« 千駄木庵日乗十一月二日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月三日 »

2016年11月 3日 (木)

和歌の本質と起源について

保田與重郎氏は次のやうに論じてゐる。

 

「生命の絶對的な瞬間が歌として現れるといふ事は、古代人の信條である。この生命とは何かと云へば、神のものである。だから生命の白熱の意識が切迫した瞬間には、必ず歌が生まれる。この事實は作るのではなく、生れるのである。こゝに神詠といふ思想の根柢があり、かくして生れた歌の姿におのづから風雅(ミヤビ)があり、従ってその徳用(サキハヒ)もあるわけである」(『言靈私觀』・保田與重郎全集第二十巻所収)

 

やまと歌の本質と言ふか本来の姿が如何なるものであるかが論じられてゐる。此処までの境地に達して歌を詠むことが本来のやまと歌の道であらう。生命の絶對的瞬間といふことを体験することはなかなか少ない。しかもその「生命」とは「神のもの」と言ふのである。「神ながらの心」で歌を詠むといふ事であらう。常に神を祀り、神に祈るといふ心がなければならない。さらに、大切なのは、歌はつくるのでなくて、生れるのだといふ事である。作るとは人為である。人間の技(わざ)である。技であってはならず、神ながらに生まれるものが本当の「やまと歌」なのである。

 

私は歌を詠むやうになってから五十年にはなるかと思ふ。しかし、なかなか保田氏が説かれる境地にまでは達し得てゐない。ともかく心に鎮ませつつ、自然の境地で歌を詠むことに精進しやうと思ふ。

 

和歌の根柢が「神詠」であるとふことは、「やまとうた」は、「まつりごと」から発生したといふ事と同意義であると思ふ。

 

日本では太古から、天地自然の奥に生きてをられる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈るまつりごとが行はれてゐた。そのまつりごとにおいて祭り主が神憑りの状態で「となへごと」を発した。神憑りの状態から発せられた「となへごと」が度々繰り返された結果、一定の形をとるやうになったのが「やまとうた」(和歌)の起源である。祭祀における「となへごと」は、やまとうたのみならずわが國の文藝全体の起源である。まさにやまと歌は祭りごとから自然に生まれたのである。

 

祭祀における「となへごと」は、「七・五調」あるいは「五・七調」に自然に整へられたといへる。これは「七・五調」あるいは「五・七調」といふ調べに、日本人の魂をゆさぶる何ものかがあるといふことである。そして和歌が「五・七・五・七・七」といふ短歌形式になっていったのであらう。

|

« 千駄木庵日乗十一月二日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月三日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/64436416

この記事へのトラックバック一覧です: 和歌の本質と起源について:

« 千駄木庵日乗十一月二日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月三日 »