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2016年10月 5日 (水)

皇室に関はる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。

皇位継承・天皇の譲位は國家と皇室の重大な事柄である。権力機構としての國家ではなく、信仰共同体・祭祀國家日本の根本の問題である。権力機関たる行政府が決めるべきではない。

 

小生が最も恐れるのは、この問題で皇室を尊崇する人々・國體護持を念願する人々の主張が真っ二つとなり、激烈な論争が起こることである。基本的に、皇位継承・御譲位について、臣下があれこれ論議をすることに、私は違和感を覚へる。一切は大御心のままにが、國民の姿勢であるべきだと思ふ。

 

皇位継承など皇室に関はる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。神代以来の傳統の継承者・体現者であらせられる天皇陛下の大御心に帰一すべきである。

 

皇室論・皇位繼承論・天皇論の根本には、國家観・神観・天皇観がある。日本國は神の生みたまひし國であり、天皇は天照大御神の生みの御子でありたまひ、神は今も生きたまふ、といふ絶対の信が、わが國の傳統信仰である。皇室論・皇位繼承論・天皇論はこの信仰を根本にして論じるられるべきである。

 

天皇は、現御神即ち日の大神たる天照大御神の地上的御顕現であらせられる。歴代の天皇は、御一方御一方が、天照大御神の生みの御子として日本國を統治あそばされてきた。

 

天照大御神は、神として祭られると共に神を祭られる神である。天照大御神は女性神であらせられる。忌服屋(いみはたや)にましまして御自ら神衣を織りたまひ、また織女に織らせられた。また、殿の中で大嘗祭を行はせられた。

 

その意味で天照大御神は女性祭祀主であらせられる。地上における現御神日本天皇も神を祭るご存在であると共に、國民から現御神として仰がれるご存在である。持統天皇をはじめご歴代の女性天皇は祭祀を執行されてゐる。祭祀こそが天皇の最大最高のお役目である。女性天皇は、祭祀を執行出来ないとか執行してはならないといふ議論は歴史的事実に反するし誤りである。

 

保田與重郎氏は「徳川時代の儒者の間には、天照大神が女神にましましたことを否定し、男神であることを主張した者があった。これは儒教を主旨とした倫理観からさういふ理屈になるのであるが、天照皇太神が女神にましますことは疑ひないことで、我々の御遠祖たちは、さうした女神が高天原の中心として宇宙を御主宰あそばしたことを深く信じてゐたのである。たゞ大神には配する男神といふのがない、いはゞひとりがみであらせられた。この清浄な神秘からいへば、女神といふときの女を、男に對する女といふ、女に對する男といふ、いまの人の性を考へる形で考へてはものを間違ふもととなる。儒教の人たちが、ひとり神としての女神の意味を理解し難かったわけは、そこにあった」(『民族と文藝』・道成寺考)と論じている。

 

天皇は、現御神であり天照大御神の地上のおける御代理であらせられるのだから、保田氏のいふ通り、「男に對する女といふ、女に對する男といふ、いまの人の性を考へる形で考へ」てはならない。肉身においては女性であっても皇位を継承され天皇になられた以上、肉身としての男女を超えた御存在となられたのである。したがって、上御一人日本天皇・現御神日本天皇は、肉身としては生物學上の男あるいは女であられても、信仰上・神霊上は男女を超越した御存在であらせられる。

 

葦津珍彦氏は、「天照大神は、神話の神ではなくて、この神を古代の人間と思ふ者が多くなってきて、却って現代人に信じがたいものになって来た。至高至貴の女神一柱が、皇室の血縁の祖といふのはロジカルではない。アニミズムに戻るべきである。人間がこの世に生まれるのは、生理的には父母によって生まれるのであるが、その根底には神霊の働きがある。神霊によってすべてが生まれるとの信は、神道の根本である。人間が生まれるのは神霊によるし、人間の精神的祖は、その神であることを信じてゐる。後世でも、神話の神々を氏神とし、自分をその子孫であり、氏子とする信仰は生きてゐる。生理的には人間父母の子であるが、信仰的には神話の神を父母とし祖として生まれたとの信である。その信がなくては、日本の神道も神國思想も成立しない。皇祖天照大御神は、まさに信仰上の皇室の祖であり、神話の神であってたゞの生理的人間ではない。だから神宮はあっても、生理的人間没後の御陵がない。南九州には神武天皇以前の歴代皇統の御陵がある。…御陵は、生理的に地上に現はれられた皇統の祖として祭られたが、天照大御神は古代から高天原の皇祖神として祭られたのである。天照大御神に御生まれはあるが死はなく、今も生きておられる。」(『神國の民の心』)

