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2016年9月19日 (月)

『町名変更』について

『日本経済新聞』本年七月三日号に、作曲家の池辺晋一郎氏が「ものの名前」といふ文章を書いてゐる。その中で次のように論じてゐる。

 

「合併ばやりだが、最近多いのが新生の市の奇妙な名前だ。また、由緒ある地名が合併ゆえに消滅してがっかりしたことも、何度もある。しかし理由があるのは、まだいい。江戸期の住人の職種が具体的に分かる大工町、鉄砲町、博労町(馬喰町、馬口労町とも)などがどんどん消え、何でもない地名に取って代わったりするのは許せない。〇〇市中央、とか駅前町などという安直な地名に出会うと腹が立つ」。

 

同感である。小生の住む文京区は、昭和四十年に一斉に町名変更が行われた。そして由緒ある町名が一斉になくなってしまった。当時は、格別反対運動は起らなかったようだ。

 

湯島は、湯島天神(御祭神・菅原道真公)が鎮まる古い町で、次のような情緒のある地名がつけられてゐた。

 

「湯島新花町 湯島三組町 湯島天神町 湯島梅園町 湯島天神下同朋町 湯島切通坂町 湯島切通町 湯島両門町 妻恋町」

 

これらのゆかしい町名は、今はただ単に「湯島」といふ名称に組み込まれている。「妻恋町」は、景行天皇の皇子・日本武尊が御東征の折、湯島の地で遥か東方に向かひ、相模の走水で入水された弟橘姫を偲び、「吾嬬はや」と呼び掛けられたといふ伝説によって、日本武尊と弟橘姫を祀る妻恋神社が鎮座してゐるのでさう名付けられたのである。「湯島新花町」には私の思ひ出の女性が住んでいた。

根津も、根津神社が鎮座する根津は、次のような町名がつけられてゐた。

 

「根津宮永町 根津八重垣町 根津須賀町 根津西須賀町 根津片町 根津藍染町 根津清水町」

 

これらの町名も今は「根津」といふ名称に組み込まれている。「八重垣町」といふ町名の由来は、根津神社の御祭神・須佐之男命が妻を娶られた時に、「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」といふ歌を詠まれたことによる。「根津須賀町」は、出雲に宮居を造られた時、「わが心須賀須賀(すがすが)し」と仰せられたことによるといふ。

 

このような神話伝説に基づく町名が、利便性ゆゑに失はれてしまったことはとても残念である。

 

小生の育った町は、昭和四十年までは、「駒込坂下町」と言った。団子坂・大給坂・狸坂といふ三つの坂の下のある町といふ、神話伝説とは関係のない単純な理由で名付けられた。それても懐かしい町名である。

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