を見て育った子供たちが学校で特定の子供を寄ってたかって苛めるのである。

 

「いじめ」とは、小學生・中學生の専売特許ではない。「戦後民主主義・平和主義」の「守り手」・「弱者の味方」を以て任ずるマスコミは、「知る権利」「知らせる義務」とやらを振り回し、カメラやマイクを持って「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象となっている特定の人物を追ひかけ回し、特定人物を責め苛む。これまで、かういふやり方でどれだけ多くの人々が血祭りにあげられ、「魔女狩り」の対象になってきたであろうか。小學生・中學生のいじめは、大人のこうしたやり方を真似しているに過ぎないのである。

 三島由紀夫氏は言う。「われわれは戰後の革命思想が、すべて弱者の集團原理によって動いてきたことを洞察した。…不安、嫌惡、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の道具に使ひ、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集團運動である」(『反革命宣言』)と。

 

革命思想のみならず、戦後日本全体を覆ってきた精神が、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」である。自分よりも富める者・幸福に見える者を憎み、嫉妬し、これを引きずり下ろそうという精神が國民に横溢している。それを煽り続けているのがメディアである。

 

「本是神州清潔の民」と言われるように、日本人の潔癖さは日本民族の優れた体質である。しかし、それが単に、嫉妬であり、自分よりも幸福そうな人を引き摺り下ろそうという精神に堕してしまってはならない。

 

われわれは、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、日本精神の真の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。

 

 

| | トラックバック (0)

天皇を祭祀主とする祭祀国家日本の本姿を現代において回復することが大切である

わが國の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。我が國は神話時代(神代)以来の伝統精神すなわち日本國民の歩むべき道がある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

 

わが國の伝統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。

 

天皇は日本国の祭祀主として、新嘗祭、春季皇霊祭、秋季皇霊祭などの多くの祭祀を行わせられている。そしてその祭祀は、自然に宿る神々と皇祖皇宗のご神霊へのお祭りである。天皇は、敬神崇祖の最高の実践者であらせられるのである。

 

祭祀は、自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本伝統精神の価値は今日まことに大切なものとなっている。天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家の本姿を回復することが現代の救済につながる。

 

天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の伝統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同体が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが現代の様々な危機的状況を打開する方途である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十三日

午前は、諸雑務。

午後は、来宅した業者の方と、お位牌・お仏壇のことについて相談。

この後、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2017年3月13日 (月)

第七十一回日本の心を学ぶ会

第七十一回日本の心を学ぶ会

 

日本と台湾を考える

 

米中関係が緊張を増しております。

トランプ大統領は台湾の蔡英文総統との電話会談を行いました。中国側は「こざかしい策略である」と反発し「ひとつの中国」原則を守るようにと釘を刺しました。

 

さらにトランプ政権の国務長官候補であったボルトン元国連大使は「米軍の台湾駐留」を提言する論文を発表し「海洋の自由を守り、一方的な領土の併合を防ぐことはアメリカの核心的利益である」と主張しております。

アメリカはふたたび台湾の地政学的な重要性を認識しつつあるようです。

このことは中国から尖閣諸島や沖縄を狙われている我が国にとっても他人事ではありません。

 

台湾は中国の覇権主義が猛威を振るう東シナ海と南シナ海の結節点に位置しております。

 

台湾こそが中国の覇権主義の最前線であり、自由世界を防衛する砦といえます。

日米にとって台湾は、まさに「不沈空母」の役割をになっております。 

しかしアメリカの研究機関は「2020年にはアメリカは台頭する中国から台湾を軍事的に守ることができなくなる」という報告書を発表しており事態はかならずしも楽観的ではありません。

 

台湾の未来には、台湾の住民2300万人の運命だけでなく、日本を含めたアジア全体そして国際社会の運命がかかっております。

 

米中の緊張が高まりつつある今こそ、日本と台湾について考えてみたいと思います。

 

【日時】平成二十九年三月二十六日 午後六時から

 

【場 所】文京区シビックセンター 会議室2
文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分、都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分、JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

 

【講 演】「台湾独立の正義と日本」

講師 四宮正貴 四宮政治文化研究所代表

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

この案内文は主催者が作成しました。

| | トラックバック (0)

母への挽歌

 

二日前には冗談を言ひしわが母は 今日は冷たき体となりぬ

 

両手にてわが手を握り微笑みし母を恋ほしむ生みの子われは

 

あまりにもむごき現実 さっきまで生きてゐし母はついに逝きたり

 

冷たくなりし母の額に手を当てて永久の訣(わか)れをかみしめている

 

明るくて優しき母と語らひし日々が思ひ出となるさみしさよ

 

母上を失ひし悲しみ深くして茂吉の歌を繰り返しを讀む

 

葬儀社の人がてきぱき仕事する姿を見つつ悲しみまさる

 

悲しさと悔しさ満つるわが心 母の遺体に真向ひをれば

 

わが母が静かに横たはる前に立ちわれは經を読む静かにぞ読む

 

再びは目覚めたまはぬわが母の遺体に向かひ経讀みまつる

 

遠くへと行きたまひたるわが母を呼び返すすべのなき悲しさよ

 

もう二度と語らふことの難ければ母の動画を繰り返し見る

 

ついにして声をかけても応(こた)へなき母となりたり悲しみの極み

 

(えにし)ありし人ら集ひてわが母の遺影に御手を合はせたまへり

 

やさしき笑みの母の遺影を見つめつつ安らかな眠りをただに祈れり

 

母の柩(ひつぎ)運びて行けりこの世から去りたまひ行くを悲しみにつつ

 

余りにも少なき遺骨に胸迫る小さき体の母にしあれば

 

これの世を去りたまひたるわが母の御霊は永久に我を守らす

 

わが母よこの世を去りしわが母よ 永久に守らせわれの行く手を

 

