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2017年2月27日 (月)

この頃詠みし歌

 

母と子の姿尊し 人は皆親に育てられこの世を生きる

 

病癒え店に戻りしご主人が明るき笑顔を見せる食堂

 

部屋内に積みあげられし雑誌新聞如何にせんかと溜息をつく

 

静かなる街歩み来て風に動く暖簾を分けて酒房に入りぬ

 

幼き日ポンポン蒸気で隅田川を下り行きたる遠き思ひ出

 

寒き夜は友らと三人でうまきもの食しつつ語らへば楽しくもあるか

              ○

 

九十六歳の母が高熱を発すれば胸に手を当てて祈るほかなし

 

熱が下がりやすらひてゐる母上は我の手の平を離さうとせず

 

母上はわが手握りつつ眠りたまふ 如何に愛しきその寝顔かな

 

今日もまた坂道のぼり施設へと辿り着きたり母に会ふため

 

一日でも長くこの世に生きませとひたすらに祈る生みの子われは

 

百歳まではどうか生きませと祈るなり痩せ衰へし母の手を取り

 

医療施設介護施設の無情なる対処に憤る今宵なるかも

 

苦しめる母の頬をさすりつつ如何ともし難き我の無力さ

 

九十七歳を目前にしてわが母は衰へし体て横たはりたまふ

 

うっすらと眼を開け我を見つめつつおじいちゃんと呼びたまひたり

 

明るく気強く生きたまひたるわが母は我をのこして逝きたまひたり

 

冷たくなりし母の額に手を当てて安らかに眠れとただに祈れり

 

やさしき言葉明るき笑顔再びは聞くことも見ることも出来ぬさみしさ

 

さっきまで静かに眠りゐしわが母はついにこの世を去りたまひたり

 

父のもとへ行きて楽しく暮らしませ 九十六年生きたまひたる母よ

 

安らかに眠りたまへよ我を生み育てたまひしわが母上よ

 

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千駄木庵日乗二月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、安置所に赴き、母の御遺体に祈りを捧げる。

この後、菩提寺の赴き、四宮家の墓所を掃苔。祈りを捧げる。そして住職と葬儀の相談、打ち合わせ。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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千駄木庵日乗二月二十六日

午前は、諸雑務。

 

午後は、本日行う講演の準備。

 

この後、病院に赴き、母に付き添う。

 

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邉昇氏が主催者挨拶。小生が「昭和維新運動に学ぶ―日本的変革と現代日本」と題して講演。

 

開会直前に病院より連絡あり。途中退席して、病院に赴く。母が九十六歳で逝去。親族と共に、遺体安置所に行く。焼香・ご冥福を祈る。

 

帰宅。

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2017年2月26日 (日)

第七十回日本の心を学ぶ會

第七十回日本の心を学ぶ會

「昭和維新運動と現代を考える。」

第七十回の勉強會は二月二十六日に開催されます。

八十一年前のこの日、青年将校は昭和維新断行を目指して大雪の東京の中で決起しました。後に二二六事件と呼ばれるこの事件は、多くの小説や映画の題材となっており事件から八十一年たった現在でも関連書籍が出版されるほど関心の高い歴史の転換点となった事件です。この事件の背景にあったのは大正末期からつづく経済不況でした。とくに農村の疲弊は激しく身売りの横行や欠食児童の増大は農村出身の兵士と接する青年将校に國家の危機を十分に予感させるものでした。一方で政財界は腐敗しており汚職と疑獄事件が続発しておりました。ついに國民の不満は爆発し第一回普通選挙では激しい弾圧があったにもかかわらず無産系候補者八候補が当選しました。このような國民の困窮と左翼運動の高まりの中で右からの國家革新運動もまた過激化しその矛先は左翼ではなく政財界へと向けられました。血盟団事件や五一五事件など二二六事件とともに昭和維新運動と呼ばれる國家革新運動はこのような時代的背景の中で展開されたものです。そして二二六事件の失敗によって昭和維新運動は挫折したといわれております。

しかしながら、昭和維新運動とその挫折は現在の日本に重要な教訓を残したと言えます。現在の日本も昭和前期と同じく、國民は困窮しており対外的な危機にさらされております、なによりも國體を否定するような思想は形を変えて現在も存在しております。こうした現代の問題を考える上で昭和維新運動とその挫折は貴重な教訓になると思われます。二二六事件より八十一年目となる二月二十六日の勉強會では昭和維新運動について考えたいと思います。

【日時】平成二十九年二月二十六日 午後六時

【場 所】文京区シビックセンター 三階會議室A

文京区春日一-一六-二一 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩一分、都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩一分、JR総武線水道橋駅(東口)徒歩九分

【講 演】

演題「昭和維新運動に学ぶー日本的変革と現代日本」

講師 四宮正貴 四宮政治文化研究所代表

【司會者】林大悟

【参加費】資料代五百円終了後、近隣で懇親會(二千円位の予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

この案内文は主催者が作成しました。

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2017年2月25日 (土)

斉明天皇の御事績

斉明天皇の御代、唐新羅連合軍によるわが国への侵攻の危機に際し、斉明天皇の総指揮のもと、わが皇軍は筑紫に向った。

 

第三十七代・斎明天皇は、敏達天皇の皇曾孫であり、舒明天皇の皇后であらせられる。また、第三十五代・皇極天皇の重祚(一度位を退かれた天皇が再び位につかれること)であらせられる。斎明天皇六年(六六○)三月、我が國と友好関係にある百済に、唐・新羅連合軍が電撃的に侵攻し、七月には、百済は敗北した。そして、百済の義慈王は唐の國へ連行されてしまった。九月、百済から我が國に沙彌覚従(さみかくじゅ)などの使者が来て、百済再興のため日本に救援を要請してきた。

 

斎明天皇は詔して、「百済が困窮してわが國を頼ってきました。どうして見捨てることができませうか。将軍たちはそれぞれに命令を下し、前進しなさい。雲のやうに集ひ、雷のやうに動いて敵を倒し、百済の危機を救ひなさい」と、激しい御口調の命令をお下しになった。(『日本書紀』に拠る)

 

斎明天皇七年(六六一年)正月六日、六十八歳となられたご老齢の女帝・斎明天皇の率いる朝廷の軍船は、中大兄皇子・大海人皇子そして妃や王子・王女など全皇族とご一緒に、寒風の中を難波の港を出発して、瀬戸内海を航行し筑前朝倉宮まで赴かれた。率いられる軍船團は、船千艘、兵士二萬七千人であったと傳へられる。

 

三百年近くにわたり同盟関係にある百済救援は当然のことではあったが、戦ひの相手は唐と新羅である。國家挙げての大きな戦ひであった。天皇御自身が戦ひを決意され、御自ら総指揮者として外征のために軍船に筑紫の向かふことは、神功皇后以来のことであったと傳へられる。

 

軍船團は、一月十四日、伊豫熟田津(今の愛媛県松山の港)に船を泊めた。熟田津には、斎明天皇がかつて夫君・舒明天皇と行幸され、禊を行はれたことのある石湯(今の道後温泉)の行宮があった。軍團が伊豫の石湯行宮に寄ったのは、そこで戦勝を祈念する禊(みそぎ)をされるためであった。斎明天皇は出航予定の二十三日まで、しばらくその行宮に滞在された。

 

二十三日夜、斎明天皇は御座船で、御自ら祭主となられて國家的大事の前の戦勝祈願と出航出陣の祭事を執行された。

 

午前二時、空に満月が昇って来て、満潮になった。そして西向きの風も強まった。いよいよ神意にかなふ船出の時を迎へた。まことにも緊迫し神秘的な情景であったと思はれる。

斎明天皇は、祝詞を奏上され、神に祈られた。そして、気迫が漲った次の歌を高らかにお歌ひあそばされた。

 

「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな

(熟田津で船出をしやうと月の出を待っていると、潮も満ちてきた。さあ、今、漕ぎ出さう)

 

「船乗りせむと」は、船に乗り込むこと。「潮もかなひぬ」は、船出に都合よく潮が満ちてきたこと。「潮も」とあるから月も望み通り出たことがわかる。この歌の詠まれた時刻について、一月二十三日(太陽暦三月二日)午前二時頃であらうと推定されてゐる。「今はこぎ出でな」の「な」は歌ひ手の意志をあらはす助詞でこの場合は勧誘的用法。

 

 古代の船は船底が扁平だったため、潮が引くとそのまま干潟の上に固定されてしまふので、船出は月が出て潮が満ちて来て船が浮上するまで出来なかったといふ。かがり火をつけた百千の軍船團は神に護られるがごとく月光に照らされながら潮の流れに乗って次々と出航した。それはまことに勇壮な光景であったと思はれる。

 

 潮が満ちて来て船出が可能となった時の緊張した雰囲氣と月光に浮き立つ場面が一体となって生き生きと迫って来る。差しのぼる月とその光、くっきりと照らし出された数多くの軍船、満ちて来る潮が出発の時を告げるのを「今はこぎ出でな」と歌はれて、船出を祝福し航海の無事を祈られると共に、眼前の風景をも雄渾に歌ひあげた感動を呼ぶ御歌である。

 

「やまとことば」特に和歌には靈力がこもってゐると信じるわが國の「言靈信仰」が脈うってゐる御製である。この御歌にこそ、祭り主・日本天皇の大御心が実によく表白されてゐる。

 

 祭祀主であらせられ全軍の最高指揮者であらせられる斎明天皇ならではの御歌である。『萬葉集』の代表歌の一つとなってゐる。

 

天皇は、神と人との間に立ってまつりごとを執行され神の言葉を宣せられる祭り主であらせられる。斎明天皇も祭り主として、航海の無事を祈るまつりごとを執行された。その時に、神のお告げ・御託宣を受けて出発を命令され、御自らを励まされ全軍を叱咤し鼓舞し、船出を祝福された。女性天皇の御歌ではあるが歌柄の大きい氣迫のこもった男性的な御歌である。一種の神憑り状態で御託宣として歌はれたといふ説もある。さうであらうと拝察する。

 

この御製は、『萬葉集』に収められてゐるのであるが、「題詞」(詩歌の詠まれた事情・趣意・作者などを記したことばで、歌の前に置いたもの。詞書)には「額田王の歌」と記されてゐる。しかし、左註(歌の左側に記す注)には、「天皇の御製なり」と記されてゐる。『萬葉集』の研究者の意見も二つに分かれてゐる。この御歌のしらべは、やはり上御一人でなければ歌ひ得ない格調と強さを持ってゐる。また「今は漕ぎ出でな」といふ結句は、全船團に出航を命令してゐるのである。「斎明天皇の御製」と拝すべきと考へる。

 

また、斎明天皇の命を受けて額田王が詠んだとする説もある。中西進氏は、「この緊張したしらべは、託宣のひびきにも似ておごそかであろう。そのとおりに、これは斉明女帝の立場で歌われたものであり、かつ出航をうらなった一首だった。古くは『女軍(めいくさ)』というものがあった。兵力として戦う男性軍に対して、つねに神意をうかがいながらこれを指揮する集團のことである。この傳統に立って、額田王は右の歌を口ずさんだのである。初期萬葉には女歌が多い。それは一つにはのこされた歌が公的な儀礼歌にかたよっているからであり、それには、神と人との中に立って〝ことば〟を傳えるのに女性があたるという傳統があったからである。額田王もその流れにいた。」(『萬葉の心』)と論じてゐる。

 

額田王が実際に詠んだとしても、この歌には、斎明天皇の大御心が表白されてゐることには違ひはない。

 

女性天皇・女性皇族は、祭祀を行ひ得ず、且つ、軍の統率も行ひ得ないといふことは絶対にない。それは、斎明天皇の御事績を拝すれば明らかである。

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千駄木庵日乗二月二十八日

午前、病院に赴き母に付き添う。医師及び看護師と相談。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。田久保忠衛杏林大学名誉教授が「トランプ政権下 日米関係の今後を考える」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、明日の講演の準備。

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天皇を現御神と仰ぎ絶対の信を寄せることが日本の臣道

村岡典嗣氏は、「歴史日本が創造した道徳的價値の重要なものとしては、尊皇道と武士道との二つを舉げ得る。尊皇道徳は太古に淵源し、わが國體の完成とともに、而してまたその根底柢ともなって成就したものであるが、歴史上或は國難その他の非常時局に際し、或は文教や學問の興隆に會って、は發現と高揚とを見せたと言へる。そは即ち、天皇に對し奉る絶對的忠誠の道徳であって、…太古人がその素朴純真な心に有した天皇即即現人神の信念こそは、實にその淵源であった。」と論じて、柿本人麻呂の「大君は神にしませば天雲の雷の上にいほらせるかも」を挙げてゐる。(『日本思想史研究・第四』)

 

さらに村岡典嗣氏は、近世における尊皇道の代表的なものとして、山崎闇斎(江戸初期の朱子學者、神道家。朱子學の純粋化・日本化に努め、門弟は数千人を数へた。また、神道を修め、垂加神道を創始し、後世の尊皇運動に大きな影響を与へた)を祖とする「垂加神道」を挙げてゐる。

 

玉木清英は『藻盬草』といふ文章で、「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」と説いてゐる。

 

村岡典嗣氏はこの文章を、「(絶對尊皇道徳の・註)最も代表的なものを山崎闇斎を祖とする垂加神道の所説とする。曰く、日本の天皇は、支那に比すれば天子でなくて天そのものに當る。儒教の天がわが皇室である。儒教でいへば、大君の上に天命がある。勅令の上に天命がある。しかるに我國では、大君なる天皇は即ち天帝であり、勅命はやがて天命である。さればに君不徳にましまして、無理を行はれるといふやうなことがあっても、日本では國民たるものは決してその爲に、天皇に背き奉り、また怨み奉るべきでないことは、恰かも天災がたまたまあったとて、ために支那に於いて、天帝に背き、また天帝を恨むべきではないとされると同様である。」と解釈し、「これまさしく、わが國民精神の中核を爲した絶対對尊皇思想である。」(『日本思想史研究・第四』)と論じてゐる。

 

二・二六事件に指導的立場で参加し処刑された村中孝次氏(元陸軍大尉)は獄中において「吾人は三月事件、十月事件などのごとき『クーデター』は國體破壊なることを強調し、諤々として今日まで諫論し来たれり。いやしくも兵力を用いて大権の発動を強要し奉るごとき結果を招来せば、至尊の尊厳、國體の権威をいかんせん、…吾人同志間には兵力をもって至尊を強要し奉らんとするがごとき不敵なる意図は極微といえどもあらず、純乎として純なる殉國の赤誠至情に駆られて、國體を冒す奸賊を誅戮せんとして蹶起せるものなり。」(獄中の遺書『丹心録』)と書き遺してゐる。

 

近年、國體護持・皇室尊崇の念を持つ人々による、皇室・皇族に対する「諫言・批判・苦言」が雑誌新聞などに発表される以前より多くなった。天皇・皇室を仰慕し、国の将来を案ずる憂国の思いからの切言であろうから、これを反國體勢力の皇室批判と同列に論ずることはできない。

 

尊皇愛国の精神篤い人は、天皇様や皇太子様が「自分たちの抱く天皇の理想像」あるいは「天皇様にはこうあっていただきたいという思い」と異なる御発言や御行動をされた時、天皇様や皇太子様を批判の思いを抱くことがある。心の中でそういう思いを抱くことはあるいはやむを得ぬことかも知れない。

 

しかし、天皇皇后両陛下をはじめ皇太子同妃両殿下などの皇族方の御行動・御発言に対し奉り、雑誌新聞などで色々と批判し苦言を申し上げることは如何なものであろうか。何か他の方法にて、諫言申し上げるべきではなかろうか。

 

日々神を祭り、国家国民そして世界の平和と幸福を祈っておられる天皇は、最高に尊い御存在である。生きたもう神であらせられる。天皇陛下以上に国家・国民を思い、その幸福安泰を神に祈られている御方はいないのである。そういう尊貴なるお方に対し奉り、いかなる憂国の士・学識のある愛国者といえども、自分の考え方や、ものの見方や、思想・理論を押し付ける資格はない。天皇・皇族のご意志ご行動が、自分たちの抱く理想像や自分たちの抱く國體思想と異なっているからと言って、天皇・皇族をあからさまに雑誌新聞などで批判するのは慎むべきである。

 

皇位継承・皇室典範改定・御譲位など皇室にかかわる重要な御事については、ます以って天皇陛下の大御心に沿い奉るのが臣下・国民としての姿勢である。皇室の重大事について臣下・国民が真摯に議論し、その結論を天皇陛下に申し上げることは許されても、自分たちの考え方を天皇陛下及び皇族方に押し付けるなどということがあってはならない。

 

自分の意志や思想と一致する天皇を尊ぶことなら誰にでもできる。しかし、自分の意志や思想と異なる行動をされた天皇に対しても忠義を尽くし従い奉るのが真の尊皇であり勤皇である。そのことは、日本武尊の御事績・楠正成の事績を見ればあまりにも明らかである。