 

人は、生理的には人間父母の子であるが、信仰的には神話の神を父母とし祖として生まれた。まして、上御一人たる天皇は、天照大御神の生みの御子であらせられる。その絶対の信が、天皇の神聖性の根拠であるし、天皇が日本國をしろしめす「おほきみ」であることの根拠である。

 

日本民族は、男性を日子(ヒコ)といひ、女性を日女(ヒメ)といふ。人は、信仰的には日の神の子であるといふ信仰がある。人は単なる肉体ではない。神の分靈である。まして、現御神日本天皇は人にして神であらせられるのである。したがって、現御神日本天皇を、生物學上の女系・男系として区別する事はできない。天皇としての御本質は、肉身が男性であられやうと女性であられやうと全く同じである。

 

「万世一系」とは、皇祖神への祭祀を行ふのは、天照大御神及び邇邇藝命の御子孫・生みの御子に限られるといふ思想による。高天原の祭り主は、女性神たる天照大御神であらせられる。皇極天皇・持統天皇などご歴代の女性天皇も祭祀を厳修せられた。祭祀國家・信仰共同体=日本國の祭祀主たるスメラミコトに女性がなられることには何の不思議もない。神武天皇以来の男系継承の伝統は守られるべきであるが、「女性天皇は、皇統断絶」などといふことはあり得ない。

 

皇祖天照大御神は、古代における偉大なる女性ではなく、神話の女性神であり、日の神の神霊である。邇邇藝命は、天照大御神の「生みの御子」であられ地上に降臨された天孫であられ肉身を持たれる御存在である。すなはち神にして人であり人にして神であられる。

 

「神」とは古代の偉人ではなく霊的実在であり、人間は神の分靈であるといふ信を基本に確立してゐなければ、葦津氏のいはれる通り、「日本の神道も神國思想も成立しない」と思ふ。

 

日本國體は、地上における天照大御神のご代理といふ靈的なご本質と、邇邇藝命以来の血統を、併せ有される天皇を、信仰共同体の核たる祭祀主として仰いでゐる。また、天照大御神は女性神であらせられるが、母神・祖母神としての慈愛と父神としての力をお持ちになる。現御神=天照大神の生みの御子たる天皇も同じである。

 

女性天皇・女性皇族が、軍の統率者たり得なかったといふ事はない。神功皇后・斉明天皇のご事績を拝すれば明らかである。天照大御神は、須佐之男命が高天原に上って来られた時には武装され雄叫びの声をあげられた。

 

そもそも女性天皇も、天皇が天照大御神の御委任により、日本國を統治あそばされる表象たる「三種の神器」を継承されたのである。「三首の神器」とは、鏡は祭祀、剣は軍事、玉は豊饒を表象するのである。女性天皇は「剣」は継承されなかったといふことはない。

 

天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するが、信仰上は、先帝も今上天皇も天照大神の御神霊が体内に天降ってきておられ、全く同じ御資格なのである。御肉身が男性であらせられやうと女性であらせられやうとその御本質には全く変りはない。

 

現実に崩御された天皇の神霊は一旦天にお帰りになる。しかし天にお帰りになった神霊は再び新しい天皇の御身体に天降って来られるのである。ゆへに、天照大神の御神霊と一体の御存在であるといふことにおいては、天孫・邇邇藝命も神武天皇も今上天皇も全く同一なのである。天皇を、「天照大神の御魂の入りかはらせたまふ王」と申し上げるのは以上のやうな信仰を表現してゐるのである。

 

神霊が天皇の御身体に天降り一体となるお祭りが、毎年行はれる新嘗祭なのである。そして、即位後初めて行われる新嘗祭を大嘗祭と申し上げるのである。

 

 たとへ天皇の肉身はお替はりになっても、天皇の御神霊=大御命(おほみいのち)は永遠に不滅なのである。新帝の御即位は、天皇の御神霊が新しき肉身をまとって復活されたといふことなのである。

 

歴代の天皇は即位される事によって天孫降臨を今繰り返されるのである。これは永遠の繰り返しである。これは日本人の暮らしの中から生まれてきた傳統であり國家観であり君主観である。

 

天照大神と天皇のご関係は、単に、天照大神が天皇の御祖先であり天皇は天照大神の御子孫であるといふ関係だけではなく、天照大神の神霊が天皇のお体に入り、天皇が天照大神の御意志(地上に稲を実らせること)を地上(豊葦原の瑞穂の國=日本)において実現するといふ関係である。

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