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2016年11月29日 (火)

この頃詠みし歌

目覚むれば甲斐の山々が雲をまとひ横たはりぬるを窓辺より見る

 

紅葉がおほふ山々を車窓より眺めつつ行く旅の楽しさ

 

部屋が揺れ目覚めてまた寝る晩秋の朝

 

三輪山も二上山も日の本のふるさとの山 恋しかりけり

 

遠く住む友のことをば思ひつつ二上山を幻に見る

 

行き行きて辿り着きたる丘の上の施設の小部屋に母はゐませり

 

雪降るとニュースが伝へる夜の更けはさみしさつのる一人居の部屋

 

静かなる心のままに歌を詠むがよろしと思ふ雪降れる夜は

 

人々が急ぎ行く道をゆっくりと歩み行くなり雪にぬれつつ

 

かつて行きし島の花園思ひ出す秋深き日の雪眺めつつ

 

友どちと語らひにつつ鍋つつく水道橋の夕暮れの酒場

 

年老いし人の後姿(うしろで)見つつゐて健やかにしも生きませと祈る

 

人はみな老いて死にゆくさだめとは知りてはをれど悲しかりけり

 

生老病死この四文字が身にしみて思はれしかなこの十年は

 

父も母も老いと病に苦しめるこの十年は悲しかりけり

 

雨の降る夜に一人でバスを待ち何となく心しほれつつをり

 

朝日影黄葉せる樹木を照らしゐてその耀ひの眩しかりけり

 

とことはの命尊び祈るなりわが母上の健やかな日々

 

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千駄木庵日乗十一月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆、資料の整理。

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2016年11月28日 (月)

『加瀬英明先生講演会』における「歴史転換点を読み取る」と題する講演内容

七月二十一日に開催された『加瀬英明先生講演会』における「歴史転換点を読み取る」と題する加瀬英明氏の講演内容は次の通り。

「私の父加瀬俊一は、外務省北米課長として、日米交渉を指揮した。昭和二十年十月、私が疎開先から帰京すると、東京は一面の焼野原だった。信濃町に父が祖母と住んでいた。父は、総司令部との交渉で忙しくしていた。私は国民学校三年生だった。

 

父は、九月二日に連合国軍の戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印式に、重光葵外相の随員として赴いた。マッカーサーが傲然として立っていた。父は当時四十二歳。東久邇宮成彦王が総理で、午前三時に全権団全員が総理官邸に集合。水杯をして出発。伊能忠敬を祖先に持つ祖母は、降伏調印式に赴く父に『ここに坐れ』と言って父を正座させ、『降伏の使いになるために育てたのではない。家の恥だから行くな』と言った。父が母にいくら説明しても許さない。

 

私は父に『どういう思いで降伏調印式に立ったのか』と聞いた。父は『戦争には敗れだが、日本は数百年間奴隷になっていたアジア民族を解放した。戦争に勝ったという思いで立った』と言った。重光全権も同じ思いで甲板に踏んだ筈だ。父は燕尾服にシルクハット。梅津参謀総長は略服を着た。重光全権は天皇陛下のお使いとして艦上に立った。私は、ミズーリ艦上に立った時の父の思いを自分の思いとして今日までやって来た。

 

ドナルド・トランプが共和党の大統領候補に指名された。日本の外務省はヒラリーが勝利すると言っている。自衛隊の心ある人は、トランプの勝利を祈っている。ヒラリーのアメリカにおけるイメージは舛添と同じ。嘘つき、金にキタナイというイメージ。二人のいずれが勝ったとしても、アメリカは世界秩序を守ることに疲れている。ユダヤ人のサンダースは社会主義者。アメリカを北欧型の福祉国家にしようとしている。ヒラリーが大統領になっても、アメリカは内にこもって韓国や日本を守ることはない。

 

米軍引き揚げはそんなに簡単にはできない。十万人を何処に移すのか。トランプが決断しても、一期目で出来ることではない。トランプはヒラリーよりも激しく中国批判をしている。『安物でアメリカ市場を埋め尽くし、アメリカの職を奪ってきた』と言っている。トランプは中国と取引するのではないか。台湾を守る決意もない。尖閣を守るためにアメリカは軍を出すはずがない。

 

『サンフランシスコ講和条約』『日米安保条約』調印の直前にダレス特使が来日。ダレスは『日本は三十万の軍を持つべし』と言った。吉田茂は『経済復興できないので軍を持つことは出来ぬ』と反対。占領軍は七日間ででっち上げた『日本国憲法』案を白金で手渡し、吉田外相に『これを受け入れなければ天皇の一身の安全を保障できない』と言った。

 

『日本国憲法』の『前文』は『アメリカ独立宣言』『カイロ宣言』『大西洋憲章』をごっちゃにしたもの。ジェファーソンは広大な農園を持ち、奴隷を使っていた。ジェファーソンは奴隷の悲鳴を聞きながら『アメリカ独立宣言』を書いた。『日本国憲法』の『前文』は滅茶苦茶。

 

岸信介は三年半巣鴨にいた。岸信介は出獄後すぐに改憲運動を始めた。『日米安保』を対等なものにしたい、日本を独立国にしたいと考えていた。吉田の経済優先、防衛軽視は今まで続いている。左翼の安保条約反対はいい加減。岸総理が辞めても反対運動を続けるべきだったが岸総理が辞めたら反対運動は終った。今の憲法は憲法を装った不平等条約」。

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千駄木庵日乗十一月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

午後六時より、湯島にて、先輩同志と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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日本の宗教精神の寛容性

 

 中東やヨーロッパの歴史を見ると宗教はもっとも非寛容であり、度々宗教戦争が繰り返されている。

 

 日本においてはその宗教ですら実に寛容であって、天皇を祭主と仰ぐ日本固有の信仰(神道)は外来仏教を受け容れて融合している。しかも皇室の祭祀を拝しても明らかなように、日本固有の信仰は形を変えずほぼ古代のままに継承され生き続けている。これは世界宗教史上においても希有な現象である。

 

 日本人の人生観・世界観の基本に、天と地への崇敬の心言い換えれば天神(天の神)と地祇(地の霊)に対する崇敬の心がある。そしてその祭り主が天皇である。

 

 日本民族は古代において儒教・仏教を受容し、近代において欧米文化を取り入れた。しかしその中で神道と名付けられた日本伝統信仰を保持してきた。そして今日においても伊勢の神宮をはじめとした全国の神社への崇敬心は堅固なものがある。日本民族は、伝統信仰を中核に置いて外来文化を自家薬籠中のものとした。むしろ日本民族は仏教や儒教の表現を借りて日本独自の精神を表現したと言っていい。

 

 このことについて柳田國男氏は「我々の固有信仰は、国の団結の大いなる必要に応じて、次第にその寛容の度を加へ、内外多くの神の並立両存を可能ならしめるほど至って協調しやすい素質をはじめから具へて居たものと、推測し得られる。…此点は、独り国内各地の神々の御間だけでなく、海を渡って遥々と送られて来た、新古の宗教に就いても同じ事が考へられる。…国民の中に人の祭り拝む神を、承認しようといふ態度は古くからあったのである。」(『参詣と参拝』)と論じておられる。

 

 日本民族の宗教的特質は、諸々の神々を崇拝の対象としたところにある。日本神話を読むと、日本人は人間が不可思議と思ったり偉大なる存在だと思ったものは全て神として拝み崇敬した。こうした神々を八百万の神という。

 

 日本が信仰共同体を形成するに際して、異なる土地の人々が崇め敬い祭っていた神を迎え入れ、同じように祭るようになった。他人の拝む対象(神)を否定する事なく、八百万の神として受け入れた。狂暴にして他者に害を及ぼすと見られるような神をもこれを崇敬し祭ることによって人間に恩恵を施す神に転換させてしまう。こうした日本民族の宗教的柔軟性・無限包容力が、外来の宗教をも素直に受け入れた素地なのである。

 

 和辻哲郎氏は、日本の伝統信仰の包容性について、次のように論じておられる。「祭祀も祭祀を司どる者も、無限に深い神秘の発現しきたる通路として、神聖性を帯びてくる。そうしてその神聖性のゆえに神々として崇められたのである。しかし無限に深い神秘そのものは、決して限定せられることのない背後の力として、神々を神々たらしめつつもそれ自身ついに神とせられることがなかった。…究極者は一切の有るところの神々の根源でありつつ、それ自身いかなる神でもない。言いかえれば神々の根源は決して神として有るものにはならないところのもの、すなわち神聖なる『無』である。それは根源的な一者を対象的に把握しなかったということを意味する。…絶対者を一定の神として対象化することは、実は絶対者を限定することにほかならない。それに反して絶対者を無限に流動する神聖性の母体としてあくまでも無限定にとどめたところに、原始人の素直な、私のない、天真の大きさがある。それはやがて、より進んだ宗教的段階に到達するとともに、あらゆる世界宗教に対する自由寛容な受容性として、われわれの宗教史の特殊な性格を形成するに至るのである」(『日本倫理思想史』)。

 

 日本の伝統信仰の中心行事である祭祀は神聖なる行事として尊ばれ、祭り主(祭祀の執行者)も神聖なる存在として崇められた。その祭祀の対象は無限定の存在であり、無限包容力を有する存在である。つまり日本民族は人間が不可思議と思ったり偉大なる存在だと思ったものは全て神として拝み崇敬した。言い換えると祭祀のおいては、その対象を有る一定の神として限定的に把握しなかったのである。太古日本人のこうした信仰的態度が、後世日本民族が外来宗教を自由寛容に包摂した原因であるということである。

 

 本居宣長は「何事もみな神の仕業にて、世中にわろき事共あるも、みな悪神のしわざに候へば、儒・仏・老(注・老子のこと)などと申す道の出来たるも神のしわざ、…儒も仏も老も、みなひろくいへば其時々の神也」(『鈴屋答問録』)と述べている。日本伝統信仰のこのような驚くべき大らかな神観念が外来宗教受容の原点であろう。

 

 日本民族の神を祭る心は、宗教的ドグマや教条によるのではない。ただただ霊妙なる存在に驚き崇敬する心から発している。驚くべき存在・霊妙なる存在に対する崇敬の念が神を祭る心なのである。

 

 正月には多くの人々が神社に参拝する。これは神主に教義を聴きに行くのではない。驚くべき存在・霊妙なる存在・畏敬すべき存在たる神を拝みに行くのである。だからある種の偶像を作ったり絵を描いたりしてそれを礼拝の対象とすることはなかった。太陽を崇敬する心が太陽を反射する鏡を拝んだのである。日本人の多くは、お彼岸にはお寺に行く。これも坊さんの説教を聴きに行くのではない。お寺にある先祖のお墓にお参りに行くのである。

 

 天皇への崇敬の心もそういう自然な心であった。日本民族の本然の心はあくまでも「大君は神にしませば…」という素朴な信仰であった。こういう心が日本人の尊皇心の原点であって、儒教の大義名分論や仏教の金輪大王の思想はそれを理論的・合理的に表現したものである。つまり純粋なる天皇崇敬の心を外来の思想によって理論的に体系化したと言えよう。

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千駄木庵日乗十一月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。有門大輔氏が主催者挨拶。小生が「明治維新の靖国神社」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年11月27日 (日)

祖霊崇拝と自然信仰が祭祀共同体国家日本の土台である

  日本民族は古来、祖靈と自然を神と崇め、祭って来た。わが國の傳統信仰の祖靈崇拝と自然崇拝が、天皇を中心とする信仰共同體國家日本の土台、言い換えれば日本國體の根幹を成している。そしてそれは、國民道徳・道義精神の根幹でもある。

 

 わが國の神々の中で、最尊最貴の神として信仰され崇められている神であらせられる天照大神は、御皇室の祖先神であると共に、自然神である太陽神である。

 

 稲作生活を営んで来た日本人は、太陽・山・海・川など大自然の恵みの中に生きて来たので、自然を神と崇めた。また、祖先から稲の種と水田と農耕技術という恵み祖先から傳えられたので、祖先に感謝する思いが強かった。 

 

 『日本書紀』に、天照大神は、邇邇藝命の天孫降臨に際し、「吾が高天原に所御(きこしめ)す齋庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以て、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と命令されたと記されている。これは、わが國の稲作(稲の種・水田・農耕技術)が天来のものであることを示している。と共に、日本民族の生活の基本である稲作が、太陽の恵みと祖先から傳えられた農耕技術によって支えられていることを示している。

 

 皇祖神と太陽神が一體であるということは、わが民族の傳統信仰が祖靈崇拝と自然崇拝であることを端的に示している。これを<敬神崇祖>という。

 

 日本民族は、神に対して常に祭りを行ってきた。「まつり」は、日本民族の精神傳統・日本文化の原点である。「まつる」という言葉の原義は、「お側で奉仕し服従する」「何でも仰せ事があれば承りその通り行う」「ものを献上する」「ものを奉る」というほどの意であるという。

 

 何のために、神のお側で奉仕し、神にものを献上するのかと言うと、神に靈力を発揮して頂くためであるという。神の御前に献上する「もの」は単なる「物質」ではなく、祭りを行う者たちの<まごころの結晶>であり<象徴>である。これを「神饌」という。

 

 天照大神が邇邇藝命に御命令になった米作りの成果として献上される米は、「神饌」の代表的存在である。神饌を神に献上することが「まつろう」ということである。天つ神の命令をそのまま命令通りに行っていることを「まつる」という。

 

 天皇が行われる祭祀はまさに天つ神の命令をそのまま命令通りに行っていることを御報告申し上げる重要なみ祭りなのである。

 

 このように、<敬神崇祖>というわが國の國民道徳の基本は、神學・教義という<抽象概念>として継承されて来なかった。それは、上は天皇から下万民に至る日本民族の生活の中の<神祭り><祭祀>という行事によって、古代より今日まで傳えられて来た。靖國神社の戦没者への祭祀は、そうした古来よりの日本民族の道義精神の典型である。

 

 「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強くそして盛んに行われている信仰行事である。國のために身命を捧げた人々の御靈を慰靈し鎮魂するのは、日本國の傳統信仰たる神社祭式によるのがあるべき姿である。

 

 世界各國もその國のために命を捧げた人々の御靈を慰靈する方式はその國の國民の大多数が信じる宗教の儀式に依っている。

 

 祖國のために身を捧げた人々の御靈を靖國神社に神として祭りを行うことは、わが國の神話時代からの傳統に基づく慰靈・鎮魂である。一宗教法人・宗教団體による宗教行事ではない。

 

 靖國神社におけるわが國の傳統的神道祭式による慰靈・鎮魂ではなく、無宗教方式とか、他の教団宗教の方式による慰靈では、真の慰靈・鎮魂とはならない。

 

 小泉純一郎元総理はかつてテレビ討論で「英靈に対し、慰靈の方法は國によってそれぞれ違う。日本人の國民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯はすでに死刑という、現世で刑罰を受けている。」と言っていたが、全く正論である。

 

 日本民族は、古来、生の世界と死の世界が近く親しい世界であると信じ、隔絶した世界とは考えていない。そして、肉體の死は人の全存在の死滅ではなく、この世から身を隠したに過ぎないと信じて来た。これが古来からの日本人の死生觀である。

 

 大津皇子が死を賜った時の辞世の御歌に、

 

「ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(萬葉集巻三・四一六)

 

と歌われている。

 

 「(ももづたふ・磐余のイの枕詞)磐余の池(大和の香具山の近くにあったという池)に鳴いている鴨を今日を限りの見納めとして雲に隠れていくのであろうか」というほどの意である。 

 

 肉體の死を、雲に隠れると表現している。そして、死に直面しても何ら動揺する事なく、肉體は滅びても生命は永遠という信仰が余すところなく堂々と歌われている。日本の傳統信仰においては、死も誕生も永遠の命の流れの中の儀式であり節目であるに過ぎなかった。

 

 「死ぬ」という言葉の語源は、「しのに」「しおれる」「しなう」と同じであるという。

 

 同じく『萬葉集』に柿本人麻呂が壬申の乱の後荒れてしまった近江の都を訪れた時の歌に、

 

「淡海(あふみ)の海(み)夕波千鳥汝(な)が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」(二六六) 

 

 と歌われている。「近江の海(琵琶湖のこと)の夕波千鳥よ、お前が鳴くと心も打ちひしがれて昔が偲ばれることだなあ」というほどの意である。

 

 「心もしのに」の「しのに」は「くたくたになる」「しなってしまう」「力が抜けたような感じ」を表す言葉である。肉體がくたくたになることを、「しなう」「しのに」「しぬ」というのである。

 

 日本人の傳統信仰においては、肉體が死ぬとは、肉體が元気がなくなり萎れてしまうことを言うのであって、人間の全存在が滅亡してしまうということではないのである。だから亡くなった方の靈魂が、「草葉の影から生きている人を見守っている」という考えが生まれるのである。  

 

 他界に生きている死者の靈を祭り報恩感謝の誠を捧げると共に、現世に生きる者たちを護りたまえと祈ることがわが傳統信仰として今日まで生き続けているのである。こうした日本民族の傳統的死生觀から、よみがえりの信仰・七生報國の志が生まれてきたのである。また、仏教の輪廻転生思想受容の下地にもなった。

 

 先祖の靈魂は、お盆や正月や春秋のお彼岸に子孫のいる家へ帰って来るという信仰が今日にも年中行事として生きている。肉體の「死」を人間の全存在の消滅とは考えず、祖靈・死者の魂を身近に感じているのがわが民族の死生觀である。 

 

 ともかく、祖靈・死者の魂を尊びこれをお祭りすることは、日本民族の傳統信仰の基本であり、道義心・倫理觀の根幹である。わが國民は、鎮守の神を敬い、亡くなった祖先の御靈を崇め、その御加護を祈ってきた。これが我々日本民族の生活の土台であった。今日もこの「敬神崇祖」の精神が脈々と受け継崖ていることは、春秋のお彼岸やお盆にお墓参りが盛んに行われていること、そして全国各地で祭礼がおこなわれていることを見れば明白である。

 

 全国民が、靖國神社・護国神社に参拝し、戦没者の靈に対して感謝の誠を捧げ、國家の安泰と世界の平和を祈ることは、わが國の正しい発展のためにまことに大切な行事である信ずる。

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千駄木庵日乗十一月二十六日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、 『アジア問題懇話会』開催。冒頭、奥野誠亮氏の御霊に対し黙とうを捧げる。野嶋剛氏(ジャーナリスト、元朝日新聞台北支局長)が「台湾とは何か―日本に求められる台湾への新思考」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。先月のこの会には、奥野先生はお元気に出席しておられた。また事務局によると今回も出席通知をいただいていたという。心からご奥野誠亮先生の冥福をお祈り申し上げます。

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講演する野嶋氏

帰宅後は、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講義の準備、資料の整理。

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2016年11月26日 (土)

神道系新宗教と維新運動

明治の藩閥政権時代から政党政治へ移行した大正時代に、いはゆる大正デモクラシーの気風が流行した。國際的には第一次大戦が勃発し、ロシア革命が成功し、コミンテルンが活動しはじめ、社會主義が日本でも大きな影響力を持ってきた。そして、米騒動、大ストライキなどが頻発した。

 

資本主義体制を打倒するのみならず、天皇中心の日本國體を否定する社會主義革命思想がわが國に流入してきた。これに反発して、國體を護りつつ社會の変革を目指すところの日本的変革運動即ち維新運動も活発化した。

 

維新勢力は、社會主義革命に反対すると共に、欧米列強の覇権主義にも反対した。さうした維新運動の思想的・精神的基盤は、いふまでもなく日本傳統精神=神道精神である。大正末期から昭和十年代にかけてのいはゆる昭和維新運動は、幕末に國際危機を感じた尊王攘夷派と同様に、広義の「天皇絶対思想」「神道思想」「神國思想」を思想的基盤とした。そこで、昭和初期に登場した神道系新宗教に注目しなければならない。それは「皇道大本」とそれに続く「生長の家」である。

 

