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2017年2月28日 (火)

 「やむにやまれぬ大和魂」

 

 「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

 

 吉田松陰の安政元年、二十五歳の時の歌である。安政年三月、吉田松陰は伊豆下田にてアメリカ艦船に乗り込まんとして果たせず、江戸へ護送される途中、四月十五日高輪泉岳寺前を通過した時に、此の歌を詠んだ。江戸獄中より郷里の兄杉梅太郎に宛てた手紙に記されていたという。

 

赤穂義士は吉良上野之介義央を討てば死を賜ることとなるのは分かっていても、やむにやまれぬ心で主君の仇を討った。松陰自身もまさしくやむにやまれぬ心で米艦に乗ろうとした。ゆえに赤穂義士に共感したのである。

 

幕末志士の歌で結句を「大和魂」にした歌は多いが、この歌が最も多くの人々に知られている。溢れるばかりの思いと、はりつめた精神が、五・七・五・七・七という定型に凝縮されている。かかる思いは和歌によってしか表現され得ないであろう。

 

 片岡啓治氏はこの歌について、「詩的精神、いわば自己自身であろうとし、もっとも固有な心情そのものであろうとする心のあり方が自らを語ろうとするとき、日本にもっとも固有な詩の形式を借りたのは当然であろう。そこには、自己自身であり、日本に同一化することがそのまま詩でありうるという、文学と現実の幸福な一致がある」(維新幻想)と論じている。

 

日本人は、やまと歌という日本固有の文学形式によって自己の真情が吐露でしてきた。やまと歌は、日本人に神から与えられたまさに最高の文藝形式である。

 

 明治維新において神武建国への回帰が新しい日本建設の基本理念になった如く、現代維新も復古即革新が基本である。日本の大いなる道と大いなる命にいかに目覚めるかが、今日の変革の基本である。

 

その意味において、現代において維新を目指す者は、明治維新を目指して戦った志士たちの悲しい志を自己自身の上に回想しわが血を沸き立たせることが大切である。そのためにも志士たちの詠んだ詩歌を学ぶべきであるし、自己自身も歌心をもつべきである。

 

言うまでもなく明治維新は革命ではなかった。革命とは歴史と道統を否定した変革である。近代においては共産主義革命思想がそれである。共産主義革命運動からは美しい日本の歌は決して生まれなかった。

 

 維新とは「復古即革新」である。「復古」とは永遠に新しい命を持つところの「日本の道統」を踏み行うことである。復古即革新は永遠の日本的変革の原理である。そしてそれはやまと歌によって継承されているである。

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