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2016年10月19日 (水)

現御神日本天皇の「大御心」「勅命」が絶対にして最高の法である

天皇陛下の「お言葉」を拝して、恐懼に堪へないのは、陛下が『現行憲法』の規定に対して深く軫念あそばされてゐることである。畏れ多いことながら、戦後、天皇陛下そして皇室は『現行憲法』のいはゆる「象徴天皇制」の制約下に置かれてきてゐる。

 

わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主であらせられる。祭祀國家日本の祭り主であられ、現御神であらせられる日本天皇、そして皇室は、「近代成文法」、況や戦勝國によって押し付けられた『占領憲法』の制約を受けることがあってはならない。

 

「近代成文憲法」は、西洋の法思想・國家観がその根底にある。「國王といへども法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想である。これは、「國家は権力機構である」「憲法は権力の制限規範である」「國王と人民は対立関係・支配被支配の関係にある」とする西洋の國家観・法思想に基づく考へ方であって、天皇を祭り主と仰ぐ祭祀國家たるわが國には通用しないし、通用させてはならない。

 

わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を國民に傳へる「のりごと」である。「法(のり)」は「宣(のり)」である。天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の宣命(みことのり・おほせごと・大御心)が即ち「法」なのである。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅命」が絶対にして最高の法である。

 

また、「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」に関する神聖なる事柄は、世俗の法律問題・政治問題ではない。即ち決して『現行憲法』が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。政治権力や成文法によって、天皇を規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。

 

わが國においては、成文法があって國體が成立するのではない。國體の上に成文法が成立するのである。

 

天皇は、権力や成文法を超越された神聖なるご存在である。従って、今回の天皇陛下の「詔」「勅命」は、臣下國民が従ひ奉るべき絶対の「法」である。

 

安倍晋三内閣総理大臣をはじめわが國の政府・政治家はこの事を正しく認識し、陛下の大御心にこたへ奉るべきである。

 

繰り返し言ふ。成文憲法及び成文法そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇國日本の道統を破壊したり否定した制約したり隠蔽する権限は全くないのである。むしろ天皇國日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならないのである。戦勝國によって押し付けられた『占領憲法』の制約下に、上御一人日本天皇を置き奉る事があっては絶対にならない。天皇の「詔」「勅命」「大御心」が最高最尊の「法」である。

 

 

「成文憲法」は「権力の制限規範である」と言はれる。であるならば、「國政に関する権能を有しない」とされる天皇が、『現行占領憲法』の制約を受けることはあり得ない。

 

「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」に関する神聖なる事柄は、世俗の法律問題・政治問題ではない。即ち決して『現行憲法』が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。政治権力や成文法によって、天皇を規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。

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