葦津珍彦氏は次のやうに論じてゐる。

「黒龍會の内田良平は…青年時代からユニークで熱烈な神道者だった。…政治上の戦闘をする時には、キリスト者でも仏教徒でも同一の同志として協力した。…政党として結成した大日本生産党では、内田総裁はその國策私案に『神祇官の設立』を明白公然とかかげたし、かれが門下の党員に対して、神道人たる事を要求したのは明らかだが、その神道教義教學については明確詳細な統一的教義論を公表してゐない。…内田その人の神道は、何であったか。それは、皇道大本教の出口王仁三郎と、全的に一致する精神信条であり、出口こそが、内田にとってもっとも深い『心の友』であったのは、門人一同がみとめてゐる。出口王仁三郎は、帝國政府の『國家神道』には反対者であって、痛烈な弾圧をうけた。内田は、晩年で病床にあったが、懸命の筆をとって、皇道大本教を支援し、政府に対する抗議をアピールした。内田の抗議論文は、発禁没収されたが(昭和十一年三月)、内田は死にいたるまで『心の友』出口王仁三郎を支援しつづけた。出口全集の解説者は、皇道大本教が右翼の内田良平と協力して設立した昭和神聖會こそは、昭和初期の右翼が群小集団にすぎなかった中で、ただ独り卓然として抜群の大衆機関誌を発行し、絶大な大衆動員力を有する右翼ファッショの最大組織であったとの事実を、はっきりとみとめてゐる。戦後の大本教については、ここには論及しない。しかし戦前において、帝國政府から、もっとも苛烈な弾圧を蒙ってゐた時代の皇道大本教といふものは、國際的にも右翼先頭者の代表と公認されてゐる内田良平と、もっとも深く心情的に結合した神道思想であった事実は、十分に注目されるべきである。世にいはゆる右翼ファッショの神道思想は、帝國政府の法令に基く神道──内務省神社局の國家神道の思想的敵対者であったし、警察権力は、これを犯罪と断定した。この右翼流の神道思想と政府の國家神道との対決と、その戦ひと交錯とを無視しては政府の『國家神道が何であったか』は分らない。」(『國家神道とは何だったのか』)

 

これは、重大な指摘である。昭和維新運動における根本思想は神道であり、しかもそれはいはゆる宗教性を除去した「官製の國家神道」ではなく、「皇道大本」などの在野の神道思想であった。

 

「皇道大本」の『教旨』には、「神は萬物普遍の靈にして人は天地経綸の主体なり。神人合一してここに無限の神徳を発揮す」とある。萬物普遍の靈とは宇宙の主宰神といふことであり、記紀に記されてゐる「天之御中主神」(大本では艮の大金神・國之常立神とも称した)の御事とするのである。

 

つまり、「皇道大本」は、非宗教を旨とする「國家神道」が軽視した造化の三神とりわけ天之御中主神を根本神として崇敬した。そして、維新運動と相協力して、日本の「立て替へ立て直し」の実際運動を展開した。

 

「皇道大本」は、当時の維新運動と協力して政治運動を開始し、昭和九年七月二十二日、「昭和神聖會」が結成され九段の軍人會館において発會式が行はれた。「昭和神聖會」の統管には出口王仁三郎が就任し、副統管には維新運動の指導者・内田良平大日本生産党総裁と出口王仁三郎の娘婿で大本最高幹部の出口宇知麿が就任した。

 

その『声明』には、「方今國際情勢愈々紛糾し、皇國日本の前途に重大なる危機を孕み、…依って肇國皇道の大精神を体して政治に経済に教育に一切を究明し、皇祖の神勅を奉戴し、皇業を翼賛し奉り、神州日本の美し國を招来せむと誠心奉公を誓ひ、茲に昭和神聖會を創り以て其目的を達成せむとす」と書かれてゐた。そして、皇道宣布運動、神社参拝奨励運動、ワシントン海軍軍縮条約廃棄運動、天皇機関説排撃運動を活発に展開した。

 

大教団と維新勢力が、思想・信条・國策はもとより組織・資金面などで提携協力し、維新運動・立て替へ立て直しの実際運動を開始したのである。体制側はこれを非常に恐れた。

 

昭和十年十二月八日から治安維持法違反・不敬罪容疑で「皇道大本大弾圧」が開始され、王仁三郎をはじめとして多くの幹部が投獄された。そして拷問による幹部の獄死・精神異常になる者が相次いだ。

 

大本弾圧の理由は、「大本は國體転覆の大逆教団」といふことであった。内務省警保局保安課の古賀強は、大本弾圧の理由を「大本教団は、絶対にわが國體とは相容れざる凶逆不逞の目的をもった教団であった…すなわち大本教団は、尊厳無比のわが國體を転覆して、彼王仁三郎をわが大日本帝國の統治者にたらしめんと企図しつつあった、不逞大逆の団体であったからである」と述べた。(『大本事件の真相について』─警察協會雑誌)

 

これは維新運動勢力と「皇道大本」とを離間させるための理由付けと見る人が多い。國體転覆をはかり自分が天皇になるなどと考へた宗教家および教団と、内田良平が深い契りを結ぶはずはないと小生は思ふ。

 

「皇道大本」弾圧後の昭和十年代には、谷口雅春の「生長の家」が在野の神道系教団として、天皇信仰・神國思想を説き大きな働きをした。

 

葦津珍彦氏は、「祖國日本の傳統にあこがれ『祖國を神國』として純粋に受け容れて行くのは、古くからの日本民族の美質でもあった。…反政府の維新運動を展開した右翼の『在野神道』の擡頭…この在野の神道が、いかに帝國政府の体制権力に反抗し、政府によって弾圧されながらも、社會的影響力を示して行ったか──この複雑な思想史の解明なくしては『國家神道とは何だったか』は分からない。」「五・一五のリーダーの一人、三上卓は今泉定助に深く師事した「神國思想者」だった。…神兵隊は、その隊員が、すべて『神國思想者』だった…いはゆる右翼維新神道であって、帝國政府の『國家神道』を蔑視し反対した。…二・二六事件…青年将校の多数は『神國思想』者である。その『神國思想』なるものは、前述した帝國政府の神社行政官の『國家神道』が、あくまでも世俗合理主義の思想であるのに全く相反して、ファナティックな非合理主義へのあこがれが強烈だった」と論じてをられる。(『國家神道とは何だったか』)

 

ともかく政府に管理された神社神道・國家神道は、戦前・戦中の政治変革・民族主義鼓吹に関しては、積極的な動きはなかった。しかし、祭祀を行なふといふ傳統を守ってきた。

考へて見れば、全國の神社の神官が先頭に立って一斉に國粋主義政治運動を展開するといふ事はやはり不自然なことだったのではないかと小生には思へる。神社神道はいはゆる政治運動・変革運動などとは同次元に立つべきものではないのかも知れない。この事はまだ小生には判断がつかない問題である。

 

葦津珍彦氏は、「昭和十六年の大東亜戦争で、人心が極度に緊張するとともに、在野の熱烈な『神國思想』が猛然として國民に間にひろまった。しかし『帝國政府の法令に基づく國家神道』の世俗合理主義的言論からは、國民の内心に感動を与へ、確信を与へるものは出て来なかった。当時の神道思想をもとめようとすれば、当然に明治十五年の『神社非宗教制度』を立てた國家神道以前の神道にさかのぼるか、宗教的教派神道及びそれから岐かれて成長して来た、神秘主義的神道、右翼在野神道──いづれにせよ『國家神道』の圏外に、その源泉をもとめるほかなかった」「宗教といふものは、靈感なくしては決して生じ得るものではない。靈感なき官僚や御用學者が共同謀議で創り得るものではない。仮にいかに巧みに『宗教的』文飾をほどこした経典を作ったとしても、人心の内面の感動をひきおこし得るものではない」と論じてをられる。(『國家神道とは何だったか』)

 

靈感・宗教的熱情に導かれた在野の宗教(神道系新宗教や日蓮主義)が多くの民衆の感動をひきおこした。

 

戦時中は、神道思想が先鋭化した。戦争に打ち勝つためにはかうしたことは止むを得ないことであった。思想の先鋭化は、戦ひに勝たんとする意志・國民的昂揚・國家的興奮がもたらしたものである。白村江の戦ひ・元寇・明治維新期にも、先鋭化した天皇神聖信仰が大いに興起した。それと同じである。大東亜戦争期だけのことではない。

 

戦後において、愛國運動・維新運動に大きな影響を与へた教団は生長の家である。皇道大本は萬教同根と云ひ、生長の家は萬教帰一と云ってゐるが、双方とも基本的には神道教団である。生長の家の宗教行事は主として神道祭式であるし、生長の家の本尊は住吉大神である。長崎の総本山は龍宮住吉本宮と称し、宇治の別格本山は宝蔵神社と称する。

 

戦後の愛國運動における谷口雅春及び生長の家の功績と影響は非常大きい。日本の傳統護持運動と共産革命防止運動を教団あげて展開した。谷口雅春の宗教思想・愛國思想に啓発された人は数多い。戦前の皇道大本の出口王仁三郎が内田良平と共に愛國運動を行ったやうに、谷口雅春も内田良平の系統をひく大東塾の影山正治と交流をもった。昭和四十五年の三島由紀夫の決起に参加した青年に生長の家の信者がゐた。今日、真正保守運動・民族運動に挺身してゐる人たちに生長の家出身者が非常に多い。

 

天皇尊崇の心・尊皇精神は日本傳統信仰=神道精神と一体である。萬葉時代以来、否もっと以前からの現御神信仰が今も変らず脈脈と生きてゐて、國家的危機に際會するともその精神は強烈に噴出し燃え上がる。今日の日本もまさにその時である。

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千駄木庵日乗十一月二十五日

午前は、諸雑務。

昼は、若き友人と懇談。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時より、水道橋にて、永年の同志二氏と懇談。談論風発。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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2016年11月25日 (金)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 十二月十四日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。初参加の課はテキストは無くても結構です。

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第六十八回日本の心を学ぶ會のお知らせ

第六十八回日本の心を学ぶ會

テーマ 尊皇思想と維新を考える

明治維新から一五〇年が経過しようとしています。

再来年が明治維新一五〇年という節目の年であり政府も記念事業を検討していると報道されました。今後、明治維新の意義と精神について取り上げられることが多くなると思われます。

明治維新は、欧米列強によるアジア侵略・植民地化、そしてわが國への軍事力を背景とした開國要求という危機を打開する為に、國體の明徴化即ち天皇を中心とした統一國家建設を目的として断行されました。

しかし、志士たちを國體明徴化即ち維新・倒幕へと動かした思想の淵源はペリー来航よりはるか以前にまでさかのぼります。

江戸時代の初期から國学や崎門学とよばれる「我が國本来の姿」を探求する学問が盛んになりました。これらの学問は、天皇を中心とした國家こそが我が國本来の姿であるという國體思想・尊皇精神を興起させ、「鎌倉幕府以来七百年の武家政権を打倒し、王政復古を實現する」という明治維新の精神へとつながったのです。國體思想・尊皇精神こそが志士たちの不屈の行動を支えたのであり、明治維新の原動力であったといえます。

明治維新から一五〇年が過ぎようとしている我が國は、幕末と同じく周辺國の脅威にさらされております。そして敗戦と占領により「我が國本来の姿」も忘れ去られつつあります。まさに内憂外患交々来たると言った状況です。

今回の勉強會では「我が國本来の姿」を取り戻すため尊皇思想と維新について考えてみたいと思います。

(今回は文京区民センターでの開催となります。文京シビックセンターではありません。お間違えないようご注意ください)

【日時】平成二十八年十一月二十七日 午後六時より

【場 所】文京区民センター 三階B會議室

東京都文京区春日四-一五-一四 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩一分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩一分JR総武線水道橋駅(東口)徒歩九分。

【講 演】

演題「明治維新と靖國神社」

講師 四宮正貴 四宮政治文化研究所代表

【司會者】林大悟

【参加費】資料代五〇〇円終了後、近隣で懇親會(三千円位の予定です)

【連絡先】渡邊昇 〇九〇-八七七〇-七三九五

この告知文は主催者が作為しました。

 

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『政治文化情報』平成二十八年十二月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十八年十二月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十八年十二月号(平成二十七年十一月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

亀井静香氏などによる靖國神社への申し入れについて

 

戦没者への祭祀は古来よりの日本民族の道義精神の典型

 

靖國神社創立の精神

 

「伝統的な温情と和解の心」はわが國史を貫いてゐる美風である

 

靖國神社の御祭神に関する政治家の「申し入れ」には違和感がある

 

亀井静香氏の歴史認識について

 

菅沼光弘氏(元公安調査庁調査第二部長)「日本は専守防衛だから適地を攻撃できるミサイルを持っていない。しかしこれでは守れない。攻撃こそ最大の防御」

 

中山恭子さん「西村眞悟氏のいない國会は軽い。『日本の心』を語る熱い政治家が國会にいないのは残念」

 

西村眞悟氏「『戦後体制』とは、天皇陛下の『詔勅』を封印していること」

 

高村正彦氏(自民党副総裁)「私は村山内閣の経済企画庁長官を務めた。村山氏が『自衛隊合憲・日米安保を肯定する』と言ったことに感激し、不毛な論議は終ったと思って来た。しかし最近不毛な論議が始まったことを悲しんでいる」

 

王逸舟氏(北京大学國際関係学院副院長)「共産党の基盤が変って来ている。汚職が深く広くはびこっている。所得の配分が課題」

 

宮本雄二氏(宮本アジア研究所代表/元中國大使)「経済が持続的に発展しない限り、中國の発展と中國共産党の統治はあり得ない」

 

エフィ・フィトリアニ氏(インドネシア大学國際関係学部長)「一帯一路の中國の提案は南シナ海での中國の行動があるので受け入れがたい」

 

柯隆氏(富士通総研主席研究員)「経済力だけが強化されても大國にはなれない。経済・軍事力・文明の力の三つがなければ大國にはなれない。今の中國は文明が発展していない。大國にも強國にもなれない」

 

肖耿氏(香港大学経済・工商管理学院教授、HSBC社外取締役)「経済圏構想である『一帯一路』は、習近平はお金を使ってインフラを作れば皆発展すると見ている。しかし軍事的戦略と誤解された。中國人も理解していない」

 

津上俊哉氏(津上工作室代表/元経産省通商政策局北東アジア課長)「中國は右と左に振り子のパターンが大きく振れる。中國は危なくなると危機回避のためにプラグマチズムの対応をする」

 

浅川公紀筑波学園大学名誉教授「エスタブリッシュメントの不公正への怒りがトランプにはある。大統領になってもそういう事は出てくる」

 

この頃詠みし歌

 

 

 

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2016年11月24日 (木)

維新と祭祀

 

現代日本の多くの人々は、愛國心を喪失し、自分さへ良ければ他人はどうなってもいいなどといふ利己的な精神に冒されたかに見える。麗しき日本の自然は破壊されつつあり、人間の命すら科學技術文明・機械文明によって蝕まれつつある。物質偏重・経済至上・科學技術万能の世界を訂正することが現代おいて求められてゐる。

 

 かうした文字通り「亡國的状況」を打開するには、日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るという信仰精神を回復しなければならない。日本及び日本國民の頽廃を救ふには、日本の伝統精神・宇宙観・神観・國家観・人間観を回復する以外に道はない。

 

 わが國の麗しい山河、かけがへのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。

 

 我が國は神話時代(神代)以来の伝統精神=日本國民の歩むべき道がある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。「神話の精神」への回帰によってこそ今を新たならしめることができる。

 

 日本伝統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然で自由で大らかな精神なのである。

 

 我々日本民族の祖先が有した人生や國家や世界や宇宙に対する思想精神は、誰かが説いた知識として、論者の頭の中で勝手につくりあげてしまった観念ではなかった。

 

 神とか罪悪に関する日本人の考へ方が、全て日本人の生活の中で行はれてゐる「祭祀」といふ實際の信仰行事と不可分的に生まれてきたやうに、抽象的な論理や教義として我が國伝統信仰の精神即ち神道を理解することはできない。

 

我が國伝統信仰は、「神話」と日本人の生活そのものの中に生きてゐる。わが國の伝統精神における最も大切な行事は「祭祀」である。「祭祀」は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神=神話の精神の實践である。「祭祀」が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となる。

 

 天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来てゐる。稲作生活から生まれた「神話の精神」を、「祭祀」といふ現實に生きた行事によって今日ただ今も継承し続けてきてをられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。天皇の「祭祀」によって、わが國の伝統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行はれてゐるのである。

 

「祭祀」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。日本最高の祭り主であらせられる天皇の無私の御精神を仰ぎ奉ることが、我が國の道義の中心である。天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。天皇中心の道義國家の本姿を回復する以外にない。

 

人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓ひ清め、祭りと直會(神と共に供へ物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

 なべての「本来の姿」を回復する行事が「祭祀」である。つまり『古事記』に示されてゐる「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が「祭祀」である。

 

 今日、混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」を回復することによって、危機的状況を打開することができるといふのが、我が國の伝統的な信仰である。實際、日本民族は、全國各地で毎日のやうに祭りを行ってゐる。それは信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められてゐる行事である。 

 

 維新変革も、罪穢を祓ひ清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。「今を神代へ」であり「高天原を地上へ」である。

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千駄木庵日乗十一月二十四日

午前は、諸雑務。

午後は、今夜行う講義の準備。

午後六時より、池袋の広瀬事務所にて、『呉竹会青年部勉強会』開催。藤本尚則著『巨人頭山満翁』を輪読、小生が講義。質疑応答。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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深谷隆司氏の文章を紹介します。

深谷隆司氏の文章を紹介します。

 

 

深谷隆司の言いたい放題第696

 「思うこと」

 

 史上最低の不人気候補といわれたアメリカ大統領選挙で、トランプ氏が次期大統領に決まった。暴言の数々で顰蹙を浴びたが、在日米軍の駐留経費の負担増やTPPからの脱退など、特に日本にとって不安材料が多い。

そんな中、安倍首相がいち早くトランプ氏と初の会談を持った。会談内要は明らかにされていないが、マンハッタンのトランプタワーの私邸で行われたことや、当選後初めて会った外国首脳が安倍首相だったことなど、新しい信頼関係を構築する上で、良いスタートであったと思う。

 鳥越俊太郎氏は「駆けつけて会うのは、植民地の代表が「よく当選しましたねって行くようなものだ」と批判していた。そんな古い感覚や物言いしか知らないバカさ加減に、知事選惨敗は当たり前と改めて思った。

 「安全保障から経済まで」日米関係は広範である。一層強固な同盟関係を築くよう官民挙げて努力しなければならない。

 

15日、作家の藤原ていさんが死去された。昭和24年刊行の著書「流れる星は生きている」は戦後の大ベストセラーとなり、映画化され話題を集めた。

終戦時の混乱で夫(作家新田次郎、シベリア送り)と離れ離れになって、3人の子どもを連れて満州をさまよい、壮絶な日々の中を生き抜いて故国に引き揚げて来た。その体験は私の場合と全く同じであった。

帰れぬと思った祖国に帰れた喜びに、大人達は日本の大地に頬を摺り寄せて泣いたものだが、そんな情景の中で、私の愛国心は芽生え、やがて政治家になってこの国の為に尽くそうとの志が生まれた。

波乱万丈であった政治生活を終えた今、あの頃の事を全く知らない人々に、1人の「語り部」になって伝えたいと、政経塾等様々な場所で講演を続けている。

 

藤原さんの次男は藤原正彦氏、彼の著書「国家の品格」は武士道精神を説き、ベストセラーになっている。

98歳まで生き大往生となった藤原ていさん、私も長生きしてまだまだこの国の為に精一杯働きたいものと思っている。

 

 

         〇

戦争を体験された方が次第に減って来ている。今日歴史問題で日本ばかりが責められているが、原爆を投下したアメリカと満州・南樺太全千島を侵略し無辜の日本人を殺戮し凌辱した旧ソ連(ロシア)の暴虐は絶対に忘れてはならないと思う。

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2016年11月23日 (水)

「新嘗祭」について

 

「新嘗祭」とは、新穀をまず神前に捧げてお祭りし感謝の報告をした上で、これを神よりの賜りものとして食する儀式である。秋祭りとして行ふところが多いが、単なる収穫感謝ではなく、神のみたま・生命力を身に體して生命を養い強化する儀礼であり祭りである。やまとことばで、「にふなみ、にひなめ、にへなみ、にひあへ、にはなへ、にはなひ」と言ふ。宮中においては、大嘗祭を行ふ年を除いて、毎年陰暦十一月中の卯の日に行はれる。その年の新穀を諸神に供へ、天皇ご自身も食される。

 

『日本書紀』に「天照大御神(あまてらすおおみかみ)の新嘗きこしめす」とある。「新嘗きこしめす」とは、神から新穀を頂戴することである。

 

神からいただいた新穀を、天皇様がいただかれる事によって、天皇は現御神としての御稜威を増強されるのである。さらに言へば、天皇が新穀を祖神と共食することによって、祖神と一體になられるのである。

 

高天原の「斎庭の穂」には、皇祖=日の神=天照大御神の靈意が籠ってゐる。その稲穂をきこしめすことは、皇祖の靈威を身に體し、大御神とご一體になられ、御稜威・靈威の更新をはかられるのが新嘗祭である。天皇は、毎年新嘗祭を繰返されることによって、再生復活され新しい御稜威をおびられるのである。

 

