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2016年11月28日 (月)

日本の宗教精神の寛容性

 

 中東やヨーロッパの歴史を見ると宗教はもっとも非寛容であり、度々宗教戦争が繰り返されている。

 

 日本においてはその宗教ですら実に寛容であって、天皇を祭主と仰ぐ日本固有の信仰(神道)は外来仏教を受け容れて融合している。しかも皇室の祭祀を拝しても明らかなように、日本固有の信仰は形を変えずほぼ古代のままに継承され生き続けている。これは世界宗教史上においても希有な現象である。

 

 日本人の人生観・世界観の基本に、天と地への崇敬の心言い換えれば天神(天の神)と地祇(地の霊)に対する崇敬の心がある。そしてその祭り主が天皇である。

 

 日本民族は古代において儒教・仏教を受容し、近代において欧米文化を取り入れた。しかしその中で神道と名付けられた日本伝統信仰を保持してきた。そして今日においても伊勢の神宮をはじめとした全国の神社への崇敬心は堅固なものがある。日本民族は、伝統信仰を中核に置いて外来文化を自家薬籠中のものとした。むしろ日本民族は仏教や儒教の表現を借りて日本独自の精神を表現したと言っていい。

 

 このことについて柳田國男氏は「我々の固有信仰は、国の団結の大いなる必要に応じて、次第にその寛容の度を加へ、内外多くの神の並立両存を可能ならしめるほど至って協調しやすい素質をはじめから具へて居たものと、推測し得られる。…此点は、独り国内各地の神々の御間だけでなく、海を渡って遥々と送られて来た、新古の宗教に就いても同じ事が考へられる。…国民の中に人の祭り拝む神を、承認しようといふ態度は古くからあったのである。」(『参詣と参拝』)と論じておられる。

 

 日本民族の宗教的特質は、諸々の神々を崇拝の対象としたところにある。日本神話を読むと、日本人は人間が不可思議と思ったり偉大なる存在だと思ったものは全て神として拝み崇敬した。こうした神々を八百万の神という。

 

 日本が信仰共同体を形成するに際して、異なる土地の人々が崇め敬い祭っていた神を迎え入れ、同じように祭るようになった。他人の拝む対象(神)を否定する事なく、八百万の神として受け入れた。狂暴にして他者に害を及ぼすと見られるような神をもこれを崇敬し祭ることによって人間に恩恵を施す神に転換させてしまう。こうした日本民族の宗教的柔軟性・無限包容力が、外来の宗教をも素直に受け入れた素地なのである。

 

 和辻哲郎氏は、日本の伝統信仰の包容性について、次のように論じておられる。「祭祀も祭祀を司どる者も、無限に深い神秘の発現しきたる通路として、神聖性を帯びてくる。そうしてその神聖性のゆえに神々として崇められたのである。しかし無限に深い神秘そのものは、決して限定せられることのない背後の力として、神々を神々たらしめつつもそれ自身ついに神とせられることがなかった。…究極者は一切の有るところの神々の根源でありつつ、それ自身いかなる神でもない。言いかえれば神々の根源は決して神として有るものにはならないところのもの、すなわち神聖なる『無』である。それは根源的な一者を対象的に把握しなかったということを意味する。…絶対者を一定の神として対象化することは、実は絶対者を限定することにほかならない。それに反して絶対者を無限に流動する神聖性の母体としてあくまでも無限定にとどめたところに、原始人の素直な、私のない、天真の大きさがある。それはやがて、より進んだ宗教的段階に到達するとともに、あらゆる世界宗教に対する自由寛容な受容性として、われわれの宗教史の特殊な性格を形成するに至るのである」(『日本倫理思想史』)。

 

 日本の伝統信仰の中心行事である祭祀は神聖なる行事として尊ばれ、祭り主(祭祀の執行者)も神聖なる存在として崇められた。その祭祀の対象は無限定の存在であり、無限包容力を有する存在である。つまり日本民族は人間が不可思議と思ったり偉大なる存在だと思ったものは全て神として拝み崇敬した。言い換えると祭祀のおいては、その対象を有る一定の神として限定的に把握しなかったのである。太古日本人のこうした信仰的態度が、後世日本民族が外来宗教を自由寛容に包摂した原因であるということである。

 

 本居宣長は「何事もみな神の仕業にて、世中にわろき事共あるも、みな悪神のしわざに候へば、儒・仏・老(注・老子のこと)などと申す道の出来たるも神のしわざ、…儒も仏も老も、みなひろくいへば其時々の神也」(『鈴屋答問録』)と述べている。日本伝統信仰のこのような驚くべき大らかな神観念が外来宗教受容の原点であろう。

 

 日本民族の神を祭る心は、宗教的ドグマや教条によるのではない。ただただ霊妙なる存在に驚き崇敬する心から発している。驚くべき存在・霊妙なる存在に対する崇敬の念が神を祭る心なのである。

 

 正月には多くの人々が神社に参拝する。これは神主に教義を聴きに行くのではない。驚くべき存在・霊妙なる存在・畏敬すべき存在たる神を拝みに行くのである。だからある種の偶像を作ったり絵を描いたりしてそれを礼拝の対象とすることはなかった。太陽を崇敬する心が太陽を反射する鏡を拝んだのである。日本人の多くは、お彼岸にはお寺に行く。これも坊さんの説教を聴きに行くのではない。お寺にある先祖のお墓にお参りに行くのである。

 

 天皇への崇敬の心もそういう自然な心であった。日本民族の本然の心はあくまでも「大君は神にしませば…」という素朴な信仰であった。こういう心が日本人の尊皇心の原点であって、儒教の大義名分論や仏教の金輪大王の思想はそれを理論的・合理的に表現したものである。つまり純粋なる天皇崇敬の心を外来の思想によって理論的に体系化したと言えよう。

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