母と二人語らひし日々は去り行きてやさしき笑みの遺影を仰ぐ

 

父の遺影の隣に置きし母の遺影やさしき笑みで我を見つめる

 

花を飾り華やげる如き仏壇にわが父母の笑顔の遺影

 

父母は御霊となりて生みの子の我を護らすことを信ぜん

 

毎朝毎夕母の遺影を拝ろがみて懐かしむこととなりしさみしさ

 

やさしくも愛しかりにしわが母を思ひ出すなり思ひ出すなり

 

慈母の笑み浮かべる母の写し絵を見つめつつ我の胸熱くなる

 

尽きせぬはわが思ひかも 花を供へ父母の遺影に手を合はす時

 

やさしき笑みの母の遺影を拝ろみがみて心安らかになりにけるかも

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十二日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、『伝統と革新』の編集の仕事、資料の整理など。

| | トラックバック (0)

2017年3月12日 (日)

日本國は現御神日本天皇を君主と仰ぐ神聖國家である

 天津日嗣日本天皇は権力や武力で國家を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は天神地祇を祭られる<天皇の祭祀>である。日の神信仰はわが國だけに傳へられてゐる信仰ではないが、稲作生活を営む日本民族にとって太陽はなくてはならぬ存在であるので、わが國では、日の神信仰(太陽信仰)はより強固なものであった。その日の神の御子が祭り主日本天皇であらせられる。

 

 天皇は祭祀主として神様に祈り、神を祭り、神の御命令を民に傳へるご使命を果たされる。ゆへに、民から仰ぎ拝すれば、天皇は地上における神の御代理即ち現御神であらせられる。日の神の御子として國家を統治されるといふ御自覚は、御歴代の天皇に一貫してゐる。

 

 聖徳太子は隋の煬帝に出した國書(國の元首が、その國の名をもって出す外交文書)に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」と記し、「日本天皇は日の神の御子である」といふ信仰を高らかにうたひあげた。当時の先進國・隋に対して、このやうな堂々とした國書を提出したのである。

 

 この聖徳太子の偉大なる御事績を拝して明らかな如く、「天皇は日の神の御子である」といふ思想は七世紀中頃、即ち大化改新以後につくりあげられたといふ説は、大きな誤りである。           

 

 天皇が日の神の御子として國家を統治あそばされるといふ御自覚は、御歴代の天皇に一貫してゐる。第一一六代・桃園天皇(江戸中期)は、

 

「もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)の光とぞ思ふ」

 

といふ御製を詠ませられてゐる。        

 

 天皇が御即位の大礼において、高御座に上られ、天下万民の前にお姿を現されるお姿は、「冕冠・大袖」である。「冕冠」は、『古事談』によると、応神天皇以来のものとされ、中央に金烏を描いた放射状の日像(ひがた)を立てる。これはまさしく日の御子のお姿である。つまり即位式において、天皇が高御座に登られるのは、新しい太陽神の地上における御誕生なのである。また、大嘗祭における鎮魂のみ祭りも、日の神の再生の祭りといはれてゐる。

 天皇が御即位された後初めて行はれる新嘗祭を大嘗祭といふ。大嘗祭は、全國各地から集めたお米を天照大神にお供へをして、五穀の豊饒を感謝すると共に、天皇がお供へしたお米を神と共に食される。そして天皇・神・穀物の霊が一體となる行事である。このみ祭りによって、天皇は、現御神(地上に現れた神」としての神聖性を保持される。

 

 大嘗祭は、天孫降臨の繰り返しの行事である。そもそも「まつり」とは元初(ものごとの一番始め)の行事の繰り返しである。天照大神は邇邇藝命に稲穂をお授けになって「このお米を地上にたくさん實らせ、豊葦原瑞穂の國を統治しなさい」と御命令になる。邇邇藝命は、その稲穂を奉持して、真床追衾(まとこおふふすま)に包(くる)まれて地上の高千穂の峰に天降られる。真床追衾とは、床を覆ふ夜具で、おくるみ(赤ん坊を抱く時、衣服の上からくるむもの)のやうなものである。

 

 日嗣の皇子の御魂と天照大神と神霊と稲穂の霊と一體となり、日嗣の皇子が日の御子(現御神)としての神聖性を開顕される祭祀である大嘗祭においても、天皇は真床追衾に包まれるといふ。大嘗祭によって新しい天皇が、先の天皇と同じやうに神と一體となられるのである。つまり御歴代の天皇は、御肉體は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

 大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。大嘗祭は、持統天皇の御代から行はれるやうになった。

 

 日本は、現御神日本天皇を君主と仰ぎ天地の神々が生き給ふ國である。それは、わが國の歴史を見れば、否定することは全く不可能な事實であり、建國以来のわが國體である。

 

 日本の傳統精神・國家観・人間観を隠蔽してゐる元凶は現行占領憲法である。憲法は國家あっての憲法であり、國家理念を正しく規定されていなければならない。

 

 わが國の悠久の歴史の中に築かれた不文の國體に、憲法の条文なり思想が合致してゐなければならない。終戦直後、國際法の禁を破って押し付けられた「現行占領憲法」の無効を確認し、わが國の國體精神に立脚した憲法に回帰すべきである。

 

 今日、外来思想である「君主と対立する人民が國家の主権者である」といふ「國民主権論」が横溢し、わが國の國家傳統の隠蔽し破壊してゐる。そしてそれが一般國民の常識となって浸透してゐることは實に以て、國家存立の基礎を揺るがす事實である。今回の「天皇陛下の御譲位」をめぐる政府及び國會の動きを見てそのことを切實に実感する。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十一日

