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2016年9月30日 (金)

この頃詠みし歌

明るき笑顔で母に接する介護職員に有難きかなと手を合はすなり

 

限りある命なりせばなほのこと生きゐるうちは力つくさん

 

降り立ちてホームを歩めば人々は忙しげに行く我を残して

 

のぼり行く九段の坂は靖國とわが母校への通ひ道なり

 

喧噪の巷と化せる貴船の地 観光バスとタクシーの群れ

 

川床に座して食せる夏の夕べ貴船は今や食堂街なり

 

洗面所の鏡に映るわが顔を見つめて新たな決意湧き来る

 

スーパーの明るき光に照らされる果物たちは華やいで見ゆ

 

今はただ静かなる坂となりてゐる上野戦争激戦の地は(谷中三崎坂)

 

激しき雨に濡れつつ夜の街を行く我の心に憤怒燃え立つ

 

母と娘()が頑張って働く花屋さんに仏壇に供へる花を買ひに行く

 

ビルの地下の札幌ラーメンうまきかな さっぱり味が我によろしき

 

ゆっくりと語りゐる人 自らの意志固くして我に真向かふ

 

自らを批判する雑誌を買ふな讀むなとがなり立てゐる谷口雅宣

 

賑やかな祭りの声の聞こえ来て窓を開ければ淡き月影

 

一日を二食で過ごすを習ひとし いくらか痩せたるを喜びとする

 

若き友と語れば楽し過ぎ去りしわが若き日を思ひ出しつつ

 

三歳となりたるといふ子の事を楽しげに語る若き友かな

 

久しぶりの青空を母と仰ぎ見て話は弾む施設のテラス

 

野間清治宛ての大観の封筒に駒込坂下町とあるは嬉しき(講談社野間記念館)

 

達筆の大観の手紙に書かれたるわが町の名を見ては喜ぶ()

 

秋雨がしとしとと降る昼下がりテラスに座して煙草燻らす()

 

テラスから緑の芝生を見てゐれば秋雨が静かに降り続くなり()

 

雨に濡れる緑の芝生を眺めつつ 心すがしくなりにけるかも()

 

得入無上道即成就仏身といふ言葉口ずさみつつ道を歩めり

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千駄木庵日乗九月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、『月刊日本』連載中の「萬葉集」講義原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

原稿執筆・脱稿・送付。

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2016年9月29日 (木)

『國家』について考える

 現代日本は國家意識が希薄になっているといわれる。「國家は悪であり人間を束縛するものであり侵略戦争を起こすものである。だからいずれは無くなってしまった方がいいし、現在でもなるべく國家の力は押さえた方がいいし、國家のいうことは聞かない方がいい」という極端な國家論を持つ人がいるが蔓延している。

 

 「忠君愛國などという思想は過去の遺物であり、侵略戦争を再び起こす危険がある」などと主張する人もいる。そして共同體や國家・民族のことを度外視し利己心ばかりを満足させる人間が増えてきている。政治腐敗・教育荒廃・犯罪の増加の原因はここにあると思われる。

 

 我々が限り無く愛する日本國とはいかなる國であるのだろうか。「國家」という言葉は漢語であるが、やまとことばには「國(クニ)」という言葉がある。この「國」という言葉は「懐かしい故郷」という意味で用いられる場合がある。「あなたクニはどこですか?」という時は、故郷という意味である。英語でいうとCounryである。ところが「クニに税金を取られる」という時のクニは、行政機構・権力組織のことである。英語でいうとStateである。

 

 「母國」とか「祖國」とかいう言葉で表現される一定の広がりを持った土地の上に自然に生まれた共同體が、我々の愛する國である。その基本は夫婦であり子であり孫である。すなわち「家」である。國と家は一體である。ゆえに「國家」という言葉が生まれたのではなかろうか。

 

 國家を否定し、皇室を否定し、「國旗日の丸」や「國歌君が代」も認めず、愛國心を嫌う人々は、「國家」を権力機構としてのみとらえているのである。

 

 現實に我々が愛する國とはやはり「懐かしい故郷」としての國であり、権力機構としての國家ではない。税務署や警察署を懐かしく思い愛着を抱き何回も行きたいと思っている人は、そこに長年勤めている人は別として、そんなに多くはないだろう。ただ、そういう権力機構としての國家を排斥し否定することはできない。我々の生活にとって必要不可欠である。

 

 しかし、権力機構としての國家を否定し一切協力しないとすることは或いは可能かもしれない。例えば「権力が好き勝手なことをしている國に税金なんか納めない」と主張し、それを實行することは可能である。(勿論それによって権力機構から制裁を加えられるだろうが…)しかし、自分が今「父祖の國」「母國」と表現されるところの「共同生活を営む國」に生まれ育ち生きている事實は否定できない。

 

 國家を単に人間の自由を束縛する権力機構・統制組織とのみとらえ、これを否定することは正しくない。

 

 國家を否定し、國家を破壊する運動を展開してきたのが共産主義革命運動である。これは、マルクスの「我々が國家を持つのは資本主義においてのみである」「國家は少数者による多数者に對する支配と搾取の體制」「國家は人間疎外の装置」という思想による。これは國家というものを権力機構・支配統制組織としてのみとらえた考え方である。

 

 しかし、共産主義國家こそ、多数者による少数者の搾取が行われ、人間疎外の装置として國民を圧迫し苦しめてきたことは、旧ソ連・共産支那・北朝鮮を見れば明らかである。

 

 権力無き社會の實現を目指して戦った共産主義勢力は、その結果として強大にして残虐無比な権力國家を作りあげた。また、共産主義社會の實現を目指し反國家闘争を繰り返してきた日本國内の共産主義勢力は、恐るべき闘争を繰り返し互いに殺し合ってきた。

 

社民党や共産党を見て明らかな通り、國家否定を目的とする左翼革命勢力こそ、権力國家の建設を目指し、および外國の権力國家からの侵略に協力してきたのである。反國家・國家破壊の思想と行動は、人類に惨禍しかもたらさなかったと言っていい。

 

 「人は人間関係においてのみ初めて人であり得る」と言われている。人間は孤立と孤独との中では生活することはできない。必ず人と人との共同生活の中でこそ生きていくことができる。

 

 三島由紀夫氏は「私は(國家には・注)統治的國家と祭祀的國家とあると考えて、近代政治學の考えるネーションというのは統治的國家だけれども、この統治的國家のために死ぬということは僕はむずかしいと思う…もう一つネーションというものは、祭祀的な國家というものが本源的にあって、これは管理機能あるいは統治機能と全然関係がないものだ。ここにネーションというものの根拠を求めなければ、私は将来守ることはできないのだという考えを持っている。…ラショナル(合理的・注)な機能を統治國家が代表して、イラショナル(非合理的・注)なイロジカル(非論理的・注)機能をこの祭祀國家が代表している。…この二つのイロジカルな國家とロジカルな國家が表裏一體になることがぼくの考えるいい國家なんです」(村上一郎氏との對談『尚武の心と憤怒の抒情』)と語っている。

 

 そもそも権力無き國家などというものは幻想である。二・三人の共同生活ですら、リーダーが必要であり、そこには小さいながらも権力が発生する。いわんや何百万・何千万という人間によって形成される共同體は権力機構や成文法なくして機能しない。    

 

 そうした権力國家を、天皇中心の祭祀國家の理想に近づく努力をし続けることが、闘争戦争絶え間無き現實社會を改善する方途である。言い換えると、古代からの道義國家・人倫國家・祭祀國家としての日本への回帰し、それをネーションとしての国家の根底に置くことこそが、對立闘争を繰り返す人間が、より平和により豊かにより自由により道義的に生きる共同體を建設する方途であると考える。

 

 我々の愛する國家とは権力機構としての國家ではない。三島氏の言う「祭祀國家」である。否定しても否定し切れないところの「父祖の國」「母國」「共同體」である。

 

祭祀とは、己を無にして神に全てを捧げる行事である。日本民族は祭祀を行うことによって、神のみ心のままの清らかで明るい人倫生活を営んできたのである。天皇を祭祀主と仰ぎ、海という大自然をめぐらし、緑濃き山と清らかな河とを有する國、農耕を営み、優れた文化傳統を持つ國が「祖國日本」である。

 

 その本源的な國家としての祭祀國家の上に、多くの人々の共同生活を保つために成文法と権力機構が必要になる。祭祀共同體・信仰共同體の上に権力機構が乗っかっているのである。これを國家(英語で言うとNation)と言う。

 

 三潴信吾氏は、「今日の『國家』の内容としては、Counryといふ、血の通った暖かい一心同體の生活體と、これを統治する政治組織(State)との両要素が包含されてゐると云ふことができる」(日本憲法要論)と論じている。先に引用した三島由紀夫氏の國家論と一致する。

 

 人間一人一人は現象的には不完全な存在であるのだから、人間が集合して形作られる國家が絶對的に善であることはない。しかし一方、國家は絶對的に悪であるということもない。人間一人一人が人格の向上を目指し、人倫に基づいた生活をしようと努力するように、國家もまた、人倫國家・道義國家になることをめざす。それは、神聖なる信仰共同體・祭祀國家としての國家への回帰によって實現する。

 

 成文法と権力機構が、正しく機能し運営されるためには、本源的な祭祀國家・信仰共同體の精神を常に顧みなければならない。神の前に自己を無にする行事である祭祀の精神を根底に置いて、法と権力が執行されなければならない。わが國で、政治を「マツリゴト」と言ったのはまことに故あることである。

 

 この麗しき國日本は、村落共同體から出発して、次第にその範囲を広め、日本という國家を形成した。その本質は、地縁・血縁によって結ばれただけでなく、稲作生活から生まれた祭祀を基本とする傳統信仰によって結合している共同體である。その信仰共同體の祭り主が天皇(すめらみこと)なのである。故に日本という國とはいかなる國であるかと問われれば、「天皇中心の信仰共同體である」と答えるのが正しいのである。

 

 我々日本人が理想とする國家とは、麗しい天皇中心の信仰共同體とこれを統治する政治機構が包含され一體となったものである。國家に對する愛が薄れ共同體意識が無くなりつつある現代において、このことを正しく認識することは非常に重要であり最大の課題であると言える。

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千駄木庵日乗九月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。介護担当者の方と相談。

帰宅後は、資料の整理。原稿執筆。

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『野間コレクション収蔵、大観芸術の粋~ 横山大観展』参観記

今日参観した『野間コレクション収蔵、大観芸術の粋~ 横山大観展』は、「近代日本美術界において、至宝、巨星、巨匠、大家、第一人者と冠される枕詞そのままに、いまもなお人々に支持され愛される横山大観。大観といえば、生涯に1500点も描いたとされる富士山の絵が有名ですが、花や鳥を描いても気品ある作調で 好評を博し、また歴史画では、斬新な発想のもと飄逸な人物描写を見せたりもしました。その大観と講談社の初代社長野間清治との交流が生んだ、野間コレクションに収蔵される大観の作品群。本展では、若き日の千利休の逸話を題材にした名作「千与四郎」をはじめ、関東大震災に際して野間の求めに応じ描かれた『大正大震災大火災』表紙原画など、大観の画業が充実した大正期の作品を中心に展示いたします。さらに、大観と同時代に日本美術院を舞台に活躍した画家、下村観山、木村武山、安田靫彦らの佳作も併せてご堪能いただきます」(案内文)との趣旨で開催された。

 

横山大観《千与四郎》《訪友》《暁山雲》《白鷺ノ図》《春雨》《飛泉》《月明》《夜梅》・下村観山《寿老》・木村武山《神武天皇》・安田靫彦《観音》・小林古径《売茶翁》・速水御舟《菊花》・小茂田青樹《十二ヶ月図》などを参観。

 

幼少期の千利休が庭に佇んでいるところを描いた《千与四郎》が最も印象にのこった。華麗な色彩で描かれた大作である。大観の作品はまことに力強い。瀧を描いた《飛泉》、富岳を描いた《暁山雲》もまさにそういう作品である。

 

昭和大典を記念し、かつ、徳川光圀生誕三百年を記念して講談社が刊行した『大日本史』の見返しに使用された図版の原画《葵》が展示されていた。横山大観は水戸藩士の長男として生まれたことを誇りに思っていた。また、大正十五年に描かれた《千代田城》が展示されていた。この絵は、「明治天皇の咫尺(しせき)し奉りて」という連載が始まった『キング』昭和二年新年号の口絵に使用された作品である。大観は、極めて篤い尊皇愛国の精神の持ち主であった。小生は昭和二年十一月一日、大日本雄弁會講談社発行の『明治大帝』(キング付録)という書籍を所蔵している。その中に、宮内大臣・伯爵田中光顕氏執筆の「大帝に咫尺し奉りて」という文章が収められている。

 

この頃の講談社は、東京市本郷區駒込坂下町四八番地にあった。現在の千駄木三丁目である。小生が育ち今も居住している町である。小生が育った家は駒込坂下町一一八番地にあった。講談社の本社があった所は現在、講談社の社員寮になっており、『大日本雄弁会講談社発祥の地』と刻まれた石碑が建てられている。

 

講談社が発行していた雑誌に使用された色紙が多く展示されていた。多くの作品は、鮎とか梅とか小禽類が描かれていたが、橋本永邦の作品は、色紙という小さな画面に雄大な自然が描かれていた。小川芋銭、酒井三良の作品は親しみやすい漫画に近い描き方であった。農民が働く姿が描かれていて好感が持てた。

 

庭の秋雨に濡れた芝生の緑が美しかった。

 

「秋雨に 濡れし芝生の 緑かな

 

鮮やかな 芝生の緑に 秋の雨」

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千駄木庵日乗九月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、文京区関口の講談社野間記念館で開催中の『野間コレクション収蔵、大観藝術の粋 横山大観展』参観。

帰宅後は、資料の整理・原稿執筆。

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2016年9月28日 (水)

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十八年十月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十八年十月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十八年十月号(平成二十七年九月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

『現行占領憲法』第一条について

 

今上天皇が御自らの御意志で「天皇の御地位」から御譲位あそばされることは『現行憲法』違反とはならない

 

「國民の総意により憲法を改正すれば天皇制を廃絶できる」といふ考へ方は、日本國體精神全く相容れない恐るべき革命思想である

 

亡國勢力による天皇及び皇室の尊厳性の冒瀆とりわけ政治権力・政治家による皇室軽視を根絶しなければならない

 

『現行占領憲法』は、萬邦無比の日本國體を隠蔽してゐるどころか、國體破壊の元凶になる危険がある

 

天皇陛下の『詔』を拝し奉りて

 

随想 藝術家と倫理・道徳―ある方からお手紙に示唆を受けて―

 

千駄木庵日乗

 

『文字の力・書のチカラー書の流儀』展参観

 

中村信一郎氏(國體政治研究會代表幹事)「社會主義の定義は貧富の差の是正。共同体を守っていく。もう一つが勤労の重視」

 

ペマ・ギャルポ氏「アジアには自由も法の支配も無い國がある。中國共産党は共通の敵である」

 

樋泉勝男愛知大學現代中國學部教授「日本人にとって中國人とは何かを知るべし」

 

宮崎正弘氏(評論家)「中國人は嘘と本当との区別がつかない。その集大成が今、経済面で出てきた」

 

ロー・ダニエル氏(ベニンシュラ・モニター・グループ社長)「中國と韓國は、主に歴史問題がロビイ活動の一番大きな課題。アメリカにおける日米共同体が衰退している。数において劣勢。若い世代の日系米國人の中韓への同調がある」

 

この頃詠みし歌

 

 

 

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『第一〇二回 東京財団フォーラム 安保法制と日米同盟-東アジア地域の安全保障を考える』における登壇者の発言

六月二十八日に開催された『第一〇二回 東京財団フォーラム 安保法制と日米同盟-東アジア地域の安全保障を考える』における登壇者の発言は次の通り。

 

ブラッド・グロッサーマン(パシフィックフォーラムCSIS理事)「日米同盟は絶対的に重要。この二十五年間で世界は変わった。セキュリティをどう考えるのか。国益をどう守るのか。北朝鮮は永続的脅威。若いリーダーがトラブルを起こす。台頭する中国から脅威が出ている。日本も変化した。アメリカは日本の能力に関心を持っている。日本は能力のあるパートナーとなっている。多くの人は、中国は戦後の秩序・ルール・規範に挑戦しようしているように思っている。対立を極小化することが大事。バランスを何処に引くかが難しい。日本と韓国は価値観・制度の違いが強烈。安保法制を歓迎する。地域の安全に貢献する。日米中韓が南シナ海で協力できることは何か。資源を守るために何をすればいいのか。情報共有が大事」。

 

朱鋒 (南京大学中国南海研究協同創新センター主任)「日米同盟強化は予想されていた。中国の観点から言うと、日米同盟強化は自然の産物。中国が理由で日本の防衛政策が変わった。日本の防衛政策が変ったことに中国には失望感がある。中国の対日政策の失敗と言える。日本は圧倒的にアメリカ寄りになった。大国になると動きが間違ってくることがある。日本の新聞の報道に問題がある。中国は領海的区域を広げるなどとは言っていない。日本は尖閣の領有権問題は存在しないという立場。日本側は中国と対話をしなかった。日中双方で何とか解決したい。南支那海問題での中国の主張は歴史と法の解釈に基づいている」。

 

泰孝 (韓国成均館大學校政治外交學科敎授)「大国の権力配分が変って来た。日米・日中のバランスオブパワーが余りにも変化するのは心配。カルチャー・思想・価値観が違うで片付けられるのか。不安感がある。アメリカ型住・市場経済は普遍性を持っているかもしれないが、これからもそうか。日本は集団的自衛権が制度化し、改憲論が進んでいくかもしれない。中国は、『アメリカコンセンサスより中国コンセンサスを重視してもらいたい』と言う。尖閣問題で軍事衝突が起こる可能性はそんなにないと思う。将来志向型のコンセンサスを持つべし。

 

 

香田洋二(元海上自衛隊自衛艦隊司令官)「日本の国益を守るため、政策によって、日本の活動の幅が広がる。言葉・カルチャー・戦術が違うので、合同訓練の時に大事なのは情報の共有。合同作戦にはジーソミア(軍事情報包括保護協定)が必要。自衛隊がサポートできるのは日本周辺だけではない。国益を守り。国家目的を達成。どの段階で防衛出動を発令するのか。個別的自衛権はどこまでか、具体的に決めてもらわないと、指揮官は困る」。

 

 

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千駄木庵日乗九月二十七日

午前は、諸雑務。

 

午後は、施設に赴き、母に付き添う。

 

午後五時より、虎ノ門の笹川平和財団ビルにて、「笹川平和財団 アロク・シャーマ英国外務省大臣政務次官(アジア担当)講演会」開催。羽生次郎笹川平和財団会長が挨拶。アロク・シャーマ氏が講演。活発な質疑応答が行われた。

 

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年9月27日 (火)

萬葉古代史研究会のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 十月十二日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。初めての方はテキストは無くても構いません。

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日本伝統精神の今日的価値

日本には、西洋のように壮大にして緻密なる理論体系を構築した哲学者・思想家はいないと言われている。しかし、それは日本の伝統的な精神を論理化しないということてあって、日本に哲学や思想がなかったということでは全くない。萬葉歌人の柿本人麿にしても近世の俳人松尾芭蕉にしても、彼らの偉大なる思想精神は、詩によって表現されている。

 

このことについて保田與重郎氏は、「芭蕉は…自ら感得した詩人の思想を、思想の言葉で語ることはしていない。これは芭蕉のみでなく、わが國の思想の深さを描いた文章の常である。…最も深いものを、日本の思想として語った人々が、我國では詩人であった。…日本の道は、思想としてかういふ形に現れるものだからである。」(野ざらしの旅)と論じておられる。

 

 古代日本精神を今日まで文献的に伝えているものは『古事記』『日本書紀』『萬葉集』である。これらの文献は、『聖書』『コーラン』『仏典』『論語』のような教義・教条が書き記されている文献ではない。日本の神々と日本国の歴史が叙述され魂の表白たる歌が収められているのみである。日本人があくまでも真実を尊び人間の感性を重んじ抽象的な論議や理論を重んじなかった証拠である。

 

近世の国学者であり萬葉学者であった契冲はその著『萬葉代匠記怱釈』において「神道とて儒典佛書などの如く、説きおかれたる事なし。舊事記、古事記、日本紀等あれども、是は神代より有りつる事どもを記せるのみなり。」と論じている。

 

 同じく近世の国学者・平田篤胤はその著『古道大意』において、「古ヘ儒佛ノ道、イマダ御国へ渡リ来ラザル以前ノ純粋ナル古ノ意(ココロ)古ノ言(コトバ)トヲ以テ、天地ノ初ヨリノ事実ヲ素直ニ説広ヘ、ソノ事実ノ上ニ真ノ道ノ具ツテイル事ヲ明アムル学問デアル故ニ、古道学ト申スデゴザル」「真ノ道ト云フモノハ教訓デハ其旨味ガ知レヌ、仍テ其古ノ真ノ道ヲ知ベキ事実ヲ記シテアル其ノ書物ハ何ジヤト云フニ、古事記ガ第一デゴザル」と述べている。

 

平田篤胤は、儒教や仏教という外来思想が日本に入り来る前の純粋なる古代日本の言葉を以て天地生成の起源からの事実を素直に記述し、その事実の上に立って日本民族固有の『道』を明らかにするのが古道(日本伝統精神を学ぶ学問)であり、日本伝統精神は教義・教条ではその真の意義を体得することはできず、古代以来の日本伝統精神を記してある書物の第一は『古事記』であると論じているのである。

