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2016年11月17日 (木)

亀井静香氏は、警察庁・警視庁に対して、彌生神社の復活を申し入れるべし

 

亀井静香氏が靖国神社の御祭神について、靖国神社の「申し入れ」を行った。警察官僚であった亀井氏にはもっとやるべき事がある。

 

「靖国神社の神道祭式を廃止し無宗教の慰霊施設にしろ」という暴論がある。国のために命を捧げた人々に対して、神社祭式での慰霊をやめて無宗教の慰霊施設となってしまった先例がある。それは、千代田区の北の丸公園にある皇宮警察・警視庁・東京消防庁などの殉職者慰霊施設・彌生慰霊堂である。

 

彌生慰霊堂かつては彌生神社と言った。明治十八年十月に『彌生神社』として創建された。この名称は私の家の近くの本郷区(現文京区)向ヶ岡彌生町に創建されたことによるものという。以来、毎年、神式による合祀・慰霊祭を行ってきた。

 

しかし、戦後の「神道指令」により、神社を警視庁が管理し続けることができなくなってしまったために、昭和二十一年(一九四六)十月に元警視総監をはじめとする有志が奉賛会を結成し、昭和二十二年十月に現在地に遷座し、名称を『彌生廟』と改めた。そして奉賛會主催の慰霊祭という形に変化した。しかし、戦前・戦後を通じて神道祭式には変化はなかった。昭和四十七年、連合赤軍の浅間山荘事件で殉職した警察官の合祀祭も神道祭式で行われた。

 

ところが、昭和五十八年九月に名称を「彌生慰霊堂」に改称し、神式の慰霊祭からいわゆる“無宗教”形式の慰霊祭に変更してしまった。この変更について警視庁は「法律を守る立場にある警察としては、政教問題が取りざたされているときでもあり、どこからも文句のでない無宗教方式へ変更した」と説明した。

 

小生も何回か参拝しているが、社殿は神社建築に近いもので拝殿と本殿からなり、本殿は神明造の屋根であるが千木・堅魚がない。現在でも鞭懸(神明造の破風にある八本の棒)が残っている。しかし鳥居などは取り外されている。

 

東京都慰霊堂は、仏教施設であり、そこで行われる春秋の慰霊大法要には、都庁・都議會の幹部が公式に参列している。殉職警察官を神道祭式で慰霊しても何ら問題はない。殉職者への慰霊というきわめて重要な行事を、わが國伝統信仰たる神道祭式で行わないというのは、敬神崇祖というわが國の倫理精神の基本そして日本伝統信仰たる神道祭式を、警視庁が否定したということである。

 

小生は何度か、警察庁長官及び警視総監に対し、殉職警察官慰霊施設は日本伝統信仰に基づく慰霊すなわち神道祭祀に戻すべきであると要望している。また数年前、古賀俊昭都議も都議会本会議でこの問題を取り上げ、警視総監に要請を行った。しかし、いまだに実現していない。

 

「政教分離」とは一神教國家における特定の教団宗教と政治権力の結合による信教の自由の侵害を防ぐための<原則>であって、「國家及び自治体」と「宗教」とを全く無関係にするという<原則>ではない。

 

さらにいえば、わが國は建國以来天皇を中心とする祭祀國家であり信仰共同体である。祭祀共同体としての日本國家と神社神道の本来一体なのである。そしてそれは決して教団宗教を圧迫し否定することにならないことは、わが國の宗教史を見れは明々白々である。

 

國家民族のために一身を捧げた御霊を、わが國伝統祭式によって公的にお祭りし慰霊し顕彰し感謝の誠を捧げることが、「政教分離」の原則に違反するなどという批判は全く誤りである。

 

「無宗教」とは霊魂の否定であり道義の否定である。殉職警察官慰霊施設の無宗教化が、最近の警察官の道義精神希薄化・不祥事続発の原因の一つがある。

 

初代警視総監・川路利良の命日に当たる十月十三日に慰霊祭が無宗教形式で執行されるという。これもおかしい。川治利良は殉職者ではない。病死である。しかも、恩師・西郷隆盛を死地に追いやった忘恩の徒である。このような人物の命日は、殉職警察官・消防官の慰霊を行う日としてはふさわしくない。

 

亀井静香氏は、彌慰霊堂を彌生神社に戻し、神式でお祭りするように、警察庁・警視庁に「申し入れ」を行うべきである。

 

 

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