« 千駄木庵日乗十一月二十五日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月二十六日 »

2016年11月26日 (土)

神道系新宗教と維新運動

明治の藩閥政権時代から政党政治へ移行した大正時代に、いはゆる大正デモクラシーの気風が流行した。國際的には第一次大戦が勃発し、ロシア革命が成功し、コミンテルンが活動しはじめ、社會主義が日本でも大きな影響力を持ってきた。そして、米騒動、大ストライキなどが頻発した。

 

資本主義体制を打倒するのみならず、天皇中心の日本國體を否定する社會主義革命思想がわが國に流入してきた。これに反発して、國體を護りつつ社會の変革を目指すところの日本的変革運動即ち維新運動も活発化した。

 

維新勢力は、社會主義革命に反対すると共に、欧米列強の覇権主義にも反対した。さうした維新運動の思想的・精神的基盤は、いふまでもなく日本傳統精神=神道精神である。大正末期から昭和十年代にかけてのいはゆる昭和維新運動は、幕末に國際危機を感じた尊王攘夷派と同様に、広義の「天皇絶対思想」「神道思想」「神國思想」を思想的基盤とした。そこで、昭和初期に登場した神道系新宗教に注目しなければならない。それは「皇道大本」とそれに続く「生長の家」である。

 

葦津珍彦氏は次のやうに論じてゐる。

「黒龍會の内田良平は…青年時代からユニークで熱烈な神道者だった。…政治上の戦闘をする時には、キリスト者でも仏教徒でも同一の同志として協力した。…政党として結成した大日本生産党では、内田総裁はその國策私案に『神祇官の設立』を明白公然とかかげたし、かれが門下の党員に対して、神道人たる事を要求したのは明らかだが、その神道教義教學については明確詳細な統一的教義論を公表してゐない。…内田その人の神道は、何であったか。それは、皇道大本教の出口王仁三郎と、全的に一致する精神信条であり、出口こそが、内田にとってもっとも深い『心の友』であったのは、門人一同がみとめてゐる。出口王仁三郎は、帝國政府の『國家神道』には反対者であって、痛烈な弾圧をうけた。内田は、晩年で病床にあったが、懸命の筆をとって、皇道大本教を支援し、政府に対する抗議をアピールした。内田の抗議論文は、発禁没収されたが(昭和十一年三月)、内田は死にいたるまで『心の友』出口王仁三郎を支援しつづけた。出口全集の解説者は、皇道大本教が右翼の内田良平と協力して設立した昭和神聖會こそは、昭和初期の右翼が群小集団にすぎなかった中で、ただ独り卓然として抜群の大衆機関誌を発行し、絶大な大衆動員力を有する右翼ファッショの最大組織であったとの事実を、はっきりとみとめてゐる。戦後の大本教については、ここには論及しない。しかし戦前において、帝國政府から、もっとも苛烈な弾圧を蒙ってゐた時代の皇道大本教といふものは、國際的にも右翼先頭者の代表と公認されてゐる内田良平と、もっとも深く心情的に結合した神道思想であった事実は、十分に注目されるべきである。世にいはゆる右翼ファッショの神道思想は、帝國政府の法令に基く神道──内務省神社局の國家神道の思想的敵対者であったし、警察権力は、これを犯罪と断定した。この右翼流の神道思想と政府の國家神道との対決と、その戦ひと交錯とを無視しては政府の『國家神道が何であったか』は分らない。」(『國家神道とは何だったのか』)

 

これは、重大な指摘である。昭和維新運動における根本思想は神道であり、しかもそれはいはゆる宗教性を除去した「官製の國家神道」ではなく、「皇道大本」などの在野の神道思想であった。

 

「皇道大本」の『教旨』には、「神は萬物普遍の靈にして人は天地経綸の主体なり。神人合一してここに無限の神徳を発揮す」とある。萬物普遍の靈とは宇宙の主宰神といふことであり、記紀に記されてゐる「天之御中主神」(大本では艮の大金神・國之常立神とも称した)の御事とするのである。

 

つまり、「皇道大本」は、非宗教を旨とする「國家神道」が軽視した造化の三神とりわけ天之御中主神を根本神として崇敬した。そして、維新運動と相協力して、日本の「立て替へ立て直し」の実際運動を展開した。

 

「皇道大本」は、当時の維新運動と協力して政治運動を開始し、昭和九年七月二十二日、「昭和神聖會」が結成され九段の軍人會館において発會式が行はれた。「昭和神聖會」の統管には出口王仁三郎が就任し、副統管には維新運動の指導者・内田良平大日本生産党総裁と出口王仁三郎の娘婿で大本最高幹部の出口宇知麿が就任した。

 

その『声明』には、「方今國際情勢愈々紛糾し、皇國日本の前途に重大なる危機を孕み、…依って肇國皇道の大精神を体して政治に経済に教育に一切を究明し、皇祖の神勅を奉戴し、皇業を翼賛し奉り、神州日本の美し國を招来せむと誠心奉公を誓ひ、茲に昭和神聖會を創り以て其目的を達成せむとす」と書かれてゐた。そして、皇道宣布運動、神社参拝奨励運動、ワシントン海軍軍縮条約廃棄運動、天皇機関説排撃運動を活発に展開した。

 

大教団と維新勢力が、思想・信条・國策はもとより組織・資金面などで提携協力し、維新運動・立て替へ立て直しの実際運動を開始したのである。体制側はこれを非常に恐れた。

 

昭和十年十二月八日から治安維持法違反・不敬罪容疑で「皇道大本大弾圧」が開始され、王仁三郎をはじめとして多くの幹部が投獄された。そして拷問による幹部の獄死・精神異常になる者が相次いだ。

