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2016年9月 6日 (火)

わが国の伝統的「武」の精神について

 もののふ・日本男児の生死の際の覚悟のほどは、合理的な儒教論或いは仏教思想という外来思想とは全く縁のないエモーショナル(感情的)なものによっていた。「今はこう」「今はこれまで」と悟った時、日本の武士は、まっしぐらに顧みることなく死ぬことを潔しとした。これが、日本的死生観である。武士道は仏教から発したものでもなく、儒教から発したものでもない。古事記・萬葉の歌々を見ても明らかな如く、日本伝統的な中核精神から発した。主君に対する忠誠と名誉が根幹である。新渡戸稲造氏は、吉田松陰先生の

 

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

 

という歌を引用して、「武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、国民および個人を動かしてきた」(武士道)と論じている。

 

 もののふのみち(武士道)は、理論・理屈ではない。ゆえに、「武士道」については、精々口伝により、もしくは数人の有名なる武士や学者の筆によって伝えられたる僅かの格言があるに過ぎない。和歌もその一つであろう。

 

「萬葉歌」は飛鳥奈良時代の武士道を伝えている。それは語られず書かれざる掟、不言不文であるだけに実行によっていっそう効力を認められる。理論・理屈を好まない日本人らしい道徳律が武士道なのである。

 

日本の伝統の根幹たる和歌も祭祀もそして武道も理論・理屈ではない。「道」であり「行い」である。そして一つの形式・「型」を大切にし「型」を学ぶことによって伝承される。学ぶとはまねぶである。理論理屈ではないが「道」(歌道・武道・茶道・華道)という。

 

そして武士道は、道徳・倫理精神と共にあった。武士は封建時代において国民の道義の標準を立て、自己の模範によって民衆を指導した。「義経記」・曽我兄弟の物語・忠臣蔵などの民衆娯楽の芝居・講談・浄瑠璃(平曲・謡曲から発した音曲 語り物。義太夫節が行われるようになってからは、義太夫節の別名となった)小説などがその主題を武士の物語から取った。明治維新の志士たちの歌も近代日本の武士道教育の手本となった。

 

 かかる和歌などの芸術によって武士道が継承され教育されたことは、武士道が教条や独善的観念体系(イデオロギー)ではないということを証しする。

 

 武士は、日本国民の善き理想となった。いかなる人間活動の道も、思想も、ある程度において武士道の刺激を受けた。武士は武家時代において、決して民衆を武力で支配した階級のみでなく、道義の手本でもあった。明治維新をはじめとしたわが国の変革を断行せしめた重要なる原動力の一つに武士道があった。この武士道を今に生かさなければならない。

 

 『萬葉集』の「皇神のいつかしき国、言霊の幸(さき)はふ国」とは、上代祖先の国民的自覚であったが、同時に天皇の御本質として理解された。祭祀・歌・武が日本天皇の国家御統治の三大要素である。

 

 平安時代から江戸幕藩体制終焉まで、そして戦後日本は、武(剣)・玉(祭祀)・鏡(歌・知)という「三種の神器」の御精神の一つである「剣」の精神が希薄になった。これは重大な國體隠蔽・日本伝統精神の衰微というべきである。後鳥羽上皇・後醍醐天皇はこれを挽回されようとした。

 

ことある時に武は顕現する。武の精神を回復されようとした天皇はまた御自身も和歌もよく詠まれ和歌の道を大切にせられた。後鳥羽上皇・後醍醐天皇そして明治天皇の御事績を仰げばそれは明白である。神武天皇の「撃ちてしやまむ」の御精神はついに絶えることはなかった。

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