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2016年10月 8日 (土)

明治維新の精神と復古即革新の信仰

 徳川氏が独占してきた役職である「征夷大将軍」とは「夷」(えびす・えみし=日本に仇なすもの)を征討する大将軍という意味である。ところが幕府はペリーがやって来たら慌てふためいて、何もできない。そして、孝明天皇のお許しを得ないでアメリカと屈辱的な國交を結んでしまった。そこで、徳川氏は征夷大将軍の役目を果たすことができないという批判が巻き起こった。そして徳川幕府を倒して、天皇中心の國家を再生せしめた大変革が、明治維新である。

 

 わが國有史以来未曾有の大変革であるところの明治維新の基本精神は、慶應三年十二月九日、明治天皇『王政復古の大号令』に示されているように「諸事、神武創業の始に原(もと)づき、……至當(しとう)の公議を竭(つく)し、天下と休戚(きゅうせき)を同く遊ばさる可(べき)き叡念」ということである。

 

 「休戚」とは「喜びも悲しみも」という意である。「万事、神武天皇御創業の根本精神にたちかえり、……積極的に筋の通った公正な論議を尽くして、天下の民と喜びも悲しみも共にされるという御心……」というほどの意であると拝する。

 

 慶應四年八月二十七日に京都御所紫宸殿で行われた明治天皇即位式の『宣命』には、「方今(いま)天下(あめのした)の大政(おほまつりごと)古(いにしへ)に復(かへ)し賜ひて、橿原の宮に御宇(あめのしたしろしめし)し天皇(すめらみこと)御創業(おんことはじめ)の古(いにしへ)に基き……」と示されている。

 

 明治天皇は、さらに、

 

 「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより國はうごかず」

 

 「橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本(ひのもと)の國をたもたむ」

 

 と詠ませられている。    

 

 明治維新の基本精神は、「神武創業への回帰」すなわち、神武天皇が大和橿原の地に都を定められた精神に帰ろうということである。この精神に基づいて大変革を断行したのである。明治維新そして明治期の日本近代化は、実に神武創業への回帰の精神がその根底にあったのである。

 

 明治維新は、「神武創業の精神」に基づいて旧体制(幕藩体制)を根本的に変革し、封建体制を解体し、廃藩置県を断行し、身分差別をなくし、さらには憲法を制定し、議会を開設するなどの大変革を行ったのである。そして、明治維新の大事業の一環として紀元節が制定された。

 

 『日本書紀』には、「辛酉年(かのととりのとし)の春正月(はるむつき)の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)、天皇(すめらみこと)橿原宮(かしはらのみや)に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳(このとし)を天皇の元年(はじめのとし)とす」と記されている。

 

 神武天皇即位の日が正月朔日(むつきついたち)であるのは、むつき(正月)の始めにおいて、神も天地も人も新生するという上古以来の日本人の信仰に基づく。そして、明治六年、この日を太陽暦に換算した二月十一日を『紀元節』とした。

 

 明治維新後に行われた紀元節の制定は、「神武創業への回帰」という根本精神・明治天皇の大御心の実現であると共に、危機的状況にあった祖國日本を再生せしめるための精神的基盤確立であったのである。近代日本の発展はまさに神武創業への回帰がその基礎となったのである。これを「復古即革新」(=いにしえに回帰することが現在の革新であるという理念)という。

 

 今日の日本も、幕末期・明治初頭と同じような否それ以上の危機に直面していると言っても過言ではない。今日においてこそ神武創業の精神に回帰した國家革新を断行しなければならない。

 

 「紀元節」の歌に、「天津日繼ぎの高御座 千代よろづ世に動きなき 基い定めしそのかみを 仰ぐけふこそ楽しけれ」(高崎正風作詞)とある。この「天津日繼ぎの高御座」」(天津日嗣とも書く)とは、天の神の御子即ち日の御子のお座りになる高い御座所のことである。

 

 「天津日繼ぎ」とは、「高天原の天つ神から伝達された日(靈)を繼承される」ということである。日本天皇は天の神(天照大神・日の大神)の靈統を繼承され、神の御心のままに(神ながらに)日本國を治められるのである。

 

 平野孝國氏は「このツギの思想は、元来個人の肉体を超えて繼承される系譜と見てよい。ヨツギという形で後代まで変化しつつ残ったが、『宮廷のツギは日を修飾して、ヒツギと言ふ。日のみ子、或は日神の系図の義で、口だてによって風誦せられたものである』という折口信夫説(古代研究・國文学篇)が、本義に近いものである」(大嘗祭の構造)と論じておられる。つまり、皇位の繼承は肉体的な血統と共に、「日の神の神靈」を繼承するという神代以来の信仰に基づくのである。

 

 さらに「高御座」について折口信夫氏は、「高御座とは、天上の日神の居られる場所と、同一な高い場所といふ意味である。…御即位式に昇られる高御座は、…天が下の神聖な場所、天上と同一な価値を持って居る場所、といふ意味である。天子様の領土の事を天が下、天子様の御家の事を天の帝(みかど)といふのは、天上の日の神の居られる処と、同一な価値を持って居るところ、といふ意味である。…高御座で下される詞は、天上のそれと全く同一となる。だから、地上は天上になる。天子様は、天上の神となる」(大嘗祭の本義)と論じておられる。

 

 天皇が高御座に昇られることによって、天皇は天上の神と一体になられ、地上の國がそのまま天上の國となるのである。別の言葉でいえば、今が神代になり神代が今になるのである。日本伝統信仰においては、天と地とが隔絶した存在とはとらえていないのである。高天原を地上に持ち来たし、日本國を高天原のように清らかにして神聖なる理想國にすることが天皇の御使命である。

 

 今上天皇におかせられても、神代以来の伝統を繼承され、御即位の大礼において天津日繼ぎの高御座にお立ちになった。これは天の神の御代理(現御神)の御地位にお立ちになったということを意味するのである。「御即位の大礼」は、天照大神が皇孫邇邇藝命を天津日繼の高御座に即け給い、神器を授け給ひ、神勅を下し給ひしことを、新たに繰り返す行事である。

 

 このように、天皇の國家御統治の御精神は、常に、新たなる國家の生命の甦り、言い換えると國家の新生・再生を常に希求されているのである。しかもこの新生・再生は、それまでの伝統を断絶して行われるのではない。無限の過去から無限の未来にわたるまで、天皇による日本國の新生・再生、命の甦りは繰り返されるのである。ここに日本天皇の國家と統治そして日本國體の特質がある。

 

 我が國民は毎年毎年同じように春から始まって冬に終わる周期的な生活を営んでいる。四季の移り変わりが規則正しく周期的であるので、お祭りも、農漁業などのなりわいも、周期的に繰り返される行事が多い。春夏秋冬の一年の暦の一巡りで、冬が終わり元の春に戻り新たな出発が行われるのである。

 

 そして、我が國民は、暦の移り変わる時、即ち新たなる年を迎えた時に、生

活も万物も全て再び新生するという感覚を持つのである。

 

 日本民族は周期的に新生を繰り返すという生活感覚を自然に持っていた。歴代の天皇が、神武創業の精神=物事の初め・國家統治の理想(すなわち)に回帰することによって革新を断行するという維新の精神は、ここから発生してきた。

 

 だからこそ、維新は「復古即革新」といわれて来たのである。「復古」とは決して反動ではないし、単に時計の針を過去に戻すことではないし、回顧主義でもない。古きがゆえに良いというのではない。「復古即革新」とは、いにしえの理想の復興によって現在を新たならしめることである。  

 

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