 

 つまり日本の伝統精神すなわち日本民族固有の『道』は事実の上に備わっており、一人の人物が書き表した教義書・経典に依拠しないというのである。抽象的・概念的な考え方に陥った教義万能・経典万能の思想から脱却し、日本人としての真心を以て祖先の歴史の真実を見てそれを戒めとしつつ自己の道徳意識を養成し、人間の真心をうたいあげた言の葉(即ち和歌)を学ぶことが、日本人の本来的な思想傾向である。

 

 こういう教義・教条を排するという日本民族の柔軟な態度が、日本文化の発展の基礎であり、日本が古代以来仏教や儒教などの外国思想を幅広く受け入れて自己のものとし、さらにそれをより高度なものにし、さらに近代においては西洋科学技術文明を取り入れた原点である。

 

 現代社会は、思想とか信仰というものが、人間の心性の中に深く根ざしたものとして把握されるのではなく、洗脳という形で個人の中に注入される<イデオロギー>と化している。それは人格破壊を招く機械的な洗脳と言う恐ろしさを持っている。洗脳された人々は、<狐憑き>ならぬ<イデオロギー憑き>なのである。共産主義革命集団はその典型である。

 

 教義・教条とかイデオロギーが人格から分断され洗脳という形で多くの人々を支配した時の恐ろしさは、共産中国や旧ソ連そして北朝鮮などという社会主義国家のこれまでの歴史を見れば明白である。

 

 日本民族の生活態度の基本的特質、言い換えれば日本人の文化感覚を回復することが大切である。

 

 近代科学技術文明は、自然を恐れず、自然を征服し作り替え破壊することによって、人類の進歩と発展を図ってきた。しかしその結果、公害問題が深刻化するとともに核戦争の危機にさらされ、今日人間生活そのものが荒廃し、人類は破滅に向かって歩み始めている。

 

 これを打開するためには、自然に調和し大らかにして柔軟な日本伝統精神に回帰する以外にないのである。

 

 樋口清之氏は「日本人は、一般的傾向として、経験的な知恵や合理的知識をを分析や説明をこえた先験的・信仰的なとらえ方で身につける。このため近代分析科学的な理解方法しか身につけていない人からは、前近代的な迷信だと誤解されることもある。しかし分析に対する総合、対立に対する調和という伝統的な思考の中に、先人の生きざまの英知を各所で発見するのである。」(自然と日本人)と論じている。

 

 今日の世界は、これまでの組織された体系を持つイデオロギーや教義では救い得ない末期的状況にあると言っていい。古い体系は次々に崩壊しつつある。我々の目標は、まともな日本を回復するために、日本の伝統精神の英知を取り戻さねばならないのである。日本の伝統精神とは、イデオロギー・教条ではない。日本の自然と風土と生活の中から生まれた日本民族の自ずからなる歴史の精神である。そうした日本伝統精神が今後の世界においても実に大きな価値を持つ。   

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千駄木庵日乗九月二十六日

午前は、諸雑務。

昼は、若き友人と懇談、意見交換。

この後、北区にある菩提寺に参詣、四宮家のお墓を掃苔。ご冥福とご加護を祈る。住職夫人にご挨拶。

帰宅後は、資料の整理など。

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2016年9月26日 (月)

日本人の伝統的なものの考え方・文化感覚について

 日本人の伝統的な<ものの考え方><生活態度>の基本的特質は如何なるものであろうか。それは西洋人をはじめとした外国人と比較してみるとよく分かる。西洋人や支那人は、表現の仕方では、言いたいことはすべて言い尽くし、自己の能力についても、持てるものを全て並べ立てて見せるのが一般的である。

 

 日本には、「以心伝心」という言葉があり、「言わず語らず心と心」という歌謡曲の歌詞もある通り、日本人は、ちょっとした言葉の端・さりげない態度物腰から、その人の言いたいこと・思っていることそして人柄や教養までも判断する。

 

 日本人は理屈でいくら説得されても、「駄目なものは駄目」「嫌なものは嫌」という態度を取ることが多い。「腑に落ちない」という言葉があるようにどんなにうまい理屈を並べられてもそれだけでは絶対に納得しないところがある。つまり頭で理解できても五臓六腑では納得できないのである。この場合の五臓六腑とは、<情念><感性>と言い換えても良いかもしれない。

 

 家族共同体的な結合・仲間関係があるからこのような日本人の特有の生活態度が成立するのである。そしてその仲間関係の基盤は古代から今日まで伝承されてきた農耕生活より発しているのである。

 

 弥生文化と呼ばれるところの古代日本の農耕文化は、稲作生活によって成立している。ということは種まき・田植え・収穫という毎年同じことが繰り返される生活である。そして日本の気候は四季の変化が規則正しい。毎年同じことを同じ場所ですればいい文化である。弥生文化の特質が家族共同体的な結合・仲間関係を生んだのである。そして家族共同体的な社会は、何でも規則や法律で規制しなければ秩序や共同体が維持できないというような水臭い社会でないのである。稲作生活の祭り主である天皇を中心とした信仰共同体社会がそこに成立したのである。

 

 稲作を基盤とし規則正しい四季の繰り返しの中に生活してきた日本民族は、人間関係のみならず文化も宗教も政治も経済活動も、自然の摂理に準じることを基本として来た。自然との調和が日本民族の生活原理であった。自然に逆らったり自然を作り替えることは、むしろ共同体の安定と繁栄を害することが多かった。

 

 これは狩猟文化とは決定的な違いがある。狩猟文化は何が起きるかわからないという偶然性が稲作文化より圧倒的に強い。また一定の場所にずっと定住するということもない。だから何でもかんでもいちいち規則や法律によって規制しなければ秩序を維持できない。西洋には契約国家思想が生まれたのもこれが原因である。

 

 なお、わたくしの住む東京文京区の東端には逢初川という小さな川流れている。古代、その川のそばに人が住み、水田が作られた。故に小生が生まれ育ち現在も住んでいる千駄木やその近くの動坂そして弥生町に貝塚が発見された。ゆえに古代日本稲作文化は弥生文化ともいわれている。明治一六年文京区弥生の貝塚で発見された古代稲作農耕文化時代の土器を弥生式土器と呼んだことによる。そしてその時代を弥生時代と言うようになった。

 

私の住む千駄木周辺つまり弥生町・千駄木・動坂は、日本民族の中核精神となっている稲作文化と深い関わりのあるところなのである。千駄木の貝塚が弥生より早く古代日本農耕文化は千駄木文化と呼ばれた可能性もあったのである。

 

 さらに、日本人の農耕生活・弥生文化から生まれた信仰は、天地自然を神として拝む信仰である。天も地も山も海も川も樹木も、神の命としてこれを尊ぶ心が日本人の根幹にある。天地自然に神の声を聞くのである。殊更に宗教教義を作り出してこれを遵守しなければ神の怒りにふれるなどという観念は日本伝統信仰には無い。日本の伝統信仰には、西洋的意味での神学もイデオロギーも無い。

 

 それは倉前盛通氏が、「『自然界の声』が、日本の伝統的な自然宗教の基本となっているので、『神学』や『イデオロギー』のような虚構論理とは全く異なった『自然神』の声が、日本人の思考と行動を抑制するのだと言えよう。」(艶の発想)と論じておられる通りである。

 

 あまりべらべら喋りまくって自己主張をすることをよしとしない考え方が日本にあるので、古代から日本は「言挙(ことあげ)せぬ国」といわれている。「言挙せぬ」とは言葉を全く発しないということではない。「理屈」「論理」を弄んだり振り回したりしないということである。

 

 だから日本人は、理論体系を作り出すことはしない。日本伝統信仰においては、キリスト教やイスラム教そして仏教や儒教のように、一人の人物の説いた教義を絶対のものとしてこれを信奉し、これに反するものを排撃するということをしない。

 

 日本人は、人としての自然な情感・感性・驚きというものは大切にするが、そうしたものから遊離した超越的な『真理』『論理』『原理』と称するものを設定しない。なぜなら超越的な『真理』『論理』『原理』と称するものは、作り事であり、嘘や独善と隣合わせであると直感するからである。

 

 土井晩翆氏作詩の『星落秋風五丈原』に「嗚呼鳳遂に衰へて/今に楚狂の歌もあれ/人生意気に感じては/成否を誰かあげつらふ」とあり、三上卓氏作詩の『昭和維新青年日本の歌』には「功名何ぞ夢の跡/消えざるものはただ誠/人生意気に感じては/成否を誰かあげつらふ」とあるように、日本人は物事を「あげつらふ」ことを嫌った。「あげつらふ」とは、物事の善し悪しについて意見を言い合うことであり、欠点・短所などを殊更に言い立てることである。それは人生や宇宙そして自然そのものを歪曲する危険があると考えたからである。論理とか哲学とか教義(イデオロギー)というものは宇宙や人生や世界や歴史に対する一つの解釈であり絶対のものではないのである。

 

 蓮田善明氏はその著『神韻の文学』において、「日本人と西洋人の<ものの考え方><文化感覚>の違いを象徴することとして、アランというフランスの思想家によると、古代ギリシアの数学者であったアルキメデスが掠奪の兵士に殺されんとする時、砂の上に幾何学図形を引き、それを見つめたまま殺されたというが、大津皇子は死に臨んで『百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ』という歌を引用して、古代日本人は不慮の死の際においてさえ雲を見つめた」と論じ、「雲といふものは、幾何学的図形などとは反対に、混沌として定まりやうもない、或は形式といふものにならない、否、心定めさせぬものであり、とりとめもないものである…それに比べると幾何学的図形は数学的図形は数学的法則的に抽象し整理されたものである」と述べておられる。

 

 日本人は雲というものに特別の思いを持った。雲は霊魂の象徴であり永遠の生命の象徴であると共に、無限の可能性をも表している。死に臨んでそれを見つめる歌を詠むということは、抽象的な論理によって真実を把握しようとするのではなく、現に見えるものを通して真実に迫ろうとするのが日本人の文化感覚である事を示している。

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千駄木庵日乗九月二十五日

午前は、諸雑務。

午後は、今日の講演の準備。

この後、施設に赴き、母と過ごす。

午後六時より、春日の文京区民シビックセンターにて、『第六十六回 日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が主催者挨拶。小生が「復古即革新―維新について 日本的変革を考える」と題して講演。活発な質疑応答・討論が行われた。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年9月25日 (日)

『第六十六回 日本の心を學ぶ會』のお知らせ

 

真の保守とは何か、真の革新とは何か―「國體護持・戦後体制打倒」について

 

 江戸幕府を廃絶し、天皇を中心のする日本國體を明らかにし、新政府樹立を宣言した「詔」である「王政復古の大号令」には、「諸事神武創業ノ始二原(もとづ)キ」「舊來驕懦ノ汚習ヲ洗ヒ、盡忠報國ノ誠ヲ以テ奉公致ス可ク候事」と示されています。

 

 今日の祖國日本は、明治維新前夜より以上の内憂外患の危機に直面しております。わが日の本は、天神地祇・八百萬の神々が護り給う國であります。今こそ、明治維新の基本精神たる「尊皇攘夷」「敬神崇祖」の精神を甦らしめ、維新を断行すべき時であると確信します。

 

「保守」とは、「戦後体制」を守ることでは決してありません。本当の「保守」とは「國體護持」であります。そして真の「革新」とは國體を隠蔽し祖國を貶める一切の事象を祓い清めることであります。それが「復古即革新」「維新」であります。

 

申すまでもなく、わが日本國は「近代成文憲法」制定以前から存在しております。前回の「日本の心を學ぶ會」は憲法問題を勉強しました。そして「天皇陛下の地位を位置付ける憲法など不敬である」という意見も出ました。「國民主権」論は欧米の西洋政治思想であります。君民一体・一君萬民の日本國體とは相容れません。

 

真の日本人として、天皇陛下の大御心を体し、何を目指し、何を護るべきか、参加者一同で考えようではありませんか。真の保守とは何か、真の革新とは何か―「國體護持-戦後体制打倒」について、皆様と語り合いたいと思います。どうぞお誘い合わせのうえご参加ください。

 

【日時】平成二十八年九月二十五日 午後六時

 

【場 所】文京区民シビックセンター 三階會議室C

東京都文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9分

 

【講 演】

「復古即革新=維新について 日本的変革について考える」

講師 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

【司會者】林大悟

 

【参加費】資料代五百円終了後、近隣で懇親會(三千円位の予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395 

 

この案内文は主催者が作成しました。

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2016年9月24日 (土)

臣下国民が、天皇及び皇室を限りなく尊崇し奉ることが、わが國の平和と安定の基礎である

 

日本國存立と安定の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。いかなる醜い政治権力闘争が行なわれていても、日本国が崩壊せず統一と安定が保たれているのは、皇室の御存在があるからである。

 

日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず國家の危機である。

 

『承詔必謹』が日本國民の道義精神の根幹である。「詔書」のことをやまとことばで「みことのり」と申し上げる。「御事についてのお言葉」という意味であるという。「のり」の「のる」の名詞形であり、おごそかに宣言されるという意である。詔勅・詔書は最高の公文書である。「詔書渙発」の「渙発」とは、四方に水の散る如く広められるという意である。神のご代理として大君が宣言されたお言葉が「のり」である。そしてその「のり」は「憲」「則」「矩」「規」「法」である。「のり」とは、天皇宮廷の宣せられた御命令というのが本義である。

 

天皇國日本存立および日本國民の倫理精神の基本は、天皇の「御稜威」と國民の「尊皇精神」である。神聖君主・日本天皇の大御心に臣下國民が「清らけき心」「明けき心」で随順したてまつることが、日本國永遠の隆昌の基礎であり、日本國民の倫理精神の基礎である。私心なく天皇にお仕へする心がもっとも大切である。それは、須佐之男命・日本武尊といふ二大英雄神の御事績を拝すれば明らかである。

 

日本人の倫理的道義的理想は、「捨身無我」である。和辻哲郎氏は、「『清き心』の伝統は、尊皇の道の一つの顕著な特徴として、この後の倫理思想の潮流の中に力強く生きている。…清さの価値は『私』を去ること、特に私的利害の放擲に認められる。しかるに私的利害は己の生の利害であるから、…自己を空しゅうすることにほかならない。それは生命に根ざす価値ではなくして、生命を請えた価値である。…日本武尊は典型的な英雄として描かれているが、領土とか富とかはおよそこの尊と関係のないものである。」(『尊皇思想とその伝統』)と論じている。

 

 近代の歴史を顧みても、西欧列強のわが国に対する侵略の危機をはねのけた明治維新の大変革は、天皇・皇室を君主と仰ぐ日本國體の明徴化という原理によって断行された。大東亜戦争敗北という亡国の危機も、先帝昭和天皇の無私の大御心によって打開することができ、戦後復興が成し遂げられた。

 

 わが国は建国以来、天照大御神の生みの御子・現御神日本天皇を、祭祀主・君主として仰いできた。これが万邦無比のわが日本國體である。国民が、天皇及び皇室を限りなく尊崇し奉ることが、わが國の平和と安定の基礎である。

 

 しかし、天皇国日本の國體を破壊あるいは隠蔽せんとする勢力が存在してきたこともまた事実である。天皇・皇室の敵対する者すなわち朝敵・国賊は昔から存在したけれども最終的には悉く天皇・皇室の御稜威に服し、平定された。

 

 天皇を君主と仰ぐ日本國體を破壊せんとする策謀は最近きわめて巧妙になっている。天皇を中心とした國柄を破壊せんとする勢力は、天皇及び皇室への國民の尊崇の心を破壊する事を目的として、皇室の尊厳性・神聖性を破壊する巧妙にして陰湿な画策を続けている。

 

 また近年、國體護持・皇室尊崇の念を持つ人々による、皇室・皇族に対する「諫言・批判・苦言」が雑誌新聞などに発表される以前より多くなった。天皇・皇室を仰慕し、国の将来を案ずる憂国の思いからの切言であろうから、これを反國體勢力の皇室批判と同列に論ずることはできない。

 

尊皇愛国の精神篤い人は、天皇様や皇太子様が「自分たちの抱く天皇の理想像」あるいは「天皇様にはこうあっていただきたいという思い」と異なる御発言や御行動をされた時、天皇様や皇太子様を批判の思いを抱くことがある。

 

 しかし、天皇皇后両陛下をはじめ皇太子同妃両殿下などの御皇族方の御行動・御発言に対し奉り、雑誌新聞などで色々と批判し苦言を申し上げることは如何なものであろうか。何か他の方法にて、諫言申し上げるべきではなかろうか。

 

日々神を祭り、国家国民そして世界の平和と幸福を祈っておられる天皇は、最高に尊い御存在である。生きたもう神であらせられる。天皇陛下以上に国家・国民を思い、その幸福安泰を神に祈られている御方はいないのである。そういう尊貴なるお方に対し奉り、いかなる憂国の士・学識のある愛国者といえども、自分の考え方や、ものの見方や、思想・理論を押し付ける資格はない。天皇・皇族のご意志ご行動が、自分たちの抱く理想像や自分たちの抱く國體思想と異なっているからと言って、天皇・皇族をあからさまに雑誌新聞などで批判するのは慎むべきである。

 

 皇位継承や皇室典範改定など皇室にかかわる重要な御事については、ます以って天皇陛下の大御心に沿い奉るのが臣下・国民としての姿勢である。皇室の重大事について臣下・国民が真摯に議論し、正当なる方法で、その結論を天皇陛下に申し上げることは許されても、自分たちの考え方を天皇陛下及び皇族方に押し付けるなどということがあってはならない。況や一般の雑誌・書籍などで、天皇及び皇族に対し奉り、批判する事は厳に慎むべきと心得る。

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千駄木庵日乗九月二十四日

午前は、諸雑務、『政治文化情報』発送作業。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。湯浅博氏(産経新聞特別記者)が、「世界情勢しと安倍外交への期待」と題して講演。質疑応答。奥野誠亮先生にお会いする。

帰宅後は、『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には、週明けにはお届けできると思います。

この後、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備、書状執筆など。

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祭祀と維新

 日本伝統信仰の祭りとは、人の霊・心・肉そして天地一切を更新し清浄化する行事である。そもそも祭りとは神人合一・今即神代を実感する行事である。恐れながら、天皇御即位の御時の大嘗祭もしかリである。天皇の肉身は変わられても現御神(あきつみかみ・天照大神の地上的御顕現)としての天皇の御本質は不変で、新たなる天皇の肉身に神霊が天降られ天孫降臨が繰り返されるという信仰の祭儀であるところの大嘗祭と伊勢の御遷宮(大神嘗祭)は相似である。

 

 真弓常忠氏は「神宮の遷宮は二十年一度の大神嘗祭であり、…皇祖の大御神の神威に新たな甦りを仰ぐ最大最重の厳儀である。それは、宮中の大嘗祭に相相応する大儀である。このことは、皇居においても、御代ごとに遷宮する例であったのが、持統天皇の藤原京より恒久的な皇居を営まれたことも照応する。昔から伊勢の遷宮を『皇家第一の重事、神宮無双の大営』(『遷宮例文』)といわれてきた所以がここにある。それは始源においては、大嘗祭と表裏一体の相対応する大儀であった」(大嘗祭の世界)と論じておられる。

 

 常に全てを祓い清めて新生を繰り返し永遠の生命を甦らしめるというのは、日本伝統信仰の根本である。日本は長い歴史を有する国であるが、ただ古さを誇りとするのではなく、伝統を顧みつつ常に新生を繰り返してきたところに素晴らしさがあるのである。長き歴史を有する国々の古代民族信仰は皆滅びたり大きく変質し、今日残っている神殿なども廃墟と化し、ただ観光施設として見物の対象になっている。

 

 ところがわが日本おいては、これだけ科学技術が進歩し物質文明が豊かになっている今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きており、伊勢の神宮をはじめとした全国各地の神社で毎日のようにお祭りが行われている。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の君主として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

 維新と言い、日本的変革と言うも、要は日本国そして日本国民一人一人を新生せしめ、清浄化し、天皇国日本の本来の姿そして「み民われ」としての日本国民本来の姿を回復することによって現状の革新を行うということである。大化改新も明治維新も建武の中興もそういう精神に基づいて断行された。

 

 影山正治氏は「我々は神前に大祓の祝詞を至心に奏上することによって御國の罪・穢を祓ひ清めて神國の本来に還へらむ事を祈り、また我の罪・穢を祓ひ清めて神我の本領に還へらむことを祈るのである。…今こそ全日本人が朗々と大祓の祝詞を斉唱しつつ、皇國の維新、全世界の維新に當らねばならない」(正続古事記要講)と論じておられる。

 

 現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。

 

 この場合の「復古」とは単に時間的過去に逆戻りすることではない。古代の伝統精神の新たなる発見である。古代からの日本の伝統精神を復活せしめ硬直し腐敗した現代を一新する。これが維新である。

 

『古事記』の編纂もかかる維新の精神の基づいて行われたのである。太安萬侶(おおのやすまろ)は『古事記』序文において「古を稽(かむがへ)て風猷を既に頽れたるに繩(ただ)したまひ、今を照して典教を絶えなむとするに補ひたまはずといふこと無かりき」(いつの時代にあっても、古いことを調べて、現代を指導し、これによって衰えた道徳を正し、絶えようとする徳教を補強しないということはありませんでした、というほどの意)と述べている。これが復古即革新の精神である。

 

 大化改新も明治維新も、神武建国への回帰・神武建国の精神の復興がその原基であった。

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2016年9月23日 (金)

