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2016年9月21日 (水)

王明理さん(詩人、台湾独立建国聯盟日本本部委員長)による「台湾の新しい出発と日台関係」と題する講演の内容

六月二十四日に開催された『三島由紀夫研究会公開講座』における王明理さん(詩人、台湾独立建国聯盟日本本部委員長)による「台湾の新しい出発と日台関係」と題する講演内容は次の通り。

「台湾は、東側は開発が遅れている。西側は開発が進んでいる。大陸とは百八十キロ離れている。台湾は、中國と全く別の歴史を歩んできた。新鮮な魚や野菜を収穫する。日本と台湾は理解し合える。

 

私は三島由紀夫の一ファン。『葉隠入門』『東大全共闘との対話』を最近讀んだ。一番感激したのは『豊穣の海』。時間の流れ、空間の捉え方、輪廻転生がストーリーとして素晴らしい。日本語としてこれ以上美しい文章はない。三島先生以上の小説家はいない。『天人五衰』を書き上げて自決。時間をかけて完成させた。私が無人島に行く時に持って行く本は『豊穣の海』と決めている。

 

私の父・王育徳は、一九二四年生まれ。日本語世代。東大生の時、疎開で台湾に帰り、戦後は、台南一中の公民歴史の教師になった。台湾語で台湾の歴史を教えた。台南一中出身者に、台湾独立運動家が多い。父は演劇活動を行った。台湾独立を主張。原作・脚本・主演で、台湾市民ホールで公演。二・二八事件で自由な活動が出来なくなった。また、父の兄が殺された。父も命を狙われた。一九四九年、二十五歳の時に、日本に亡命。東京大学に再入学。小説家で『天の夕顔』の作者・の中河与一の門下になった。曽野綾子さんと同期。四宮さんの出している『政治文化情報』で中河与一が共産主義・必然論に異を唱え、偶然論を主張したことを知った。父が教わった先生はそういう方だったのかと認識を新たにした。

 

台湾では台湾語は禁止。父はこのままでは台湾語が滅びると思い、台湾語の墓碑銘を書くつもりで台湾語を研究。また、教え子六名と台湾青年社を作り、台湾のことを啓蒙した。中華民国・国民党政権からの独立を主張した。一九七〇年、アメリカ・カナダ、ヨーロッパに拠点を置く組織に発展。現在名は台湾独立建国聯盟。父は、『台湾―苦悶するその歴史』を刊行。父の晩年、五十一歳から六十一歳にかけて、台湾人元日本兵補償問題の解決のために努力した。

 

一八九五年、日清戦争後の『下関条約』により清国は台湾を日本に割譲。台湾各地で武装蜂起が起ったが、約二十年で終息。台湾は、日本統治時代以前は、文盲率九〇%だったが、一九四三年、台湾人児童の就学率は七〇%以上。識字率九五%になった。日本がいかに台湾に力を注いだかの証拠。アジアの他の国々と比べて高い教育を受けた。

 

二十万人の台湾人が日本兵として出征。三万人が戦死した。一九七四年、中村輝夫さんがインドネシアのモロタイ島で見つかった。毎日皇居を遥拝し、三八式銃の手入れをしていたという。台湾出身者だと分かり、ジャカルタから直接台湾に帰った。日本政府から六万円支給された。父はこの事をきっかけとして、台湾人元日本兵に補償をしてほしいという運動を友人・知人と共に行った。一九八七年、議員立法で戦病死者及び重傷者を対象に一人あたり二百万円の弔慰金が支給された。日本人の善意が応援してくれた。日本国籍のない人に弔慰金を出すという難しいことが解決された。

 

高砂義勇軍は南方の激戦地に送られた。二〇一五年、馬英九政権は抗日戦争勝利七十年軍事パレードを行った。台湾人がどう思うかを考えるべきだった。台湾人はますます国民党政権に愛想を尽かした。

 

