« 千駄木庵日乗七月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月十七日 »

2016年7月16日 (土)

日本國家は天皇を祭祀主とする信仰共同體である

日本國家は天皇を祭祀主とする信仰共同體である。ゆえに日本國は天皇國といわれるのである

 

 大和朝廷による祭祀的統一によって、日本民族が狭い部族的あるいは地縁的な共同體の分立から、今日の日本國の原形である全體性を確立した。その中心にあったのが<天皇の祭祀>である。これが「祭」と「政」の一致なのである。かかる意味において、日本國は天皇を中心とした信仰共同體であり祭祀国家なのである。

 

『魏志倭人伝』に「一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰ふ。鬼道に事へ、能(よ)く衆を惑はす」と、古代日本に祭祀主として「卑弥呼」(正しくは日の御子)という女王がおられたと記されている。

 

 『魏志倭人伝』とは、支那の『三國志』のうちの『魏書東夷伝』の中の倭人(日本人のこと)に関する約二千字ほどの記事のことである。

 

ここに書かれていることが三世紀の日本の史実そのままではない。三世紀前半に日本に渡来した支那人(魏の國の人)の見聞に基づいているらしく推測される。実際に訪ねていない國のことも訪ねたかの如く書いている箇所もあるという。しかし、その頃の日本の九州(筑紫)に来た支那人が「水行十日陸行一月」の遠隔地を伝聞したことをもととしているという。

  

 『魏志倭人伝』は、古代日本の「祭祀」を「鬼道」などと蔑視し、「祭り主」「日の御子」に「卑弥呼」(いよいよ卑しいと呼ぶ)などという侮蔑的な文字が当てられているが、「ヒミコ」とは「日御子」であり、太陽神を祭る御子という意味である。そして神を祭り、神の意志を民に伝え、民の願いを神に申し上げることのできる霊能を有する人が、政治的統治者となることができたのである。「日御子」は古代日本の祭祀と統治を統べる最高のお方なのである。

 

 そして「日御子」は太陽神を地上においてそのまま體現される御方であるから、現御神(現実に現れた神)と仰がれることになったのである。これが現御神日本天皇の起源である。

 

 わが日本は、天照大神信仰・日の御子=現御神日本天皇仰慕の心を中核とする信仰共同體・祭祀国家である。大和や河内などにある天皇陵をはじめとした多くの古墳は、信仰共同體の精神的エネルギーの結晶である。祭り主天皇の神聖なる権威を崇める心が美しい前方後円墳を作り出したのである。

 

 わが國においては、祭祀と政治は一體である。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」と言うのである。

 

「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からのわが國の傳統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは分かちがたく一体であった。

 

 祭祀とは、己をむなしくして神に仕えまつる行事である。そして、日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方であり、民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。天皇は神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方となられるのである。だから民から天皇を仰ぐときにはこの世に生きたもう神すなわち現御神(あきつみかみ)あるいは現人神(あらひとがみ)と申し上げるのである。

 

 「無私」が祭祀の本質であるから、神のみ心のままの政治、私を無くした政治、これが祭政一致であり、天皇の日本國家統治の本質である。だから、日本國はその長い歴史において、多くの競争が行われ戦いがあったが、「無私」の御存在であられる天皇は、唯一神聖不可侵な御存在として絶対的な御位におられ続けたのである。そしてそのことによって、わが国は分裂することもなく滅亡することもなく、続いてきたのである。

|

« 千駄木庵日乗七月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月十七日 »