昭和天皇も、今上陛下も「新嘗祭」を執行されている。『昭和二十一年元旦の詔書』において、昭和天皇は神格を否定されたといふ主張は全く事実に反する。

 

「新嘗祭」は、史學においては、水稲栽培が始まった弥生時代に、稲魂を祭った儀礼に遡るとされる。神話の世界では、『古事記』に天照大御神が神殿で大嘗きこしめしたと記されてゐるやうに、神代の昔が起源である。

 

天皇は祭り主であらせられる。ひたすら民やすかれ、国安かれと祈られる。今上天皇様の宮中祭祀への情熱はきわめて篤いと承る。新嘗祭は衣冠束帯で二時間正座される。

 

今上天皇が「祭」について詠ませられた御製を掲げさせていただく。

 

昭和三十二年

ともしび

ともしびの静かにもゆる神嘉殿(しんかでん)琴はじきうたふ声ひくく響く

 

昭和四十五年

新嘗祭

松明(たいまつ)の火に照らされてすのこの上歩を進め行く古(いにしへ)思ひて

 

新嘗の祭始まりぬ神嘉殿ひちきりの音静かに流る

 

ひちきりの音と合せて歌ふ声しじまの中に低くたゆたふ

 

歌ふ声静まりて聞ゆこの時に告文(つげぶみ)読ますおほどかなる御声(みこえ)

 

平成二年

大嘗祭

父君のにひなめまつりしのびつつ我がおほにへのまつり行なふ

 

御製を拝すると日本の傳統文化は、天皇・皇室によって正しく継承されることを証ししてゐる。皇室におかせられては、今日も、祭祀と和歌といふ日本伝統の核となるものを正しく継承されてゐる。有難き限りである。

 

天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。

 

新嘗祭を歌った「萬葉集東歌」に、

 

にほ鳥の葛飾早稲(わせ)をにへすともその愛しきを外(と)に立てめやも (三三八六)

 

という歌がある。通釈は、「(にほ鳥の・枕詞)葛飾の早稲を神饌として供える祭事の夜でも、あの愛するお方を外に立たせてはおかれようか、立たせてはおかれない」という意。

 

「にへすとも」の「にへ」は、神に捧げる食べもののこと。「にへす」は、その年の新穀を神に供えて、感謝すると共に来年の豊饒を祈る新嘗の祭を行うこと。古代の農家は、家毎に新穀を供えて物忌みをして新嘗の祭を行った。その家の女性が、神主・祭り主となって、神に新米を供へる新嘗祭を行って、男たちはその期間中家にいることは許されなかった。女性は祭り主として家に残り、男は外に出かけたのである。

 

新嘗祭に奉仕する女性の物忌みは、奉仕の女性以外、家人は、親や夫といえども、その家に入ることは出来なかった。家中の男を外へ出して、女性は祭り主として神様に仕える。

 

そのように厳しい新嘗祭の物忌みも、愛する男を外に立たせてはおけないという歌である。恋する乙女の燃えるような情熱をうたった歌。

 

古代において、共同体や家における新嘗祭の祭り主は女性だったのである。神祭り・祭祀は、女性は行うことができないという主張は大きな誤りである。古代日本においては、むしろ女性が祭祀を行っていた。

 

「践祚大嘗祭」を最初に執行された天皇は、女帝であらせられる持統天皇である。『日本書紀』持統天皇五年十一月戊辰日に、「大嘗す」と記されてゐる。平野孝國氏は、「天武天皇以降、大嘗は特別の意味を加えて即位に引き続き、今上の御代まで施行されてきた。…持統天皇は、この新思想を忠実に継承され、更に制度化するのに、与って大きな貢献をされた」(『大嘗祭の構造』)と論じておられる。

 

また伊勢皇大神宮の「式年遷宮」は、天武天皇がお定めになり、持統天皇の御代の持統天皇四年(六九〇)に第一回が行われた。

  

女性天皇は大嘗祭・新嘗祭をはじめとする祭祀を司られることはできないなどといふことは絶対にあり得ないし史実に反する。女性神であらせられる天照大御神は祭祀主として高天原において新嘗祭を執行された。天皇は皇祖神たる天照大御神を祭られるが、皇祖神たる天照大御神もなお神を祭られたのである。

 

『日本書紀』皇極天皇元年十一月の条には、「丁卯(十六日)に、天皇新嘗御(にひなへきこしめ)す。是の日に、皇子・大臣、各自(おのおのみづか)ら新嘗(にひなへ)す」と記されてゐる。皇極天皇は女帝であらせられる。

 

伊勢皇大神宮の第六二回「式年遷宮」で最も重要な神事「遷御の儀」が、平成二十五年十月二日夜、皇大神宮(内宮)で行われた。天皇陛下のご代理として天照大神に仕える「臨時神宮祭主」であられる黒田清子様が、その神聖なるお役目をお果たしになった。神宮祭主は、天皇陛下の代理として神宮の祭事をつかさどるお役めで、天皇陛下の「勅旨」を受けて決まる「神宮だけ」のお役目であると承る。

 

女性は祭祀をしてはならないという考え方は、佛教・儒教という外来思想の女性差別の考え方の悪影響である。日本傳統信仰にはそういう思想は全くない。人は全て神の分霊であり神の子である。男を日子(ひこ)と言い、女を日女(ひめ)と言う。人は全て男も女も、日の神・天照大御神の子であるという意味である。

 

神の命が生成化育(むすび・産霊)して生まれ出た男の子・女の子のことを、むすこ(息子)・むすめ(娘)というのである。そこには全く差別はない。いわんや女性蔑視などという事は一切ない。

 

 

皇位継承を論ずる人の中に、父親と母親を「種と畑」に譬える人がいる。また、染色体論を用いる人がいる。これらの考え方は、人は神の子であり、人は「ひと=日止・霊人」であるという根本信仰とは異なる考え方である。

 

ご歴代の天皇お一方お一方が、御神勅に示されている通り「天照大御神の生みの御子」であらせられる。これを「歴聖一如」と申し上げる。天皇は、女帝であらせられても、現御神であらせられ、天照大御神の地上的御顕現であらせられる。男系継承という神武天皇以来の伝統は守られるべきとしても、この根本信仰は絶対に無視してならないと信じる。

 

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千駄木庵日乗十一月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆、資料の整理。

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2016年11月22日 (火)

東京財団主催『公開フォーラム・アメリカ大統領・トランプとヒラリーはどちらが強いか?全国党大会と本選挙の展望』における登壇者の発言

七月十四日に開催された東京財団主催『公開フォーラム・アメリカ大統領・トランプとヒラリーはどちらが強いか?全国党大会と本選挙の展望』における登壇者の発言は次の通り。

 

久保文明氏(リーダー/東京財団上席研究員、東京大学法学部教授)「広い視野で位置付けると異例づくめの選挙。政治経験がほとんどない人を二大政党が指名したのは初めて。非主流の人が外から入ってきて二大政党の候補を勝ち取るのは珍しい。共和党が孤立主義的傾向を持つ人を指名するのは戦後では珍しい。共和党は外に対して積極的で国際的だった。二大政党の大統領候補のどちらも保護貿易主義なのは戦後初めて。トランプの保護貿易主義は確信犯。クリントンもTPPに再交渉を要求すると言っている。共和党候補の方がイラク戦争への態度などで左にいるというのも珍しい。これが選挙の結果や展開を読みづらくしている。共和党はタカ派、民主党は内向きと言われるが、ニクソンは日本に対してきつかった。共和党は永続的の孤立主義になるかどうか。TPPに対してクリントンは元々賛成だった。今は戦略的反対。トランプは確信的に反対」。

 

前嶋和弘氏(上智大学総合グローバル学部教授)「クリントンにとって非常に厳しい選挙。『今』という時代精神がヒラリーには足りない。予備選挙で熱狂的にヒラリーを応援する人は少なかった。ヒラリーは若者にとって遠い存在。ヒラリーとトランプの勝負は最後の最後まで分からない。

 

西川賢氏(津田塾大学学芸学部准教授)「トランプの支持率が五月をピークに下がり始めている。社会経済状況が重要。二〇一六年初頭から、オバマの人気は回復基調にある。クリントンにとっては追い風。内外で突発的事件が起こると世論は変わる。人種・銃規制の問題はアメリカの奥深いところに横たわる問題。共和党にとって今回の選挙は政党支援の構造に大きな変化が見られる。南部は一枚岩で共和党支持基盤ではなくなってきている。これまでの政党支援の固定的パターンが揺らいでいる」。

 

安井明彦氏(みずほ総合研究所欧米調査部長)「景気が大きな要素になるのは常識だが、今回はこれまでの経験通りにはいかない。経済の構造的変化で政治が安定しない。低成長時代の選挙はどうなのかを見て行きたい。未知の出来事、分からないことが進んでいる。対立の構図がこれまでと異なっている。今回どちらの候補も大きな政府に傾いている。共和党の方が外交的に閉じる方向になっている。クリントンは年金拡充の方向に行っている。民主党・オバマもその方向で動いている。共和党は近年過激で小さな政府に動いている。トランプはインフラに積極的。民主・共和両党の支持者で年金削減すべきではないと言う人々が多くなっている。共和党が開いて行って、民主党が閉じて行くことになるのかどうか。現実の前にはマクロの議論は極めて駄目。自由貿易擁護だけでは駄目。コントロールできないことがものすごく起っている。そこに怒りや焦りがある。そこでどういう選択をするのかに注目する」。

 

中山俊宏氏(サブリーダー/慶應義塾大学総合政策学部教授)「トランプの感染力の強さに驚いている。普通に予測するとクリントンが勝つ。私的にクリントンを知っている人と、メディアを通じて知っている人とのギャップがある。クリントンは知見とインプリメントが高い。トランプ現象はオバマの全否定。変化するアメリカで居場所がなくなっていく人々をトランプは肯定している。アメリカが大きく変化する上での通過儀礼がトランプ現象。尖閣など国と国とがぶつかり合う時、クリントンはどう出るか。トランプが大統領になると、国務長官・国防長官の人事が難しい」。

 

渡部恒雄氏(東京財団上席研究員兼政策研究ディレクター)「インテリはプロレスを見ない。トランプはプロレスっぽい。トランプ好きはプロレス好き。トランプはプロレスのビジネスをやっている。トランプは通過儀礼のトリックスター。イメージとしては橋下徹大阪市長。大きく政治が変わるきっかけを作る人。しかしちゃんとした大統領になるわけではない。だから副大統領に誰がなるかが大事」。

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千駄木庵日乗十一月二十二日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、原稿執筆、『伝統と革新』編集の仕事など。

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「人権尊重」を全てに優先させることがかえって人権を蹂躙し人の尊厳性を奪う

 「天賦人権思想」の土台である西洋の國家観は、人民と國家とを対立する存在としてとらえ、國家権力の干渉を出来るだけ排除し、個人の自由を確保することを目指している。たしかに権力によって個人の自由や権利が理不尽に抑圧され蹂躙されることはあってはならない。

 

しかし、人は余程の例外を除いて一人では生きていけない。人は、多くの人間との関係性・共同生活があってはじめて生存できる。「人」は、自分自身であるとともに他者でもありさらには共同生活を営む場の全体のことでもある。それは「人」という言葉は、「人を馬鹿にするな」と言う場合は自分自身のことであり、「人の物を取る」と言う場合は「他者」のことであり、「人聞きが悪い」と言う場合は世間のことであることによっても分かる。

 

 人間が人間として生活するためには、多くの人々によって成立する共同体が必要不可欠なのである。したがって共同体としての國家をいたずらに敵視したり、國家を破壊すれば人間が幸福になると考えるのは誤りである。國家は人間の生きる場であり、人間が生きるためになくてはならぬ共同体である。 

 

 『現行憲法』第十三条には「すべて國民は、個人として尊重される」と書かれていて、歴史のある共同体の秩序の中に生きてそれを次の世代にのこすという大切なことが無視され書かれていない。

 

日本の「家」は破壊されつつある。それは相続の問題によく現れている。『現行憲法』には、人権を歴史と傳統および共同体とのつながりで捉えるという思想がきわめて希薄である。それどころか『現行憲法』は、「國家のみならず家族・家庭は人権の敵だ」とする考え方が生まれる土壌となった。そして現実に家庭と國家の崩壊が起こりつつある。

 

「基本的人権の尊重」という原理によって本当に戦後日本の國民一人一人の人権が尊重され守られて来たかというと決してそうではない。むしろ國民の人権が侵害され、教育は荒廃し、犯罪は増加し、國民の共生が著しく損なわれてきた。

 

「人権尊重・個の尊重」を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うことになる。それは、今日のわが國の現象を見れば明らかである。

 

今日の日本の教育荒廃・家庭崩壊・凶悪犯罪の増加の根本原因は、「自分さえよければ他人はどうなっても構わない」という観念が蔓延しているところにある。これは「個の尊重」「人権尊重」を絶対視して、共同体・家族・家庭と個人との共生を軽視してきた結果である。

 

「個人の権利」のみを強調する『現行占領憲法』の規定によって、祖先を敬い親に孝行するという日本國民道徳の基本が無視され忘却されている。個としての人間の権利の擁護・尊重の思想がかえって人権のみならず生命の安全すら危殆に瀕せしめる状況を生み出している。人権尊重の思想によって起ったフランス革命やロシア革命の後、それらの國民の人権が蹂躙されたのと同じである。

人権尊重・人権擁護と國防・治安維持とは全く相対立するものだとして、戦後半世紀以上にわたって、國防や治安維持のための有効な施策が講じられて来なかった。その結果として、北朝鮮による我が國民拉致を未然に防止できなかったという最大の人権侵害の悲劇も起った。また、人権尊重ということを目標として政治運動によって学校長など公教育関係者が自殺に追い込まれるというもっとも悲惨な人権侵害が起こった。

 

戦後日本は「國家は人権擁護の敵である」という思想に支配されてきた。そして國家以前に人権があるのだから、人権擁護のためには國家は窮極的には否定されるべきであるという思想が幅をきかして、欲望充足のため権利の濫用、他者の権利や共同体の安全を無視する「自由の濫用」となった。

 

戦後日本が「國家」という観念を極力否定して来たがゆえに、今日、「國民」という言葉よりも「市民」という言葉が使われることが多い。わが國民に「國民としての意識」がなくなり、國籍不明の「市民という意識」が幅を利かせ、國家に対する責任と義務と奉仕が否定されつつある。「市民」とは、國籍も祖先も歴史も傳統も喪失した人々のことにほかならない。つまり「非國民」である。

 

 國民意識の喪失とは歴史と傳統の喪失と同意義である。國民意識は、國の傳統・歴史・形・共通の規範を認識している。傳統・歴史・形・共通の規範(道義精神)の中で人権・自由が真に生かされる。傳統・歴史・形・共通の規範を欠いた裸の人間の権利とは欲望の充足であるに過ぎない。

 

真に國民の自由と権利を尊重するためには、人権とは何か、人権擁護とは如何なることなのかを、考え直すべきである。國民の自由や権利は尊重されなければならないが、権利の乱用を防止し、他人の権利の尊重・他者との共生や公共の福祉・共同体の維持と正しく調和させなければならない。

 

 『現行占領憲法』の履き違えた「平和論」と誤った「人権思想」が、今日の混迷の根本原因である。わが國を弱体化せんとして押し付けられた『亡國憲法』・偏向教育・低俗にして偏向したマスコミの三つが、今日の凄まじいまでの道義道徳の頽廃・人権侵害・人命軽視の元凶である。

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千駄木庵日乗十一月二十一日

朝、宿舎を出発、東京に帰る。

施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、諸雑務。

午後六時より、赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京にて、『平沢勝栄政経文化セミナー』開催。中曾根弘文、石原伸晃、竹本直一、亀井静香、中村玉緒、二階俊博、甘利明、金田勝年の各氏などが祝辞を述べた。そして平沢勝栄氏が挨拶。金田正一氏の音頭で乾杯を行い、盛宴に移った。多くの知人友人のお会いした。

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帰宅後は、原稿執筆。

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2016年11月21日 (月)

千駄木庵日乗十一月二十日

午前は、諸雑務。

午後、中央本線にて、山梨へ。

午後六時より、山梨にて、『日本を糺す会』開催。蜷川正大氏が司会。荒井清壽氏が主催者挨拶。山口申氏がスピーチ。討論・懇談。

山梨に一泊。

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2016年11月20日 (日)

この頃詠みし歌

萬葉の戀歌を讀みわが心切なくなりて書を閉じにけり

 

思ひ出の人はつひにこれの世を去り行きにしと聞く悲しさよ

 

乙女なりし人の面影いちしろく浮かび来たれることの切なさ

 

その人の兄と語らひ幼き日の淡き戀をばなつかしみをり

 

日の本の國の子として生まれ来てそのよろこびに魂(たま)ふるふなり

 

悔しさをかみしめにつつ今日の夜は一人筆を持ち日記書きゐる

 

贈られし松茸を焼き食しつつ友の情けをしみじみと思ふ

 

心のどかに生きてゆかんと空仰ぎ月の光を身に浴びにけり

 

幼き日より親しみて来し森永のキャラメルをなめつつ原稿を書く

 

一仕事終へたる後のやすらぎにキャラメルを口に入れにけるかな

 

原稿を書き終へしのち目の上にそっと手を置き疲れ癒せり         

 

神まつるみ社に来て手を合はすこの静かなる時を尊ぶ

 

大騒ぎすることも無しと思ひつつ妙な髪形のアメリカ人を見る

 

罵り合ひの果てに選ばれし大統領 自由民主国家アメリカ合衆国

 

昼の月ぼんやりと浮く空眺め うつつともなきわが心かな

 

わが父はこれの世を去り懐かしき面影のみぞ眼裏に立つ

 

二度と再び逢へざる父か さりながら御霊は常に我を護らす

 

紅葉の美しき庭に佇める秋の夕暮れの幸ひの時

 

電車の中に坐りゐる人の半分はスマホといふものに目を凝らしゐる

 

神々しき菩薩立像の白き姿仰ぎて今日の喜びとする

 

くどくどと愚痴こぼす如き歌ばかりの現代短歌を拒絶せんとす

 

口語短歌は何と貧しき表現かとても調べとはなりてはをらず

 

萬葉も古今も新古今も忘れたる如き短歌は滅びるが良し

 

我もまた独りよがりの思ひをば歌に詠みゐるかと自ら苦笑す

 

須佐之男命鎮まる根津神社 産土の神の御稜威かしこむ

 

切り忘れ伸びたる爪を愛ほしみ明日のいのちの恙なくあれ

 

黄葉の日に照り映える谷中墓地 眠る御霊も喜びゐまさむ

 

焼け落ちし五重塔の跡所 母と子供らが遊びゐるなり

 

清らけき天王寺の庭を眺むれば浄土は今ぞ此処にありける

 

散り敷ける黄葉を踏み歩み行く晩秋の日の谷中寺町

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千駄木庵日乗十一月十九日

午前は、諸雑務。

続いて、『政治文化情報』発送作業、発送完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆、書状執筆など。

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2016年11月19日 (土)

『大日本帝国憲法』第一条について

伊藤博文は、その著『憲法義解』において、「恭て按するに天皇の宝祚は之を祖宗に承け之を子孫に伝ふ国家統治権の存する所なり而して憲法に殊に大権を掲けて之を条章に明記するは憲法に依て新設の義を表するに非すして固有の國体は憲法に由て益々鞏固なることを示すなり」と論じた。

 

天皇の国家統治の大権を成文憲法に明記するのは、「新設の義を表するに非すして固有の國体は憲法に由て益々鞏固なることを示すなり」と論じてゐるところが大事である。天皇は、「成文憲法」に基づいて国家を統治されるのではないことを明確に示したのである。

 

「第一条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」

 

この条文について伊藤博文は、「皇統一系宝祚の隆は天地と与に窮なし本条首めに立国の大義を掲け我か日本帝国は一系の皇統と相依て終始し古今永遠に亘り一ありて二なく常ありて変なきことを示し以て君民の関係を万世に昭かにす。統治は大位に居り大権を統へて国土及臣民を治むるなり古典に天祖の勅を挙けて瑞穂国是吾子孫可王之地宣爾皇孫就而治焉と云へり」と論じ、天皇の国家統治は、『天壌無窮の御神勅』に基づくことを明示した。

 

『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いた。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

 

 

「治める」ということについて大原康男氏は「『ヲサ』『ヲサム』を『すべて散在してるものを一つにまとめること、或ははなれてゐるものを一つにすること』とする…『乱れた糸の筋を揃え、秩序正しく物みなその所を得る』という意義を有する漢語の『治』と『正しい位置を与える』意のregieren床の『をさむ』は、語義において相通ずるものをもっているといえよう。『ヲサム』は『一定の階層秩序と強制の体系』を内容とする普遍的“統治”概念語であるということができる」(現御神考試論)と論じておられる。