 

大本弾圧の理由は、「大本は國體転覆の大逆教団」といふことであった。内務省警保局保安課の古賀強は、大本弾圧の理由を「大本教団は、絶対にわが國體とは相容れざる凶逆不逞の目的をもった教団であった…すなわち大本教団は、尊厳無比のわが國體を転覆して、彼王仁三郎をわが大日本帝國の統治者にたらしめんと企図しつつあった、不逞大逆の団体であったからである」と述べた。(『大本事件の真相について』─警察協會雑誌)

 

これは維新運動勢力と「皇道大本」とを離間させるための理由付けと見る人が多い。國體転覆をはかり自分が天皇になるなどと考へた宗教家および教団と、内田良平が深い契りを結ぶはずはないと小生は思ふ。

 

「皇道大本」弾圧後の昭和十年代には、谷口雅春の「生長の家」が在野の神道系教団として、天皇信仰・神國思想を説き大きな働きをした。

 

葦津珍彦氏は、「祖國日本の傳統にあこがれ『祖國を神國』として純粋に受け容れて行くのは、古くからの日本民族の美質でもあった。…反政府の維新運動を展開した右翼の『在野神道』の擡頭…この在野の神道が、いかに帝國政府の体制権力に反抗し、政府によって弾圧されながらも、社會的影響力を示して行ったか──この複雑な思想史の解明なくしては『國家神道とは何だったか』は分からない。」「五・一五のリーダーの一人、三上卓は今泉定助に深く師事した「神國思想者」だった。…神兵隊は、その隊員が、すべて『神國思想者』だった…いはゆる右翼維新神道であって、帝國政府の『國家神道』を蔑視し反対した。…二・二六事件…青年将校の多数は『神國思想』者である。その『神國思想』なるものは、前述した帝國政府の神社行政官の『國家神道』が、あくまでも世俗合理主義の思想であるのに全く相反して、ファナティックな非合理主義へのあこがれが強烈だった」と論じてをられる。(『國家神道とは何だったか』)

 

ともかく政府に管理された神社神道・國家神道は、戦前・戦中の政治変革・民族主義鼓吹に関しては、積極的な動きはなかった。しかし、祭祀を行なふといふ傳統を守ってきた。

考へて見れば、全國の神社の神官が先頭に立って一斉に國粋主義政治運動を展開するといふ事はやはり不自然なことだったのではないかと小生には思へる。神社神道はいはゆる政治運動・変革運動などとは同次元に立つべきものではないのかも知れない。この事はまだ小生には判断がつかない問題である。

 

葦津珍彦氏は、「昭和十六年の大東亜戦争で、人心が極度に緊張するとともに、在野の熱烈な『神國思想』が猛然として國民に間にひろまった。しかし『帝國政府の法令に基づく國家神道』の世俗合理主義的言論からは、國民の内心に感動を与へ、確信を与へるものは出て来なかった。当時の神道思想をもとめようとすれば、当然に明治十五年の『神社非宗教制度』を立てた國家神道以前の神道にさかのぼるか、宗教的教派神道及びそれから岐かれて成長して来た、神秘主義的神道、右翼在野神道──いづれにせよ『國家神道』の圏外に、その源泉をもとめるほかなかった」「宗教といふものは、靈感なくしては決して生じ得るものではない。靈感なき官僚や御用學者が共同謀議で創り得るものではない。仮にいかに巧みに『宗教的』文飾をほどこした経典を作ったとしても、人心の内面の感動をひきおこし得るものではない」と論じてをられる。(『國家神道とは何だったか』)

 

靈感・宗教的熱情に導かれた在野の宗教(神道系新宗教や日蓮主義)が多くの民衆の感動をひきおこした。

 

戦時中は、神道思想が先鋭化した。戦争に打ち勝つためにはかうしたことは止むを得ないことであった。思想の先鋭化は、戦ひに勝たんとする意志・國民的昂揚・國家的興奮がもたらしたものである。白村江の戦ひ・元寇・明治維新期にも、先鋭化した天皇神聖信仰が大いに興起した。それと同じである。大東亜戦争期だけのことではない。

 

戦後において、愛國運動・維新運動に大きな影響を与へた教団は生長の家である。皇道大本は萬教同根と云ひ、生長の家は萬教帰一と云ってゐるが、双方とも基本的には神道教団である。生長の家の宗教行事は主として神道祭式であるし、生長の家の本尊は住吉大神である。長崎の総本山は龍宮住吉本宮と称し、宇治の別格本山は宝蔵神社と称する。

 

戦後の愛國運動における谷口雅春及び生長の家の功績と影響は非常大きい。日本の傳統護持運動と共産革命防止運動を教団あげて展開した。谷口雅春の宗教思想・愛國思想に啓発された人は数多い。戦前の皇道大本の出口王仁三郎が内田良平と共に愛國運動を行ったやうに、谷口雅春も内田良平の系統をひく大東塾の影山正治と交流をもった。昭和四十五年の三島由紀夫の決起に参加した青年に生長の家の信者がゐた。今日、真正保守運動・民族運動に挺身してゐる人たちに生長の家出身者が非常に多い。

 

天皇尊崇の心・尊皇精神は日本傳統信仰=神道精神と一体である。萬葉時代以来、否もっと以前からの現御神信仰が今も変らず脈脈と生きてゐて、國家的危機に際會するともその精神は強烈に噴出し燃え上がる。今日の日本もまさにその時である。

|

« 千駄木庵日乗十一月二十五日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月二十六日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/64543535

この記事へのトラックバック一覧です: 神道系新宗教と維新運動:

« 千駄木庵日乗十一月二十五日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月二十六日 »