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千駄木庵日乗二月二十四日

午前は、施設より電話があり、母の容態が良くないという。施設に赴き、母とと共に救急車で病院に行く。診察の後、入院決定。午後は、母に付き添う。

夜に、帰宅後は、日曜日に開催される『日本の心を学ぶ会』における講演準備。『伝統と革新』編集の仕事。

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2017年2月24日 (金)

天皇尊崇の心と日本の再生

 

 國家には独自の道徳観と理念が内在する。それにしたがって共同体の正義を実現する。倫理観のない國家は本当の國家ではなく、多くの人の集合体を権力で統制する機構に過ぎない。これでは國民に道義心も愛國心も湧いて来ない。

 

 「敬神崇祖」は日本人の道義の根幹であるが、それを身を以て実践されて来られたお方が「祭祀」を最大の使命とされる日本天皇であらせられる。日本伝統信仰の「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ということである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇の「祭祀」そして「無私の大御心」が日本國民の道義の規範なのである。

 

 日本國の生命・歴史・伝統・文化・道義の体現者たる天皇の大御心・御意志にまつろう(服従し奉仕する)ことが日本國民の道義心の根幹である。そして天皇の大御心・天皇の國家統治の基本は、天照大神の御命令である「高天原の理想を地上に実現する」ということである。神の意志を地上において実現する使命を持つお方が天皇であらせられるのである。

 

 現御神信仰の公的表現は、宣命詔勅に「現神(あきつかみ)と大八洲知ろしめす倭根子天皇(やまとねこすめらみこと)」と示されている。

 

 『文武天皇即位の宣命』には「天津日嗣高御座の業と、現神と大八嶋知ろしめす倭根子天皇命の、授賜ひ負賜(おほせたま)ふ貴き高き廣き厚き大命受賜り恐み坐して……明き淨き直き誠の心以て、御稱(いやすす)み稱(すす)みて緩怠(たゆみおこた)る事無く…」と示されている。

 

 「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の体現者であらせられる。

 

 最近の日本は誤れる「民主主義思想・人権思想」によって人と國家の神聖性・道義性の破壊してきた。人間の尊厳性はその人間の生活する國家の尊厳性と不離一体の関係にある。國家をあしざまに罵り続け、天皇の神聖性を隠蔽し、自分さえ良ければいいという観念が横溢したところに、今日の日本の頽廃と混迷の根本原因があると考える。 

 

 今日のわが祖國日本の道義の頽廃はまさに末期的である。これを打開することが緊急の課題である。日本民族の古代からの天皇尊崇の心・現御神信仰を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。 

 

わが國古代においては、祭祀と政治は一體であった。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」というのである。

 

「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からの伝統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと、具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは、分かち難く一體であった。

 

 祭祀とは、己をむなしくして神に仕えまつる行事である。ゆえに、日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神にまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方であり、民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。天皇は神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方である。だから民から天皇を仰ぐときには、この世に生きたもう神すなわち「現御神(あきつみかみ)」あるいは「現人神(あらひとがみ)」と申し上げるのである。

 

 「無私」が祭祀の本質であるから、神のみ心のままの政治、私を無くした政治、これが祭政一致であり、天皇の日本國家統治の本質である。だから、日本國はその長い歴史において、覇者同士による多くの競争が行われ戦いがあったが、「無私」の御存在であられる天皇は、唯一神聖不可侵な御存在として絶対的な御位におられ続けた。

 

 武力によるいかなる覇者も、天皇の「親任」を得ることによってその地位の正統性を得ることができた。天皇を廃して自らが日本國の最高君主になることはなかった。徳川幕藩體制下では、行政権・司法権ともに幕府が掌握していたが、祭祀を根本にした日本國の君主すなわち最高の統治者としての権威は天皇にあった。

 

 これは現代においても同じである。今日の日本の政治制度も、國会において多数を制した勢力の長が与党として内閣を組織するが、彼らは天皇の「親任」を得ることによってはじめて「内閣総理大臣」以下大臣としての地位につき國務を執行することができるのである。

 

 わが國古代においては、祭祀と政治は一體であった。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」というのである。「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からの伝統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは分かちがたいものであった。

 

 天皇が「無私」であられるからこそ、神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方となられるのである。日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方である。また民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。だから民から天皇を仰ぐときにはこの世に生きたもう神すなわち現御神(あきつみかみ)あるいは現人神(あらひとがみ)と申し上げるのである。

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千駄木庵日乗二月二十三日

午前、施設に赴く。母の容態急変のため、看護師と共に母に付き添い、病院に赴く。医師の診察・治療を受け、施設に戻る。平癒を祈りつつ母に付き添う。

この後、湯島天満宮に参拝。母の平癒を祈る。

帰宅後は、『伝統と革新』原稿校正、原稿執筆など。

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2017年2月23日 (木)

天皇・皇室と憲法

 

「日本国憲法」第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。

 

天皇を君主と仰ぐ日本國體を否定あるいは破壊せんとする者は「非国民」である。「非国民」はこの条項から一切除外される。従って、日本共産党など「天皇否定」「國體破壊」を主張しそれを目指す政党や集団や人間即ち「非国民」は、天皇・皇室そして日本國體に関わることに意思表示する権利は一切ない。

 

第四条には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とある。そして「憲法は権力の制限規範」とされている。

従って、政治権力者ではあらせられない天皇陛下は「憲法」の規制を一切受けない。天皇陛下は憲法を超越したご存在である。「皇位継承」「御譲位」をはじめ。「天皇・皇室」に関わる一切の事柄は、憲法・政府・国会の制約や規制を受けることはあり得ないしあってはならない。また、憲法・政府・国会は天皇・皇室とそして日本國體に関することに介入してはならない。

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西郷隆盛の対韓外交論は侵略主義では断じてない

 

 所謂「征韓論」問題について、「征韓論は簡単にいえば、全國三百万人ともいわれる没落士族を救う道は、『外征以外にない』として士族の不満を、外にそらそうとしたということができる」という論議がある。

 

 つまり、西郷隆盛の主張した対韓政策は全くの侵略論であったというのである。これは断じて誤りである。

 

 そもそも「征韓論」という歴史用語自体が大きな誤解を生んでいる。明治新政府の筆頭参議をつとめていた西郷隆盛は、決して朝鮮半島を武力侵略しようとしていたのではない。

 

当時、韓國政府は、わが明治新政府に反感を持ち、國書の受取りを拒否するのみならず、「日本人は畜生と変わるところがないから今後日本人と交際する者は死刑に処す」という布告(今の北朝鮮でもこんな布告はない)を出したり、釜山の日本公館に準じる施設を封鎖したり、日本人居留民を迫害したり、韓國水軍が釜山沖で大演習を行った。

 

 西郷隆盛は、「韓國政府の姿勢を糺すために西郷隆盛が自ら使者として韓國に赴く。万一、韓國側によって西郷が殺されるようなことになったら、やむを得ず戦端を開く」というごく当然の外交交渉を行うべしと主張しただけである。

 

 西郷は閣議で「大使は、宜しく烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)を着し、礼を厚うし、道を正しうして之に当たるべし。今、俄かに兵を率いて赴くが如きは、断じて不可なり。」と論じている。西郷は征韓でも武力侵略でもなく、礼を尽くして修好にあたろうと主張したのである。

 

 西郷の主張及び目的は、「没落士族を『外征』によって救おうとした」などという侵略主義では断じてない。

 

 葦津珍彦先生は、「かれ(西郷隆盛)の説は決して好戦的でもなく威圧的でもない。十九世紀の列國外交が、常に兵力を用いて強硬外交をした事実とくらべてみれば、『論理的』にはるかに平和的で、礼儀正しい。この西郷の外交理論は、その後も変わっいない。これから間もなく西郷下野の後に(明治八年九月)、日本軍艦が仁川沖で朝鮮に対して発砲したとき、西郷は公然と日本政府の武力行使と威圧外交を非難している」(永遠の維新者)と論じておられる。

 

 大久保利通や岩倉具視が、西郷らの対韓外交論に対して横車を押し反対したのは、西郷や江藤新平など(いわゆる留守政府)からの権力奪取のためである。岩倉・大久保にとって、彼らが洋行中に明治新政府が西郷・江藤らによって牛耳られてしまったことが我慢ならなかった。もし、「西郷遣韓」による韓國外交が成功したら、大久保らの出る幕は益々少なくなってしまう。だから西郷や江藤らの対韓外交政策に反対したのである。「内治優先」というのはあくまでも理由付けである。西郷らの主張を葬り去ることによって大久保らによる権力奪取を目指したのである。

 

 大久保利通は、西郷らの対韓政策を「内治優先」を理由にして反対しながら、西郷下野後の明治七年には台湾出兵を断行し、明治八年には江華島事件を起こして武力による朝鮮政策を行っている。やむを得ざることとはいいながら、大久保の主張も行動も矛盾だらけであり「見上げたもの」などでは全くない。

 

 心ある史家は、西郷は東洋王道精神を実践し、大久保は西洋覇道路線を歩んだという評価をしている。

 

 また、西郷ほど内治についても功績のあった人はいない。西郷が筆頭参議を務めていた期間即ち大久保らの留守中に、封建身分制度の廃止・人権の確立・國民皆兵制・御親兵設置・廃藩置県などの諸改革が行われた。大久保らはこうしたことにも嫉妬したのである。西郷は保守反動では決してない。

 

 明治六年十月十五日、西郷の主張が閣議で大久保利通を含む満場一致で正式決定していたにもかかわらず、大久保と岩倉具視は謀略を用いてこれをひっくり返した。岩倉・大久保は、『五箇条の御誓文』に示されている「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」の御精神を蹂躙したのである。西郷隆盛は道義的にも政治的にも法律的にも何ら責められるべきことはしていない。

 

 さらに大久保と岩倉は西郷が、天皇陛下に直訴・上奏することを恐れ、遮断の策を講じた。西郷隆盛は、天皇陛下に背き奉ったのでは断じてない。岩倉・大久保らの陰謀によって排除されたのである。そして、恩人西郷隆盛を裏切り大久保の手先となったのが川路利良初代警視総監である。

 

 葦津珍彦先生は、「西郷及び西南戦争を戦った第二維新の戦闘者たちは、決して頑迷な復古主義者ではない。議會政治の実現を望んだ。西郷の対韓外交論が閣議で決定されたのに、大久保・岩倉が陰謀を用いてこれをひっくり返したことに抗議して、野に下ったのである。しかして『民選議院設立建白書』を提出したのも彼らである。」と論じておられる。

 

 韓國の近代史家の多くは、「西郷の征韓論は日本侵略主義の原点である」などと主張しているという。そうした歴史問題に関する韓國側の一方的な日本非難に手を貸すような論議が、日本人によって主張されていることは、まことに残念である。

 

 西南戦争の後に確立した西洋に学んで日本を近代化し独立を維持するという基本路線は全面的に否定されるべきではないが、日本の道統・皇道精神を隠蔽させてはならなかった。西洋に学ぶとはあくまでも良きところを取り入れるということであって、西洋になりきることではない。

 

 川路は西洋視察からの帰國の船中で、「『今の日本には何よりもまず内政を安定させて、藩体制から府県にかわったばかりの國内統一と安定を、完成させることが大事だ。そのためにも、その基盤となる警察組織を確立することが、何よりも必要なのだ。日本は今、西欧に誇れるようなものは何もないが、俺(おい)は警察だけは世界一流のものにしたいと思っている。きっとしてみせる』と言った」という。(神川武利氏著『大警視・川路利良』)

 

 川路が本当に「西欧に誇れるものは何もない」と思っていたのだとすれば、日本の道統を無視した考え方であり、西郷隆盛の考え方とは全く逆である。

 

 『大西郷遺訓』には、「廣く各國の制度を採り、開明に進まんと欲せば、先づ我國の本體を立て、風教を張り、而して後、徐(しづ)かに彼の長所を斟酌すべし、然らずして猥りに彼に倣はゞ、國體は衰頽し、風教は萎靡して、匡救すべからざるに至るべし」と書かれている。

 

 『大西郷の精神』とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現である。西洋列強の侵略から祖国を守り四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った大西郷の精神こそ、今の日本にもっとも必要なものである。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからである。

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千駄木庵日乗二月二十二日

午前は、諸雑務。

午後は、二十六日に開催される『日本の心を学ぶ会』における講演の準備。

この後、施設に赴き母に付き添う。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、講演準備。

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2017年2月22日 (水)

『武士道』について

 「武士道」とは、字義的には武士が守るべき道を意味する。中世以後発生した武士階級の間に発達した道徳律すなわち道徳的原理の規範のことといわれている。規範ではあるが特定の人物によって書かれた教義書はない。

 

 武士道は、忠誠・名誉・尚武・勇気などを重んずる。その内容を詳しく言えば、(一)、忠孝を第一とし、(二)、廉恥(心が清らかで、名を惜しみ恥を知る心がつよいこと)を重んじ、(三)、義勇に励み、(四)、狂暴を挫いて孤弱を扶け、(五)、自己の責務を果たすということという。一言にして言えば、何に臨んで死を畏れず、一命を賭して君に仕えることである。

 

 和辻哲郎氏は、武士道の内容について、「(注武士の)献身の道徳の中核とは…利己主義の克服、無我の実現である。…享楽を欲する自我の没却、主君への残りなき献身、それが武士たちにとっての三昧境であり、従ってそれ自身に絶対的価値を持つものであった。…『武者の習い』の確信が無我の実現にある。」(『日本倫理思想史』)と論じている。

 

 無我の心とは大和魂・そのままの心・もののあはれを感じる心と通じる。合理的な思考や判断以前の素直なる心=大和魂が武士道の奥底にある。武士道とは本来すめらみことに対する無我の献身であった。しかし、中世に至って力の強い者が弱い者を倒して獲得する地位である武士団の棟梁に対する忠誠という「私的」なものになってしまった。そこから覇道が生まれる。

 

 武士道は中世に起こったものではない。また、儒教や仏教から発したものでもない。記紀・萬葉の歌を見ても明らかな如く、日本傳統的な中核精神(神道)から発した國及びすめらみことに対する忠誠と名誉を重んじ恥を知る心が根幹である。

 

 倉前盛通氏は、「肝心の生死の際の覚悟のほどは、合理的な儒教論とは全く縁のないエモーショナルなものによっていた。“もののあはれ”というか“日本的死生観”というか、混沌の中からもえいでて結ばれいのちを得たものが、解(ほど)けてふたたび混沌の中に隠れていくという生死の見定めは、儒教でも仏教でもなかった。」「武士の生死の覚悟は禅によって定まるものではない。もちろん、論理の虚構を排する禅の哲學は、『さかしらに言挙げせず』の傳統的自然観に結びつきやすかったこともあろう。しかし『今はこれまで』の意志決定は、涅槃や達磨という形而上學的で普遍的な法概念によって把えられるものではなかったであろう。原始の混沌がいまに生きている日本の精神風土、古代の神々の息吹きが残っている風土であるからこそ、論理の枠組みから外れた情動の激しい発露として、武士の死に方が生じてきたのである。…武士道が仏教から生じたものものならば、なぜ禅の盛んであった宋に武士道が生じなかったのであろうか。」(『艶の発想』)と論じている。

 

 大和魂・もののあはれ・日本的死生観が日本武士道の根底にあったのである。ゆえに、日本の武士の祖は、須佐之男命であり倭建命であり神武天皇であらせられる。

 

 新渡戸稲造氏は、吉田松陰の

 

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

 

 という歌を引用して、「武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、國民および個人を動かしてきた」(武士道)と論じている。新渡戸稲造氏はさらに、「(注武士道」については)精々口傳により、もしくは数人の有名なる武士や學者の筆によって傳えられたる僅かの格言があるに過ぎない。むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録されたる立法たることが多い。不言不分であるだけ、実行によって一層強き効力が認められているのである。……道徳史上における武士道の地位は、おそらく政治史上におけるイギリス憲法の地位と同じであろう。」(『武士道』)と論じている。

 

 日本武士道の教義書はないが、新渡戸稲造氏の言う「心の肉碑」=日本人の魂の奥底の思いを表白する文藝である「和歌」によってもののふの心が傳えられてきた。萬葉歌は飛鳥奈良時代のもののふの道=武士道を傳えている。

 

 理論・理屈を好まない日本人らしい道徳律が武士道なのである。日本の傳統の根幹たる和歌も祭祀もそして武道も理論・理屈ではない。「道」であり「行い」である。そして一つの形式・「型」を大切にし「型」を學ぶことによって傳承される。學ぶとはまねぶである。理論理屈ではないが「道」(歌道・武道・茶道・華道)という。

 

 そして武士道は、道徳・倫理精神と共にあった。武士は封建時代において國民の道義の標準を立て、自己の模範によって民衆を指導した。義経記・曽我兄弟の物語・忠臣蔵などの民衆娯楽の芝居・講談・浄瑠璃(平曲・謡曲から発した音曲。語り物)小説などがその主題を武士の物語から取った。明治維新の志士たちの歌も近代日本の武士道教育の手本となった。

 

 かかる和歌などの藝術によって武士道が継承され教育された。これは、武士道が情感・感性によって継承され実行されてきた「道」であり、理知によって継承されてきた教条や独善的観念體系(イデオロギー)ではないということを証しする。

 