千駄木庵日乗九月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

夕刻、団子坂にて、若き友人と懇談。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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「皇位」とは、『天津日嗣の高御座』である。普通一般の國家の國家元首・最高権力者の「地位」とはまったく次元を異にする。「皇位継承」「御譲位」についてはこの事の大前提にしなければならない

 

三潴信吾先生は、その著『日本憲法要論』において、「世界中で、成文憲法が先に出来て、然る後に国家が成立した國は一つも無い。国家生活の根本事実が出現し、これと同時に、またはその後の時点に於て、憲法典が制定される。」「日本においては明治二十三年十一月二十九日の大日本帝国憲法施行の日まで、成文憲法は無かったが、何人も、その故を以て、それまで日本国家が成立して居なかったと見ることは出来ない」と論じておられる。

 

さらに『皇室典範』について三潴信吾先生は、「(現行の・註)皇室典範は…宮務法としてではなく、憲法の下に従属する政務法の一つとして新『皇室典範』が『皇室経済方』の如き法律と共に制定された…皇位継承の事項が法律事項となり、例へば商法の会社法などとも同列に置かれたことは大問題である。皇位継承の事項を、…一般法律の改正手続、即ち、単純多数決(過半数)を以て改変できる事となってゐる。即ち、皇位に関する事項を単なる政治問題として国会の論議に委ねてしまったのである」(同書)と論じておられる。

 

中川八洋氏は、「傳統や慣習は”法“であるから、法律の上位にあって、この”法”に背理する法律についてはそれを無効にすることができる。英國のE・コーク卿が理論化した”法の支配”とは、このような、『傳統・慣習・先例・過去の判例、その他のコモン・ローは、國王の勅令に対しても、國會で採択された法律に対しても、優位する憲法原理』のことである。…日本も、英國と同じく、この古来より先蹤の積み重ね──古法──を”法” としてきた。これをしばしば”古格”とか”旧慣”とも称し、この”旧慣の尊重”の重要性を説き、西洋の法律をやたらに模倣する、当時の同僚や部下の法律家を諌めた」「皇室典範もまた、天皇の意志や恣意で改変されることの無いように、その改正権をもつ皇族會議を主宰する天皇に対して、”上位の法゛、天皇は皇室典範に対して”下位の機関゛」という、法思想のルールの遵守を天皇に奏請したのである。」(『皇統断絶』) と論じてゐる。

 

「國王といへども法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想であるといふ。かかる法思想は、「王の権威と権力は神によって与へられた」とする西洋の立憲君主國家の考へ方であって、わが國には通用しないし、通用させてはならない。

 

小室直樹氏は、「『大日本帝國憲法』第三条に、『天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス』とある。伊藤博文は、これを説明して、『天皇を、誰も非難したり批判したりすることはできない』(『天皇は指斥言義(しせきげんぎ)の外に在()るものとす』(『憲法義解』)といっている。すなわち、政府も、裁判所も、一般國民も、天皇のいかなる責任をも追及することはできない。もちろん、法的責任を追及することはできない。天皇は、法の上にある。)(『天皇恐るべし』)と論じてゐる。

 

天皇は権力者ではなく祭り主である。わが國の國體は祭政一致である。天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の法である。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる『のりごと』である。法(のり)は宣(のり)である。天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の宣命(おほせごと・大御心)が法なのである。そもそもコモン・ロー(common law)とは、大陸法系と区別された英米法系に属する法制のことであり、特にイギリス普通法裁判所の判例法として歴史的に発達してきた一般國内法のことであるといふ。日本と英國とは國體・歴史・傳統・風俗・習慣が異なるのであるから、英國の法思想をそのまま日本に取り入れることは出来ない。

 

天皇が祭りを執行され、神の御心をお知りになり、臣下は天皇がお知りになった神の御心に基づきそれを實現するために實際の政治を行ふといふのが、わが國の古来からの「まつりごと」のあり方である。これが「しろしめす」といふ天皇統治の實相である。これを「祭政一致」といふ。古来、我が國では法律・命令はすべて「のり」といふ語で表されてゐて、「のりと」と法律・命令とは根本は同じものである。

 

歴代天皇は、神のご意志をよくお知りになって神のご意志を實現させることを使命とされる。日本天皇が、神を祭る時にうかがった神の意志を告げることを『ノル(告る・宣る)』といふ。「ノル」は名詞にすると「ノリ」であり、「法」を「ノリ」といふのは、祭り主たる天皇が「告る・宣る」ことがすなはち法となるからである。

 

祭政一致のわが國の傳統においては、天皇の仰せごとは即ち神のご意志であり、民が守らなければならない「法」なのである。天皇の上に「法」があるなどといふことは絶対にあり得ないしあってはならない。

 

三潴信吾氏は、「我が御歴代の天皇の下における一切の認定法は、天照大御神と一体たり給ふ 天皇の大御心の発現であって、神定即人定と云ふべきもので、ここにわが國法の神聖性の根拠があり、従って又、そこに日本民族の尊皇遵法の根拠があるのである。」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。

 

「天皇は『憲法』『皇室典範』よりも下位にある機関」などといふ説はまったくわが國體と相容れない。第一、現御神日本天皇断じて「機関」ではあらせられない。天皇國日本の「法」の尊厳性は、「天皇の仰せごと」といふところにある。天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威によるのである。天皇の正統性は憲法によるのではない。現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。「皇位継承」など皇室に関することは、國家の権力機構である立法府・行政府で決めるべきではなく、最終的には、天皇陛下の大御心に遵ふべきである。

 

「皇位継承」「『皇室典範』改定」は、日本國家を體現される御方の「御位」(みくらい)に関する事柄であり他の政治問題とは全く性格を異にする。また、皇位継承とは、『天津日嗣の高御座』の繼承である。普通一般の國家の國家元首・権力者交代とはまったく次元を異にする。

 

ゆゑに、権力機構が多数決で決めてはならない。また、『天皇のご意志を伺はなくていい』などといふ議論は全く間違ってゐる。日本の傳統の根幹に関はることなのであるから、日本の傳統の體現者であらせられる天皇の御意志を体してて決められるべきである。

 

『憲法の國體条項』『皇室典範』は、天皇國日本といふかけがへのない信仰共同體・祭祀國家の存亡に関はる。また、日本天皇の「皇位」は、他國の「王位」、元首の「地位」とは全くその本質を異にする。天皇・皇室の根幹に関はる事柄は、権力機関で議論し決定すべきではない。

 

「皇位」は、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體日本の國體に関する神聖なる事柄であり、世俗の権力問題ではない。即ち決して『現行憲法』のいふ「政治権力作用としての國政」ではない。占領軍に押し付けられた『占領憲法』などに拘束されて、天皇の大御心を無視するなどといふことは許されない。

 

國體の上に成文法があるのであり、成文法の下に國體があるのではない。わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主である。したがって、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる「のりごと」である。祭政一致のわが國の国柄においては、祭祀主たる天皇が神の意志として宣()べられた事が最高の「法」と考へられた。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。「詔勅」は神の御意志なのである。

 

天皇陛下は、日本傳統精神の體現者であらせられる。信仰共同體日本・祭祀國家日本の根本に関することは、天皇の大御心に随順し奉ることが、日本國永遠の隆昌の基本である。天皇は祭祀主であらせられ、権力者ではない。天皇の大御心に随順することは、権力者に絶対服従するのとは全く異なる。

 

「皇位」は「天津日嗣の高御座」と申し上げる。これは、「高天原にゐます天照大御神の靈統を繼承される御方の座される高い御位」といふほどの意である。まさに神聖不可侵の「御位」なのである。その神聖なる御位=「天津日嗣の高御座」の繼承のあり方を、権力國家の行政機関や立法機関で決定しては絶対にならない。あくまでも天つ神の御意志・神代以来の傳統に基くべきである。そして神の御意志・肇國以来の傳統の體現者は、上御一人日本天皇であらせられる。天つ神の地上におけるご代理=現御神であらせられ、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる天皇陛下の大御心に帰一すべきである。これが一番大切である。いかなる権力者であらうとも、いかなる立場の者であらうとも、臣下が議論して決めるべきではない。

 

旧『皇室典範』は、明治天皇が裁定され、制定された。即ち勅定である。議會や政府が定めたのではない。皇室に関はることは、なべて大御心に俟つべきである。一切は大御心のまにまにが、臣下國民のあるべき姿勢である。

 

天皇のご意向を無視して決定することは、政體が國體を規制し、権力が権威を規制し、「俗」が「聖」を規制することになる。これは文字通り國體破壊である。

 

今の政治家が『皇室典範』を改定すること自體、不敬不遜の極みといふべきである。何回も繰り返すが、「天津日嗣の高御座の繼承」といふ神聖不可侵の事柄を、上御一人の御意志をうかがふこともせず、政争が繰り返される権力機構たる議會で決めるのは、間違ってゐる。

 

日本國の生命・歴史・傳統・文化・道義の体現者たる天皇の大御心・御意志にまつらふことが日本國民の道義心の根幹である。そして天皇の大御心・天皇の國家統治の基本は、天照大神の御命令である「高天原の理想を地上に実現する」といふことである。

 

 現御神信仰の公的表現は、『宣命詔勅』に「現神(あきつかみ)と大八洲知ろしめす倭根子天皇(やまとねこすめらみこと)」と示されている。とりわけ『文武天皇即位の宣命』には「天津日嗣高御座の業と、現神と大八嶋知ろしめす倭根子天皇命の、授賜ひ負賜(おほせたま)ふ貴き高き廣き厚き大命受賜り恐み坐して……明き淨き直き誠の心以て、御稱(いやすす)み稱(すす)みて緩怠(たゆみおこた)る事無く…」と示されてゐる。 

 

「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の最高の実践者であらせられる。その大君に對し奉り、臣下國民は赤き心直き心で仕へまつるのが日本國民の道である。そして上御一人の大御心は『おほみことのり』即ち詔勅・大御歌・公的御行動によって示されるのである。

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2016年9月22日 (木)

千駄木庵日乗九月二十二日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、資料の整理、『政治文化情報』発送準備など。

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「勅命即天命」と心得て、上御一人の大御心に従ひ奉るのが国民の踏み行なふべき道である

捨身無我の絶対尊皇精神が日本人の道義精神の極地である。これを「恋闕心」と言ふ。恋闕心とは、宮闕(きゅうけつ・宮殿・宮城・宮門)を恋ひ慕ふ心のことである。ただひたすらなる尊皇の思ひである。

 

村岡典嗣氏は、「歴史日本が創造した道徳的價値の重要なものとしては、尊皇道と武士道との二つを舉げ得る。尊皇道徳は太古に淵源し、わが國體の完成とともに、而してまたその根底ともなって成就したものであるが、歴史上或は國難その他の非常時局に際し、或は文教や學問の興隆にあって、發現と高揚とを見せたと言へる。そは即ち、天皇に對し奉る絶對的忠誠の道徳であって、…太古人がその素朴純真な心に有した天皇即即現人神の信念こそは、實にその淵源であった」と論じて、柿本人麻呂の「大君は神にしませば天雲の雷の上にいほらせるかも」を挙げてゐる。(『日本思想史研究・第四』)

 

さらに村岡典嗣氏は、近世における尊皇道の代表的なものとして山崎闇斎(江戸初期の朱子學者、神道家。朱子學の純粋化・日本化に努め、門弟は数千人を数へた。また、神道を修め、垂加神道を創始し、後世の尊皇運動に大きな影響を与へた)を祖とする「垂加神道」を挙げてゐる。山﨑闇斎は会津侯保科正之が師事した。闇斎の神道説が垂加神道と称せられるのは、神道五部書にある天照大御神の神託、「神垂以祈禱爲先、冥加以正直爲本」の垂と加とを取ったのである。

 

和辻哲郎氏は、「彼(注・山崎闇斎)によれば、國常立尊は大極で天之御中主神と同体異名であり、また外宮の神である。『国常立と云(まう) す時、帝王の始祖神也、帝王より出たる系図の人は、神拝に其心得あるべし。天御中主と云す時は、万姓の元祖神也、其心を持て万人拝すべし』(神道族秘伝問答)…無形の形たる宇宙の原理を『一神』即ち国常立尊とする根本の立場…。」「(吉川惟足は『神道大意』で・註)『儒佛或はバテレンが道と雖、本此一元より起れり。其ほどこす所は各土地の風に依て教へり、理に於て異なる事なし。…理に天竺、漢土、日本の差なし、然ども事は大に隔別なり。』宋の形而上學を神道の基礎づけに用いている点においては、羅山と同じ立場に立つといってよい。闇斎の説は神道を儒教から理解するのではなく、神道自身から理解しようとする立場の先駆をなす…その先駆的な意義は、形なき普遍的な原理と、神話的特殊形態との、直接的統一を把捉したところにある…。」「闇斎は神代巻の巻頭に解釈を加えて、『此処に所謂神聖は、天人を合せて云へり、是大元の尊信神にして、則ち帝王の御大祖、御人体御血脈の本源と拝み奉る御事也。』『この神(国常立尊)は正しく造化の神にて在ますと、直に御人体の御神と拝み奉る御事に侍る。葦芽の最初より国土成定て後、いつまでの限り知られすせ、常磐固磐に国も君も常しなへに立せ給へる御事なれば…』…彼は、神代紀が『吾邦帝王の御実録』であり、『我大君の御血脈の本源』より始めて『天壌無窮の皇統』を明らかにしたものであることを、力説した。…この見解は皇統そのものの内に造化神の血脈を見るのであって、天皇の現神性を天人唯一の説によって基礎づけたことになる。天皇の意義もまたシナの天子とは異ならざるを得ない。」(日本倫理思想史)と述べている。

 

闇斎門下の玉木清英(あるいは正英)は『藻盬草』といふ文章で、「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」と説いてゐる。

 

「(絶對尊皇道徳の・註)最も代表的なものを山崎闇斎を祖とする垂加神道の所説とする。曰く、日本の天皇は、支那に比すれば天子でなくて天そのものに當る。儒教の天がわが皇室である。儒教でいへば、大君の上に天命がある。勅令の上に天命がある。しかるに我國では、大君なる天皇は即ち天帝であり、勅命はやがて天命である。されば假に君不徳にましまして、無理を行はれるといふやうなことがあっても、日本では國民たるものは決してその爲に、天皇に背き奉り、また怨み奉るべきでないことは、恰かも天災がたまたまあったとて、ために支那に於いて、天帝に背き、また天帝を恨むべきではないとされると同様である。…これまさしく、わが國民精神の中核を爲した絶對對尊皇思想である。」(『日本思想史研究・第四』)と論じてゐる。

 

江戸時代の日本国民(武士も民衆も)は、各藩を越えて日本民族としての統一意識・帰属意識を保持していた。伊勢参宮・雛祭り・御所人形などにおいてそれは表現されてゐる。そういう意識が山﨑闇斎の思想に反映したと、和辻氏は指摘した。山﨑闇斎の「絶対尊皇思想」は、七八十年の後に、竹内式部(正徳2年(1712年) - 明和4125日(1768124日))は、江戸時代中期の神道家、尊王論者。1728年(享保13年)頃上京して徳大寺家に仕え、山崎闇斎門下の松岡仲良・玉木正英に師事して、儒学・垂加神道を学んだ。家塾を開いて、若い公家たちに大義名分を重んじる垂加神道の教義を教授したことから、1758年(宝暦8年)の「宝暦事件」では中心人物として重追放の処分を受けて京都を追放された。その後1767年(明和4年)山県大弐らによる「明和事件」の際、関与を疑われて八丈島に流罪となり、送られる途中に三宅島で病没した)

 

山県大弐(江戸中期の軍学者、勤王家。甲斐国(山梨県)の人。名は昌禎。字は子明。柳荘と号す。江戸に出て塾を開き、兵学を講じ、「柳子新論」を著して尊皇思想を鼓吹した。明和三年の明和事件に連座して死刑。(一七二五~六七))などにおいて、明白に倒幕思想として現われた。

 

二・二六事件に指導的立場で参加し処刑された村中孝次氏(元陸軍大尉)は獄中において「吾人は三月事件、十月事件などのごとき『クーデター』は國體破壊なることを強調し、諤々として今日まで諫論し来たれり。いやしくも兵力を用いて大権の発動を強要し奉るごとき結果を招来せば、至尊の尊厳、國體の権威をいかんせん、…吾人同志間には兵力をもって至尊を強要し奉らんとするがごとき不敵なる意図は極微といえどもあらず、純乎として純なる殉國の赤誠至情に駆られて、國體を冒す奸賊を誅戮せんとして蹶起せるものなり。」(獄中の遺書『丹心録』)と書き遺してゐる。

 

以上引用させて頂いた方々の精神こそが真の絶對尊皇精神であると思ふ。わが國道義精神の基本は「清明心(きよらけくあきらけきこころ)」である。それは「まごころ」「正直」と言ひ換へられる。まごごろをつくし清らかにして明るい心で、大君に仕へまつる精神が古来からのわが國の尊皇精神である。わが國の道義精神の中核は、日本國の祭祀主として神聖なる御存在であられる天皇に對し奉り清らけく明らけく仕へまつる心=清明心である。

 

しかし、「天皇および皇室は日本の道義精神の中核であり鏡である」といふことは、天皇に完全無欠な佛教や儒教やキリスト教でいふところの「聖人」になって頂くことではない。それは、天皇が和歌をはじめとした日本文化継承の中心者であらせられることが、天皇に柿本人麻呂や芭蕉のやうな「歌聖・俳聖」になっていただくことではないのと同じである。

 

誤解を恐れずに言へば、連綿たる道統と血統に基づく天皇の神聖性・正統性と、歴代天皇お一方お一人方の「ご人格」とは別である。もちろん、祭祀主としての天皇は日本國におけるもっとも神聖にして清らかなる御存在であるけれども、道徳的に政治的に絶對無謬の御存在ではない。

 

和辻哲郎氏は、「上代人は『善悪の彼岸』にいたのである。ここに上代の道徳的評価意識の第一次の特徴がある。…スサノヲの命は親イザナギの命に對して不孝であった。夫婦喧嘩、兄弟喧嘩は神々や皇族の間に盛んに行われている。…後代の道徳思想においては最も非難すべきものとせられているにかかわらず、神聖な神々の行為として、平然と語られているのである。…神々の行為には確かに悪もある。しかし神々は善事にまれ悪事にまれ『真心』に従って行なうゆえに、すべてそのままでいいのである。神々の行為は善悪の彼岸において神聖なものである」(『日本古代文化』)と論じてゐる。

 

わが國史において、後代の道徳思想政治思想から見ればあるいは「失徳の天子」といはれる天皇がをられたかもしれない。しかし、基本的に日本民族が太古以来の絶對尊皇精神を保持してきたから、禅譲放伐・易姓革命が起らず、天皇中心の國體が護持され、國家民族の安定が基本的には保たれてきたのである。その根源には、祭祀主としての日本天皇の神聖性への國民の「かしこみの心」があるのである。

 

國民は、最終的には、「勅命即天命」と心得て、上御一人の大御心に従ひ奉るのが踏み行なふべき道である。「楠公精神」「恋闕の心」とはさういふ精神であると思ふ。

 

天皇は言ふまでもなく、外國の専制君主や独裁者とは全く異なるご存在である。日本天皇は臣下國民を権力によって支配し絶對服従させるといふご存在ではない。

 

國家の重大事に関して、天皇のご意志と維新を目指す者たちとの意志に違ひがあった時はどうするのかといふ問題について、快刀乱麻を断つがごとき意見を申し述べることは残念ながら私にはできない。天皇の為国の爲と思って行った主張や行動が、天皇によって否定されたそれは自分たちのまごころ・清明心が足りなかったことを反省すべきであって、天皇が間違っておられるなどと批判したり、ましてや、陛下にご退位を願ったりしては絶対ならないと信ずる。天皇陛下を現御神として仰慕し奉るのが日本の臣道である。

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まごごろをつくし清らかにして明らけき心で大君に仕へまつるのがわが國の尊皇精神

 

天皇陛下が、臣下國民が抱く「天皇の理想像」あるいは「天皇様にはかうあっていただきたいといふ思ひ」と異なるご発言やご行動をされた時において、臣下国民は天皇陛下や皇太子殿下をあからさまに批判してはならないと私は思ふ。それでは真の尊皇にはならないと思ふ。

 

尊皇精神とは、日本國の祭祀主であられ神聖なる君主であられる天皇への「かしこみの心」である。そしてそれは日本人の道義精神の根本である。 

 

尊皇精神・勤皇精神の體現者が楠正成公である。日本國民の「楠公崇拝」即ち楠正成を尊崇する心とは、楠公の絶対尊皇の精神と行動に共感する心である。

 

久保田収氏は、「『太平記』四十巻の中で、近世の人々が最も感動深く読んだものは、正成の活動と忠誠とであった。正成が天皇の御召しを受けて参上し、力強く決意を申上げたこと、千早の険に拠って、北条氏の大軍を向こうにまわして、…奮戦し…中興の糸口をつくったこと…七生報國の志を残して、湊川で戦死したことなど、正成が死生を超越し、一意至誠をもって天皇に捧げた純忠の精神は、読む人に深い感動を与え、正成への憧憬と、その志をうけつごうとする決意とを生み出したのである。…天和二年(一六八二)に亡くなった山崎闇斎…の學問の流れを汲んだ若林強斎が、その書斎を望楠軒といって、楠公を崇拝する気持ちを明白にし、正成が『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』と申したということに感じて楠公崇拝の心をおこした、と傳えている…強斎は、このことばが『わが國士臣の目当』であると考え、正成を日本人の理想像として仰いだのである。」(『建武中興』)と論じてゐる。

 

