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2017年2月19日 (日)

神武建国の精神

 徳川家が独占してきた役職である征夷大将軍とは「夷」(えびす・えみし=日本に仇なすもの)を征討する大将軍という意味である。ところが幕府はペリーがやって来たら慌てふためいて、何もできない。そして天皇陛下のお許しを得ないでアメリカと屈辱的な國交を結んでしまった。そこで、徳川氏は征夷大将軍の役目を果たすことができないということになって、徳川幕府を倒して、天皇中心の國家を再生せしめた大変革が、明治維新である。

 

 わが國有史以来未曾有の大変革であるところの明治維新の基本精神は、慶應三年十二月九日、明治天皇『王政復古の大号令』に示されているように「諸事、神武創業の始に原(もと)づき、……至當(しとう)の公議を竭(つく)し、天下と休戚(きゅうせき)を同く遊ばさる可(べき)き叡念」ということである。

 

 「休戚」とは「喜びも悲しみも」という意である。「万事、神武天皇御創業の根本精神にたちかえり、……積極的に筋の通った公正な論議を尽くして、天下の民と喜びも悲しみも共にされるという御心……」というほどの意であると拝する。

 

 慶應四年八月二十七日に京都御所紫宸殿で行われた明治天皇即位式の『宣命』には、「方今(いま)天下(あめのした)の大政(おほまつりごと)古(いにしへ)に復(かへ)し賜ひて、橿原の宮に御宇(あめのしたしろしめし)し天皇(すめらみこと)御創業(おんことはじめ)の古(いにしへ)に基き……」と示されている。

 

 明治天皇は、さらに、

 

 「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより國はうごかず」

 「橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本(ひのもと)の國をたもたむ」

 

 と詠ませられている。    

 

 明治維新の基本精神は、「神武創業への回帰」すなわち、神武天皇が大和橿原の地に都を定められた精神に帰ろうということである。この精神に基づいて大変革を断行したのである。明治維新そして明治期の日本近代化は、実に神武創業への回帰の精神がその根底にあったのである。

 

 明治維新の基本精神たる「神武創業への回帰」とは、「神武創業の精神」に基づいて旧体制(幕藩体制)を根本的に変革し、封建体制を解体し、廃藩置県を断行し、身分差別をなくし、さらには憲法を制定し、議会を開設するなどの大変革を行うことであった。

 

 そして、明治維新の大事業の一環として紀元節が制定された。

 『日本書紀』には、「辛酉年(かのととりのとし)の春正月(はるむつき)の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)、天皇(すめらみこと)橿原宮(かしはらのみや)に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳(このとし)を天皇の元年(はじめのとし)とす」と記されている。

 

 神武天皇即位の日が正月朔日(むつきついたち)であるのは、むつき(正月)の始めにおいて、神も天地も人も新生するという上古以来の日本人の信仰に基づく。そして、明治六年、この日を太陽暦に換算した二月十一日を『紀元節』とした。

 

 明治維新後に行われた紀元節の制定は、「神武創業への回帰」という根本精神・明治天皇の大御心の実現であると共に、危機的状況にあった祖國日本を再生せしめるための精神的基盤確立であったのである。近代日本の発展はまさに神武創業への回帰がその基礎となったのである。これを「復古即革新」(=いにしえに回帰することが現在の革新であるという理念)という。

 

 今日の日本も幕末期・明治初頭と同じような否それ以上の危機に直面していると言っても過言ではない。今日においてこそ神武創業の精神に回帰した國家革新を断行しなければならない。 

 自民党は、野党時代から「政府主催で建国記念の日を祝う式典を開催する」という公約を掲げた。自民党が政権を奪還し、「日本を取り戻す」を政治理念とする安倍晋三氏が総理総裁となり、愈々政府主催の建国記念の日奉祝式典が行われると期待していたが、今日にいたるまで実現していない。これは一体どうした事か。これは公約違反などという生易しい問題ではない。「まさに日本を取りもどす」即ち国家再生・維新断行の根本問題の一つである。

 

 

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