« 千駄木庵日乗八月二十八日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十九日 »

2016年8月29日 (月)

歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられる

本居宣長は、『直毘靈』において、日本天皇のご本質について次のやうに論じてゐる。

 

「千萬御世(チヨロヅミヨ)の御末(ミスエ)の御代まで、天皇命(スメラミコト)はしも、大御神の御子(ミコ)とましまして、御世御世の天皇(スメラギ)は、すなはち天照大御神の御子になも大座(オホマシ)ます。故(カレ)天つ神の御子とも、日の御子ともまをせり」(千年萬年の御代の末の御代まで、天皇命は天照大御神の御子とましまして、御代々の天皇は、即ち天照大御神の御子にまします。そのため天津神の御子とも、日の御子とも申し上げるのである、といふほどの意)「抑此ノ世を御照し坐()ます天津日ノ神をば、必ずたふとみ奉るべきことをしれども、天皇を必ズ畏(カシ)こみ奉るべきことをば、しらぬ奴(ヤツコ)もよにありけるは、漢藉意(カラブミゴコロ)にまどひて、彼の國のみだりなる風俗(ナラハシ)を、かしこきことにおもひて、正しき皇國の道をえしらず、今世を照しまします天津日の神、即ち天照大御神にましますことを信(ウケ)ず、今の天皇尊、すなはち天照大御神の御子に坐ますことを忘(ワス)れたるにこそ」(そもそもこの世を照らしてをられる天津日をば、必ず尊び申し上げなければならないことを知ってはゐても、天皇を必ず尊び奉るべきことは知らない奴も世にゐるのは、漢籍の思想に惑はされて、支那の乱れた風俗を尊き事と思って、正しき天皇國の道を知ることが出来ず、今の世を照らしてをられる天津日の神即ち天照大御神にまします事を信じず、今の天皇尊が即ち天照大御神の御子であらせられることを忘れたためである、といふほどの意)

 

『天壌無窮の御神勅』には、「これ吾が子孫(うみのこ)」と示されてゐる。「子孫」といふ漢語を「ウミノコ」と読む。これは、邇邇藝命をはじめ神武天皇そして今上天皇に至るまでの歴代天皇は、天照大神の「生みの子」であり、歴代の天皇は、天照大神の御神靈と一體であり、同一神格であり、天照大御神と邇邇藝命・神武天皇・歴代天皇・今上天皇とは、「生みの親」と「生みの子」との関係であるといふことである。故に天皇を皇御孫尊(すめみまのみこと)と申し上げる。

 

今上天皇は、邇邇藝命・神武天皇と不二一體であらせられる。天皇が現御神・現人神であらせられるとはかかる信仰である。

 

平田篤胤は「孫をマゴと云ひ、曾孫をヒコと云ふ。然れどマゴとは真子(マコ)の義にて、生子(ウミノコ)より次々の子孫までを広く云ふ言(コト)にて孫をのみ云ふ語には非ざるなり」(『玉襷』)「我が天皇命の高御座は、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所知看(シロシメ)せと依賜へる御座なる故に、その高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり。(子とは、子孫末々までにわたる名なること、師説(註・本居宣長の説)に、具(ツバラ)にいはれたるがごとし)」(『靈の真柱』)と論じてゐる。

「子孫(うみのこ)」とは単に「孫」といふ意味ではなく、天照大神が直接にお生みになった御子即ち天照大神の神靈の天降った御子そのものであるといふことなのである。『天壌無窮の御神勅』は、歴代の天皇はそれぞれ肉身は異なられても、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、靈的・魂的には邇邇藝命と永遠にわたって全く同じ靈格であるといふことを示してゐるのである。

 

高崎正秀氏は、「(柿本人麻呂の『日並皇子挽歌』・註)では、高照らす日の御子神(即ち皇御孫尊)は掛詞風に、瓊瓊杵尊のイメエジは直ちに天武天皇と重ね写真になってゐる。これは…人麿独自の表現ではなく、皇御孫尊思想の本質的把握でなければならぬ。歴聖一如の思想──天皇靈といふ大御魂(オホミタマ)の入る聖躬(セイキュウ)が大みま、すめみまで、肉身は次々と交替があっても、天皇靈が御魂触(ミマタフ)りすれば、同一人格の引続きと見るといふ、古神道の常則に従ってゐるのである。──だから歴聖すべて瓊々杵尊──それは聖なる稲穂の神格化でもある──の御生まれ替りであり、同一神格であらせられる。この思想が人麿に厳存したからこそ、ああした発想表現を選んだ…。」(『柿本人麿』)と論じておをられる。

 

天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するが、信仰上は、先帝も今上天皇も天照大神の御神靈が体内に天降ってきてをられ、全く同じ御神格なのである。御肉身が男性であらせられやうと女性であらせられやうとその御本質には全く変りはない。