午前は、諸雑務。

午後二時より、靖國神社境内の靖國會館にて、『第四回日本學講座』開催。平井正修全生庵住職が「山岡鐡舟居士と武士道」題して講演。質疑応答。

帰途、出席されていた長年の友人と懇談。

帰宅後は、書状執筆・資料整理など。

| | トラックバック (0)

2017年3月11日 (土)

千駄木庵日乗三月十日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理など。

| | トラックバック (0)

日本伝統信仰・伝統文化・伝統精神を現代の価値として再生せしめるべし

 戦後日本は、ひたすら経済一辺倒でやってきた。エコノミックアニマルなどと罵られながらも、世界第二位の経済大国に発展した。その陰で、伝統・文化・道義・道徳は二の次となった。むしろ、戦前に謳歌された尊皇愛国・滅私奉公は国民を戦争に駆り立てた邪悪なる思想だとして排除された。

 

 しかし今日、その経済大国の地位・経済的優位性も揺らいでいる。日本の大きな強みだった「物づくり」の伝統が傾き、生産コストの安い海外に生産拠点が移された。このまま推移すれば、日本の社会はさらに空洞化する。

               

 今こそ、日本伝統精神と経済・政治・軍事を総合的にとらえるべき時である。日本ならではの独自の文化伝統を活用すべき時である。

 

 大和魂・武士道精神をはじめ和歌などの日本伝統文芸・神道という伝統信仰・伝統文化・伝統精神を現代の価値として再生せしめ、これらをハイテク技術製造業といった経済活動そして政治・外交・軍事そして何よりも教育と合体させるべきだ。それによって、他の国々に追随を許さない高度国民国家が建設される。それが、わが国が政治的・経済的に力強さを回復する切り札である。

                            

 とにかく国家存立の基本は伝統精神であり道義である。それが国家・国民の真の発展と繁栄の基盤だ。

 

 日本の固有のみの、伝統文化・伝統精神を現代に生かすことが大切である。「グローバリズムとは外にあるものを受け入れて順応し行くこと」だそうだがそれは建国以来の日本がやってきたことである。何も二十一世紀になって始めたことではない。

 

しかし、外から入ってくるものに摂取するということは、無原則に外来文化文明法令れ独自の伝統を捨て去ることではない。日本伝統精神をしっかり確立した上に外来文化文明を咀嚼し同化させてきたのが日本である。日本独自の文化伝統の中にむしろ普遍性があるのである。今日、日本から、その日本の文化伝統文化を世界に発信していくべきである。

| | トラックバック (0)

2017年3月 9日 (木)

『世界は一家、人類は兄弟』とは?

昔、大勢の人が行列をして、「世界は一家、人類は兄弟」と叫ぶテレビコマーシャルがあった。その同じスポンサーのコマーシャルでは「戸締り用心、火の用心」と叫ぶのもあった。

 

私は「世界が一つの家で人類が兄弟なら戸締りは要らないではないか。全く矛盾している。これではまったく日本浅薄振興会だ」と思った。しかし今は、このコマーシャルは「理想と現実との乖離」を的確に示していたと思うようになっている。決して「浅薄」ではなく、世の中の真実を訴えていたのだ。

 

誰でも世界の平和を願っている。しかし、現実世界は闘争戦争の繰り返しである。それが人類の歴史であり現実なのだ。今日、それはますますひどくなっている。自己防衛・安全保障体制を確立しておかないと、何時、外敵からどんなひどい目に遭わされるか分からない。

 

平和な世の中を願う気持ちは大切にしなければならない。また人と人とは出来得る限り信頼し合い愛し合わねばならない。しかし、自分自身そして祖国を外敵から防衛することは決して怠ってはならないと実感する。

 

実の兄弟・義理の叔父まで無惨に殺してしまう独裁者が支配し核武装してミサイルをわが国周辺海域・排他的経済水域にミサイルを撃ち込む国、そして周辺諸国を侵略支配し政敵を監獄に放り込む独裁者が支配している核大国がすぐ隣にあるのだから。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月九日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時より、親族と今後のことについて相談・打合せ。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

日本ナショナリズムの基礎となるもの

 「グローバリズム」に対する反発が強まり、「ナショナリズム」の時代になりつつあると言われている。「ナショナリズム」とは、一つの民族が他の民族の支配を排除して、自身の國家の独立を回復あるいは維持しようとする國民的規模の思想及び行動であるとされる。さらに言えば、「ナショナリズム」とは、将来へ向けて自國・自民族が独立を維持するための精神であって、決して回顧的なものではない。

 

 明治維新の基本精神が神武建國への回帰であったように、インドの反英独立運動=ナショナリズムの思想的基盤が古代精神への回帰であったように、ナショナリズムの基礎にはその國の古代からの伝統精神への回帰があった。これを復古即革新という。

 

 天皇中心の國體には基本的には変化はなかった。政体・制度としての天皇のあり方は歴史的に様々な変化があった。江戸時代・明治維新から終戦まで・戦後五十数年の天皇の政体上のあり方には大きな違いがある。しかし、天皇の伝統的な権威は、古代から今日に至るまで、如何なる政体の変化があってもわが國の歴史を貫いて存してきた。

 

天道是氏は、「ナショナリズムには国際的連帯はありえないとしている。」(「右翼運動一00年の軌跡」)しかし、日本主義は世界を導く思想であるとすれば世界各民族との連帯・各民族の救済はあり得る。

 

「ナショナリズムそれ自体が悪だとは思わない。自分の国への愛着や誇り、国を良くしたいという熱意、同胞への友愛、そうした思いには社会的な連帯を支えるプラスの面がある。だが、ナショナリズムには危険な面がある。自ら信じる価値がすべてだと思い込み、他国の人々が持つ価値を認めない。そんな内向きの論理に閉じこもってしまえば、、排外的な感情に転化しかねない」という意見がある。

 

