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2016年10月15日 (土)

『鈴木其一 江戸琳派の旗手』展を参観して

 

十月十三日に参観した『鈴木其一 江戸琳派の旗手』展は、「鈴木其一(すずききいつ・1796~1858)は江戸時代後期に、江戸琳派の優美な画風を基盤にしながら、斬新で独創的な作品を描いた画家として近年大きな注目を集めています。その其一の画業の全容を捉え、豊穣な魅力を伝える初の大回顧展を開催します。戸時代初期の京都で俵屋宗達(たわらやそうたつ・17世紀前期に活躍)が創始した琳派は、尾形光琳(おがたこうりん・1658~1716)により、さまざまな流派が活躍した江戸時代絵画の中で最も華麗な装飾様式として確立されました。光琳が活躍した時期の約100年後に、江戸の地で琳派の再興を図ったのが酒井抱一(さかいほういつ・1761~1828)です。抱一は京都の琳派様式からさらに写実的で洗練された画風を描くようになり、その新様式はのちに、京都に対して「江戸琳派」と呼ばれています。そのような江戸琳派の祖・抱一の一番弟子が其一です。其一は寛政8年(1796)、江戸中橋に誕生しました。…文政11年(1828)、其一33歳の時に抱一が没して以降は、一門の中でも圧倒的な存在感を示し、その作風は次第に師風を超え、幕末期にかけて大きく変容を遂げます。とくに30代半ばから40代半ばにかけてはダイナミックな構成や明快な色彩を多用し、新たな其一様式が築かれました。さらに晩年にはより挑戦的で自由な作風を開き、近代を予告するような清新な作品も少なくありません。このように、抱一の実質的な後継者としての自負、光琳に連なる琳派画家としての誇り、さらに酒井家家臣という立場が上質で機智に富む画風を育み、多くの其一画が大名家や豪商の厚い支持を得ました。…其一は多くの弟子を育成して江戸琳派の存続に大きく貢献しており、近代まで続くその系譜も辿ります。まさに「江戸琳派の旗手」として目覚ましい活躍をみせた其一。広く知られた其一の名品や新出作品など、国内外からかつてない規模で作品が一堂に揃うこの展覧会は、江戸の画壇を豊かに彩った其一画の魅力とその展開を、存分に堪能していただける貴重な機会となります」(案内書)との趣旨で開催された。

 

 

 

風神雷神図襖 朝顔図屏風 夏秋渓流図屏風 藤花図 糸瓜朝顔図 月に葛図 暁桜・夜桜図 維摩図などを見る。

 

 

 

どれも色彩が美しい。大名や富豪の注文に応じて描かれた絵が多いようで、屋敷内に飾られるので言ってみれば豪華絢爛たる絵である。つまり、装飾性が強いということだが、その限界を超えた感動と驚きを与える作品が多い。

 

 

 

『琳派』というのは、桃山時代後期の俵屋宗達に始まり、尾形光琳、尾形乾山に引き継がれ、さらに江戸時代後期の酒井抱一、鈴木其一らによって江戸の地で広く行われるようになった美術の流れだという。その間約三百年の歴史がある。ただこの流れには厳密な師弟関係は無いという。彩色豊かで大きな作品が多い。「わびさび」の世界とは対極にあると思う。徳川三百年の泰平を象徴する美術と言っていいのだろうか。不思議なのは、同じような豪華絢爛な彩色と緻密な描写の作品をのこしている伊藤若冲は琳派には入らないらしい。どうしてなのか美術史の素人である私には分からない。

 

 

 

琳派は近代になって、下村観山・菱田春草・横山大観に影響を与えたと言われる。「朝顔図屏風」は六曲一双の大きな屏風に青色の朝顔の花と緑色の葉が無数に描かれている。とても装飾という言葉ではくくれないすごい迫力である。

 

 

 

余談であるが、鈴木其一はコレラで亡くなったという。幕末の安政五年にはコレラが流行し、多くの人々が亡くなった。 幕末の尊皇思想家にして漢詩人・梁川星厳は、安政の大獄で捕縛される三日前にコレラで逝去した。コレラの流行は相次ぐ異国船来航と関係し異国人がもたらした悪病であると信じられた。コレラの流行は政情不安、攘夷思想の高まりの原因の一つになったのかもしれない。

 

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