足利高氏軍が兵を率いて九州から進攻して来た時、楠正成は、後醍醐天皇に「比叡山に行幸して頂き、正成も郷里の河内に馳せ下り、畿内の兵を以って淀の川尻をさし塞ぎ、物資の都への流入を断ち、敵を兵糧攻めにして苦しめ、その間に義貞と正成とで敵を挟撃すれば、必ず勝利を収めることができる」と献策した。

 

しかし、その献策は朝廷の容れるところとならなかった。『太平記』によると、正成は「討ち死にせよとの勅定ござむなれ。義を重し死を顧ぬは忠臣勇士の存る処也」と言って、五百余騎で兵庫に向ひ、見事に討ち死にした。

 

『太平記』は、楠公を讃嘆して、「智仁勇の三徳を兼て死を善道に守り、功を天朝に播(ほどこす)事は、正成ほどの者は未だ有らず」と書いてゐる。また、足利高氏側近の武将が書いたとの説がある『梅松論』でさへ、「賢才武略の勇士ともかやうの者をや申べきとて、敵も味方もおしまぬ者ぞなかりけり」と楠公をほめてゐる。かかる楠公の絶対尊皇精神は、後世に大きな影響を与へた。

 

久保田収氏はさらに次のごとく論じてゐる。「明治維新のために活動した多くの志士は、ほとんど例外なく楠公に対する感激と崇敬とを抱いていた。…松陰は『七生説』を作って、正成が七度人間と生まれて國賊を滅ぼすことを誓ったことについて、『楠公兄弟、たゞに七たび生れるのみならず、初めより未だ死せざるなり』といい、『是より其の後、忠孝節義の人、楠公に見て興起せざるものなし。…』となし…人々のこころが楠公に帰一した時に、明治維新は成就したのである。」(『建武中興』)

 

高山彦九郎・有馬新七・真木和泉守保臣など維新の志士たちの楠公仰慕の心は非常に強いものがあった。楠公の絶対尊皇精神が、明治維新の戦ひに挺身した志士たちの精神的基盤であったと言っても過言ではない。

 

本居宣長は、「から國にて、臣君を三度諌めて聽ざる時は去といひ、子父を三たびいさめて聽ざるときは泣てしたがふといへり、これは父のみに厚くして、君に薄き悪風俗也。…皇國の君は、神代より天地と共に動き給はぬ君にましまして、臣下たる者去べき道理もなく、まして背くべき道理もなければ、したがひ奉るより外なし。なほその君の御しわざ悪くましまして、従ふに忍びず思はば、楠主の如く、夜見の國へまかるより外はなきことと知べし、たとひ天地はくつがへるといふとも、君臣の義は違ふまじき道なり…然れば君あししといへ共、ひたふるに畏こみ敬ひて、従ひ奉るは一わたりは婦人の道に近きに似たれ共、永く君臣の義の敗るまじき正道にして、つひには其益広大なり。」(『葛花』)と論じてゐる。

 

天皇は現御神であらせられ絶對的に尊ぶべき御存在である。もしも、万が一、天皇の御心や御行動が、自分の考へや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下を批判する事は絶對にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。天皇陛下が間違った御命令を下されたり行動をされてゐるとたとへ思ったとしても、國民は勅命に反してはならずまして反對したり御退位を願ったりしてはならない、如何にしても従へない場合は楠正成の如く自ら死を選ぶべきであるといふのが、わが國の尊皇の道であり、勤皇の道であることを、本居宣長先生は教へられてゐる

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2016年9月21日 (水)

大御心にまつろひ奉ることが日本國民の道義心の根幹

天皇國日本存立および日本國民の倫理精神の基本は、天皇の「御稜威」と國民の「尊皇精神」である。神聖君主・日本天皇の大御心に「清らけき心」「明けき心」で随順したてまつることが、日本國永遠の隆昌の基礎であり、日本國民の倫理精神の基礎である。私心なく天皇にお仕へする心がもっとも大切である。それは、須佐之男命・日本武尊といふ二大英雄神の御事績を拝すれば明らかである。

 

日本人の倫理的道義的理想は、「捨身無我」である。和辻哲郎氏は、「『清き心』の伝統は、尊皇の道の一つの顕著な特徴として、この後の倫理思想の潮流の中に力強く生きている。…清さの価値は『私』を去ること、特に私的利害の放擲に認められる。しかるに私的利害は己の生の利害であるから、…自己を空しゅうすることにほかならない。それは生命に根ざす価値ではなくして、生命を請えた価値である。…日本武尊は典型的な英雄として描かれているが、領土とか富とかはおよそこの尊と関係のないものである。」(『尊皇思想とその伝統』)と論じている。

 

三島由紀夫氏の市ヶ谷台上の義挙における『檄文』に、「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。」と示されている。今日の日本は清明心を忘却してゐるのである。

 

わが國道義精神の基本は「清明心(きよらけくあきらけきこころ)」である。それは「まごころ」「正直」と言ひ換へられる。まごごろをつくし清らかにして明るい心で、大君に仕へまつる精神が古来からのわが國の尊皇精神である。わが國の道義精神の中核は、日本國の祭祀主として神聖なる御存在であられる天皇に對し奉り清らけく明らけく仕へまつる心=清明心である。

 

村岡典嗣氏は「まごゝろといひ、大和心といふものには、一味もののはれと通ずるところがある。而してこれまた、現人神にます天皇を對象とすることに於いて、重なる存在をはじめに有した丹き心本来の性格であった。……正統記に、儒教的の有徳王君主の思想を少なくとも絶對的に否定しつべき積極的主張の十分でなかったことを、感ぜざるを得ざらしめる。これは國學者の立場からせば、所謂漢意を去りえなかったのである。天皇は天皇にまします故に貴く、善悪の論を離れて絶對に尊びまつるべしといふのは、合理主義以上のまた以外の至情である。丹き心の根柢にはこの情味がある。この事は、國學をまって、始めて明瞭なる自覺を以て發揮せられたところである。されば親房以後近世の日本的儒學者の間に於いては、就中、山鹿素行の如き、頗る日本精神の主張に於いて、一層の進歩を示したとはいへども、未だこの點國學ほど純粋ではなかった憾みがある。而してこは、國學の古典學を有しなかった爲である。」(『日本思想氏研究第四』)と論じてゐる。

 

わが國における「尊皇精神」「忠義」とは、現御神日本天皇に對する絶對的な仰慕の心・戀闕の心をいふのである。一切の私心なく天皇にまつろひ奉ることが最高の道義なのである。それを「清明心」といふのである。

 

「丹(あか)き心」とは、「赤心(せきしん)」であり、誠實、偽りのない心、まごころ、美しい心、きれいな心、清い心、まことの心である。すなはち日本精神の骨髄たる「清明心」である。

 

天照大神は、高天原に上ってきた須佐之男命に「然(しか)あらば、汝(みまし)が心の清く明きは何を以ちて知らむ」と仰せられた。須佐之男命は、ご自分の「清明」を証明するために「うけひ」をされた。

 

和辻哲郎氏は、「心は総じて善即利福を欲するが、その欲し方にウルワシサとキタナサとがある。それを古代人は重視し、この区別を表すのに善悪の文字を持ちいた、…天照大御神がスサノオノ尊の『不善心』を問題としたのは、『欲奪国之志』(国を奪わんと欲するの志)を推測したからである。…ヨキ心もまた利福を欲するがゆえにヨシと言われるのではなくして、他者の利福、全体性の利福を欲するがゆえにヨシとせられるのである。」「他者から見ても透明でなく、当人においても暗鬱な心境を、古代人はクラキ心、キタナキ心として把捉したのである。かかる心境と反対に、私心を没して全体に帰依するとき、人は何の隠すところもなく人々と融け合い、…朗らかな、明るい、きしみのない透き徹った心境に住することができる。これを古代人はキヨキ心、アカキ心として把捉したのである。」(日本倫理思想史)と論じている。

 

日本人の倫理道徳の根本は、「清明心」「正直」「まこと」「無私」にある。そして、祭り主日本天皇は、「清明心」「無私」の體現者であらせられる。

 

また、また、天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。

 

日本國民は古来、「清けく明けく」(清明心)を最高の価値として来たのである。清々しく明るい日本民族精神は、天皇の神聖性を讃嘆し、その大御心に従ひ奉る精神なのである。

 

支那の有徳王君主思想は、「君主に徳がなくなり間違ったことするやうになればその君主を廃する」といふ思想である。日本の尊皇精神は、「天皇は現御神であらせられ、善悪の論を離れて絶対に尊びたてまつるべし」といふ至情である。これを「あかき心」(赤誠心)といふのである。「あかき心」とは「無私の心」である。

 

しかして無私の心をもっとも體現しておられるお方が、祭り主・日本天皇であらせられるのである。なぜなら「まつり」とは、神に対して私を無くしてまつろひたてまつる行事であるからである。日本傳統信仰の「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)といふことである。そして祭祀によって神と人とが合一する。祭祀主日本天皇の「無私の大御心」「神聖性」が日本國民の道義の規範なのである。

 

「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で實現されるお方であり道義精神の最高の實践者であらせられるのである。

 

人間の限り無い欲望・闘争心を抑制せしめるには、天皇の無私にして神ながらなる大御心に回帰する以外にない。日本國の生命・歴史・傳統・文化・道義の體現者たる天皇の大御心・御意志にまつろふ(服従し奉仕する)ことが日本國民の道義心の根幹である。「清明心(きよらけくあきらけきこころ)」は、「まごころ」「正直」と言ひ換へられる。まごごろをつくし、清らかにして明るい心で、大君に仕へまつる精神が古来のわが國の尊皇精神である。

 

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千駄木庵日乗九月二十一日

午前は、諸雑務。

昼は、施設に赴き、母に付き添う。

午後二時より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

午後六時より、新宿にて、『山本峯章先生講演会』開催。阿形充規氏が主催者挨拶。山本氏が講演。多くの同志が参集し、活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、原稿執筆。

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王明理さん(詩人、台湾独立建国聯盟日本本部委員長)による「台湾の新しい出発と日台関係」と題する講演の内容

六月二十四日に開催された『三島由紀夫研究会公開講座』における王明理さん(詩人、台湾独立建国聯盟日本本部委員長)による「台湾の新しい出発と日台関係」と題する講演内容は次の通り。

「台湾は、東側は開発が遅れている。西側は開発が進んでいる。大陸とは百八十キロ離れている。台湾は、中國と全く別の歴史を歩んできた。新鮮な魚や野菜を収穫する。日本と台湾は理解し合える。

 

私は三島由紀夫の一ファン。『葉隠入門』『東大全共闘との対話』を最近讀んだ。一番感激したのは『豊穣の海』。時間の流れ、空間の捉え方、輪廻転生がストーリーとして素晴らしい。日本語としてこれ以上美しい文章はない。三島先生以上の小説家はいない。『天人五衰』を書き上げて自決。時間をかけて完成させた。私が無人島に行く時に持って行く本は『豊穣の海』と決めている。

 

私の父・王育徳は、一九二四年生まれ。日本語世代。東大生の時、疎開で台湾に帰り、戦後は、台南一中の公民歴史の教師になった。台湾語で台湾の歴史を教えた。台南一中出身者に、台湾独立運動家が多い。父は演劇活動を行った。台湾独立を主張。原作・脚本・主演で、台湾市民ホールで公演。二・二八事件で自由な活動が出来なくなった。また、父の兄が殺された。父も命を狙われた。一九四九年、二十五歳の時に、日本に亡命。東京大学に再入学。小説家で『天の夕顔』の作者・の中河与一の門下になった。曽野綾子さんと同期。四宮さんの出している『政治文化情報』で中河与一が共産主義・必然論に異を唱え、偶然論を主張したことを知った。父が教わった先生はそういう方だったのかと認識を新たにした。

 

台湾では台湾語は禁止。父はこのままでは台湾語が滅びると思い、台湾語の墓碑銘を書くつもりで台湾語を研究。また、教え子六名と台湾青年社を作り、台湾のことを啓蒙した。中華民国・国民党政権からの独立を主張した。一九七〇年、アメリカ・カナダ、ヨーロッパに拠点を置く組織に発展。現在名は台湾独立建国聯盟。父は、『台湾―苦悶するその歴史』を刊行。父の晩年、五十一歳から六十一歳にかけて、台湾人元日本兵補償問題の解決のために努力した。

 

一八九五年、日清戦争後の『下関条約』により清国は台湾を日本に割譲。台湾各地で武装蜂起が起ったが、約二十年で終息。台湾は、日本統治時代以前は、文盲率九〇%だったが、一九四三年、台湾人児童の就学率は七〇%以上。識字率九五%になった。日本がいかに台湾に力を注いだかの証拠。アジアの他の国々と比べて高い教育を受けた。

 

二十万人の台湾人が日本兵として出征。三万人が戦死した。一九七四年、中村輝夫さんがインドネシアのモロタイ島で見つかった。毎日皇居を遥拝し、三八式銃の手入れをしていたという。台湾出身者だと分かり、ジャカルタから直接台湾に帰った。日本政府から六万円支給された。父はこの事をきっかけとして、台湾人元日本兵に補償をしてほしいという運動を友人・知人と共に行った。一九八七年、議員立法で戦病死者及び重傷者を対象に一人あたり二百万円の弔慰金が支給された。日本人の善意が応援してくれた。日本国籍のない人に弔慰金を出すという難しいことが解決された。

 

高砂義勇軍は南方の激戦地に送られた。二〇一五年、馬英九政権は抗日戦争勝利七十年軍事パレードを行った。台湾人がどう思うかを考えるべきだった。台湾人はますます国民党政権に愛想を尽かした。

 

台湾には、十六種類の原住民がいる。それぞれ文化・言語・習慣が違う。自分のテリトリーを持って住み分けている。十六世紀に大陸からの移民が始まった。オランダが台南あたりを植民地にした、明朝が打倒された後、鄭成功が台湾に来た。オランダを撃ち破った。終戦後、近代化していた台湾は國民党政権の植民地になった。

 

台湾を構成する民族は、原住民二%、台湾人八五%、外省人一三%。中國は、『台湾は自分のもの』と宣伝しているが、台湾と中国は別の歴史を歩んで来た。一八七二年、台湾に漂着した琉球島民五四人が殺害された事件で、日本政府が抗議した際、清朝政府は『台湾は化外の民だから清政府の責任範囲ではない』と言った。一七二三年、清朝の雍皇帝は『台湾は古より中国に属せず』と言った。台湾と中国人は同一民族ではない。DNA検査によって証明されている。台湾語と中国語(北京語)は異なる言語である。台湾語は、中国方言+原住民語。国際法上も台湾は中国の一部ではない。

 

『サンフランシスコ講和条約』で、日本は台湾・澎湖諸島の権原及び請求権を放棄。台湾の主権の帰属先は未定のまま放置された。一九四五年、蒋介石軍が台湾に進駐。国民党が台湾を植民地化した。李登輝時代以降に生まれた外省人は台湾独立意識がある。この人たちも台湾人と呼びたいと思う。

 

日本統治時代に未開地から近代社会に変貌。インフラを内地と同じに引っ張り上げた。利益を上げるために植民地にしたのではない。日本は植民地経営で赤字になった唯一の国。後藤新平は道路を整備し阿片をなくすことに成功。八田與一は滅茶苦茶だった台湾大地を整備した。明石元二郎は、水力発電推進、教育改革、華南銀行設立。遺言により台湾に埋葬。お孫さんは、今上天皇の御学友。旧制台北高校は、日本の官僚や技術者の子弟が学んだ。玉川博己さんのお父さん、王育徳、李登輝が学んだ。

 

戦争が終わって、国民党軍か居座り、国家の財産を自分たちのものにした。企業の利益、インフラを中国人のものにした。台湾の産物を上海に売りとばした。日本語・台湾語をしゃべってはいけないことになった。言論の自由は剥奪された。中国化のために台湾の歴史ではなく中国の歴史が教えられた。台湾は語りつくせぬ苦労をした。周英明氏は、『アメリカは日本に原爆を落としたが、台湾には蒋介石を落とした』と言った。

 

一九四七年二月二十八日、台湾人は蜂起した。台湾人処理委員会を作り、三十四カ条の要求を出した。国民党軍二個師団が台湾に上陸、無差別殺戮を行った。三万人殺された。知識人、社会のリーダーが根こそぎ殺された。私の父の兄・王育霖は、東京大学を卒業し、司法試験・高等文官試験に受かり、新竹で検事になった。二・二八事件で殺された。台北の西本願寺分院だったところに多くの人々が拘束された。八畳一間に三十数人押し込められた。

 

蒋経国急死の後、李登輝副総統が総統になった。内部からシステムを変えた。民主化を推進。『台湾と中国は特殊な国と国の関係』と主張。その原稿を書いたのが蔡英文氏。

 

中国は『反国家分裂法』を制定し、独立したら武力行使すると言い、千五百基のミサイルを台湾に向けている。立法院も民進党が過半数。今年は歴史的な年。二〇一四年の『ひまわり運動』で反中国の台湾人アイデンティティが成長した。台湾が一つになった。

 

台湾が中國に併呑されれば、台湾は中国の不沈空母になり、日本は周囲を反日国家に囲まれる。親日的パートナーとして台湾を応援することが日本に絶対的に必要。アメリカの『台湾関係法』を参考に『日台関係法』を制定してもらいたい。台湾という国名に変更して国連に入り、アメリカ・日本と国交を回復したい」。

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2016年9月20日 (火)

千駄木庵日乗九月二十日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、原稿執筆・資料の整理・明日のスピーチの準備など。

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尖閣諸島が我が国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いがない

黒鉄ヒロシ氏は次のように論じている。

 

「六〇八年、隋に来ていた倭人(小野妹子一行)に、琉求(当時の中国側表記。琉球=沖縄)に対しての質問があったと『隋書』の記述に遺っている。即座に妹子は『夷弱久國(当時の日本側表記)なり』と答えて、その交流について説明をしている。『日本書紀』にも、隋に先んじる琉球との交流の記述がある。…日隋間、いや日中間の『南方領土問題』の始まりであるが、中国側の『隋書』、日本側の『日本書紀』の、双方の記述を見比べてみると、『琉球』にまったく知識のなかった隋側と、縷縷として説明してみせた日本側とでは、関係性の濃さは歴然であって説明を加えるまでもない。今、尖閣問題に関して中国側は、『元』時代と、『明』時代の弱い資料を振り回して見せるが、都合の悪い『隋』時代の記述には知らんぷりである」(『銀座百点』平成二十二年十二月号)

 

古代において既に日本と琉球は交流があった。というよりも深い関係があったのである。しかし、支那は、古代においては琉球(沖縄)の存在すら知らなかったのである。

支那と日本が正式の国家関係・外交関係を結んだ時、沖縄尖閣はわが国の勢力下にあったのであり、支那は沖縄尖閣の存在すら知らなかったのである。

 

わが国が尖閣を明治二十八年(一八九五)一月、沖縄県の一部として正式にわが国領土に編入した以前に、尖閣が支那の領土であった事実は全くない。

 

わが国は一八八五年から数回にわたり現地調査を繰り返し、尖閣諸島が支那(当時は清)に所属する証跡のない無主島であることを確認の上、国際法上、明確な先占により明治二十八年一月、わが国領土に編入したのである。日清戦争の「下関講和」で、清国からわが国に割譲されたのではない。

 

 だからこそ、「台湾、澎湖諸島」についてはわが国の権利放棄させた「対日平講和条約」でも、尖閣諸島については沖縄の一部として米国の施政権下に置かれたのである。

 

 共産支那政府もこうした講和条約の処理に一切反対しなかったし、共産支那の地図にも尖閣諸島を日本領と認めていた。

 

共産支那が領土権を主張し始めたのは、尖閣周辺の大陸棚に石油が豊富といわれるようになった一九七〇年代以降のことである。尖閣諸島は、れっきとしたわが国固有の領土である。

 

昭和四十六年末、本質的に拡張主義を有している共産支那は、突然声明を出して「中国固有の領土」と宣言した。このあと、共産支那は尖閣諸島に対する侵略行為を繰り返している。

 

尖閣諸島が我が国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いがないのである。

 

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千駄木庵日乗九月十九日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2016年9月19日 (月)

『第六十六回 日本の心を學ぶ會』のお知らせ

『第六十六回 日本の心を學ぶ會』のお知らせ

真の保守とは何か、真の革新とは何か―「國體護持・戦後体制打倒」について

 江戸幕府を廃絶し、天皇を中心のする日本國體を明らかにし、新政府樹立を宣言した「詔」である「王政復古の大号令」には、「諸事神武創業ノ始二原(もとづ)キ」「舊來驕懦ノ汚習ヲ洗ヒ、盡忠報國ノ誠ヲ以テ奉公致ス可ク候事」と示されています。

 今日の祖國日本は、明治維新前夜より以上の内憂外患の危機に直面しております。わが日の本は、天神地祇・八百萬の神々が護り給う國であります。今こそ、明治維新の基本精神たる「尊皇攘夷」「敬神崇祖」の精神を甦らしめ、維新を断行すべき時であると確信します。

「保守」とは、「戦後体制」を守ることでは決してありません。本当の「保守」とは「國體護持」であります。そして真の「革新」とは國體を隠蔽し祖國を貶める一切の事象を祓い清めることであります。それが「復古即革新」「維新」であります。

申すまでもなく、わが日本國は「近代成文憲法」制定以前から存在しております。前回の「日本の心を學ぶ會」は憲法問題を勉強しました。そして「天皇陛下の地位を位置付ける憲法など不敬である」という意見も出ました。「國民主権」論は欧米の西洋政治思想であります。君民一体・一君萬民の日本國體とは相容れません。

