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2017年1月 4日 (水)

泉三郎氏(NPO法人米欧回覧の会会長)による「日本近代化の曙―岩倉使節団の挑戦」と題する講演内容

九月十五日に開催された「新三木会九月講演会」における泉三郎氏(NPO法人米欧回覧の会会長)による「日本近代化の曙―岩倉使節団の挑戦」と題する講演内容は次の通り。

 

「幕末から明治初期、技術革新、産業革命の大波が押し寄せていた。西洋が大砲を装備した蒸気船でアジアに進出。中国は香港をもぎ取られる。日本にはペリーとプチャーチンが来て開国を迫る。弱肉強食の危機が迫る。日本は開国したが、裁判権は相手国にあった。関税自主権も喪失。

 

岩倉使節団は、明治四年十一月十二日、横浜港を出帆した。廃藩置県の四か月後に、欧米使節団が派遣された。木戸孝允は三十九歳、大久保利通は四十一歳、伊藤博文は三十一歳、山口尚芳は三十三歳。幕臣出身者も含まれていた。平均年齢は三十一歳。八歳になったばかりの津田梅子など女子留学生が四人参加。中江兆民、平田東助、牧野伸顕も含まれている。派遣組と留守組との十二カ条の約定があった。

 

最初に訪問したサンフランシスコは当時十五万の人口。西洋文明のモデルのような都市だった。最高のホテルであったグランドホテルに宿泊。ものすごい歓迎を受けた。二週間滞在。伊藤博文は英語でスピーチ。大変な話題になった。条約改正交渉をした。アメリカには二百日滞在した。

 

ドイツでは工場を見学。ベルリン訪問。当時八十万の人口。ビスマルクに会った。ビスマルクは使節団に『最後に決めるのは軍事力だ』と言った。ドイツ滞在中に、三条実美から、木戸と大久保に帰国命令が来た。大久保が帰国。木戸と大久保は考え方が違う。大久保は急進的開発独裁。木戸は漸進主義。

 

欧米におけるキリスト教の力に驚いた。新しい条約は結べなかった。久米邦武が編集した『特命全権大使 米欧回覧実記』は近代化のテキストになっている。キリスト教と欧米の礼義・交際・親子男女関係は受け入れ難い。アメリカでそれを感じた。女性を優先し、大切にする。アメリカはカカア天下の国。ボストンで接吻した離れない男女がいるのを見て驚いた。日本の倫理道徳を守り西洋の技術を学ぶ。これが和魂洋才。これを骨子として『明治憲法』と産業政策が出来た。憲法を補完するものとして『教育勅語』が渙発された。

 

北海道がロシアに取られそうになった。日清戦争・日露戦争は防衛の戦争だった。山県有朋と伊藤博文は日露戦争に反対した。児玉源太郎と桂太郎は賛成した。

 

岩倉使節団の予算は五十万米ドル。しかし会計報告なし。大蔵省の火災で資料が無くなったという。かなりいい加減なこともやっていた。武士は金がなくなれば誰かから工面すればいいという気質。伊藤博文はテロも戦争もやって政府要人になった。オールプレイヤー。教育は、塾と藩校のみ。しかしああいう人物が育った。

 

木戸、大久保、西郷が一代目。桂太郎は二代目。桂太郎は横浜語学学校で学びドイツへ留学。二代目は初代を見ているから何とか持つ。三代目即ち士官学校・陸軍大学を出た軍事官僚は現場を知らない。西園寺公望は岩倉具視の後継者。近衛文麿は三代目。山本権兵衛、田中義一、東條英機は人物が小粒。近視眼。命を懸けない」。

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