元寇の時に、わが民族の「ナショナリズム」が勃興した。それは「神国意識」を伴った。その国の傳統信仰は、その民族の精神の最も端的な表現である。故に、元寇の時も日本伝統たる神道精神・神国意識が勃興した。対外的危機感が神国思想を再興させたのである。

 

 西欧列強の侵略からわが國を守り独立を維持しなければならなかった幕末の時期においても、民族的団結即ち「ナショナリズム」が興起した。西洋の侵略に抗してわが國の独立を守り伝統を守護するために、天皇を「ナショナリズム」の核として戴くことは正しかったし、それが歴史的必然であった。近代において独立を守り通した天皇國日本は、西洋列強の侵略支配にさらされたアジアの希望の星となった。

 

國家的危機においてはわが國は、天皇を中心とした國家的統一すなわち國體の本来の姿・あるべき姿に回帰する運動、そして天皇及びご皇室を中心にして「ますらをぶり」「剣魂」「もののふの心」が勃興した。これが日本における「ナショナリズム」である。

 

危機的状況を迎えた今日において、天皇を中心とする國體への回帰による危機突破という日本的ナショナリズムが勃興して来なければならない。それがわが國の歴史伝統である。 

 

「ナショナリズム」は、歴史意識・傳統信仰と深く結びついている。と言うよりも不離一體である。自己の意識の中に民族の歴史を蘇らせることによって、ナショナリズムが形成される。國家的危機に際會した時、それを撥ね退けんとしてその國民がその國の歴史意識・傳統精神を根底に置いて運命共同體意識を結集し、勃興する精神と行動が「ナショナリズム」である。民族の歴史を國民一人一人の精神の中で甦らせ、自己の倫理観・道義感の基本に置くことによって民族の主體性が形成される。

 

今日わが國は外圧の危機が顕著になっている。それは明治維新前夜よりも深刻な状況である。そして人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主體性・帰属意識を回復する以外に無い。

 

今こそ「ナショナリズム」が勃興すべき時である。日本民族の歴史意識・傳統精神を我々一人一人の精神の中で甦らせ國民一人一人の倫理観・道義感の基本に置くことによって日本民族の意識=「ナショナリズム」が形成される。

 

日本ナショナリズムの基礎となるものは、天皇中心の國體を護持する精神である。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す維新運動を繰り広げねばならない。

 

わが國の古代史を回顧すると、白村江の戦ひに敗れ、唐新羅連合軍のわが國への侵攻の危機に見舞はれた時には、大化改新を断行し、天皇中心の國家體制を明徴化した。「壬申の乱」の後には、皇室祭祀および伊勢の神宮祭祀の制度が確立し『記紀』及び『萬葉集』が編纂され天皇中心の國家思想が正しく確立された。

 

今日の日本の危機的状況も、「ナショナリズム」の興起・日本傳統精神の復興により必ず打開し乗り切ることができると確信する。日本精神は、日本として真に日本たらしめてゐるもの、これなくば日本及び日本人が、存立できないものであって、理論的・教条的に説明できない。日本精神とは、天皇を中心とする國體より発生し継承されてきた国民精神である。

 

そういう精神を根幹として日本国をそして世界を変革しようとする行動的な思想が「日本主義」である。日本における「ナショナリズムとは「日本主義」である。

 

日本精神を実践し行動し実現する「主義」が「日本主義」てある。「日本におけるナショナリズム」即ち「日本主義」は一貫不変不動の日本精神を覚醒し、日本精神をその時代において実現せんとする主張であり政策であり主義である。「日本主義」とは、日本精神から噴出してきたところの現代日本を政治・経済・社会的に変革しようとする一つの行動原理と言い得る。

 

行動原理と言っても、秩序だった理論大系は無い。しかし秩序だった理論体系が無いということは、見方を変えれは包容力があり柔軟だということである。偏狭なるイデオロギーではない。良きものは悪しきものは捨てる精神だ。そういう意味で柔軟ではあるが強靭である。

 

明治維新も大化改新も外国から具体的改革策を取り入れている。しかし根本には尊皇愛国・敬神崇祖・万民和楽の日本精神があった。それを基礎としての具体的改革であった。今日においてこそ、「日本主義」を興起せしめねばならない。

| | トラックバック (0)

2017年3月 8日 (水)

千駄木庵日乗三月八日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。小生が大伴旅人、山上憶良の歌を講義。質疑応答。

終了後、出席者と懇談。

帰宅後、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2017年3月 7日 (火)

木造建築及び煙草について

以前、『日経』のコラム欄に、佐伯一麦という作家の方が。大要次のようなことを書いていた。

 

「鉄筋コンクリートの床があらわになった空間は、人の声を硬く撥ね返し刺々しくする。木造家屋で話をすると自分の声が天井などに柔らかく吸収され、自然な口調になる。学校でのいじめ問題も、校舎が鉄筋コンクリートになったため、声が硬く反響する空間で、苛立ちや拒絶が倍加するのではないか」。

 

小生の小学校時代は、戦後建てられた木造モルタル造りの校舎で、冬は石炭やコークスを使ったストーブで暖をとった。窓などから隙間風が入って来た。子供たちの殆どは手の平や耳たぶにしもやけが出来ていた。給食もうまくはなかった。一クラス五十人以上のすし詰め学級だった。

 

勿論、いじめっ子はいたし、いじめもあった。しかし今のような陰惨ないじめはなかった。自殺に追い込むというような歯止めのきかないいじめはなかった。

 

校舎が立派になり鉄筋コンクリート、冷暖房付きなり、給食がうまくなり、「教育施設」が充実しても、決して子供たちが伸び伸びと明るく健全に育っているというわけではないようである。

 