 真の日本人として、天皇陛下の大御心を体し、何を目指し、何を護るべきか、参加者一同で考えようではありませんか。真の保守とは何か、真の革新とは何か―「國體護持-戦後体制打倒」について、皆様と語り合いたいと思います。どうぞお誘い合わせのうえご参加ください。 

【日時】平成二十八年九月二十五日 午後六時

【場 所】文京区民シビックセンター 三階會議室C

東京都文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9分

【講 演】

「復古即革新=維新について 日本的変革について考える」

講師 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司會者】林大悟

【参加費】資料代五百円終了後、近隣で懇親會(三千円位の予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395 

この案内文は主催者が作成しました。

 

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オピニオン雑誌『傳統と革新』第二十四号 平成二十六年秋号

 

たちばな出版発行(四宮正貴責任編集)

 

 

 

特集 現代メディア論 ―言論・表現の自由と偏向報道― 

 

 

 

巻頭言 文章は経國の大業にして不朽の盛事なり          四宮正貴  

 

「インタビュー」

 

メディアの役割。それは、事實を正しく報道すること。それを常に心がけていることが大事です。                           櫻井よしこ

 

都知事は「東京から國を変える」改革のリーダー―メディアはその資質の有無にこそ焦点を当てよ                           猪瀬直樹

 

日本は知らず知らずに世界の大メディアによってタガを嵌められている 田久保忠衛 

 

「佐藤優の視点」 リスクを負って筆者を助けてくれた記者がいた   佐藤 優  

 

「戦後体制の擁護者」となってきた戦後メディアの實態        西村眞悟  

 

「冷戦勝利史観」に立つと見える、現在の日本の主要マスコミの根本的欠陥  西岡 力  

 

沖縄の世論形成の實情 地元メディアの驚くべき報道姿勢       宮本雅史  

 

言葉の戦争に負けているのではないか?               宮崎正弘  

 

「聞き書き」政治家の「圧力発言」に逐一、反応する日本メディアの愚かさ  上杉隆   

 

「反ヘイト法」の欠陥を報道しない日本のマスコミ        藤井厳喜   

 

マスコミにはびこる正義ヅラの胡散臭さ             山本峯章  

 

反日メディアとの戦い                     尾﨑幸廣  

 

畏れを知り敬ふを知れ                     福田邦宏  

 

常軌を逸した皇室報道―易姓革命を防ぐ諫言の覚悟        坪内隆彦  

 

「提言・直言」報道の独立性確保と中立性            日吉雄太

 

日本人が不得意とする國際報道にはリテラシーが必要だ      木村三浩  

 

『やまと歌の心』 連載                    千駄木庵主人

 

「石垣島便り⑱」観光客、移住者が増える島の周囲には、中國海警船が 連載   中尾秀一  

 

第二三回 我が体験的維新運動史 連載「日本會議」ブームの背景と愛國教団「生長の家」の変質                             犬塚博英

 

編集後記 

 

 

 

九月下旬発売予定です。

 

 

 

 定価 本體価格1000円+税。 168頁

 

〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル

 

 たちばな出版  ☎代表03―5941―2341 FAX5941―2348

 

 

 

 

 

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『町名変更』について

『日本経済新聞』本年七月三日号に、作曲家の池辺晋一郎氏が「ものの名前」といふ文章を書いてゐる。その中で次のように論じてゐる。

 

「合併ばやりだが、最近多いのが新生の市の奇妙な名前だ。また、由緒ある地名が合併ゆえに消滅してがっかりしたことも、何度もある。しかし理由があるのは、まだいい。江戸期の住人の職種が具体的に分かる大工町、鉄砲町、博労町(馬喰町、馬口労町とも)などがどんどん消え、何でもない地名に取って代わったりするのは許せない。〇〇市中央、とか駅前町などという安直な地名に出会うと腹が立つ」。

 

同感である。小生の住む文京区は、昭和四十年に一斉に町名変更が行われた。そして由緒ある町名が一斉になくなってしまった。当時は、格別反対運動は起らなかったようだ。

 

湯島は、湯島天神(御祭神・菅原道真公)が鎮まる古い町で、次のような情緒のある地名がつけられてゐた。

 

「湯島新花町 湯島三組町 湯島天神町 湯島梅園町 湯島天神下同朋町 湯島切通坂町 湯島切通町 湯島両門町 妻恋町」

 

これらのゆかしい町名は、今はただ単に「湯島」といふ名称に組み込まれている。「妻恋町」は、景行天皇の皇子・日本武尊が御東征の折、湯島の地で遥か東方に向かひ、相模の走水で入水された弟橘姫を偲び、「吾嬬はや」と呼び掛けられたといふ伝説によって、日本武尊と弟橘姫を祀る妻恋神社が鎮座してゐるのでさう名付けられたのである。「湯島新花町」には私の思ひ出の女性が住んでいた。

根津も、根津神社が鎮座する根津は、次のような町名がつけられてゐた。

 

「根津宮永町 根津八重垣町 根津須賀町 根津西須賀町 根津片町 根津藍染町 根津清水町」

 

これらの町名も今は「根津」といふ名称に組み込まれている。「八重垣町」といふ町名の由来は、根津神社の御祭神・須佐之男命が妻を娶られた時に、「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」といふ歌を詠まれたことによる。「根津須賀町」は、出雲に宮居を造られた時、「わが心須賀須賀(すがすが)し」と仰せられたことによるといふ。

 

このような神話伝説に基づく町名が、利便性ゆゑに失はれてしまったことはとても残念である。

 

小生の育った町は、昭和四十年までは、「駒込坂下町」と言った。団子坂・大給坂・狸坂といふ三つの坂の下のある町といふ、神話伝説とは関係のない単純な理由で名付けられた。それても懐かしい町名である。

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千駄木庵日乗九月十八日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、書状執筆、資料の整理など。

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2016年9月18日 (日)

「やまと心」について

 日本民族固有の精神、または、儒教・佛教などが入ってくる以前からの、日本人本来のものの見方・考え方の基底にある感性を『大和心』或いは『大和魂』という。別の言い方をすれば、外来の學問や宗教思想=漢學・佛教教學の知識以前の本来的な日本人の心が大和魂・大和心である。

 

 平安時代になって、それまでより以上に支那思想が崇拝され、佛教が興隆した。そうした時期に「大和魂(やまとたましひ)」という言葉が使われるようになった。「大和魂」という言葉が一番最初に出てくる文献は、紫式部の『源氏物語』である。「大和心」という言葉は赤染衛門の歌である。紫式部も赤染衛門両者も女性である。

 

 儒教や佛教の教理・経典を重んずるあまり、日本古来からの素直なる精神・清明心が覆いくらままされつつあったことに対する反省として、この時期に大和魂・大和心という言葉が使われるようになったのであろう。

 

 その『大和心』を短歌形式で表白した歌が次の歌である。

 

 「敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山櫻花」

 

 近世の國學者・本居宣長の歌である。「大和心をどういうものかと人に問われたら、朝日に美しく映える山櫻だと答えよう」というほどの意である。

 

 「朝日ににほふ山櫻花」は何とも美しい。それが大和心なのだと宣長は言う。朝日に美しく映えている山櫻は理屈なしに美しい。そういう感覚的な美しさを大和心に譬えているのである。そして宣長は、日本人の性格=大和心の本質をなすものは、理知ではなく、素直なる心、鋭敏な感受性を備えた純粋感情であるとした。

 

 神の生みたまいし美しい國に生まれた日本人は、美しいものを見たら素直に「美しい」と感動する。その「素直な心」「そのままの心」「純真無垢の心」「無我の心」が、日本民族固有の感性・日本人本来の心なのである。それは、理智・理屈・理論ではない。一切の先入観を取り除いた心である。これを別の言葉で「もののあはれ」という。

 

 

 大和心即ち日本伝統精神は、誰かによって作られた思想體系や理論體系ではなく、純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。

 

 本居宣長は、『たまかつま五の巻』において、「つひにゆく道とはかねて聞しかどきのふけふとは思はざりしを、契沖いはく、これ人のまことの心にて、をしへにもよき歌也、後々の人は、死なんとするきはにいたりて、ことごとしきうたをよみ、あるは道をさとれるよしなどよめる、まことしからずして、いとにくし、……この朝臣(注・在原業平)は、一生のまこと、此歌にあらはれ、後の人は、一生の偽りをあらはして死ぬる也といへるは、ほうしのことばにもにず、いといとたふとし、やまとだましひなる人は、法師ながら、かくこそ有けれ」(『最後には行かなくてはならない死出の道だとは。かねて聞いて知っていたけれど、昨日今日と差し迫っていようとは思わずにいたもの』という歌について、契沖は言った。この歌は人の真實の心であって、教訓とするにもよい歌である。後々の世の人は、死のうとする間際になってものものしい歌を詠み、あるいは道を悟ったことなどを詠む。真實はそうではないので、大変気に入らない。……在原業平朝臣は、一生の真實がこの歌に表現され、後の世の人は一生の偽りを表現して死ぬのだと言ったのは、僧侶の言葉にも似ないで大変に尊いことだ。やまとだましいの人は、僧侶ではあっても、このようにことがあるのだ、というほどの意)と論じている。

 

 『伊勢物語』の結びに据えられている在原業平の「つひにゆく」の歌は、死に直面した時の心をこれ以上素直な言葉はなかろうと思わせるくらい素直に表現している。まさにそのままの心・自然な心・真心の表白である。その真心・そのままの心・素直な心が「やまとだましい」であると宣長は言うのである。

 

 「真心」とは、一切の偽りも影も嘘もない、清らかで明るい心である。清らかで明るい心を「清明心」という。それが日本精神即ち大和心である。

 

 天智天皇は、「清明心」を次のように歌われている。

 

「わたつみの 豐旗雲に 入日さし 今夜(こよひ)の月夜 清明(あきらけ)くこそ」

 

 「大海原のはるかの大空に、大きく豊かな旗のように棚引く雲に入り日がさしている。今宵の月はきっと清らかで明るいであろう」というほどの意である。

 

 何とも大らかで豊かな大御歌である。この天智天皇の大御心こそが日本人の本来的に持っている精神、即ち「大和心」なのである。そして、「清明」という漢字をが用いられている。日本人は清らかで明るい心を好むのである。 

 

「夕日」の美しさを見て、美しい月明を期待しておられるのである。     

 

 清明心とは、冴え渡る月の如くに神々しく、清々しく、美しい心である。それが大和魂・大和心である。

日本人は何故櫻の花を好むのか

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千駄木庵日乗九月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理。

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2016年9月17日 (土)

『アジア問題懇話会』における池田維霞山会理事長・元交流協会台北事務所長による講演内容

六月十八日に行われた『アジア問題懇話会』における池田維霞山会理事長・元交流協会台北事務所長による「台湾・蔡英文政権の目指すもの」と題する講演内容は次の通り。

 

「蔡英文総統の就任式に行ってきました。台湾の立ち位置が明確に変化した。地殻変動的変化が起った。民進党が大差で国民党に勝った。立法院選でも民進党が過半数を占めた。私が交流協会代表として台湾にいた時は陳水扁政権。国会は国民党が多数。ねじれ現象があり、総統がやりたいことは国会で無視された。台湾では三度目の政権交代。台湾の民主主義は定着。ハーバード大学の教授・ハンチントンは『世界中の百以上の國を調べた結果、二回の政権交代があれば、その國の民衆は成熟したと』言っている。

 

国民党政権では中国への接近政策がとられた。両岸経済枠組協定(ECFA)など経済的に非常に中国に接近。この状況が続くと熟柿が落ちるように台湾は中国に呑みこまれてしまうのではないかという感じが出てきた。中國からのプレッシャーの下で台湾はやって来た。

 

二年前の『ひまわり運動』が分岐点になった。議会の一角を二十四日間占拠した。国民党に馬英九と王金平の対立があった。デモに対して特段強い法的措置を取らなかった。四十万から五十万の市民が街に出て若者の動きを支持した。地方統一選挙でも民進党が躍進した。

 

二〇一五年の台湾の経済成長率は一・五%。失業率四・五%。大学卒の若年層の失業率一二~一三%。国民所得二万二千ドル。台湾の経済状況が良くない。中國からの航空便増発で、中国から大挙して観光客が来るようになった。台湾の対中輸出が低下傾向にある。こうしたことが民進党勝利の理由ではないか。二〇一二年以降、中国の経済減速に従い、台湾の対中輸出、対中輸入ともに全体として低下傾向。

 

蔡英文新総統は、就任演説で『台湾独立』に言及せず。同時に『一つの中国の原則』(九二年コンセンサス)を受け入れず。『九二年コンセンサス』は同床異夢の概念。中台間の対話と意思疎通のため既存のメカニズムの維持。米、日、EUとの連携強化。ASEAN諸国・インドとの関係強化。

 

『ひまわり運動』に示されたように『台湾人意識』は着実に増大。台湾人と中国人との交流が増えれば増えるほど両者の違いが意識されるようになっている。ビジネスの相手として以外、今日の中国の体制に魅力を感じない。三十八年間の戒厳令の経験もある。

 

過去の事を自由に議論できるようになると日本統治時代に対する評価が高くなった。日本統治時代に、インフラ整備、治安の安定、衛生向上、教育の普及が行われた。清朝時代には小学校は一つも無かった。

 

蔡英文政権のは日本重視の姿勢。沖ノ鳥島問題の処理方針の転換。駐日代表に謝長廷が就任した。彼は総統選で馬英九と戦った重鎮。中國と如何なる距離をどの程度置くかが問題。冷たい平和が続くかもしれない。日本はTPP、FTAへの台湾の参加を歓迎すべし。台湾の中国への経済依存が小さいものになるよう日本は協力すべし。

 

中国国民党はまとまりが悪い。新主席の女性は党全体をまとめていない。この女性は統一論者。民進党は国民党と比べると求心力あり。謝長廷駐日代表と邱義仁亜東関係協会会長は民進党結成の時のリーダー。『一つの山の二匹の虎』と台湾のマスコミは言っている。国民党は今のままで求心力を持ち得ないのではないか。国民党を引き付ける核心的力が小さくなってきている。分裂してもおかしくない。

 

総統の職を辞めると起訴されたりする。馬英九も追及すべしと動きがある。台湾総統は辞めたら力が無くなる。馬英九が香港に行くのを新政府がとめた。講演のために行くようだった。現役を退いた総統が機密を漏らしたりできないようにした。香港の場合は複雑な所だからなおさら」。

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千駄木庵日乗九月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

この後、湯島を散策。夕刻、湯島にて、友人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年9月15日 (木)

『國歌君が代』と日本伝統信仰

 「むすび」はわが國傳統信仰上とても重要である。漢字では「産靈」と書く。生命の誕生・万物の生成のことである。大伴家持の長歌の「山行かば草生() す屍」の「むす」である。『古事記』冒頭の造化の三神(天地生成の神)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・神産巣日神(かみむすびのかみ)である。宇宙の中心の神・男性(陽)の神・女性(陰)の神と言ってよいと思う。男性と女性がむすび合わされて生命が誕生するということである。生まれてきた男の子が「むすこ」であり女の子が「むすめ」である。手を結ぶとは「人と人とが和合する」こと。御飯をむすんだものを「おむすび」と云いこれを食すると生命が生き長らえる。「むすび」とは命が発生し長らえることである。

 

 『古今和歌集』巻第七に「賀歌」及び『和漢朗詠集』に賀歌として収録されている歌に、

 

 「わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」

 (わが君のお年は、千代に八千代(非常に長い年代)にまで続いていただきたい。一握りの小石が大きくなり、巖となって、苔が生える時までも、というほどの意)

 

 という歌がある。この歌の初句が「君が代は」となり、今日の國歌「君が代」になった。

 

 初句の「わが君」は、尊敬する目上の人という意味であり、天皇を指す場合あるしそうでない場合もある。

 

 『古今和歌集』の「賀歌」とは、人が一定の年齢に達したときに行う行事に際して、他人が詠んで贈る歌である。祝いの調度としての屏風に書く歌として詠進されたものであるが、口誦(注声をあげてよむこと)として披露されたものであって公的性格が強い。

 

 『君が代』は、平安時代にかなり普及した賀歌(祝い歌)である。その後、中世に第一句が「わが君は」を「君が代は」(あなた様の寿命は)に改められて、今日の「國歌」と同じ形になった。中世から近世にかけて全國に広がり、謡曲や神楽歌そして小唄・浄瑠璃・薩摩琵琶などに取り入れられ、貴族だけでなくあらゆる階層の人々に身近な祝い歌として広く親しまれ歌われてきた。『君が代』はめでたい歌として貴族から庶民に至るまで自然発生的に全國民的に歌われ続けた歌である。

 

 江戸初期には、堺の町の美声の歌い手に隆達という人がいた。その『隆達節』にもこの『君が代』が最初に挙げられて、広く庶民の間に親しまれたという。薩摩琵琶(注薩摩で発達した琵琶、およびそれによる歌曲)の『蓬来山』という曲にも取り入れられた。

 

 明治初期に『君が代』が國歌として制定された時、薩摩の大山巌は、「わが國の國歌としては、よろしく宝祚の隆昌、天壤無窮ならん子とを祈り奉るべきである」として「平素愛誦する薩摩琵琶の中から『君が代』を選び出した」と語っている。

 

 以来、今日まで『君が代』の「君」は天皇の御事として歌われてきている。國歌『君が代』の「君」は天皇の御事である。「國民主権」の憲法に違反するという批判を恐れて、『君が代』の「君」は天皇のことではなく「僕・君」の「君」すなわち國民同士のことだなどと主張するのは大きな誤りである。

 

 また、「さざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」という歌句をとらえて、小さな石が大きな岩に成長するということはあり得ないから非科學的な歌であるという議論があるが、これは『國歌君が代』を否定するための屁理屈である。

 

 石が成長して大きくなり巌となるというのは日本人の古来からの信仰的真実である。古代日本人は、石が成長すると信じた。『君が代』の歌の根底にはこの信仰がある。単なる比喩ではない。これは石や岩という自然物が生きているという自然神秘思想から来ている。

 

 全てを命あるものとして見る自然信仰は、祖霊信仰とともに日本伝統信仰の大きな柱である。石や岩などの自然物に魂が宿っているという古代信仰は『萬葉集』の次の歌に表れている。

 

 

 信濃なる 筑摩の川の 細石(さざれいし)も 君しふみてば 玉と拾はむ (萬葉集巻十四・三 四〇〇)

 

 東歌(萬葉集巻十四・古今集巻二十にある、東國方言で庶民が詠んだ和歌)である。「信濃の千曲川の小石もあなたがお踏みになったのなら玉と思って拾いましょう」というほどの意。恋人が踏んだ石には魂が籠っているという歌である。石に魂が籠るというのは古くからの民俗信仰であった。

 

 さらに、柿本人麻呂が石見の國において亡くなる時、妻・依羅娘子がこれを嘆き悲しんで詠んだ歌では、

 

 今日今日と 我が待つ君 は 石川の かひにまじりて ありと言はずやも (萬葉集巻二・二二四)

 

 と詠まれている。山の谷間の貝塚などに遺骸を葬る風習が古代にはあり、川に臨んだ貝塚群の底から、人骨が出土する例が報告されている。「石川のかひ」は、死者を葬った川のそばにあり水に浸された貝塚のことである。石川と名づけられたのも、小さな石(すなわちさざれ石)には霊が籠っていて、霊の憑依物・霊的なものとして考え、「玉」とも呼ばれた長い信仰がこの歌の底にはある。

 

 石と岩の違いは、石が成長した岩には魂が籠っているということである。「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させないして霊力を賦活させ神聖化することである。そして「いはふ」は神を祭る意にもなった。神を祭る人(神主)を「斎主」(いはひぬし)、神を祭る宮を「斎宮」(いはひのみや)と呼ぶようになった。

 

 家に籠ることを「いはむ」という。「いはむ」とは忌み籠ることである。「忌む」とは、不吉(ふきつ) なこと、けがれたことをきらって避けること。特に、ある期間、飲食・行為を慎んで、身体をきよめ不浄を避けることをいう。「斎」(いつき・心身を清めて飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いみきよめる。いわう。いつく。ものいみする、という意)と同じ意である。 

 

 「いつき・いつく」の「いつ」とは清浄・繁茂・威力などの意を包含している神聖観念である。天皇の神聖権威を意味する御稜威(みいつ)はこの言葉から来ている。

 

 「大君は 神にしませば 天雲の雷の上に いほらせるかも」という柿本人麻呂の歌の「いほらせる」は、「いほりする」の尊敬語である。「いほる」とは、「斎」(いつき)の意義が込められている。人麻呂は、天皇が神聖なる雷丘に忌み籠られて五穀の豊饒を祈る祭りをせられたことを詠んだのである。

 

 このように、「いへ」「いは」「いむ」「いつく」は語根が同じくし、深い関係がある。ゆえに、魂の籠っている「石」を「岩」と言うといっていい。天照大神が籠られた「天の岩戸」は大神の神霊が籠られたところなのである。

 

 人々は、亡くなった人の遺体を石の下に埋める。わが國は古墳時代から墓に石を置いた。特に偉大な人の墓の場合は巨大な岩を置いた。墓を石で造るのは、石に魂が籠められるという信仰に基づく。石や岩に霊魂が籠ると信じた日本人は、石は地上にありながら、地下から湧出する生命・霊魂の威力を包み込んだ存在で、地下に眠る霊魂の象徴であり、よりしろ(憑代・依り代。神霊が宿るところ)と考えた。 

 