 武士は、日本國民の善き理想となった。いかなる人間活動の道も、思想も、ある程度において武士道の刺激を受けた。武士は武家時代において、決して民衆を武力で支配した階級のみでなく、道義の手本でもあった。明治維新をはじめとしたわが國の変革を断行せしめた重要なる原動力の一つに武士道があった。

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千駄木庵日乗二月二十一日

午前は、諸雑務。

 

午後は、皇居東御苑内の宮内庁三の丸尚蔵館にて開催中の『寿ぎの品々を読み解く』展参観。

この展覧会は、「明治期以降,皇室の御慶事に際しては,各方面からお祝いの品としてめでた尽くしの掛軸や置物など,美術品の数々が献上され,現在,その一部が当館に引き継がれています。本展では,これらの品々に示された伝統的な吉祥の主題が,新しい時代の感覚によってどのように表現されたか,その造形美に注目して紹介します」(案内書)との趣旨で開催された。横山大観「蓬莱山」、山田宗美「瓦片鳩」、三輪休雪「寿老人置物」、大野隆平「刺繍神宮之図屏風」などを拝観。

 

帰宅後は、講演の準備など。

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2017年2月21日 (火)

防人の心

 和歌は、天皇と国民をつなぐ大きな絆である。わが国最古にして最大の和歌集である萬葉集は、上は天皇から下は一般庶民の歌(遊女の歌もある)まで収録さている。萬葉歌の一首一首にわが国の古代人の信仰・思想・生活感情・美感覚があますところなく表現されている。萬葉集は、わが国の伝統精神・日本民族の中核精神を和歌という定型文学で表現した一大アンソロジーであり、わが国の伝統的な民族精神を知る上で、記紀と並んで、まことに大切な文献である。記紀はわが国民族精神が語られている文献であり、萬葉集はわが国民族精神が歌われている文献である。

 

 萬葉集巻二十には、九十三首の防人の歌が収められている。防人とは、唐・新羅のわが国への侵攻に備えるために、筑紫・壱岐・対馬に配置された兵士のことで、わが国が百済に送った救援軍が白村江で敗北した翌年の天智天皇二年(西暦六六三)に配置された。諸国の軍団の正丁(せいてい・二十一歳から六十歳の公用に奉仕した男子)のうちから選ばれて三年間の任務についた。天平二年以降は、特に勇壮を以て聞こえた東国(遠江以東の諸国)の兵士が専ら派遣された。大陸及び朝鮮半島との緊張関係は、約千三百年前から今日まで変わらずに続いているということである。

 

 防人の歌は、防人の率直な心境や東国庶民の生活感情を知り得る貴重な歌である。天皇国日本の永遠を願いながら遠く旅立つもののふの決意を表明した歌であり、生きて故郷へ帰ることができない覚悟した者たちの歌である。当時における辺境の地の素朴な歌ではあるが、日本文化・文学の基本である宮廷文化(みやび)への憧れの心があり、君への忠、親への孝、人への恋心が表白されている。

 

 一人一人がそれぞれの立場で個性的表現をしているが、全体として国のため大君のためにわが身を捧げるという共通の決意が歌われている。天皇への無限の尊崇・仰慕の念と敬神の心、そして愛する父母や妻子への思いが生々しい情感として歌われている。

 

 つまり、日本人の最も基本的にして永遠に変わることなき道義精神・倫理観を切々と歌っているのである。東国の庶民は都に生活する貴族などと比較すれば教養や学識においては劣るものがあるかもしれないが、天皇・国家・家族を思う心は純真で深いものがある。東国の庶民である防人の歌には、古代日本の豊かな精神・純粋な感性がある。

 

下野(今日の栃木県)の火長今奉部與曾布(かちょういままつりべのよそふ)の歌「今日よりは顧(かへり)みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は」 (防人の任を仰せつかった今日よりは、一切を顧みる事なく、不束ながら大君の尊い御  楯として出発致します、私は、という意)

 

火長とは十人の兵士を統率する長。もっとも代表的な防人の歌である。「醜」とは醜いという意ではなく、大君に対し奉り自分を謙遜して言った言葉で、「不束ながら」或いは「数ならぬ」という意。葦原醜男神(あしはらのしこおのかみ・大己貴神の別名)の「醜」と同じ用法で、「力の籠った、荒々しい強さを持ったものの意」とする説もある。

 

 「御楯」は楯は矢・矛・槍から身を守る武具であるが、大君及び大君が統治あそばされる日本国土を守る兵士のこと。大君にお仕えする兵士であるから「御」という尊称をつけた。

 

出征する時の勇壮・凜然とした固い決意を格調高く歌っている。この歌の心は一言で言えば上御一人に対する「捨身無我」である。そうしたきわめて清らかにして篤い尊皇の心がふつふつと伝わってくる。しかも、押し付けがましいところがない、さわやかな堂々たる歌いぶりの重厚な歌、と評価されている。                   

 

 常陸の國那珂郡の防人・大舎人部千文(おおとねりべのちぶみ)の歌。

「あられ降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に吾は來にしを」(鹿島の社に鎮まります建御雷神に武運長久を祈り続けて天皇の兵士として私は来たの  だ、という意)

 

 「あられ」は鹿島に掛る枕詞。あられが降る音はかしましいので鹿島に掛けた。「鹿島の神」は鹿島神宮に祭られている武神・建御雷神(たけみかづちのかみ・武甕槌神とも書く)の御事。建御雷神は、天孫降臨に先立って出雲に天降られ、大国主命に国譲りを交渉せられた神であらせられる。鹿島神宮の御創祀は、神武天皇御即位の年と伝えられる。「皇御軍」は天皇の兵士という意味。天皇の兵士・皇軍という意識は、近代になってつくり上げられたのではなく、千三百年の昔よりわが日本の庶民に受け継がれてきているのである。

 

 この鹿島神宮は、初代徳川頼房公以来、水戸徳川家が崇敬の誠を捧げていた。今に残る日本三大楼門の一と言われる楼門は寛永十一年に頼房公が寄進したものである。幕末の徳川斉昭は、『大日本史』を奉納し、安政四年には、鹿島神宮の御分霊を水戸弘道館に勧請し、鹿島神社を創建した。山崎氏は、その筆名を「常陸太郎」と称されていた。

 

 日本武士道の淵源は、記紀に記された須佐之男命・神武天皇・日本武尊の御事績にある。この御精神の継承し踏み行ったのが防人たちだったのである。

 

 防人の歌に限らず萬葉歌は、理論・理屈ではなく、日本人の魂に訴える「歌」によって、日本人の中核精神・伝統信仰・倫理観を今日の我々に教えてくれているのである。まことに有難きことと言わねばならない。また、当時は既に聖徳太子の時代の後であるから仏教がわが国に浸透していたはずであるが、萬葉集全体、特に防人の歌には、崇仏の歌が全く無い。  

 

 尊皇愛国・国のために身を捧げることが日本人の道義の基本である。萬葉集とりわけ防人の歌には、日本民族の道義精神・倫理観の中核たる、「天皇仰慕・忠誠の精神」「神への尊敬の思い」「父母への孝行の心」が素直に純真に高らかに歌われている。現代日本の混迷を打開し、道義の頽廃を清め祓い、祖国を再生せしめる方途は、萬葉の精神への回帰にあると確信する。

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「第七十回日本の心を学ぶ會」のお知らせ

第七十回日本の心を学ぶ會

 

「昭和維新運動と現代を考える。」

 

第七十回の勉強會は二月二十六日に開催されます。

 

八十一年前のこの日、青年将校は昭和維新断行を目指して大雪の東京の中で決起しました。後に二二六事件と呼ばれるこの事件は、多くの小説や映画の題材となっており事件から八十一年たった現在でも関連書籍が出版されるほど関心の高い歴史の転換点となった事件です。この事件の背景にあったのは大正末期からつづく経済不況でした。とくに農村の疲弊は激しく身売りの横行や欠食児童の増大は農村出身の兵士と接する青年将校に國家の危機を十分に予感させるものでした。一方で政財界は腐敗しており汚職と疑獄事件が続発しておりました。ついに國民の不満は爆発し第一回普通選挙では激しい弾圧があったにもかかわらず無産系候補者八候補が当選しました。このような國民の困窮と左翼運動の高まりの中で右からの國家革新運動もまた過激化しその矛先は左翼ではなく政財界へと向けられました。血盟団事件や五一五事件など二二六事件とともに昭和維新運動と呼ばれる國家革新運動はこのような時代的背景の中で展開されたものです。そして二二六事件の失敗によって昭和維新運動は挫折したといわれております。

 

しかしながら、昭和維新運動とその挫折は現在の日本に重要な教訓を残したと言えます。現在の日本も昭和前期と同じく、國民は困窮しており対外的な危機にさらされております、なによりも國體を否定するような思想は形を変えて現在も存在しております。こうした現代の問題を考える上で昭和維新運動とその挫折は貴重な教訓になると思われます。二二六事件より八十一年目となる二月二十六日の勉強會では昭和維新運動について考えたいと思います。

 

【日時】平成二十九年二月二十六日 午後六時

 

【場 所】文京区シビックセンター 三階會議室A

文京区春日一-一六-二一 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩一分、都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩一分、JR総武線水道橋駅(東口)徒歩九分

 

【講 演】

演題「昭和維新運動に学ぶー日本的変革と現代日本」

講師 四宮正貴 四宮政治文化研究所代表

 

【司會者】林大悟

 

【参加費】資料代五百円終了後、近隣で懇親會(二千円位の予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

この案内文は主催者が作成しました。

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千駄木庵日乗二月二十日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理、講演の準備など。

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2017年2月20日 (月)

我慢も限界

 

 自民党は、野党時代、「政府主催で建国記念の日を祝う式典を開催する」という公約を掲げた。自民党が政権を奪還し、「日本を取り戻す」を政治理念とする安倍晋三氏が総理総裁となり、愈々政府主催の建国記念の日奉祝式典が行われると期待していたが、今日に至るまで実現していない。これは一体どうした事か。これは公約違反などという生易しい問題ではない。まさに「日本を取りもどす」即ち国家再生・維新断行の根本問題の一つである。

 

「真正保守」と言われている学者・評論家・国民運動組織は、安倍晋三総理を批判することを遠慮しているようである。他の政治家例えば福田康夫氏や石破茂氏が総理として安倍氏と同じようなこと、即ち「戦後七十年談話」「建国記念の日の政府主催行事の不実行」「慰安婦問題の決着」「靖国神社総理参拝の不実行」などをしたら、大変の非難攻撃を行うであろう。私も安倍総理を正面から批判することを控えてきた。しかしもう我慢も限界といった思いである。

 

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2017年2月19日 (日)

神武建国の精神

 徳川家が独占してきた役職である征夷大将軍とは「夷」(えびす・えみし=日本に仇なすもの)を征討する大将軍という意味である。ところが幕府はペリーがやって来たら慌てふためいて、何もできない。そして天皇陛下のお許しを得ないでアメリカと屈辱的な國交を結んでしまった。そこで、徳川氏は征夷大将軍の役目を果たすことができないということになって、徳川幕府を倒して、天皇中心の國家を再生せしめた大変革が、明治維新である。

 

 わが國有史以来未曾有の大変革であるところの明治維新の基本精神は、慶應三年十二月九日、明治天皇『王政復古の大号令』に示されているように「諸事、神武創業の始に原(もと)づき、……至當(しとう)の公議を竭(つく)し、天下と休戚(きゅうせき)を同く遊ばさる可(べき)き叡念」ということである。

 

 「休戚」とは「喜びも悲しみも」という意である。「万事、神武天皇御創業の根本精神にたちかえり、……積極的に筋の通った公正な論議を尽くして、天下の民と喜びも悲しみも共にされるという御心……」というほどの意であると拝する。

 

 慶應四年八月二十七日に京都御所紫宸殿で行われた明治天皇即位式の『宣命』には、「方今(いま)天下(あめのした)の大政(おほまつりごと)古(いにしへ)に復(かへ)し賜ひて、橿原の宮に御宇(あめのしたしろしめし)し天皇(すめらみこと)御創業(おんことはじめ)の古(いにしへ)に基き……」と示されている。

 

 明治天皇は、さらに、

 

 「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより國はうごかず」

 「橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本(ひのもと)の國をたもたむ」

 

 と詠ませられている。    

 

 明治維新の基本精神は、「神武創業への回帰」すなわち、神武天皇が大和橿原の地に都を定められた精神に帰ろうということである。この精神に基づいて大変革を断行したのである。明治維新そして明治期の日本近代化は、実に神武創業への回帰の精神がその根底にあったのである。

 

 明治維新の基本精神たる「神武創業への回帰」とは、「神武創業の精神」に基づいて旧体制(幕藩体制)を根本的に変革し、封建体制を解体し、廃藩置県を断行し、身分差別をなくし、さらには憲法を制定し、議会を開設するなどの大変革を行うことであった。

 

 そして、明治維新の大事業の一環として紀元節が制定された。

 『日本書紀』には、「辛酉年(かのととりのとし)の春正月(はるむつき)の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)、天皇(すめらみこと)橿原宮(かしはらのみや)に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳(このとし)を天皇の元年(はじめのとし)とす」と記されている。

 

 神武天皇即位の日が正月朔日(むつきついたち)であるのは、むつき(正月)の始めにおいて、神も天地も人も新生するという上古以来の日本人の信仰に基づく。そして、明治六年、この日を太陽暦に換算した二月十一日を『紀元節』とした。

 

 明治維新後に行われた紀元節の制定は、「神武創業への回帰」という根本精神・明治天皇の大御心の実現であると共に、危機的状況にあった祖國日本を再生せしめるための精神的基盤確立であったのである。近代日本の発展はまさに神武創業への回帰がその基礎となったのである。これを「復古即革新」(=いにしえに回帰することが現在の革新であるという理念)という。

 

 今日の日本も幕末期・明治初頭と同じような否それ以上の危機に直面していると言っても過言ではない。今日においてこそ神武創業の精神に回帰した國家革新を断行しなければならない。 

 自民党は、野党時代から「政府主催で建国記念の日を祝う式典を開催する」という公約を掲げた。自民党が政権を奪還し、「日本を取り戻す」を政治理念とする安倍晋三氏が総理総裁となり、愈々政府主催の建国記念の日奉祝式典が行われると期待していたが、今日にいたるまで実現していない。これは一体どうした事か。これは公約違反などという生易しい問題ではない。「まさに日本を取りもどす」即ち国家再生・維新断行の根本問題の一つである。

 

 

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千駄木庵日乗二月十九日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、原稿執筆・脱稿送付。資料の整理。

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天皇の国家統治の本質とわが國の伝統的倫理観念・國家観の回復

 人間が本然的に持っている相互扶助の精神が発達拡大することにより國家が成立する。人間の小さな利己主義へのとらわれを克服して、國家國民全体の幸福・繁栄・平和を生み出すことが必要とされる。

 

 國家とは、人と人とがお互いに協力して生活していく共同体であるという本質を忘却し、國家を搾取機構・権力機構としてのみとらえれば、「國を愛する」とか「國に忠誠を尽くす」などという心は起こらない。まして生命を懸けて國を守ろうなどという気は起こらない。 

 

 個人の生活が、物質的・経済的条件のみで成り立っているのではなく、精神的信仰的道義的価値が無くしては成り立たないのと同様に、國家もまた決して経済的・物質的・政治権力的機構ではない。精神的・信仰的・道義的共同体である

 

國家には、それをを支える正しき國家観と共に正しき道義観念・哲學が必要である。わが國には「恥を知る」という倫理観がある。「日本文化は名と恥の文化である」と言われるほどに、わが國民は恥をかくことを嫌うし、名がすたること忌み嫌ってきた。恥をかかさせることに何よりも怒りを覚える國民であったし、恥ずべきことはしないことを何よりも重んじてきた國民である。

 

ところが、今日の若者中には浮浪者でも乞食でもないのに平気で地べたに座り込んで話をしたりものを食べている人がいる。こういう若者たちを<恥知らず>というのである。若者だけではない。政界・官界・財界のエリートたちも<恥知らず>が多くなってきている。だからわが國近年の外交は屈辱外交の根本原因はここにあると考えられる。。

 

 わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観を回復することが緊急の課題である。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから深刻なのである。

 

 家庭教育及び學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。人間は伝統的な諸価値によって決定される正しい行動の規範に基づいて生活することによって、真の自由と幸福とを得ることができるのである。

 

 混迷の淵にある祖國日本を起死回生せしめるには、戦後民主主義を反省し、わが國の伝統的な國家観と道義精神を回復せしめなければならない。それが文字通り専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、わが國國民が真の平和と自由を獲得する道である。

 

 わが國の國體は、天皇を中心とした信仰共同体である。祭祀主としての天皇の神聖なる権威が日本國家の安定と統一の基礎である。その信仰共同体としての國を基礎としてその上部に政治機構としての國家が成立した。政治組織・権力機構としての國家の基礎に天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体のとしての國がある。 

 

 政治機構としての國家は法律と権力によって運営される。しかし、その根本に傳統信仰を基礎とした國がある。その祭祀主が天皇であらせられるのである。

 

