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2016年10月24日 (月)

祖国愛と日本国家

 

愛國心・祖國愛は、枯渇することなく脈脈と民族の魂と共に傳えられる。自國を愛する心が絶えてなくなってしまふなどといふことはあり得ない。そしてそれは、國家民族に危機が迫ると、激烈に燃え上がる。外國からの圧力・干渉を排して國家の独立を維持せんとする意志・精神・及び運動は、運命共同體意識と言い換えても良いと思う。これは、國家民族の危機の時に澎湃として沸き起こってくるごく自然な感情である。危険だとか排外主義だとか言って否定すべきではない。

 

愛國心・祖國愛は、歴史意識・傳統信仰と深く結びついてゐる。というよりも不離一體である。自己の意識の中に民族の歴史を蘇らせることによって、愛國心・祖國愛が形成される。

 

國家的危機に際會した時、それを撥ね退けんとしてその國民がその國の歴史意識・傳統精神を根底に置いて運命共同體意識を結集し、勃興する精神と行動が愛國心・祖國愛である。

 

民族の傳統と歴史を國民一人一人の精神の中で甦らせ、自己の倫理観・道義感の基本に置くことによって民族の主體性が形成される。わが國の愛國心・祖國愛は、わが國伝統精神・道義観念と一体であらねばならにない。そして、わが國の伝統精神の体現者が、上御一人日本天皇であらせられる。「尊皇愛国」の精神が日本人の倫理観念の基本である。

 

筧泰彦氏は次のように論じている。「英語のネイションといふ語は元ラテン語のntioの複数形であるntionesに由来してゐます。それは『生まれたもの』を意味してゐますが、しかし西欧ではそうしたネイションはステイト(State)とは別物であります。ステイトは『国家』と訳されていますが、これは権力団体であります。これは全く人為的に作り上げたものにすぎません。日本国家はさうした人為を基にしたものではなく自然に生れ出たものであます。日本の国家は、同一の血縁とその意識が土台になってゐますが、家や氏族といふ様な狭い血縁のみの共同体ではなく、同一の土地や、同一の言語、同一の風俗習慣など、特に歴史的・文化的伝統を一つにする人々の一体であります。さうした大生命の具現たる國の上に、それに基づいて権力的・統一的な組織たるステイトが構築されている国家で、大生命を具現している国家なのであります。現在の歴史世界が始まって以来、その自然の一大生命を枯らすことなく保持して来ました。」(『日本語と日本人の発想』)と。

 

三島由紀夫氏は次のように論じている。「私は統治的国家と祭祀的国家とあると考えて、近代政治学の考えるネーションというのは統治的国家だけれども、この統治的国家のために死ぬということはぼくはむずかしいと思う…もう一つネーションというものは祭祀的な国家というものが本源的にあって、これは管理的機能あるいは統治機能と全然関係がないものだ。ここにネーションというものの根拠を求めなければ、私は将来守ることはできないのだという考えを持っている。それと文化、これはごく簡単に考えればラショナル(注・合理的、理性的)な機能を統治国家が代表して、イラショナル(注・非理性的、非合理的)なイロジカル(注・非論理的)な機能はこの祭祀国家が代表している。ほくの考えるよき国家というのは、この二つのイロジカルな国家とロジカル(注・論理的)な国家が表裏一体になることがぼくの考えるいい国なんですよ。…天皇でなければだめなんです。どうしても祭祀国家の大神官いがいなくちゃならんですね。」(村上一郎氏との対談『尚武の心と憤怒の抒情』所収)と。

 

この二つの文章には、「ステイト」「ネイション」といふ言葉についての捉え方に違いがある。しかし、日本国の「祭祀共同体としての国家」と「権力機構としての国家」との関係が論じられてゐる。

 

『大日本帝国憲法』は第一条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という条文は、祭祀国家・自然に生まれ出た国家としての日本のことが書かれている。第四条の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」という条文は、筧氏の言う「権力団体としての国家」、三島氏の言う「統治国家」における天皇の権能が書かれている。『大日本帝国憲法』第一條の「統治ス」とは、権力行為ではなく、三島氏の言う大神官即ち祭祀国家日本の祭祀主としての御権能のことである。

 

祭祀共同体としての国家は國體であり、権力機構としての国家は政体であると理解して良いと思われる。『大日本帝国憲法』は、國體と政体を正しく分けて、第一條から三條は「國體」が書かれ、第條以下は「政体」が書かれている。

 

麗しき國日本は、村落共同體から出発して、次第にその範囲を広め、日本という國家を形成した。その本質は、地縁・血縁によって結ばれただけでなく、稲作生活から生まれた祭祀を基本とする傳統信仰によって結合している共同體である。その信仰共同體の祭り主が天皇(すめらみこと)なのである。故に日本という國とはいかなる國であるかと問われれば、「天皇中心の信仰共同體である」と答えるのが正しいのである。

 

我々日本人が理想とする國家とは、麗しい天皇中心の信仰共同體とこれを統治する政治機構が包含され一體となったものである。    

 

國家が、暴力装置・支配と被支配との関係の機関的存在であるとして扱われ、國家に對する愛が薄れ共同體意識が無くなりつつある現代において、このことを正しく認識することは非常に重要であり最大の課題である。

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