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2016年10月29日 (土)

『第三回国民のコンサートー日本歌曲の夕べー』鑑賞記

一昨日鑑賞した一般財団法人東京藝術財団主催『第三回国民のコンサートー日本歌曲の夕べー』で、深見東州氏が歌った日本歌曲で特に感動した歌について記したい。

 

北原白秋作詞『この道』

「この道はいつか来た道

ああ そうだよ

 お母さまと馬車で行ったよ」

 

加藤省吾作詞『みかんの花咲く丘』 

「何時か来た丘 母さんと

一緒に眺めた あの島よ

今日もひとりで 見ていると

やさしい母さん 思われる」

 

この二曲を聞いて、母のことを思って胸迫るものがあった。母は今、高齢者の福祉施設で生活している。今年九十七歳である。若き日の母、と言うよりも、ほんの十年くらい前、母と一緒の上野寛永寺にお参りに行った帰り、母と一緒に鴬谷駅への道を歩いたことが思い出された。その後もその道を歩くことがあるが、歩くたびに元気だった母を思い出す。

 

高野辰之作詞

「秋の夕日に照る山もみじ

濃いも薄いも数ある中に

松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は

山のふもとの裾模樣(すそもよう)

 

溪(たに)の流に散り浮くもみじ

波にゆられて はなれて寄って

赤や黄色の色さまざまに

水の上にも織る錦(にしき)」

 

日本の歌曲には自然の美しさを題材にしたものがとても多い。この歌はその代表的な作品である。この歌を聞いていてすぐに思い出したのは、在原業平朝臣が詠んだ

 

「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」

(川面に紅葉が流れていますが)神代でさえこのようなことは聞いたことがありません。竜田川に流れる水を鮮やかな紅の色に染めあげるということは、というほどの意)

 

という歌である。この歌は、『百人一首』と『古今和歌集』に収められている。「二条の后の春宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川にもみぢ流れたる絵を描けりけるを題にてよめる」との「詞書」がある。

 

 

【ちはやぶる】神に掛かる枕詞。【竜田川】生駒山から発っし竜田山のほとりを流れ大和川に入る川。紅葉の名所で大和の「歌枕」。【からくれなゐ】唐の国から渡来した深紅色の染料。【くくる】絞り染めにすること。主語は「竜田川」で、擬人法。

 

屏風絵に描かれた真っ赤な紅葉が浮かぶ竜田川を、真紅の絞り模様の絹地をさらした様に見立てて詠んだ歌である。自然美と人工美を華麗に調和統一している。赤く揚げた鶏肉料理を「竜田揚げ」と言うのはこの歌から来ている。

 

「ちはやぶる 神代」という歌い出しも印象を強くする機智に富む。小生が二松学舎大學で『新古今和歌集』の講義を受け、さらに『まひるの会』という短歌結社でご指導をいただいた窪田章一郎先生はこの歌について、「業平は超現実的な不思議なことが多かった神代を時間的に空想している。…大きな規模と、繊細な美の表現は、二条后の御所を装飾する屏風の歌にふさわしかったのである」と評釈している。(『和歌鑑賞辞典」)

 

在原業平は、天長二年(八二五)―元慶四年(八八〇)。平城天皇の皇孫。行平の弟。兄たちと共に臣籍に降下し、在原姓を賜る。美男の誉れ高く『伊勢物語』の主人公のモデルである。歌と恋に生きた男性である。官歴は近衛将監、蔵人などを経て、従四位右近衛中将。

 

土井晩翠作詞『荒城の月』は、生前御厚誼をいただき、よくコンサートにも行った田谷力三氏がよく歌った歌である。

 

「天上影は替らねど

栄枯は移る世の姿

写さんとてか今もなお

嗚呼(ああ)荒城の夜半の月」

 

という四番の歌詞が好きである。

 

高野辰之作詞『ふるさと』は、三番の

 

「志(こころざし)をはたして

いつの日にか帰らん

山は青き故郷

水は清き故郷」

 

という歌詞が好きである。私は今生活している千駄木が故郷なので、故郷には毎日帰っているというか、毎日生活しているので、この実感はないけれども、青雲の志を抱いて故郷を出て、別の所で生活している青年の真情を良く表現していると思う。私の父は徳島から上京してきた人なので、この歌を歌ったり聞いたりすると、父の事が偲ばれる。

 

里見義訳詩『埴生の宿』は、

 

「埴生の宿も わが宿

 玉のよそい うらやまじ

 のどかなりや 春のそら

花はあるじ 鳥は友

おお わが宿よ 

たのしとも たのもしや

 

ふみよむ窓も わが窓

 瑠璃の床も うらやまじ

 きよらなりや 秋の夜半

 月はあるじ むしは友

おお わが窓よ

 たのしとも たのもしや」

 

という歌詞である。

 

深見東州氏は、「この歌には、人間の本質、世界観が歌われている」と語っておられた。あらために読んでみて、なるほどその通りと思った。経済的物質的な栄華よりも、自然の美しさ、自然のやさしさを尊ぶべしという,人として大切にしたい心が歌われている。

 

竹山道雄氏の作品で、映画や舞台になった『ビルマの竪琴』では、この「埴生の宿」が感動的な場面で歌われる。タイの国境付近の村で、日本の小部隊が何千というイギリス軍に囲まれた時、日本軍兵士が『埴生の宿』を日本語で歌うと、それを聴いたイギリス兵が英語で合唱するのである。この歌で心を通い合わせた日英両軍は、戦闘を止めたという物語である。私が大好きだった新国劇でも上演した。島田正吾が主人公の水島上等兵の役を演じた。最後の場面で、僧侶となりビルマに残る水島上等兵が、故国に帰る戦友たちに向かい『さよならー』と呼び掛けるシーンに感動した思い出がある。

 

「埴生(はにゅう)」とは、「粘土性の土の雅語的表現」で、「埴生の宿」とは「土で塗った、みすぼらしい家」のことという。

 

このコンサートでは、最後に舞台の正面に国旗『日の丸』が掲げられ、国歌『君が代』を全員で斉唱する。コンサートの最後に国歌が斉唱するのは深見氏のこのコンサートだけではないであろうか。まさに「国民のコンサート」である。

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