« 千駄木庵日乗十二月二十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月二十五日 »

2016年12月25日 (日)

天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體國家日本の本質

 日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の信仰的・精神的共同體である。農耕生産の共同生活を営む人々の祭祀がその中核である。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生成された國である。これを『日本神話』は「神が日本國を生みたもうた」と表現した。

 

 したがって、日本といふ國家の本質は権力者が國民を支配するための機関すなはち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國でもない。さらに、世界の多くの國々のやうな征服や革命によって人為的に成立した國家でもない。だから我が國の國體を「萬邦無比」といふのである。

 

 日本民族の生活の基本たる稲作に欠かすことのできない自然の恵みが、太陽であり大地である。日本民族は太陽と大地を神として拝んだ。その太陽の神が天照大神である。また大地の神は國津神として祭られた。また稲穂そのものも神の靈が宿ってゐるものとして尊んだ。そして、古代日本人は太陽神・天照大神を最も尊貴なる神として崇めた。

 

 天照大神をはじめとする天津神、大地の神である國津神、稲穂の靈をお祭りされ、國民の幸福と五穀の豊饒を祈られる祭り主たる天皇は、天照大神の御子即ち日の御子として國民から崇められた。そして、天照大神は、太陽の神であると共に、皇室の御祖先神であると信じられた。

 

 そして、祭り主たる天皇を、稲作を営む古代日本人の共同體の統合と連帯の中心者として仰いだ。

 

 つまり、古代日本の統一は、日の御子たる天皇が行はれる祭祀を中心とし、その祭祀が地方の祭祀を次第に全國的に統一されることによって實現したのである。つまり、古代日本の統一(日本國の生成)は、祭祀的統一である。各部族間の武力闘争はあったにしても、その有限的にして相対的な勝利は、最終的には神への祭祀によって聖化された。

 

 大和朝廷による祭祀的統一によって、日本民族が狭い部族的あるいは地縁的な共同體の分立から、今日の日本國の原形である全體性を確立した。その中心にあったのが<天皇の祭祀>である。これが「祭」と「政」の一致なのである。かかる意味において、日本國は天皇を中心とした信仰共同體(神の國)なのである。

 

 天皇による日本の祭祀的統一といふ歴史を背景として成立した『日本神話』には、天皇の御祖先である邇邇藝命が高天原から地上に天降られる時に、天照大神からの御命令(御神勅)が下されたと記されてゐる。

 

 それには、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の靈統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう、といふほどの意)と示されている。

 

 さらに、「吾が高天原に所御(きこしめす)斎庭の穂(いなほ)を以ちて、また吾が兒(みこ)に御(まか)せまつるべし」(私の高天原に作っている神に捧げる稲を育てる田の稲穂を私の子に任せよう、といふほどの意)といふ御命令を下された。

 

 天孫降臨神話の意味するところは、穀物を實らせる根源の力である太陽神の靈力を受けた天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命(アメニギシ・クニニギシ・アマツヒコ・ヒコホノ・ニニギノミコト)が、地上に天降り稲穂を實らせるといふことである。それがわが日本の始まりなのである。そして、天照大神の神靈をそのまま受け継がれた「生みの子」たる邇邇藝命及びその御子孫が永遠に統治される國が日本であるといふことを端的に表現してゐるのである。

 

 天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命という御名前は、「天地に賑々しく實ってゐる太陽神の御子であり立派な男児である稲穂の靈の賑々しい命」といふほどの意である。邇邇藝命とは、太陽神の御子であるとともに稲穂の神の神格化である。この國の人々の生命の糧である稲穂が毎年豊かに實るやうに、といふ古代日本人に共通する切なる願ひが天孫降臨神話を生んだのである。   

「日の御子」は日本の祭祀と政治と軍事を統べる最高のお方

 

 『魏志倭人傳』には、「一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰ふ。鬼道に事へ、能(よ)く衆を惑す」と書かれ、古代日本に祭祀主としてヒミコ(日の御子)といふ女王がをられたと記されてゐる。

 

 『魏志倭人傳』とは、支那の『三國志』のうちの『魏書東夷傳』の中の倭人(日本人のこと)に関する約二千字ほどの記事のことである。ここに書かれてゐることは古代日本の史實そのままではない。三世紀前半に日本に渡来した支那人(魏の國の人)の見聞に基づいてゐるらしく推測される。しかし、その頃の日本の九州(筑紫)に来た支那人が「水行十日陸行一月」の遠隔地即ち大和地方のことを傳聞したことをもととしてゐるといふ。ゆゑにその頃のことをいくらか反映して記されてゐると思はれる。          

 

 古代日本の「祭祀」を「鬼道」などと蔑視し、祭り主たる「日の御子」に「卑弥呼」(いよいよ卑しいと呼ぶ)などといふ侮蔑的な文字が当てられてゐるが、「日の御子」とは、太陽神の御子といふ意味である。そして神を祭り、神の意志を民に傳へ、民の願ひを神に申し上げることのできる靈能を有する人が、政治的統治者となったのである。「日の御子」は古代日本の祭祀と統治と軍事を統べる最高のお方なのである。

 

 そして「日の御子」は太陽神を地上においてそのまま體現される御方であるから、現御神(現實に現れた神)と仰がれることになったのである。

 

 このやうに、三世紀の日本は既に天皇・大和朝廷によって統一されてをり、天照大神信仰・現御神日本天皇仰慕の心による中核とする信仰共同體としての國家の統一が成立してゐた。大和や河内などにある天皇陵をはじめとした多くの古墳は、信仰共同體の精神的エネルギーの結晶である。祭り主天皇の神聖なる権威を崇める心が美しい前方後円墳を作り出したのである。

|

« 千駄木庵日乗十二月二十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月二十五日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/64671471

この記事へのトラックバック一覧です: 天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體國家日本の本質:

« 千駄木庵日乗十二月二十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月二十五日 »