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2016年12月 7日 (水)

やまと歌と維新

明治天皇は次のやうな御製をのこされてゐる。

 

「とこしへに 民やすかれと いのるなる わがよをまもれ伊勢のおほかみ」(明治二十八年・日清戦争)

 

「民草の うへやすかれと いのる世に 思はぬことの おこりけるかな」(明治三十七年・日露戦争)

 

「暁の ねざめのとこに おもふこと 國と民との うへのみにして」(明治三十八年・日露戦争)

 

「千萬の 民とともにも たのしむに ますたのしみは あらじとびおもふ」(明治四十三年)

 

明治天皇は、御生涯において、九万三千三十二首の御製を詠ませられたと承る。明治維新断行、そして近代日本建設という未曽有の変革と発展は、明治天皇の偉大なる神聖権威のもとに推進せられた。そしてそれは和歌やまと歌の隆昌と一体であったのである。

 

維新は和歌の復興とは一体である。何故なら、天皇の國家統治の基本に和歌があるからである。和歌は天皇の國家御統治と一體であるばかりでなく、日本の変革の時期、発展の時期に和歌が隆昌する。『萬葉集』は、大化の改新から平安遷都といふ大変革大建設の時代に詠まれた全国民の歌が収められてゐる。

 

今日の日本も、国難に見舞はれてゐる。しかし、天皇を君主と仰ぐわが日本は、大化の改新・明治維新と同様に、強固なる国民精神を発揮して、国難を打開し、新たなる変革と建設の時代に入ることは必定である。その精神的基盤を正しく確立し、国民精神を喚起するためにも、和歌・やまと歌の復興が為されなければならない。

 

国家的な危機にある現在、「勅撰和歌集」を撰進が行われるべきである。また、衆参両院議員、各省庁の枢要な地位にある公務員は、和歌を詠み、新年に際して、天皇陛下の奏覧を仰ぐべきである。

 

私は、山中峯太郎氏著『愛の国父 明治天皇』(昭和三十二年五月第五版発行)といふ本を持ってゐる。昭和三十二年、私が小学校二年生の時に購入した本である。日清・日露の戦いを中心にして、明治天皇の御事績が書かれた本であり、当時私はこの本を読んで非常に感激した。

 

山中氏は次のやうに書いてゐる。「日本は明治時代に、支那の戰爭し、ロシヤと戰爭し、大正時代にドイツと戰爭し、昭和時代にアメリカとイギリスそのほかと戰爭した。しかし、アメリカが勝手にきめた『侵略戰爭』をしたのではない。日本が戰ったのば、外國の勢力に迫られて、日本をまもるための戰爭であったのを、正しい歴史が証明する。」「ある日、天皇は宮内大臣の田中光顯に言われた『おまえたちは、ぐあいかわるいことがあると、辞職という方法がある。しかし、わたしには、そのような方法はない。そうではないか』『はい……』気の強い田中光顯も、恐れ入って何とも言えなかった。」と書かれてゐる。

 

この本を私が讀んだ同じ年の昭和三十二年に、『明治天皇と日露大戦争』(渡辺邦男監督、新東宝製作)が公開された。父が連れて行ってくれたのだが、嵐寛寿郎演じるところの映画の中の明治天皇も「天皇には辞職はない」といふ言葉を、語ってゐた。また映画のところどころに、明治天皇御製が朗誦された。まことに素晴らしい映画であった。

 

私が愛国心に目覚め、やまと歌に関心を持ったのは、この本を読みこの映画を見てからかも知れない。この映画と本が私の愛国心の目覚めに大きな影響を与へたことは確かである。

 

また、私がまだ幼少の頃、外から家に帰って来ると、母が新聞を讀みながら涙をぽろぽろ流しながら泣いていた。気丈な母が泣いているのを見たことが無かった私は驚いた。母は、貞明皇后崩御の報道記事を見て泣いていたのだった。貞明皇后が崩御されたのは、昭和二十六年五月十七日であるから、私がまだ四歳の時であった。

 

私は、自然に尊皇愛国の心を父母の教育によって身につけることができたのである。父母に心より感謝している。

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