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2016年12月18日 (日)

『奥野誠亮お別れの会』における追悼の言葉

十二月十二日に行われた『奥野誠亮お別れの会』における追悼の言葉は次の通り。

 

安倍晋三内閣総理大臣「あまりにも偉大な保守政治家であられた。惜別の情がこみ上げてくる。十月に自民党本部に来られた時、名物のビーフカレーを平らげる健啖家ぶりであったとうかがった。百三年の歳月を思い。お疲れ様でした、有難うございましたと申し上げたい。国家総動員法が施行された年に内務省に入られた。戦後は、戦後処理を担われ、GHQとの交渉で涙をためて屈辱に耐えられた。私は平成五年に初当選して以来、ご指導を受けた。私は吉田松陰先生の『至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり』という言葉を胸に刻んでいる。奥野誠亮先生はそのお名前の通り、『誠』を貫かれた。誠意と情熱の人であられた。文部大臣時代、日教組と対峙された。筑波大創設に貢献された。ご子息の奥野信亮先生と共に、私も國の為に身をつくすことを覚悟している。『ふるさと』に『こころざしをはたして、いつの日にか歸かえらん』という歌詞がある。まさに奥野先生は志を果たして故郷に帰られた。先生がやり残されたことをしっかり受け継いでいく。ご冥福を心から祈りお別れの言葉とする」。

 

綿貫民輔元衆議院議長「奥野先生の百歳のお祝いに、スカイツリーに昇ったこと忘れることができない。正しいと信じたことは妥協しない姿勢を貫かれた。松田竹千代先生の遺志を受け継いで、アジアからの留学生のために地道な努力をされた。ゴルフや麻雀や書道を一緒にさせて頂いた。前議員の会では最長老として威厳のあるお姿を拝した。先生の『一怒一老、一笑一若』というお言葉を胸に頑張っていきたい。やすらかにお眠り下さい」。

 

石原信雄元内閣官房長官「上司としては厳しいが、先輩としては優しい部下思いの方だった。日本人の誇りを大切にされ行動された。生前のご指導に感謝してお別れの言葉とする」。

 

山口昌紀近畿日本鉄道代表取締役会長「昭和三十四年の伊勢湾台風の時、近畿日本鉄道は存在が危ぶまれる被害を受けた。奥野先生は、名古屋・大阪直通のための線路の幅の統一そして税金免除という起死回生の救助の手を差し伸べて下さった。感謝の思いは言葉に尽くせない。自主憲法制定を主張され、義を重んじられた。先生は我々の心の拠り所であられた。今後も奈良・大和の国を見守って下さい」。

 

奥野信亮衆議院議員(御子息)「地方税制・地方財政の基礎を築いたと評価されている。『派に頼らず義を忘れず』の考え方で歩んできた。大東亜戦争の正しい評価、自虐精神の脱却を訴え続けてきた。一度言い出したら聞かない人であった。家族を大事にした。やさしいおじいちゃんだった。百二歳でゴルフをやった。今年の十一月に入っても麻雀を楽しんだ。『恕』の精神を引き継いでいきたい」。

 

国士政治家・奥野誠亮先生のご冥福を衷心より祈念申し上げます。

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