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2016年9月20日 (火)

尖閣諸島が我が国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いがない

黒鉄ヒロシ氏は次のように論じている。

 

「六〇八年、隋に来ていた倭人(小野妹子一行)に、琉求(当時の中国側表記。琉球=沖縄)に対しての質問があったと『隋書』の記述に遺っている。即座に妹子は『夷弱久國(当時の日本側表記)なり』と答えて、その交流について説明をしている。『日本書紀』にも、隋に先んじる琉球との交流の記述がある。…日隋間、いや日中間の『南方領土問題』の始まりであるが、中国側の『隋書』、日本側の『日本書紀』の、双方の記述を見比べてみると、『琉球』にまったく知識のなかった隋側と、縷縷として説明してみせた日本側とでは、関係性の濃さは歴然であって説明を加えるまでもない。今、尖閣問題に関して中国側は、『元』時代と、『明』時代の弱い資料を振り回して見せるが、都合の悪い『隋』時代の記述には知らんぷりである」(『銀座百点』平成二十二年十二月号)

 

古代において既に日本と琉球は交流があった。というよりも深い関係があったのである。しかし、支那は、古代においては琉球(沖縄)の存在すら知らなかったのである。

支那と日本が正式の国家関係・外交関係を結んだ時、沖縄尖閣はわが国の勢力下にあったのであり、支那は沖縄尖閣の存在すら知らなかったのである。

 

わが国が尖閣を明治二十八年(一八九五)一月、沖縄県の一部として正式にわが国領土に編入した以前に、尖閣が支那の領土であった事実は全くない。

 

わが国は一八八五年から数回にわたり現地調査を繰り返し、尖閣諸島が支那(当時は清)に所属する証跡のない無主島であることを確認の上、国際法上、明確な先占により明治二十八年一月、わが国領土に編入したのである。日清戦争の「下関講和」で、清国からわが国に割譲されたのではない。

 

 だからこそ、「台湾、澎湖諸島」についてはわが国の権利放棄させた「対日平講和条約」でも、尖閣諸島については沖縄の一部として米国の施政権下に置かれたのである。

 

 共産支那政府もこうした講和条約の処理に一切反対しなかったし、共産支那の地図にも尖閣諸島を日本領と認めていた。

 

共産支那が領土権を主張し始めたのは、尖閣周辺の大陸棚に石油が豊富といわれるようになった一九七〇年代以降のことである。尖閣諸島は、れっきとしたわが国固有の領土である。

 

昭和四十六年末、本質的に拡張主義を有している共産支那は、突然声明を出して「中国固有の領土」と宣言した。このあと、共産支那は尖閣諸島に対する侵略行為を繰り返している。

 

尖閣諸島が我が国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いがないのである。

 

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