 現実の國家はそれを構成する國民の私欲の追求によって悲惨な闘争が起こる。それを可能な限り抑制するのは、私欲を超越した無私という倫理性を体現する存在である。わが國においては天皇がそうした御存在である。

 

 肇國以来今日に至るまでわが國の歴史を貫き、将来にも継続する御存在が天皇である。天皇は祭祀主として君臨されている。決して権力や武力によって國を支配しているのではない。

 

新渡戸稲造氏がその名著『武士道』において、「我々にとりて天皇は、法律國家の警察の長ではなく、文化國家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである。」と論じている通りである。

 

そして、天皇は、権力や武力の暴走、言い換えると権力者の私欲による権力と武力の行使を制限し抑制される権威をお持ちになる。天皇は権力や武力と無縁の御存在だということではない。むしろ権力や武力に対して道義性を与えられる。中世・近世・近代を通じて武家権力や軍に対してそういうおはたらきをされた来た。

 

 わが國の傳統的倫理・道義は、<神に対する真心の奉仕><神人合一の行事>である祭祀として継承されてきた。日本人の実際生活において行じられる祭祀そのものが倫理精神・道義感覚の具体的な現れなのである。 

 信仰共同体國家日本の祭祀の中核は天皇の祭祀である。したがって、日本國家の祭祀主であらせられる天皇は、日本道義精神・倫理観念の体現者であらせられるのである。

 

 明治天皇は、『教育勅語』に示された徳目を、臣民にだけ行じさせるのではない。『教育勅語』には、「朕爾臣民ト共ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と示されている。天皇が道義実践の中心者であらせられる。それが皇祖皇宗から御歴代の天皇に傳えられたわが國皇室の道統なのである。

 

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千駄木庵日乗二月十八日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』発送作業、作業完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

午後一時半より、TKP飯田橋ビジネスセンターにて、『アジア太平洋交流学会』開催。浅川公紀筑波学院大学教授が、「トランプ政権スタート」と題して講演。質疑応答。

この後、施設に赴き母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2017年2月18日 (土)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 三月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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日本伝統信仰・祭祀・維新

 わが國の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。我が國は神話時代(神代)以来の伝統精神すなわち日本國民の歩むべき道というものがある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

 

日本伝統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきわめて自然で自由で大らかな精神なのである。

 我々日本民族の祖先が有した人生や國家や世界や宇宙に対する思想精神は、「神」とか「罪」に関する考え方が全て祭祀という実際の信仰行事と不可分的に生まれてきたように、抽象的な論理や教義ではない。生活そのものの中に伝統信仰が生きているのである。

 

 わが國の伝統精神における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の実践なのである。祭祀が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本伝統精神の価値は今日まことに大切なものとなっている。

 

 天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来ている。天皇の御使命は、地上に稲作の栄える瑞穂の國を作られることにある。これが天皇中心の日本國體の根幹である。稲作生活から生まれた神話の精神を、祭祀という現実に生きた行事によって今日ただ今も継承し続けてきておられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。

 

 その天皇の祭祀の精神を仰ぎ奉ることが、我が國の道義の中心である。その天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。天皇の祭祀において、わが國の伝統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行われているのである。

 

 わが國の神は天津神、國津神、八百万の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。 

 

 今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

 

 それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

 

 さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

 我が國伝統信仰すなわち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」という。その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

 日本伝統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹である。それは日本民族の実際生活から生まれて来た信仰のである。

 

 我が國伝統信仰=神道はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰である。それは我が國伝統信仰が、前述したように、國民生活の中から自然に生まれてきた信仰精神であるからである。

 

 だからこそ、神道の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。我が國において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全國に國分寺・國分尼寺を建立された。我が國において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。そして日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

 

 今日「政教分離」の原則とやらをやかましく言い立てて、日本伝統信仰=神社神道を排斥する輩こそ排他独善の教義を信ずる者共なのである。

 

神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕え奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。

 

 人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓い清め、祭りと直會(神と共に供え物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

 つまり人の本来の姿を回復することが祭りの原義である。『古事記』に示されている「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 

 今日の我が國も、「天地の初発の時」即ち神がお生みになった日本國の最初の時の姿を回復することによって、この危機的状況を打開することができる。

 

 維新とは、実に罪穢を祓い清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。したがって、今日行うべきことは罪穢を祓い清めることである。

 

 國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を今此処に回復することが維新である。

 

 実際、日本民族は、全國各地で毎日のように禊と祭りを行っている。それは信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められている行事である。

 

 國家を愛することができなくなっているのは、國民の多くが國家に対して誤った見方をしているからである。精神的共同體としての國家と権力機構・経済體制としての國家とをはっきり区別して考えなければならない。権力機構・経済體制としての國家がいかに混乱し破滅的状況にあっとしても、精神的共同體としての國家は永遠に不滅である。

 

 わが國の歴史を顧みても、これまで、壬申の乱、南北朝時代、応仁の乱そしてそれに続く戦國時代、さらに大東亜戦争の敗北というような大混乱・大国難の時代も経験したが、天皇を中心とする精神共同體としての國家・日本は生き続け、國家的・民族的統一を全く喪失する事なく必ず太平の世を回復してきた。

 

 我が國國民が祭りが好きであるということは、日本人が本来明るい精神を持っているということである。厭世的でもなければ逃避的でもないというのが我が國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓い清めることができると信じ続けてきている。

 

 今日のこの混迷も必ずこれを打開して正しき日本の姿を回復するに違いない。しかしそのためには、歴史を回顧して明らかな如く、真に國家の伝統精神を継承する者たちの必死の努力精進が必要である。

 

愛國運動・維新運動とは、現代に危機感を抱いている者たちによって行われる運動である。維新変革は、この國を何とかしなければならないという情熱を持つ者によって行われる。情熱は時として誤れる方向に突っ走ることがある。それを防ぐためには、深い神への祈り、神を祭る心、神の意思通りに生きんとする心を持たなければならない。

 

 明治維新が徳川幕藩體制を打倒して天皇中心の國體を明らかにした変革であった如く、現代における禊祓いとは、今日の日本に巣食っている邪悪な者共を殲滅することである。そして現代における祭りとは、禊祓いの後に天皇國日本の真姿を回復することである。

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2017年2月17日 (金)

千駄木庵日乗二月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、施設に赴き母に付き添う。施設職員と相談。

帰宅後は、原稿執筆。

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日本人の倫理道徳の根本は「清明心」

日本人の倫理道徳の根本は、「清明心」「正直」「まこと」「無私」にある。そして、祭り主日本天皇は、「清明心」「無私」の體現者であらせられる。

 

天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。

 

日本國民は古来、「清らけく明らけく」(清明心)を最高の価値として来たのである。清々しく明るい日本民族精神は、天皇の神聖性を讃嘆し、その大御心に従ひ奉る精神なのである。

 

「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の基本的な道徳観念である。日本人は、「あいつは悪い奴だ」といはれるよりも、「あいつは汚い奴だ」といはれる方を厭ふ。わが國においては善悪よりも清いか汚いかが道徳基準となる。

 

天智天皇は、

「渡津海の豐旗雲に入り日さし今夜の月夜清明(あきらけく)こそ」

(海空に、豊かに旗の如くたな引く雲、それに入り日がさしてゐる。今夜の月夜は明らかなことであらう、といふほどの意)

と詠ませられてゐる。

 

「清明心(汚れなく・清く・くもりなく・明らけき心)」にあこがれ「くらき心」「きたなき心」を嫌った心が日本人の心である。神道が禊祓を大切な行事とするのもこの精神によるのである。

 

「清明心」は「まごころ」といはれる精神であり、中世神道においては「正直」と称せられるものである。偽善や嘘を嫌ふ心である。無私の心であり我執なき無我の心である。

 

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。ゆへに「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

中村元氏は「日本人の思惟方法のうち、かなり基本的なものとして目立つのは、生きるために与えられている環境世界ないし客観的諸条件をそのまま肯定してしまうことである。」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。

 

「清らけき明らけき心」「素直な心」「無私の精神」とは、中村氏のいふ「与へられてゐる環境・条件をそのまま肯定する思惟方法」とかなり近いものがあると思ふ。

 

「与へられてゐる環境を素直に肯定する思惟方法」が、天地自然を人間と対立する存在ととらへず、天地自然を神としてまつり拝ろがむ信仰生活を生んだと思はれる。それは日本の天地自然が麗しく温和であり人間に大いなる恵みを与へる存在である事による。麗しく豊かな自然に恵まれた日本民族は、現世を肯定し、明るい太陽の下で生きてきた。日本民族は本来明るく大らかな民族である。

 

「清明心」は、佛教思想の影響が強まった中世になる「正直」といふ言葉になった。『早雲寺殿二十一カ条』(室町後期の武将北条早雲の教訓書)に「こころを直にやはらかに持ち、正直憲法にして…あるをばあるとし、なきをばなきとし、ありのままなる心持、持仏冥慮にもかなふと見えたり」と記されてゐる。

「正直の心」は、ありのままなる心・素直な心である。つまり清明心の中世的における表現である。

 

明治天皇は、

「さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり」

「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」

と詠ませられてゐる。

 

この御製の大御心こそ清明心であると拝する。「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。

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千駄木庵日乗二月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。看護師さんの話を聞く。

午後六時より、水道橋にて、永年の同志二氏と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備・原稿執執筆など。

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2017年2月16日 (木)

南北朝鮮そして支那とてもまともな国ではない

「近隣国家 南北朝鮮 そして支那 とてもまともな 国にはあらず」

 

私が詠んだ歌です。共産支那は、革命の第一世代の薄一波の息子を獄に放り込んだ。周永康・令計画・郭伯雄などの政敵を粛清した。金正恩は自分の義理の叔父を公開の場で逮捕し粛清した。そして数多くの幹部を抹殺した。そして今度は、腹違いの兄貴を殺した。朴槿恵は、友人の崔順実の国政介入問題で国会で弾劾を受け大統領職務が停止された。

 

こういうどう見てもまともではない三つの国が文字通りわが国の近隣国家なのだ。

 

とりわけ、北朝鮮は「国家」と言えるかどうかさえ怪しい。そもそも北朝鮮は「国家」と言えるかどうかさえ怪しい。「国家」とは民主的な手続きによって選出された国民の代表者によって法律に基いて統治されているのがあるべき姿である。

 

ところが北朝鮮は、金日成が死んだ後、(これも息子の金正日によって殺されたとする説もある)どういう民主的法律的手続きを経て金正日が国家の最高権力者に選ばれたのかさえまったく不明である。金正日は、ただ金日成の息子だから後継者になったのである。また、金正日が死んだ後、どういう民主的法律的手続きを経て息子・金正恩が最高権力者になったのか不明である。そして独裁者になった途端、叔父を殺し、今度は兄貴を殺したのだ。その殺された兄貴も、フジテレビのニュース報道を見見ると、全身刺青の男である。

 

ともかく、北朝鮮という「国」の成り立ちもまともではない。大東亜戦争終結後、朝鮮半島の北半分を軍事占領したソ連軍が、共産ゲリラだった金日成を連れて来て朝鮮半島北半分の支配者に仕立て上げただけのことである。一九四八年(昭和二十三年)、朝鮮半島全体で民主的な選挙を実施しようとしても金日成はそれに応じなかった。そして南だけで選挙が行なわれ、李承晩が初代大統領に選ばれた。だから本来的には、金日成政権は北朝鮮を軍事占領している集団に過ぎないのだ。

 

そればかりではない。五十三年前の一九五〇年(昭和二十五年)六月二十五日午前四時過ぎ、金日成は、突如三十八度線を突破して侵略を開始し、ソウルを火の海にして、二十八日にソウルを占領した。金日成軍による韓国侵略によって三百万人が犠牲になった。この朝鮮戦争で、金日成軍及びそれを支援する共産支那軍と戦ったのは、国連軍である。そして、一九五一年二月一日、国連総会は共産支那を侵略者と決議した。つまり、北朝鮮の盤距する政権は侵略者で在り正統性がないのである。

 

金日成も金正日も金正恩も、自分にとって邪魔な人、絶対的に服従しない人を残忍無比な手段で粛清し、殺してきた。ともかく北朝鮮はまともな国ではない。

 

朝鮮戦争の時、わが国内において、侵略者=北朝鮮・共産支那を支援するために火焔ビン闘争を展開したのが日本共産党である。そして日共は朝鮮戦争はアメリカの侵略だと主張し続けてきた。日共こそわが国における最初にして最大の北朝鮮支援組織である。日本共産党と北朝鮮が路線対立を起した後は、旧社会党今日の社民党が北朝鮮と友好関係を結んだ。そして拉致問題の解明を妨害して来た。共産党・社民党といふ共産主義・社会主義政党は、北朝鮮や共産支那と同根の政党であることを忘却してはならない。

 

北朝鮮は何をするかわからない。何時でも暴発する危険がある。わが国はそのための万全の対策を講じておくべきである。この万全の対策とは、金や食糧を出してご機嫌をとることではない。わが国の国防体制を確立することである。

  

繰り返すが、まともではない近隣国と対峙している日本は、自主防衛力・軍事力を強化する以外にない。それが正しく整備され実現するまでは日米軍事同盟を強化するしかない。さらに、国内の親支那・親朝鮮勢力を厳しく糾弾すべきである。日米軍事同盟強化に反対する輩は、共産支那・北朝鮮の手先である。

 

特に間違った情報・国を危うくする情報を流し続ける偏向マスコミ、亡国メディアを叩き潰さねばならない。彼らは、意識するとしないとにかかわらず、日本を侵略し支配下に置こうとする国の手先である。また、前述したとおり、社民・共産両党は、中国共産党、朝鮮労働党と同根の共産主義革命政党である。

 

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千駄木庵日乗二月十五日

午前は、諸雑務。

午後二時より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問としてスピーチ。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。書状執筆など。

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2017年2月15日 (水)

政治家・官僚の尊皇精神

 「天皇に忠節を尽くす」とか「祖國に一身を捧げる」という観念は、外に向けられると憎悪と殺戮につながるという批判がある。しかし、わが國の民族主義・ナショナリズム・愛國心の根底にあるのは、天皇仰慕の心である。わが國は、天皇を中心とした神の國である。そして、日本天皇の國家統治の御精神は決して排他的ではない。憎悪でもない。君民一体・萬邦共栄・四海同胞・八紘一宇の精神である。それはわが國の歴史の寛容性・平和性・包容性を見れば明らかである。

 

 わが國のナショナリズムは、祭祀主として道義の鏡であらせられる天皇への仰慕の思いと一体であるから、言葉の真の意味において常に健全である。民族主義・ナショナリズムの排他性を超えるものが、わが國の神話の精神・天皇の祭祀の精神である。一切を神として拝む精神である。

 

 ナショナリズム・愛國心を怖いものするのは、神を喪失しているからである。むすびの精神を喪失しているからである。日本民族の愛国心は日本の臣道・尊皇敬神の道と一体である。

 

 最近の政治家と官僚の質の低下は目を覆いたくなる。その根本原因は、彼らの道義心・正義感・使命感の欠如にあると指摘されている。わが國の道義心・倫理観の根本は天皇への忠節の心と國を愛する心である。現下日本の政治・行政の腐敗の根本原因は、政治家や官僚に「尊皇愛國の心」が希薄になっているからである。

 

 政治家や官僚は、日本國の神聖なる君主であらせられ日本國民の道義心の鏡であらせられる日本天皇へのかしこみの心が基本になければならない。政治家や官僚に「天皇の臣下」という自覚があれば、極悪非道なことはできない。

 

 昭和十年に起こった第二次大本教事件で、逮捕された大本教の幹部多数は、当局側の凄惨なる拷問に遭い多くの人が獄死したり精神に異常を来したりした。裁判で、弁護側が警察官を呼び出してこの問題を追及すると、警察官は否定した。これを聞いていた出口すみ大本二代教主(教祖・出口なおの五女)は、「そちらは天皇陛下の番頭ではないか」と激しく迫った。「天皇の臣下であるのなら嘘をつくな」と迫ったのである。警察官はいずれも色を失い、裁判長はあわてて公判を一時停止したという。(出口京太郎氏著『巨人 出口王仁三郎』・出口栄二著『大本教事件』)

 

 天皇の臣下という自覚が官僚に道義心を回復させた実例である。今日の政治家・官僚のみならず一般國民にも、天皇の臣下・天皇の民としての自覚の回復が大切である。

 

 昭和二十七年十一月十日、今上天皇が立太子の礼の時、吉田茂総理大臣は寿詞(お祝いの言葉)で、自らを「臣 茂」と読み上げた。さらに吉田茂氏は、昭和二六年のサンフランシスコ講和条約調印式出席前後の心境について、「唯奉敕使萬里外 五洲視聴聚一身」(天皇陛下の勅命を奉じてサンフランシスコ講和条約締結のためにアメリカの赴く、という意)と揮毫した。

 

 占領憲法には「主権在民」と規定され、曲學阿世の憲法學者の中には「日本の元首は内閣総理大臣だ」などと論ずる輩もいるのに、吉田氏は天皇の臣下としての自覚と矜持を持っていた政治家であり、まさに昭和の忠臣と言って良いであろう。

 

 だからこそ、昭和天皇は昭和三十年に次のような御歌を詠ませられているのである。

 