 

すなわち、天皇が日本国を治められるのは、日本国の生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものにその所を得さしめることなのである。明治天皇の『天下億兆一人も其處を得ざる時、皆朕が罪なれば、…』(明治元年三月十四日に示された『明治維新の御宸翰』)という御精神こそ天皇統治の本質であると拝する。

 

さらに明治陛下はその御宸翰で、『朕身骨を労し心志を苦め艱難の先に立、古(いにしえ)列祖の盡させ給ひし蹤(あと)を履み治蹟を勤めてこそ始て天職を奉じて億兆の君たる所に背かざるべし』と仰せになっている。

 

日本天皇は、『朕は国家なり』と言うような国家国民を私物化する西洋的な絶対専制君主とは全くその本質を異にする。日本天皇は天津神の御委任により「天職を奉じて」日本国に君臨されているである。故に天皇は常に無私の心で統治されるのである。無私の心とは神の御心のままということである。さらに御歴代の天皇の踏み行われた道を継承されることを心がけられるのである。そのことがそのまま億兆の民にその所を得さしめる事即ち国民の幸福実現となるのである。

 

明治天皇の外祖父中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇国は天照皇大神の御国で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といえども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上したという。

 

天皇の国家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではないのである。日本天皇の無私の精神および神聖なる権威はかかる御精神から発生するのである。

 

支那においては、天を以て帝権の象徴とし、地を以て民衆に擬し、天と地とは相対立する相対的関係のあるととらえ、天子たる皇帝はは民衆を上から見下ろし支配すると考えている。しかしわが国においては、天子たる天皇は天の神の御子として地上に天降られ、国民もまた神々の子孫であり、天皇は一大家族国家の中心であると考えている。簡単に言えば支那においては天子は権力と武力によって国民を支配し、日本においては天皇の信仰的権威によって国民を慈しむのである。この違いは支那と日本の国家の成り立ちとその後の歴史の違いによると思われる。 

 

天皇が日本伝統信仰的中心者として君臨するということは、現実政治に全く関わりを持たれないということではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が国家の中心にいまし、常に国家の平安と国民の幸福を神に祈る祭祀を続けられているということが、政治のみならず日本国のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の国家統治そのものなのである。

 

混迷の極にある現代日本を救うには、統治者としての天皇の御本姿を回復することが大切であると考える。復古即革新=維新とはそういうことを言うのである。 

 

ともかく井上毅・伊藤博文などの先人たちは、日本の國體を根幹としつつ近代成文憲法を実に苦心して作りあげたのである。大日本帝国憲法は決してドイツから輸入した翻訳憲法ではなかったのである。大日本帝国憲法は、明治維新の輝かしい歴史の所産であり、日本国民の政治的良識の結晶であった。

 

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千駄木庵日乗十一月十八日



午前は、諸雑務。

午後は、西日暮里・谷中散策。

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諏訪台公園の黄葉

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諏訪台公園の紅葉

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経王寺山門

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谷中大仏(天王寺釈迦像)

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谷中天王寺境内

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谷中霊園黄葉

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谷中霊園紅葉

帰宅後は、書状及び原稿執筆。

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2016年11月18日 (金)

奥野誠亮氏のご逝去を悼む歌

奥野誠亮氏のご逝去を悼む歌

 

老政治家が 身まかりまししと いふニュース 悲しみて聞く 晩秋の夜

 

信念の 国士政治家の 面影を 偲びつつ一人 歎き悲しむ

 

老いてなほ 矍鑠として 己が信念 語りたまへる 姿忘れず

 

政治家の 質の低下が 嘆かるる 時に国士政治家 逝きたまひたり

 

         〇

以下の文章は、『伝統と革新』第十号(平成二十四年十二月発行)に掲載された『奥野先生へのインタビュー』記事における小生の印象記です。昨日の文章と重複いたしますが、掲載させていただきます。

              〇

日本は長寿社会と言はれてゐるが、奥野誠亮先生のお元気さはまことに驚異的である。奥野氏は、大正二年七月のお生まれで、今年満九十九歳になられる。インタビューに的確答えへられ、かつ、自説を滔々と語られた。まことに素晴しいことである。奥野氏は「真正保守」の立場に立たれる方で、靖国神社・歴史問題・外交問題・憲法問題などで、正論を吐露され続けた方である。戦前・戦中・戦後の激動の時期を、官僚として政治家として活躍して来られた。平成十九年の八月十五日、奥野先氏が、お一人で炎天下、靖国神社に参拝しておられる姿を拝見した事がある。その時に次のような歌を詠んだ。

 

「炎天下 靖國の宮に 出會ひたる 老政治家の 姿忘れず」

 

今の日本の政治家には、奥野氏のやうな国士は少なくなった。日本古代の歴史が息づく奈良県御所市のご出身である。一層のご活躍とご長寿を祈る。

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奥野誠亮先生のご冥福を衷心より御祈り申し上げます

奥野誠亮先生のご冥福を衷心より御祈り申し上げます。合掌。

 

平成二十三年に書かせていただいた奥野誠亮先生についての拙文を掲載させていただきます。

 

             〇

 

今日の『アジア問題懇話会』に奥野誠亮先生が出席され、質疑応答の時、お元気に発言されていた。奥野先生は大正二年七月のお生まれで、今年の七月で九十九歳になられる。驚異的と言っていいほどお元気で、本日も、的確なご質問をされ、かつ、自説を滔々と語られた。まことに素晴しいことである。真正保守の立場に立たれる方で、靖国神社・歴史問題・外交問題・憲法問題などで、正論を吐露され続けた方である。

 

旧内務官僚で、後藤田正晴氏の一期先輩にあたられる。戦前は、鹿児島県警特高課長を務められ、戦後は、自治官僚として活躍、事務次官を退任された後、衆院議員となられ、法務大臣・文部大臣・国土庁長官などを歴任された。

 

以前から、ご厚誼をいただいている。本来なら、衆院議長になられるべき方であった。平成五年に衆議院議長候補に推されたが、細川連立政権であったので、土井たか子に敗れてしまわれた。

 

平成十九年の八月十五日、奥野先生が、お一人で炎天下、靖国神社に参拝しておられる姿を拝見した事がある。その時に次のような歌を詠んだ。

 

「炎天下 靖國の宮に 出會ひたる 老政治家の 姿忘れず」

 

今の日本の政治家には、奥野先生のような国士は少なくなった。日本古代の歴史が息づく奈良県御所市のご出身である。一層のご活躍とご長寿を祈る。

 

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2016年11月17日 (木)

黒田勝弘産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員による「厄介な隣人、韓国とどう付き合う?」と題する講演内容

七月九日に開催された『アジア問題懇話会』における黒田勝弘産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員による「厄介な隣人、韓国とどう付き合う?」と題する講演内容は次の通り。

「韓国に対する日本側のイメージは法治国家ではないということ。反日は罪に問われない。大使館前の慰安婦像自体不法なもの。法治上何時でも撤去すべきもの。ソウル市役所は許可していない。国内法違反。毎週水曜日にデモをやる。大使館百メートル以内で政治運動をするのは法律違反。日本大使館の門の真ん前で日本に対する侮辱行為をする。外国公館に対する侮辱行為は『ウィーン条約』(注・外交関係に関する基本的な多国間条約)違反。韓国は日本から見れば法治主義を全うしていない。

 

加藤達也産経新聞ソウル支局長(当時)が最後は無罪になったのは、法治主義が貫徹された。韓国内メディアの名誉棄損事件は殆ど無罪。名誉棄損での起訴はある意味見せしめ。私は一九八〇年から現地で記者をしている。名誉棄損の案件は、セウォル号沈没事故で多数の死んだことの責任問題。朴槿恵大統領に七時間の空白の時間があった。野党が疑惑として追及。公開できぬ何かがあった、密かに男と逢っていた、という話まであった。加藤氏は面白おかしくそれを紹介した。朴槿恵政権の威勢が落ちている。噂の引用が名誉棄損ということになった。韓国は権力内部の意思疎通がうまくいっていない。青瓦台は、噂は嘘ということで救われ、大統領の名誉は守られた。告訴を取り下げれば裁判はおしまいになった。官邸サイドが告訴取り下げをしなかった。『産経』も官邸も最後までガチンコ。加藤氏が無罪になって官邸は国際的に恥をかいた。

 

韓国はプロテスタントが圧倒的に多い。プロテスタントの教会が最大の保守・親米・反北勢力。資金力もある。韓国では反日集会はあっても親日集会はない。親米集会はある。その動員は教会。五十歳過ぎの教会の牧師は安倍さんを完全否定。バッシングをしている。しかし安倍批判をした後、『軍国主義者・復古主義者ではあるがあのリーダーシップは羨ましい』と言った。

 

八十年から韓国にいて日韓の指導者を見ている。韓国で日本の首相の人気ナンバーワンは中曽根。中曽根は総理就任後最初に訪問した外国は韓国。八七年一月に公式訪問。国賓としての訪問は初めて。ソウルの中心部に日の丸が掲揚された。小泉・安倍が韓国人として印象深い。長く総理をやることが日本の存在をと主張が諸外国に伝わる。今回の参院選で安倍氏に勝ってもらった方が国際的には良い。

 

慰安婦問題の合意は、日本では左右から批判がある。しかし合意は良かった。ああいう形の外交的決着はしなければいけない。慰安婦問題は近年国際化している。日本の国家イメージが傷つけられている。十億円をあげて諸事業に使う。韓国政府の責任で慰安婦問題を処理してくれということ。韓国に下駄を預けた。慰安婦像の撤去は難しい。撤去するとメティアや団体から文句を言われる。二〇二〇年まで日本大使館は工事中。この三年半の間に慰安婦像が無くなれば良い、と日本側は思っている。慰安婦像のそばにテントを張って五、六が寝泊まりしている。これも規制できない。冬はス電気トーブ、電気毛布を持ち込んでいる。ホンダの発電機を使っている。反日パフォーマンスの小道具に日本製品を使っても平気。悪く言うといい加減で軽い。学校の成績だけでなくボランティア活動をしていたかどうかが大切。入社試験の時に活動をしていたことが点数になる。学校が休みになると中学生や高校生が増える。課外活動として学校の成績になる。

 

朴槿恵はこれと言った業績はない。保守派はこのままだと政権は野党に行くと思っている。盧泰愚・金泳三で右派が十年、金大注・盧武鉉で左派が十年、李明博・朴槿恵で右派が十一年。十年周期で言うと次は左派が政権を取る。民心が飽きる。変化志向が出る。韓国大統領が習近平に電話をしても、習近平は出てこない。朴槿恵にとって相当なショック。韓中関係強化の成果は上がらなかった。朴槿恵は北との関係を変化させるために対中接近した。中国の対北政策に韓国の意向を反映させるためだった。しかし中国は全く頼りならなかった。外交的打撃。

 

イギリスのEU離脱は、私は個人的にはイギリスは凄いなと思った。イギリスは凄い判断力だ。日本と韓国はイギリスのようなことができるのか。EU残留派の女性議員が殺された。あんなことが日本や韓国で起これば残留決定。イギリスではそうはいかず離脱派が勝った。イギリスは端倪すべからざる国。

 

東アジアで日本が半島大陸とどう付き合うべきか。私はある意味近年、孤立主義になっている。朝鮮半島との付き合いは難しい。韓国人は国際関係においては、永遠の友でもなければ永遠の敵でもない。朝鮮半島の人はすれっからし。

 

唯一変らないのは地理的関係。古代から日韓には色々なことがあった。半島と列島という地理的関係であるということを重視せねばならない。韓国併合は日本が朝鮮に引き込まれたと思う。韓国人を日本化しようとした。そういう気にさせられた。文化的類似性もある。海峡を越える時は用心せねばならない。安保法制を朝鮮半島有事の際発動するのは慎重にすべし。韓国が日本に『助けてくれ』と言った時、簡単に助けない方がいい。白村江の戦いがシンボリック。百済の残存勢力が日本に来てくれと言った。二、三万の日本兵が行った。西海岸で新羅唐連合軍にコテンパンにやられた。これンがトラウマ。

 

私は七八年に留学。七八年から八一年まで駐韓大使をつとめた須之部量三氏に『この国には二本の足を入れては駄目。動きが取れなくなる』と言われた。私はそれを座右の銘にしている。地政学上の日本の分を守るべし。『南北統一に向けて日本の役割』などと言うのが危ない。南北統一には関わらない方がいい。どう転んでも良いことはない。ずるく立ち回るしかない。朝鮮戦争の時の日本の関わり方が非常に参考になる。北を押し返した要因は日本が後方に兵站基地として存在した事。兵站としての日本の役割は圧倒的だった。結果的に日本は戦後の廃墟から立ち上がった。

 

隠れ親日は非常に多い。年間四百万の韓国人が来日。来日した人は日本をほめる。しかし表立っては言えない。不見識な現象。最近の韓国メディアは反日が多い。隠れ親日が多くなっていることへの危機感がある。メディアまで『日本が良い』と言い出すと立つ瀬がない。年間四百万人来日する人は反日ではないということ。韓国の国旗は日本の国旗を参考にした。韓国国歌は親日派が作った。日米韓の協力は良い。日韓協力は良くない。アメリカが入るとOK。

 

陸上部隊が日本人を救出すると言って、半島に上陸するのはどうか。日本食ブーム・日本酒ブームが韓国に起こっている。アサヒビールが圧倒的。ママが着物と白い割烹着を着ている日本風小料理屋が始めて出来た」。

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千駄木庵日乗十一月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。母と「愛ちゃんはお嫁に」を歌う。

この後、団子坂にて、若き友人と懇談。談論風発。

帰宅後は、原稿執筆など。

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亀井静香氏は、警察庁・警視庁に対して、彌生神社の復活を申し入れるべし

 

亀井静香氏が靖国神社の御祭神について、靖国神社の「申し入れ」を行った。警察官僚であった亀井氏にはもっとやるべき事がある。

 

「靖国神社の神道祭式を廃止し無宗教の慰霊施設にしろ」という暴論がある。国のために命を捧げた人々に対して、神社祭式での慰霊をやめて無宗教の慰霊施設となってしまった先例がある。それは、千代田区の北の丸公園にある皇宮警察・警視庁・東京消防庁などの殉職者慰霊施設・彌生慰霊堂である。

 

彌生慰霊堂かつては彌生神社と言った。明治十八年十月に『彌生神社』として創建された。この名称は私の家の近くの本郷区(現文京区)向ヶ岡彌生町に創建されたことによるものという。以来、毎年、神式による合祀・慰霊祭を行ってきた。

 

しかし、戦後の「神道指令」により、神社を警視庁が管理し続けることができなくなってしまったために、昭和二十一年(一九四六)十月に元警視総監をはじめとする有志が奉賛会を結成し、昭和二十二年十月に現在地に遷座し、名称を『彌生廟』と改めた。そして奉賛會主催の慰霊祭という形に変化した。しかし、戦前・戦後を通じて神道祭式には変化はなかった。昭和四十七年、連合赤軍の浅間山荘事件で殉職した警察官の合祀祭も神道祭式で行われた。

 

ところが、昭和五十八年九月に名称を「彌生慰霊堂」に改称し、神式の慰霊祭からいわゆる“無宗教”形式の慰霊祭に変更してしまった。この変更について警視庁は「法律を守る立場にある警察としては、政教問題が取りざたされているときでもあり、どこからも文句のでない無宗教方式へ変更した」と説明した。

 

小生も何回か参拝しているが、社殿は神社建築に近いもので拝殿と本殿からなり、本殿は神明造の屋根であるが千木・堅魚がない。現在でも鞭懸(神明造の破風にある八本の棒)が残っている。しかし鳥居などは取り外されている。

 

東京都慰霊堂は、仏教施設であり、そこで行われる春秋の慰霊大法要には、都庁・都議會の幹部が公式に参列している。殉職警察官を神道祭式で慰霊しても何ら問題はない。殉職者への慰霊というきわめて重要な行事を、わが國伝統信仰たる神道祭式で行わないというのは、敬神崇祖というわが國の倫理精神の基本そして日本伝統信仰たる神道祭式を、警視庁が否定したということである。

 

小生は何度か、警察庁長官及び警視総監に対し、殉職警察官慰霊施設は日本伝統信仰に基づく慰霊すなわち神道祭祀に戻すべきであると要望している。また数年前、古賀俊昭都議も都議会本会議でこの問題を取り上げ、警視総監に要請を行った。しかし、いまだに実現していない。

 

「政教分離」とは一神教國家における特定の教団宗教と政治権力の結合による信教の自由の侵害を防ぐための<原則>であって、「國家及び自治体」と「宗教」とを全く無関係にするという<原則>ではない。

 

さらにいえば、わが國は建國以来天皇を中心とする祭祀國家であり信仰共同体である。祭祀共同体としての日本國家と神社神道の本来一体なのである。そしてそれは決して教団宗教を圧迫し否定することにならないことは、わが國の宗教史を見れは明々白々である。

 

國家民族のために一身を捧げた御霊を、わが國伝統祭式によって公的にお祭りし慰霊し顕彰し感謝の誠を捧げることが、「政教分離」の原則に違反するなどという批判は全く誤りである。

 

「無宗教」とは霊魂の否定であり道義の否定である。殉職警察官慰霊施設の無宗教化が、最近の警察官の道義精神希薄化・不祥事続発の原因の一つがある。

 

初代警視総監・川路利良の命日に当たる十月十三日に慰霊祭が無宗教形式で執行されるという。これもおかしい。川治利良は殉職者ではない。病死である。しかも、恩師・西郷隆盛を死地に追いやった忘恩の徒である。このような人物の命日は、殉職警察官・消防官の慰霊を行う日としてはふさわしくない。

 

亀井静香氏は、彌慰霊堂を彌生神社に戻し、神式でお祭りするように、警察庁・警視庁に「申し入れ」を行うべきである。

 

 

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現御神信仰について

天孫降臨は、日神であり祖母神であらせられ穀靈であらせられる天照大御神の御神靈を體された邇邇藝命が、「生みの御子」として豊葦原瑞穂國の稲穂の稔りを體現される御存在として地上に降られたのである。即位の大禮及び大嘗祭・新嘗祭は天孫降臨の繰り返しの意義がある。

 

原武史氏(明治學院大學教授)は次のやうに論じてゐる。

(今日の宮中祭祀には・註)女性には出席できない大祭がある。11月23日の新嘗祭がそうである。…村上重良は、『穀靈は、一般に生産する力、生殖する力をそなえた女性の靈格とされるから、新嘗祭の祭祀をつとめることをもってもっとも重要な宗教的権能とする天皇は、終始、男帝を原則とし、女帝は例外的な存在にとどまったのであろう。』(『天皇の祭祀』)と論じている。このほかにも、女性は生理中には宮中三殿に上がることができないという問題がある。…つまり、いまの宮中祭祀を前提とするかぎり、女性が天皇になれば、新嘗祭という最も重要な祭祀を天皇が行なえなくなるばかりか、他の祭祀にも影響が出ることが予想されるのである。…最後の女帝である後桜町天皇が、1764年(明和元)に大嘗祭を行ったという歴史的事實は、いまの祭祀を唯一の傳統と見なす考え方に対する有力な反証となろう。新嘗祭や大嘗祭以外の宮中祭祀は、ほとんどが明治になって『発明』されたことを考え合わせるならば、新しい祭祀を作りだすのは必ずしも不可能とはいえない」(『女帝議論のために・宮中祭祀はどうするか』朝日新聞平成十七年二月七日号)

 

  

極めて重大な指摘である。践祚大嘗祭を最初に執行された天皇は、女帝であらせられる持統天皇である。『日本書紀』持統天皇五年十一月戊辰日に、「大嘗す」と記されてゐる。現在行はれてゐる皇室祭祀は明治四十一年に公布された『皇室祭祀禮』によるといふが、明治以後の皇室祭祀の中には、古代からの傳統を改変したものがあるやうである。

第百十七代・後桜町天皇は次の御製をのこされてゐる。

 

神祇(明和五年―一七六八―御年二十九歳)

 

まもれなほ 伊勢の内外(うちと)の 宮ばしら 天つ日つぎの 末ながき世を

 

平野孝國氏は、「天武天皇以降、大嘗は特別の意味を加えて即位に引き続き、今上の御代まで施行されてきた。…持統天皇は、この新思想を忠實に繼承され、更に制度化するのに、与って大きな貢献をされた」(『大嘗祭の構造』)と論じてをられる。

 

女帝は祭祀とりわけ新嘗祭を行ひ得ないし行ってはならないなどといふのは、わが國の傳統とは相容れない思想であるし、第一事實に反する。これは、仏教思想や儒教道徳の影響と考へられる。