これは、学校に限ったことではない。人類全体が、科学技術が進歩発展し、生活が快適になっても、人と人との争い、国家民族同士の戦争は、ますます激化しとどまるところを知らない。むしろ科学技術が進歩発展しているだけに、戦争の惨禍がよりひどくなっている。

 

日本の建物を全部木造に戻すということは不可能だが、内部だけでも出来るだけ木と紙を使った建物にしてほしい。

 

先日、神田学士会館の喫煙コーナーに煙草を吸いに入ると、お年を召した男性の方が煙草を吸っておられた。その方曰く「煙草を吸う民族や地域はあまり争い事や戦争は起らない。アメリカは禁煙大国だが戦闘的だ。コーヒーは心を落ち着かせる効能持つ。煙草とコーヒーはむやみに抑制すべきではない」という意味のことを言っておられた。ご職業を聞くと、ある有名なコーヒーメーカーの元社長・現顧問とのことであった。

 

飲み過ぎは良くないに決まっているが、煙草は決して百害あって一利なしとは言えない。精神を落ち着かせる効能がある。ただし、煙草を吸う人は戦闘的ではないというのには大いに疑問がある。共産支那の初代皇帝・毛沢東も、北朝鮮の初代皇帝・金日成も愛煙家であったが、残虐さ・戦闘的という面では比類がない人物であった。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月七日

午前十時より、町屋斎場にて、母の『葬儀・告別式』執行。菩提寺住職による読経、喪主・遺族・親族そしてご参列いただいた方々の焼香が行われた。そしてて、荼毘に付され収骨が行われた。つづいて初七日法要が執行され、お斎が行われた。

帰宅して、遺骨を安置、拝礼。ご冥福を祈る。

この後、原稿執筆・書状執筆。

| | トラックバック (0)

2017年3月 6日 (月)

教育において「人の命・自然の命を拝ろがむ精神」を涵養することが大切

 

学校で人命に関わる事件が起こると、「学校長が全校集会で゙人の命の大切さ゛を改めて生徒たちに教えた」などと報道される。 

 

「人の命を尊ぶ心」は、人間が単なる物質的な存在であるとする唯物論からは絶対に出て来ない。「戦後教育」は、唯物論を本旨とするマルクス・レーニン主義勢力=左翼教員組合によって牛耳られ、学校教育の場において戦後一貫して唯物論教育が行なわれてきた。その結果が、現在の惨状である。

 

旧ソ連・共産支那・北朝鮮・カンボシアなどの共産国家による自国民殺戮および対外侵略を見れば火をみるよりも明らかである。また、わが国内においても、共産主義者集団による武装闘争・リンチ・テロによる殺戮は凄まじいものがあった。

 

共産主義者・唯物論者というかイデオロギーにとりつかれた人間がいかにひどい人格・人間性の持ち主になるかは、これまでの歴史が証明している。二十世紀はマルクス・レーニン主義、スターリン主義、毛沢東思想という「イデオロギー」の残酷な実験場だった。その実験場において幾千万という人間が「実験動物」として殺されたり、殺し合いを行ったのである。

 

人の命の尊厳性を子供たちに正しく教えるには、唯物論を否定し、神仏を尊び人間生命の永遠を信じる「宗教的情操を涵養する教育」が正しく行なわれなければならない。ところが、戦後日本においては、まともな「宗教教育」が行われて来なかった。

 

しかしながら、古代から今日に至るまで宗教戦争によって多くの人命が奪われてきたことも事実である。こうしたことを考えると、宗教教育・宗教心の涵養とは言っても、宗教なら何でもいいというわけには行かない。教育の場において、正しい宗教観を子供たちに植えつけ、間違った宗教にとりつかれないようにすることが必要である。

 

正しい宗教精神の涵養によって、人の命の尊さを分からせることができるだけでなく、人の命だけでなく、自然の命、そして亡くなった人々すなわち先祖を尊ぶ心も養われるのである。「人の命・自然の命を、神として仏として拝ろがむ精神」が大切である。そして、人としての生きる道、踏み行うべき道を指し示すことができるのである。

 

「宗教教育」は、特定の教団の教義を強制的に子供たちに教えることではない。わが国生成以来の国民信仰であるところの神道、そして長い歴史の中で日本に包摂され高度なものとなってきた日本儒教や日本佛教などの宗教精神を、学校教育の場で正しく子供たちに教えることが「宗教教育」である。それによって人の命の尊さを分からせることができるだけでなく、人としての生きる道、踏み行うべき道を指し示すことができるのである。

 

さらに、正しい宗教精神の涵養によって、人の命だけでなく、自然の命、そして亡くなった人々すなわち先祖を尊ぶ心も養われるのである。「人の命・自然の命を、神として仏として拝ろがむ精神」が大切である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月六日

午前は、諸雑務。

午後は、本日行われる母の葬儀の準備など。

午後六時より、町屋斎場にて、『故四宮美根子儀通夜』執行。菩提寺御住職が導師をつとめられ読経、遺族・親族そして会葬者の皆様による焼香が行われた。続いてお斎が行われた。ご会葬賜りました方々に感謝申し上げます。

帰宅。

| | トラックバック (0)

2017年3月 5日 (日)

教育勅語と儒教

 

小室直樹氏の『日本国憲法の問題点』という本に、「教育勅語は儒教思想にあらず」との見出しで次のようなことが書かれている。

 

(教育勅語が儒教思想ではないということは・注)勅語の中に『臣民』なる語が使われているからである。…(儒教思想では・注)臣と民とは別個のものであって、とうてい並列できるようなものではない。…『臣』と支配階級・高級官僚、『民』とは一般の庶民である」「儒教とは民のための教えではない…支配階級の人々に倫理と行動規範を与えるための教えである」。

 

そして孔子の言う「君子」とは「立派な人」のことではなく「支配階級」のことであり、「小人」とは、「立派でない人」のことではなく「人民」のことであると論じている。

 

