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2016年10月23日 (日)

日本國家・日本傳統文化は、人類の理想の日本における顕現である

 麗しき國日本は、村落共同體から出発して、次第にその範囲を広め、日本という國家を形成した。その本質は、地縁・血縁によって結ばれただけでなく、稲作生活から生まれた祭祀を基本とする傳統信仰によって結合している共同體である。その信仰共同體の祭り主が天皇(すめらみこと)なのである。故に日本という國とはいかなる國であるかと問われれば、「天皇中心の信仰共同體である」と答えるのが正しいのである。

 

 我々日本人が理想とする國家とは、麗しい天皇中心の信仰共同體とこれを統治する政治機構が包含され一體となったものである。    

 

 國家が、暴力装置・支配と被支配との関係の機関的存在であるとして扱われ、國家に對する愛が薄れ共同體意識が無くなりつつある現代において、このことを正しく認識することは非常に重要であり最大の課題であると言える。

 

 今日、グローバリズムという言葉があるように國家とか民族を軽視あるいは否定する傾向が現れている。しかし、世界・地球・人類に共通して存在する思想・精神は、それぞれの國家・民族固有の思想・精神として発現する。言語一つとって見てもしかりである。世界共通語などというものは本来存在しない。各民族・各國にそれぞれ特有な言語すなわち國語がある。英語が世界で通用している便利な言葉だからといって、英語だけに世界の言語が統一されることはあり得ない。

 

 一定の共同體を形成する人々に共有される言語、生活様式、倫理観を総称して「文化」というのであり、固有の文化を共有する人々のことを「民族」と言うのである。

 

 言葉は文化そのものである。國家・民族は共通の言語(國語)を使う者によって成立する。各國各民族の國語を基礎とし言葉と一體である文化は、各民族・各國家特有のものとして創造され継承されてきている。各民族・各國家の固有の文化を否定することは、世界の文化・地球の文化全體を否定することになる。

 

 和辻哲郎氏は、「人倫の實現は、個人がいきなり抽象的な人類の立場に立つことによって、なされ得るものではない。それは個人がいきなり人類語を話そうとするようなものである。人倫は常に一定の形態を持つ共同體において、すなわち家族とか民族とかの形態において、實現される。」(近代歴史哲學の先駆者)「絶對精神がただそれぞれの特殊な民族精神としてのみ働くということ、すなわち特殊的形態において己を現わすのではない普遍的精神というごときものは抽象的思想に過ぎぬ。…真の絶對者はあらゆる特殊相對をも己とするものでなくてはならない。…生ける主體的全體性が特殊的民族的となることなしに活動したことは、かつて一度もなかったし、またあり得ぬであろう。」(続日本精神史研究)と論じている。     

                        

 人間は、民族とか國家とかを離れて存在するものではない。必ず何処かの民族に属し何処かの國の國民である。抽象的な世界人類というものは存在し得ない。血統・風土・地域性・言語・歴史・傳統・文化というものを離れた人間などというものは存在し得ないからである。

 

 日本國家・日本傳統文化は、人類の理想の日本における顕現なのである。天皇國家日本の真姿顕現こそが世界的理想國家・真の自由なる國家の建設である。日本國に日本民族として生を享けた誇りと喜びを回復しなければならない。       

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