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2016年8月24日 (水)

今こそやまとことばの復興・言靈の力による國の再生が図られなければならない

最近、某有名作家の品格のない暴言が話題になった。日本には言霊といふ言葉がある。日本民族は古来、言葉には不可思議にして靈的な力があると信じてきた。そして言葉に内在する霊的力が人間生活に大きな影響を与へると信じてきた。だからこそ日本人は言葉を慎み、畏敬してきた。

 

神道で祝詞を唱へ、仏教で経文・経典を読誦し題目や念仏を唱へるのは、それらの言葉に神秘的にして不可思議な力が宿ってをり言葉を唱へることによってその霊の力が発揮されると信じてきたからである。

 

ところが、現代日本は言靈が軽視され、いのちが枯渇し軽佻浮薄と言っていい言葉が氾濫してゐる。歌壇など文藝の世界においてすら言靈を喪失してゐる。

 

「言葉の乱れは世の乱れ」と言はれる。今の日本は乱世である。その原因は、言葉の乱れが重大な要素になってゐると考へる。情報化時代の現代においてこそ「言靈」の復活が大切であると思ふ。それが、世の乱れを正す大いなる方途である。

 

言葉の問題は、単に「品格」とか「ヒューマニズム」と言った次元のことではなく、日本民族の道統の問題である。「言靈の幸はふ國」とは言葉の靈の力によって生命が豊かに栄える國といふ意味である。「言擧せぬ國」とは多弁を慎む國といふ意味であめ。今こそ、魂の籠った「やまとことば」が回復されるべきである。

 

情報とは言葉である。今の日本は情報・言葉は洪水のごとく氾濫し、濫用されてゐる。森本和夫氏は、「スターリンによって、『生産用具、たとえば機會と違わない』といわれた言語が、ますますその方向を突き進んで、いまや生産用具の主座にすわろうとしている。それこそ“情報社會″と呼ばれるものの意味であろう」(『沈黙の言語』)と論じてゐる。

 

言葉が意志傳達の手段としか考へられなくなり、人間が言葉への畏れを無くし、意志傳達の手段としてのみの言葉が氾濫し濫用された時、文化と道義は頽廃し、人間は堕落する。それが現代社會である。

 

言葉への畏れを喪失するといふことは、言葉を単なる生産手段=機械と考へることである。「言葉は意志傳達の手段、人間の扱ふ道具だ」といふ観念が、國語の軽視と破壊の原因である。言葉が単なる情報傳達の手段であるのなら、なるべく便利で簡単で負担が少ない方が良いといふことになる。漢字制限はさういふ安易な便宜主義・目先の理由によって行はれた。

 

それは言靈の喪失である。現代ほど言靈が軽視されてゐる時代はない。現代日本においては、文藝においてすら言靈を喪失してゐる。

 

日本人の魂は、今、よすがなく彷徨っているやうに思へる。さまよへる魂を鎮め、鎮魂し、再生させるために、やまとことば・言靈の復活が大切である。それは、言靈が籠り、天地(あめつち)を動かし目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせる「やまとうた」の復活である。今日において、まさに、「國風文化」が復興しなければならない。

 

現代日本はまさに國家的危機に瀕してゐる。今こそ、言葉を正さねばならない。やまとことばの復興、言靈の力による國の再生が図られなければならない。一切の改革・変革の基本に、言靈の復興がなければならない。

 

大化改新といふ大変革・壬申の乱といふ大動乱の時に『萬葉集』が生まれ、平安中期の國風文化勃興の時に『古今和歌集』が生まれたやうに、國難に晒されてゐる今日においても、畏れ多いが偉大なる勅撰和歌集が撰進されるべきであると信ずる。それが言靈の復活であり、世の乱れを正す大いなる方途である。

 

日本天皇を「すめらみこと」と申し上げる。「すめらみこと」とは、天つ神の「みことのり」「神勅」を地上において實現される最高に尊いお方といふ意味である。日本の「言葉」で最も大切な言葉は、天皇の「みことのり」(詔勅)である。「詔を承りては、必ず謹む」精神即ち「承詔必謹」が日本國民の最高絶対の道義精神であり、國家永遠の隆昌の基本である。

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