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2017年2月 3日 (金)

伊勢皇大神宮と維新

 

 

大化改新・建武中興・明治維新などわが国の変革の基本理念は〈復古即革新〉である。現状を一新し変革することと〈元初のあるべき姿への回帰〉が相互に作用し一体となる。明治維新においては、近代的諸制度の形成といふ「御一新」と神武創業への回帰といふ「復古」は一体であった。具体的にいへば、徳川幕藩体制打倒は天皇中心の國體明徴化であった。

 

明治維新後初めての御遷宮は、明治二年度の御遷宮である。その前段階として幕末の御蔭参りの国民的盛行があった。

 

御蔭参りとは、御蔭年に伊勢神宮に参拝することで、特に、江戸時代以降、間欠的におこった大群衆の伊勢参りをいふ。御蔭(恩恵)のいただけるありがたい年としてのお蔭年の観念が発生し、約六十年を周期として顕著にあらはれたといふ。季節は三月ごろが多かった。御蔭年とは、伊勢神宮の御遷宮のあった翌年のことである。

 

明治二年三月の御遷宮は、まさに明治維新と呼応するものとなった。そしてこの年、明治天皇は、神宮を御親拝された。天皇の神宮御親拝は史上例のないことであり、まさに旧来の陋習を改めて、皇祖神への御崇敬のまことを、天皇御自ら身を以て捧げられることとなった。

 

そして、明治天皇は神宮御親拝後、三月二十八日に東京に着御され、この年の六月に、諸侯の土地人民を天皇に奉還する「版籍奉還」が行はれ、各藩主が、その土地(版)と人民(籍)とを朝廷に奉還し、改めて知藩事に任命され、廃藩置県の前提となった。七月二は、「職員令」による新国家体制が発足した。(武田秀章氏『明治国家と官営造替』・「歴史読本伊勢神宮遷宮の謎」所収)

 

和辻哲郎氏は、「明治維新は尊皇攘夷という形に現わされた国民的自覚によって行われたが、この国民的自覚は日本を神国とする神話の精神の復興にもとづき、この復興は氏神の氏神たる伊勢神宮の崇拝に根ざしている。原始社会における宗教的な全体性把捉が高度文化の時代になお社会変革の動力となり得たというような現象は、実際、世界に類がないのである。」(『風土』)と論じてゐる。

 

古きものが常に新しく生まれ変わり、新しきものは古くからの生命を継承する。これが日本の文化感覚の特質である。天皇の皇位継承にもまったく同じ原理がある。天皇の玉体・御肉体が更新されると、その新たなる玉体・御肉身体に、神霊が新たに天降られる。和歌は、五七五七七といふ定型は永久に不変であるが、その定型を護りつつ常に新たなる魂の訴へがその定型を維持しながら行はれる。

 

皇位継承・大嘗祭・式年遷宮・維新・和歌には、元初に回帰することが今新しきものを生み出すことであるといふ、同一の「復古即革新の原理・理念」がある。皇位継承・天皇の御即位は、天孫降臨の繰り返しなのである。

 

「天津日嗣」の「天津」は、天津神から継承されてゐる神聖な、というふ意である。「日嗣」は天照大神から伝へられた「日霊」を継承するといふ意である。つまり、「天津日嗣」とは、天照大御神のご神霊を継承されるといふ意味である。御歴代の天皇は、御肉體は変られても、天津日嗣日本天皇としての神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられるみ祭りであり、天皇の神としての御資格の再生・復活のみ祭りである。

 

天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるといふことである。

 

天皇は、大嘗祭・新嘗祭を通して日の神=天照大神の神威・霊威を体現される御存在となられ、天照大神の「生みの御子」即ち「現御神」として君臨されることとなる。

 

天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するのであるが、信仰上は御歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

わが國は今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現実の國家君主と仰ぎ、國家と民族の統一の中心として仰いでいる。日本においては、神話は今も生きてゐる。

 

天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られてゐる。地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祀られ、南九州に御陵が鎮まってゐる。

 

伊勢の神宮は、日本伝統信仰の最尊最貴の聖地であり、日本伝統精神とはいかなるものかを実感するには、伊勢の神宮に参拝し、神を拝ろがめば良いのである。理論理屈はいらない。日本伝統信仰が自然に伊勢の神宮といふ聖地と聖なる建物を生んだのである。それは太陽神への無上の信仰であり、皇室への限りなき尊崇の情であり、稲への限りない感謝の心である。

 

西行(平安末期・鎌倉初期の歌人、僧)は、治承四年(一一八〇)六十三歳のときに三十年ほど過ごした高野山から伊勢に移り、伊勢の神宮で

 

「何ごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるゝ」

 

と詠んだ。

 

昭和四十二年の秋、イギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビーが夫人と共に参宮された時、内宮神楽殿の休憩室で「芳名録」に記帳し、

 

「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます」

 

と書いた。

 

人類は様々の宗教を信じてゐる。そしてそれらの宗教はそれぞれ特色があり、人類に救いと安穏をもたらしてゐる。しかし半面、人類の歴史は宗教戦争の歴史であったともいへる。それは今日に至るまで続いてゐる。神を拝み神を信じる人々による凄惨なる殺しあひが行はれて来た。

 

しかし、宗教の根底にあるものは同じなのである。それは、天地自然の中の生きたまふ大いなるものへの畏敬の心である。伊勢の神宮はまさに、最も純粋に最も簡素にその大いなるものをお祭りしてゐる聖地なのである。伊勢の皇大神宮には全ての宗教の根源が現実に生きたのものとして顕現してゐる。

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