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2016年11月22日 (火)

「人権尊重」を全てに優先させることがかえって人権を蹂躙し人の尊厳性を奪う

 「天賦人権思想」の土台である西洋の國家観は、人民と國家とを対立する存在としてとらえ、國家権力の干渉を出来るだけ排除し、個人の自由を確保することを目指している。たしかに権力によって個人の自由や権利が理不尽に抑圧され蹂躙されることはあってはならない。

 

しかし、人は余程の例外を除いて一人では生きていけない。人は、多くの人間との関係性・共同生活があってはじめて生存できる。「人」は、自分自身であるとともに他者でもありさらには共同生活を営む場の全体のことでもある。それは「人」という言葉は、「人を馬鹿にするな」と言う場合は自分自身のことであり、「人の物を取る」と言う場合は「他者」のことであり、「人聞きが悪い」と言う場合は世間のことであることによっても分かる。

 

 人間が人間として生活するためには、多くの人々によって成立する共同体が必要不可欠なのである。したがって共同体としての國家をいたずらに敵視したり、國家を破壊すれば人間が幸福になると考えるのは誤りである。國家は人間の生きる場であり、人間が生きるためになくてはならぬ共同体である。 

 

 『現行憲法』第十三条には「すべて國民は、個人として尊重される」と書かれていて、歴史のある共同体の秩序の中に生きてそれを次の世代にのこすという大切なことが無視され書かれていない。

 

日本の「家」は破壊されつつある。それは相続の問題によく現れている。『現行憲法』には、人権を歴史と傳統および共同体とのつながりで捉えるという思想がきわめて希薄である。それどころか『現行憲法』は、「國家のみならず家族・家庭は人権の敵だ」とする考え方が生まれる土壌となった。そして現実に家庭と國家の崩壊が起こりつつある。

 

「基本的人権の尊重」という原理によって本当に戦後日本の國民一人一人の人権が尊重され守られて来たかというと決してそうではない。むしろ國民の人権が侵害され、教育は荒廃し、犯罪は増加し、國民の共生が著しく損なわれてきた。

 

「人権尊重・個の尊重」を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うことになる。それは、今日のわが國の現象を見れば明らかである。

 

今日の日本の教育荒廃・家庭崩壊・凶悪犯罪の増加の根本原因は、「自分さえよければ他人はどうなっても構わない」という観念が蔓延しているところにある。これは「個の尊重」「人権尊重」を絶対視して、共同体・家族・家庭と個人との共生を軽視してきた結果である。

 

「個人の権利」のみを強調する『現行占領憲法』の規定によって、祖先を敬い親に孝行するという日本國民道徳の基本が無視され忘却されている。個としての人間の権利の擁護・尊重の思想がかえって人権のみならず生命の安全すら危殆に瀕せしめる状況を生み出している。人権尊重の思想によって起ったフランス革命やロシア革命の後、それらの國民の人権が蹂躙されたのと同じである。

人権尊重・人権擁護と國防・治安維持とは全く相対立するものだとして、戦後半世紀以上にわたって、國防や治安維持のための有効な施策が講じられて来なかった。その結果として、北朝鮮による我が國民拉致を未然に防止できなかったという最大の人権侵害の悲劇も起った。また、人権尊重ということを目標として政治運動によって学校長など公教育関係者が自殺に追い込まれるというもっとも悲惨な人権侵害が起こった。

 

戦後日本は「國家は人権擁護の敵である」という思想に支配されてきた。そして國家以前に人権があるのだから、人権擁護のためには國家は窮極的には否定されるべきであるという思想が幅をきかして、欲望充足のため権利の濫用、他者の権利や共同体の安全を無視する「自由の濫用」となった。

 

戦後日本が「國家」という観念を極力否定して来たがゆえに、今日、「國民」という言葉よりも「市民」という言葉が使われることが多い。わが國民に「國民としての意識」がなくなり、國籍不明の「市民という意識」が幅を利かせ、國家に対する責任と義務と奉仕が否定されつつある。「市民」とは、國籍も祖先も歴史も傳統も喪失した人々のことにほかならない。つまり「非國民」である。

 

 國民意識の喪失とは歴史と傳統の喪失と同意義である。國民意識は、國の傳統・歴史・形・共通の規範を認識している。傳統・歴史・形・共通の規範(道義精神)の中で人権・自由が真に生かされる。傳統・歴史・形・共通の規範を欠いた裸の人間の権利とは欲望の充足であるに過ぎない。

 

真に國民の自由と権利を尊重するためには、人権とは何か、人権擁護とは如何なることなのかを、考え直すべきである。國民の自由や権利は尊重されなければならないが、権利の乱用を防止し、他人の権利の尊重・他者との共生や公共の福祉・共同体の維持と正しく調和させなければならない。

 

 『現行占領憲法』の履き違えた「平和論」と誤った「人権思想」が、今日の混迷の根本原因である。わが國を弱体化せんとして押し付けられた『亡國憲法』・偏向教育・低俗にして偏向したマスコミの三つが、今日の凄まじいまでの道義道徳の頽廃・人権侵害・人命軽視の元凶である。

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