 「小田原に往復の折、吉田茂元首相の家の前を通りて詠める

 

往きかへり枝折戸を見て思ひけりしばし相見ぬあるじいかにと」

 

 天皇陛下に対し奉り、吉田茂元総理と正反対の考えを持っていたのが、後藤田正晴である。後藤田は、平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁再編に関するインタビューに答えて、「まず大臣という名前を変えたらどうか。だれの臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」などと述べた。

 

 後藤田の発言は、天皇を君主と仰ぐ神代以来の日本國體を否定し、さらに現行憲法体制においても日本は立憲君主國であるという事実を否定する許しがたい発言である。社民党や共産党や極左分子がこのような発言をするならともかく、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し体制側の頂点に立った。

 

最近は、亀井静香が「月刊日本」誌上で、「昭和天皇は戦犯の首を戦勝国に差し出した」とか「昭和天皇は大東亜戦争開戦を止めることができたのにそれをしなかった」とか「終戦の決定を遅らせたから長崎・広島に原爆を落とされた」などと事実無根の不敬発言行った。亀井静香は、警察庁長官官房調査官・自民党政調会長・運輸大臣・内閣府特命担当大臣(金融担当大臣)などを歴任した政治家である。

 

警察機構・政府与党の中枢にいた人物二人が、この様な悪逆不逞思想を持っていたのである。

 

 昭和四十八年五月二六日、増原恵吉防衛庁長官(当時・後藤田氏と同じ旧内務官僚で先輩にあたる)は、昭和天皇に「当面の防衛問題」について内奏した際、昭和天皇は、「近隣諸國に比べ自衛力がそんなに大きいとは思えない。國會でなぜ問題になっているのか。防衛問題は難しいだろうが、國の守りは大事なので、旧軍の悪いことはまねせず、いいところは取り入れてしっかりやってほしい」とのお言葉を賜った。陛下のこのお言葉を増原長官が記者たちに話したことが、例によって政治問題化し、「天皇の政治利用だ」との批判を受け、増原氏は防衛庁長官を辞任した。

 

 この時、増原氏は「天皇陛下という文字を見ただけで涙が出てくる私が、陛下を政治利用するはずがない」ということを言った。増原氏はさぞや断腸の思いであったろう。天皇陛下・御皇室のことを思うと自然に涙が出てくるというのは「忠良なる臣民」の自然の姿である。増原氏は真に忠臣であったのである。

 

 岸信介氏も尊皇精神の持ち主であった。第一次安保騒動の時、アイゼンハワー米大統領の訪日延期を要請した時のことを、岸氏は次のように語っている。「あの頃警察官は本当に疲れ果てていた。機動隊の数も少なく、装備も悪いし、訓練もしていない。……陛下ご自身が(注羽田にアイゼンハワーを)お迎えに行かれなければならない。そういう警備を考える時、これはできない、もし何かの間違いが生じたら、総理が本当に腹を切っても相済まない、それで私としてはどうしても警備に確信がもてないと思って(注アイゼンハワー訪日を)断ったんです」(『岸信介の回想』

 

 つまり、自分の一身はどうなってもいいが、羽田空港に大統領を出迎えに行っていただいた陛下の御身に萬一のことがあったら死んでも償い切れないということで、アイゼンハワー訪日延期を決定したのである。そして岸内閣は総辞職したのである。      

 

 第一次安保騒動の警備に出動した経験のある元警察官の話によると、「夜は國會の面會所の地下室に仮眠させられた。ここが襲われだらどうしようという思いにかられた」と話していた。

 

 また、サイパンが陥落した後の昭和十九年七月、岸氏が東條英機総理と決定的に対立した際、身分は一大佐である四方諒二東京憲兵隊長が、商工大臣である岸氏の家を訪れ、軍刀を立て、「東條総理大臣が右向け右、左向け左と言えば、閣僚はそれに従うべきではないか、それを総理の意見に反対するとは何事か」と脅迫した。岸氏はそれに対し、「黙れ兵隊!お前のようなことを言う者がいるから、東條さんはこの頃評判が悪いのだ。日本において右向け右、左向け左という力を持っているのは天皇陛下だけではないか。それを東條さん本人が言うのならともかく、お前たちのようなわけのわからない兵隊が言うとは何事だ、下がれ!」と一喝して追い返した。(『岸信介の回想』)

 

 このように岸氏という人はきわめて強い尊皇精神と気骨を持った人であった。今の政界にこういう政治家はいるだろうか。  

 

 岸氏の弟の佐藤栄作氏は総理退任後、侍従長になることを切望したと伝えられる。吉田氏にも岸氏にも佐藤氏にも、「天皇の臣下」としての深く強い自覚と責任感があったのである。

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千駄木庵日乗二月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。昨日誤嚥により発熱したが、今日は平熱に戻っていた。やや安心。高齢者は風邪と誤嚥が一番怖い。母は私の手を握って離さない。

帰宅後は、資料の整理。明日のスピーチの準備。原稿執筆。

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2017年2月14日 (火)

この頃詠みし歌

愛らしき 幼児(をさなご)の笑顔の 汚れなさ わが腹を叩き 喜びてゐる

 

小さき手で わが腹を叩き 喜べる 幼児の眼の 汚れなさかな

 

幼き命 これからこの世を 生きてゆく 幸多かれと ただに祈れり

 

ぼそぼそと 話しゐるなる 政治家は 自由民主党 幹事長とぞ

 

キャンキャンと 声はりあげる 女あり レンホーといふ厭はしきかな

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2017年2月13日 (月)

「東京国際大學 第5回 国際シンポジウム」における登壇者の発言

昨年十月二十五日に開催された「東京国際大學 第5回 国際シンポジウム」における登壇者の発言は次の通り。

 

高村正彦氏(衆議院議員・基調講演)「日本外交のあるべき姿について話したい。今年は余りにも大きな事件が続いた。北朝鮮の核実験は新たな段階の脅威になっている。国際社会は一致して断固たる態度をとるべし。わが国はさらなる挑発防止に努め、抑止力を高めるべし。昨年成立した『新安保法制』はそれに役立つ。日本にとって南シナ海の安全確保は重要。一方的現状変更は認められない。ベトナムなどへの支持を通じて法の支配を強めるべし。尖閣周辺で十五隻の中国公船が領海侵犯している。中国は国際社会の声に耳を傾けるべし。

 

中東のみならず世界中にテロの脅威が広がった。日本人も何時でも何処でもターゲットとなっているとの認識のもとテロに対処すべし。中東をはじめとする社会安定化支援が必要。穏健な社会構築に向けた地道な努力が必要。

 

日米同盟はわが國外交の要。来年は中国の人事異動がある。先行き不透明の時、日本の外交・安保の基軸は日米同盟。日米同盟の深化が最優先。ASEAN、インド、豪州など基本的価値観を共有する国々との連携が必要。本年五月のオバマ広島訪問は、希望の同盟の象徴となる出来事。

 

日中議員同盟の会長として日中関係改善に努力している。戦略的互恵関係の原則の下、日中関係、東シナ海の安定が不可欠。尖閣での中国の行動は我が国国民の対中国感情を悪化させた。日中の協力は国際社会が期待している。様々な分野で交流を積み重ね、関係が改善されることを期待する。

 

今回の慰安婦問題の日韓合意は画期的。韓国に責任ある国家としての対応を期待する。拉致問題は早期解決の機運を高めるべし。対話と圧力・行動対行動の原則の下、対話の窓口をわが国から閉ざすことなく解決への努力をすべし。

 

安倍・プーチンの個人的信頼関係は大きな意味がある。山口における会談で北方領土問題の進展を期待している。私は日露協会会長として自民党副総裁として政府をサポートしていきたい。安倍総理は画期的な外交的成果をあげてきた。各国首脳との個人的信頼関係が深まっている。

 

新安保法制はわが国の安全を守るためのもの。積極的平和主義は多くの国から支持されている。わが国の国益の確保を目指した積極的努力、アジアアフリカへの日本の質の高い支援は、高い評価を得ている。人材育成も積極的に進めていきたい。経済外交を推進。民主主義・法の支配・人権尊重という基本的原則を共有する国々と協力していきたい」。

 

ジョセフ・ナイ 氏(ハーバード大学教授)「一九一七年、米国は二百万の部隊をヨーロッパに派遣。第一次大戦は変貌。一九三〇年代に大恐慌が起こり、第二次世界大戦につながった。この失敗に学び、アメリカは世界秩序に貢献した。アメリカ軍の前方展開によるものであった。貿易投資が進んだ。英国が世界秩序を提供した時代も貿易投資が進んだ。しかし第一次大戦でそれは止まった。

 

グローバル化で世界は豊かになったが、今後もそれが進むのか。アメリカは衰退し世界秩序を提供できないというのは不正確。アメリカが衰退しているというのは現実ではない。ソ連が一九五七年にスプートニクを打ち上げた時も、アメリカは衰退しソ連が台頭したと言われた。二〇〇八年以降、中国が台頭しアメリカは衰退したと言われた。衰退という概念を見なければならない。ローマが衰退したのは内戦故である。今日のアメリカに絶対的衰退が見られるかというと、私の答えはノー。アメリカは移民の流入によって人口を意志できる。アメリカはエネルギー輸入に頼りすぎると言われたが、シェール革命により北米大陸はエネルギーの独立性が保たれるようになった。アメリカが衰退しているというのは事実と異なっている。

 

アメリカに置き換わる國は何処か。今のヨーロッパは一体となって動けない状況。ロシアは実際には衰退しつつある。一つの産物にしか頼れない国。ロシアは偉大である国であることを証明したいためにリスクをより多く取ってしまう国。インドは成功しているが途上国の範疇にある。

 

中国は次なる超大国になりアメリカを超えると言われるが必ずしもそうではない。中国経済規模は十兆ドル。アメリカ経済規模は十八兆ドル。中国の成長率は三・九%。米国は二%。中国経済がアメリカに追いつくには二〇三〇年代の終りか二〇四〇年までかかる。中国の軍事力は目覚ましいほど伸びているが、軍事費はアメリカの四分の一に過ぎない。共産主義は中国社会のクリエイティヴな力を良しとしない。市民社会を自由にしない。儒教を伝播しようとしている國と領土問題を起している。

 

アメリカは破綻しない。アジアの将来は日米同盟がある限り楽観できる。クリントンが大統領になる可能性は九三%。クリントンは日米同盟関係支持。彼女は確固たる形で日米関係にコミットしている。アメリカ世論の大半は孤立主義ではない。アメリカ国民の大半は外向きの姿勢を維持してほしいという意見。孤立主義にはならない。特にアジアとの関係においてそうならない。TPPが重要。カナダとEUとの貿易協定も困難をきたしている。しかし貿易量が減ることはない。増えている。

 

イランとの核合意ではロシア・中国の協力があったと思われる。英仏独も協力した。米露間の協力は必要。しかし、ロシアは奇妙なゲームをしている。そういう意味では難しい。中国は北朝鮮に対し影響力を使おうとしない。中国高官が心配しているのは北朝鮮の不安定化。北朝鮮は食糧の大半を中国から受けている。制裁強化しても北朝鮮は崩壊しない。中国に北朝鮮への影響力をもっと行使させるべし。プーチンは国連憲章を守らず他国領土を奪った。北方領土については日本はプーチンに協力しなければならない。日本は日露交渉においてアメリカと相談してほしい」。

 

ヴァリ・ナッサー 氏(ジョンズ・ホプキンス大学教授)「中東はこれまで最大の世界秩序への脅威を突きつけている。不安定性が高まっている。中東はグローバル化にはあまり参加して来なかった。アラブ世界の輸出はインド一国より少なかった。シェールオイル革命がアメリカで起こり、アメリカが有数の産油国になっている。イラク、サウジアラビアは経済的に苦しんでいる。サウジは石油産出を大きく削減しなければならない。大きな産油国は不安定性を抱えている。

 

最も重要な不安定要素は秩序が瓦解していること。シリアとイラクは国家権力が破綻している。アラブ世界における秩序の崩壊が未曾有の数の難民を生んだ。シリカ難民はヨルダンの人口の四分の一。ヨルダン、レバノンなど難民を受け入れた国は不安定化している。国際社会としては中東の封じ込めを検討すべし。中東以外に悪影響を及ぼさないようにすべし。ヨーロッパのファシズムの台頭は難民問題が影響している。国際秩序の維持のために難民の二次被害を防がねばならない。国際社会としてコンセンサスを構築して封じ込める。しかしコンセンサスを醸成していない。

 

クリントンがどれだけ大勝利を取るかによって強い立場を持てるかどうかになる。中東の問題は一つずつとり上げて行かねばならない。中国やロシアとの合意を取り付けねばならない。中東の崩壊はアメリカがアジアへの回帰を始めた途端に起こっている。日本はアメリカの同盟国としてアフガンなどで大きな貢献をした。日本が関与する機会である。東南アジアでも過激主義が広がる危険がある。ロシアの利害とアメリカの利害は一致していない。向こう十年間で油価が低下し中東の政治が不安定になると日本に影響する。アルジェリア、エジプトが経済的に衰退すると難民がヨーロッバに向かう。日本や韓国はこういう国を支援すべし。緊張を緩和する」。

 

岡本行夫 氏(外交評論家)「今、世界は物凄い勢いで変化している。技術を利用している国が勝つ。人口が増えている所は経済も強くなる。世界は構造的に変化している。今、世界の人口は七〇億。

 

IT革命により今、全ての人が自分の意見を発信できる。テクノロジーをうまく利用して巨万の富を持つ。世界の富・総生産の五〇%を一%の人が持っている。これだけ格差が広がれば揺り戻しが起こる。私は前からトランプが当選するとは思っていなかった。クリントンは日本にとって良い大統領になる。クリントン国務長官の最初の訪問国は日本だった。

 

アメリカの将来は明るい。問題はその力を世界の安定化のために使ってくれるかどうか。ロシア・中国という新しい帝国主義の勢力が伸びて来て、新しい帝国主義の時代になっている。アメリカが動かないと中国とロシアが攻め込んでくる。ロシアがウクライナの領土を取ったのは戦後初めての力による領土の変更。厄介な要素はフィリッピンのドゥテルテ大統領。フィリッピンが中国の側に行くと大きな穴が出来てしまう。

 

日本の製造業の復活を計らねばならない。日本にはその力がある。需要者にぴったりと寄り添ってテーラーメイドの物を作って行く。日本企業は自信を持っていただきたい。新規投資をしていただきたい。

 

心配なのは安保情勢。北朝鮮がアメリカまで届く小型核兵器を作るまで核実験を続けるであろうと私は言ってきた。北の核の脅威はますます増えている。日本は周囲の全ての国と領土紛争を抱えている。せめてロシアとは決着してほしい。竹島・尖閣は無理。ロシア取りあえずの合意をしたい。今やらないと後五十年は駄目。歯舞・色丹と発音できない人を担当大臣にするなんて信じられないこと。アメリカとの関係強化しか安全保障を全うする道はない。抑止力とは日米関係全体。横須賀を母港とする第七艦隊が、アメリカが日本を守るという意志を示している。日米安保体制を周辺諸国がどう見るかが前提。日平安保体制が常に有効に機能できることを周辺諸国に認識させる。これが抑止力。沖縄の基地問題は円滑に解決しなければいけない。力の空白ができると中国は必ず攻め込んでくる。

 

トランプが大統領になるとTPP発効の希望は無くなる。クリントンは最終的にはTPP支持になる。シリアの膠着状態をどう解決するか難しい。レバノンの紛争も解決まで十五年かかった。シリアは色々な勢力が関わっている。あと七十年は続く可能性はある。日本は過激派の行動を防ぐために現実的には何ができるでしょうか。アイシスにはチュニジアの若者六千人が戦闘員になっている。チュニジアは『アラブの春』が成功した国なのに若者たちが働く場がない。日本は経済面でチュニジアに協力して若者たちの働く場を作ることはできる。日米同盟が地域の安定の基盤」。

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千駄木庵日乗二月十三日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆など。

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辞世の歌に学ぶ 承前

吉田松陰の辞世

 

 幕末勤皇の志士の辞世の歌は数多い。その代表的な歌が、吉田松陰の次の歌であろう。 

 

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

 

 安政の大獄によって幕府に捕らえられた松陰は死罪の判決を受け、安政六年(一八五九)十月二十七日、従容として斬首の刑を受けたのである。松陰先生時に歳三十。先生は獄中において「親思ふ心にまさる親心けふのおとづれ何ときくらん」「呼び出しの声まつ外に今の世に待つべきことのなかりけるかな」という歌も詠まれている。さらに松陰は、

 

「吾今国ノ為ニ死ス 死シテ君親ニ背ズ 悠々タリ天地ノ事 鑑賞明神ニアリ」

 

という詩も遺した。門下生は師・松陰の死に奮い立ち、その意志を継ぐべく、覚悟も新たに激動の時代を・維新回天の聖業に邁進するのである。

 

乃木大将御夫妻の辞世

 