 日本の「家」(いへ)はそれを構成する人々つまり家族の魂が一処に籠っているということである。したがって、君が代(天皇の御代)は「石」が「岩」になるまで続くということは、天皇國日本は魂の籠っている永遠の國家であるということになる。岩を霊的なものとしてとらえ、それを永遠無窮・天壤無窮の象徴としたのである。そういう信仰を歌っている歌が『君が代』なのである。

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千駄木庵日乗九月十五日

午前は、諸雑務。

 

午後一時より、一ツ橋の如水会館にて「新三木会九月講演会」開催。則松久夫新三木会代表幹事が挨拶。泉三郎氏(NPO法人米欧回覧の会会長)が「日本近代化の曙―岩倉使節団の挑戦」と題して講演。質疑応答。

 

この後、神保町を散策。

 

 

午後六時より、水道橋にて、長年の同志二氏と懇談・意見交換。

 

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年9月14日 (水)

「國見」は天皇統治において重大意味を持つ祭祀

 「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する行事である。

 「目は口ほどにものを言ひ」といふ言葉もあるごとく「見る」といふのは対象物を認識する上で大切な行為である。天皇統治の事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)といふ。荒木博之氏は、「上代人にとって<見る>とは『対象物の神性に感応し、その対象物を飽かず見ることによって、その神性をその清浄さをおのれが本性にとりこむこと」(日本人の心情論理)と解した。この論を引用して大原康男氏は「<見る>は…単に空間とかかわる視覚に尽きるものではなく、そこには鎮魂儀礼の要素が含まれている…」と論じられてゐる。(「現御神考試論」)

 

 天皇が「國見」をされることは、天皇が行はれる國土讃嘆の祭祀である。新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が國が始まった時の若々しい命の姿に復元し新生し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。

 

 つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、天の神の地上における御代理即ち現御神(あきつみかみ)たる天皇が、國土に稲穂を豊かに實らせるといふ天の神から命じられた最大の御使命を實現するといふ天皇の統治にとって重大意味を持つ祭祀なのである。           

 

 昭和五十四年十二月四日、先帝昭和天皇は奈良県に御行幸あらせられた。翌四日、萬葉學者・犬養孝氏の御案内で、高市郡明日香村の甘橿丘にお登りになり、大和盆地を双眼鏡で一望された。この時、犬養氏は、この舒明天皇の御製など五首を朗詠した。犬養氏の「昭和の國見ですね」とふ言葉に、先帝陛下は声を立ててお笑ひになったと承る。そして、次のやうな御製を詠ませられた。

 

 「丘に立ち歌をききつつ遠つおやのしろしめしたる世をししのびぬ」

 

 昭和五十九年十二月、再び奈良県に御行幸になり、翌昭和六十年の新年歌會始に「旅」といふ御題で賜った御歌が、

 

 「遠つおやのしろしめしたる大和路の歴史をしのびけふも旅ゆく」

 

である。

 

 農業國家・稲作國家である日本は、國民生活は旱魃や洪水などの自然環境によって大きく支配される。したがって、集団の統率者は常に祭りを行って、自然の恵みを願ひ感謝しそして自然災害が起こらないやうに神に祈る祭祀を行ふことがことが大きな使命であった。ゆゑに、祭祀は、天皇の重要な御使命であった。日本においては宗教と政治、祭祀と政治は一体であるべきである。これを<祭政一致>といふ。

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千駄木庵日乗九月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、大伴家持の歌などを講義。質疑応答。

この後、出席者の方々と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆、脱稿、送付。

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2016年9月13日 (火)

この頃詠みし歌

穏やかな玉声なれども大君の強き御意思を畏みまつる

 

静かなるわが大君の仰せ言テレビに向かひ慎み拝す

 

祈り続け祭り続けたまひたる大君の御声深く胸に沁む

           〇

よくもまあこんな小僧を独裁者とてのさばらせておく北朝鮮といふ國

 

諏訪神社神輿の声は賑やかに谷中の町に響きわたれり

 

日暮里の丘の上なるみ社の祭礼の音は晩夏の響き

 

元気なる母の姿を見てうれし生きたまひたる九十七年

 

生命力強き母なるを喜びて今日も二人で歌うたひをり

 

下着を買ひに松坂屋に来れば顔なじみの女性店員の愛想良さかな

 

古き店のドアを開けて入り行けば兄弟二人が調理場に立つ

 

元総理がカウンターに座してとんかつを食す姿を見ては驚く

 

銀座裏のモダンなビルは驚くべし金光教の銀座教会なり

 

昭和七年に建てられしビルのエレベーター手で開けることの恐ろしさかな

 

古きビルの二階の小さな画廊にて神々の世界の彫刻を見る(佐々木誠彫刻展)

 

迫り来る力を感ず日の神の再生の岩屋の絵を見つめつつ()

 

去り行きし友一人ゐてさみしくも一人燻らす煙草の煙

 

改めるに憚(はばか)ること勿れといはるれど改め難しこの過ちは

 

古典の言葉心の中で繰り返し自らを責める我にしありける

 

おっかない顔した人が我に向かいひ愛想よく笑ふことのおかしさ

 

愛想笑ひする人のゐてその心測りかねつつ我も笑へり

 

さんざんに他人を攻撃せしをみな国籍の事で責められてゐる

 

靖國の宮居の緑 朝の日に照らされ耀ふことのすがしさ

 

靖國の御霊を拝するこの朝(あした)真日輝きてさやかなるかも

 

外つ國人が英霊拝ろがむ姿をば見るは嬉しき靖國の宮

 

武蔵の國の山々の緑を眺めつつわが乗る電車は秩父へと急ぐ

 

車窓より武蔵の國の山々を眺めつつ行く秩父路の旅

 

秩父の國に集へる多き同志らと国事を語る初秋の夕べ

 

秩父連山緑麗しきその姿立ちて眺める朝のすがしさ

 

慎みて秩父神社の神前に柏手を打つ静かなる朝

 

若者がかしこみて神を拝みゐる後ろに立ちてわれもかしこむ

 

秩父宮雍仁親王が祀られし神やしろを今日拝ろがみまつる  

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千駄木庵日乗九月十三日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。『政治文化情報』の原稿執筆など。

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西洋の国民主権概念は、日本國體とは絶対に相容れない

 「大日本帝国憲法」と現行「日本国憲法」が、第一章に「天皇」条項を置いているのは重要な意味がある。これは天皇中心の日本國體が変革されることなく永遠に続いてきているという歴史伝統を表現している。従って第一章に「国民主権」の条項を置くことは、天皇国日本というわが国建国以来の道統を否定することである。

 

 日本の伝統的な國體精神は、「天皇と国民とは相対立する存在ではなく一体である」ということである。従って「主権」なるものが天皇にあるのか国民にあるとかなどということを議論すること自体が國體に反する。

 

 「現行憲法」制定時に、衆議院憲法改正案特別委員長を務めた芦田均氏は「君民一体または君民一如のごとき言葉によって表現されている国民結合の中心であるというのが我が国民的信念なのである」と言っている。

 

 「国民主権」の規定を審議した帝国議会では、政府は、「主権」とは「国家意思の実質的源泉」であり、「国民」とは「天皇を含む国民協同体」を指すとしていた。そして芦田均衆議院憲法改正案特別委員長は、欧米の「君主主権」と「主権在民」を対立的に捉えた主権二元論は、わが国においては採り得ないことを特に強調している。

 

 ところが宮沢俊義氏をはじめとした多くの憲法学者は、「国民」とは天皇を除く概念であり、この憲法によってわが国は君主主権から人民主権に変わったと主張し、今日では文部省の検定済教科書までこの線に沿って記述されている。

 

さらに近年各方面から出されている「憲法改正試案」もこの宮沢俊義氏の考え方に沿っている。彼らによれば、皇位の改廃は人民の意思によって可能なのであり、先の今上天皇の御即位に際してはその是非を国民投票に問うべしとする歴史学者まで現れた。わが国は君主国にあらずとか、元首は天皇にあらずとする珍説が学界に横行しているのが現状である。

 

 このような混乱の原因は、もともと多岐にわたる主権概念を憲法規定に持ち込んだことにある。この規定が被治者である個々の国民が主権者であるかのごとき誤解を与えている。「主権」の属性としての最高性、無制限性が言われる時、それは容易に伝統を無視した独裁専制に転化し得る。

 

 主権在民と民主政治(国民参政)とは別個の概念である。ソ連邦も共産中国も「人民主権」を明記しつつ、共産党一党独裁どころか、スターリンや毛沢東の個人専制恐怖政治が行われた。

 

 主権という言葉ほど多種多様に用いられているものはないが、君主主権とか国民主権とかいう場合の主権は、西洋法思想の影響下にある国法学では、一般に「国家における最高の政治権力」と解せられている。

 

 日本では古来主権という言葉はなく、国家における政治作用の根本を言い表す言葉は「知らす」ないし「治らす」であり、言葉自体から見ても、権力的な臭みはなかった。帝国憲法ではこれを統治権という言葉で表現したが、主権といい統治権といってもその内容は同一だといわれている。

 

 主権の観念は、近世の初期以来、西洋わけてもフランスにおいて、君主の権力を擁護する手段として、君主主義の形で主張された。それは封建諸侯やカトリック教会の勢力を制圧して、統一国家を形成するためには有効なる手段であった。君権至上主義や王権神受説も、これがために唱えられ、これがために利用されたのである。しかるにその後、専制君主の圧政から国民が自由を獲得するためには、別の旗印が必要になった。フランス革命の思想的根拠をなした国民主権説は、すなわちこれであった。

 

 国民主権説は、西洋の社会契約説、国家契約説と結合して発達したのであるが、広く世界に及ぼしたのである。君主主権といい国民主権といい、いずれも一つの政治目的に利用されて発達したものであるから、主権を権力中心の概念として見たのも当然と言えよう。そしてその根底には「力は法の上にあり、法は強者の権利である」という思想が流れていたのである。いずれにしても国民主権・君主主権という言葉も意味内容も、西洋の国家観念・法思想から生まれてきたのであるから、日本の伝統の天皇の国家統治の実相、日本国体とは全く異なる概念であり法律用語である。

 

 「天皇主権」「国民主権」を考える場合、「国民とは何か」「主権とは何か」という定義をはっきりさせなくてはならない。国民主権ということが国民一人一人が主権者だとすれば、日本には一億二千万人に主権者がいることになり、国家の意思はばらばらで、あたかも精神分裂症患者のようなもので、国家としての体をなさない。

 

 国民主権というのは、超個人的な国民全体を一つと見てこれに主権が存するという意味である。超個人的な国民全体とは現在の国民だけではなく過去現在将来を通じての国民に主権があるということである。もし現在の国民のみと解するならば、一世紀も経過すれば否数十年をいでずして現存の国民の多くは死亡するから、主権者の内容は全く変わってしまい、主権の一貫性は失われる結果となる。

 

 日本国は欧米の国家のような契約国家ではなく、信仰共同体であり、民族共同体である。従って日本において「主権が国民に存する」というのは、実質的には、永遠の生命を有する日本民族に主権があるということとなる。すなわち天皇を統合の中心とする日本民族が主権者だということである。

 

 西洋流の国家観によれば、君主主権と国民主権とは相対立するもので両立し得ない観念である。君主と人民との闘争に終始した西洋の歴史からすれば、これは当然のことと言えよう。西洋の国法学説は、この観点に立って展開されてきたのである。

 

 西洋の国法学説でいう主権とは、近代中央集権国家がフランスに初めて成立する過程において国王の権力の伸長を国内外に主張し、絶対王政を正当化するための理論的武器となったものである。それは「朕は国家なり」という言葉でも明らかな如く、国王は何ら制約を受けない最高絶対の権力者とされ、国民は国王に信者の如く絶対服従するものとされ、国王と国民とは二極の対立概念として理解されているのである。

 

 西洋の国民主権論は、もっとも徹底した「反君主制」の理論として確立されたのである。そしてかかる反君主制の思想が、敗戦後戦勝国によって憲法の中に盛り込まれたのである。

 

 こういう史的・思想的背景を持つ西洋の主権概念は、日本國體とは絶対に相容れない。なぜなら日本では、古来西洋のような闘争の歴史は無かったからである。日本の歴史と伝統は、天皇を中心として君民一体となって民族共同体・信仰共同体を形成し発展させてきた。天皇と国民、国家と国民の関係は、相対立するものではなくして、不可分一体の関係にある。天皇主権と国民主権を、氷炭相容れない対立関係と見るのは、西洋流の考え方に立っており、日本の伝統とは相容れない。

 

 我々がここで確認しておきたいことは、国民主権は決して「人類普遍の原理」ではないということである。前述したように、国民主権という考え方は国王・皇帝と国民が対立し抗争した歴史を持つ西洋諸国の考え方である。十七世紀のヨーロッパにおける国王と人民との争いの中で、ルソーが理論化した考え方が国民主権であるといわれている。国王の権力の淵源は国民の委託にあるのだから国民に主権があり、国民の意向に反する君主は何時でも打倒できるという考えである。

 

 天皇主権にしても国民主権にしても、主権という言葉は西洋の国法学の影響により、国家における最高の政治権力と一般に解せられており、権力至上主義の臭みが濃厚である。帝国憲法における天皇の統治権も一般には権力中心の立場において解せられた。しかしこれは、わが国の歴史と伝統に即応しない。

 

 明治以来の日本の国法学者は、大なり小なり西洋の学説の影響を受けているが、主権とか統治権という言葉が古来無かった日本としては、学者が西洋の学理をそのまま取り入れてしまったことが、今日の憲法論議において混乱を招いてる原因である。

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千駄木庵日乗九月十二日

朝、宿舎を出発。

 

秩父の國一宮・秩父神社参拝。秩父神社のご祭神は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)、天之御中主神、秩父宮雍仁親王。天之御中主の命は、宇宙根源神であるが、この神を御祭神としている神社は少ない。「身を隠したまひし神」であるからであらうか。秩父神社の由来書には、「北辰妙見として鎌倉時代に習合した神」と書かれている。東京では水天宮の御祭神が天之御中主神である。

Photo

 

西武秩父駅より西武線にて帰京。

 

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

 

この後、施設に赴き、母に付き添う。

 

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年9月12日 (月)

千駄木庵日乗九月十一日

朝、西武線で池袋を出発。

 

午後一時より、秩父市の農園ホテルにて、【全国有志大連合 第三十四回 彩の國秩父大会】開催。国民儀礼、渡邊東陽会長が代表者挨拶、菊池和男氏が大会実行委員長挨拶、竹内恒夫氏が事務局報告を行った。この後、小生が「國體と憲法」と題して講演。続いて黒崎石雲氏が「全有連の基本政策」』についてスピーチ。活発な質疑応答が行われた。そして、聖壽万歳三唱、、「青年日本の歌」斉唱が行われ、閉会した。

 

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この日は、宿舎に泊まる。

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萬葉古代史研究会のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 九月十四日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』第一巻。初めて参加される方はテキストは無くても結構です。

 

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2016年9月10日 (土)

『現行占領憲法』第一条の規定は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる

『現行占領憲法』第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれてゐる。

 

「日本国及び日本国民統合の象徴」といふ規定の意味はきはめて限定的である。「象徴」といふ言葉は、天皇の空間的統一性・統合性をある程度表現してはゐるが、天皇の歴史的傳統性・時間的連続性は全く表現されてゐない。言ひ換へると、日本天皇は何ゆゑ国家国民を統合される御存在であるのかといふ意義が示されてゐない。

 

天皇は、日本國及び日本国民の歴史と傳統、そして日本国民の普遍意志=過去・現在・将来にわたる日本国民の伝統的な普遍意思を体現される存在である。天皇が日本国の本来の統治者・君主として仰がれてきたといふ事実と、天皇が日本国の歴史と傳統そして国民の普遍意志の体現者である事実とは、不可分の関係にある。

 

『現行憲法』の「天皇は象徴である」といふ規定は、この不可分の関係を無視し、あはせて日本伝統信仰の最高祭祀主としての天皇の地位と権能を否定してゐる。「天皇の御地位」は果たして何を根拠としてゐるのかが全く示されてゐない。

 

「日本国及び日本国民統合の象徴」といふ言葉には、『萬葉集』柿本人麻呂の長歌の「やすみしし わが大君」(四方八方をたいらけくやすらけく統治される)といふことはある程度表現されてゐるが、「高照らす 日の皇子(みこ)」(高く照らす日の大神の皇子)といふことは表現されてゐないのである。

 

『現行占領憲法』は経過的暫定の制度として、いはゆる「天皇制」を承認し、やがてはこれが廃止をせんとした戦勝国の意図を反映したものだからかかる規定になったのでらう。

 

三島由紀夫氏は、天皇のご本質について「天皇は、われわれの歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴」(『反革命宣言』)「われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すもの」(『反革命宣言補註』)「国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇」(『文化防衛論』)と論じてゐる。

 

『現行占領憲法』第一条の規定は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる。天皇が、日本国及び日本国民を統合される御存在であるのは、天皇が歴史的伝統性・時間的連続性を継承され体現される御存在であるからである。「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」といふ規定は、天皇のご本質の半面しか表現してゐないのである。

 

『現行占領憲法』は最も大切な『大日本帝国憲法』の第一条から第三条までの成文化された國體法を抹消した。『占領憲法』は、『大日本帝国憲法』には無かった「国民主権」を明示した上「天皇の神聖性」の規定を削除した。

 

そして、日本の國體に全く合致しない「国民主権論」といふ西洋の悪しき普遍主義に毒されてゐる。西洋成文憲法というのは、専制支配者であったイギリスのジョン国王とそれに対立する貴族との間で結ばれた契約である『マグナカルタ』が起源である。そして「國民主権論」は、専制国王ブルボン王朝を打倒したフランス革命から発した思想である。

 

 世界各地の神話では、人類最初の男女神は人間を生んでゐる。しかし、日本神話では始源の男女二神たる伊耶那岐命・伊耶那美命はまず国を生んでゐる。ここに日本神話の大いなる特質がある。日本神話においては神が最初に生んだものが国なのである。しかも創造したのではなく生んだのである。また人は神の子孫であるとされてゐる。神と國・神と人とは親子関係にあるのである。故に、日本国においては神と國と民とがその根源において一体なのである。そして神と國と民とを精神的に統合し一体化する御存在が祭り主たる天皇なのである。

 

ところがキリスト教の神話においては神が最初に創造したものが人間であるとされている。「創造する」といふことは創造者と被創造者との間は絶対的に隔絶しているといふことである。しかも神によって創造された人間は原罪を背負う。神と隔絶し原罪を背負った罪人である人間同士が契約を結び、かつその罪人である人間の中で武力・権力が優越している者が君主となって国を治めるというのである。ゆえに、国家は人工的な存在であり本来罪を背負っている。また本来罪人である国民同士の信頼関係は希薄である。君主も国民を力で強制することによって国家を治めるのである。このキリスト教の国家観・人間観が西洋国家法思想・法思想の根幹となってゐる。

 

このやうに日本と外国との国家観・君主観の違いは大変大きい。そのことを端的に示したのが、北畠親房の『神皇正統記』冒頭の「大日本は、神國なり。天祖始めて基を開き、日神長く統を傳へ給ふ。我が國のみ此の事あり。異朝には其の類無し。此の故に神國といふなり。」という文章である。

 

日本天皇の御本質そして日本国の本質とは全く異なる西洋から発した思想を基本原理としてゐるのが『現行憲法』なのである。国民主権・主権在民論は、祭祀主日本天皇を君主と仰ぐ君民一体のわが國體を隠蔽し破壊する規定である。つまり『現行占領憲法』は国家の存立の基本を破壊もしくは否定せんしてゐるのである。 

 

今日において成文憲法を無くすことが不可能であるならば、一日も早く『現行占領憲法』の無効を確認し、日本國體に則った正しき憲法を回復すべきである。憲法を正しくすれば万事が解決するといふわけではないが、正しき憲法の回復が日本国の政治と文化など全ての面の混迷を救ふ大きな道である。

 

天皇を祭祀主と仰ぐ清浄なる道義國家たる我が國の姿こそ「國體」なのである。この國體の眞姿を回復して現状の日本の「悪」「穢れ」を祓い清めることが復古即革新即ち維新である。

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千駄木庵日乗九月十日

午前十時より、靖国神社遊就館にて、所功氏にインタビュー。『伝統と革新』誌掲載のためなり。

この後、施設に赴き、母に付き添う。機嫌良し。元気なり。有り難し。

帰宅後は、明日の「全有連大会」における講演の準備など。

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歴代天皇に傳えられたわが國の道統

 神話時代・萬葉時代からの道統である忠孝精神は、幕末において強く発現し開花した。そして明治維新の原動力になった。

 

 水戸藩士にして幕末勤皇論に大きな影響を与えた會澤正志斎は、その著『新論』において、「君臣之義、父子之親」という二つの徳目を重大視し、あらゆる人間の道はこの二つの徳目の上に立つと論じた。そして肇國以来の皇國の道は忠孝の道にほかない、天祖の神勅も、祭政一致の傳統も、忠孝の道を説いていると述べ、「忠孝ヲ以テ國ヲ建ツ」と論じた。會澤正志斎は「忠孝」を國體の精神の根本としたのである。

 

 江戸後期の尊皇思想は、儒教の大義名分論の影響もあったが、その根本は神代以来のわが國の傳統を継承したものであった。わが國の傳統精神は外来の仏教思想や儒教思想を包容摂取してわが國の國體精神・傳統信仰と融合せしめたのである。     

 

