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2016年11月 7日 (月)

亀井静香氏の許し難い発言

亀井静香氏、石原慎太郎氏らは、十月二十日、靖国神社の徳川康久宮司に、戊辰戦争・西南戦争で「賊軍」とされた人々の御霊を、靖国神社に合祀するよう申し入れを行った。このことの是非については今日は論じない。

 

しかし、亀井静香氏は、『月刊日本』本年十月号において、「「昭和天皇は明治憲法下において、日本国と日本国民を救うことができるお立場でありながら、そうされなかった。大東亜戦争が始まる時、昭和天皇は日本が破滅的な状況へ向かうのをお止めにならなかった。また戦争が終わる時、昭和天皇は広島長崎への原爆投下とソ連参戦までご聖断を下されなかった。もっともっと悲惨な状況になる前に降伏することができたのではないか。そして戦いに敗れた後、勝者による戦争責任の追及が進む流れの中で、東京裁判に東条英機以下七人の首を差し出された。…こういう一連の問題について、今上陛下はご自身の経験がおありになるから、やはり天皇たるものはそういうことをやってはならぬ、という忸怩たる想いがおありになったのではないか」と語った。

 

空いた口がふさがらない。まことに許し難い発言だ。開戦前のアメリカによるわが国への圧迫は、①対日通商條約の一方的破棄(昭和十四年七月)②航空燃料の輸出禁止(昭和十五年七月)③屑鉄の輸出禁止(同年五月)④在米全日本資産の凍結(昭和十六年七月)⑤石油の全面禁輸(同年八月)といふものであり、まさに真綿で首を絞めることをして来たのである。

 

さらに、昭和十六年十一月二十六日、わが軍の仏印・支那大陸からの撤退、王精衛の南京国民政府及び満州国の否認、日独伊三国同盟の死文化を求める米国務長官コーデル・ハルの最後通牒=「ハル・ノート」を突き付けてきた。この「ハル・ノート」をについてパル判事は、「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも合衆国に対して戈をとって起ちあがったであろう」(『パル判決書』)と書いている。

 

わが国は、まさに『開戦の詔勅』に示されている通り「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ頻セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」といふ状況に立たされたのである。

 

佐藤優氏は、「日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に追い込まれていったのである。あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないか」(『日米開戦の真実』)と論じている。

 

対米英戦争がわが國の自存自衛の戦ひであったことは、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、米上院外交合同委員会で、一九五一年五月三日、「原料の供給を断ち切られたら、一千万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」と証言したことによっても明らかである。

 

対米英戦争の開戦は、アメリカのあまりに理不尽なる圧迫が原因となった実に以てやむを得ざる選択であって、東条英機首相が陛下の大御心を無視し国民の声も聞き入れず戦争に突っ走ったなどといふことは絶対にないのである。むしろ大東亜開戦を一億国民が双手を挙げて歓迎し歓喜したといふのが歴史の真実である。

 

また東條英機氏は、『東京裁判』において、キーナン首席検事の「その戦争を行はなければならない。行へといふのは裕仁天皇の意思であったか」との尋問に答へて東条氏は、「意思と反したかもしれませんが、とにかく私の進言、統帥部その他責任者の進言によってシブシブ御同意になったといふのが事実です。而して平和御愛好の御精神は最後の一瞬に至るまで陛下は御希望を持っておられました。戦争になっても然り、その御意思の明確になっておりますのは、昭和十六年十二月八日の御詔勅のうちに明確にその文句が加えられております。しかもそれは陛下の御希望によって政府の責任において入れた言葉です。それはまことに己むを得ざるものであり、朕の意思にあらずといふ意味の御言葉であります」と答へてゐる。

 

さらにウエップ裁判長の「証人以外の何人が天皇に対し米英と宣戦するようにといふことを進言したか」との尋問に対して東条氏は「自衛上どうしても、戦争をやらねばならないといふ結論に達したのであるが、最後の決定について、私と両総長(注・杉山参謀総長と永野軍令部総長)が、直接、天皇陛下にお目にかかって申し上げた。私と両総長は『日本の自存を全うするため、平たくいへば戦争以外に生きる道はありません』と申し上げた。しかして御嘉納をいただいたのです」と答へてゐる。

 

東条英機氏はさらに『東京裁判』の陳述において要旨次のやうに述べた。「日本は米、英、オランダ三国によって戦争の挑発に追ひつめられ自衛のため開戦に至った。天皇には何ら責任はない。その理由は、天皇は輔弼の上奏に対して、拒否権を発動されぬ立場であるために、実際政治とは具体的な関係がなかった。日本の大東亜政策を侵略と決めつけているが、世界におけるアジア大陸の侵略者こそ米英など白人であり、これを日本が解放せずして、誰が行えたであろう。対米開戦は、謀略的かつ侵略的目的のために、長年かかって計画したのではない。昭和十七年十二月一日の御前会議において、やむなく開戦を、初めて決定したのである」と。

 

終戦時に関する発言も断じて許し難い。昨日も書いたが、昭和天皇は、大東亜戦争末期、広島と長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦し、愈々以って本土決戦しか戦う道がなくなった時、「自分の身はどうなってもいい。ただ民を救いたい」との大御心から、決然として『ポツダム宣言』受諾の御聖断を下された。あのまま戦争を続けていたなら、本土が戦場となり、わが国土は文字通り焦土と化し、大多数の日本国民が死に絶えたであろう。それを救われたのが昭和天皇なのである。この尊い事実を我々日本国民は永遠に忘れてはならない。

原爆が二発落とされ、ソ連が参戦した後でさえ、「終戦」に猛然と反対する勢力が多かったのにもかかわらず、終戦を決断されたのはまさにご英断と言うほかはない。「昭和天皇がもっと早く終戦の御聖断を下されていたら、広島・長崎に原爆は落とされなかった」などというのは妄説である。原爆を落とし、無辜の民を殺戮したのはアメリカである。また『日ソ不可侵条約』を一方的に破棄して、満洲、南樺太全千島。朝鮮半島北部を侵略したのはソ連である。

 

こうした歴史の真実を亀井氏は知らないのか。知っていながら敢てあのようなことを言ったのか。いづれにしても、亀井氏の発言は断じて許し難い。このような人物に、英霊が鎮まりまします靖国神社の御祭神について神社に対して「申し入れ」などをする資格ないと断言する。

 

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