« 千駄木庵日乗八月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十八日 »

2016年8月28日 (日)

天皇を現御神と仰ぎ絶対の信を寄せることが日本の臣道

本居宣長は、『直毘靈』において次のやうに論じられてゐる。

「掛(カケ)けまくも可畏(カシコ)きや吾天皇尊(ワガスメラミコト)はしも、…此ノ御國を生成(ウミナシ)たまへる神祖(カムロギノ)命の、御()みづから授(サヅケ)賜へる皇統(アマツヒツギ)にましまして、天地の始めより、大御食國(ヲスクニ)と定まりたる天の下にして、大御神の大命(オホミコト)にも、天皇惡(アシ)く坐しまさば、莫()まつろひそとは詔(ノリ)たまはずあれば、善()く坐()さむも惡(アシく)坐さむも、側(カタハラ)よりうかゞひはかり奉ることあたはず。天地のあるきはみ、月日の照(テラ)す限リは、いく萬代を經ても、動(ウゴ)き坐さぬ大君に坐せり、故れ古語(フルコト)にも、當代(ソノヨ)の天皇をしも、神と申して、實(マコト)に神にし坐しませば、善惡(ヨキアシ)き御()うへの論(アゲツラ)ひをすてゝ、ひたぶるに畏(カシコ)み敬(ウヤマ)ひ奉仕(マツロフ)ぞ、まことの道には有リける」(申し上げるのも畏れ多いことだが、わが天皇は、この御國を生み成しあそばされた祖神が、御自ら授けなされた皇統にましまして、天地の始めから、天皇が御統治なされると定まった天下であり、大御神の神勅にも、天皇が悪くましましたら従ってはならないとはご命令になってゐないので、天皇が善くましましても悪くましましても、傍らから窺ひ図る事はできない。天地がある限り、月日が照らしてゐる限り、幾萬代を経ても、動きましまさない大君であられ、故に、古の言葉にも、当代の天皇を神と申し上げ、まことに神にましませば、善悪についての論議を捨てて、ひたすらに畏みてお仕へ申上げるのが、まことの道である、といふほど意)

 

この文章には、わが國傳統の絶対尊皇思想が説かれてゐる。自分の意志や思想と一致する天皇を尊ぶことなら誰にでもできる。しかし、自分の意志や思想と異なるご行動をされた天皇に対しても忠義を尽くし従ひ奉るのが真の尊皇であり勤皇である。そのことは、日本武尊の御事績・楠正成の事績を見ればあまりにも明らかである。

 

久保田収氏は、「楠正成が、わが國史上の英雄として崇拝されて来たのは、その絶対尊皇の精神と行動にある。『太平記』四十巻の中で、近世の人々が最も感動深く読んだものは、正成の活動と忠誠とであった。正成が天皇の御召しを受けて参上し、力強く決意を申し上げたこと、千早の険に拠って、北条氏の大軍を向こうにまわして奮戦し、建武中興の糸口をつくったこと。『七生報國』の志を残して、湊川で戦死したことなど、正成が死生を超越し、一意至誠をもって天皇に捧げた純忠の精神は、読む人に深い感動を与え、正成への憧憬と、その志を受け継ごうとする決意とを生み出したのである。天和二年(一六八二)に亡くなった山崎闇斎の學問の流れを汲んだ若林強斎が、その書斎を望楠軒といって、楠公を崇拝する気持ちを明白にし、正成が『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』と申したということに感じて楠公崇拝の心をおこした、と傳えている。強斎は、このことばが『わが國士臣の目当』であると考え、正成を日本人の理想像として仰いだのである」と論じてゐる。(『建武中興』)

 

楠正成の「仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱ふべし」との言葉こそ、わが國の臣民のあるべき姿勢である。天皇を現御神と仰ぎ絶対の信を寄せることが日本の臣道である。尊皇精神とは、日本國の祭祀主として神聖なる君主であられる天皇へのかしこみの心である。

 

村岡典嗣氏は、「歴史日本が創造した道徳的價値の重要なものとしては、尊皇道と武士道との二つを、擧げ得る。尊皇道徳は太古に淵源し、我が國體の完成とともに、而してまたその根柢ともなって成就したものである…そは即ち、天皇に對し奉る絶對的忠誠の道徳であって…太古人がその素朴純眞な心に有した天皇即現人神の信念こそは、實にその淵源であった」(『日本思想史研究・第四』)と論じてゐる。

 

第二十三代・顕宗天皇は、父君・市辺押磐(いちのべのおしは)皇子を殺したまふた雄略天皇をお怨みになり、その御靈に報復せんとされて御陵を毀損しやうとされ、弟君・意祁命(おけのみこと)にそれを命じられた。だが、意祁命は御陵の土を少し掘っただけで済まされた。天皇がその理由を尋ねられると意祁命は「大長谷の天皇(註・雄略天皇の御事)は、父の怨みにはあれども、還りてはわが従父(をぢ)にまし、また天の下治らしめしし天皇にますを、今単(ひとへ)に父の仇といふ志を取りて、天の下治らしめしし天皇の陵を悉に破壊(やぶ)りなば、後の人かならず誹謗(そし)りまつらむ」(『古事記』)と奉答された。

 

如何に悪逆非道の天皇であると思っても、天皇に反逆してはならないといふのがわが國の尊皇精神である。この絶対尊皇精神は太古以来の傳統である。

 

本居宣長は、「から國にて、臣君を三度諌めて聽ざる時は去といひ、子父を三たびいさめて聽ざるときは泣てしたがふといへり、これは父のみに厚くして、君に薄き悪風俗也。…皇國の君は、神代より天地と共に動き給はぬ君にましまして、臣下たる者去べき道理もなく、まして背くべき道理もなければ、したがひ奉るより外なし。なほその君の御しわざ悪くましまして、従ふに忍びずと思はば、楠主の如く、夜見の國へまかるより外はなきことと知べし、たとひ天地はくつがへるといふとも、君臣の義は違ふまじき道なり…然れば君あししといへ共、ひたふるに畏こみ敬ひて、従ひ奉るは一わたりは婦人の道に近きに似たれ共、永く君臣の義の敗るまじき正道にして、つひには其益広大なり」(『葛花』)と論じてゐる。

 

天皇は現御神であらせられ絶対的に尊ぶべき御存在である。もしも、萬が一、天皇の御心や御行動が、自分の考へや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下を批判する事は絶対にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。楠正成が言はれた如く「仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱ふべし」なのである。

 

八月八日の、今上陛下の「詔」に対し奉り、批判する人、異論を述べる人がおられるようである。しかし、天皇陛下が間違ったご命令を下されたり行動をされてゐるとたとへ思ったとしても、臣民は勅命に反してはならない。どうしても従へない場合は自ら死を選ぶべきであるといふのが、わが國の尊皇の道であり、勤皇の道であるといふことを、本居宣長先生は教へてゐるのである。

 

|

« 千駄木庵日乗八月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十八日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/64120073

この記事へのトラックバック一覧です: 天皇を現御神と仰ぎ絶対の信を寄せることが日本の臣道:

« 千駄木庵日乗八月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十八日 »