 

女帝は大嘗祭・新嘗祭をはじめとする祭祀を司られることはできないなどといふことは絶対にあり得ない。女性神であらせられる天照大御神は祭祀主として高天原において新嘗祭を執行された。天皇は皇祖神たる天照大御神を祭られるが、皇祖神たる天照大御神もなほ神を祭られたのである。穀靈が女性の靈格だから女帝には新嘗祭・大嘗祭は行ひ得ないといふことはない。

 

『日本書紀』皇極天皇元年十一月の条には、「丁卯(十六日)に、天皇新嘗御(にひなへきこしめ)す。是の日に、皇子・大臣、各自(おのおのみづか)ら新嘗(にひなへ)す」と記されてゐる。皇極天皇は女帝であらせられる。

 

歴代の天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである

 

現御神信仰は古代以来今日至るまで正しく繼承されてきた。天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを嘗めされることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體されるのである。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。天皇は地上において天照大神の御代理としての御資格を有されるのである。

 

 

第百十六代・桃園天皇は、宝暦七年(一七五七)、御年十七歳の砌、『神祇』と題されて、

 

もろおみの 朕(われ)をあふぐも 天てらす 皇御神(すめらみかみ)の 光とぞおもふ

 

と詠ませられてゐる。

 

わが國悠久の國體は、現御神としての御自覚で君臨あそばされた大君と、天皇を現御神として仰いだ國民とが継承してきたのである。

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2016年11月16日 (水)

千駄木庵日乗十一月十六日

午前は、諸雑務。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、「大行社幹部会」開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。原稿執筆。

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2016年11月15日 (火)

国学の精神と言霊思想

 

 『萬葉集』に収められている「柿本人麿歌集」の長歌に、「葦原の 水穂の國は 神ながら 言擧せぬ國…」と歌われている。「わが国は神のみ心のままに生きる国であるから、言挙をしない国…」という意である。日本国の古代信仰においては、日本は全て神のみ心のままに生きていく国であると信じられていた。ゆえに、日本人はあえて自己主張をしないのである。この歌はそういうことを歌っているのである。

 

 しかし、日本民族は言葉を軽視したのではない。この長歌の反歌(長歌のエッセンスを歌った短歌)に「しき島の日本(やまと)の國は言靈のさきはふ國ぞまさきくありこそ」(大和の国は言葉の霊が助けて下さる国です。ご無事でいらっしゃい、というほどの意)と歌われているように、日本人は、言葉は霊が宿り人間を助けてくれると信じていた。古代日本人は、言葉には大きな力(霊力)があると考えた。そこから言霊思想が発生した。言葉は、それほどに大切なものであるからこそ、軽々しく言葉を発しないという信仰を持ったのである。みだりに理論や理屈をあげつらうことはしないという生活態度は、萬葉時代即ち古代以来の日本人の基本的姿勢だった。 

 

 近世国学者平田篤胤はその著『古道大意』において、「一體、眞(まこと)の道と云ふものは、事實の上に具(そなは)って有るものでござる。然(しか)るをとかく世の学者などは、盡(ことごと)く教訓と云ふ事を記したる書物でなくては、道は得られぬ如く思(おもう)て居るが多いで、こりゃ甚だの心得ちがひな事で、教(をし)へと申すものは、實事よりは甚下(ひく)い物でござる。其故は、實事が有れば教へはいらず、道の實事がなき故に、をしへと云ふことがおこる。」と論じている。

 

 意訳すれば、「一体、まことの道というものは、事実の上に備わっているものである。それなのに世の学者は、ことごとく教訓が書かれている書物を読まなくては、道を体得することはできないと思っているのが多い。これは非常に心得違いである。教義・教訓というものは事実よりも甚だ低いものである。その理由は、事実があれば教訓はいらない。道の事実が無いがゆえに教義・教訓が起こってくる」というほどの意である。

 

 「道」は、国の歴史の上に厳然として事実として示されているのであって、外来の儒教や仏教の経典を読まなくては『道』を求めることはできないという考え方は誤りである。むしろ、歴史の事実の上に『道』が現れていないからこそ、書物に書かれている「教義・教条」に頼らねばならないのである。

 

 そもそも教義とか教条というものは、具体的な歴史の事実の上に立って抽象的に論議として出て来たものである。だから、その教義・教条が記された書物のみを読み、知識として吸収し、それのみに頼ろうとする姿勢は、道を体得することにはならない。 

 

 現代においても、ある特定の人物の説いた教義・教条を絶対のものとして尊崇し、それに反する思想を排斥する勢力はまだまだ多い。かつて田中忠雄氏は、こうした人々を「狐憑き」ならぬ「イデオロギー憑き」と定義づけた。共産主義者は、マルクス・レーニン主義を絶対の思想としそれ以外を排斥した。こうした勢力がどれだけ多くの人々を苦しめ、不幸にしてきているかは、それこそ歴史を見れば明白である。もはやかくの如きイデオロギー至上主義では混迷せる現代を救うことはできない。むしろ混乱と不幸を増大せしめるだけである。日本の神ながらなる理想を今日において実現することが大切である。

 

 理論のあげつらいつまり人間の有限知を基盤とした哲学的思考によって得られた認識が、どれだけ宇宙や人生や歴史の真実を説き明かすことができるのか。まずこのことを疑ってかかる必要がある。宗教家の神学的・教義的考察、そして科学者の研究によって得られた知識が、どれだけ宇宙の真実に一致しているかを反省する必要がある。こういう疑問や反省を忘却した人間の傲慢さが今日の文明的危機を招いていると言えよう。

 

 倉前盛通氏は、「日本人が『言挙げ』といい『さかしら』といい『あげつらい』という場合には、人間の言葉そのものの中に、すでに宇宙の奥底に潜む原理から遊離したものを本質的に含むという意味を表わしている。言葉が一つに概念規定をした場合、その概念規定という作業そのものの中に本質的に挙行の要素、誤差、ずれというような諸々の過ちが混じってくる避けることはできない、という意味である」(艶の発想)と論じておられる。

 

 人間の思考や研究の成果としてつくりあげられた理論・教条は、宇宙の真実とは虚構や誤差やずれがある。にもかかわらず、傲慢にも、自然や宇宙や人生を全て人間の作りあげた論理や科学研究によって説き明かこれを改造できるなどと考えたことが、美しい自然を破壊し、人類の生命をも脅かすに至った根本原因である。しかし、日本民族は、既に古代において、人間のかかる傲慢さを反省し、自覚していた。

 それが、古代日本人の「葦原の 水穂の國は 神ながら 言擧せぬ國…」という歌なのである。日本人は、あるがままの自然に素直に随順し、人間と自然は相対立する存在とは考えないで、人間が自然の中に入り、人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。

 

 日本人は自然そのもののみならず、歴史からも「道」を学んだのである。わが国に伝わる「道」は歴史に現れているのだから、体系としての世界観や人倫思想基礎を人為的に「さかしらなる知識」をもって言挙し作りあげなくとも、日本の国の歴史の事柄・事実に学べばよかったのである。

 

 歴史や自然を対立的にとらえて、論理や教条を振り回して自然や宇宙や人生や歴史の本質を説き明かそうなどという不遜な考えは持たなかった古代日本人の基本的な姿勢を、現代において甦らせることが必要なのである。

 

 近世国学者が、外圧の危機に中で行ったように、古代日本の歴史精神として今日まで伝えられてきている「道」を、そのままありのままに学び、今日において明らかにすることによって、現代の危機を打開することが、我々の志である。

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千駄木庵日乗十一月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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西村眞悟氏の正論

西村眞悟氏の正論をご紹介します。合掌 

 

西村眞悟の時事通信

 

承詔必謹

平成281115日(火)

 数日堺を留守にしていて昨夜帰宅してTVニュースを見ると、
 例の皇室に関する「有識者会議」が、
 次から次へと司法試験の口述試問のように、
 「識者」を官邸に呼び込んで
 今上陛下が八月八日にご表明された御意向に関して
 如何に対処すべきかという意見を聞いていた。
 その意見聴取の要点は、
 第一に、今上陛下の「譲位を認めるか認めないか」、
 譲位を認めるとして、
 次ぎに、「譲位後のお立場は如何に」ということである。
 これに対して、呼び込まれた各位は、
 思い思いの「意見」をまちまちに述べて澄まして官邸から出てきていた。
 
 ことの重大性に鑑み、
 「世俗の権力の官邸」でやらず、
 「最深の権威の社」である伊勢神宮か明治神宮で行えと言いたい。
 
 とはいえ、この現在進行中の、
 権威なき者が、
 至高の権威に関して、
 権威あるものの如く、
 各位の考えをそれぞれ申している情景は、
 「日本国権法」冒頭の
 「その(天皇)地位は、主権の存する国民の総意に基づく」という
 「国民が天皇にその地位を与えている」と記する
 憲法第一条に基づいてやっているのだろうが、
 結論を言うならば、
 この「有識者」は「アホ」をしている。
 もっと端的に言うならば、
 「アホが不敬」をしているのだ。
 何故なら、
 「日本国憲法第一条」は、
 「ウソ」であるからである。
 「有識者」たる者が「ウソ」に基づいて、何をやっているのか。
 「有識者」なら「有識者」らしく、
 いい加減に「ウソ」を見抜き、然るべく対処したらどうか。

 天皇は、
 天照大神の天壌無窮の神勅によって
 天皇なのであろうが!

 一体ぜんたい、
 我が国が連合国に降伏した昭和二十年九月二日から、
 「日本国憲法」が書かれた昭和二十一年二月十二日までの間に、
 天皇「裕仁」を日本国の天皇にするという「国民投票」でも行われたのか。
 天皇は、その頃に、天皇になったのではなく、
 連合国が我が国を占領する二千六百五年前から天皇なのだ。
 
 我が国において、
 このことが分からん「有識者」などあろうか!

 そこで、帰宅する前日の十三日に、四国の伊予で行われた同志の集まる勉強会で、
 今上陛下のお言葉に関して、
 我ら国民(臣民)は伝統的に如何に対処してきたかを述べたので、
 そのことを次ぎに記しておく(括弧内は私のコメント)。

 聖徳太子、十七条の憲法
 三に曰く、承詔必謹 君即天之 臣即地之
 
 (これが、我が国伝統のなかに存する眞の憲法である)

 楠木正成、
 仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、
 天照大神の御名を唱うべし
 
 (正成は、天照大神の御名を唱えてどうしたのか、
 ・・・死ぬために湊川に行った)

 本居宣長、
 唐國にて、臣、君を三度いさめて聴かざる時は去るといひ、
 子、父を三度いさめて聴かざる時は泣いて従がふといへり、
 これは父のみに篤くして、君に薄き悪風俗也。
 皇国の君は、
 神代より天地と共に動き給はぬ君にましまして、
 臣たる者去るべき道理もなく、
 まして背くべき道理もなければ、
 従ひ奉るより外なし。
 なほ、その君の御しわざ悪くましまして、
 従ふに忍びずと思はば、
 楠主(楠木正成)の如く、
 夜見の國(死の國)にまかるより外はなきことと知るべし、
 たとひ天地くつがへるといふとも、君臣の義は違ふまじき道なり、
 然れば君あししといへ共、ひたふるに畏こみ敬ひて従い奉るは
 一わたり婦人の道に近きに似たれ共、
 永く君臣の義の敗るまじき正道にして、
 つひには其の益広大也。

 (まことに、楠木正成の湊川!その益広大である)

 皇后陛下、
 私は以前より、皇室の重大な決断が行われる場合、
 これに関われるのは皇位の継承に連なる方々であり、
 その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので、
 皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も、
 謹んでこれを承りました。
 ただ新聞の一面に「生前退位」といおう大きな活字を
 見たときの衝撃は大きなものでした。
 それまで私は、歴史の書物の中でも、
 こうした表現に接したことが一度もなかったので、
 一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。
 私の感じすぎであったのかもしれません。
 
 (皇后陛下が、謹んで承りました、と言われた。即ち、承詔必謹!)

 以上、聖徳太子から皇后陛下まで、
 天皇陛下の御意向に対して如何に対処すべきかが語られている。
 それは、
 
 聖徳太子の承詔必謹に始まり皇后陛下の承詔必謹に還る。
 
 そのなかで、皇国のために七生報国を誓い、
 何度も甦って我が国を危機から救ってきたのは、 
 楠木正成であろう。
 その正成の遺言の最後は、
 次のように結ばれている(家村和幸著「楠木正成を読む」より)。
 
 「もし私、楠木正成の子孫が不義の人となって、
 私が遺すこの誡めを守らないようであれば、
 私は速やかに悪鬼と化して、
 国中どこにいても見つけ出し、殺戮する」

 よって、「有識者」と
 「有識者」の前でもっともらしい顔をして意見を述べる者が、
 あまりにも不敬ならば、
 この正成の遺言通りの運命に見舞われるぞ、
 と言っても、
 そう荒唐無稽ではないように思われてくる。

 

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政治家の尊皇心

 わが國の愛國心の根底にあるのは、天皇仰慕の心である。わが國は、天皇を中心とした神の國である。そして、日本天皇の國家統治の御精神は決して排他的ではない。憎悪でもない。君民一体・萬邦共栄・四海同胞・八紘一宇の精神である。それはわが國の歴史の寛容性・平和性・包容性を見れば明らかである。それは、わが國の神話の精神・天皇の祭祀の精神である。一切を神として拝む精神である。わが國の愛国心は、祭祀主として無私の御存在であらせられる天皇への仰慕の思いと一体である。

 

 現下日本の政治・行政の混迷の原因は、政治家や官僚に「尊皇愛國の心」が希薄になっているからである。政治家や官僚は、日本國の神聖なる君主であらせられ日本國民の道義精神を体現されている祭り主・日本日本天皇へのかしこみの心が基本になければならない。政治家や官僚に「天皇の臣下」という自覚があれば、極悪非道なことはできない。

 

 昭和十年に起こった第二次大本教事件で、逮捕された大本教の幹部多数は、当局側の凄惨なる拷問に遭い多くの人が獄死したり精神に異常を来したりした。裁判で、弁護側が警察官を呼び出してこの問題を追及すると、警察官は否定した。これを聞いていた出口すみ大本二代教主(教祖・出口なおの五女)は、「そちらは天皇陛下の番頭ではないか」と激しく迫った。「天皇の臣下であるのなら嘘をつくな」と迫ったのである。警察官はいずれも色を失い、裁判長はあわてて公判を一時停止したという。(出口京太郎氏著『巨人 出口王仁三郎』・出口栄二著『大本教事件』)

 

 天皇の臣下という自覚が官僚に道義心を回復させた実例である。今日の政治家・官僚のみならず一般國民にも、天皇の臣下・天皇の民としての自覚の回復が大切である。

 

 戦後の宰相と言われる人物に尊皇精神は強固であった人がいた。昭和二十七年十一月十日、今上天皇が立太子の礼の時、吉田茂総理大臣は寿詞(お祝いの言葉)で、自らを「臣 茂」と読み上げた。吉田茂氏は、天皇の臣下であるという自覚・矜持があったのである。

 

 さらに、吉田茂氏は、昭和二六年の「サンフランシスコ講和条約」調印式出席の心境について、「唯奉敕使萬里外 五洲視聴聚一身」と揮毫した。

 

 「占領憲法」には「主権在民」と規定され、曲學阿世の憲法學者にの中には「日本の元首は内閣総理大臣だ」などと論ずる輩もいるのに、吉田氏は天皇の臣下としての自覚と矜持を持っていた政治家であり、まさに昭和の忠臣と言って良いであろう。

 

 だからこそ、昭和天皇は昭和三十年に次のような御歌を詠ませられているのである。

 

「 小田原に往復の折、吉田茂元首相の家の前を通りて詠める

 

往きかへり枝折戸を見て思ひけりしばし相見ぬあるじいかにと」

 

 昭和天皇と吉田茂元総理との関係はまさに、「君臣水魚の交わり」に近い麗しい関係だったのではないかと考える。

 

 天皇陛下に対し奉り、吉田茂元総理と正反対の考えを持っていたのが、後藤田正晴氏である。後藤田氏は、平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁再編に関するインタビューに答えて、「まず大臣という名前を変えたらどうか。だれの臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」などと述べた。

 

 これは天皇を君主と仰ぐ神代以来の日本國體を否定し、さらに「現行憲法」体制においても日本は立憲君主國であるという事実を否定する許しがたい発言である。社民党や共産党や極左分子がこのような発言をするならともかく、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し体制側の頂点に立ったと言ってもいい政治家が、國體否定の思想をもっていたのである。

 

 後藤田は、警察庁長官という厳正中立であるべき治安機関の最高責任者を務めたにもかかわらず金権政治家田中角栄の大番頭となった倫理観・道義心の欠如した人物であった。

 

 昭和四十八年五月二六日、増原恵吉防衛庁長官(当時・後藤田氏と同じ旧内務官僚で後藤田の先輩にあたる)は、昭和天皇に「当面の防衛問題」について内奏した際、昭和天皇は、「近隣諸國に比べ自衛力がそんなに大きいとは思えない。國會でなぜ問題になっているのか。防衛問題は難しいだろうが、國の守りは大事なので、旧軍の悪いことはまねせず、いいところは取り入れてしっかりやってほしい」とのお言葉を賜った。陛下のこのお言葉を増原長官が記者たちに話したことが、例によって政治問題化し、「天皇の政治利用だ」との批判を受け、増原氏は防衛庁長官を辞任した。

 

 この時、増原氏は「天皇陛下という文字を見ただけで涙が出てくる私が、陛下を政治利用するはずがない」ということを言った。増原氏はさぞや断腸の思いであったろう。

 

天皇陛下・皇室のことを思うと自然に涙が出てくるというのは「忠良なる臣民」の自然の姿である。増原氏は真に忠臣であったのである。

 

 岸信介氏も尊皇精神の持ち主であった。第一次安保騒動の時、アイゼンハワー米大統領の訪日延期を要請した時のことを、岸氏は次のように語っている。「あの頃警察官は本当に疲れ果てていた。機動隊の数も少なく、装備も悪いし、訓練もしていない。……陛下ご自身が(注羽田にアイゼンハワーを)お迎えに行かれなければならない。そういう警備を考える時、これはできない、もし何かの間違いが生じたら、総理が本当に腹を切っても相済まない、それで私としてはどうしても警備に確信がもてないと思って(注アイゼンハワー訪日を)断ったんです」(『岸信介の回想』

 

 つまり、自分の一身はどうなってもいいが、羽田空港に大統領を出迎えに行っていただいた陛下の御身に萬一のことがあったら死んでも償い切れないということで、アイゼンハワー訪日延期を決定したのである。そして岸内閣は総辞職したのである。      

 

 第一次安保騒動の警備に出動した経験のある元警察官の話によると、「夜は國會の面會所の地下室に仮眠させられた。ここが襲われだらどうしようという思いにかられた」と話していた。

 

 また、サイパンが陥落した後の昭和十九年七月、岸信介氏が東條英機総理と決定的に対立した際、身分は一大佐である四方諒二東京憲兵隊長が、商工大臣である岸氏の家を訪れ、軍刀を立て、「東條総理大臣が右向け右、左向け左と言えば、閣僚はそれに従うべきではないか、それを総理の意見に反対するとは何事か」と脅迫した。岸氏はそれに対し、「黙れ兵隊!お前のようなことを言う者がいるから、東條さんはこの頃評判が悪いのだ。日本において右向け右、左向け左という力を持っているのは天皇陛下だけではないか。それを東條さん本人が言うのならともかく、お前たちのようなわけのわからない兵隊が言うとは何事だ、下がれ!」と一喝して追い返した。(『岸信介の回想』)

 

 このように岸氏という人はきわめて強い尊皇精神と気骨を持った人であった。今の政界にこういう政治家はいるだろうか。  

 

 岸氏の弟の佐藤栄作氏は総理退任後、侍従長になることを切望したと伝えられる。吉田氏にも岸氏にも佐藤氏にも、「天皇の臣下」としての深く強い自覚と責任感があった。

 

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千駄木庵日乗十一月十四日

午前は、諸雑務。

午後二時より、永田町の村上正邦氏事務所にて、『第七五回日本の司法を正す会ー田中角栄とロッキード事件の真相を考える』開催。石井一元自治大臣が講演。

 

〇昨年十一月十四日午後二時より、永田町の村上正邦氏事務所にて開催された『第七五回日本の司法を正す会ー田中角栄とロッキード事件の真相を考える』における石井一元自治大臣の講演内容は次の通り。

 

「村上さんとはバッチをつけていない時代からの付き合い。早川崇氏の所でよく逢った。五十年前のこと。村上氏は心が通い合う政治家である。

 