 

崩御された天皇の神靈は一旦天にお帰りになる。しかし天にお帰りになった神靈は再び新しい天皇の御身体に天降って来られるのである。故に、天照大神の御神靈と一体の御存在であるといふことにおいては、天孫・邇邇藝命も神武天皇も今上天皇も全く同一なのである。天皇を、「天照大神の御魂の入りかはらせたまふ王」と申し上げるのは以上のやうな信仰を表現してゐるのである。

神靈が天皇の御身体に天降り一体となるお祭りが、毎年行はれる「新嘗祭」である。そして、即位後初めて行はれる「新嘗祭」を「大嘗祭」と申し上げる。

たとへ天皇の肉身はお替はりになっても、天皇の御神靈=大御命(おほみいのち)は永遠に不滅なのである。新帝の御即位は、天皇の御神靈が新しき肉身をまとって復活されたといふことなのである。

 

歴代天皇は即位される事によって天孫降臨を今繰り返されるのである。これは永遠の繰り返しである。これが日本人の傳統的國家観であり君主観である。

 

歴代天皇は、信仰上はすべて「はつくにしらすすめらみこと」であらせられる。「はつくにしらすすめらみこと」とは単に「始めて國を統治される天皇」といふ意味ではない。國をはじめの状態に回帰させる天皇、つまり「今即神代」を實現される天皇といふ意味である。

 

天照大神と天皇の関係は、単に、天照大神が天皇の御祖先であり天皇は天照大神の御子孫であるといふ関係だけではなく、天照大神の神靈が天皇のお体に入り、天皇が天照大神の御意志(地上に稲を實らせること)を地上(豊葦原の瑞穂の國=日本)において實現するといふ関係である。

 

われわれ日本民族は、天皇をただ単に神武天皇の肉體的御子孫として仰いできたのではなく、天照大神の生みの御子・地上における御代理・御顕現即ち現御神として仰いで来たのである。

 

歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる。天皇は単に皇祖皇宗の肉體的生物學的御子孫ではなく、歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の生みの御子であらせられる。これを〈歴聖一如〉と申し上げる。

 

折口信夫氏は、「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が皇位を継承した事になるが信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、斉しく天照大御神の御孫で居られる。決して、天照大御神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大御神との御関係は、にゞぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である」(『大嘗祭の本義』)と論じてゐる。

 

平田篤胤は、「わが天皇命の高御座は、天照大御神の、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所地看(シロシメ)せと依賜へる御座なる故に、その高御座に位()すは、御孫ながらに、御代御代、天ツ神ノ御子と申し奉ることなり。此はその高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり」(『靈の眞柱』)と論じてゐる。

 

日蓮は、「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」(『高橋入道殿御返事』)と論じてゐる。

 

吉田兼好は「帝の御位はいともかしこし、竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき」(『徒然草』)と述べてゐる。「竹の園生」とは皇族の御事である。皇族すべてが「人間の種」ではないといふ信仰である。男性でも女性でも皇族は「人間の種」ではあらせられないのであるから、生物學・遺傳學の範疇のみで考へるべきではない。

 

現御神信仰は古代以来近世・近代に至るまで継承されてきた。

 

第百十六代・桃園天皇は、

「もろおみの 朕(われ)をあふぐも 天てらす 皇御神(すめらみかみ)の 光とぞおもふ」

と詠ませられてゐる。

 

第百十七代・後櫻町天皇は、

「まもれなほ 伊勢の内外(うちと)の 宮ばしら 天つ日つぎの 末ながき世を」

と詠ませられてゐる。後櫻町天皇は女帝であらせられる。

 

第百五十四代・昭和天皇は、

「さしのぼる 朝日の光 へだてなく 世を照らさむぞ わがねがひなる」

と詠ませられてゐる。

 

わが國悠久の歴史は、現御神としての御自覚で君臨あそばされた大君と、天皇を現御神として仰いだ國民とが支へてきたのである。天皇は地上においては天照大神の御代理としての御資格を有される。

 

従って、現御神即ち地上に現はれられた生きたまふ神であらせられる上御一人を、生物學上の男女としてのみ拝することはできない。天皇がたとへ肉身においては女性であられても、生物學上の一般女性とは異なる使命を有される。君主として男性原理と女性原理を共に體現せられるのである。これを両性具有と言ふ。

 

天皇は、先帝の崩御によって御肉體は替はられるが、御神靈は新帝に天降られ再生されるのである。ただしその御肉體・玉體・御血統は先帝から継承されなければならない。また、神武天皇以来の男系皇統による皇位継承の傳統は護持されるべきである。

|

« 千駄木庵日乗八月二十八日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十九日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/64124993

この記事へのトラックバック一覧です: 歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられる:

« 千駄木庵日乗八月二十八日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十九日 »