 明治四十五年七月三十日暁、明治天皇は、御歳六十一歳をもって崩御あそばされた。後に軍神と仰がれた乃木希典大将は、大正元年九月十二日の御大葬当日、次のような遺言を書いて殉死をとげた。「自分此度御跡ヲ追ヒ奉リ、自殺候段恐入候儀、其罪ハ不軽存候、然ル処、明治十年之役ニ於テ軍旗ヲ失ヒ、其後死処得度心掛候モ其機ヲ得ズ。皇恩ノ厚ニ浴シ今日迄過分ノ御優遇ヲ蒙追々老衰最早御役ニ立候モ無余日候折柄此度ノ御大変何共恐入候次第茲ニ覚悟相定候事ニ候」と。乃木大将は今もって西南戦争の際の軍旗喪失の責任を感じ、皇恩の厚きに感謝している。そして、次のような辞世を遺された。

 

「うつし世を 神さりましし 大君の みあとしたひて われはゆくなり」

 

「神あがり あがりましぬる 大君の みあとはるかに おろがみまつる」

 

 さらに静子夫人も、

 

「いでまして かへります日の なしときく けふの御幸に 逢ふぞかなしき」

 

 との辞世を遺して大将と行を共にされた。時に大将六十四歳、夫人は五十四歳であられた。日本殉死史上最後の人といわれる。

 

 平成元年二月二十四日、昭和天皇の御大葬で、小生は二重橋前にて、轜車をお見送り申し上げたのであるが、その時乃木静子夫人の辞世の歌が思い出され、涙が溢れて止どまらなかった。轜車の御出発はまさしく「かへります日」の無い御幸の御出発であったのである。        

 

三島由紀夫・森田必勝両烈士の辞世

 

「益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾年耐へて 今日の初霜」

 

「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」

 

 昭和四十五年十一月二十五日午前十一時、楯の会隊長三島由紀夫氏と、隊員森田必勝氏、小賀正義氏、小川正洋氏、古賀浩靖氏の計六名は、東京市谷の自衛隊において、東部方面総監の身柄を拘束し、「自衛隊国軍化」「憲法改正」「道義建設」などを自衛隊員に訴えた。そしてその後、三島・森田両氏は壮烈な自決を遂げた。この二首はその時の三島氏の辞世の歌である。

 

さらに、森田必勝氏は、

 

「今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」

 

 という辞世を詠んだ。戦後の自決事件でこれほど大きな衝撃をもたらしたものはない。

三島氏は「散るをいとふ世にも人にもさきがけて」と詠んでおられる。戦後日本は、経済至上主義・営利至上主義の道をひたすら歩み続け、欺瞞的な平和主義にとっぷりとつかってきた。肉体生命以上の価値を認めず、誤れる「生命尊重」を標榜し、無上の価値即ち国のため・大君のため・大義のために潔く散る精神精神を忘却してしまったのである。かかる状況に耐えかねた三島・森田両氏等は「今こそ生命尊重以上の価値を諸君の目に見せてやる」(檄文)と訴えたのである。

 

日本武尊・大津皇子・楠木正行・吉田松陰・乃木御夫妻・三島森田両烈士の自決の精神こそ「生命尊重以上の価値」であった。「物で栄えて心で滅びる」といった状況を呈しつつある今日こそ、そうした精神に回帰すべき時である。

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千駄木庵日乗二月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『やまと新聞』連載原稿「歴代天皇御製に学ぶ」執筆・脱稿・送付。

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2017年2月12日 (日)

辞世の歌に学ぶ

 

 この世を去るに臨み、自己の感懐を三十一文字に託して表白することは、日本古来の風儀である。これを辞世の歌という。「人の将に死せんとする、その言や善し」といわれて来た通り、人は死に臨んだ時こそ、その真心を訴え・魂の心底からの叫びを発するのである。死に望んだはそしてそれは多くの人々の共感を呼ぶ。

 

日本武尊の辞世

 

 本朝最古の辞世歌は、日本武尊の次の御歌である。

 

「嬢子(をとめ)の 床の辺(べ)に 吾( わ)が置きし その大刀はや」

 

 命は東征の帰路、能煩野(のぼの・今日の三重県山中)に至って病が重くなりたまい、この歌を詠まれてお隠れになった。「乙女の床のそばに私が置いてきた太刀、その太刀よ」というほどの意。英雄にして大いなる歌人(うたびと)であられた命の辞世の歌にふさわしいロマンと勇者の世界が歌われている。文字通り「剣魂歌心」の御歌である。

 

大津皇子の辞世

 

 『萬葉集』に収められた辞世の歌でもっとも有名なのは、大津皇子の次の御歌である。

 

「百傳(ももづたふ) 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」

 

 天武天皇の第三皇子であられた大津皇子が、天武天皇崩御直後の朱鳥元年(六八六)、謀反の罪に問われ、死を賜った時の御歌である。「(百伝ふは枕詞)磐余の池に鳴く鴨を今日を見納めとして自分は死んで行くことであろう」というほどの意である。死に臨んでの再び見ることのできない光景に自らの全生命を集約させた歌いぶりで、詠むものに大きな感動を与える。「雲隠り」と詠んだところに、肉体は滅びても生命は永遠であるという日本人の伝統的な信仰が表れている。この信仰が「七生報国」の精神につながるのである。

 

楠木正行の辞世

 

「かへらじと かねて思へば 梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」

 

 これは、南朝の忠臣楠木正行が足利高氏の大軍を河内の四条畷に迎え撃ち、壮烈な戦死を遂げる直前、同志と共に、後醍醐天皇の吉野の御陵に参拝し、そのふもとにある如意輪堂の壁板に矢立硯で書き留めた辞世の一首で、再び生還しないという悲壮なる決定(けつじょう)を詠んだ歌である。この時正行は鬢の髪を少し切って仏殿に投げ入れ敵陣に向かったという。湊川楠公戦死の場面と、この正行最後の参内の場面とは、『太平記』の中でも最も人の心を動かし、涙をさそう段である。

 四條畷の戦いは、正平三年(一三四八)正月五日の早朝に開始され、楠木勢は北進し、高師直の軍に肉迫し、師直もあわやと思われたのであったが、遂に楠木勢は力尽き、正行と舎弟正時とは立ちながら刺し違えて、同じ枕に臥したという。

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千駄木庵日乗二月十一日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆。

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2017年2月11日 (土)

千駄木庵日乗二月十日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編中の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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『アジア問題懇話会』における東京国際大学教授・村井友秀氏による「南シナ海の安全保障―暴走する中国をどう食い止めるか―」と題する講演内容

十月一日に行われた『アジア問題懇話会』における東京国際大学教授・村井友秀氏による「南シナ海の安全保障暴走する中国をどう食い止めるか」と題する講演内容は次の通り。

「中国は外に出ることが重要な戦略。中国は基本的にランドパワーの国で外に出てきたことはない。今、急に外に出ている。黄海と渤海は浅くて潜水艦が動けない。湖のようなもの。外に面している中国の海は南シナ海と東シナ海しかない。

 

冷戦時代は米ソが均衡していた。相手から一撃があっても二撃は保障されていた。潜水艦発射ミサイルがあるから相互に攻撃できなかった。北朝鮮は潜水艦がない。通常兵器は相手に与えるダメージが明白ではない。どっちが勝つか計算できないから抑止力にならない。しかし核爆弾は一定程度ダメージを与えることができる。抑止力になる。通常兵器は相手に勝たねばならない。いくらでも数を増やさねばならない。

 

戦争の勝ち負けは損害が許容限界を超える前に戦争目的を達成する。ソ連はフランスの九十五%を破壊できる。フランスはソ連の十五%を破壊できる。十五%の国力を破壊することはソ連には耐えられない。毛沢東とドゴールは同じ考え。どの国も覇者になりたい。中国はアメリカより国力が劣る。弱い国は核兵器を作る。潜水艦とミサイルを作る。

 

ソ連の潜水艦がオホーツク海にいた。北方領土・千島列島が大事だった。プーチンがソ連の復活を考えているのならロシアにとって北方領土は重要。中国も海洋基地を作りたい。水深が浅い東シナ海は潜水艦にとって厳しい。南シナ海は水深が二千メートルある。原潜が活動できる。東シナ海で活動すると相手はアメリカと日本。日本は潜水艦が二十隻ある。インド洋と太平洋の哨戒に使う原潜が欲しい。通常潜水艦でやるのは大変。原潜が必要。中国は南シナ海を海洋要塞にしたい。

 

日本は海に出ようと思えばどこからでも出ることができる。中国は外に出ようとすると出口が殆ど無い。一番通りやすいのは宮古海峡。日本だけが封鎖できる。中国の貿易の九割が海上輸送。輸入原油の九割が海から来ている。海を封鎖すると中国の六割の産業が止まる。中國は海上封鎖に弱い。

 

中国は金の社會。学者まで金の世界になっている。中國軍は本当に戦えるのか疑問。中国のジャーナリズムはトランプの方が扱いやすい。中国のアメリカに対するカードはビジネス。金が儲かるなら何でもする。

 

北京語が共通語になったので言語の問題が亡くなり、戦区を五つに変えた。中国軍は国内の反革命を打倒する軍。スーパーポリス。だから二百万必要。しかし今はアメリカと戦う軍、東南アジアと戦う軍を作る。それは空軍と海軍中心。

 

王毅外相は政治局員ではない。党の決定したことを実行するだけ。国防部長は天下り先。毛沢東・鄧小平は軍人。江沢民以降は軍人ではない。ソ連の赤軍は帝政ロシアの軍。中国とは基本的に違う。中国は十大元帥が政治をしていた。独裁国家では警察と軍という強制力を小さくするのは合理的ではない。軍事費を削減できない。

 

国内の不満を外に転嫁するために日中関係は緊張している方がいい。外敵の脅威が重大だとして国内を統一する。それが共産党統治のメカニズム。適度の緊張関係を維持しようとしている。北朝鮮も全く同じ。党と軍の間で意見が違うということはない。負ける戦いはしない。日中間の軍事バランスが日本の方が優位であることを維持することが大事。日本と中国の軍拡競争がある。日本は平和を守るために軍拡すべし」。

 

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2017年2月10日 (金)

「笹川平和財団 アロク・シャーマ英国外務省大臣政務次官(アジア担当)講演会」におけるアロク・シャーマ氏の講演内容

昨年九月二十七日に開催された「笹川平和財団 アロク・シャーマ英国外務省大臣政務次官(アジア担当)講演会」におけるアロク・シャーマ氏の講演内容は次の通り。

「近年のイギリスの出来事は大きな変革。新首相、新閣僚が生まれた。国民投票は今までなかった取組。私はEU残留を支持。我々の経済は弾力がある。二国間関係はきちんと存続できる。日英二国関係は強化されてきた。防衛協力は強化されている。

 

英国のEU離脱はヨーロッパ離脱ではない。英国は自由民主主義・法の擁護であり、国連常任理事国。世界に対して影響して行く。グローバルな視点を持つ英国であることに変化なし。過激主義やテロリズムに対抗していく。北アイルランドでの成功の経験は役立つと思う。英国はピョンヤンに大使館を持っている。北朝鮮の核実験に英国は抗議している。北朝鮮の人権侵害を無視してはいない。アジアは異なるルールに拠るべきだということを我々は認めていない。国際的規範に則らねばならない。クローパルに包括的関係を築いている。日英二国間関係で最も重要なのは防衛と安保。

 

EU離脱で変化は起こるが、日英関係に影響はない。EUと英国は現実的な行動をとりながら交渉を進め、ウィンウィンの関係で解決できると信じている。強力な英米関係も続く。AIIB(アジアインフラ投資銀行)に英国は参加し支持している。日本がロシアと対話しているのを評価する。東シナ海については申し上げることはない。南シナ海では国際的ルールにのっとって行動する。中國とはグローバルパートナーシップを持ち様々な協力をしていく。安保人権の英国の立場を表明することは可能。東京オリンピック成功に協力できることがあれば協力する」。

千駄木庵主人曰く。何とも官僚的な講演であった。「日英二国間関係で最も重要なのは防衛と安保」と言いながら「東シナ海については申し上げることはない」とは何事であろうか。

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この頃詠みし歌

 

とことはに日の本の國を護りませとただに祈れりみささぎの御前(月輪陵)

 

月輪陵を拝ろがみまつる冬の朝 皇御國(すめらみくに)に生れし喜び()

 

清らなる御寺泉涌寺の参道を歩み行く時に心かしこまる

 

御歴代のすめらみことの神霊が鎮まりまします御寺尊し

 

すめらみことの御霊鎮まる泉涌寺今日も静かに清らけきかな

 

孝明天皇みささぎの御前に佇みて皇國彌榮を祈りまつれり(孝明天皇御陵)

 

手を合はせ拝ろがみまつるみささきに孝明天皇は鎮まりまします()

 

國難を打開せんとてひたすらに祈りたまひし大君を偲ぶ()

 

大空の澄みわたる下いにしへのすめらみことの御霊拝ろがむ()

 

登り来し山に鎮まりましませるすめらみことの御霊拝ろがむ()

 

國のため命捧げし志士達の御墓辺に立つ時のかしこさ(霊山官修墳墓)

 

討たれたる志士達の名が刻まれし御墓拝めば悲しかりけり()

 

霊山に登りて拝む志士の御霊 維新回天の大いなる歴史()

 

清々しき思ひするかも広らなる平安神宮の神域に立ち(平安神宮)

 

              〇

 

黒きコートまとひて歩く冬の街 魔法使ひか怪盗ルパンか

 

見事にも壊れし眼鏡わが足に踏みつけられし後の惨さよ

 

やがて来る春といふ季節 桜花爛漫咲き盛る景色眼に浮かび来る

 

佳き友が傍らにゐて酌み交はす酒は佳き酒酔ひも佳き酔ひ

 

目的を果たし得ずしてすごすごと家に帰り来し今日の悲しみ

 

討論の途中で一杯のコーヒーをすすればややに心やすらぐ

 

過去の日々に悔い多けれど仰ぎたる空にきらめく星は美し

 

老いて太りし猫がゆっくりと歩み行くわが町千駄木の路地裏風景

 

墓所への道花を抱へて歩めれば冬の日の午後の日影柔らか

 

幼馴染みと挨拶交はしお互ひの親の安否を尋ね合ひたり

 

一杯のコーヒーを飲み霧島昇の歌口ずさみやすらひてをり

 

つまらなき歌並びゐる短歌雑誌やまと歌の道衰へ行くか

 

何時も無口な人が突然喋り出す酒といふものを呑み出せし後

 

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千駄木庵日乗二月九日

午前は、諸雑務。

午後一時より、永田町の憲政記念館にて、『躍進日本!春風の会 二階俊博自民党幹事長特別講演会』開催。村上正邦氏が主催者挨拶。二階俊博氏が「激動する世界、日本はどう生き抜くか!」と題して講演。質疑応答。

午後三時より、参議院議員会館にて、有村治子参議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。脱稿、送付。

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2017年2月 9日 (木)

皇室の重大事が権力機構である衆参両院で決められるのは傳統破壊・國體隠蔽である

 

「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」に関する神聖なる事柄、即ち「皇位継承」「御譲位」などは、世俗の法律問題・政治問題ではない。「現行占領憲法」が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。故に、政治権力や成文法によって、規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。天皇陛下の御心によって全てが定められるべきである。

 

『皇室典範改正』『天皇御譲位』は、天皇國日本といふかけがへのない信仰共同體・祭祀國家の根幹に関はる重大問題である。皇位繼承とは、神代以来の道統を繼承する天皇の御位に関することである。他國の王位繼承・元首の選び方・権力者交代システムとは全くその本質を異にする。

 

皇位繼承・天皇御譲位・皇室典範改正など皇室に関はる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。而して天皇は、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる。故に天皇の御心を第一にすべきである。

 

『大日本帝國憲法』第七四条には、「皇室典範ノ改正ハ帝國議會ノ議ヲ経ルヲ要セス」(皇室典範の改正は、帝國議會の議を経る必要はない)と書かれてゐる。また明治天皇が明治二十二年二月十一日に勅定された『皇室典範』六十二条には、「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族會議及枢密顧問ニ諮詢シテ勅定スヘシ」と書かれてゐる。

 

伊藤博文著の『皇室典範』の逐条解説書『皇室典範義解』(明治二十二年六月一日公刊)の「前文」には、「皇室典範は皇室自ら其の家法を条定する者なり。故に公式に依り之を臣民に公布する者に非ず。而して将来已むを得ざるの必要に由り其の条章を更定することあるも、また帝國議會の協賛を経るを要せざるなり。蓋し皇室の家法は祖宗に承け子孫に傳ふ。既に君主の任意に制作する所に非ず。また臣民の敢て干渉する所に非らざるなり。」と書かれてゐる。

 

さらに、『皇室典範義解』の第六二條の「註」において「皇室の事は皇室自ら之を決定すべくして之を臣民の公議に付すべきに非ざればなり」と書かれてゐる。

 

伊藤博文はその著『大日本帝國憲法義解』の「憲法第七四條」の「註」で、「皇室典範は皇室自ら皇室の事を制定す。而して君民相關かるの権義に非ざればなり」と論じてゐる。

 

また、明治二十一年五月二十五日から六月十五日にかけて、枢密院で『皇室典範』について審議が行はれ、出席者から次のやうな発言があった。

 