一君万民の日本國體とは、基本的に相容れない思想が「儒教」の徹底した身分差別思想なのである。しかし日本民族は儒教の説く「徳目」の一部は受け入れた。だから「君子」「小人」を読み替え、日本の伝統に合致させたのである。ここに、日本民族が大らかなる包容性と強靭なる国粋性を兼ね備えていることの証を見る。即ち、わが国は外来文化・思想を無批判に受け入れたのではないのである。

 

日本の儒教では『君子』とは、徳の高い人といふ意味として来た。しかし、支那における『君子』の原義は、朝廷の會議に参列できる貴族たちの総称であり、『身分の高い人』『支配者』『官僚』『貴族』といふ意味が原義である。その原義が延長して『貴族のふさわしい教養・品位』のことをさすようになったといふ。

 

一方、『君子』の対義語である『小人』とは、日本儒教では、教養道徳心に欠ける人間を意味する。しかし、支那における『小人』の原義は単に身分の低い人間、被支配者のことであるといふ。

 

『春秋左氏傳(孔子の編纂と傳へられる歴史書) 桓公十年に、『小人罪なし、玉を抱きて罪あり』といふ言葉がある。『小人であっても最初から罪を犯すものではなく、分不相応な宝を持ったり位についたりすると、ついふらふらと魔がさして悪い事をして罪を犯すようになるものだ』といふほどの意味である。

 

これは身分差別思想であり、一君萬民のわが國體とは相容れない。だからわが國においては『君子』『小人』の意味を読み変へたのである。儒教は、『君子』即ち貴族・官僚の身分道徳であった。貴族・官僚が政治と生活において民衆の規範になるように人格を磨き、倫理・礼節を守るといふ基本観念はあった。しかし基本的には巨大帝國を管理支配する思想であり、体制維持のために必要とされた思想であった。

 

今日の共産支那においては、「君子」とは共産党員であり、「小人」とは人民である。共産党員が権力者・支配者として人民の上に立つことが当たり前のこととされるのは、儒教と共産支那の独裁体制が相似であるからである。

 

支那の『共産革命』も為政者が変わっただけである。清朝そして國民党政権の後を継いだ毛沢東といふ皇帝及びその配下の官僚による独裁専制政治体制が現出した。二代目の皇帝が鄧小平である。三代目が習近平ということである。(江沢民を三代目とすると習近平は四代目)

 

『中國共産党による一党独裁政治』は、古代支那以来の専制政治の継承である。中國共産党員による行政機構・企業幹部の独占は、支那古代以来の『君子』による『小人』支配の継承である。改革開放によって豊かになったと言っても、『中國人民』全体が豊かになったのではなく、現代における『君子』=『中國共産党員』だけである。

 

われわれ日本人は、支那から儒教を受容したが、日本伝統精神・日本國體精神に合致するように換骨奪胎したのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月五日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿の校正など。

この後、安置所に赴き。母の御遺体に拝礼。『般若心経』読誦。

帰宅後は、明日明後日に執行される母の葬儀の準備など。

| | トラックバック (0)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 三月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

| | トラックバック (0)

天皇の御地位に関して議會や政府が容喙してはならない

 

天皇の御譲位について國會で議論されてゐる。天皇の御地位に関して議會や政府が容喙してはならない。

 

「現行占領憲法」には「(天皇は・註)國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。天皇及び皇室は、政治権力者ではあらせられないとしているのである。であるならば、「権力の制限規範」である「憲法」に規制されたり拘束される必要は全くない。また、権力機構である衆参両院や内閣が、天皇・皇室に関して容喙してはならい。

 

わが日本は國家の本質と君主たる天皇の御本質即ち天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體は建國以来厳然と確立してゐる。これを法律論的に言へば、不文法によって定まってゐるといふことである。故に成文憲法でそれを隠蔽し変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立國の基本)に反する規定をしてはならない。戦勝國によって押し付けられた「占領憲法」の制約下に、上御一人日本天皇を置き奉ってゐる今日の状況は一日も早く是正されなければならない。「占領憲法」を否定し、神話時代からの悠久の歴史を有する日本國體を正しく成文規定した憲法を回復しなければならない。

 

「皇室典範」「皇位継承」「御譲位」といふ天皇の御位に関する大事は、天皇陛下の御心を正しく承り、天皇陛下の御心のままに決められるべきである。天皇・皇室の大事について、陛下の御心を無視して、臣下が議論し決めてしまってはならない。

 

わが國の歴史を顧みると、臣下・國民が天皇のご意志を無視したり、否定したり、封じ込めたりした時、國は乱れ亡國の危機に瀕してゐる。

 

数々の不祥事が噴出する最近の政治情勢・國會情勢を見ていると、今の政治家が、皇室典範を論議すること自体、不敬不遜の極みである。

 

昨日も書いたが、、「天津日嗣の繼承」といふ神聖不可侵の事柄を、天皇陛下の御心を正しく承ることもせず、政争が繰り返される権力機構たる議會で決めるのは國體破壊である。皇位継承・皇室典範改定・御譲位、國體の根幹に関はることである。天皇陛下のご意志を第一とすべきなのである。政府は、陛下の大御心のままに事を進めるべきである。

 

天皇の「仰せごと」「みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、安置所に赴き、母の御遺体に拝礼。『般若心経』読誦。

午後六時より、谷中にて、親族と会合。

帰宅後は、水曜日に開かれる『萬葉古代史研究会』における講義準備。

| | トラックバック (0)

2017年3月 4日 (土)

『政治文化情報』平成二十九年三月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十九年三月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十九年三月号(平成二十九年二月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

天皇陛下の御譲位と「國民の総意」

『現行占領憲法』は「革命思想」を第一章に置いてゐる

 

