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2016年10月20日 (木)

宗教について

宗教は、人類の苦悩を救い、安穏をもたらすことを使命としているはずです。これまでの人類の歴史において、宗教は多くの人々に希望を与え、平和をもたらしたことは事実であります。 しかしその一方で、宗教が原因となった対立・闘争も激しく行われて来ました。そしてそれは今日においてもより激しさを増しています。一神教同士の対立は言うに及ばず、インドとパキスタンの対立はヒンズー教徒いう多神教とイスラム教という一神教の闘争です。佛教も、おとなしいとは言えません。近世初頭には一向一揆というのがありました。最近では、オウム真理教は仏教系の宗教でした。創価学会は、敵対者・離反者に対してすさまじい攻撃を繰り返しています。

 

これまで、宗教戦争で死んだ人々の数は計り知れないものがあると思います。宗教というものは、愛と赦しを説きますが、反面、呪詛や迫害も行うのです。宗教の怖さというもの、悪魔的側面を、我々は充分認識していなければならないと思います。

 

私も、高校時代・大学時代に生長の家に所属して、活動をしていましたので、自分の信ずる宗教教団そしてその教祖を絶対視する精神構造・心理状態というものを経験しました。反対者に対する憎悪というか、反発心というものが非常に強くなるのです。特に同じ教団に所属していたにもかかわらず違う生き方をするようになった人への憎悪はより激しいものとなります。近親憎悪であり、裏切り者・背教者への憎悪です。愛を説き、慈悲を説く宗教教団が、全くその逆の憎悪・排撃の心を駆り立てるのです。生長の家は、創始者の孫で三代目を継いだ人が、教祖の教義を改竄し隠蔽し、そのことを批判する人々はたとえ兄弟姉妹と雖も教団から追放しました。

 

「灯台もと暗し」という言葉があります。灯台のすぐ下は光に照らされないので暗いという意味でしょう。「人のことばかりしていて、自分のことを省みない」「坊主の不信心」「医者の不養生」「論語讀みの論語知らず」と同じ意味で用いられる言葉です。生長の家の創始者谷口雅春師は、「七つの灯台の点燈者の神示」という神示を神から受けたとされている。その灯台は人類を救う光という意味が込められています。

 

ところが谷口雅春師の実の孫にして教団の三代目を継いだ谷口雅宣氏は、生長の家の教えの根本であり、その「七つの灯台の点燈者の神示」に示されている「天地一切のものと和解せよ」「汝の父母に感謝せよ」「汝の兄弟と和解せよ」ということが全く実践できないのです。三人の実の兄弟そしてその配偶者を教団から追い出し、裁判沙汰にまでなり、最近は、実の母親即ち谷口雅春師の一人娘の方まで、四国の次女のもとに去りました。

 

根本的教義を全く実践できない人が教団の後継者となっているのです。こうしたことを「灯台もと暗し」と言うのでしょう。一教団のことではありますが、かつては愛国運動を活発に繰り広げていた教団であり、小生がかつて熱心に活動していた教団であるのであえて書かせていただきました。

 

曽野綾子さんによると、その宗教が本ものかどうかを見分ける方法は、次の通りであると言っています。

 

「(一)教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。

(二)自分が生き神さまだとか、仏の生まれ代わりだとか言わないかどうか。

(三)宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。

(四)宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。

この四つが正しく守られていれば、それは恐らくまともな宗教であろう」(曽野綾子氏著『自分の顔、相手の顔』)

 

この四つの尺度を厳しくあてはめれば、今日の日本の新宗教・新新宗教の殆どは「本物の宗教」「まともな宗教」ではないということになりましょう。

 

戦前・戦後・そして現代にかけてわが国に一体何人の救世主・生き神・生き仏が出現した事でしょうか。そしてその多くの教祖たちは一般庶民と比較するとはるかに裕福な生活をしていました。全く選挙運動をしなかった教団は少ないし、強制的に金品を収奪する教団も多いと思います。

 

それでも、入信し、活動している人々がそれで満足し、幸福感を味わっているのなら、それでいいのかもしれません。しかし、曽野氏の言う四つの事が余りにも度が過ぎている宗教、国家社会に害毒を及ぼす宗教はやはり良くないと思います。

 

私は、信仰心・宗教心とは、敬神崇祖の心が基本であると思います。日本伝統信仰たる神道そして先祖伝来の宗教を信仰することが大切であると思います。具体的に言えば、地域の産土の神社と先祖代々の菩提寺に眠る祖霊への感謝・報恩の心が基本であると思います。その上で。多くの宗教者の説いてきたことを学び、生活に生かすべきであると思います。ある特定の教団の教義や教祖・指導者を絶対視することは危険でありますし、それが今日までの宗教戦争の根源にあるものだと思います。

 

 

 

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