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2017年1月14日 (土)

天皇の祭祀について

 

 何故、天皇は神聖なる御存在であらせられるのか。それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はないのである。この尊き事実をまず以て確認しなければならない。古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変わることはないのである。

 

 「神話の精神」と言うと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がいる。しかし、神話は荒唐無稽な伝承ではない。神話において語られているのは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真実なのである。神話には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られているのである。そして「日本神話の精神」は、は西洋科学技術文明及び排他独善の一神教を淵源とする闘争的な西洋政治思想の行きづまりが原因となった全世界的危機を打開する力を持っている。

 

 しかも日本民族の「神話の精神」はただ単に『古事記』『日本書紀』といった文献だけでなく、「天皇の祭祀」そして「全国の神社の祭祀」という「生きた行事」によって今日まで継承され語られているのである。 

 

 神話には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の伝統的思想精神の結晶である神話への回帰こそがほとんど絶望的と言われている現代の混迷を打開する方途である。

 

 日本天皇が日本國の君主であらせられ、日本の文化と歴史継承の中心者であらせられるということは、天皇が行われる「祭祀」と不可分の関係にある。

 

 信仰共同體・祭祀國家日本の祭祀主であられる天皇は、その本質が神秘的御存在なのである。日本國民は天皇を神聖なる御存在と仰いできた。これを<現御神信仰>という。そしてこの信仰は、日本伝統信仰の中核である。

 

 ところが、「現行占領憲法」には、「天皇の祭祀」についての規定がないので、「天皇の祭祀」は「天皇の私的行為」とされている。このため政教分離規定との関係で、國との関わり合いの問題が常に憲法論争になってきた。しかしながら天皇の祭祀は個人の幸福を祈る私的なものでは微塵もなく、あくまで國家國民の平和と安定を祈念されるのであり、天皇の國家統治の精神そのものである。ゆえに、「天皇の祭祀」は天皇のもっとも大切にして神聖なる「ご使命」である。このことは『成文憲法』に書かれていようといまいと、厳粛なる事実である。

 

 天皇の國家的、文化的統合者としてのご使命の基礎には、祭祀や歌会始などの伝統的儀式にある。天皇と世俗的権力との関わりは時代によって異なり、積極的に関わった時もあれば、そうでない時もあって様々である。しかし歴史的に見て、一貫して変わらなかったのは祭祀であった。その意味で天皇中心の日本國體(不文憲法)を考える時、もっとも本質的なものは祭祀である。

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