 

 

田中氏に関する本は二百冊出ているが、受け売りが多い。石原氏は作家なので文章はうまい。しかし新しいことはない。田中は二十年裁判の虜になった。無実のために命を懸けて戦った。私は完全に冤罪と思っている。この事件はアメリカが震源。

 

 

 

田中は繊維交渉で高い評価を受けた。総理になるとアメリカ追従ではなく自主独立外交を展開。総理就任二か月後に日中国交回復をやった。台湾派がものすごい勢力。『蒋介石という恩人を無視して中国の国交を回復するのか』という批判が起った。毛沢東・周恩来が生きている間にやらねばならないということだった。帰国したら暗殺されるかもしれなかった。アメリカの虎の尾を踏んだ。ブレジネフとの会談で、『四島返還』をテーブルに乗せた。アメリカはこの男を始末せねばならぬと思った。

 

 

 

ロッキード社のワイロ工作が発覚。全世界に飛び火。イタリアのモロ首相がトランクの中で、死体で発見された。赤い旅団が殺したということになっている。CIAの手先が関わったと私は思う。証拠はない。アメリカが世界支配するのに気に入らない奴は暗殺するというのが方針。国益追及のためなら何でもアリ。ビンラディンも殺害された。殺害する瞬間をホワイトハウスで大統領は見ている。この調査でアメリカに行った時、危険を感じた。

 

 

 

アメリカで集めた情報を積み重ねて田中に報告した。トライスターは機種が決まっていた。対潜哨戒機で追及すると国防費の国家汚職になるのでP3Cはすべて外した。

 

冤罪はストーリーを地検が作って証拠を集める。村木事件で私も狙われた。本人ではなく下と周りを固めて行く。百六十日間拘留されたら検事の言う事を聞いてしまう。個室の中の強者と弱者の関係。田中の運転手二人が死んだ。向うの言う通りにハンコを押してしまう。検事の気に入らないと壁に向かって立たしておく。『国民ためにやっている。これに署名しないとここから出られんぞ』と言われる。桧山会長に初めて会って三分間で五億円をあげるということにされてしまった。三木と稲葉は田中と犬猿の仲。『日本の民主主義のためにやれやれ』と言った。政府が『やれ』と言っている。獲物としても大きい。総理と雖も検察に狙われるとやられるということを天下に示したかった。

 

 

 

最高裁が『嘱託尋問をやれ』と無茶な事を言った。地検の暴走、最高裁の迷走。三木内閣の国策捜査、アメリカの意向、マスコミの姿勢が重なった。世論に巻き込まれると裁判所はクロとしか出せなくなる。田中は一切身に覚えがなかった。外為法違反だから田中への調べはない。組み立てたストーリーにはめ込むだけ。

 

 

 

一九八三年十月十三日の判決の日の朝、田中は無罪を信じていた。早坂秘書に『お前に苦労をかけたが今日から無罪だ』と言った。判決は懲役五年追徴金五億。田中は阿修羅のごとく怒って帰宅。七十人の国会議員に一時間から一時間半演説。『身に覚えのない者が何故有罪のなるのか。内閣総理大臣の地位を汚したと言われるのは耐えられない。命を懸けて戦う』と言った。

 

 

 

田中派を八十人から百四十人以上の派閥にした。自民党を支配しキングメーカーになった。中間派や他派の人が入ったのは金と地位が欲しかった。総理を辞めてから田中の闇支配は物凄いものだった。完璧そのものの闇支配の人事体制を作った。金丸・竹下は気分が良くない。創政会になった。

 

 

 

ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件で主任弁護士を務めた凄腕の持ち主だった米国の弁護士リチャード・ベンベニステ氏と契約を結ぶ時、田中の呼び出しを受け『アメリカの弁護士に帰ってもらってくれ』と言う。私は怒った。『アメリカに仕掛けられた事件をアメリカの弁護士に助けられたくなかった』というのが田中の精神構造。それほどアメリカを田中は嫌った。田中は無罪を信じ切っていた。やっていないものはやっていないという事。一審の弁護団は綺羅星の如き偉い人ばかり。二審から多くの若い人を入れた。冤罪を晴らすことを狙った。一審とは全く違った弁護士。

 

 

 

田中は、ゴルフをやり、オールドパーをあおり、脳梗塞で倒れた。田中が倒れていなかったら裁判がひっくり返っていた可能性あり。田中が亡くなって控訴棄却。最高裁で丸紅が有罪。

 

 

 

田中は目白の自宅で真紀子の監視の下で生活した。一切外部遮断。九年間さみしくて歯ぎしりして生きたと思う。私にも真紀子は絶対に会わせない。会ったのは中国要人のみ。キッシンジャーはその間に三回目白を訪問。キッシンジャーは田中を陥れた元凶の一人。やり過ぎたと反省したのだろう。

 

 

 

ロッキード裁判の直後に総選挙。私は落選した。アメリカに行って働き過ぎた。世論の総攻撃に反論した。ところが十二月十八日に落選。毎日、田中から『ピンはどうしているか』と電話があった。十二月末に田中邸に行くと、田中は涙を流して喜んだ。このおっさんのために心血を注いだ私は良いことをしたと思った。

 

 

 

総理に職務権限はない。桧山の請託、金銭授受もない。どうして有罪になったのか。人質を取って自白をとるのが冤罪事件に共通している。バンカーの中で『三木・稲葉の馬鹿野郎』と言っていた」。

 

村上正邦・山口敏夫・平野貞夫・山本峯章の各氏などがスピーチ。質疑応答。村上正邦氏はますますお元気であった。

Photo

講演する石井一氏

帰宅後は、『政治文化情報』の発送準備など。

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2016年11月14日 (月)

亀井静香と王毅の発言について

共産支那の王毅外相が駐日大使をしていた頃、何処かで講演して、総理の靖国神社参拝について「隣人の嫌がることをしないのが東洋人の伝統だ」と言った。

 

冗談も休み休み言ってもらいたい。「隣人の嫌がること」を建国以来やり続けているのが共産支那である。ベトナム・チベット・東トルキスタン・モンゴル韓国への軍事侵略、台湾への軍事恫喝を行ない、わが国に対しては内政干渉・資源と領土の侵害・反日暴乱・上海領事館員へのスパイ強要などをおこない、さらに東シナ海・南シナ海への軍事的覇権拡大など、数え上げればきりがないほど「隣人の嫌がること」をし続けて来ているのが共産支那なのだ。

 

「東洋人」などと言うが、東洋は一つの人種概念でひとくくりにできない。地域は広いし、人口は多く、多くの民族に分かれ、言語・宗教・文化は多種多様である。「神州清潔の民」=日本民族と共産支那政府治世下の暴逆支那とを一緒にしてほしくない。

 

そもそも孔子様の説いた道徳もわが國においてより高度となり、洗練され、そして実行されている。今の支那人は孔子の教えに反することばかりやっている。王毅の発言は『顧みて他を言う』という諺通りの言い草である。

 

日本にも、総理の靖国神社参拝に対して「隣が嫌がっているのに浪花節をうなるべきではない」と誹謗した政治家がいる。亀井静香である。亀井は日本の政治家でありながら王毅と同じようなことを言ったのである。こういう人物が、御祭神について靖国神社に「申し入れ」をするなどとは以ての外である。

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『円山応挙―「写生」を超えてー』展参観記

昨日参観した根津美術館にて開催中の『円山応挙―「写生」を超えてー』展は、「円山応挙(173395)は、『写生』にもとづく新しい画風によって、日本の絵画史に革命を起こした画家です。そんな応挙の『写生画』は、超絶的かつ多彩なテクニックによって支えられています。しかし近年、写生ないし写生画という言葉だけではとらえきれない応挙の多面性、作品世界のバックグラウンドが指摘されることも多くなっています。本展は、応挙の生涯を代表する作品の数々を、根津美術館の展示空間の中であらためて見つめ直そうとするものです。あわせて、さまざまな可能性を秘めた若き日の作品、絵画学習の痕跡を濃厚にとどめた作品、そして鑑賞性にも優れた写生図をご覧いただきます。『写生』を大切にしながらも、それを超えて応挙が目指したものは何だったのかを探ります」との趣旨で開催された。(案内書)

 

「山水図」「龍門図」「筍図」「藤花図屏風」「雪松図屏風」「七難七福図巻」「写生図巻」などを参観。

 

確かに写生の技術は素晴らしい。「写生図巻」に描かれている植物、動物の絵は精密に写生されている。大変な技術力と根気とそして才能がなければこのような作品を作ることはできない。風景画なども実に美しく描かれている。また若き日の作品という「龍門図」の鯉の滝登りの絵は美く神秘的な感じがした。しかった。ただ、美しくはあるが感動を与えると言うか鑑賞者の迫って来る力はあまり感じられなかった。小生の感性が鈍いのだろうか。私には先日参観した仙厓の作品の方が面白かった。

 

しかし「七難七福図巻」(重文)は迫力があった。「七難七福」とは、仏教の経文にある「七難即滅 七福即生」のことで、多くの災難は仏に帰依することにより多くの福徳に転ずるという転禍為福の考えを絵画化した作品である。天災と人災、福寿の三巻で構成され、火事や地震そして強盗集団に襲われている人々の状況がまさにリアルにむごたらしく描かれている。ただ「福寿」が描かれている巻は、高級貴族の屋敷内のきらびやかな有り様が描かれているだけで少し物足りなかった。この絵は応挙の最高作品と言われる。

 

私宅近くにある全生庵に所蔵している三遊亭円朝遺愛の幽霊画コレクションのなかに「伝円山応挙」という幽霊画がある。応挙は花鳥風月を描いた絵よりもこうした「七難七福図巻」や「幽霊画」の方が優れていると私は思うが偏見であろうか。

 

根津美術館に来る楽しみは、仏像や支那古代青銅器そして庭園を見ることである。根津美術館は、東武鉄道創業者でる初代根津嘉一郎氏の私邸跡である。千七百平方メートルを超える日本庭園は森の中に山あり谷あり池ありで、まことに素晴らしい。暫く石の腰掛に坐っていると、鳥の鳴き声が聞こえてくる。紅葉が始まっていた。

 

 

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千駄木庵日乗十一月十三日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2016年11月13日 (日)

亀井・石原両氏に靖国神社の御祭神に関して、高圧的な「申し入れ」をする資格はない

昭和殉難者の靖国神社合祀について、『A級戦犯』を除外して参拝しているなどと言う人がタカ派と言われる政治家がいる。言うまでもなく石原慎太郎氏である。

「戦争責任」と「戦争犯罪」はまったく違う。それを混同して、所謂「A級戦犯」正しくは「昭和殉難者」を犯罪者扱いしているのはまったくおかしい。戦争犯罪とは、原爆投下や焼夷弾投下によって幾十万の非戦闘員を殺戮するようなことを言う。

昭和殉難者がたとえ開戦責任や戦争遂行にあたってその責任を問われるようなことをしたとしても、彼等は、「絞首刑」という「極刑」に処せられた。これ以上の責任の取りようはない。然るに、彼等を「戦犯」として責め立てるのは、「人の道」に反する。それこそ日本人の伝統的に寛容の精神にも全く反する。

東條英機元総理などの昭和殉難者は、軍事裁判という名の戦争行為、復讐によって、敵国の手によって死地に追いやられたのである。立派な戦死者であり、殉難者である。靖国神社に祀られて当然である。

また、「隣国の中国が反対しているのに総理大臣が靖國神社に参拝するのは、隣の家の人が嫌がっているのに浪花節をうなるようなものだ」と言った政治家かいる。言うまでもなく、亀井静香氏である。総理大臣が靖国神社に参拝することを「浪花節」をうなること譬えるとは何事であろうか。亀井氏には、戦没者・靖國の英霊に対する尊崇の念がないとは言わないが極めて希薄であると断じざるを得ない。

 

こういう政治家が、靖国神社の御祭神に関して、高圧的な「申し入れ」をすることは断じて許し難い。その資格はないと思う。

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千駄木庵日乗十一月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、南青山の根津美術館にて開催中の『円山応挙―「写生」を超えてー』展参観。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2016年11月12日 (土)

『大仙厓展』参観記

十月四日に参観した丸の内の出光美術館にて開催中の『大仙厓展』は、「笑いとユーモアを通して禅の教えをひろめたことで知られる江戸時代の禅僧・仙厓(せんがい1750-1837)。軽妙洒脱な作風を示す仙厓の作品は「禅画」の代表として、また最近では“かわいい”画としても人気を集めるようになっています。その書画作品は住持をつとめた博多の聖福寺や隠居所であった虚白院のある幻住庵以外では、出光美術館の初代館長出光佐三が蒐集したコレクションと、仙厓ゆかりの地にある福岡市美術館のコレクション、さらに九州大学文学部コレクション(中山森彦旧蔵)が質量ともにすぐれ、よく知られています。昭和61年(1986)に仙厓150年遠諱を記念して福岡市美術館で開催された展覧会以来、実に30年ぶりに東西の三大コレクションの名品が当館に勢揃いします。仙厓の生み出した禅画の世界、そして、人々に説いた禅の心にふれるまたとない機会です」との趣旨で開催された。(案内書)

 

仙厓義梵(せんがいぎぼん)は、臨済宗古月派に属する僧侶。19歳で僧門へ入り、禅修行の傍ら、40代後半頃から狩野派の絵師について習い絵を描き始めたという。

仙厓か描いたのは「禅画」と言うのだそうだが、ほとんどが黒墨一色で描かれた水墨画である。若い時は、狩野派に絵を習い、技巧的な山水画を描いていたのそうだが、老境に入り、簡素にして柔らかな画風になったという。今日の漫画に近いものも多数ある。しかし、味わい深い画風である。「禅画」には、絵画の余白スペースに、絵の内容と連動して仏教の教えに基づいた詩歌や文が描かれている。これを、「画賛」と言う。仙厓の「画賛」は禅の教えが分かりやすく示されている。仙厓が「笑いとユーモアを通して禅の教えをひろめたことで知られる江戸時代の禅僧」と言われる所以である。滑稽さが溢れる人物・動物の絵を見ると、つい笑ってしまう。そして見る者にやすらぎを与える。江戸時代の作品ではあるが、現代人にも共感を与える。だから、このような展覧会が開催されるのであろう。絵画は簡略化されており、書は草書が多いが、決して乱暴乱雑な作品ではない。味わいがある。筆と墨だけでよくこれだけの風景が仏像・人物画が描けるものと感心する。また楷書も展示されているが見事なものであった。

 

「書 養幻身」「自戒」「「観音画賛」「渡唐天神画賛」「坐禅蛙画賛」「指月布袋画賛」「一円相画賛」「「四天王寺額書」「宝満山碑文」「尾上心七七変化画賛」「七福神画賛」などが印象に残った。

面白いと思った「画賛」を紹介する。「七福神画賛」の「七福を一福にして大福茶」は、「福」と「服」とを掛詞にして「七福神を一服の絵に描いて大福茶にした」というのである。「伊勢海老画賛」の「ひげ長く腰曲る迄生き度くば職を扣(ひか)へて獨り寐をせよ」は、伊勢エビのように髭が長くなり腰が曲がるまで長生きをしたければ、食事と色事を節制せよという意である。「堪忍」の「気に入らぬ風もあろうに柳かな」は、柳の雪折れなしとことわざに近い。嫌なことでも大らかに受け流せという意であろう。「花見画賛」の「楽志みは花の下より鼻乃下」は「花見をしている人は、花よりも飲食を楽しんでいる」という意。「坐禅蛙画賛」の「坐禅して人が佛になるならば」は坐っている一匹の蛙を描き、ただ坐っているだけで仏になれるのなら蛙も仏になれるぞ、という意味であろう。「自戒」の「不尚豊侈 不問尊卑 不論座位 不談公事 不語人短」は、豊かさや贅沢を尊ばず、身分の尊卑を問わず、位や席順などに左右されず、公事を不必要な論じることなく、他人の短所を語るな、という意であろう。どれも含蓄のある言葉であり、人生の大事を優しい表現で語っている。

 

参観した後、心洗われる思いがした。出光興産は、創業家と経営陣が揉めているようであるが、双方とも、仙厓の禅画を深く味わうといいのではなかろうか。

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千駄木庵日乗十一月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。機嫌良し。

帰宅後も、『伝統と革新』編集の仕事。

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2016年11月11日 (金)

国学について

 

 日本民族の倫理精神と日本の国の歴史と文学を研究し、結合した学問を築こうとする学問が、国学である。そしてその学問は徳川時代中期に発生し幕末という国難の時期に大成した。外圧という有志以来未曾有の危機をどう打開するかという情熱・慷慨の志の上に立っている学問であって単なる知識を求める学問ではない。実行と変革を目指す学問である。もっとも日本らしい学問といっていい。

 

 日本民族の生活を対象とし、日本人の生活の奥底に流れている倫理観というか道義精神というものを探求する学問が国学である。つまり日本の文学・歴史・国語の中から理想を見出し、さらに理想を今日において実現しようとするのである。

 

 しかもその理想は日本一国に限定されるものではなく、世界に通用する理想として学問的に樹立しようとしたのである。国学が外国からの侵略をどう防ぐかという国家的状況の中で生まれた学問だからそれは当然のことであろう。つまり、日本の伝統的な精神によって世界に寄与しようという広大な精神によって打ち立てられた学問が国学なのである。そういう意味で、国学は日本の独自性を探求する学問であると共に、その普遍性をも目指したといっていい。

 

 理想を求めるということは、現状の変革を目指すということである。ゆえに、国学は変革の学問である。実際国学は水戸学と共に明治維新の変革の原理となった。

 

 国学が日本人の生活の奥底に流れている倫理観というか道義精神というものを探求しようとしたということは、言い換えれば、日本の『道』を求めたということである。神話の世界から発する日本民族の『道』というものを探求した学問が国学なのである。その『道』とは、古代日本人の生活における「しきたり」といってもよいかもしれない。国学はそうしたことを対象とする学問である。

 

 神話の世界から発する日本民族の『道』は、今日、「神道」という言葉で表現されている。神道とは、日本本来の信仰精神・生活規範であり、国学はそのことを学ぶのである。日本民族のみならず世界各民族の文学も芸術も道徳もそして生活全般も、その民族の信仰生活がその起源となっている。

 

 近世国学者は、抽象的・概念的な考え方に陥った儒教や仏教の教条万能・議論偏重の思想傾向を排撃した。そして素直なる心を持って我らの祖先の行いを見、自分もそれに身を以て実行しようという志を持つ生活観を持つべきだと主張した。 

 

 それでは、国学における「道」、「神道」の「道」とはいかなる道であろうか。それは「教条」や「掟」ではない。「神のみ心のままに行う」ということである。日本の神の「行い」をそのまま踏み行うことである。

 

 小林秀雄氏は次のように論じておられる。「『道といふこと』とは、論(あげつら)はうにも論ひやうもない、『神代の古事(ふるごと)』であった。『古事記』といふ『まそみの鏡』の面にうつし出された、『よく見よ』と言ふより他はない『上つ代の形』であった。…『上つ代の形』とは、たゞ『天つ神の御心』のまゝであらうとする、『上つ代』の心の『ありやう』、『すがた』た他ならず…。」(『本居宣長』)

 

 つまり、神のみ心のままであろうとする「かたち」の継承が「道」といっていいのかもしれない。

 

 日本語には古来、西洋でいう「知識」とか「認識」という名詞は存在しなかったという。日本人は、単に知識を求めたのではなく、「道」を求めたのである。それが日本の学問だったのである。「道を学び問う」事を大切にしたのである。

 

 「道」とは人が歩む道である。人が歩むという具体的な行いが、学問という精神的な事柄を言い表す場合にも用いられたという事は、日本人はそれだけ「実践・行い」ということを重んじたということである。具体的に道を歩むという行いの姿を以て精神的な道を探求することを表現したのである。知行合一の『陽明学』が日本人に好まれたのはこういうことが原因になっているのかもしれない。

 

 日本民族は、思想や精神を理屈として言挙げしなかった。『日本思想とはこういう思想である』と説明しがたいから、理解に苦しむという人が多い。しかし、日本の思想とは「道」であるから、日本の文芸や武道や茶道などあらゆる行為に自然に現れているのである。言葉で説明できる思想精神はそれだけ狭く限定されたものである。

 

 したがって、日本の道すなわち倫理精神・信仰精神は、教条的な形で理論として伝えられているのではなく、言葉の芸術である文芸(和歌や物語)によって伝えられている。『萬葉集』はその典型である。

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2016年11月10日 (木)

千駄木庵日乗十一月十日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。

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トランプ大統領の誕生は、対米自立=核武装の絶好の機会である

