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2016年7月13日 (水)

この頃詠みし歌

弟をシベリアで失ひし人の歌讀みつつ悔しき歴史を偲ぶ(窪田章一郎先生歌集)

わが母は「愛ちゃんはお嫁に」を楽しげに歌ひゐるなり施設の小部屋

パソコンでは佳き歌作れず 筆を持ち心のままに歌を詠まなむ

久しぶりに市ヶ谷の町に来たれども昔の人に逢ふよしもがな

朗々と詩吟の声の響きわたる今宵の宴の爽やかさかな(『欣欣の清筵 福永武君の結婚を悦ぶ会』)

道につながる友ら集ひて若き友の妹背の契り祝ふこの夜(同)

幾十年來の同志の元気な姿をば見てぞ嬉しき今宵の集ひ(同)

それぞれに戦ひの庭に立ちてゐる友ら集ひて今日の祝事(ほぎごと)(同)

懐かしき師の面影を偲びつつ「生命の實相」實相篇を讀む

街中の緑の森のみやしろは梅雨の光に濡れて美し

清らなる梅雨の晴れの間の青空の下のベランダに洗ひ物干す

バスに乗り不忍通りを行き行きて母のゐませる病院に着く

点滴を打たれてややに顔色の良くなりし母よ 安らかにあれ

せまき部屋に老いたる母は眠ります ただに祈らむ当病平癒

母上はわが手を握り安堵して眠りたまへりせまき病室

懸命に祈りつつプリンを口に運びなば母はわずかに食したまへり

わが母の健やかにゐませと祈りゐる我の心を神しろしめせ

わが母の胸に手を当てひたすらに快癒を祈る夕べの病室

わが母は薄目を開けて我にしも微笑みかける夕べの病室

細くなりし母の両足見るに耐えず 眼(まなこ)閉じれば胸迫り来る

わが母が老いませる体でよこたへて苦しむ姿を見るに切なし

嚥下能力よみがへりませと祈りつつ母の口に流動食運ぶ

嫌々と言ひながらようやく流動食を食したまへる母を励ます

命の光さらに輝けと祈るなり病室に眠る母に向かひて

わが母の叱咤の声の強ければまだまだ命は燃え盛るなり

友どちの笑顔のポスター眺めつつ元気で頑張れと祈りゐるなり

ジューシーだ肉厚だとかいふ言葉 飽食の時代に飛び交ひてゐる

緑濃き皇居の森を眺めつつ安らかな心になりてうれしき

この國の永久の安穏を祈りつつ皇居の森を眺めつつをり

楠公の雄々しき騎馬像振り仰ぎ日の本の國を守りませと祈る

 

老いたる人が若きその妻に支へられ階段昇る姿麗し

 

母上は腰が痛いと嘆きたまふに為すすべなきは悲しかりけり

 

手を当ててただにし神に祈りをり母の痛みのやはらぎませと

 

みちのくより帰り来たりて腹痛し美味き物食べ過ぎし旅なりしゆゑ

 

食欲は健康のバロメーターなどと呑気に思ひゐし我にしありけり

 

喫煙席といふものを厭ふ何となく隔離されたる心地する故

 

こはれたるベルトを引き上げ歩み行く肥満体われのみっともなさよ

類い稀な愛國者の孫に生まれながら祖國を毀(こほ)たむとする愚かさよ(谷口雅宣へ)

 

母上の家に帰るといふ言葉聞くは切なく悲しかりけり

 

なぐさめの言葉も出でぬ苦しさよ家に帰りたいとせがむわが母に

 

何時も何時も水を撒きゐる老人に水不足ぞ一言言ひたし

 

大きなお世話余計な口出しと言はれるを恐れ黙(もだ)して通り過ぎたり

 

七十歳を迎へる人は店閉じて故郷に帰ると楽しげに言ふ

 

四十年続けたる店を閉じると言ふ妻失ひし老いし主(あるじ)

 

大きな鍋に具材てんこ盛りの夕餉には胃薬を飲むことがよろしき

 

若き夫婦が楽しげに道を歩み行く 我はその後をとぼとぼ歩く

 

夕暮の銀座の街を歩み来て友どちのくばるビラを受け取る

 

四丁目の鐘鳴り出づる下にして選挙演説今盛りなり

 

この國は如何に混迷してゐても上に天皇おはします國

 

悪霊にとり憑かれたる者どもが同じ言葉を繰り返し叫ぶ

 

悪霊がまだこの國に棲みゐるをしみじみと知るデモの風景

 

夏の朝(あした) 昇り来たりし太陽は照り輝きてわが身も燃え立つ

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