「國民の総意により憲法を改正すれば天皇制を廃絶できる」といふ解釈は日本の國柄と全く相容れない國體破壊思想

 

「現行占領憲法」がある限り、わが國の國體が隠蔽されてゐるどころか破壊される危険がある

 

皇室に関はる重大事は神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない

 

國體の根幹に関はることは、天皇陛下のご意志を第一とすべきである

 

「國民の総意」についての論議

千駄木庵日乗

加瀬英明氏「今年は、岸信介生誕百二十年。不平等条約であった日米安保を対等の条約に近づけようとした。憲法改正の道筋をつけたかった」

 

鈴木信行氏「政治家には國家主権と國益を守る責務がある。『日本第一』をスローガンに掲げて進むべし」

 

宮崎正弘氏「『日本は核武装してもいい』とトランプは言っている。これで日本は覚醒する」

 

杉田水脈氏「日本の技術力は世界一。韓國や中國は日本と同じような技術力を持っていないので日本を貶めるプロパガンダをやっている」

 

西村眞悟氏「無効が危機を克服する。改正では間に合わない。『大日本帝國憲法』を改正したのが『日本國憲法』。『大日本帝國憲法』の改正規定によって改正すべし」

 

黒田勝弘産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員「『南北統一に向けて日本の役割』などと言うのが危ない。南北統一には関わらない方がいい。どう転んでも良いことはない」

 

西川賢氏(津田塾大学学芸学部准教授)「人種・銃規制の問題はアメリカの奥深いところに横たわる問題」

 

中山俊宏氏(慶應義塾大学総合政策学部教授)「変化するアメリカで居場所がなくなっていく人々をトランプは肯定している。アメリカが大きく変化する上での通過儀礼がトランプ現象」

 

渡部恒雄氏(東京財団上席研究員兼政策研究ディレクター)「トランプは通過儀礼のトリックスター。イメージとしては橋下徹大阪市長。大きく政治が変わるきっかけを作る人」

 

この頃詠みし歌

| | トラックバック (0)

天皇陛下の御譲位の御意向御表明をめぐる衆参両院の与野党代表者の「全体会議」なるものについて

天皇陛下の御譲位の御意向御表明をめぐり、衆参両院の正副議長が、与野党代表者の「全体会議」なるものを参院議長公邸で開いた。

 

その会合に、「日本國體否定」を根本目的とする共産党・社民党の議員も出席していた。由々しいことだ。

 

そもそも、天皇陛下の御譲位について、「國民の総意づくり」「國民の総意の形成」「國民を代表する國會において、國民の総意を見つけ出す」などといふ議論を大前提として、政府が「有識者會議」をつくり「論点整理」を行った上で、衆参両院において意見集約を行ひ、國會での法整備を経て制度づくりに入るなどということ自体、あってはならないことである。

 

天皇・國體の根本について、「國民の総意」を「見つけ出す」「作る」「形成する」などといふことはあり得ない。こうした動きは、日本傳統の破壊であり、國體の隠蔽である。

 

『現行占領憲法』第一条に「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く」とある。「日本國民の総意」はこれから作るものでも形成するものでもない。憲法制定時から存在している。従って「譲位」についてあらためて「國民の総意」を形成する必要はまったくない。

 

ましていわんや、「全体会議」なるものに國體否定の政党に参加させるなどということがあっていいはずがない。はっきり言えば、「国民の総意」の「国民」には國體否定の「国賊」「非国民」は入らない。

 

「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」に関する神聖なる事柄たる「皇位継承」「御譲位」は、世俗の法律問題・政治問題ではない。即ち決して「現行占領憲法」が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。天皇・皇室を政治権力や成文法によって、規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。天皇・皇室の御事は、天皇陛下の御心によって全てが定められるべきである。

 

「皇室典範改正」「天皇御譲位」は、天皇國日本といふかけがへのない信仰共同體・祭祀國家の根幹に関はる重大問題である。皇位繼承とは、神代以来の道統を繼承する天皇の御位に関することである。他國の王位繼承・元首の選び方・権力者交代システムとは全くその本質を異にする。

 

皇位繼承・天皇御譲位・皇室典範改正など皇室に関はる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。而して天皇は、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる。

天皇の御位は『占領憲法』に基づくのではない。わが国肇国以来の伝統即ち『天壌無窮の御神勅』に基づくのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月三日

午前は、諸雑務。

午後一時、葬儀社の方来宅。打合せ。

原稿執筆の準備。

安置所に赴き、母の御遺体に拝礼。『般若心経』読誦。

帰宅後は、書状執筆、『伝統と革新』編集の仕事など。

| | トラックバック (0)

2017年3月 3日 (金)

日本の伝統的倫理精神と「教育勅語」

明治維新以後暫くの間、わが国の教育理念や教育体制が正しく確立してゐなかったと言はれる。明治天皇は、「欧化」「殖産興業」の国策を実現するために重視されてゐた「知育・生産技術教育偏重の教育」「漢学・国学の軽視・洋学偏重」を憂いたまい、日本の教育精神・倫理の根本は「忠孝精神にある」との大御心によって『教育勅語』を渙発あそばされた。

 

 

明治天皇は、明治十一年八月から十一月にかけて、東北・北陸、北海道を巡幸あそばされ,学校教育の實滋養を視察された。そして、徳育面が欠けていることを実感されたと承る。明治十二年、侍講代(天皇・東宮に学問を講じた官職)・元田永孚(えいふ・ながざね。日本の武士・熊本藩士、儒学者。男爵。大久保利通の推挙によって侍講となる)に、少年少女の勉学に資する道徳書の編纂を御下命になり、同十五年『幼学綱要』を著した。これは全国の学校に配布された。

 