ドナルド・トランプ氏が米大統領選に勝利した。今や、世界的にナショナリズムが勃興していると思う。イギリスのEUからの脱退、共産支那の対外膨張、フィリッピン大統領のアメリカ批判、そしてトランプ氏の勝利を見ると本当にそう思う。

 

こうしたことは、わが国にとって戦後体制、ヤルタ・ポツダム体制からの脱却の好機だ。右往左往したり恐れることはない。

 

トランプ氏は、日米安保に関して、「米国は日本を防衛する義務があるのに、日本は米国を防衛する義務を負わないのは不公平だ」と言っている。日本を非武装国家にして二度と再びアメリカに逆らわないようにするために、『現行占領憲法』を押し付けたアメリカにこんなことを言う資格はない。

 

しかし、トランプが日米安保に対してこういう姿勢を本当に貫くのなら、日本が国防安保軍事面で、アメリカと対等の立場に立つこと認めるということだ。

 

日米が対等な立場に立つということは日本が「対米自立」するということだ。「対米自立」とは、防衛・安保の面では、アメリカの核の傘に入っている状況を正すということだ。即ち、日本が核武装するということだ。

 

共産支那のわが国への侵略策謀そしてアジアにおける軍事的覇権確立が益々活発化してきている今日、日本の安全と独立をアメリカの助けを借りないで守るためには、日本は核武装しなければならない。

 

わが国が中華帝国主義・アメリカ覇権主義と対峙するには、軍事面では、核武装が不可欠である。

 

いつまでもアメリカの従属国のままでいいはずがない。その上、共産支那による軍事的脅威が高まっている。

 

天は自ら助くる者を助く」という言葉がある。祖国日本の回復、日本の道統の回復、日本国家・日本民族の総合的力量の回復が断行されねばならない。軍事面では核武装なくしてそれは実現しない。

 

支那の覇権拡大を防ぎアジアの平和を守るためにも、そして対米自立を実現するためにも、日本は核武装すべきだ。それには日本国民の意識変革が必要である。トランプ大統領の誕生はその絶好の機会である。対米自立とは核武装と同義語である。

 

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2016年11月 9日 (水)

千駄木庵日乗十一月九日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き。母に付き添う。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が大伴宿禰家持の歌などを講義。

終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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第六十八回日本の心を学ぶ会のお知らせ

 

 

尊皇思想と維新を考える

 

明治維新から一五〇年が経過しようとしています。

再来年が明治維新一五〇年という節目の年であり政府も記念事業を検討していると報道されました。今後、明治維新の意義と精神について取り上げられることが多くなると思われます。

明治維新は、欧米列強によるアジア侵略・植民地化、そしてわが国への軍事力を背景とした開国要求という危機を打開する為に、國體の明徴化即ち天皇を中心とした統一国家建設を目的として断行されました。

しかし、志士たちを國體明徴化即ち維新・倒幕へと動かした思想の淵源はペリー来航よりはるか以前にまでさかのぼります。

江戸時代の初期から国学や崎門学とよばれる「我が国本来の姿」を探求する学問が盛んになりました。これらの学問は、天皇を中心とした国家こそが我が国本来の姿であるという國體思想・尊皇精神を興起させ、「鎌倉幕府以来700年の武家政権を打倒し、王政復古を実現する」という明治維新の精神へとつながったのです。國體思想・尊皇精神こそが志士たちの不屈の行動を支えたのであり、明治維新の原動力であったといえます。

明治維新から一五〇年が過ぎようとしている我が国は、幕末と同じく周辺国の脅威にさらされております。そして敗戦と占領により「我が国本来の姿」も忘れ去られつつあります。まさに内憂外患交々来たると言った状況です。

今回の勉強会では「我が国本来の姿」を取り戻すため尊皇思想と維新について考えてみたいと思います。

 

(今回は文京区民センターでの開催となります。文京シビックセンターではありません。お間違えないようご注意ください)

 

【日時】平成二十八年十一月二十七日 午後六時から

 

【場 所】文京区民センター 3-B会議室

 

東京都文京区春日4-15-14 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

 

【講 演】

 

「明治維新と靖国神社」

 

講師 四宮正貴 四宮政治文化研究所

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395 

 

この告知文は、主催者が作成しました。

 

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東京裁判は、戦勝国による復讐であった

 戦勝国による「東京国際軍事裁判」なるものは、復讐であり見せしめであった。戦勝国は、わが国を解体し弱体化するために『戦争犯罪人』といわれる人々を捕らえ似非「裁判」にかけたのである。

 

 戦勝国は、「戦争は非人道的な行為だ」と主張しながら、「軍事裁判」の「法廷」では、かつてのわが国の指導者を罵倒し、拘置所に収容した「被告」たちには、非人道的な処遇を強要した。

 

 戦勝国は、法律なき「軍事裁判」の「法廷」即ち残虐無比な復讐の場で、わが国に侵略国家の汚名を着せそれを全世界に宣伝したのである。「日本侵略国家論」こそ、欧米列強の「侵略の歴史」を覆い隠すための便法であった。

 

 「戦争は人道的行為だ」と決めつけながら、米国は航海の安全を保障されていた日本の「阿波丸」(一万一千二百四十九㌧)を、台湾海峡で魚雷攻撃した。阿波丸は緑十字マークをつけて無防備で航行していたが、二千八名の乗員と乗客が死亡した。

 

 さらに、米国は広島と長崎の原爆を落とし、わが国主要都市に爆撃を敢行し、無辜のわが国国民を大量虐殺した。ソビエト連邦は、戦争末期に日ソ中立条約を一方的に破棄してわが国に侵攻し、南樺太全千島そして北方四島を占拠し、多くの日本人婦女子を殺戮しシベリアに送り込み強制労働に従事させ死に至らしめた。

 

 米・ソなどの戦勝国こそ、多くの侵略国である。しかもその責任を回避し、補償さえしなかった。それは数百年にわたる白人によるアジア・アフリカ・中南米侵略支配の常套手段であった。

 

 大東亜戦争は、支那大陸におけるわが国の合法的権益を奪い、支那大陸を手中に収めようとする米英ソの謀略と対日経済封鎖力が引き金となって始まった戦いであり、わが国の侵略戦争ではない。

 

 わが日本は最早謝罪も反省も必要ない。戦勝国は、わが国を戦争に追い込みながら、『東京国際軍事裁判』では、わが国に戦争責任を押しつけた。これは戦勝国の政治宣伝でもあった。

 

 戦後日本は今日に至るまで、いわゆる『東京裁判史観』に呪縛され続けている。その典型が『終戦五十年村山談話』なのである。しかも国内の反日勢力は、わが国近代史を汚辱にまみれた歴史であるとして非難憎悪し続けている。我々日本国民は一日も早くこの呪縛から解放されねばならない。そして民族の誇りを取り戻すべきである。

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千駄木庵日乗十一月八日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、明日行う『萬葉集』講義の準備、『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』の原稿執筆。

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2016年11月 8日 (火)

萬葉古代史研究會のお知らせ

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 十一月九日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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反省と謝罪の意識に責め苛まれる日本でありつづけてはならない

 日本軍は対米英戦争遂行の戦略的必要から、アジア諸地域に軍を進めた。それによって旧支配勢力を駆逐しアジア諸國諸民族の独立を回復する端緒を作った。米英仏蘭といった國々が領有し植民地支配していた地域を日本軍が一時的にこれを領有することは戦争遂行上やらねばならなかったことであり、いったん軍事的に領有しなければ植民地解放など出来はしない。したがって、日本軍のアジア進攻は断じて侵略ではない。

 

 日本軍が東南アジア諸國の統治、指導の責に任じ、國防資源の獲得と開発を行ったことはわが國の自存自衛・植民地解放のために当然のことである。それは、『終戦の詔書』に「米英ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕ガ志ニアラズ」と示されている通りである。

 

 わが國は、経済的・軍事的に追い込まれ、武力によってABCD包囲網を破砕し、南方に自衛自存の道を求めるより方法がなかったのである。その結果アジアが戦場になったのは事実だが、それは米英蘭がアジア各地を植民地にして資源を独占し搾取して、その地域を反日攻勢の拠点としていたからである。

 

 わが國はこれら白人勢力を一掃し植民地解放を行い、昭和十八年から二十年にかけてアジア地域はことごとく独立を獲得した。大東亜戦争がなければ、東南アジア諸國が数百年の長きにわたる白人植民地支配の桎梏から解放されるのは、ずっと遅れていたことは確かである。大東亜戦争は間違い無くアジア解放の戦争である。

 

 戦勝國は、日本がアジアを侵略支配している白人を追い出すために進軍ことを「侵略」とすり替えたのである。歴史の真実は、英米がアジアを侵略し植民地支配し続けたのである。

 

 また、日本は英米と戦ったのであってアジア諸國民・諸民族と戦ったのではない。日本が身を犠牲にして西欧列強を追い出したのである。そしてその後、東南アジア諸國は独立を達成したのである。

 

 西欧列強こそ何十年何百年にわたって東南アジアどころか世界各國を侵略支配し搾取し続けたのである。日本を侵略國だとして一方的に断罪するのは断じて誤りである。日本が半世紀以上前のことを「謝罪」し続ける必要はまったく無い。

 

 わが國は、先帝・昭和天皇が、『開戦の詔書』に示されている「洵ニ巳ムヲ得サルモノアリ」との萬感の思いを込められた悲痛なお言葉の通り、日本は萬やむを得ず開戦したのであって断じて侵略戦争を始めたのではない。だからこそ、一億國民(朝鮮・台湾人を含む)は挙國一致して「一億一心火の玉だ」の合い言葉で戦ったのである。

 

 さらにいえば「大東亜共栄圏」の思想は絶対に侵略思想ではない。その内容は、日本、満洲國、中華民國南京政府、タイ、フィリッピン、ビルマの六ヵ國によって、昭和十八年に採択された『大東亜共同宣言』に明示されている。そこには、「道義に基づく共存共栄の秩序」として、「自主独立の尊重」、「互恵提携」、「人種的差別の撤廃及び世界各國との文化の交流と資源の開放」などが謳われいる。侵略的意図など全くないことは明白である。

 

 また、『大東亜共同宣言』には人種差別撤廃が謳われている。一九五五年のバンドン会議でアジア各國代表は日本がアジア解放のために戦ったから独立できたと異口同音に語った。

                 

 わが日本は、共産支那などから「侵略した」「残虐行為をした」と言われると縮み上がってしまって何も言えなくなるという情けない状況が続いている。しかしわが國は、日本は弱肉強食の世界にあって、自存のために精一杯戦っただけのことである。

 

 しかるに、わが國自身がいわゆる「東京裁判史観」に呪縛されたまま、「謝罪決議」を行うのみならず「謝罪総理談話」を発表し、現内閣にいたるまでそれを継承している。言わば「東京裁判史観」がわが國の國是になっているといっても過言ではない。「東京裁判史観」とは、「極東國際軍事裁判」の多数判決即ち六人の判事の西欧列強のアジア侵略を正当化するためにわが國の行為を一方的に処断したにすぎない全く虚妄の「判決」を正しいとする歴史観である。

 

 戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。『開戦の詔書』には『自存自衛』『東亜の安定の確保』『世界の平和に寄与』『萬邦共栄の楽を偕にする』と示されている。白色人種の植民地だった東亜の解放が戦争目的だったのである。我ら日本人は、日本が白人優位の世界秩序を変えたことを誇りに思わなければならない。

 

 歴史に誇りを持つとは、歴史の中に生きた先人たちを大切にし、顕彰することにほかならない。大東亜戦争に殉じた英霊を崇敬し慰霊顕彰し、その遺徳を追慕するのは日本國民の心情である。皇軍兵士の勇戦奮闘は、わが國民が子々孫々に語り継ぐべき誇りである。

 

 その國の國民が祖國の歴史を如何に見るかは、その國の将来を決定する要素である。反省と謝罪の意識に責め苛まれる日本でありつづけてはならない。日本の國を愛し、日本の國の歴史に誇りを持つことが、今後の日本の発展と國民の幸福の基礎である。

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千駄木庵日乗十一月七日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後七時より、西日暮里にて若き友人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年11月 7日 (月)

亀井静香氏の許し難い発言

亀井静香氏、石原慎太郎氏らは、十月二十日、靖国神社の徳川康久宮司に、戊辰戦争・西南戦争で「賊軍」とされた人々の御霊を、靖国神社に合祀するよう申し入れを行った。このことの是非については今日は論じない。

 

しかし、亀井静香氏は、『月刊日本』本年十月号において、「「昭和天皇は明治憲法下において、日本国と日本国民を救うことができるお立場でありながら、そうされなかった。大東亜戦争が始まる時、昭和天皇は日本が破滅的な状況へ向かうのをお止めにならなかった。また戦争が終わる時、昭和天皇は広島長崎への原爆投下とソ連参戦までご聖断を下されなかった。もっともっと悲惨な状況になる前に降伏することができたのではないか。そして戦いに敗れた後、勝者による戦争責任の追及が進む流れの中で、東京裁判に東条英機以下七人の首を差し出された。…こういう一連の問題について、今上陛下はご自身の経験がおありになるから、やはり天皇たるものはそういうことをやってはならぬ、という忸怩たる想いがおありになったのではないか」と語った。

 

空いた口がふさがらない。まことに許し難い発言だ。開戦前のアメリカによるわが国への圧迫は、①対日通商條約の一方的破棄(昭和十四年七月)②航空燃料の輸出禁止(昭和十五年七月)③屑鉄の輸出禁止(同年五月)④在米全日本資産の凍結(昭和十六年七月)⑤石油の全面禁輸(同年八月)といふものであり、まさに真綿で首を絞めることをして来たのである。

 

さらに、昭和十六年十一月二十六日、わが軍の仏印・支那大陸からの撤退、王精衛の南京国民政府及び満州国の否認、日独伊三国同盟の死文化を求める米国務長官コーデル・ハルの最後通牒=「ハル・ノート」を突き付けてきた。この「ハル・ノート」をについてパル判事は、「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも合衆国に対して戈をとって起ちあがったであろう」(『パル判決書』)と書いている。

 

わが国は、まさに『開戦の詔勅』に示されている通り「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ頻セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」といふ状況に立たされたのである。

 

佐藤優氏は、「日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に追い込まれていったのである。あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないか」(『日米開戦の真実』)と論じている。

 

対米英戦争がわが國の自存自衛の戦ひであったことは、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、米上院外交合同委員会で、一九五一年五月三日、「原料の供給を断ち切られたら、一千万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」と証言したことによっても明らかである。

 

対米英戦争の開戦は、アメリカのあまりに理不尽なる圧迫が原因となった実に以てやむを得ざる選択であって、東条英機首相が陛下の大御心を無視し国民の声も聞き入れず戦争に突っ走ったなどといふことは絶対にないのである。むしろ大東亜開戦を一億国民が双手を挙げて歓迎し歓喜したといふのが歴史の真実である。

 

また東條英機氏は、『東京裁判』において、キーナン首席検事の「その戦争を行はなければならない。行へといふのは裕仁天皇の意思であったか」との尋問に答へて東条氏は、「意思と反したかもしれませんが、とにかく私の進言、統帥部その他責任者の進言によってシブシブ御同意になったといふのが事実です。而して平和御愛好の御精神は最後の一瞬に至るまで陛下は御希望を持っておられました。戦争になっても然り、その御意思の明確になっておりますのは、昭和十六年十二月八日の御詔勅のうちに明確にその文句が加えられております。しかもそれは陛下の御希望によって政府の責任において入れた言葉です。それはまことに己むを得ざるものであり、朕の意思にあらずといふ意味の御言葉であります」と答へてゐる。

 

さらにウエップ裁判長の「証人以外の何人が天皇に対し米英と宣戦するようにといふことを進言したか」との尋問に対して東条氏は「自衛上どうしても、戦争をやらねばならないといふ結論に達したのであるが、最後の決定について、私と両総長(注・杉山参謀総長と永野軍令部総長)が、直接、天皇陛下にお目にかかって申し上げた。私と両総長は『日本の自存を全うするため、平たくいへば戦争以外に生きる道はありません』と申し上げた。しかして御嘉納をいただいたのです」と答へてゐる。

 

東条英機氏はさらに『東京裁判』の陳述において要旨次のやうに述べた。「日本は米、英、オランダ三国によって戦争の挑発に追ひつめられ自衛のため開戦に至った。天皇には何ら責任はない。その理由は、天皇は輔弼の上奏に対して、拒否権を発動されぬ立場であるために、実際政治とは具体的な関係がなかった。日本の大東亜政策を侵略と決めつけているが、世界におけるアジア大陸の侵略者こそ米英など白人であり、これを日本が解放せずして、誰が行えたであろう。対米開戦は、謀略的かつ侵略的目的のために、長年かかって計画したのではない。昭和十七年十二月一日の御前会議において、やむなく開戦を、初めて決定したのである」と。

 

終戦時に関する発言も断じて許し難い。昨日も書いたが、昭和天皇は、大東亜戦争末期、広島と長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦し、愈々以って本土決戦しか戦う道がなくなった時、「自分の身はどうなってもいい。ただ民を救いたい」との大御心から、決然として『ポツダム宣言』受諾の御聖断を下された。あのまま戦争を続けていたなら、本土が戦場となり、わが国土は文字通り焦土と化し、大多数の日本国民が死に絶えたであろう。それを救われたのが昭和天皇なのである。この尊い事実を我々日本国民は永遠に忘れてはならない。

原爆が二発落とされ、ソ連が参戦した後でさえ、「終戦」に猛然と反対する勢力が多かったのにもかかわらず、終戦を決断されたのはまさにご英断と言うほかはない。「昭和天皇がもっと早く終戦の御聖断を下されていたら、広島・長崎に原爆は落とされなかった」などというのは妄説である。原爆を落とし、無辜の民を殺戮したのはアメリカである。また『日ソ不可侵条約』を一方的に破棄して、満洲、南樺太全千島。朝鮮半島北部を侵略したのはソ連である。

 

こうした歴史の真実を亀井氏は知らないのか。知っていながら敢てあのようなことを言ったのか。いづれにしても、亀井氏の発言は断じて許し難い。このような人物に、英霊が鎮まりまします靖国神社の御祭神について神社に対して「申し入れ」などをする資格ないと断言する。

 

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千駄木庵日乗十一月六日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。『伝統と革新』編集の仕事。

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2016年11月 6日 (日)

終戦時の御製に示された昭和天皇の無私の大御心

 

 昭和天皇は、大東亜戦争末期、広島と長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦し、愈々以って本土決戦しか戦う道がなくなった時、「自分の身はどうなってもいい。ただ民を救いたい」との大御心から、決然として『ポツダム宣言』受諾の御聖断を下された。あのまま戦争を続けていたなら、本土が戦場となり、わが国土は文字通り焦土と化し、大多数の日本国民が死に絶えたであろう。それを救われたのが昭和天皇なのである。この尊い事実を我々日本国民は永遠に忘れてはならないと思う。

 

原爆が二発落とされ、ソ連が参戦した後でさえ、「終戦」に猛然と反対する勢力が多かったのにもかかわらず、終戦を決断されたのはまさにご英断と言うほかはない。「昭和天皇がもっと早く終戦の御聖断を下されていたら、広島・長崎に原爆は落とされなかった」などと言う政治家がいるが、とんでもない妄説である。原爆を落とし、無辜の民を殺戮したのはアメリカである。間また『日ソ不可侵条約』を一方的に破棄して、満洲、南樺太全千島。朝鮮半島北部を侵略したのはソ連である。

 

終戦時の尊いご心境を昭和天皇様は次のように歌われている。

 

爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも

 

身はいかになるともいくさとどめけりただたおれゆく民をおもひて

 

国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

 

 昭和天皇は、国のため民のためならご自身はどうなってもいい、というまさに神のごとき無私のご心境で戦争終結をご決断あそばされたのである。ここに、つねに国の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇の御本質を仰ぐ事ができるのである。

 

天皇を中心とする国柄が正しく継承されていなければ日本は日本でなくなる

さらに大事なのは、「国がらをただまもらんと」と歌われていることである。「国柄を守る」とは、昭和天皇御一身の地位の安泰を意味するのでは全くないことは、「いばら道すすみゆくとも」と歌われていることで明白である。昭和天皇は、たとえ自分か退位させられても、あるいは「戦犯」として処罰されても、天皇中心の国柄・國體が護持されればよい、とのご信念で終戦を決意されたのである。

 

わが国は、ただ単に領土と国民と主権さえあればいいという、建国以来日の浅い普通一般の国家ではない。日本独自の国柄すなわち、神代以来・建国以来の天皇を中心とする國體が正しく継承されていなければ日本国とは言えない。

 

