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2016年8月26日 (金)

日本國體と成文憲法

 三潴信吾先氏はその著書『日本憲法要論』次のやうに論じてゐる。

「世界中で、成文憲法が先に出來て、然る後に國家が成立した國は一つも無い。国上生活の根本事實が出現し、これと同時に、又はその後の時點に於て憲法典が制定される。…日本に於て明治二十三年十一月二十九日の大日本帝國憲法施行の日まで、成文憲法は無かったが、何人もその故を以て、それまで日本國家が成立して居なかったと見る事は出來ない」。

「憲法及び憲法に基く統治機關には、不文法たる立國法の精神的又は道徳的傳統を支配、變更、否定などする權限は無いのであって、むしろ。それらの普遍的原理や立國法に則って統治權の諸作用を行ふ様努力しなければならぬのである」「憲法の基盤となる立國法とは、國體法とも稱されるが、不文憲法として、成文憲法のある場合にも、必ずその基礎を成すものである。…立國法は、その國の立國と同時に、その成立事實と不可分に存立するものであって、立國の精神的又は道徳的理想を根幹として、その國の最も基本的な傳統的秩序を樹立するものである。この國家の成立事實の中心は、元首の立ち方である。即ち、その國の元首の地位の本質が、それによって定まる。從って、立國法は、立國の理想目的と、その具體的表現人格たる元首の立ち方とを示すものである」。

 

 言うまでもなく、天皇を祭祀主・統治者と仰ぐ日本國は、成文法が制定される以前から存在する。『現行占領憲法』があるから「天皇国日本」が存在するのではない。天皇を祭祀主・統治者と仰ぐ祭祀国家・信仰共同体国家たる日本国においては三潴氏の言はれる「元首」とは、上御一人日本天皇である。従って、憲法及び憲法に基く統治機關・権力機構には、不文法たる立國法の精神的又は道徳的傳統を体現され日本国の君主・祭祀主・統治者であらせられる天皇陛下の大御心を支配、變更、否定などする權限は毛筋の横幅ほども無いのである。ましていわんや、戦勝国の強制によって押し付けられた『現行占領憲法』が、天皇陛下の大御心を支配、變更、否定などする權限は毛筋の横幅ほども無いのである。

 

三潴信吾氏はさらに次のやうに論じてゐる。

(成文法主義は・注)ローマ法思想の流れを汲み、君主(統治者)と人民(被統治者)との間、又は各人相互の間の不信、性悪観に立脚するものである。古代ローマ帝國史上に於ては、征服支配者たる貴族と被征服民たる平民の間に於て、平民から起った『ローマ市民權普及の叫び』が、十二表法(注・古代ローマにおいて初めて定められた成文法)以來の成文法典を生んで行ったが、近代ヨーロッパに於ける成文憲法の制定も、マグナ・カルタ以來の歴史が示す如く、専制君主と人民との間の不信感に發した、人權保障の約束證文に由來するのであって、これは權力國家観から利益國家観への移行の段階に於て現はれたものである」「不文法主義は、本來の一心同體の自覚、即ち『和』の原理に立脚するものであって、國民の保有する共同の確信たる立國法を基礎とする」「我が國に於て、成文憲法主義及び成文法主義が現代デモクラシーにとって絶對的條件である如くに考へられてゐることには、大きな反省を必要としよう。我が國将来の憲法の在り方を考へる場合にも、今日の護憲論、改憲論のみに止まらず、更に明治二十二年以前の如く、不文法の體制をも充分考慮する必要があると考へる。むしろそれが日本の國法の本來の姿ではないか」(『日本憲法要論』)

 

天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体国家・祭祀国家であるわが国は、天皇は征服支配者ではない。また、國民は被征服民ではない。天皇と平民が相対立し、権力争奪の戦いをしたことはない。君民一体の「和」の精神によって成立してゐる。また、わが国は、權力國家観でも利益國家観ない。本來の一心同體の自覚、即ち『和』の原理に立脚する君民一体の國である。従って、国家機構を運営するための一般の成文法は必要であろうが、三潴氏が言われる「専制君主と人民との間の不信感に發した、人權保障の約束證文に由來する」ところの『成文憲法』は本来必要ないのである。

 

 成文法がどうしても必要であるとすれば、日本國の成文憲法は、人間同士の不信ではなく、信頼という日本の麗しい精神伝統に立脚した成文憲法でなければならない。天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家という日本國の道統が成文憲法の条文にも正しく表現されなくてはならないのである。國體(國柄)は、憲法に基づいて確立されるのではない。一國の國體(國柄)に基づいて憲法の國體に関する条項が成文化されなければならない。

 

 明治天皇は『大日本帝國憲法及び皇室典範制定の御告文』(明治二十二年二月十一日)に、「茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス。惟フニ此レ皆 皇祖 皇宗ノ後裔ニ貽(のこ)シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス」と示されている。「洪範」とは天下を統治する大法という意味、「紹述」とは先人の事業や精神を受け継いで、それにしたがって行なう意味である。

 

 『大日本帝國憲法』と『皇室典範』は、天照大神の御命令によって高天原より瑞穂の國に天降られた天孫邇邇藝命以来御歴代の天皇の日本國御統治の大法を実行することを記した成文法なのである。この正統憲法に回帰することが今日最も大切である。

 

『天壌無窮の御神勅』には、

 

「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」と示されてゐる。

 

この「御神勅」こそが、天皇国日本の國體が明示された最高の「成文憲法」である。

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