 さらに明治の御代になると、明治天皇は、欧化の風、知育偏重の教育を憂いたまい、日本の教育精神・倫理の根本は「忠孝精神にある」との大御心によって『教育勅語』を渙発あそばされた。

 

 『教育勅語』には、「…我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」と示されている。

 

 親の恩愛を感ずる者が、天皇をお慕いする勤皇のまごころを持つ。親は、子に生命を与えてくださった方である。そしてその生命は溯っては祖先、くだっては子孫へと続いている。生命の連続とは単に肉体と血液の連続ということではない。慈愛の継承であり、心のつながりである。

 

 わが國の國體は、天皇を中心とした信仰共同体である。祭祀主としての天皇の神聖なる権威が日本國家の安定と統一の基礎である。その信仰共同体としての國を基礎としてその上部に政治機構としての國家が成立した。政治組織・権力機構としての國家の基礎に天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体のとしての國がある。 

 

 政治機構としての國家は法律と権力によって運営される。しかし、その根本に傳統信仰を基礎とした國がある。その中心者が天皇であらせられるのである。

 

現実の國家はそれを構成する國民の私欲の追求によって悲惨な闘争が起こる。それを可能な限り抑制するのは、私欲を超越した無私という倫理性を体現する存在である。わが國においては天皇がそうした御存在である。

 

 肇國以来今日に至るまでわが國の歴史を貫き、将来にも継続する君主が、祭祀主日本天皇であらせられる。

 

 天皇は祭祀主として君臨されている。決して権力や武力によって國を支配しているのではない。権力や武力によって國を支配されるのではないということが、日本天皇の國家統治の御本質である。それは日本民族の稲作生活から生まれてきた傳統である。

 

 新渡戸稲造氏がその名著『武士道』において、「我々にとりて天皇は、法律國家の警察の長ではなく、文化國家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである。」と論じている通りである。

 

天皇は、権力や武力の暴走、言い換えると権力者の私欲による権力と武力の行使を制限し抑制される権威をお持ちになる。天皇は権力や武力と無縁の御存在だということではない。むしろ権力や武力に対して道義性を与えられる。中世・近世・近代を通じて武家権力や軍に対してそういうおはたらきをされて来た。

 

 わが國の傳統的倫理・道義は、<神に対する真心の奉仕><神人合一の行事>である祭祀として継承されてきた。日本人の実際生活において行じられる祭祀そのものが倫理精神・道義感覚の具体的な現れなのである。 

 

 信仰共同体國家日本の祭祀の中核は天皇の祭祀である。したがって、日本國家の祭祀主であらせられる天皇は、日本道義精神・倫理観念の継承者であらせられるのである。

 

 明治天皇は、『教育勅語』に示された徳目を、臣民にだけ行じさせるのではない。『教育勅語』には、「朕爾臣民ト共ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と示されている。天皇が道義実践の中心者であらせられる。それが皇祖皇宗から御歴代の天皇に傳えられたわが國皇室の道統なのである。

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千駄木庵日乗九月九日

午前は、諸雑務。伝統と革新』編集の仕事。

午後は、明後日行われる『全国有志大連合・彩の国秩父大会』における講演の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う・元気なり。有り難し。

帰宅後し、講演準備、原稿校正、執筆など。

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2016年9月 9日 (金)

『現行占領憲法』は國體破壊の元凶である

『現行占領憲法』は國體破壊の元凶である

 

「日本テレビ」の八月二十二日の報道によると、内閣法制局などが、「天皇陛下の御譲位」を制度化し、生前御譲位を将来にわたって可能にするためには「憲法改正が必要」と指摘したといふ。これは『占領憲法』第一条で「天皇の地位は国民の総意に基づく」と定めてゐて、天皇のご意思で譲位されることはこれに抵触するといふ理由だ、といふ。

 

内閣法制局の見解は、「天皇の御地位は、成文法の下にあり、成文憲法によって天皇の御地位は制約を受けるどころか決定される」といふ考へ方が基本になっていると思はれる。

 

伊藤正己氏などの著書『注釈憲法』には「国民の総意すなわち意思のうちに存在し、したがって、国民の総意が変わり、憲法改正が成立すれば、天皇の地位の根拠が失われることとなる」と書かれてゐる。

 

受験新報編『法学解答シリーズ憲法』には「現行憲法は国民主権という人類普遍の原理を採るのであるから、国民の意思を無視する天皇の地位を認めることは不可能なことである。『国民の総意』とは、ルソーが説く個々の国民の意思の集合体としての『全体意志』と、国民全体の普遍的・合理意志としての『一般意思』を区別する場合の『一般意思』にあたると説くものもあるが、そのような根拠はない。従って、国民の意思と解すれば良い。しからばこの『国民の意思』はいかにして発見されるかといえば、この憲法自身が定める方法によって判断される。即ち『天皇制』は憲法上の制度であるから、憲法改正手続により天皇の地位一般を否定することが可能である」と書かれてゐる。

 

つまり、國體否定に賛成する議員が国会の三分の二以上の多数を占め、國體否定に賛成する国民が国民投票をした人の過半数を占めるに至った場合には、國體は廃絶されるというのである。これは「革命思想」である。

 

わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主であらせられる。祭祀國家日本の祭り主であられ、現御神であらせられる日本天皇、そして皇室は、「近代成文法」、況や戦勝國によって押し付けられた『占領憲法』の制約を受けることがあってはならない。

 

「近代成文憲法」は、西洋の法思想・國家観がその根底にある。「國王といへども法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想である。これは、「國家は権力機構である」「憲法は権力の制限規範である」「國王と人民は対立関係・支配被支配の関係にある」とする西洋の國家観・法思想に基づく考へ方であって、天皇を祭り主と仰ぐ祭祀國家たるわが國には通用しないし、通用させてはならない。

 

わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を國民に傳へる「のりごと」である。「法(のり)」は「宣(のり)」である。天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の宣命(みことのり・おほせごと・大御心)が即ち「法」なのである。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の法である。

 

また、「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」に関する神聖なる事柄は、世俗の法律問題・政治問題ではない。即ち決して『現行憲法』が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。政治権力や成文法によって、天皇を規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。

 

わが國においては、成文法があって國體が成立するのではない。國體の上に成文法が成立するのである。天皇は、権力や成文法を超越された神聖なるご存在である。

 

「現行憲法」は、君主と人民とは相対立する存在であり、國家とは國民同士が契約して成立するものであると考える西洋的法思想・國家觀・君主觀・權力論が基礎となってゐる。

 

天皇中心の信仰共同體國家・祭祀國家たる日本には全くなじまない「主權」が「君主にあるのか、國民にあるのか」といふ対立概念に基づく「國民主權」を、成文憲法に書くことは、わが國の國柄とは相容れない。西洋概念で日本國體を規定することはあってはならない。西洋法思想・國家論である「國民主權」なる「概念」を、わざわざ成文法として日本國の憲法に規定することは國體破壊につながる。 

 

神話時代からの悠久の歴史を有する日本の天皇中心の國柄を、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋の憲法概念に基づいて成文憲法に規定することは重大な誤りである。

 

「主權」が、「天皇」にあるか「國民」にあるかを論議すること自體、日本の傳統的な考え方・國體觀とはなじまない。この一点を以てしても、「現行占領憲法」はまさしく日本の傳統・國體を破壊する革命憲法である。

 

祭祀主たる天皇と國民の関係は、支配・被支配の関係ではない。天皇は信仰的権威による國家國民の統率者であり、わが國は、信仰的・祭祀的統一によって形成された國家である。そしてその祭祀主が天皇であらせられるのである。祭祀國家として約三千年の時間的連続・歴史を有してきたことが最も大切な日本國の本質であり、日本國體の尊厳性なのである。

 

日本國は、國家の意思を最終的に決定する權力としての主權を持つ國民の意思によって形成された國家、すなわち契約國家・集合國家・權力國家・統治システムとしての國家ではない。

 

「現行占領憲法」は、万邦無比の日本國體を隠蔽しているどころか、國體破壊の元凶なのである。一日も早くこのような亡國憲法は否定されなければならない。國家の基本法典たる憲法は立國以来の歴史の中に培われてきた傳統的国家観に立脚しなければならない。

 

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2016年9月 8日 (木)

千駄木庵日乗九月八日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、『政治文化情報』原稿執筆。

午後六時半より、池袋にて、呉竹会青年部の方々と懇談打ち合わせ。

帰宅後は、原稿思執筆など。

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蓮舫について

蓮舫は台湾人だとのことであるから、本当はかばいたいが、彼女は、「安保法制」に猛烈に反対し、委員会でもまるで女番長のように腰に手を当て『てめえら』とか言って、自民党に口汚いヤジ飛ばしていた。

 

安保法制は支那による侵略の危機にさらされている台湾の安全確保にも必要な法案である。

 

また彼女は「大陸に憧れていた」と言い、北京大学漢語中心に留学したのだから、親共産支那なのであろう。だいぶ以前会った時は、私に「私も台湾独立支持です」と言っていたのだが…。

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今日に於いて永井荷風の文明批評に學ぶことは多い

 

永井荷風は、日本の風土と自然を愛し、西洋化による破壊に憤怒した。荷風は言ふ。

 

「日本都市の外觀と社會の風俗人情は遠からずして全く變ずべし。痛ましくも米國化すべし。…然れども日本の気候と天象と草木とは黒潮の流れに浸されたる火山質の島嶼が存する限り、永遠に初夏晩秋の夕日は猩々と緋の如く赤かるべし。永遠に中秋月夜の山水は藍の如く青かるべし。椿と紅梅の花に降る春の雪はまた永遠に友禪模様の染織の如く絢爛たるべし。婦女の頭髪は焼鏝をもて縮らさゞる限り、永遠に水櫛の鬢の美しさを誇るに適すべし」(『江戸藝術論』・大正二年)。「慶應義塾大學大阪講演會へ參る爲め今朝東京出發。琵琶湖上に夕陽を眺め三日月の沈む頃京都に下車して丸山のほとり目立たぬ一旅亭に宿泊仕候。家の造り庭のありさまなぞ一度此都に來れば小生は深く日本を愛し日本に感謝する熱情の轉(うたた)切なるを覺え候。飜って思へば東京の現状ほど人をして絶望悲憤の境に陷らしむる處は無御座候。銅像と安煉瓦造りは重々國民の精神に宜しからぬ感化を與ふるものに御座候」(『大窪だより』大正二年)

 

荷風は、いかに日本人の生活が西洋化しやうとも、美しき日本は永遠であると自らに言ひ聞かせてゐる。しかし悲しむべきは、現代日本は、グローバル化などと言って、政治・経済・文化などすべての面に於いて、明治日本よりも激しく日本の傳統や独自性を隠滅し破壊しアメリカ化しやうとしてゐる。

 

自然環境はそこに住む人々の思想・精神に大きな影響を与へる。日本の傳統精神は麗しき日本の自然から生まれて来たのである。故に日本の傳統を護らむとすれば日本の自然を護らねばならない。日本的変革即ち維新は、政治経済體制を変革するのみではない。その根本に精神の変革がなければならない。

 

日本固有の美、傳統信仰、秀麗なる日本の山河・自然を愛する心を涵養することが根本である。西洋科學文明・グローバル化によって隠蔽されつつある日本の傳統美を護り再生せしめることこそ、現代救済の原理である。日本の自然美・傳統美をこよなく愛し、國語文化即ち美しき日本文を書きのこした永井荷風は、近代日本における偉大なる文人であった。

 

わが日本は、本来的にその持てる文化的力によって世界を救済すべき使命を有する國である。しかし、日本自らがその「文化的力」を忘却し隠蔽してゐる。荷風の憂へた状況は今日の日本に於いてますます深くそして激しくなってゐる。今日に於いてこそ、永井荷風の文明批評に學ぶことは多いと考へる。

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千駄木庵日乗九月七日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、施設に赴き、母に付き添う。

この後、銀座の「ギャルリさわらび」にて開催中の『たまふり 弐――佐々木誠 木彫とドローイング展』参観。神道精神・尊皇精神を彫刻で表現するというまことに意義深い画期的な作品展であった。佐々木誠氏は、先日の「日本の心を学ぶ会」に出席され、初めて知遇を得た。天の岩戸開きや天地生成の神話をテーマにした作品などが展示されていた。会場のあるビルが昭和七年の竣工で、何ともクラシックな建物であった。「ギャルリさわらび」に田中壽幸氏にご説明をいただいた。

帰宅後は、『政治文化情報」の原稿執筆など。

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2016年9月 6日 (火)

わが國の傳統的な美感覚「もののあはれ」とは

 

 「あはれ」は、感動を表し、「あゝ」と「はれ」が結合した言葉。「あゝ」ともはれ」も感嘆した時に自然に発する言葉。「もののあはれ」は、のちにわが國の傳統的な美感覚となった。「もの」は、外界の事物。「あはれ」は、自分の感情。日本の文學精神の主流になった感性であり、自然・芸術・人生などの触発されて生ずるしみじみとした趣き・情感のことと定義される。「もののあはれ」といふ言葉が最初に登場したのは『土佐日記』の船出の悲しさを語ったところである。

 

 すぐれて見事なこと、めざましいことを見たりしたときに発する感動の言葉である「あっぱれ」は、「あはれ」の転であり、「あはれ」は悲しみの情感を表白するのみではない。悲哀に限らず嬉しいこと・楽しいことなど物事に感動した時に発する言葉が「あはれ」である。

 

「もののあはれ」を理屈で説明するのはなかなか難しい。日本人が持ってゐる独特の情感と言へる。本来的には、物事に驚嘆したり感動した時に発する「ああ、はれ」という言葉なのであるとされる。「天晴れ」にも通じる言葉である。天照大御神が天の岩戸からお出ましになる時、それを喜んで八百万の神々が発した言葉が「あはれ」であった。これは喜びの言葉である。        

 

 藤原俊成(『新古今和歌集』の代表的歌人)は、「恋せずば人は心もなかるべしもののあはれもこれよりぞ知る」(恋をしないのは人の心がないのと同じだ。もののあはれも恋をすることによって知る、といふ意)と詠んだ。

 

 近世の國學者・本居宣長はこの歌を解説して、「大方歌の道はあはれの一言に帰す。さればこの道の極意を尋ぬるにまたあはれの一言よりほかになし。伊勢物語も源氏物語もあらゆる物語もその本意を尋ぬればあはれの一言にてこれをおほふべし」と論じてゐる。

 

 宣長は「もののあはれ」は日本文芸の一番大事な基本精神であると説いた。宣長は、「よきことにまれ、あしきことにまれ、心の動きてああはれと思はるることがもののあはれ」と説いた。また宣長は「ことしあればうれしたのしと時々に動くこころぞ人のまごころ」(『玉鉾百首』)と詠んだ。

 

 『古今和歌集』の「序」は、「鬼神をもあはれと思はせるものが和歌である」と説いてゐる。「もののあはれを知る心」とは、外界の事物に対する自分の心の態度のことであり、それは自然の心である。それが日本文芸の原点であるといふことになる。

 

 自然な心の動きが大事なのであるが、ただそれを表白すればいいといふのではなく、その心をやや客観的に見て美しい調べにして表現しなければ芸術としての歌にはならない。自分の情念を客観視して調べに乗せて表現し他者に美しく傳へ他者をも感動させなければならない。それが和歌である。

 

 文芸とは深遠なる哲理や理論・教条を説くものではない。「もののあはれ」を訴へるものである。人間が物事に感動した思ひといふものを和歌や物語の形式で美しく表現するのが文芸である。

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千駄木庵日乗九月六日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

夕刻、西日暮里にて、若き同志と懇談。憲法問題などについて、意見交換。色々貴重なお考えをうかがった。

帰宅後は、資料の整理。原稿執筆。

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わが国の伝統的「武」の精神について

 もののふ・日本男児の生死の際の覚悟のほどは、合理的な儒教論或いは仏教思想という外来思想とは全く縁のないエモーショナル(感情的)なものによっていた。「今はこう」「今はこれまで」と悟った時、日本の武士は、まっしぐらに顧みることなく死ぬことを潔しとした。これが、日本的死生観である。武士道は仏教から発したものでもなく、儒教から発したものでもない。古事記・萬葉の歌々を見ても明らかな如く、日本伝統的な中核精神から発した。主君に対する忠誠と名誉が根幹である。新渡戸稲造氏は、吉田松陰先生の

 

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

 

という歌を引用して、「武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、国民および個人を動かしてきた」(武士道)と論じている。

 

 もののふのみち(武士道)は、理論・理屈ではない。ゆえに、「武士道」については、精々口伝により、もしくは数人の有名なる武士や学者の筆によって伝えられたる僅かの格言があるに過ぎない。和歌もその一つであろう。

 

「萬葉歌」は飛鳥奈良時代の武士道を伝えている。それは語られず書かれざる掟、不言不文であるだけに実行によっていっそう効力を認められる。理論・理屈を好まない日本人らしい道徳律が武士道なのである。

 

日本の伝統の根幹たる和歌も祭祀もそして武道も理論・理屈ではない。「道」であり「行い」である。そして一つの形式・「型」を大切にし「型」を学ぶことによって伝承される。学ぶとはまねぶである。理論理屈ではないが「道」(歌道・武道・茶道・華道)という。

 

そして武士道は、道徳・倫理精神と共にあった。武士は封建時代において国民の道義の標準を立て、自己の模範によって民衆を指導した。「義経記」・曽我兄弟の物語・忠臣蔵などの民衆娯楽の芝居・講談・浄瑠璃(平曲・謡曲から発した音曲 語り物。義太夫節が行われるようになってからは、義太夫節の別名となった)小説などがその主題を武士の物語から取った。明治維新の志士たちの歌も近代日本の武士道教育の手本となった。

 

 かかる和歌などの芸術によって武士道が継承され教育されたことは、武士道が教条や独善的観念体系(イデオロギー)ではないということを証しする。

 

 武士は、日本国民の善き理想となった。いかなる人間活動の道も、思想も、ある程度において武士道の刺激を受けた。武士は武家時代において、決して民衆を武力で支配した階級のみでなく、道義の手本でもあった。明治維新をはじめとしたわが国の変革を断行せしめた重要なる原動力の一つに武士道があった。この武士道を今に生かさなければならない。

 

 『萬葉集』の「皇神のいつかしき国、言霊の幸(さき)はふ国」とは、上代祖先の国民的自覚であったが、同時に天皇の御本質として理解された。祭祀・歌・武が日本天皇の国家御統治の三大要素である。

 

 平安時代から江戸幕藩体制終焉まで、そして戦後日本は、武(剣)・玉(祭祀)・鏡(歌・知)という「三種の神器」の御精神の一つである「剣」の精神が希薄になった。これは重大な國體隠蔽・日本伝統精神の衰微というべきである。後鳥羽上皇・後醍醐天皇はこれを挽回されようとした。

 

ことある時に武は顕現する。武の精神を回復されようとした天皇はまた御自身も和歌もよく詠まれ和歌の道を大切にせられた。後鳥羽上皇・後醍醐天皇そして明治天皇の御事績を仰げばそれは明白である。神武天皇の「撃ちてしやまむ」の御精神はついに絶えることはなかった。

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千駄木庵日乗九月五日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

この後、谷中三崎坂にて、友人二氏と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

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2016年9月 5日 (月)

幕府瓦解・王政復古即ち天皇中心の統一国家建設=明治維新の開始

征夷大将軍の「征夷」とは、「夷を征討する」の意である。「夷」とは、第一義的には外敵のことである。征夷大将軍の最も重要な使命・責任を果たせくなっゐることがペリー来航によって明らかとなった。まさに徳川幕府の正統性が根底から崩れ始めたのである。

 

徳富蘇峰氏は「(注・ペリー来航は)日本国民に向かって、一面外国の勢力のはなはだ偉大なるを教え、一面徳川幕府の無能・無力なるを教え、かくのごとくにして徳川幕府恃むに足らず、恐るるに足らず、したがって信ずるに足らざることの不言の教訓を、実物を以て示した…これがために二百五十年間全く冬眠状態であった京都の眠りを覚まし、たとえて言えば従来神殿に鎮座ましましたるものが、現つ神の本面目に立ち還り、ここにはじめて京都における朝廷自身が、実際の政治に関与し給う端緒を開き来った」(『明治三傑』)と論じてゐる。徳富蘇峰氏の「現つ神の本面目に立ち還り」といふ指摘は重要である。

 

安政五年(一八五八)一月、幕府は朝廷に『日米修好通商条約』批准の勅許を奏請したが、朝廷は外国の勢威を恐れた屈辱的な開国をお許しにならなかった。

 

同年六月、大老就任直後の井伊直弼は、孝明天皇の勅許を得ずして、アメリカと『日米修好通商条約』を調印した。

 

第百二十一代・孝明天皇は条約締結に震怒あそばされた。『岩倉公実記』の「米国条約調印二付天皇御逆鱗ノ事」によると、孝明天皇は、「時勢のここに至るは御自らの徳の及ばざるところなり」と深く幕府の専断を嘆かせたまひ、六月二十八日、関白・九条尚忠などに下された宸筆の「勅書」において、「関東の処置は神州の瑕瑾と為り、皇祖列聖に対せられ、御分疎(注・細かく分けて説明する。弁解する)の辞なきを以て、天位を遜がれ給ふ可き旨を親諭し給ふ」たといふ。

 