明治十九年十月、明治天皇は東京帝国大学を視察された。小生の母校・二松学舎の浦野匡彦理事長が入学式の時に必ず言われた言葉を思ひ出す。「明治陛下が当時の東京大学を御視察あそばされた時、『一体日本の学問はどこにやるのか』とご下問があった。当時の文部省学校当局は慌てふためいて、東京大学に古典学科を作ったのであります」。

 

 明治二十年代の初めに確立されたわが国独自の近代国家体制は、政治の面では「大日本帝国憲法」によってその基礎が置かれた。他方、国民道徳の面からこの体制の支柱として位置づけられるのが「教育に関する勅語」(教育勅語)である。

 

「教育勅語」が発布されると、やがて国民道徳および国民教育の基本と位置付けられ、国家の精神的支柱として重大な役割を果たすこととなった。

 

『教育勅語』には、「…我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」と示されている。

 

日本人の倫理・道徳の根本とはわが國においては、私心をなくして天皇と親にお仕えすること即ち「忠孝精神」が、日本人の理想の姿として傳えられてきた。

 

「忠」の字義は、意味を表す「心」と、音を表す「中」からなる形声字(意味を表さないで単に「音」だけを表す文字と、その字の意味そのままに用いた字を二つ合わせて一字にしたもの)である。「中」の表わす意味は「中空」。己の心を空しくして他人のために盡す心の意である。

 

「孝」は、意味を表す「老の省略形」と、音を表す「子」(カウ)からる形声字。「子」の音の表わす意味は「養う」意である。つまり親によく仕える意である。即ち、忠も孝も、己を空しくして君と親に仕える精神である。

 

天皇・両親に私心なくお仕え申し上げる心を汚れのない「きよらけき心」、暗いところのない「あきらけき心」、別の言葉で言えば、「心の清さ・いさぎよさ」が尊ばれた。これを「清明心」という。

 

「清明心」は「記紀」の神代の巻特に天照大神と須佐之男命が会見されるところに多く出てくる。天照大神は須佐之男命にその心の正しく清らかなことを知りたいとおぼし召されて、「然(し)からば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にして知らまし」と仰せになられた。

 

「清明心」は、「記紀」の世界では須佐之男命の御精神であり日本武尊の御精神である。「清明心」の体現者が須佐之男命であらせられ日本武尊であらせられる。

 

天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。

 

日本國民は古来、「清らけく明らけく」(清明心)を最高の価値として来たのである。清々しく明るい日本民族精神は、天皇の神聖性を讃嘆し、その大御心に従ひ奉る精神なのである。

 

「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の基本的な道徳観念である。日本人は、「あいつは悪い奴だ」といはれるよりも、「あいつは汚い奴だ」といはれる方を厭ふ。わが國においては善悪よりも清いか汚いかが道徳基準となる。

 

日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。「私」を去り「我」を没することを大切にしている。

 

清明心即ち「あかき心」「清き心」は仏教や儒教が輸入される以前からわが民族のあるべき心とされてきた。それは長い歴史の流れの中で自然につちかわれてきた傳統なのである。天皇が地上における神の御代理即ち現御神であらせられるということは、天皇が無私・無我となって神を祭られる祭祀主であらせられるということである。

 

この日本民族の傳統的倫理観念の精髄たる「清明心」は、古代においては『宣命』(宣命体で書かれた詔勅)における「明き浄き直き心」、中古においては「もののあはれ」、中世においては「正直」、近世においては「やまとたましひ」として受け継がれてきた。これは別の言葉で言えば、「捨心無我」であり、岡潔氏の言った「日本的情緒」である。

 

こうした日本伝統精神が示された『教育勅語』を、青少年に正しく教えることは誠に大切であると考える。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、安置所に赴き、母の御遺体に拝礼。「般若心経」読誦。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆の準備。

| | トラックバック (0)

2017年3月 2日 (木)

「大西郷遺訓」に学ぶ

西郷隆盛は、『大西郷遺訓』において次のように語っている。

 

「王を尊び民を憐れむは学問の本旨」「萬民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節儉を行ひ、職務に精勵して、人民の標準となり、下民をしてその勤労を感謝せしむるに至らざれば、政令は行はれ難し」

 

この言葉は、今日の我國政治家が噛み締めなければならない大切な言葉であると思う。今日及び将来の日本においても、祭祀主たる日本天皇の信仰的権威が、政治権力を浄化し、権力者にかしこみの心を持たさしめ、国家・国民の幸福をはかることが出来るのである。これが、わが国建国以来の「祭政一致」の理想であり、万邦無比の日本國體の素晴らしさである。

尊皇精神こそが、日本国安泰の基礎である。天皇を君主と仰ぐ日本国体の護持とその理想実現こそが、日本国永遠の隆昌の基礎である。従って、尊皇精神希薄な権力者は断じてこれを排除しなければならない。

 

 『大西郷の精神』とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現である。西洋列強の侵略から祖国を守り四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った大西郷の精神こそ、今の日本にもっとも必要なものである。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからである。

                     

 大西郷はまた、「國の凌辱せらるるに當りては、縱令國を以て斃るるとも、正道を踏み義を盡すは、政府の本務なり」と言っている。この言葉こそ今日の我國政府が最も噛み締めなければならない言葉である。我國は現在、歴史問題・領土問題などで支那・韓国・北朝鮮からなめられ、凌辱され続けている。そして国家の尊厳性を喪失している。

 

 また大西郷ののこした言葉以上に彼の歩んだ道、彼の行った偉業そのものにこそ、大西郷が今日の我々に語りかけている大きな教訓があると信じる。

 

 

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月一日

午前は、諸雑務。

午後、葬儀会社の人来宅。相談。

この後、母が入っていた介護施設の責任者及び担当者来宅。経過報告を受ける。

この後、安置所に赴き、母の御遺体に拝礼。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

| | トラックバック (0)

« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »