« 千駄木庵日乗十一月十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月十二日 »

2016年11月12日 (土)

『大仙厓展』参観記

十月四日に参観した丸の内の出光美術館にて開催中の『大仙厓展』は、「笑いとユーモアを通して禅の教えをひろめたことで知られる江戸時代の禅僧・仙厓(せんがい1750-1837)。軽妙洒脱な作風を示す仙厓の作品は「禅画」の代表として、また最近では“かわいい”画としても人気を集めるようになっています。その書画作品は住持をつとめた博多の聖福寺や隠居所であった虚白院のある幻住庵以外では、出光美術館の初代館長出光佐三が蒐集したコレクションと、仙厓ゆかりの地にある福岡市美術館のコレクション、さらに九州大学文学部コレクション(中山森彦旧蔵)が質量ともにすぐれ、よく知られています。昭和61年(1986)に仙厓150年遠諱を記念して福岡市美術館で開催された展覧会以来、実に30年ぶりに東西の三大コレクションの名品が当館に勢揃いします。仙厓の生み出した禅画の世界、そして、人々に説いた禅の心にふれるまたとない機会です」との趣旨で開催された。(案内書)

 

仙厓義梵(せんがいぎぼん)は、臨済宗古月派に属する僧侶。19歳で僧門へ入り、禅修行の傍ら、40代後半頃から狩野派の絵師について習い絵を描き始めたという。

仙厓か描いたのは「禅画」と言うのだそうだが、ほとんどが黒墨一色で描かれた水墨画である。若い時は、狩野派に絵を習い、技巧的な山水画を描いていたのそうだが、老境に入り、簡素にして柔らかな画風になったという。今日の漫画に近いものも多数ある。しかし、味わい深い画風である。「禅画」には、絵画の余白スペースに、絵の内容と連動して仏教の教えに基づいた詩歌や文が描かれている。これを、「画賛」と言う。仙厓の「画賛」は禅の教えが分かりやすく示されている。仙厓が「笑いとユーモアを通して禅の教えをひろめたことで知られる江戸時代の禅僧」と言われる所以である。滑稽さが溢れる人物・動物の絵を見ると、つい笑ってしまう。そして見る者にやすらぎを与える。江戸時代の作品ではあるが、現代人にも共感を与える。だから、このような展覧会が開催されるのであろう。絵画は簡略化されており、書は草書が多いが、決して乱暴乱雑な作品ではない。味わいがある。筆と墨だけでよくこれだけの風景が仏像・人物画が描けるものと感心する。また楷書も展示されているが見事なものであった。

 

「書 養幻身」「自戒」「「観音画賛」「渡唐天神画賛」「坐禅蛙画賛」「指月布袋画賛」「一円相画賛」「「四天王寺額書」「宝満山碑文」「尾上心七七変化画賛」「七福神画賛」などが印象に残った。

面白いと思った「画賛」を紹介する。「七福神画賛」の「七福を一福にして大福茶」は、「福」と「服」とを掛詞にして「七福神を一服の絵に描いて大福茶にした」というのである。「伊勢海老画賛」の「ひげ長く腰曲る迄生き度くば職を扣(ひか)へて獨り寐をせよ」は、伊勢エビのように髭が長くなり腰が曲がるまで長生きをしたければ、食事と色事を節制せよという意である。「堪忍」の「気に入らぬ風もあろうに柳かな」は、柳の雪折れなしとことわざに近い。嫌なことでも大らかに受け流せという意であろう。「花見画賛」の「楽志みは花の下より鼻乃下」は「花見をしている人は、花よりも飲食を楽しんでいる」という意。「坐禅蛙画賛」の「坐禅して人が佛になるならば」は坐っている一匹の蛙を描き、ただ坐っているだけで仏になれるのなら蛙も仏になれるぞ、という意味であろう。「自戒」の「不尚豊侈 不問尊卑 不論座位 不談公事 不語人短」は、豊かさや贅沢を尊ばず、身分の尊卑を問わず、位や席順などに左右されず、公事を不必要な論じることなく、他人の短所を語るな、という意であろう。どれも含蓄のある言葉であり、人生の大事を優しい表現で語っている。

 

参観した後、心洗われる思いがした。出光興産は、創業家と経営陣が揉めているようであるが、双方とも、仙厓の禅画を深く味わうといいのではなかろうか。

|

« 千駄木庵日乗十一月十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月十二日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/64476390

この記事へのトラックバック一覧です: 『大仙厓展』参観記:

« 千駄木庵日乗十一月十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月十二日 »