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2016年9月13日 (火)

西洋の国民主権概念は、日本國體とは絶対に相容れない

 「大日本帝国憲法」と現行「日本国憲法」が、第一章に「天皇」条項を置いているのは重要な意味がある。これは天皇中心の日本國體が変革されることなく永遠に続いてきているという歴史伝統を表現している。従って第一章に「国民主権」の条項を置くことは、天皇国日本というわが国建国以来の道統を否定することである。

 

 日本の伝統的な國體精神は、「天皇と国民とは相対立する存在ではなく一体である」ということである。従って「主権」なるものが天皇にあるのか国民にあるとかなどということを議論すること自体が國體に反する。

 

 「現行憲法」制定時に、衆議院憲法改正案特別委員長を務めた芦田均氏は「君民一体または君民一如のごとき言葉によって表現されている国民結合の中心であるというのが我が国民的信念なのである」と言っている。

 

 「国民主権」の規定を審議した帝国議会では、政府は、「主権」とは「国家意思の実質的源泉」であり、「国民」とは「天皇を含む国民協同体」を指すとしていた。そして芦田均衆議院憲法改正案特別委員長は、欧米の「君主主権」と「主権在民」を対立的に捉えた主権二元論は、わが国においては採り得ないことを特に強調している。

 

 ところが宮沢俊義氏をはじめとした多くの憲法学者は、「国民」とは天皇を除く概念であり、この憲法によってわが国は君主主権から人民主権に変わったと主張し、今日では文部省の検定済教科書までこの線に沿って記述されている。

 

さらに近年各方面から出されている「憲法改正試案」もこの宮沢俊義氏の考え方に沿っている。彼らによれば、皇位の改廃は人民の意思によって可能なのであり、先の今上天皇の御即位に際してはその是非を国民投票に問うべしとする歴史学者まで現れた。わが国は君主国にあらずとか、元首は天皇にあらずとする珍説が学界に横行しているのが現状である。

 

 このような混乱の原因は、もともと多岐にわたる主権概念を憲法規定に持ち込んだことにある。この規定が被治者である個々の国民が主権者であるかのごとき誤解を与えている。「主権」の属性としての最高性、無制限性が言われる時、それは容易に伝統を無視した独裁専制に転化し得る。

 

 主権在民と民主政治(国民参政)とは別個の概念である。ソ連邦も共産中国も「人民主権」を明記しつつ、共産党一党独裁どころか、スターリンや毛沢東の個人専制恐怖政治が行われた。

 

 主権という言葉ほど多種多様に用いられているものはないが、君主主権とか国民主権とかいう場合の主権は、西洋法思想の影響下にある国法学では、一般に「国家における最高の政治権力」と解せられている。

 

 日本では古来主権という言葉はなく、国家における政治作用の根本を言い表す言葉は「知らす」ないし「治らす」であり、言葉自体から見ても、権力的な臭みはなかった。帝国憲法ではこれを統治権という言葉で表現したが、主権といい統治権といってもその内容は同一だといわれている。

 

 主権の観念は、近世の初期以来、西洋わけてもフランスにおいて、君主の権力を擁護する手段として、君主主義の形で主張された。それは封建諸侯やカトリック教会の勢力を制圧して、統一国家を形成するためには有効なる手段であった。君権至上主義や王権神受説も、これがために唱えられ、これがために利用されたのである。しかるにその後、専制君主の圧政から国民が自由を獲得するためには、別の旗印が必要になった。フランス革命の思想的根拠をなした国民主権説は、すなわちこれであった。

 

 国民主権説は、西洋の社会契約説、国家契約説と結合して発達したのであるが、広く世界に及ぼしたのである。君主主権といい国民主権といい、いずれも一つの政治目的に利用されて発達したものであるから、主権を権力中心の概念として見たのも当然と言えよう。そしてその根底には「力は法の上にあり、法は強者の権利である」という思想が流れていたのである。いずれにしても国民主権・君主主権という言葉も意味内容も、西洋の国家観念・法思想から生まれてきたのであるから、日本の伝統の天皇の国家統治の実相、日本国体とは全く異なる概念であり法律用語である。

 

 「天皇主権」「国民主権」を考える場合、「国民とは何か」「主権とは何か」という定義をはっきりさせなくてはならない。国民主権ということが国民一人一人が主権者だとすれば、日本には一億二千万人に主権者がいることになり、国家の意思はばらばらで、あたかも精神分裂症患者のようなもので、国家としての体をなさない。

 

 国民主権というのは、超個人的な国民全体を一つと見てこれに主権が存するという意味である。超個人的な国民全体とは現在の国民だけではなく過去現在将来を通じての国民に主権があるということである。もし現在の国民のみと解するならば、一世紀も経過すれば否数十年をいでずして現存の国民の多くは死亡するから、主権者の内容は全く変わってしまい、主権の一貫性は失われる結果となる。

 

 日本国は欧米の国家のような契約国家ではなく、信仰共同体であり、民族共同体である。従って日本において「主権が国民に存する」というのは、実質的には、永遠の生命を有する日本民族に主権があるということとなる。すなわち天皇を統合の中心とする日本民族が主権者だということである。

 

 西洋流の国家観によれば、君主主権と国民主権とは相対立するもので両立し得ない観念である。君主と人民との闘争に終始した西洋の歴史からすれば、これは当然のことと言えよう。西洋の国法学説は、この観点に立って展開されてきたのである。

 

 西洋の国法学説でいう主権とは、近代中央集権国家がフランスに初めて成立する過程において国王の権力の伸長を国内外に主張し、絶対王政を正当化するための理論的武器となったものである。それは「朕は国家なり」という言葉でも明らかな如く、国王は何ら制約を受けない最高絶対の権力者とされ、国民は国王に信者の如く絶対服従するものとされ、国王と国民とは二極の対立概念として理解されているのである。

 

 西洋の国民主権論は、もっとも徹底した「反君主制」の理論として確立されたのである。そしてかかる反君主制の思想が、敗戦後戦勝国によって憲法の中に盛り込まれたのである。

 

 こういう史的・思想的背景を持つ西洋の主権概念は、日本國體とは絶対に相容れない。なぜなら日本では、古来西洋のような闘争の歴史は無かったからである。日本の歴史と伝統は、天皇を中心として君民一体となって民族共同体・信仰共同体を形成し発展させてきた。天皇と国民、国家と国民の関係は、相対立するものではなくして、不可分一体の関係にある。天皇主権と国民主権を、氷炭相容れない対立関係と見るのは、西洋流の考え方に立っており、日本の伝統とは相容れない。

 

 我々がここで確認しておきたいことは、国民主権は決して「人類普遍の原理」ではないということである。前述したように、国民主権という考え方は国王・皇帝と国民が対立し抗争した歴史を持つ西洋諸国の考え方である。十七世紀のヨーロッパにおける国王と人民との争いの中で、ルソーが理論化した考え方が国民主権であるといわれている。国王の権力の淵源は国民の委託にあるのだから国民に主権があり、国民の意向に反する君主は何時でも打倒できるという考えである。

 

 天皇主権にしても国民主権にしても、主権という言葉は西洋の国法学の影響により、国家における最高の政治権力と一般に解せられており、権力至上主義の臭みが濃厚である。帝国憲法における天皇の統治権も一般には権力中心の立場において解せられた。しかしこれは、わが国の歴史と伝統に即応しない。

 

 明治以来の日本の国法学者は、大なり小なり西洋の学説の影響を受けているが、主権とか統治権という言葉が古来無かった日本としては、学者が西洋の学理をそのまま取り入れてしまったことが、今日の憲法論議において混乱を招いてる原因である。

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