井上毅(法制局長官・枢密院書記官長)「皇室典範を以て國會の議に附するときは、人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」。

 

山田顕義(司法卿)「皇室典範は特別重大の法典にして尋常の法律命令と混同すべきに非ず。故に別段の勅令を以て之を発布し、普く人民をして之を恪遵(注・忠實に守る意)せしめざるべからず」。

 

河野敏鎌(枢密顧問官)(注・『皇室典範』を)公布するとも、別に議院の干渉を容るゝの虞毫厘もあることなし。如何となれば、向来皇室典範を改更することあるも、皇族幷(ならび)に枢密院に諮詢する等の明条(注・『皇室典範』第六二条)あるを以て、更に議院の容喙を許さゞればなり」。 

 

以上のごとく、『皇室典範』は本来「勅定」であり、國民やその代表者とされる議會などが干渉することはあってはならない。今日の状況はまさに井上毅の言った通り「人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」ではないだらうか。

 

戦後、『皇室典範』が『憲法』の下位法になり、皇室典範改正・皇位繼承・天皇陛下の御譲位といふ皇室の重大事が権力機構である衆参両院で多数決によって決められてしまふようになったのは、重大なる傳統破壊・國體隠蔽であり、厳密・厳格に言へば「國體破壊」への道を切り開くものである。

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千駄木庵日乗二月八日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、『萬葉古代史研究会』開催。小生が山上憶良の歌を講義。

終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。。

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2017年2月 8日 (水)

「第七十回日本の心を学ぶ会」のお知らせ

 

第七十回日本の心を学ぶ会

「昭和維新運動と現代を考える。」

第七十回の勉強会は二月二十六日に開催されます。

81年前のこの日、青年将校は昭和維新断行を目指して大雪の東京の中で決起しました。

後に226事件と呼ばれるこの事件は、多くの小説や映画の題材となっており事件から81年たった現在でも

関連書籍が出版されるほど関心の高い歴史の転換点となった事件です。

この事件の背景にあったのは大正末期からつづく経済不況でした。とくに農村の疲弊は激しく身売りの横行や欠食児童の増大は農村出身の兵士と接する青年将校に国家の危機を十分に予感させるものでした。一方で政財界は腐敗しており汚職と疑獄事件が続発しておりました。ついに国民の不満は爆発し第一回普通選挙では激しい弾圧があったにもかかわらず無産系候補者8候補が当選しました。

このような国民の困窮と左翼運動の高まりの中で右からの国家革新運動もまた過激化しその矛先は左翼ではなく政財界へと向けられました。血盟団事件や515事件など226事件とともに昭和維新運動と呼ばれる国家革新運動はこのような時代的背景の中で展開されたものです。そして226事件の失敗によって昭和維新運動は挫折したといわれております。

しかしながら、昭和維新運動とその挫折は現在の日本に重要な教訓を残したと言えます。

現在の日本も昭和前期と同じく、国民は困窮しており対外的な危機にさらされております、なによりも国体を否定するような思想は形を変えて現在も存在しております。こうした現代の問題を考える上で昭和維新運動とその挫折は貴重な教訓になると思われます。

226事件より81年目となる二月二十六日の勉強会では昭和維新運動について考えたいと思います。

【日時】平成二十九年二月二十六日 午後六時から

【場 所】文京区シビックセンター 三階会議室A

文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分、都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分、JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

【講 演】


「昭和維新運動に学ぶー日本的変革と現代日本」

講師 四宮正貴 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395


                〇

 

この案内文は主催者が作成しました。

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『占領憲法』の無効を確認し、『大日本帝国憲法』を復元改正するのが正しい

 日本國體と相容れない西洋憲法思想 憲法学の定説では、「西洋成文憲法は権力に対する制限規範である。権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『国王も法の下にある』という原則=『法は王権に優越する』という法治主義を確立した」とされる。

 

日本天皇の国家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。神聖なる権威による統治である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。

 

また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどという事は絶対にあり得ない。また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。

 

「現行占領憲法」は、その法思想・理念もアメリカの押し付けであるから、「マグナ・カルタ」を起源とする西洋成文憲法思想に貫かれている。日本天皇は、権力を濫用して国民を苦しめるジョン王などの西洋専制君主とは全くその本質を異にする。「現行憲法」は、わが國體とは相容れない。

 

日本国は、神話の世界から「天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体」たる傳統を保持している。そうした日本の国柄・國體を西洋の国家思想で定義する事は誤りである。

 

「現行占領憲法」は、アメリカ憲法の模倣である。欧米の契約思想・権力国家観に基づいている。日本國體に基づいた憲法ではない。 わが国には本来、権力国家ではないし、主権が国民にある とか君主にあるというような「二元論」は無かった。

 

「現行憲法」の原理を否定しなければ「現行占領憲法」の改正にも ならなければ 自主憲法制定にもならない。法理論上、「『大日本帝国憲法』を復元し、改正すべきところは改正すのが正しいと思う。日本国と全く国の成り立ち・国柄・歴史が異なる西洋の憲法思想をわが國の憲法思想にしてはならない。そしてそういう日本国の國體と歴史に合致しない法思想で成り立っている「現行占領憲法」の無効を一刻も早く確認すべきである。

 

『大日本帝国憲法』第七十四条には「皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス」とある。また明治天皇が明治二十二年二月十一日に勅定された『皇室典範』六十二条には、「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族會議及枢密顧問ニ諮詢シテ勅定スヘシ」と書かれてゐる。

 

今日、『皇室典範』改正論議が喧しい。また、天皇の御譲位について国会で議論されようとしている。本来、『皇室典範』は勅定であり、決して議会や政府が容喙してはならないのである。また、天皇の御地位に関しても議会や政府が容喙してはならない。

 

井上毅は、「皇室典範を以て國會の議に附するときは、人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」と述べてゐる。

 

今日の状況はまさに井上毅の言った通り「人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」といふ状況になってゐる。

 

戦後、『皇室典範』が『憲法』の下位法になり、皇位繼承といふ皇室の重大事が権力機構である衆参両院で多数決によって決められてしまふようになったのは、重大なる傳統破壊・國體隠蔽であり、厳密・厳格に言へば「國體破壊」への道を切り開くものである。 

         

また『大日本帝国憲法』第七十五条には「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」とある。『現行占領憲法』は『大日本帝国憲法』を改正したとされる。

 

しかし、当時、戦勝国アメリカにより「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」(「ポツダム受諾に関する八月十日付日本国政府申入」に対する米英ソ支の政府を代表したバーンズ米国務長官の回答)とされてゐた。英語の原文は、「The authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander for the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate these terms of surrender.」である。「subject to」をわが國外務省は「制限の下」と訳したが、正しくは「隷属下」である。

 

つまり、「摂政」が置かれるどころか、天皇陛下の統治の大権が外国の軍人・マッカーサーの隷属下に置かれていたのである。このような状況下において行われた『憲法改正』は、違法であり、無効である。つまり、『現行占領憲法』は法的に全く正統性が無いのである。ゆえに、無効が確認され、『大日本帝国憲法』が復元するというのが法理論的に全く正しいと考える。

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千駄木庵日乗二月七日

午前は、諸雑務。

午後は、永田町のキャピトルホテル東急にて、上杉隆氏にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2017年2月 7日 (火)

現行憲法の欠陥と正統憲法の回復

「現行憲法」の最大の欠陥はその原理にある。憲法を論ずるにあたって最も重要な前提は、西洋成文憲法は「権力に対する制限規範」だということである。イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で一二一五年に結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『国王も法の下にある』といふ原則=『法は王権に優越する』という「法治主義」を確立したとされる。「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。その為に成文憲法が必要とする」という考え方である。

 

つまり、専制君主と人民との間の不信感に発した人権保障の約束証文が西洋成文憲法の起源なのである。したがって西洋成文憲法には「君主と人民とは相対立する関係、支配被支配の関係にある」という思想が根底にある。そこから「国民主権論」が生まれてきた。この「国民主権論」が戦後アメリカ占領軍によって日本に押し付けられたのである。

 

「現行占領憲法」が占領軍の押し付けであるというのは、制定過程が占領軍の強圧によるものというだけではなく、基本理念たる「国民主権論」「主権在民思想」が占領軍の押し付けだということである。

 

しかるに、政権党たる自民党およびわが國の代表的新聞である読売新聞の「憲法改正試案」は、現行占領憲法の原理を踏襲している。「自民党憲法草案」も「読売新聞憲法改正試案」も、「現行占領憲法」の「国民主権論」を踏襲し、「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基く」としている。しかも自民党改憲試案の前文には、「日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する」と書かれている。アメリカの押し付けである現行憲法の基本原理を、日本国民の意思と決意に基づき新憲法の原理とするというのである。

 

「主権在民」「国民主権論」は、「マグナ・カルタ」を起源とする西洋成文憲法思想に依拠する原理である。故にわが國の国柄とは絶対に相容れない。日本天皇は、権力を濫用して国民を苦しめるジョン王などの西洋専制君主とは全くその本質を異にする。日本國は君民一体の國柄である。「主権」が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体、わが国の国柄を破壊し隠蔽する事となる。

 

「國家の意思を最終的に決定する権限」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の信仰共同体國家日本には全くそぐわない。西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」=主権を奪い合ったという歴史は全くない。天皇を中心とした信仰共同體である日本國は権力支配組織ではない。だからわが國には西洋的主権論はあてはまらない。

 

西洋法思想・國家思想である「主權」なる「概念」を、わざわざ成文法として日本國の憲法に規定することは大きな誤りである。「國民主権論」が憲法に書かれている事がわが國の國家伝統の破壊、共和制革命への突破口になる危険がある。戦後日本の不安定の根本原因は実にここにある。

 

日本国は天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体である。國民が契約を結んで人工的に作った國ではない。そして祭祀主である天皇は國民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。日本天皇の國家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治(すべおさめる。しろしめす。きこしめす)である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。

 

わが日本は国家の本質と君主たる天皇の御本質が建国以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律論的に言えば、不文法によって定まっているということである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立国の基本)に反する規定をしてはならない。

 

日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法とは基本的に相容れない。「国民主権論」払拭し、神話時代からの悠久の歴史を有する日本國體を正しく成文規定した憲法の回復しなければならない。

 

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千駄木庵日乗二月六日

午前は、諸雑務。

昼は、若き友人と懇談。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。明後日の『萬葉集』講義の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰途、谷中三崎坂の酒房にて、地元の先輩と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2017年2月 6日 (月)

この頃詠みし歌

天津祝詞唱へて今日を恙なく生かしめたまへと神に祈れり

 

窓開けて朝風入れるすがしさよ 今日の一日(ひとひ)の始まりの時

 

大きなる樹木を仰ぎ 生命の力強さをわれも生きゆかん

 

空海のその名のごとく大らかな文字で書かれし墨跡を観る

 

閉じられし酒房の前を通り過ぎあるじ夫妻のことを思へり

 

老いといふ事を拒絶して生きゆかん そんな不埒は許されざるや

 

不慮の死といふ言葉は深く胸を打つ 懐かしき友の写真を見つつ

 

悲しみの深きしらべの歌を読み こみ上げてくる涙なりけり

 

あれもこれも読むべき本が並びゐる書棚を見つつ溜息をつく

 

眼鏡とは体の一部といはるるに置き忘れること多きこの頃

 

飼ひ主に従ひにつつ愛らしき仕草で犬はわが前を行く

 

カランカランとニコライの鐘の聞こえ来る昔と変わらぬお茶の水の駅

 

半世紀近き昔の三番町 木造校舎で『史記』を学べり(二松学舎の思ひ出)

 

赤きシャツ着て学校に行きしかば漢学の師にひどく叱らる(同)

 

『土佐日記』を講ずる萩谷朴先生その面影は今も眼裏にあり(同)

 

をのこゆゑお化粧をすることはなし 人前にさらす顔はこの顔

 

四十年前若妻たりし人は今日 孫の手をひき摺れ違ひたり

 

一人して夕空仰げば今日といふ日は暮れてゆく我は生きゆく

 

三日月がぼんやり浮かぶ空の下 歩み行きなばやすらぐ心

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千駄木庵日乗二月五日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿校正。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2017年2月 5日 (日)

国民主権論が國體を破壊している

 

天皇・皇室に関する「憲法問題」の最大の問題点は、「日本國憲法の制度は、國民→國會→内閣→天皇という序列で構成されている」などという憲法解釈が可能なところにある。「主権者國民の代表であり國権の最高機関を構成する國會議員は、天皇陛下よりも上に地位にある」という考え方が無意識的に政治家たちに植え付けられているのである。だから「天皇は政府・國會の意思どおりに動かれるべきだ」という不逞思想を平然と語る政治家が現れるのである。また、皇族に対し奉り不敬極まりない言動を吐く政治家が現れるのである。さらに言えば、天皇陛下ご臨席を仰いだ国会の開会式に、多くの衆参両院議員が欠席するという非礼極まりない事態が発生するのである。

 

日本國民の道義精神・倫理感の基本は「尊皇精神」であり「神聖君主日本天皇へのかしこみの心」である。ところが今日、國民全般に尊皇精神が希薄となり、皇室を蔑ろにする政治家・官僚が増えている。政治家・官僚に不祥事が相次ぐ根本的原因、そして現代日本の政治・行政・司法の腐敗・堕落・横暴の根本的原因は、政治家・官僚の尊皇精神の希薄化にあると考える。

 

「國會は國権の最高機関」であり、「天皇の御地位」は、主権の存する國民の総意に基くのであるから、國民の代表者である衆参両院議員は最高権力者であり、天皇は、衆参両院議員よりも「下の地位」にあるという解釈が成り立つ。そして、衆参両院議員及び衆参両院議員によって選出され信任されている内閣は、天皇よりも「上」の存在だという悪逆思想が、意識するにせよしないにせよ、衆参両院議員に植えつけられる。國會議員に「國権の最高機関の一員であり主権の存する國民に選ばれた國會議員は最高権力者だ。天皇は象徴にすぎない」などという意識が生まれる。これが、権力者・国民が皇室尊崇の念を喪失する原因である。そして、権力者は「かしこみの心」を無くし好き勝手なことするのである。

 

「諸悪の因は『現行占領憲法』」と言はれて久しいが、最近の事象は、この言葉の正しさをますます証明している。とりわけ「國民主権論」は、日本國の國體・傳統を根底から突き崩す思想である。一刻も早く否定されはならない。

 

『現行占領憲法』に日本國體と絶対に相容れない「国民主権論」が根幹になっていることは、単なる「日本弱体化」などではない。「天皇御譲位」「皇室典範改定論議」を見ていて日本國體破壊の導火線であったとあらためて思い知った。また『皇室典範』が『憲法』の下位法となり、衆参両院で改定できるようになったことは、重大なる國體破壊である。

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千駄木庵日乗二月四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備など。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。慶野義雄平成国際大学教授が、『憲法改正と美意識』と題して報告、高乗正臣平成国際大学名誉教授が「今上天皇の攘夷問題と天皇の在り方の本質」と題して報告。質疑応答、討論。

帰宅後は、原稿執筆。

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2017年2月 4日 (土)

「天皇の御地位は国民の総意に基づく」という國體破壊思想をわが国から祓い清めねばならない

天皇陛下の御譲位について、「国民の総意づくり」「国民の総意の形成」「国民を代表する国会において、国民の総意を見つけ出す」などという議論を大前提として、政府が「有識者会議」をつくり「論点整理」を行った上で、衆参両院において意見集約を行い国会での法整備を経て制度づくりに入るという。

 

結論から先に言えば、天皇・國體の根本について、「国民の総意」を「見つけ出す」「作る」「形成する」などということがあっていいはずがない。こうした動きは、日本伝統の破壊であり、國體の隠蔽である。

 

 

『現行占領憲法』第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。この条文は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽している。そして、大変畏れ多い表現であるが、天皇・皇室が政治権力者・官僚の「操り人形」になる危険がある。否、現実にそうなりつつある。

 

「天皇は、主権者たる国民の総意によってその地位にあるのだから、国民の代表者たる衆参両院議員、そして議員によって指名され選出された内閣の決定に、天皇及び皇族は従わねばならない」という考え方が今日大手を振って歩いている。今回の「御譲位」に関する政府・国会の動きもこうした法解釈に基づくのである。

 

「国民の総意」の「国民」について、現在の生きている日本国民ではなく、過去現在未来にわたる『日本国民』であるという説がある。「占領憲法」を出来得る限り『日本國體』に合致させようという解釈である。しかし、現実には、衆参両院議員の過半数に意思によって『皇室典範』が改定されてしまう。それどころではない。衆参両院議員の三分の二の意思によって、「天皇を君主と仰ぐ日本國體」すら廃絶される危険すらある。そんなことはあり得ないという意見もあるだろうが、可能性は皆無ではない。

 

成文憲法まして敗戦後戦勝国によって日本國體破壊・日本弱体化のために押し付けられた「現行憲法」そしてそれに依拠する政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定した制約したり隠蔽する権能は全くないしあってはならない。戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」の制約下に、上御一人日本天皇を置き奉る事があっては絶対にならない。天皇の「詔」「大御心」が最高最尊の「法」である。