天皇中心の日本國體とは、天皇が政治的支配者として国家権力の頂点に立つ国家の在り様という事ではない。信仰的共同体としての日本の中核であられる天皇、祭祀国家日本の祭祀主としての天皇を上に戴いた長い歴史と伝統を持つ国柄のことをいう。

 

常にご自分を無にして、国の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇は、権力や武力で国家・国民を支配と従わせるという覇者ではあらせられず、祭祀主としての信仰的権威と御徳によって国民をしろしめしてこられたのである。この「しろしめす」とは国民の意志や希望をよくお知りになるという意味である。

 

たしかに領土も国民も主権も大切である。しかし、日本のように三千年の伝統を有する国は、その長い歴史と伝統と文化の核であるところの国柄・國體というものが破壊されてしまったら、たとえ領土と国民と主権が維持されても、日本は日本でなくなるのである。

 

昭和天皇が「国柄をまもらん」とお歌いになったのは、このかけがえのない日本国の國體が護持するために、たとえどのような苦難があろうとも茨の道を進んでいくとのご決意を示されたものと拝察する。

 

戦争直後国民が飢えから救われたのは、国民を思われる昭和天皇のご自分を無にした御行動による

 

終戦の年の九月二十七日に、昭和天皇はマッカーサーをお訪ねになり、「私は、国民が戦争を成し遂げるにあたって、政治、軍事の両面で行なったすべての決定と行動に対する、全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁きにゆだねるためにお訪ねした。日本国民は現在、飢餓に瀕している。もうこれ以上日本国民を苦しめないでもらいたい。米国に是非食糧援助をお願いしたい。皇室財産の有価証券類を持参したので、その費用の一部に当ててもらいたい」と仰せになった。(マッカーサーの「回想記」による)

 

このお言葉にマッカーサーは「骨のズイまで揺り動かす」(マッカーサー自身の言)ほどの感動を覚え、占領政策に大きな影響を与えた。そして食糧援助が行なわれるようになった。実に戦争直後、国民が飢えから救われたのは、ご自分を無にして国民を思われる昭和天皇の御行動によるのである。

 

マッカーサーは後年、昭和天皇を讃嘆して「私ははじめて、神のごとき帝王を見た」「天皇陛下こそ新日本の生みの親である」と語っている。

 

このように、天皇によって日本は救われたのである。これは歴史の真実である。

 

日本は、天皇中心の國體を護持しさらにその本当の姿を顕してこそ、正しく発展していく事が出来るのである。昭和の歴史だけでなく、元冦や明治維新など、これまで幾度か起った大きな国難の歴史を見てもそれは明らかである。

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千駄木庵日乗十一月五日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理・検索。

この後、施設に赴き、母に付き添う。二人で歌を歌う。母は何故か東海林太郎の「上海の街角で」が好きである。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2016年11月 5日 (土)

日本が核武装することによって、アジアの平和が保たれ、日本は真の自主独立国家・真の平和国家になる

トランプが米国大統領になるかどうかは分からないが、もしなったらわが國の核武装が現実の問題となる。私は基本的に日本国も核武装しなければならないと思う。トランプが大統領になろうとなるまいと、アメリカが将来にわたってずっと絶対に日本を守ってくれるという保障はないからである。また、他人任せの国防であって良いはずがない。アメリカの核の傘の下にいれば安心というわけには行かなくなりつつある。第一、六十年前に日本に二発もの原爆を落した國はアメリカある。反米意識を煽るわけではないが、これは歴史的事実である。

 

冷静に国際情勢を眺めた場合、日本が独自の核抑止力を持つのは当然である。わが国が唯一の被爆国だからこそ、二度と再び核攻撃の惨禍を受けることのないように核武装すべきなのである。広島・長崎が核攻撃を受けたのは、日本に核抑止力がなかったからである。

 

米ソ冷戦期には、米ソがともに核兵器を持っていたから使用されなかったのである。もしも米ソどちらかが相手に核攻撃を行ったら、地球が壊滅する核戦争が勃発した。だから、米ソはお互いに核攻撃ができなかったのである。

 

北朝鮮は核実験を行っている。共産支那はわが国を射程に入れた核兵器を無数に持っている。日本は大戦略を立てなければならい。共産支那と北朝鮮が核兵器を持ち、日本に狙いを定めているのに、日本が無防備でいるという事は許されない。地下化された北朝鮮の核・弾道ミサイル基地をわが國が先制攻撃するのは不可能だという。だとすれば、北の核兵器に対する抑止力は核兵器しかない。

 

共産支那のように侵略国家、北朝鮮のような国際テロ国家が核兵器を持っているのに、その標的となっているわが國が核兵器を持ってはならないなどという事は全く道理に反することである。隣に住む強盗が殺傷能力の極めて高い凶器を持った以上、その強盗に狙われている家が何の防衛策も講じないでいるわけにはいかない。

 

アメリカが絶対にそして永遠に日本を守ってくれるという保障は全くない。やはりわが国も核武装する以外に恒久的に安全を確保する道はない。

 

 

昨日も書いたが、「外交とは華麗に礼装した軍事である」という言葉を忘れてはならない。フランスという国を核攻撃する國は存在しないと思われるのに、フランスは早くから核武装している。わが国が核武装してはいけない道理はまったくない。まして、共産支那・北朝鮮という何をするか分からない無法国家が核武装してわが国を狙っているのである。一刻も早く我が国は核武装すべきである。それは独立国家として当然の権利である。このままでは日本は益々北朝鮮と共産支那とロシアに脅かされ続ける国となるであろう。

 

繰り返し言う。わが國が唯一の被爆国になったのは、当時のわが國が核抑止力を持っていなかったからである。その愚を繰り返してはならない。

 

日本が核武装することによって、アジアの平和が保たれ、日本が真の自主独立国家になる。

 

「『恒久平和主義』は憲法三原理の一つであり『非核三原則』は国是であるから絶対に守るべし」と言う人がいる。しかし、このような「国是」だとか「原理」などというものを守ることによって国が滅び、国民の安全と生存が脅かされるのは真っ平御免である。

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2016年11月 4日 (金)

千駄木庵日乗十一月四日

朝は、諸雑務。

午前十時四十分、豊島岡墓所において『故崇仁親王殿下葬場一般拝礼』執行。謹んで拝礼させていただき、ご冥福を祈り奉った。

 

「晴れわたる青空の下 逝きませる崇仁親王の御霊拝ろがむ

御齢百歳にして神あがりましし殿下の御霊拝ろがむ

民草は粛然として拝礼す 崇仁親王の尊き御霊に

晴れわたる大空の下 神あがりましし御霊を仰ぎまつれり」

 

この後、丸の内の出光美術館にて開催中の『大仙厓展』参観。

帰宅後は、原稿執筆の準備、原稿執筆。

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「外交は華麗に礼装した軍事である」

かつて、「君国売り給うことなかれ」とまで言って田中角栄を批判していた石原慎太郎氏が、田中角栄礼賛の本を出した。私は全く讀む気も起らない。田中角栄の最大の失政というかも国家に対して犯した罪は、いわゆる「日中国交回復」を行ったことだ。当時、石原氏は青嵐会に属して強硬に反対していた。

 

田中内閣による拙速なる「日中国交回復」以来、対シナ屈辱外交・土下座外交が行われてきた。日本は経済協力を強いられ、シナの経済発展に貢献した。然るにそのことは全く感謝されず、また、日本の貢献をシナ民衆には知らされることもなかった。そして今日、わが国は共産支那から歴史問題・領土問題・資源問題で恫喝され、軍事的圧迫を受け、尖閣・沖縄が侵略の危機にさらされて、シーレーンが脅かされている。何とも悔しい限りである。

 

昭和四十七年九月二十九日に 北京で署名された『日中共同声明』には「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。」と書かれている。しかし、「日中国交樹立」以来のわが国と「中国」との関係こそきわめて「不正常な状態」であり続けている。

 

かかる状況が続くと、今に日本民族のナショナリズムが爆発する時が来る。またそう期待したい。私は共産支那や南北朝鮮と戦争することを期待しているのではない。正常な外交関係になることを望んでいるのである。

 

このままだと、わが国は共産支那の属国になってしまう危険すらある。国家の主権・領土・独立・尊厳を固守し、正当なる主張をすることこそ、主権国家の政府としての基本的な外交姿勢である。

 

日本の経済援助によって軍事的・経済的に強くなった共産支那によって、わが国が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。これまで、拙速なる「日中国交回復」を行った田中角栄、そしてその後「日中友好」を唱えて、共産支那に媚を売り、金と技術を与え続けてきたわが国内の「媚中派」の責任はきわめて大きい。

 

海洋国家・日本はシナ大陸に深入りしてはならないという論議がある。私もそれは正しいと思う。軍事的にせよ経済的にせよ政治的にせよ日本が大陸に深入りしたらろくなことがなかったことは歴史を見れば明らかだ。

 

大陸国家であったシナの海洋進出に対して、わが日本はが如何に外交的・軍事的に対処すればいいかが最も大事である。まさに緊急の国家的課題である。

 

「棍棒片手に猫なで声で外交をすれば、大体成功する」という言葉がある。日米開戦時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの言葉であるという。脅しと猫なで声が外交の基本ということである。わが国を開戦に追い込んだ人物らしい言葉である。ただし日米開戦直前のアメリカは、「猫なで声」どころではなく、日本を挑発する行動をとっていた。

 

さらに、「外交は華麗に礼装した軍事である」という言葉もある。国家というものは、国軍を持たなければ駄目である。わが国には、自衛隊は存在するし、その能力は精強だと言われている。しかし、憲法上「国軍」と正しく規定されていない。領土問題・資源問題・拉致問題など色々なことで周辺諸国から馬鹿にされ、なめられ、主権を侵害されっぱなしなのは、「日本は何をやっても報復できない、反撃して来ない」と思われているからである。

 

『現行占領憲法』があるかぎり、「戦争」「武力の行使」を放棄しているのである。これでは何処の国とも対等な外交はできない。まして、共産支那や北朝鮮や韓国という無法国家とわたりあう事はできない。憲法に『国防』『国軍』を明記すべきである

 

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千駄木庵日乗十一月三日

午前は、諸雑務。

 

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

 

この後、施設に赴き、母に付き添う。

 

帰宅後は、原稿執筆の準備、資料の整理。

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2016年11月 3日 (木)

和歌の本質と起源について

保田與重郎氏は次のやうに論じてゐる。

 

「生命の絶對的な瞬間が歌として現れるといふ事は、古代人の信條である。この生命とは何かと云へば、神のものである。だから生命の白熱の意識が切迫した瞬間には、必ず歌が生まれる。この事實は作るのではなく、生れるのである。こゝに神詠といふ思想の根柢があり、かくして生れた歌の姿におのづから風雅(ミヤビ)があり、従ってその徳用(サキハヒ)もあるわけである」(『言靈私觀』・保田與重郎全集第二十巻所収)

 

やまと歌の本質と言ふか本来の姿が如何なるものであるかが論じられてゐる。此処までの境地に達して歌を詠むことが本来のやまと歌の道であらう。生命の絶對的瞬間といふことを体験することはなかなか少ない。しかもその「生命」とは「神のもの」と言ふのである。「神ながらの心」で歌を詠むといふ事であらう。常に神を祀り、神に祈るといふ心がなければならない。さらに、大切なのは、歌はつくるのでなくて、生れるのだといふ事である。作るとは人為である。人間の技(わざ)である。技であってはならず、神ながらに生まれるものが本当の「やまと歌」なのである。

 

私は歌を詠むやうになってから五十年にはなるかと思ふ。しかし、なかなか保田氏が説かれる境地にまでは達し得てゐない。ともかく心に鎮ませつつ、自然の境地で歌を詠むことに精進しやうと思ふ。

 

和歌の根柢が「神詠」であるとふことは、「やまとうた」は、「まつりごと」から発生したといふ事と同意義であると思ふ。

 

日本では太古から、天地自然の奥に生きてをられる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈るまつりごとが行はれてゐた。そのまつりごとにおいて祭り主が神憑りの状態で「となへごと」を発した。神憑りの状態から発せられた「となへごと」が度々繰り返された結果、一定の形をとるやうになったのが「やまとうた」(和歌)の起源である。祭祀における「となへごと」は、やまとうたのみならずわが國の文藝全体の起源である。まさにやまと歌は祭りごとから自然に生まれたのである。

 

祭祀における「となへごと」は、「七・五調」あるいは「五・七調」に自然に整へられたといへる。これは「七・五調」あるいは「五・七調」といふ調べに、日本人の魂をゆさぶる何ものかがあるといふことである。そして和歌が「五・七・五・七・七」といふ短歌形式になっていったのであらう。

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千駄木庵日乗十一月二日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。色々と会話をする。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2016年11月 1日 (火)

日韓併合について

日本による韓國併合は、当時の日本にとって万止むを得ざる選択であったと共に、当時の韓國政府との正式な交渉のもとに行はれたことである。しかも、併合後韓國は、近代化を遂げ、あらゆる面で併合以前よりも発展し、國民は豊かになった。そして継承され護られるべき韓国の傳統文化は保護された。わが國は、韓國・朝鮮を一方的に侵略し支配したのではない。従って韓國に対し謝罪する必要は全くない。

 

朝鮮併合を『植民地支配』と言っているのは大きな間違いである。朝鮮は日本の植民地ではなかった。九州・四國と同じに考えられた併合國家であった。だから朝鮮総督府は内閣に直属していた。

 

明治天皇の『韓國併合に付下し給へる詔書』(明治四十三年八月二十九日)に、「(朝鮮の注)民衆は朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし。産業及び貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし。而して東洋の平和は之に依りて愈々其の基礎を鞏固にすべきは朕の信じて疑はざる所なり」と示されている通り、わが國には韓國・朝鮮を植民地する考えは全くなかった。

 

わが國が朝鮮半島において植民地搾取を行ったと言うなら、『数字』を根拠とするべきである。朝鮮統治三十六年間、朝鮮総督府の財政予算の一五~二0%は日本中央政府から補助を受けていた。『日本は朝鮮半島の土地を収奪し、人の命を収奪した』と言うが、日本統治時代に朝鮮の土地の利用価値・生産価値を高め、三十七年間の自然・社會環境の整備によって人口を倍増せしめた。

 

朝鮮、台湾、樺太を外地と呼ぶことはあったが、植民地と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。日本統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。

 

朝鮮半島の歴史は、「中華帝國」への隷属の歴史であった。文化的にも政治的にも軍事的にも支那の属國であり続けた。しかし、日清戦争の後の「下関条約」(明治二十八年)で、「清國は、朝鮮が完全無欠なる独立自主の國であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮國から清國に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)」事となった。すなわち、朝鮮は日本のお陰で支那からの独立を獲得したのだ。

 

ところが、日本が「三國干渉」に屈服したため、「日本弱し」と見た李氏朝鮮は、今度はロシアに接近しその属國となった。國王の高宗はロシア大使館で政務を執るという状況であった。こうした朝鮮の体質を「事大主義」(『以小事大』(小を以て大に事〈つか〉へる)という。強い者を背景に弱い者をいじめるという体質である。「事大主義」は、李氏朝鮮建國以来の國策であった。

 

日本に併合される以前の韓國は、ある時はロシアの属國となり、またある時は支那の属國になるという体たらくで、とても独立國と言える状況ではなかった。また國内の改革・近代化も全く進まず、経済的に破綻に近い状態にあり、権力者は腐敗し、政争を繰り返していた。そして國民は疲弊し李朝の圧政に苦しんでいた。  

 

このままの状況で推移すれば、朝鮮半島は、きわめて不安定になる。これはわが國にとって重大な脅威である。そこで、日露戦争に勝利した日本は、事實上ロシアの属國であった朝鮮を併合したのである。当時の國際感覚では当然の成り行きであり、文字通り致し方の無い選択であった。

 

日本の韓国統治は西洋列強がアジア・アフリカなどに対して行った「植民地支配」とは全く異なる。断じて謝罪する必要はない。

 

一体今まで、日本は韓國に対して、そして支那に対して何回「謝罪」してきたのか。そしてそれによって日韓関係・日支関係が良くなったのか。断じて否である。何回謝罪しても、友好関係は確立していない。日韓の歴史問題は「日韓条約」締結でとうの昔に決着がついている。「日韓併合」という歴史問題を何時までも繰り返し謝罪するのは、愚の骨頂である。

 

それよりも、わが國は韓国に対しては竹島返還、北朝鮮に対しては拉致問題の全面解決を強硬に主張すべきである。

 

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千駄木庵日乗十一月二日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時より、神田駿河台の中央大学駿河台記念館にて、『松本彧彦さんを囲む会』開催。海部俊樹元総理・大島理森衆院議長・高村正彦自民党副総裁・謝長廷台湾駐日代表・山本有二農水相・今井正交流協会会長・酒井正三郎中央大学総長学長が祝辞を述べた。そして松本彧彦氏が挨拶し、盛宴に歌った。各界からまことに多くの人々が出席した。私の隣には、小生が幼少の頃の人気番組『お笑い三人組』のメンバーでであられた三遊亭金馬氏がおられた。懐かしい方である。松本氏は、自民党本部員、石田博英労相秘書・海部総理秘書官などを経て、各国との外交活動、日台交流活動に献身された。現在、日台スポーツ・文化推進協会理事長をされている。小生とは豊島典雄氏の御紹介で約四十年前からご厚誼をいただいている。昭和四十年代後半に台湾にお供をして、当時の中国青年反共救国団(国民党の青年組織)と交流したことが懐かしい思い出である。当然、国会議員になられると思っていたが、いわゆる「大物秘書」を続け、さらに国際交流活動に挺身して来られた。

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挨拶する海部俊樹氏と松本氏

帰宅後は、原稿執筆。

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三笠宮崇仁親王殿下のご葬儀やご墓所建立の費用を何故公表しなければならないのか

三笠宮崇仁親王殿下のご葬儀やご墓所建立の費用を何故公表しなければならないのか。これが「開かれた皇室」ということなのか。政府及び宮内庁の姿勢に怒りを覚える。

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この頃詠みし歌

 

 

家持の恋歌のことを語りつつわが青春に悔ひ多きを思ふ

 

幾千歳地球を照らす月光を仰ぎつつ限りなき命を思ふ

 

父逝きて母は老いたり我もまた来年は古稀となる定めなり

 

涙を流す乙女をあはれと思ひたる小学生時代の淡き恋かな

 

篠峯といふ酒を呑みにつつわが名に似てゐると喜びてをり

 

友の住む御所の酒なりと思ひつつ篠峯といふ酒を呑みをり

 

古都の情緒などといふものさらに無し あまりにも多き観光客の群れ

 

我を生み育てたまひしわが母は今日も笑顔で歌うたひをり

 

今日はしも我を息子と判別し正貴正貴と呼びたまふ母

 

さみしげな顔して我に手を振れる母を残して帰り来にけり

 

寝る前に鏡に映るわが面(おも)を見つつ励ます強く生きよと

 

もう逢へぬ友の面影 年を経て愈々鮮明となりて悲しも

 

佳き歌をのこして逝きし友のこと幾歳経ても忘らへぬかも

 

手際よく寿司握る店主の前に座し酒酌みてゐるひと時の幸

 

大いなる人の言葉の大いさに魂(たま)ふるひ立つ天心公園

 

我もまた強き意志もて生きゆかん「堂々男子は死んでもよい」

 

囚われし如くにお堂の中に座す天心像はあはれなりけり

 

大君の生れまししことを寿げる歌碑仰ぎ見る須藤公園

 

幼き日に遊び回りし公園は今も昔の姿なりけり

 

ウーウーとサイレンの音聞こえ来て騒がしきかな東京の町

 

一日一日(ひとひひとひ)を大切に過ごすを心がけ今日も仕事に精出しにけり

 

朝の光輝きてゐるその下で洗濯物を干す爽やかさかな

 

わが母の細りたる手に手を重ね語らひをれば胸迫り来る

 

母のこと思へば自づから涙湧き来る生みの子われは

 

健やかなりし母と共に歩みたる道を今日は一人で歩む

 

アルテミオ・リカルテのこと思ひ出す親日大統領来日の日に

 

星条旗の下に死なずと叫びたるリカルテの言葉甦り来る

友と語るを楽しみとする我なれば今日の宴の楽しくもあるか

 

遠き日に多摩の河原で遊びたる思ひ出は幻の如くに今も

 

急激に気温下がりて晩秋の空を雲が蔽ひゐるかな

 

読み上げる物故者の名前を聞きにつつその面影の眼に浮かび来る

 

逝きにし人の多くなりゆくを嘆きつつ僧侶の読経の声を聞きをり

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千駄木庵日乗十月三十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母と過ごす。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆。、

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