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2016年8月19日 (金)

「日本は満洲を中國から奪った」「日本は満洲を侵略した」というのは全くの嘘出鱈目である

満洲建國は断じてわが國の侵略ではない。侵略とは、「他國の支配下の土地等を、侵入して奪い取ること」と定義される。しかし、満洲は本来的に支那の領土ではない。また、満洲は独立主権國家ではなく諸民族が混在する無主の地であった。

 

『後漢書東夷伝』に、「九夷」ということが書かれているが、朝鮮・満洲・日本がその中に入っている。満洲は朝鮮・日本と同じく「東夷」であり支那人の言う「中華」ではないのである。

 

萬里の長城の内と外とは有史以来敵対する世界であり、共存できない摩擦と衝突が繰り返されてきた。萬里の長城の外は歴史的に支那ではない。

 

漢民族にとって満洲族は東夷(野蛮人)、満洲は化外の地であり、萬里の長城の北側である満洲は、「絶対に一緒になりたくない世界」ではあっても「絶対不可分の固有の領土」ではなかったのである。

 

一九○五年八月二十日、孫文が東京で結成した『中國革命同盟會』の綱領には「韃虜(北方の異民族満洲人に対する蔑称)を追い払い、中華を回復し、民國を創立し、地権を平均しよう」とある。革命党は、強烈な民族主義を主張し、満洲王朝の打倒を主張した。そして満洲人をイギリス人と同じような異民族と断じた。満洲を外地・外國と考えていた。日本人に対して孫文は、「日本は大いに満洲に進出したがいい」と言った。

 

孫文はまた、「余は人民自ら己を治むるを以て政治の極則なるを信ず。故に政治の精神に於ては共和主義を執る。…況や清虜(満洲人への蔑称)政柄を執る茲に三百年。人民を愚にするを以て治世の第一義となし、その膏血を絞るを以て官人の能事となす。…試みに清虜の悪政に浴せざる僻地荒村に到り見よ。彼等は現に自ら治むるの民たるなり」と論じた。(宮崎滔天の『三十三年之夢』)

 

明治四十四年(一九一一)の辛亥革命は「反清復明」(清朝に反対して明朝を復元する)「滅満興漢」(支那大陸を征服し漢民族を支配していた満洲族を滅ぼして漢民族を復興する)を合言葉にして行われた。辛亥革命後の中華民國にとっても、満洲は正に化外の地であった。それは日本統治下に入る以前の台湾と同じである。

 

孫文が、革命の資金援助交渉で、満洲を日本に売却する交渉をしたのも、孫文が満洲を自國領と考えていなかったからである。明治四○年(一九○七)一月、日本に亡命していた孫文は、東京で「革命の目的は『滅満興漢』である。日本がもし支那革命を援助してくれるというのなら成功の暁には満蒙を謝礼として日本に譲ってもよい」と演説した。自國の領土を外國に売り渡す「革命家」「愛國者」がいるだろうか。このように「日本は満洲を中國から奪った」「日本は満洲を侵略した」というのは全くの嘘出鱈目である。日本が満洲に進出しても、わが國が支那・漢民族を侵略したことにはならない。

 

満洲は清朝崩壊後、馬賊(清末から満洲に横行した群盗。馬に財貨を積んだ隊商の宿泊地などを襲い馬ごと略奪した)や軍閥が跳梁跋扈する地となった。軍閥の支配は文字通り苛斂誅求で民衆は苦しめられていた。

 

わが國は、日露戦争勝利後、明治三八年(一九○五)五月、「ポーツマス条約」により合法的に、南満洲鉄道とその付属地(関東州)の権益をロシアより譲り受けて、鉄道を敷設し産業開発と治安維持に努力した。そして毎年百萬人の漢民族が支那大陸の戦乱を逃れて満洲に流入した。辛亥革命当時は千八百萬だった満洲の人口は、満洲事変の頃には三千萬に達した。

 

共産革命後のソビエト・ロシアは、アジア赤化=侵略の前線基地として満州を手に入れようとして中國共産党を支援して「反日闘争」を支援した。

 

わが國軍民は「ポーツマス条約」に基づいて合法的に満洲に在留していた。そして、日本軍によって満洲の治安が回復した。そしてわが國は、「五族(日・満・蒙・韓・漢)協和」「王道楽土」の理想國家を作ることによって満洲に住む人々に平和と繁榮をもたらした。

 

満洲國では、各種の改革が実行され、土地の農地化・重工業の発展・治安の向上が実現し、混乱の続く支那大陸をはるかにしのぐ安定した國家建設が行われた。多くの民衆は不安と恐怖と貧困と飢えから解放された。他の地域にいた民衆が年間百萬人前後満洲に移住してきて人口はさらに急増し、満洲事変前の人口は三千萬人であったのに、十年後の一九四一年(昭和一六年)には四千三百萬人になった。

 

満洲という地域が、日本軍によって侵略され、日本によって植民地支配され、搾取され、民衆は虐待され、虐殺され、酷い目に遭ったという説が、全くの嘘出鱈目であることを証明する数字である。

 

満洲國建國以前は農林業しかできなかった満洲が、自動車・戦闘機まで生産する一大工業國になった。日本の國家予算が年間二○億円だった時代に、日本は満洲に対して十数年間で一三○億円前後の資本投下を行ったのである。

 

満洲事変はわが國による侵略では絶対にないし、満洲建國はわが國による搾取が行われた植民地支配では絶対にない。西欧列強がアジア・アフリカ・中南米などで行ってきた植民地支配・収奪・搾取とは全く異なる。近代國家建設の理想と情熱で満洲を開発し、十三年半という短期間に近代國家を作り上げたのはまさに奇跡である。わが民族は、満洲事変は自存・自衛のための止むを得ざる作戦であると認識し、満洲建國を誇りとしなければならない。

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