« 千駄木庵日乗十二月五日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月六日 »

2016年12月 6日 (火)

武士道について

 

和歌と武と祭祀は一体である。日本國が本来的に和を尊ぶ國であり、天皇・皇室が武力を以て民を支配する御存在ではあらせられないといふことを強調するために、天皇・皇室と「武」との関係を軽視したりあるいは否定してしまふ論議がある。さういふ論議がと現行占領憲法の誤れる「平和主義」と結びつける人もゐるやうである。

 

しかし、昨日も論じたやうに、天皇・皇室が「武の道統」を継承して来られた事は、天皇の國家統治を表象する「三種の神器」に「草薙剣」がある事によって明白である。「草薙剣」は、素戔嗚尊が、出雲國簸川(ひのかわ)上流で八岐大蛇(やまたのおろち)を切った時に、その尾から出たと傳へられる剣である。

 

『古今和歌集』の「仮名序」に、「人の世となりて、素盞鳴尊よりぞ三十文字あまり一文字はよみける」と書かれ、素盞鳴尊がお詠みになった

 

「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣つくるその八重垣を」

 

が、和歌(三十一文字)の起源であると説かれてゐる。素盞鳴尊は、皇祖・天照大御神の弟神であらせられ、且つ、「武の神」であり、和歌を始めてお詠みになられた御方なのである。和歌は神詠であるといふ古来よりの信仰はここから生まれた。和歌と武とは一体なのである。これを「剣魂歌心」といふ。この事は、女性天皇におおかせられても何の変りはない。

 

 古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であるよりは呪術的機能を持った神であった。弓の弦を鳴らして鎮魂する。

 

 「三種の神器」は、皇霊が憑依(のりうつること)すると信じられ、日本天皇の国家統治言い換えれば日本民族の指導精神の象徴である。

 

奈良時代から平安時代に入って、外国との緊張関係が薄れ、国防意識・軍事意識も薄れた。さらに、実際政治も藤原氏などの臣下の手に移った。しかし、祭祀と和歌は天皇の本質的お役目として貫かれた。平安時代から江戸幕藩体制終焉まで、そして戦後日本は、武(剣)・玉(祭祀)・鏡(歌・知)という「三種の神器」の御精神の一つである「剣」の精神が隠蔽せられた。後鳥羽上皇・後醍醐天皇・孝明天皇・明治天皇はこれを回復された。

 

 武の精神を回復されようとした天皇はまた御自身も和歌もよく詠まれ和歌の道を大切にせられた。後鳥羽上皇・後醍醐天皇・孝明天皇・明治天皇の御事績を仰げばそれは明白である。神武天皇の「撃ちてしやまむ」の御精神はついに絶えることはなかった。

 

武士道は、生きた魂として存在し、日本民族の活力たる精神である。武士道は、道徳・倫理精神と共にあった。武士は封建時代において国民の道義の標準を立て、自己の模範によって民衆を指導した。義経記・曽我兄弟の物語・忠臣蔵などの民衆娯楽の芝居・講談・浄瑠璃・小説などがその主題を武士の物語から取った。明治維新の志士たちの歌も近代日本の武士道教育の手本となった。

 

和歌などの芸術によって武士道が継承され教育されたことは、武士道が教条や独善的観念体系(イデオロギー)ではないということを証しする。武士道は、日本国民の善き理想となった。いかなる人間活動の道も、思想も、ある程度において武士道の刺激を受けた。武士道は、道義の手本でもあった。明治維新をはじめとしたわが国の変革を断行せしめた重要なる原動力の一つに武士道があった。この武士道を今に生かさなければならない。

|

« 千駄木庵日乗十二月五日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月六日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/64587853

この記事へのトラックバック一覧です: 武士道について:

« 千駄木庵日乗十二月五日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月六日 »