台湾には、十六種類の原住民がいる。それぞれ文化・言語・習慣が違う。自分のテリトリーを持って住み分けている。十六世紀に大陸からの移民が始まった。オランダが台南あたりを植民地にした、明朝が打倒された後、鄭成功が台湾に来た。オランダを撃ち破った。終戦後、近代化していた台湾は國民党政権の植民地になった。

 

台湾を構成する民族は、原住民二%、台湾人八五%、外省人一三%。中國は、『台湾は自分のもの』と宣伝しているが、台湾と中国は別の歴史を歩んで来た。一八七二年、台湾に漂着した琉球島民五四人が殺害された事件で、日本政府が抗議した際、清朝政府は『台湾は化外の民だから清政府の責任範囲ではない』と言った。一七二三年、清朝の雍皇帝は『台湾は古より中国に属せず』と言った。台湾と中国人は同一民族ではない。DNA検査によって証明されている。台湾語と中国語(北京語)は異なる言語である。台湾語は、中国方言+原住民語。国際法上も台湾は中国の一部ではない。

 

『サンフランシスコ講和条約』で、日本は台湾・澎湖諸島の権原及び請求権を放棄。台湾の主権の帰属先は未定のまま放置された。一九四五年、蒋介石軍が台湾に進駐。国民党が台湾を植民地化した。李登輝時代以降に生まれた外省人は台湾独立意識がある。この人たちも台湾人と呼びたいと思う。

 

日本統治時代に未開地から近代社会に変貌。インフラを内地と同じに引っ張り上げた。利益を上げるために植民地にしたのではない。日本は植民地経営で赤字になった唯一の国。後藤新平は道路を整備し阿片をなくすことに成功。八田與一は滅茶苦茶だった台湾大地を整備した。明石元二郎は、水力発電推進、教育改革、華南銀行設立。遺言により台湾に埋葬。お孫さんは、今上天皇の御学友。旧制台北高校は、日本の官僚や技術者の子弟が学んだ。玉川博己さんのお父さん、王育徳、李登輝が学んだ。

 

戦争が終わって、国民党軍か居座り、国家の財産を自分たちのものにした。企業の利益、インフラを中国人のものにした。台湾の産物を上海に売りとばした。日本語・台湾語をしゃべってはいけないことになった。言論の自由は剥奪された。中国化のために台湾の歴史ではなく中国の歴史が教えられた。台湾は語りつくせぬ苦労をした。周英明氏は、『アメリカは日本に原爆を落としたが、台湾には蒋介石を落とした』と言った。

 

一九四七年二月二十八日、台湾人は蜂起した。台湾人処理委員会を作り、三十四カ条の要求を出した。国民党軍二個師団が台湾に上陸、無差別殺戮を行った。三万人殺された。知識人、社会のリーダーが根こそぎ殺された。私の父の兄・王育霖は、東京大学を卒業し、司法試験・高等文官試験に受かり、新竹で検事になった。二・二八事件で殺された。台北の西本願寺分院だったところに多くの人々が拘束された。八畳一間に三十数人押し込められた。

 

蒋経国急死の後、李登輝副総統が総統になった。内部からシステムを変えた。民主化を推進。『台湾と中国は特殊な国と国の関係』と主張。その原稿を書いたのが蔡英文氏。

 

中国は『反国家分裂法』を制定し、独立したら武力行使すると言い、千五百基のミサイルを台湾に向けている。立法院も民進党が過半数。今年は歴史的な年。二〇一四年の『ひまわり運動』で反中国の台湾人アイデンティティが成長した。台湾が一つになった。

 

台湾が中國に併呑されれば、台湾は中国の不沈空母になり、日本は周囲を反日国家に囲まれる。親日的パートナーとして台湾を応援することが日本に絶対的に必要。アメリカの『台湾関係法』を参考に『日台関係法』を制定してもらいたい。台湾という国名に変更して国連に入り、アメリカ・日本と国交を回復したい」。

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