そしてその「勅書」には、「所詮条約許容儀者如何致候共神州瑕瑾、天下之危急之基。(御名)ニ於イテハ何国迄モ許容難致候。然ルニ昨日、武傳披露之書状見候ニ、誠ニ以存外之次第、實ニ悲痛抔申居候位之事ニ而無之、言語ニ尽シ難キ次第ニ候。…此一大事之折柄愚昧(御名)憗ヰニ帝位ニ居り、治世候事、所詮微力ニ及バザル事。亦此儘帝位ニ居リ、聖跡ヲ穢シ候モ、實ニ恐懼候間、誠以歎ケ敷事ニ候得共、英明之人ニ帝位ヲ譲リ度候」と仰せになり、条約締結は神国日本を傷付けることであり、このやうな一大事が起こったのでは皇位についてゐることはできないと、譲位の意志を示された。天皇御自らが譲位のご意志を示されるといふことは、実に以てあり得べからざることにて、それだけ、孝明天皇の御憂ひは深かったのである。

 

さらに、孝明天皇は八月五日の『御沙汰書』に於いて「条約調印為済候由、届け棄て同様に申し越し候事、如何の所置に候哉。厳重に申せば違勅、實意にて申せば不信の至りには無之哉。…朝廷の議論不同心の事を乍承知、七月七日、魯西(ロシア)も墨夷の振合にて条約取極候由、同十四日、英吉(イギリス)も同断、追々仏蘭(フランス)も同断の旨、届棄ニ申越候。右の次第を捨置候はゞ、朝威相立候事哉。如何に当時政務委任管于関東の時乍も、天下国家の危急に拘る大患を、其儘致置候ては、如前文奉対神宮已下、如何可有之哉。」と幕府への強い不信感を表明せられてゐる。

 

孝明天皇は、

 

あぢきなやまたあぢきなや蘆原のたのむにかひなき武蔵野の原

 

との御製を詠ませられた。(御詠年月未詳)

 

橘孝三郎氏は、「孝明天皇のこの史上未曽有の自唱譲位は皇権回復の歴史的爆弾動議に他ならない。而して王政復古大宣言即ち明治維新の国家大改造、大革新大宣言に他ならない。…王政復古、明治維新の大中心主体はとりもなほさず天皇それ自身であるといふ歴史的大事実中の大事実をここに最も明確に知る事が出来る。」(『明治天皇論』)と論じてゐる。

 

征夷の実力が喪失した徳川幕府に対する不信の念のご表明である。この孝明天皇のご震怒・御深憂が、尊皇討幕運動を活発化させる原因となった。幕府瓦解・王政復古即ち天皇中心の統一国家建設=明治維新の開始であった。

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千駄木庵日乗九月四日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆の準備など。

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2016年9月 4日 (日)

坂東忠信氏(一般社団法人全国防犯啓蒙推進機構理事)による「国民目線の間接侵略」と題する講演内容

五月二十九日に開催された『日本の心を学ぶ会』における坂東忠信氏(元刑事、元通訳捜査官、一般社団法人全国防犯啓蒙推進機構理事)による「国民目線の間接侵略」と題する講演内容は次の通り。

「十八歳で警察学校に入った。機動隊で伝令をやった。火炎瓶が飛んできた。新宿・池袋警察で仕事をした。勤務しながら北京語を勉強した。イラン人は見たらわかる。中国人は見ても分からない。特別永住者の存在を把握すべし。三百十二万一千八百三十一人が外国人。無国籍の人もいる。満州族の人もいる。韓国人の七〇・三%が特別永住者。生まれた時から日本にいていい外国人。

 

中山成彬氏等と外国人問題プロジェクトを作った。在日特権について調査。特別永住者の九十三%が韓国朝鮮人。どんなに悪いことをしても国外追放・強制送還なし。殺人事件の四・七六%が外国人による事件。これには致死罪は入っていない。次第にパーセンテージは上がっている。永住外国人に強制送還がないことが原因。在日特権の成果。日本人は韓国朝鮮人に殺されることが一番多い。刑務所収容者の六・五二%が外国人。韓国朝鮮人が二・一五%。

 

取り調べの可視化で刑事は困らない。困るのは中国人。外国人は二・三人で強盗をする。仲間のことを話しているのがカメラに映る。可視化すると家族に仕返しをする。中國は暴徒鎮圧にやくざを使う。警察犬も使う。

 

日本は閉鎖的ではない。難民申請は誰にでもできるし、何回も繰り返して申請できる。八年間日本にいることが出来た人もいる。難民申請にトルコ・ナイジェリア・パキスタンの人が多い。中国人も増えている。日本の場合、申請すれば難民になれる。何回も申請しても、その間日本にいることが出来る。イタリアはクルド人を島に閉じ込める。

 

なりすましが多い。他人のパスポートに自分の写真を貼る。日本に長くいる中国人は大人しくなる。中国人は声が高い。日本人とながく付き合うと声が低くなり、心も落ち着く。韓国・朝鮮人は長年日本にいても大人しくならない。

 

朝鮮人は反日がアイデンティティ。日本で成功した人は『在日と言われて苦労した』なんて言わない。在日特権制度を止めるべし。日本人は良心の垣根が高いので段階を数多く踏まないと犯罪者にならない。中國人はそうではない。日本の警察は優しい。中国人は好きなことをすることが人権だと思っている。他人の人権なんて考えない」。

 

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千駄木庵日乗九月三日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

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2016年9月 2日 (金)

『天壤無窮の御神勅』と現行占領憲法

祖国日本の危機的状況を打開するには、日本國體精神の恢弘しかあり得ない。言い換えれば日本民族の理想を回復することが現代の救済である。

 

『天孫降臨神話』そして『天壤無窮の神勅』『斎庭穂の神勅』に示されている日本民族の理想・日本伝統信仰は、聖書やコーランなどのようなある特定の人物が説いた教義ではない。古代日本人の「くらし」の中から自然に生まれて来た信仰である。建國以来今日までの日本人の「くらし」を支えてきた古代人の理想の表現である。

 

日本人は平和なる農耕生活を営む民族である。日本という國は農耕生活を基本とする文化國家であり祭祀國家である。武力・権力を基本として成り立っている権力國家ではない。また多くの人々が契約を結んで成立した契約國家でもない。

 

 天皇の國家統治の基本は農耕生活から生まれた平和な信仰精神である。天皇の國家統治は、平和的な農耕生活・稲作文化が基本である。ここで言う平和とは「現行憲法の三原理」の一つである欺瞞的な「平和主義」ではないことは言うまでもない。

 

 天皇が日本國の統治者であらせられるということは、天皇が政治権力や軍事力によって國民を支配し服従させる方であるということではない。しかし、日本国の政治権力や軍事力の権威の源泉は天皇の神聖性にある。

 

天皇は、祭祀國家日本の祭祀主であり、天照大神の御神霊と一體となられた神聖なる存在であらせられ、常に國家と國民の安泰と五穀の豊饒を神に祈られるお方である。

 

これに反して武力・権力・財力による國家支配は、相対的支配である。ゆえに、興亡常なき支配なのである。源氏・平家・徳川などの覇者の歴史を見れば火を見るよりも明らかである。

 

 日本天皇の国家統治は天照大神の「生みの子」としての神聖な権威に基づく。現御神であられる天皇は、皇祖皇宗(天照大神・邇邇藝命・御歴代の天皇)と一體であられる。天皇の國家御統治は過去も未来もそして今日も永遠である。そして永遠に発展し栄え続けるのである。「天壤とともに窮まりなかるべし」なのである。「天壤無窮」とは、「永遠」を表すと共に、「今」を意味している。わが國の歴史は「永遠の今」の展開であり、永遠の生命が流れ続けている。今即久遠・今即神代という真理が具體的に展開した國が「天皇國日本」である。

 

 このように、わが日本國は崇高なる理想を持った「天皇を中心とした神の國」なのである。しかるに、今日の日本は混迷の極に達している。このままで行けば亡國の淵に立たされる危険がある。

 

 権力機構としての國家は、天孫降臨の神話以来続いてきている<天皇を中心とした祭祀國家・信仰共同體>の上に成立しているのである。日本を立て直し國家を正しく保つためには、信仰共同體の祭祀主たる天皇の神聖権威を正しく回復しなければならない。

 

 実際の政治活動及び権力の行使には、闘争・謀略もあり駆け引きもありさらに腐敗もある。しかし、政治家や官僚に「天皇の臣下である」という自覚と慎みの心があれば、腐敗や闘争はかなりの程度これを抑止することができる。天皇の神聖なる権威のもとに國会も行政府もあるという體制を整え、政治家も官僚も天皇の神聖権威に慎みかしこむことが、闘争や謀略や駆け引きの中で政治の理想を失った現代日本の政治の頽廃・堕落を反省せしめることとなる。

 

 政治家・官僚の使命は、『天壤無窮の神勅』に示された天皇の國家統治の理想実現を輔弼することである。

 

『天壤無窮の神勅』に示された日本國體、すなわち日本國は天皇を中心とした家族國家・信仰共同體であるという日本國體、天皇は日本の統治者であらせられるという國の本姿を隠蔽しているのが「現行占領憲法」なのである。「現行憲法が諸悪の因である」というのはこの意味である。

 

 天皇の御存在・歴史を貫く天皇の伝統的神聖権威は、まさに「天壤無窮」である。しかし、それは日本を弱體化せんとして戦勝國・アメリカによって國際法を蹂躙して戦争直後に押しつけられた「占領憲法」の「規定」によって隠蔽され続けている。

 

 江戸時代、天皇を敬して遠ざけ、事実上京都に軟禁状態にして、実際の政治から全く切り離し、天皇中心の國體を隠蔽した。「天皇は神の子孫であるから尊い存在である」という観念は武士や庶民にもあったが、実際には、天皇は武士たちの直接の忠誠の対象ではなかった。

 

 戦後日本もまた、天皇の統治者・祭祀主としての眞姿を隠蔽し、それが今日の政治の腐敗と混迷と頽廃の根本原因である。

 

 憲法とは「基本となるきまり。特に、國家の統治體制の基礎を定める法。國家の根本法」であるという。であるならば、『天壤無窮の御神勅』こそ日本國の最高の憲法であり憲法中の憲法である。この御神勅の精神を隠蔽する一切の憲法・法律は否定されなければならない。

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千駄木庵日乗具九月二日

午前は、諸雑務。

午後は、伝統と革新』編集の仕事・

午後六時より、団子坂にて、永年の同志と懇談・打合せ。

帰宅後は、原稿の校正など。

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第六十五回 日本の心を学ぶ会

第六十五回 日本の心を学ぶ会

 

 真の保守とは何か、真の革新とは何か-「國體護持-戦後体制打倒」について

 

 江戸幕府を廃絶し、天皇を中心のする日本國體を明らかにし、新政府樹立を宣言した詔である「王政復古の大号令」には、「諸事神武創業ノ始二原(もとづ)キ」「舊來驕懦ノ汚習ヲ洗ヒ、盡忠報國ノ誠ヲ以テ奉公致ス可ク候事」と示されています。

 今日の祖国日本は、明治維新前夜より以上の内憂外患の危機に直面しております。わが日の本は、天神地祇・八百万の神々が護り給う國であります。今こそ、明治維新の基本精神たる「尊皇攘夷」「敬神崇祖」の精神を甦らしめ、維新を断行すべき時であると確信します。

「保守」とは、「戦後体制」を守ることがでは決してありません。本当の「保守」とは「國體護持」であります。そして真の「革新」とは國體を隠蔽し祖国を貶める一切の事象を祓い清めることであります。それが「復古即革新」「維新」であります。

申すまでもなく、わが日本国は「近代成文憲法」制定以前から存在しております。前回の「日本の心を学ぶ会」は憲法問題を勉強しました。そして「天皇陛下の地位を位置付ける憲法など不敬である」という意見も出ました。

 「国民主権」論は欧米の西洋政治思想であります。君民一体・一君万民の日本國體とは相容れません。

 真の日本人として、天皇陛下の大御心を体し、何を目指し、何を護るべきか、参加者一同で考えようではありませんか。真の保守とは何か、真の革新とは何か-「国体護持-戦後体制打倒」について、皆様と語り合いたいと思います。

 どうぞお誘い合わせのうえご参加ください。

 

【日時】平成二十八年九月二十五日 午後六時

 

【場 所】文京区民シビックセンター 三階会議室C

 

東京都文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

 

【講 演】

 

「復古即革新=維新について 日本的変革について考える」

 

講師 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

(今回の勉強会はもう一名、講師の先生を調整中です)

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

 

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395 

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この案内文は主催者が作成しました。

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一君萬民の思想と基本的人権

 

 

戦後日本は「国家は人権擁護の敵である」という思想に支配されてきた。そして国家以前に人権があるのだから、人権擁護のためには国家は窮極的には否定されるべきであるという思想が幅をきかして、欲望充足のため権利の濫用、他者の権利や共同体の安全を無視する「自由の濫用」となった。さらに「人権」という言葉がこれまで左翼にからめ取られ、天皇を君主と仰ぐわが国の国柄の否定・伝統破壊の道具としてまで用いられてきた。戦後の「差別撤廃運動」はそのまま「天皇制否定運動」でもあった。

 

「天賦人権」の思想は、フランス革命の「人権宣言」に始まったというが、その基本は、政府のみならず国家も、個としての人間の権利尊重・幸福実現のための手段に過ぎないという思想である。

 

フランス革命の思想を継承するアメリカによって押し付けられた現行憲法の「三原理」の一つ「基本的人権の尊重」は、憲法施行以来、「自分さえよければ他人はどうなってもいい」「好き勝手し放題」という思想として国民の間に浸透している。

 

「現行憲法」第十三条に「すべて国民は、個人として尊重される」と規定されている通り、「現行憲法」には、人権を歴史と伝統および共同体とのつながりで捉えるという思想がきわめて希薄である。それどころか現行憲法は、「国家のみならず家族・家庭は人権の敵だ」とする考え方が生まれる土壌となった。そして家庭と国家の崩壊が起こりつつある。

 

しかもこの「基本的人権の尊重」という原理によって本当に戦後日本の国民一人一人の人権が尊重され守られて来たかというと決してそうではない。むしろ国民の人権が侵害され、教育は荒廃し、犯罪は増加し、国民の共生が著しく損なわれてきた。人権尊重・人権擁護と国防・治安維持とは全く相対立するものだとして、戦後半世紀以上にわたって、国防や治安維持のための有効な施策が講じられて来なかった。その結果として、北朝鮮による我が国民拉致を未然に防止できなかったという最大の人権侵害の悲劇も起った。また、人権尊重ということを目標として政治運動によって学校長など公教育関係者が自殺に追い込まれるというもっとも悲惨な人権侵害が起こっている。

 

個としての人間の権利の擁護・尊重の思想がかえって人権のみならず生命の安全すら危殆に瀕せしめる状況を生み出している。人権尊重の思想によって起ったフランス革命やロシア革命の後、それらの国民の人権が蹂躙されたのと同じである。

 

基本的人権の尊重・擁護とは、個人の欲望の無制限の充足ではないし、自分さえ良ければ他人はどうでも良いという考え方でもない。しかし戦後日本はまさに欲望の無制限の充足、自分さえ良ければ他人はどうでも良いという観念に支配されてきた。人権に対する誤った考え方がその原因である。

 

 真に国民の自由と権利を尊重するためには、人権とは何か、人権擁護とは如何なることなのかを、考え直すべきである。国民の自由や権利は最大限に尊重されなければならないが、権利の乱用を防止し、他人の権利の尊重・他者との共生や公共の福祉・共同体の維持を正しく認識しなければならない。

 

人間を欲望充足の動物と考え、国家を権力機構・搾取機関と考えているかぎり、国家と個人、言い換えれば國権と人権は永遠にそして絶対的に相対立する関係となる。人権問題を考える場合、その根本において、人間とは如何なる存在であるのか、国家とは何かが、正しく把握されなければならない。

 

人間は絶対的にして永遠の宇宙大生命の地上における自己実現である。国家とは人々が共同して生活する精神的結合体である。ゆえに、人も国家も本来的には倫理的存在である。個としての人間は共同体なくして生きていくことはできないし、共同体は個としての人間なくして存立し得ないのである。歴史と伝統という縦(時間)の思想、共同体における共生という横(空間)の思想を回復しなければ個人も共同体も滅亡せざるを得ない。

 

 天皇および天皇を中心とする國體を(社会主義者のいう『天皇制』)を「差別の根源」として否定することは絶対に誤りである。歴史からも共同体からも切り離された個人は存在し得ない。歴史伝統の体現者であり国民統合の中心者を否定することが国家および国民の破壊をもたらすのである。天皇を中心とする国柄を守っていくことによって国民としての権利・生命・福祉・安全が真に守られ尊重されるのである。

 

西光万吉氏の「人間に光あれ、人の世に熱あれ」のあの叫びをもう一度深く思うべきである。光のある人間を生み、熱のある世の中を実現するには、正しき人間観と国家観の確立がなされなければならない。そして西光万吉氏が主張した「高次タカマノハラの展開」(高天原が天照大神を中心に八百万の神々が同胞として生活していたように、地上においても祭祀主天皇を中心として全国民が同胞として生活する理想世界の実現)が今日においても光を放つ思想であると信ずる。わが国の伝統たる「一君万民」の思想そして「天皇の民」の自覚が、差別をなくし国民的和合を実現するのである。

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2016年9月 1日 (木)

千駄木庵日乗九月一日

午前は、諸雑務。

午後は、施設に赴き、母に付き添う。

午後四時より、西荻窪にて、『伝統と革新』編集会議。

終了後、出席者と墾談。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。

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維新変革と伝統精神の復興

 

 何処の國の革命も変革も、洋の東西・時の今昔を問はず、外國との関連・外國からの圧力によって為し遂げられた。古代日本の大変革たる大化改新も支那・朝鮮からの侵攻の危機下に行はれた。アメリカ建国革命もイギリスとの戦いであった。ロシア革命も日露戦争・第一次世界大戦の影響下に行はれた。

明治維新もしかりである。アメリカなどの西欧列強は「征夷」の意志と力を喪失し弱体化した徳川幕府に付け入って武力による威圧で屈辱的な開港を日本に迫った。徳川幕府は、外圧を恐れかつ自らの権力を維持せんとしてそれを甘受しやうとした。

かうした状況下にあって、國家の独立と安定と統一を保持するために、日本の傳統と自主性を體現する最高の御存在たる天皇を中心とした國家に回帰した。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの傳統的君主である天皇を中心とする國家に回帰しなければならないといふことが全國民的に自覚された。

戦國時代の覇者たる徳川氏は國家の「擬似的中心者」たるの資格を喪失した。天照大神そしてその地上的御顕現たる日本天皇の御稜威によってこそ日本は護られ独立を維持することができたであり、東照大権現=徳川家康以来の将軍家の権威では國難を打開できなかった。

吉田松陰は、安政六年四月七日付の北山安世宛書状で、「独立不羈(ふき・束縛されないこと)三千年来の大日本、一朝人の覇縛(きばく・つなぎしばること)を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや。……今の幕府も諸侯ももはや酔人なれば扶持(ふじ・そばにゐていたすけささへること)の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。……草莽崛起の力を以て近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を輔佐し奉れば、……神州に大功ある人と云ふべし」と書いた。

質の高い統合を実現してゐる國家に強大な外敵が出現した場合、民族的一體感・ナショナリズムが沸き起こるのは当然である。

ともかく、天皇中心の國體を明らかにして強力な統一國家を建設し外圧を撥ね除けようとしたのが明治維新である。安政五年(一八五八)アメリカとの通商条約締結の問題によって、倒幕論が澎湃として起こった。

石田圭介氏は「日本には、他のアジアの諸民族と違って、身分・階級、地域・種族間の対立をこえて、民族を一つの國民としてまとめられる歴史的存在があった。皇室である。そして皇室を民族の中心として敬愛し仰ぐ尊皇という意識があった。これが種々の対立障壁をこえて民族の意識を統合し、國家として独立することができたのである。もしこの傳統的な精神文明がなかったなら、日本の國も他のアジア諸國と同様の運命をたどったであろう」(『近代日本政治思想小史』)と論じてゐる。

 わが國が、西欧列強の侵略・植民地支配を受けることなく近代化を遂げ発展し得たのは、「尊皇攘夷」を基本思想とした明治維新といふまさに「有史以来未曾有の大変革」を行ったからである。

今日わが國は、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になってゐる。そのうえ、未曽有の自然災害、原発事故災害も起こった。それは明治維新前夜よりも深刻な状況である。そして人々の心の中に恐怖と不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主體性・帰属意識そして自信を回復する以外に無い。今こそ傳統的ナショナリズムが勃興すべき時である。

明治維新の基本精神が神武建國への回帰であったやうに、インドの反英独立運動=ナショナリズムの思想的基盤が古代精神への回帰であったやうに、ナショナリズムの基礎にはその國の古代からの傳統精神への回帰があった。これを復古即革新と言ふ。

わが國の歴史を回顧すると、國家的危機の時こそ、尊皇精神・愛國心が勃興し、その危機を乗り切ってきた。白村江の戦ひに敗れ、唐新羅連合軍のわが國への侵攻の危機に見舞はれた時には、大化改新を断行し、天皇中心の國家體制を明徴化した。壬申の乱の後には、皇室祭祀および伊勢の神宮祭祀の制度が確立し『記紀』『萬葉集』が編纂され天皇中心の國家思想が正しく確立された。元寇の時には、それこそ全國民的に神國思想が勃興し國難を乗り切った。幕末の外患の危機に際しては、尊皇攘夷をスローガンとする明治維新が断行され、日本の独立を維持し近代國家として出発した。

今日の日本の危機的状況も、ナショナリズムの興起・日本傳統精神の復興により必ず打開し乗り切ることができると確信する。

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千駄木庵日乗八月三十一日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、書状執筆、健康執筆など。

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