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2017年1月28日 (土)

日本人は日の神たる天照大神を最尊最貴の神と仰いで来た

天照大神は、その御名に示されてゐる通り、天空に照り輝く太陽の大神である。日の神とも申し上げる。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられる。その太陽神たる天照大神を祭られる祭祀主が「すめらみこと」=日本天皇である。天皇は、天照大神の神威・靈統を継承し体現される神聖君主である。故に、天照大神は皇室の祖先神・日本民族の親神として崇められて来た。日本国を「日出處」、日本天皇を「日の御子」と讃へるのも太陽神たる天照大神信仰による。

 

會澤正志斎はこの神聖なる事実を端的に「謹んで按ずるに、神州は太陽の出づる所、元氣の始まる所にして、天日之嗣、世(よよ)宸極(しんきょく)を御し、終古易らず」(『新論』)と述べた。

 

「元氣」とは、万物の根源にある氣のこと。「天日之嗣」とは、日の神たる天照大神の神威を体現され皇位を継承されてゐる御方といふ意。「宸極」とは、天子の御位のことである。

 

日本民族は神話時代から太陽を神として崇拝して来た。『古事記』に天孫邇邇藝命が降臨された地のことを「朝日の直(ただ)刺す國、夕日の日照る國なり。故(かれ)、此地は甚だ吉き地」(朝日の真っ直ぐに照り輝く地、夕日が照り映える國である。こここそは大変良き所である)と讃へてゐる。

 

日本人の主食である稲は、太陽の光と熱なくして生育しない。つまり稲の命の根源は太陽である。稲の霊と太陽の靈とは一体である。

 

『萬葉集』巻十二所収の「柿本人麻呂歌集」に「久かたの天つみ空に照れる日の失せなむ日こそ吾()が恋止まめ」(大空に高く照り輝く太陽、この太陽がなくなってしまあ日があれば、その日こそ私の恋が終る日でせう、といふ意)といふ歌がある。恋歌にも太陽尊崇の心が表白されてゐる。

 

わが國傳統信仰は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」という。

 

古代日本人の素朴な太陽への信仰・崇拝の心が、次第に純化し太陽の光明温熱によって万物万生が生成化育するといふ、その尊い事実を神格化して太陽を最高尊貴な人格神として天照大神を拝むようになった。古代日本人は日の神の偉大性・永遠性を信じ、日の神たる天照大神は最尊最貴の神と仰がれるようになった。

 

『日本書紀』に「既にして伊弉諾尊・伊弉冊尊共に議(はか)りて曰はく。『吾已に大八洲國及山川草木を生めり。何ぞ天下の主者(きみたるもの)を生まざらむ』とのたまふ。是に、共に日の神を生みまつります。大日孁貴と号す。大日孁貴、此を於保比屡咩能武智(おほひるめのむち)と云ふ。一書に云はく、天照大神といふ。一書云はく。天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)といふ。此の子(みこ)、光華明彩(ひかのうるは)しくして、六合(くに)の内に照り徹る」と記されてゐる。

 

ここに記されてゐるように、天照大神は、大日孁貴尊(おほひるめのむちのみこと)とも申し上げる。太陽を神格化した御名である。「ヒルメ」は光り輝く意で、ヒルマ(昼間)に通じる言葉と言ふ。「メ」は女神の意である。つまり「大日孁貴尊」とは、大いなる光輝く太陽の女性神と言ふ意である。日本伝統信仰においては、日本の主神は女性神なのである。「男尊女卑思想」は、儒教・仏教といふ外来思想の影響であり、日本には本来ない思想である。日本民族は古来、男尊女尊の民族である。

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