 

占領軍・戦勝国が今日の事態を想定していたかどうかは別として、日本弱体化のために国民の皇室尊崇の心を希薄化しようとした占領政策にのっとった『現行占領憲法』によって、我が國は最大の危機に瀕していると言っても過言ではない。

 

まさに「諸悪の因は現行憲法」なのである。「天皇の御地位は国民の総意に基づく」という國體破壊思想をわが国から祓い清めねばならない。そして、『記紀』『萬葉』以来の國體精神の道統を回復する事が最も大切である。

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千駄木庵日乗二月三日

午前は、諸雑務。

午後は、『月刊日本』連載中の「万葉集」解釈原稿、脱稿送付。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後五時半より、池袋の広瀬義道氏事務所にて、『呉竹会青年部勉強会』開催。藤本尚則氏著『巨人頭山満翁』輪読。小生が解説・講義。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2017年2月 3日 (金)

伊勢皇大神宮と維新

 

 

大化改新・建武中興・明治維新などわが国の変革の基本理念は〈復古即革新〉である。現状を一新し変革することと〈元初のあるべき姿への回帰〉が相互に作用し一体となる。明治維新においては、近代的諸制度の形成といふ「御一新」と神武創業への回帰といふ「復古」は一体であった。具体的にいへば、徳川幕藩体制打倒は天皇中心の國體明徴化であった。

 

明治維新後初めての御遷宮は、明治二年度の御遷宮である。その前段階として幕末の御蔭参りの国民的盛行があった。

 

御蔭参りとは、御蔭年に伊勢神宮に参拝することで、特に、江戸時代以降、間欠的におこった大群衆の伊勢参りをいふ。御蔭(恩恵)のいただけるありがたい年としてのお蔭年の観念が発生し、約六十年を周期として顕著にあらはれたといふ。季節は三月ごろが多かった。御蔭年とは、伊勢神宮の御遷宮のあった翌年のことである。

 

明治二年三月の御遷宮は、まさに明治維新と呼応するものとなった。そしてこの年、明治天皇は、神宮を御親拝された。天皇の神宮御親拝は史上例のないことであり、まさに旧来の陋習を改めて、皇祖神への御崇敬のまことを、天皇御自ら身を以て捧げられることとなった。

 

そして、明治天皇は神宮御親拝後、三月二十八日に東京に着御され、この年の六月に、諸侯の土地人民を天皇に奉還する「版籍奉還」が行はれ、各藩主が、その土地(版)と人民(籍)とを朝廷に奉還し、改めて知藩事に任命され、廃藩置県の前提となった。七月二は、「職員令」による新国家体制が発足した。(武田秀章氏『明治国家と官営造替』・「歴史読本伊勢神宮遷宮の謎」所収)

 

和辻哲郎氏は、「明治維新は尊皇攘夷という形に現わされた国民的自覚によって行われたが、この国民的自覚は日本を神国とする神話の精神の復興にもとづき、この復興は氏神の氏神たる伊勢神宮の崇拝に根ざしている。原始社会における宗教的な全体性把捉が高度文化の時代になお社会変革の動力となり得たというような現象は、実際、世界に類がないのである。」(『風土』)と論じてゐる。

 

古きものが常に新しく生まれ変わり、新しきものは古くからの生命を継承する。これが日本の文化感覚の特質である。天皇の皇位継承にもまったく同じ原理がある。天皇の玉体・御肉体が更新されると、その新たなる玉体・御肉身体に、神霊が新たに天降られる。和歌は、五七五七七といふ定型は永久に不変であるが、その定型を護りつつ常に新たなる魂の訴へがその定型を維持しながら行はれる。

 

皇位継承・大嘗祭・式年遷宮・維新・和歌には、元初に回帰することが今新しきものを生み出すことであるといふ、同一の「復古即革新の原理・理念」がある。皇位継承・天皇の御即位は、天孫降臨の繰り返しなのである。

 

「天津日嗣」の「天津」は、天津神から継承されてゐる神聖な、というふ意である。「日嗣」は天照大神から伝へられた「日霊」を継承するといふ意である。つまり、「天津日嗣」とは、天照大御神のご神霊を継承されるといふ意味である。御歴代の天皇は、御肉體は変られても、天津日嗣日本天皇としての神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられるみ祭りであり、天皇の神としての御資格の再生・復活のみ祭りである。

 

天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるといふことである。

 

天皇は、大嘗祭・新嘗祭を通して日の神=天照大神の神威・霊威を体現される御存在となられ、天照大神の「生みの御子」即ち「現御神」として君臨されることとなる。

 

天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するのであるが、信仰上は御歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

わが國は今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現実の國家君主と仰ぎ、國家と民族の統一の中心として仰いでいる。日本においては、神話は今も生きてゐる。

 

天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られてゐる。地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祀られ、南九州に御陵が鎮まってゐる。

 

伊勢の神宮は、日本伝統信仰の最尊最貴の聖地であり、日本伝統精神とはいかなるものかを実感するには、伊勢の神宮に参拝し、神を拝ろがめば良いのである。理論理屈はいらない。日本伝統信仰が自然に伊勢の神宮といふ聖地と聖なる建物を生んだのである。それは太陽神への無上の信仰であり、皇室への限りなき尊崇の情であり、稲への限りない感謝の心である。

 

西行(平安末期・鎌倉初期の歌人、僧)は、治承四年(一一八〇)六十三歳のときに三十年ほど過ごした高野山から伊勢に移り、伊勢の神宮で

 

「何ごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるゝ」

 

と詠んだ。

 

昭和四十二年の秋、イギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビーが夫人と共に参宮された時、内宮神楽殿の休憩室で「芳名録」に記帳し、

 

「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます」

 

と書いた。

 

人類は様々の宗教を信じてゐる。そしてそれらの宗教はそれぞれ特色があり、人類に救いと安穏をもたらしてゐる。しかし半面、人類の歴史は宗教戦争の歴史であったともいへる。それは今日に至るまで続いてゐる。神を拝み神を信じる人々による凄惨なる殺しあひが行はれて来た。

 

しかし、宗教の根底にあるものは同じなのである。それは、天地自然の中の生きたまふ大いなるものへの畏敬の心である。伊勢の神宮はまさに、最も純粋に最も簡素にその大いなるものをお祭りしてゐる聖地なのである。伊勢の皇大神宮には全ての宗教の根源が現実に生きたのものとして顕現してゐる。

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2017年2月 2日 (木)

千駄木庵日乗二月二日

午前は、諸雑務。

午後は、北区にある菩提寺に参詣。四宮家の墓を掃苔。午後二時より、本堂には、『節分会』執行。ご住職が導師を務め、護摩供養が行われた。この後、懇親会開催。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。明日の講義の準備など。

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オピニオン雑誌『傳統と革新』第二十五号

オピニオン雑誌『傳統と革新』第二十五号 平成二十九年冬号 たちばな出版発行(四宮正貴責任編集)
特集 天皇・皇室と憲法 陛下の「お言葉」を拝し「憲法第一章」を考える
巻頭言『記紀萬葉』に示された「日本國體精神」と「近代成文憲法」        四宮正貴
「インタビュー」
天皇陛下は、長い歴史の中で日本という國の在りようの原点です         中山恭子...
陛下のご意思は「高齢譲位」により順調な世代継承を實現する以外にない     所 功
「お言葉」を拝した今こそ、天皇のあり方の特質をしっかり再認識しよう     高乗正臣
「佐藤優の視点」北方領土交渉の展望について                 佐藤優
日本の根本規範を取り戻してこそ天皇陛下の「お言葉」の深さを知ることができる 西村眞悟
象徴としての天皇の尊さ                        富岡幸一郎
禁中は敬神第一                        茂木貞純
國體としての皇位                         黒田秀高
「生前退位」をめぐる状況を読み解く                                      新田 均
「聞き書き」豊洲市場の問題、東京オリンピックの問題……。大手メディアの責任は大きい                                                 上杉 隆
天皇陛下の「おことば」は、國の命運を分かつ時に発出される「詔」である                                                          稲村公望
「お言葉」を拝してあらためて國體を考える                                                                           玉川博己 
よりよい世界へと導く憲法を                         大和武久
我が國における承詔必謹と絶対尊皇の精神とは何か                                                   折本龍則
「提言・直言」
靖國神社の今後のあり方について思うこと                                           松木謙公
譲位のご意向に込められた意味                             松崎哲久
「連載」
やまと歌の心                                                                                                                                     千駄木庵主人
石垣島便り 石垣島の自衛隊配備反対運動について                                               中尾秀一  
世俗の憲法を超える、わが國の歴史、傳統、精神の唯一の顕現者                                                              木村三浩  
我が体験的維新運動史第24回 靖國神社護持を熱祷する                                                      犬塚博英  

 定価 本体価格1000円+税。 168頁
〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル
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2017年2月 1日 (水)

伊勢の皇大神宮は、日本伝統精神の結晶である

。伊勢の神宮では、二十年に一度、御正殿以下御垣内の諸社殿、すべてを新しく造り変へ、御正殿内の御装束神宝の一切を新しく調進して、新しい御正殿の御神座へ大御神にお遷り願ふ「式年遷宮」が行はれる。

 

これは、二十年に一度の「大神嘗祭」で、皇祖天照大御神の神威の新たな甦りを仰ぐ祭事である。この重大なる祭事は、天皇陛下の勅旨によって執行されると承る。平成二十五年には、第六十二回神宮式年遷宮が執行される。二十年毎の立て替へには、神御自身と国土と国民のよみがへりといふ大きな意義がある。

 

新生の祈りをこめて元初・天地初発に回帰し、再生し続ける御遷宮こそ、民族の英知が磨きあげた神道精神・日本伝統文化の精粋であり、天地を清浄化する永遠の祈りである。御遷宮は、神・天皇・國民・国土・国家の再生の大祭である。また、式年遷宮は、「今即神代」「天地初発之時」への回帰を実感する祭りである。

 

式年遷宮は、瑞穂の國日本の穀靈・天皇國日本の皇祖神たる日の神=天照大御神の神威が新生し復活するといふ重大なる意義がある。

 

持統天皇四年(六九〇)に内宮、翌六年には外宮において遷宮が行はれたのが式年遷宮の制が建てられた最初である。(『大神宮諸雑事記(しょぞうじき))。また、『日本書紀』に、持統天皇五年十一月戊辰日に「大嘗めす」とあるのが践祚大嘗祭の始まりとされる。遷宮祭儀と皇位継承祭儀は相似である。つまり式年遷宮は、新帝の御即位に際して新たなる神霊の天降り・甦りを仰ぐ践祚大嘗祭と相応する。女性天皇の御代に宮中祭祀、伊勢の神宮祭祀の今日に続く制度が確立されたのである。

 

真弓常忠氏は「神宮の遷宮は二十年一度の大神嘗祭であり、大神嘗祭はまさに皇祖の大御神の神威に新たな甦りを仰ぐ最大最重の厳儀である。それは、宮中における大嘗祭に相相応する大儀であるといえる。このことは、皇居においても、御代ごとに遷宮する例であったのが、持統天皇の藤原京より恒久的な皇居が営まれたことも照応する。昔から伊勢の遷宮を『皇家第一の重事、神宮無双の大営』(『遷宮例文』)といわれてきたゆえんがここにある。それは始源においては、大嘗祭と表裏一体の相対応する大儀であった」(『大嘗祭の世界』)と論じてゐる。

 

御遷宮は、日本民族の叡智・中核的信仰精神を表現する祭儀であり、神代即今・今即神代を実感する祭儀である。

 

「祭り」とは、神人合一の行事であり、罪穢れを祓ひ清め元初の姿へ回帰する行事である。天地宇宙の更新再生が、祭りである。元初の伊勢の神宮に回帰しつつ常に新たに生まれるといふ理念・原理=復古即革新が、日本文化の精粋である。それが現実の姿として顕現してゐるお宮が伊勢の神宮はなのである。

 

外国の宗教は、永久に残であらうと考へた石造りの神殿を造営したが、廃墟になってゐるところが多い。古代ギリシアやローマは、恒久的な神殿を建設しやうと考へたが、結局は廃墟をのこすのみとなった。

 

日本伝統信仰の祖神たる天照大神の神殿は木造である。そして、定期的に立て替へることにより、その生命が再生し新生すると信じた。日本民族は、神殿を定期的に作りかへることによって、神及び神殿を再生し続けて来た。日本の神と神殿は、永久不変であると共に永遠に新しいのである。

 

室町時代の戦乱により百二十年間途絶えてしまった神宮の式年遷宮を再興する原動力になったのが慶光院上人である。慶光院は、室町時代の創建とされる本寺末寺もない独立した臨済宗の尼寺である。慶光院の院主は慶光院上人と呼ばれ、長野善光寺上人、熱田誓願寺上人と共に、代々上人号を天皇から与へられ、紫衣着用を許可された。

 

初代院主・守悦上人、三代院主・清順上人、四代院主・周養上人は、尼僧でありながら諸国を巡歴し、遷宮浄財の勧進につとめた。全国の人々を感動させ、それが推進力となって式年遷宮の復興が実現したと承る。故に、内宮上人・伊勢上人・遷宮上人と呼ばれた。(神宮司庁刊『お伊勢参り』)

 

特に、四代・周養上人は、後陽成天皇より綸旨を賜って遷宮の勧進につとめ、小田・豊臣二氏の協力もあり、天正十三年(一五八五)十月十三日に内宮、十五日に外宮の第四十一回遷宮が行はれた。

 

徳川家康も、伊勢の神宮奉護の心が旺盛であったと傳へられる。家康は、征夷大将軍に任ぜられた慶長八年、遷宮朱印状を周養上人に与へてゐる。そして慶長十四年には、内宮外宮造営料三万石(米六万俵)を寄進し、それが先蹤となって歴代将軍に引き継がれた。

 

元禄二年(一六八九)、東山天皇の御代、第四六回・式年遷宮が行はれた。遷宮には伊勢を目指して多くの人々が集ひ、神と万物万生の再生・甦り・新生を祝した。

 

松尾芭蕉は、式年遷宮の奉拝を志して元禄二年九月六日、四十六歳の時、大垣を出発、十一日に伊勢に着いたが、内宮の式は十日にすでに終り、十三日の外宮の式を拝んだ。外宮遷宮を奉拝した感激を、

 

「尊さに 皆押しあひぬ 御遷宮」

 

と吟じた。

 

当時、遷宮日時を告げる高札が主要都市や街道筋に立てられ、多くの民衆が陸から海から神都伊勢を目指して天地もどよもすばかりであったといふ。(中西正幸氏『幕藩体制下の制度復興』・「歴史読本・伊勢遷宮の謎」所収)

 

本居宣長は、寛政度の御遷宮に際して、寛政元年(一七八九)に

 

「ものいはゞ 神路の山の 神杉に 過ぎし神世の 事ぞとはまし」

 

と詠んでゐる。

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千駄木庵日乗二月一日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付きそう。

午後五時より、虎ノ門の笹川平和財団ビルにて、「ジョージ・ナッシュ博士講演会 米国における保守主義とポピュリズム』開催。ナッシュ博士が講演。活発な質疑応答が行われた。会田弘雄青山学院大学教授がモデレーター。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆。

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萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 二月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

 

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千駄木庵日乗一月三十一日

午前は、泉涌寺に参拝。月輪御陵参拝。孝明天皇・英照皇太后御陵参拝。霊山護国神社参拝。霊山官修墳墓巡拝。霊山歴史館参観。

午後は、平安神宮参拝。

 

 

 

 

 

すめらみことの御霊鎮まる泉涌寺今日も静かに清らけきかな(孝明天皇御陵)

 

 

月輪陵を拝ろがみまつる冬の朝 皇御国(すめらみくに)に生れし喜び()

 

 

孝明天皇みささぎの御前に佇みて皇国彌榮を祈りまつれり()

 

 

手を合はせ拝ろがみまつるみささきに孝明天皇は鎮まりまします()

 

 

 

登り来し山に鎮まりましませるすめらみことの御霊拝ろがむ()

 

 

とことはに日の本の國を護りませとただに祈れりみささぎの御前(月輪陵)

 

 

討たれたる人々の名が刻まれし墓を拝めば悲しかりけり(霊山墳墓)

 

 

皇国に命捧げし人々の御墓並べる尊きこの山()

 

 

霊山に登りて拝む志士の御霊 維新回天の大いなる歴史()

 

 

清々しき思ひするかも広らなる平安神宮の神域に立ち(平安神宮)

 

 

大空の澄みわたる下いにしへのすめらみことの御霊拝ろがむ()

 

 

 

 

 

帰京。

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泉涌寺

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泉涌寺伽藍

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孝明天皇・英照皇太后御陵

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月輪御陵

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坂本竜馬・中岡慎太郎御墓

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平安神宮応天門

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木戸公神道碑

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千駄木庵日乗一月三十日

朝、東京を出発して、京都へ。

 

午後、吉田本町の京都大学百周年時計台記念館歴史展示室参観。

 

午後四時半より、京都大学構内にて、中西輝政氏にインタビュー。「伝統と革新」掲載のためなり。

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